2013年12月21日土曜日

大江健三郎「みずから我が涙ぬぐいたまう日」______ハピィ・デイズという逆説

 どうして大江健三郎はこんなにもわかりにくいのだろう。標題の「みずから我が涙ぬぐいたまう日」のわかりにくさなど犯罪的ではないか、と思ってしまう。いま平行して読んでいる三島由紀夫のほうが、彼が頑なにこだわった旧字体と修辞的な文章に慣れれば、ずっと素直に読めてしまうような気がする。

 この小説のわかりにくさの第一は、叙述の複雑さにあるだろう。語り手の作家がみずからを「かれ」と呼んで「同時代史」を語り、その語るところを「遺言代執行人」あるいは「看護婦」と呼ばれる「かれ」の妻(と推測される人間)が「口述筆記」をする、という体裁で叙述されるのだ。さらに二重括弧《》でくくられる地の文があるのだが、ここでも語り手の作家は「かれ」と呼ばれるので、読む側は、語られる内容が語り手の主観的な思い込みなのか、それとも客観的な事実なのかをしばしば混乱してしまう。これはアンフェアなやりかたではないか。


 わかりにくさの第二は叙述される内容そのもののゆらぎである。いったい語り手の「かれ」は本当に癌なのか。物語の冒頭「いったい、おまえは、なんだ、なんだ、なんだ!」と叫んで登場する男(これがじつは「かれ」の母親であることがラスト近くで示唆される)と「おれは、癌だ癌だ、肝臓がんそのものがおれなんだ!」という「かれ」とのやりとりは夢なのか、それとも現実なのか。

 また「かれ」の語る「同時代史」___「あの人」と呼ばれる父親(らしき人物)の追憶は真実なのか。満州に渡って何やら策動していたものの、一九四二年春日本に戻るとそのまま郷里の家の倉に閉じこもり、一九四五年敗戦の日まで水中眼鏡をかけ、ラジオのヘッドホーンを放さなかったという「あの人」の行動の意味するところは何か。 そして最後の「蹶起」の日___末期の膀胱癌で出血の止まらない身でありながら木車に乗せられて「あの人」が郷里を出ていったのは八月十五日の敗戦の日なのか、それともその翌日なのか。そもそもそれはほんとうに「蹶起」だったのか。

 こうしたわかりにくさを増幅する、というよりわかりにくさの根源が「かれ」の母親である。「かれ」の追憶の中で語られる母親はつねに「あの人」と呼ばれる父親を否定する存在である。母親の祖父は「明治四十五年に摘発された、戦時においてはおよそそれを口にだすこともはばかられる事件に関係があった模様」の人物であり、母親は中国大陸で育ったのだが、「かれ」の長兄が軍を脱走すると、「かれ」の両親の対立、憎悪は決定的なものになる。「かれ」自身は、膀胱癌でありながら極度に肥満して自らの用をたせぬ「あの人」の側について、「あの人」と倉で一緒に暮らす「ハピィ・デイズ」を送る。その追憶の日々を、いま「かれ」は happy days are here again という歌をうたいつつ語る。そして、みずから「あの人」の遺品の水中眼鏡をかけ、肝臓癌の末期患者となることで「あの人」の事跡の追体験を試みるのだが、その「ハピィ・デイズ」をことごとく否定したのが母親なのだ。

 その母親が物語りの後半、突然二重括弧でくくられた地の文に登場する。そこで彼女は、「かれ」の「ハピィ・デイズ」の頂点ともいうべき蹶起の真相について、「かれ」の言葉を真っ向から否定するのだ。「かれ」は、「あの人」が血まみれの身ながら脱走兵たちを率いて蹶起したという。バッハの受難曲を高唱する兵隊たちに曳かれた木車に乗せられた「あの人」とともに「かれ」自身も進んで行った。軍の飛行場に乗りこんで戦闘機を奪い大内山を爆撃するという計画は、しかし、当然のことだが失敗した。軍資金を調達すべく、母親の持っていた株券を現金化するために立ち寄った銀行を出た途端、「あの人」は撃ち殺され、将校以外の兵隊たちも銃殺されてしまったのである。

 「かれ」の語る蹶起の真相はこうである。「それはまさに市街戦だったのだ、しかも頭上には日本軍かアメリカ軍か、おそらくは双方の戦闘機が低空飛行して、轟々と市街を鳴りひびかせていたのである。・・・・・・・・一九四五年八月十五日、天皇は人間の声でかたるところのものたるべく地上に急降下した。その天皇が八月十六日、あらためて急旋回、急上昇をおこなおうとしていたのだ。いったんは爆死せざるをえないにしても、国体そのものとして、あらたによみがえり、かつてよりなお確実に、なお神的に、普遍の菊として日本のすべての国土、すべての国民を覆う。巨大な紫色の背光に、オーロラのような輝きをあたえられた黄金の菊の花として現前する。わが国の歴史に立つ数多い神々が、いったん人間の声で語るものへと急降下した天皇に、国体の威厳を再逆転させるため、飛行する殉死者の爆弾によるみそぎをこそもとめるということがありえなかったろうか?」

 このみそぎこそ、まさに純粋天皇誕生の瞬間である。だが、「かれ」が実際に見とどけたのは、天皇ではなく「あの人」の死であり、その死の瞬間にあらわれた「巨大な紫の背光にかこまれた輝く黄金の菊の花」だったのである。

 母親が突然行動に出たのは「かれ」がここまで語り終わったときである。彼女は「かれ」が片時も外さなかった父親の遺品の水中眼鏡をひきずりあげて、眩しさのために滲ませた「かれ」の涙を手慣れたやりかたでぬぐいとってしまう。そして「かれ」のことばを真っ向から否定しはじめるのだ。「あの人」は最初から本気で大内山を爆撃する気などなかった。現実に「あの人」が株を換金した金は将校に持ち逃げされ、銀行を出た途端「あの人」と兵隊たちを撃ち殺したのは、別の銀行強盗のグループだった。「あの人」が「かれ」をつれていったのは「口にだすこともはばかられる事件」を起した人間を祖父にもつ子だったからで、にせ蹶起の失敗にそなえたアリバイつくりのためである。「かれ」もそれがわかっていたから、撃ち合いが始まる前に逃げ出したのだというのだ。

 彼女の語る真相はこうである。「自分の躰のなかに大逆罪をおかすような者の血が流れており、いつそれがはっきり形をとって動き出すのかと、心底恐れていた子供が、実際これから大内山を襲撃するのだというようなことをいわれると、責任はみな自分の躰にあって、自分の躰を流れる血が、国の歴史をひっくりかえすようなことをひきおこす手引きになるのだと考えて、それでどこまでも、どこまでも、自分自身の躰からさえも、逃げ出してしまいたいと思ったんですが!・・・・・・・」

 母親と「かれ」と、狂気ははたしてどちらだろうか。あるいは、どちらも狂気なのだろうか。「神話か歴史のなかの、架空にちかい人物のように響く」と「遺言代執行人」にいわれる「あの人」は実在するのか。これらの疑問に解を与えるのでなく、さらに決定的に混乱に陥れるのが、冒頭に登場するヒゲダルマ風の男がじつは変装した母親だったという結末である。もしかすると、この小説は読者を混乱に陥れるために書かれたのではないだろうか。

 以前「アンフェア」というテレビドラマがあったが、この小説も「アンフェア」ではないか。そして、「かれ」がくりかえし歌う happy days are  here again という歌もまたアイロニーに満ちている。この歌は一九二九年十月ニューヨーク株式市場が大暴落したときにイントロデュースされ、続く大恐慌の時代にルーズベルトが大統領選挙のテーマ・ソングにしたことで大流行したのだ。軽快なテンポとリズムにのって happy days are  here agein と歌いまくり、ルーズベルトは不利といわれていた大統領選に勝った。そして日米戦争が導かれていったのである。

 この難解な小説のとりあえずの途中経過報告です。不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年12月2日月曜日

大江健三郎『月の男(ムーン・マン)』___象徴天皇のアトムスフィア満ちる月面世界に昇華する___不思議な不思議な物語

 「月の男(ムーン・マン)」は不思議な作品である。

 「みずから我が涙をぬぐいたまう日」という作品とあわせて『みずから我が涙ぬぐいたまう日』として出版され、その序に作者みずから「二つの中篇をむすぶ作家のノート」という自作自解の文章を書いている。それによれば「この過去と未来をつらぬく天皇制に根ざした多様な枷によって自分を縛ることから出発し、なんとか自由をかちえようとした作家は、彼自身の右側に『みずから我が涙をぬぐいたまう日』の真暗の水中眼鏡をかけた自称癌患者をおき、左側に『月の男』の、悔悛して環境保護運動にはいった逃亡宇宙飛行士をおいて、自分の想像力を前にすすませるための、一対の滑車としたのである」ということである。サブタイトルに掲げたへたくそな和歌もどきは私がつくったもので、「作家のノート」冒頭に記された

純粋天皇の胎水しぶく暗黒星雲を下降する

の対句として考えた。(こんなことをしていいのでしょうか)

 『月の男(ムーン・マン)』が不思議な作品である理由の一つに、この小説がほとんど批評の対象になっていないということがあげられる。作者の右側におかれたという『みずから我が涙ぬぐいたまう日』はその語りの複雑さにもかかわらず、多くの人に読まれているようである。錯綜する時系列から聞こえてくる荘厳な悲劇のシンフォニーに魅了されるのだろうか。それにたいしてこの『月の男(ムーン・マン)』はNASAから逃げ出した元宇宙飛行士が、妹の強姦死のニュースを聞いてアメリカに戻り、人力飛行機の普及に献身するというストーリーとしては単純な話である。機械文明から環境保護へ、人間の感覚を失った「科学」批判というテーマが受けいれられやすいので、なんとなくわかったような気になってしまうのではないか。だが、そんなにすんなり納得してもいけないと思う。

 
 物語は語り手の作家である「僕」と、かつて「僕」と関係がありいまはムーン・マンとよばれる元宇宙飛行士の情人である女流詩人の二人がムーン・マンのダイアローグの相手または通訳となって進められる。またスコット・マッキントッシュという反捕鯨運動家と、細木(サイキ)というヴェトナム戦争の脱走兵支援の運動をしている「新左翼」の活動家が登場する。スコットはムーン・マンに騙されて鯨の生肉を食べさせられて嘔吐し、日本での反捕鯨キャンペーンを中止して帰国するが、細木は反捕鯨のデモンストレーションと称してイルカのぬいぐるみを被り、事故とも自殺ともあるいは殺人ともつかぬ焼死をしてしまう。ムーン・マン自身は一九六九年六月十五日アポロ11号が月に着陸した日に、先に帰国したスコットによりもたらされた妹の強姦死の報せを聞いて「月の力が復讐したんだ」といって、長くのびていた鬚と髪を切り、アメリカ大使館に出頭する。

 二年間の拘束を経て、ムーン・マンは自由の身になり、彼の自由のために尽力してくれたスコット・マッキントッシュの影響もあって、鳥と「交感(コレスポンデント)」できるという人力飛行機の普及運動をはじめる。情人だった女流詩人とは正式に結婚し、彼女から「僕」に航空便が届く。それには人力飛行機運動のキャンペーンのために映画をつくりたいので、出版社に紹介してほしいと書かれていた。彼女のもとめに応じて渡米した「僕」は「静かな人々」と化したムーン・マン一家すなわちムーン・マンことルーヴィン・ガーシェンソン、彼の妻となった女流詩人フサコ・ガーシェンソン、二人の間に生まれた女の子アルテミス・桂・ガーシェンソンらに迎えられ、無数の人力飛行機を__それはゴム仕掛けの鳥なのだが__見るのである。

 以上があらすじだが、不思議なのは、このお伽話のような物語に「現人神」が登場することがどうしても唐突に思われてならないのである。ムーン・マンが日本語に興味を覚えたのは「現人神」という言葉とその存在があったからだという。そして、彼がNASAを脱出して日本に来たのは「現人神」たるあの人に会って、「月に行くな」といってほしいからだというのだ。そういうことは例がないから、と。この「誇張していえばキリスト教史全体にも匹敵しそうな巨大なユダヤ人の野心をそなえていた」とされる男にとって「現人神」とは何か。

 「現人神」は物語の最後にまた招致される。ムーン・マンは、あの人は反・人間のシンボルとして宇宙開発の先頭にたつのではなく、エコロジカルな意味で全世界的に大切にされるべきだと主張する。「およそ二千年ちかくも一つの生物学的な血のつながりを保っている、エコロジカルにまったくめずらしい貴重な種」だから、というのがその理由である。!彼はさらに、あの人が白い人力飛行機に乗り、下方で二人乗りの人力飛行機に乗っている宇宙飛行士姿の自分と水中眼鏡をかけた自称癌患者の青年に向けてメッセージを送るというシナリオを思い描くのだ。そしてそのメッセージは「二十世紀後半のすべての人間を救済するためのものでなければならない・・・・・・」という。

 荒唐無稽は、大江の場合、この作品に限ったことではないが、やはりふつうに考えてこれは不思議なほど荒唐無稽である。ここには主人公の語りに異を唱えるリアリストが存在しない。『みずから我が涙ぬぐいたまう日』の「遺言代執行人」や「母親」のような。ムーン・マンの情人でありながらその解説者だった女流詩人は「インディアン英語」を話す寡黙な妻となってしまい、なにより語り手の「僕」は、ニュー・ハンプトンの牧場に飛ぶ無数のゴムの鳥を見て Ah, birds, future birds と「涙の発作のような昂揚に襲われたのである」と物語を結ぶのである。

 最後に、小さな不思議をもう一つ取り上げたいのだが、長くなるので、それはまた機会があれば書いてみたいと思う。いつになるかわからないのだが。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年11月24日日曜日

「刈りいるる日は近し」_____信仰ということ

 何年ぶりかで風邪をひいて、今日は連れ合いが仕事なので、たったひとりで寝ている。七匹の猫も、いつもと違って室内運動会などしないのは飼い主の身を案じているのだろうか。でも、それにしてもつらい~。こういう日は来し方行く末を思って弱気の極みにある。このまま無為の時間が流れて、あるとき突然「あなたはここまでです」なんていわれたら、何も覚悟のない私は「え!そんな!」とうろたえるだけだろう。

 もう十年以上も前のことだと思うが、たしかNHKで韓国の従軍慰安婦をしていた方たちがキリスト教の運営するホームで生活している様子を報道していた。もう人生の後半、というよりももっと年齢を重ねた方たちが、賛美歌を歌っていた。元気よく、はつらつと。それが標題の「刈りいるる日は近し」だった。もちろん韓国語だが、たぶん日本語でもそんなに意味は違わないと思う。

春の朝(あした) 夏の真昼  秋の夕べ 冬の夜も
勤(いそ)しみ蒔(ま)く 道の種の  垂穂(たりほ)となる 時来たらん
Chorus:
  刈り入るる 日は近し  喜び待て その垂穂
  刈り入るる 日は近し  喜び待て その垂穂

御空(みそら)霞(かす)む のどけき日も  木枯らし吹く 寒き夜も
勤しみ蒔く 道の種の  垂穂となる 時来たらん
  Repeat Chorus.

憂(う)さ辛(つら)さも 身に厭(いと)わで  道のために 種を蒔け
ついに実る その垂穂を  神は愛(め)でて 見そなわさん
  Repeat Chorus

「刈りいるる日は近し 喜び待てその垂穂」___
英語ではWe shall come rejoicing, bringing in the sheaves

 どんな人生を歩いてきてもその収穫のときを喜べるということ、それが信仰だろう。無信仰の信仰だのぐじゃぐじゃかっこばかりつけるお前は何なのか、という問いをつきつけてくる番組だった。そして、わけのわからない涙がでそうだった。

 だが、しかし、これらの方たちの賛美歌を歌う姿がいかに美しくても、このような歴史は繰り返してはならない。人生は美しくなくていい。あたりまえに、昨日と同じ今日があって、ご飯が食べられて、夜はちゃんと眠れる、そんな時間の先に終わりのときが来る、という日常を成り立たせるのが政治家の仕事である。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。




 


2013年11月22日金曜日

大江健三郎『同時代ゲーム』との「同時代ゲーム」__「村=国家=小宇宙」の終わる日

 群盲象を撫でるがごとき試行錯誤、悪戦苦闘のレポート作成を小休止して、しばし無責任な?読書感想文を書いてみたい。妄想、思いつきの類なので、真摯に文学を探求する方の鑑賞にたえるものではないと思う。

 一九七九年に出版されたこの作品と今日の日本の状況が酷似しているということに、不思議な感覚を覚えている。あのとき、日本がいまのような状況に陥ることを誰が予想しただろうか。貧しさは克服したけれども、豊かさの頂点はまだまだ先にある、というのがおおかたの庶民の生活実感ではなかったかと思う。いまから振り返れば、高度経済成長の頂点に登りつめる寸前だったのだろうけれど。

 『同時代ゲーム』の「第三の手紙 「牛鬼あるいは「暗がりの神」」は「村=国家=小宇宙」の最後の新生児だという二十歳の小劇団の演出家との対話を通して、「村=国家=小宇宙」の存在の両義的な意味とその終わりが語られる。「壊す人」の指揮により開拓、植民された土地は実は禁忌の場所としてすでに知られ、知られていながら人々が足を踏み入れることのないものだった。それゆえに「木蠟」生産の独創的な技術を開発し、またそれによって富を蓄積することができた。その富で兵器を買うこともしてきたのである。

 永く続いた「自由時代」においても、その半ば以降は、外部世界から森を抜けて下る塩の道を通って商人たちが入ってきた。そして、蠟と生活に必要な品を交易する商人たちが、「五人の芸人」をつれてやってきたことによって、谷間の共同体に転機が訪れる。「五人の芸人」は買い取られ、彼女らの後を追って村を出奔した若者ともども、再び「村=国家=小宇宙」の中に帰って行ったのである。

 「自由時代」の終末は、まず隣藩を脱藩してきた武士という異人の侵入からはじまる。ついで、二度の一揆の集団に「村=国家=小宇宙」が占拠され、これまで対外交渉の役を担っていた亀井銘助が上京して天皇の権威を利用しようとしたとで決定的なものとなった。亀井銘助は藩に捕らわれ、獄死し、「メイスケサン」と祀られる存在になる。この後「村=国家=小宇宙」は二重戸籍というカラクリで人口の半分を体制外に隠すという仕組みを工夫する。だが、それも「第四の手紙 武勲赫々たる五十日戦争」の結果、そのカラクリは暴かれ、人口の半分は殺されてしまう。そして、その後、新生児の出生率自体がおちこみ、亀井銘助の子孫だという小劇団の演出家が最後に誕生した人間となってしまったのだ。

 「村=国家=小宇宙」という「谷間の村」は、商人たちの連れてきた五人の芸人の血がまじらなくても、武士という異人が侵入してこなくとも、二度の一揆の集団に占拠されなくとも、そしてまた亀井銘助が彼の政治的判断を誤らなくとも、衰退して滅びることになったかもしれない。「壊す人」が丹精した薬草園が荒れるにまかされてしまったように、体制を維持する「老人たち」の気力が枯渇してしまったからである。

 だがしかし、上にあげたような外部世界からの圧力と、「武勲赫々たる五十日戦争」の敗北がなかったら、もう少し違う展開になっていた可能性はないとはいえないのではないか。「武勲赫々たる五十日戦争」がなぜ行われたのか、そして、「村=国家=小宇宙」の人口の半分が絞首刑で殺され、大日本帝国側でこれを指揮した無名大尉もまた縊死するという無残な結果となったのはなぜか。そもそも緒戦以来、ほとんどの局面で勝利していた(それでいながら敗北を前提していた)「村=国家=小宇宙」が、あくまで「森」を守るために白旗をあげて降参した根本的な理由は何か。

 現実に日本という国家で、ペリー提督をはじめとする「外圧」と「明治維新」という政権交代がなかったら、新しくできた政権が十九世紀末から二十世紀にかけての四度の戦争を起こさなかったら、どうなっていただろうか。もちろん歴史は後戻りできないので、このような問いは無意味である。だが、だからこそ、歴史の検証はどこまでも執拗になされなければならない。

 up to dateな話題をとりあげることは極力ひかえているのだが、なんとか秘密保護法案とやらが議会を通って成立するという。何が秘密か「それは秘密です」と言って法案をふりかざすこともできそうで、まことに恐ろしい。山本何とかいう議員が天皇に手紙を手渡ししようとしたといって、マスコミがいつまでも騒いでいるのも気味が悪く、「天誅」などという言葉が発せられたり、議員のもとに銃弾が送りつけられるという事態も異常である。赤報隊と名のる犯人に朝日新聞の記者が銃殺された事件を思い出す。人間共同体としての日本という国は崩壊しつつあるのではないだろうか。

 敗戦後の数年間を除いて、この国の出生率は下がる一方である。『同時代ゲーム』では新生児の誕生が途絶える理由は明らかにしていないが、現実の日本という国がすでにその状況にあったからだろう。福島の事故がなくても、いずれ、どれほどの年月がかかるかわからないが、日本人は絶滅危惧種になってしまうのではないか。また、『同時代ゲーム』の作品中では、「村=国家=小宇宙」が自分たちの言葉を捨て、独自の言語体系をつくり上げる試みはついに完成しなかったが、いまこの国では、「国際語」としての英語教育の必要性が以前にもまして喧伝されている。すでに英語を社内共通語としている企業もあるという。だが、「初めに言葉ありき」____ことばこそが人間であり、その存在証明ではなかったか。

 まさに出来の悪い読書感想文となってしまいました。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年11月13日水曜日

大江健三郎『同時代ゲーム』亀井銘助と三浦命助___亀井銘助とは何か

 『同時代ゲーム』「第三の手紙 「牛鬼」および「暗がりの神」」では、亀井銘助と原重治という固有名詞をもつ人物二人が登場する。語り手の「僕」は、亀井銘助の子孫であり「村=国家=小宇宙」の最後の新生児だという小劇団の演出家との対話を通して、「村=国家=小宇宙」の「自由時代の終わり」、すなわち「村=国家=小宇宙」が外部世界に組み込まれていく過程を、ほぼ歴史的事実を検証するというかたちで語る。ここでは、「メイスケサン」と呼ばれ、「暗がりの神」と祀られることになった亀井銘助について考えてみたい。

 亀井銘助は、幕末に二つの一揆に関わり、その結果として「村=国家=小宇宙」を外部世界に開かれたものとしたことによって、つねに両義的な存在として語られる。そのモデルはおそらく南部藩に起こった「三閉伊一揆」と呼ばれる一連の一揆の指導者の一人であった三浦命助だと思われる。少し寄り道になるが、三浦命助の事跡をたどってみたい。亀井銘助という「メイスケサン」像を造型するために、大江健三郎は三浦命助という実在の人物から何を借りて、何を捨てたか。

 米作の最北限である南部藩は幕末に相次ぐ冷害に見舞われる中、放埓な藩政の結果による重税が課せられたため、しばしば一揆が起こった。最も有名なのが弘化四年(1847年)と嘉永六年(1853年)の一揆で、三浦命助は主に嘉永六年の一揆の頭人として一揆を指導した。

 三浦命助は文政三年(1820年)生まれ。元治元年二月十日(1864年3月17日)没。陸奥国上閉伊郡栗林村百姓で十歳頃遠野村で四書五経を習う。十七歳で秋田藩院内銀山に出稼ぎに行く。十九歳で帰村、結婚して、穀物、海産物の荷駄商いをする。三五歳ころまでに三男二女の親となる。

 嘉永六年栗林村集会に参加、北方の野田通から押し出した百姓一揆の頭人のひとりとなる。同じく一揆の頭人であった田野畑村多助らに協力して一揆を成功させ、十一月帰村、村の老名役となる。一揆成就の謝礼に仙台藩塩竈神社に代参、額を奉納し、帰途一揆に力添えをしてくれた盛岡藩重臣の遠野弥六郎に謝辞を述べる。

 帰村後、謀略を仕掛けられ、藩に拘留されたが、脱走して脱藩、仙台藩で修験道の当山派東寿院で修行、本山の免許を取るため京都に行く。京都で五摂家二条家の家来格となる。安政五年(1857年)帯刀し家来を連れ、盛岡領内に入ろうとしたところを捕らえられ獄につながれる。

 牢内から妻子へ処世の心得を書き連ねた帳面を四冊つくり送る。これは『獄中記』と称されるが、多様な商品作物や加工品をつくること、貨幣取得を心がけること、自分が死んだら江戸に出て豆腐屋を営むように、など生活のための実務的具体的な指示を妻子に与えたものである。ちなみに『同時代ゲーム』の中で劇中の亀井銘助が叫ぶ「人間ハ三千年に一度サクウドン花ナリ!」という言葉は『獄中記』では「人間ト田畑ヲくらぶれバ、人間ハ三千年ニ一度さくうとん花なり。田畑ハ石川らノ如し」と書かれている。

 命助は獄中で七年過ごし、維新前三年に牢死している。『同時代ゲーム』の亀井銘助は、実在した三浦命助の事跡をほぼそのままたどったように描かれているが、その人物設定は根本的に異なっている。三浦命助は苗字を許されているが、基本的に身分は百姓であり、また妻子をもっていた。一方、亀井銘助は少なくとも最初の一揆の時は十代の少年であり、妻子をもったとは書かれてていない。身分は武士である。亀井銘助が第一の一揆においても重要な役割を果たしたとされるのに対し、三浦命助は第一の一揆に参加したという記録はないようである。第二の一揆でも主導的な役割は担ったようであるが、参加した者が一万八千人に及んだという一揆の統制はグループでなされたようで、三浦命助個人の力で一揆が成功したというわけではない。また、作中亀井銘助は死して後、その戦略、思想において明治以後のいわゆる「血税一揆」と呼ばれる徴兵反対の一揆にまで影響を及ぼしたとされる。三浦命助はそのような反体制の思想はない。自分が死んだら松前で「公儀の百姓」になれとの遺言を『獄中記』にのこしている。

 だが、銘助と命助で決定的に異なるのは「一揆」というものに向かうその向かい方だろう。三浦命助は、第二の一揆後、脱走、脱藩して修験者となり、上京して二条家に接近するなど、大胆な行動をとるが(じつは三浦家は元来修験道とかかわりがあったのではないかと思われるのだが)、あくまで実直な生活者であり、家、家族の存続を第一義にしていた。そして、一万八千の群集が「小○」と書かれた旗(困る、の意)をかかげて行進するなどの祝祭的要素はあったにしても、一揆は生活、生存をおびやかす藩の悪政への抗議、要求を通すための手段であった。三閉伊一揆は徹頭徹尾「百姓一揆」なのである。

 それにたいして亀井命助が関わり、主導的な役割を果たしたとされる二つの一揆に関して「百姓」という言葉が使われることはない。『同時代ゲーム』では、そもそも一揆は、生活のために「村=国家=小宇宙」の人々が参加したようには書かれていない。第一の一揆は川下から押し寄せた一揆集団とそれを追跡してきた藩の武装集団との間に入り、その交渉、仲介の役割を亀井命助を中心とする「村=国家=小宇宙」の老人たちが果たす、というものだった。第二の一揆は第一の一揆の後新設された「軒別税」(人頭税)に対抗して起こされたと書かれ、そのこと自体は史実に即していると思われる。だが、作中「村=国家=小宇宙」と呼ばれる谷間の共同体は、その豊かな富の蓄積を狙われ、他の村の百軒分が一軒に課せられた、とある。現実の三閉伊の人々が軒別税が課せられることにより、生存が直接おびやかされた状況とは大きく異なるのだ。いったい『同時代ゲーム』で「一揆」と書かれる状況は何を指すのか。そして年若くして天才的な軍略家であり、天真爛漫なトリックスターとして描かれる「亀井銘助」とは何か。

 「亀井銘助」、かめいめいすけ、カメイメイスケ、と表音表記される人名に漢字を当てはめて考えてみよう。作中大江が谷間の村「アハヂ」にさまざまな漢字を当てはめたように。亀井、加盟、家名、仮名、下命、花明・・・・いまは変換キーを押すだけで際限もなく出てきそうだが、この辺でやめておこう。銘助、命助、明助、名助、盟助、迷助、鳴助とこちらも同じくまだまだ続きそうだ。だが、作者が「第一の手紙 メキシコから時のはじまりにむかって」で「「アハヂ」という音は、もともとこの音と意味を正当に結んでいた漢字の抹殺に費やされた、その情熱の量に見あう規模で反対方向にむかう、まぎれもない熱望の対象なのだ」と書いているのにならえば、「音と意味を正当に結ぶ」漢字とは「甕井冥助」なのではないか。語り手の「僕」は、「村=国家=小宇宙」と表記される谷間の村は、もともと外部世界から「甕村」と呼ばれていたことを知らされ、そこが死者のおもむく冥府とみなされていた可能性に気づく。そこで「メイスケサン」は「暗がりの神」となって祀られたのだ。

 若くして一揆のすべてを計画し、指揮した亀井銘助が「暗がりの神」として祀られるのはなぜか。ヒーローであり、犠牲者でもあった銘助は「闇の力を代表する」とされている。実在の三浦命助がその死後も素朴に人々の尊崇を集めているのと対照的である。たんに谷間の村が「甕村」と呼ばれ、常民からは禁忌の場所だったという理由だけではなく、私は、そこに、作者の大江が明文化していない事柄が隠されているのではないかと思う。亀井銘助を殺したのは「村=国家=小宇宙」の人々だったのだ。直接手を下さなくても、彼らは亀井銘助を見殺しにしたのだ。歓呼してエルサレムにイエスを迎えた群衆がイエスを十字架につけよと叫んだように。民衆はひとりの人間を英雄にまつりあげ、そして殺す。その後に神として祀るのだ。

 この章の中に「メイスケサンは天皇家の、すなわち太陽神の末裔とは逆の、闇の力を代表するからこそ・・・・」と記述があって、太陽神というキーワードと「第一の手紙 メキシコから時のはじまりにむかって」のメキシコについて再考しなければならないのだが、長くなるのでまた回をあらためたいと思う。メキシコこそは、太陽神崇拝と死の両義性に満ちた場所であるが。

 
 大変不出来な文章です。最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年11月4日月曜日

大江健三郎『同時代ゲーム』__分化して消えてゆく標的__謎はどこにあるのか

 『万延元年のフットボール』以来、大江健三郎の小説にはいつも明確な標的が存在していた。それは「スーパー・マーケットの天皇」であり、「父」であり、「あの人」であり、「親方(パトロン)」であり、「怪(け)」であり、つねに「一者」であった。その標的に向かって、語り手はさまざまな意匠をこらしながら、執拗に確実に迫って対峙した。だが、『同時代ゲーム』には、そのような「一者」は見当たらない。対峙すべき「一者」は「壊す人」と「父=神主」の「二者」に分かれ、語り手の「僕」が、「父=神主」のスパルタ教育を全面的に受け入れながら、「壊す人」の神話あるいは歴史を書き記す、という複雑な構造になっている。語り手の「僕」が、というより作者の大江が真に対峙すべき相手は「壊す人」なのか、それとも「父=神主」なのか。いや、そもそも、この物語には、標的として対峙する存在は設定されているのだろうか。そこに向かって読者を巧妙に誘導していく「謎」は存在するのか?

 「壊す人」の事跡は、「父=神主」の伝承の祖述という形式で語られる。「父=神主」の語る「壊す人」の死と再生とは、最初から神話であり、「昔のことなれば無かった事もあったにして聴かねばならぬ」とされるのだ。だから「阿呆船(ナーレン・シーフ)」というモチーフで語られる船での逃避行も、ダイナマイトによる爆破で黒焦げになりながら五十日後に回復するという奇跡も神話である以上、解釈の多様性は留保しても、伝承そのものは揺るがない「事実」であって、そこに謎の存在する余地はない。巨人化し過ぎた「壊す人」を殺して、そのすべてを「村=国家=小宇宙」の人々が全員で食べた、という伝説も同様である。

 それでは解釈の多様性、それは両義性と言い換えてもよいと思うのだが、は謎をよぶだろうか。「父=神主」が語り、「僕」が双子の妹である「きみ」あての手紙に記す「壊す人」とその一行の伝承は、まず、幕藩体制の時代に四国の一地方で起こった出来事のように作品中に呈示される。だが、それは時間、空間ともに特定された一回的な出来事ではないだろう。共同体からの追放、あるいは脱出、新天地での植民という移動をともなった人間の集団行動は「村=国家=小宇宙(地球)」の規模で繰り返されてきた。旧約聖書「出エジプト記」はモーセという「壊す人」に率いられたヘブライの民の貴種流離譚であるが、「天孫降臨」の神話で語られる日本の王朝成立史の中心に存在するのも「壊す人」である。そして、移動をともなった人間の集団行動とは、新たに植民した側にとっては「新天地の開拓」であるが、先住していた人々にとっては「征服」されたということなのだ。語り手の「僕」が「壊す人」への全存在的な帰依を表明しながらも、同時に「自己処罰」の思いから自由になれなかったのはそのためである。

 征服と被征服の関係はコインの両面のようなもので、その両義性はそれ自体謎をよぶものではない。だから『同時代ゲーム』という作品のなかで何度も繰り返される「壊す人」の伝承とその解釈は、民俗学の教科書のように思えてくる。

 私にとって、謎は、たぶん、取るに足りない事柄なのだろうが、双子の妹との近親相姦(未遂?)の前後に語り手の「僕」が妹と交わした会話の中の「壊す人の遊び」と呼ばれる行為にある。「壊す人の遊び」とは、子供たちが、一日あらゆる反道徳的なことをする。そして一日の終わりに、穴に閉じこもっていた「壊す人」に扮した子供に罰せられるという奇態な祝祭なのだが、「僕」はその遊びの日に片眼の子供に仮装し、ただ片方の眼をつぶったまま小半日を過ごした、と書かれていることである。『万延元年のフットボール』の根所蜜三郎も「怯えと怒りのパニックにおちいった小学生の一団」が投げた石礫に撃たれて片方の視力を失っている。大江健三郎はなにゆえに「片眼」にこだわるのか?

 それからもう一つ、物語の最後、「僕」が満月の夜、森の中に入って行くときに、「食い物にまぜて、躰のなかにいれようかと思ったこともあった」妹の化粧道具の紅の粉を全身に塗りたくったのはなぜか。『万延元年のフットボール』の冒頭、浄化槽の穴にうずくまって観照した知人の死_「朱色の顔料で頭と顔をぬりつぶし、素裸で肛門に胡瓜をさしこみ、縊死した」とあるのと関係があるのだろうか。さらにいえば、最終章「第六の手紙 村=国家=小宇宙の森」で描写される「父=神主」の奇抜な扮装も「朱色に染めた棕櫚の毛の蓬髪をいただき、おなじく朱色の天狗の面をかぶっていた。もともとその足そのものが末端巨大症のように大きい父=神主の、その足を覆っている大沓も、棕櫚の毛を植え込んで赤黒い獣の足のようだ。そして、それより他はまったくの裸で、父=神主はその全身に、朱の文様を描いていたのだ。もっともペニスは朱の鞘に突っ込み、尻からはおなじく朱の棒を出して、両者を結んだ紐は腰に廻されていた」と朱色ずくめである。朱色には魔よけ以外の意味があるのだろうか。

 私に謎と感じられることがこの作品にはもう一つあって、それは「第三の手紙 「牛鬼」および「暗がりの神」」で語られる亀井銘助という人物についてである。だが、長くなるので、それについてはまた回をあらためたいと思う。

 
 今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年10月26日土曜日

大江健三郎『同時代ゲーム』__「メキシコから」の啓示

 『同時代ゲーム』は「第一の手紙 メキシコから時のはじまりにむかって」の章から書き出される。ほとんどの文学作品と同じように、この長編も冒頭のこの章にすべての要素が含まれているといっていいだろう。語り手の「僕」は、いまや「壊す人」の巫女になったという双子の妹であり、僕の分身でもある「きみ」に手紙を書く。その手紙は、巫女になった妹をつうじた「壊す人」あてのものでもあり、「壊す人」に率いられた故郷の「村=国家=小宇宙」の神話と歴史の叙述でもある。しかし、なぜ「メキシコから」書き出さねばならなかったのか。

 「僕がこの発心にいたったマリナルコという町は、荒野にむけて迫った山巓の裾をわずかに拓いた、あらかた斜面の集落だが、メキシコの古い町の御多分に漏れず、そこに住んできた人間の歴史は永く、かつ捩曲がっている」と書かれるマリナルコという町の地理的、歴史的条件が、故郷の「村=国家=小宇宙」のそれと酷似していた、という理由がもちろんあげられるだろう。侵略、破壊、征服の跡が刻まれた風土。だが、「僕」が「発心」という言葉で表した決意の強さはそれだけによるではない。むしろそれ以上に二つの事柄が、いわば啓示となって「僕」をうながしたのだ。

 一つは、東独から亡命し、アメリカ国籍をもち、現地の混血の若い妻と暮らす男からの情報である。アルフレート・ミュンツアーという日本語を話すその男は、マリナルコの土地を買いたいという旅行会社の添乗員に会ったという。その添乗員は「僕」と同じ「村=国家=小宇宙」出身で、長老に引率された彼の郷里の人間が新しい国を造るために土地を探すのが自分の役割だといったと言うのだ。そして、その添乗員がマリナルコの土地こそそれにふさわしいとした選択は、「僕」の「内臓感覚」において、正しいものと直覚されたのである。

 もう一つは、アルフレート・ミュンツアーの話を聞きながら覚え始めていた歯痛__これがその「内臓感覚」を支えていたのだが__こちらのほうがより大きなそして強い啓示となったのかもしれない。少年時からつねに歯痛に悩まされていた「僕」は、しばしば、みずから歯あるいは歯茎を切開するという治療、というより自損行為を行った。痛みを極限まで顕在化させることで、「壊す人」の救済を待望したのだった。時をへだてて再び襲ってきた歯痛にたいして、「僕」はピラミッド遺跡から掘り出した石斧を手にすると、かつてと同じように、腫れた歯茎にうちあてた。それは、その石斧を使って、荒地を堀りおこすこと_新植民地建設の祭りを自分一人で行うことを「壊す人」が禁止する声を聞いたからである。ならば石斧は「壊す人」への帰依のための自損に使われなければならない。

 こうして、「壊す人」への全存在的な帰依の感覚の甦りのうちに、「僕」は自分の役割を果たすことにのみ集中していったのだ。すなわち「父=神主」からスパルタ教育(この言葉もつねにこう書かれる)で口承された「村=国家=小宇宙」の神話と歴史を書くという行為に。

 だが、ここに不思議なことが一つある。それほどまでに全存在的な帰依の感覚をもつ「僕」も「父=神主」もそして「僕」の分身でもある双子の妹も、厳密な意味では「村=国家=小宇宙」の内部の人間ではないのである。「父=神主」は「三島神社」の神官として外部から赴任してきた人間で、しかもロシア人の血をひき、母は一時期谷間に居ついた旅芸人で、「僕」を含む五人の子を生した後に谷間から追い出されてしまったのだ。「父=神主」は神官として村=国家=小宇宙」の最も高い所に居て、五人の子供たちは洪水になると、糞尿のまじった濁流が流れ込む谷間の最下層の家に住んでいた。「村=国家=小宇宙」を上下に挟んで、その神話と歴史の伝承に存在を賭けるという父と子の行為は何を意味するのだろうか。そのことは、「村=国家=小宇宙」から数万キロ離れたメキシコから「壊す人」の神話と歴史を書き始めるということと関係があるのだろうか。

 少し先を急ぎすぎてしまったようである。「僕」のメキシコでの体験については、まだ書かなければならないことが多すぎるくらいあるのだが、それはまた回を改めたい。

 今日もまとまらない文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年10月23日水曜日

大江健三郎『同時代ゲーム』___エンサイクロペディアあるいは「聖書」としての同心円構造

 折り紙つきの難解な作品である。饒舌に執拗に、そして過剰といっていいほどの分量で「村=国家=小宇宙」の神話と歴史が語られる。語りの文脈が、日本語のそれとしては非常に複雑で、しかもさりげない一言に多義的な意味が含まれていそうなので、読む側としては緊張の持続を要求される。結果として、疲れてしまって、途中でいったん小休止、をくり返してしまう。というより、小休止して一つ一つのエピソードの意味を吟味しなければ先に進めないような展開になっているようだ。

 物語は語り手の「僕」が双子の妹に手紙を書くという形式で書かれる。書かれる内容は「父=神主」がスパルタ教育の口承で「僕」に教え込んだ「村=国家=小宇宙」の神話と歴史である。「村=国家=小宇宙」をつくりあげた「壊す人」の死と再生とそのヴァリエーションが、ある時はまったく神話風に、ある時は歴史の痕跡がたどれるかのように語られる。語られる次元は複雑に錯綜するが、中心は終始一貫して「村=国家=小宇宙」である。「村=国家=小宇宙」を語り尽くそうという試みとしては、たった一人で書いたエンサイクロペディアであり、収集された文献の口承もしくは朗誦そして編集の結果としては谷間と「在」という共同体の「聖書」(the Bible___ biblia書物の複数形 の意)として読むべきなのだろう。「第一の手紙 メキシコから、時のはじまりにむかって」は旧約聖書創世記に対応する。

 創世記が天地「創造」から始まり、「創る神」を語るのにたいして、『同時代ゲーム』はすでに確立されていた共同体からの「追放」から始まり、逃避行の果ての障害物_つねに「大岩塊、あるいは黒く硬い土の塊り」と記述される_を爆破した「壊す人」を語る。旧約聖書の神は支配し、命令し、罰する神であるが、「壊す人」は一行のリーダーであり、夢でお告げを述べる人であり、巨人化した自らを殺させ、その体を共同体の成員全員に食わせる人である。語り手の「僕」の双子の妹が「壊すという字を懐かしいという字と一緒にして、両方がひとつの字で、そのまま壊す人という名前になっていると思ってたんやねえ。」というように、罪と罰の恐怖支配を行う存在ではない。

 「壊す人」とは何か、「村=国家=小宇宙」と呼ばれる共同体とは何か、という主題にたち向かう前に、そもそも大江はなぜこの長大な作品をものしたのか、という疑問について考えてみたい。『万延元年のフットボール』から『みずから我が涙をぬぐいたまう日』『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』『ピンチランナー調書』『洪水はわが魂に及び』と、それこそ「同時代」を疾走してきた感のある作品群とくらべて、『同時代ゲーム』はいかにも重いのである。作品が長編だからそう感じる、というわけでもない。冗長で退屈、というのでも、もちろんない。冒頭のメキシコでの体験の語りからして緊迫感に満ちたストーリーの展開と圧倒的な描写力で読む者を魅了する。だが、「小説」として自律的な展開をするのはこの部分と最後の語り手の「僕」が森を彷徨する部分だけで、作品のほとんどは、核となる「村=国家=小宇宙」の神話あるいは歴史とその多様な解釈の呈示である。谷間の村を取り囲む森の中で自分でつくった迷路に入って脱け出せなくなった子供のように、この小説を読み込んでいくと、読めば読むほど考えが堂々巡りしてしまうような気がする。思考のベクトルが見出せないのである。

 というわけで何ヶ月かかっても、書き出せないでいたのでした。それでも、いくらか見えてきたものもあるので、また回を改めて書いてみたいと思います。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年10月4日金曜日

大江健三郎_『ヒロシマの「生命の木」』__無信仰な者としてキリストを語ることはできるか(その2)

 無信仰な者がキリストを語ることはできるか___難しい標題を掲げてしまったものだと思う。「無信仰な者」とは何か、という定義がまず難しい。「主よ、信じます。信仰のない私をお助けください」(マルコによる福音書9章24節)という有名なことばがある。だが、ここではあえて、一般的に、洗礼を受けておらず、自らをキリスト者として認めていない人、として論をすすめたい。自らをキリスト者として認めていない者がキリストを語ることはできるか。

 大江は『ヒロシマの生命の木』の中で二回にわたってイエス・キリストについて語っている。最初はソヴィエトの作家アイトマートフとの対話の中で、彼の『処刑台』という作品の主人公アヴジイという青年を「いわばもうひとりのイエス・キリスト」と呼ぶ。アヴジイは《神のカテゴリーは、人類の歴史的発展に従って、時代につれて発展する》と考えるもと神学生で、麻薬がソヴィエトの青年たちを毒していることを憂え、危険を冒してその供給源を暴露しようとする。それだけでなく、密輸の結社に潜入し、かれらが手に入れた大麻を棄てるようにもとめる。そのようなアヴジイを大江は「繰り返されるそうした自己犠牲的な行為をつうじて、しだいにアヴジイは処刑台にあげられたイエスの、現在の新しい転換期における等価的な存在に限りなく近づく・・・・・・」と記述するのだ。

 ここには大江のイエス・キリスト理解の特徴が明確に示されている。一つは「自己犠牲」という観念であり、もう一つは「新しい転換期」という認識である。そしてそれは、当然のこととして、対話の相手のアイトマートフとも共有するものである。大江の「無信仰な者として、このようなかたちでイエス・キリストに関心をもっているのです」という言葉に、アイトマートフもまた「私もキリスト教徒ではない。家族ぐるみイスラム教徒です」と応じている。

 「歴史の分岐点=人類の危機の時、そこを乗り越えて新しい人間が生み出されなければ、人類は滅びるという時に現れて、新しい方向を示した人間がイエス・キリストではないか」という大江の問いに、アイトマートフも「新しい考えを生み出すために、もっとも辛い経験をした人がイエスだったと私は考えています。人類にとってイエスの体験を考えることで、いま必要な『新しい思考』をかちとるのに充分ではないかと思うほどです」とこたえる。

 大江とアイトマートフに共通するのは、イエス・キリストの出現が歴史を変えた__新しい人間、新しい思考を生み出したということで__という認識である。しかし、この認識こそが信仰ではないだろうか。無信仰な者が福音書を読めば、体制に反逆して無残に殺された人間を神話化した伝承でしかない。一人の男が十字架に架けられて死ぬ。事実としてはそれ以上でもそれ以下でもない。その事実にそれ以上の意味を託するのであれば、自らをキリスト者として認めるべきではないか。
そうでないなら、それは、自らは安全な場に身をおいて、一人の人間を「自己犠牲」という美しいことばで祀り上げてしまう行為でしかない。

 
 エッセイの後半でも、大江は物理学者フリーマン・ダイソンとの会話で作家ラスプーチンのイエス像について言及するのだが、こちらはほとんど具体的なことが語られていない。

 最後に、標題とは直接関係ないのだが、第一章で、広島原爆病院の院長をつとめた重藤博士の経歴を読んで、絶句してしまったことを記しておきたい。重藤博士は一九〇三年生まれ。九州大学医学部を卒業して三九年に山口赤十字病院レントゲン科医長となり、理学療法科医長を兼ねる。翌年白血病に関する研究で医学博士。一九四五年七月二十日頃広島に転勤、広島赤十字病院副院長となる。大江はいう。「それはこの年の八月六日、世界はじめての原爆が襲う市にあらかじめ準備されていたこととして、不思議な思いを誘う出来事ではないか?」(下線筆者)しかも、博士は、この朝、前日の日曜日を生家で家族とともにすごし、一番の汽車で広島に向かいながら、部下の医師の身のふり方について国鉄の管理部と交渉しなければならず、その交渉に三十分ほどついやした。そのことが直接博士の命を救ったのかもしれない。

 「あらゆる偶然は必然である」という箴言があったような気がする。

 「フクシマの生命の木」という書物が書かれる日はあるのだろうか。

 このように重くて複雑な、そして非常に微妙なテーマに取り組むに当たって、自分の力不足を認めざるをえません。不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年10月2日水曜日

大江健三郎_『ヒロシマの「生命の木」』__無信仰な者としてキリストを語ることはできるか

 表題のエッセイは一九九〇年八月三日NHK総合テレビで放映された『世界はヒロシマを覚えているか』の制作のために、大江健三郎が世界をめぐって、何人かの人物にインタヴィユーした時の経験を文章にしたものである。「一九九〇年」という絶妙なタイミングで企画され、放映された、ということが感慨深い。時はまさに、ペレストロイカ、東欧革命のさなかであり、日本は(いまでは)バブルと呼ばれた経済の最盛期でもあった。

 エッセイは広島原爆病院の院長であった故重藤文夫博士の生家にその夫人を訪ねた記事から始まる。表題「生命の木」とは、原爆病院で絶望の淵にありながら医療に従事していた若い医師に、重藤博士が「緑を見て来い」と言って山に行かせたというエピソードに由来するのだろう。この医師はその後自殺してしまうのだが。

 第二章以下は有名無名の人物とのインタヴューあるいは私的な会話を通じて、核と人類の未来が議論される。インタヴューに応じた主な人物は、旧ソ連側では作家チンギス・アイトマートフ、同じく作家アルカージー・ストルガツキー、ソヴィエト共産党の機関紙「プラウダ」の科学担当の記者であり、劇作家でもあるウラジミール・グーバレフ、アメリカでは心理学者ロバート・J・リフトン、物理学者フリーマン・ダイソン(フリーマンとの対話の中で、ジョージ・ケナンにも触れている)、天文学者でSF作家カール・セーガンがあげられ、また、市民レベルでは「被爆者友の会(フレンズ・オブ・ヒバクシャ)」の人たちとの交流も記されている。最後にしめくくりとしてアジアから登場した金芝河との対話は緊張感に満ちたものとなった。

 私が現代文学や現代史について知識が乏しいためか、このエッセイは難解をきわめる氏の小説よりもさらにわかりにくいものであった。ひとつには「世界はヒロシマを覚えているか」というタイトルのもと、何を議論するかという論点が絞れていないように思われることがある。一九九〇年の当時「なぜ、いま、ヒロシマなのか」___なぜ、このような企画をたてたのか。大江および制作スタッフの問題意識はどこにあったのか。最後に登場した金芝河に、「世界はヒロシマを覚えているか」という命題の立て方は間違っている、と指摘され(私からみれば)不毛な議論を重ねたのは、その未整理な、というよりとらえどころのない命題の立て方を衝かれたのではないか。

 一つの推論として、当時「ペレストロイカ」という言葉とともに、何か新しいことが始まったのだと思わせる風潮があった。同時に、「ペレストロイカ」を促すきっかけとなったチェルノブイリの事故が起こって、核の問題に対する喫緊の対応が迫られていたという状況もまた存在した。二大陣営の冷戦が引き起こす「核戦争の恐怖」はひとまず遠のいたが、「原子力の平和利用」による事故の危険が現実のものとなったのである。このような状況で私たちはどう生きるのか、生き得るのか、という問いを、大江は当時の錚々たる知識人たちとの対話あるいは議論をすすめながら深めていこうとしたのだと思われる。

 だが、この問いに対して大江は、その核心にあるものに触れないまま、周辺を丁寧に、誠実にまさぐっているように思われる。なによりも、「核戦争=核爆弾」「原子力の平和利用」は現実にひとつの経済行為として世界に存在するということ、問題の核心はそれだろう。ウラン発掘から核爆弾の製造にいたるまで、また発電などのいわゆる平和利用はそれ自体が非常に裾野の広い巨大なプロジェクトである。巨大な資本が投下され、得られる利潤もまた巨大である。プロジェクトを動かすのは、いうまでもなく資本家であり、その意を受けた経営者たちだ。ここが変わらなければ、何も変わらない。知識人たちとの対話で、あるいは草の根的な市民レベルの運動で、ピラミッドの頂点を突き崩すことは可能だろうか。

 大江と知識人たちのインタヴューについて、その一つ一つを個別に検討、批判する余裕と力量は私にはない。総じて議論は文明論であり、歴史観の問題に帰するように思う。ここでは、エッセイ中最も重要であると思われるリフトン教授の文章を取り上げて考えてみたい。リフトン教授は一九六二年、家族とともに六ヵ月間広島に滞在し、被爆体験を持つ七五名の人々の面接調査を行った心理学者である。

《広島とアウシュビッツのさまざまなイメージを人間の意識から払いのけようと、世界の非常に多くの人々が試みているが、これは無益だというだけではない。そのような企てをするということは、われわれから我々自身の歴史を奪い取り、われわれが現にそうであるところのものを奪い取ることである。・・・・・・われわれは広島とアウシュビッツを必要としているのだ。・・・・・・それは、それらがわれわれにもたらす戦慄にもかかわらず、その戦慄がもたらさざるをえない飛躍へと想像力を深化させ、解き放つために、である。ロートケの言葉を借りれば「眼は暗いときにこそ見えはじめるものなのだから」。死のビジョンが生をもたらすのである全体的な死滅というビジョンをもつことによって、死滅の呪いのもとで、そしてその呪いを超えて生きるということを、想像できるようになるのである》
(下線は筆者)

 大江はこの文章に深く共感している。だが、この文章は、非常に危険な、そしてそれゆえに非常に美しい文章である。全滅という黙示録的ビジョンをもつこと、まさのそのことが「全滅を超克する生」に対する想像力を可能にするといっているのだ。だが、想像することと、現実に生きる、生き延びることとは違う。現実に生き延びることができるかどうか、ボールは私たちの側にあるのではない。核産業の経済合理性にかかっている。利潤を上げ続けることができれば、資本家は「核戦争=爆弾」「原子力の平和利用」という経済行為をやめる理由はない。規模の縮小や商品の多様化はあるかもしれないが。

 ボールが私たちの側にあるのではないとしたら、私たちは何をなし得るのか。それに答えるかのように、大江はこのエッセイの中で、二度にわたってイエス・キリストに言及する。キリスト教徒でない、無信仰な者として、イエスに言及する___それはまさに、私が生活者として、また文章を書くものとしてなしている行為である。だが、それは可能なのか?このエッセイは私にその問いをつきつけている。私は大江のなしている行為とともに、私自身がなしている行為について、批判、検討しなければならない。

 本論はこれからなのですが、序論の段階ですでにかなりの長文になってしまいました。続きはまた回を改めたいと思います。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年9月14日土曜日

「紅の豚」を見る者____さよならをもう一度

 もう一度だけ書かなければならない。「紅の豚」とは何か、ということについて。いままで書いてきたことはすべて正しかったと思っている。「紅」はコミュニズム=共同体主義の象徴であること、「豚」は最後には殺されること、そして「豚」という言葉をもう一つのカテゴリーで考えるべきこと、それらのすべてを統合して、それらを超克する存在、それが「紅の豚」なのだ、ということをあらためて呈示しなければならない。

 豚が人間の顔に戻るのは豚の側にその主体的な条件があるのではない。見る側に、見る側の状況にあるのだ。豚が人間の顔をしているところを見たのは、フィオとカーチスである。この二人に共通した状況とは何か。二人ともある行為をした後に人間の顔をした豚を見たのだ。そしてその顔は、このブログを読んでくださっている方なら、誰もが知っている人間の顔である。そう、世界中の読者の方が知っている。あるいは宮崎駿の作品を継続的に追いかけてきた方なら、私より先にとっくに気がついていたかもしれない。

 フィオは言う。「あたし、マルコ・パゴット大尉のことたくさん知ってるの。父が同じ部隊だったでしょ。大尉が嵐の海に降りて敵のパイロットを助けた時の話、大好きで何度も聞いたわ」___マルコ・パゴット___嵐の海に下りて敵のパイロットを助ける___これだけでヒントは十分だろう。さらにいえば、マルコは意識を失い、いったん「雲の平原」の上に昇る。だが、昇天した飛行艇の群れには加わらず、再び気がつくと海面すれすれを漂っていたのだ。

 だが、それでも、私にはわからない。何ゆえにポルコは再び地上に現れて、そして再び去ったのか。

 どなたかわかる方がいたら、教えてください。投稿お待ちしています。
 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

蛇足 修理が終わった飛行艇を運河から空中に離陸させる場面、ポルコでもフィオでもない第三の声が二回入るのだが、これってルール違反ではないか?いや、そのことをバラしてしまう私がルール違反?

2013年9月13日金曜日

さらば「紅の豚」よ___戦争がノスタルジーで語られるとき

 「紅の豚」にはまだいくつもの重要な謎が残されている。でも、謎解きはこれくらいにして、そろそろ「紅の豚」とお別れしなければならない。まだ若かったが、私はあるとき「I shall not live by Chadler alone」とチャンドラーに別れをつげた。宮崎駿にも同じことを言わなければならない。「人は宮崎駿のみにて生くるにあらず」と。

 1992年という絶妙なタイミングでこの映画は公開された。バブル、と今は呼ばれる日々が終わり、日本人はかすかな不安を感じながらも、まさか今のような時代が来るとは夢にも思っていなかった。戦争は遠い日の出来事であり、語り伝えられる「歴史」となっていた。「自己実現」という言葉が流行り、人は無限の自己拡大がなされるかのような錯覚に陥っていた。

 だから、「挫折」を語リ、ノスタルジーにひたることができたのだ。エンディングに流れる加藤登紀子の「時には昔の話をしようか」のように。ここに語られる「昔の話」は60年安保の昔であり、70年全共闘の昔だろう。「揺れていた時代の熱い風にふかれて」「嵐のように毎日が燃えていた」___過ぎ去ってしまった政治の季節。「過去」となった「戦争ごっこの日々」を。そして、そのさなかにあったかもしれないし、たんなる願望だったかもしれない恋の残像にもう一度胸をうずかせたのだ。

 だが、エンディングとともに流れる映像は(たぶん)第1次大戦の時のスケッチである。「ごっこ」ではないほんものの戦争の現実だ。けれど、加藤登紀子の思い入れたっぷりな歌声とともに流れると、それも「アニメの中」の現実で、「青春の思い出のひとコマ」のように感じられてしまう。戦闘員でない一般市民をまきこんで何百万もの人間が死んだ戦争なのに。そして、その後、もっと多くの人間がもっと残酷に殺されていった戦争があったのに。いや、いま、この地球上で人間は理不尽に殺され続けているのに。

 戦争は、大空を縦横無尽にかけめぐる飛行艇乗りの間だけで行われるものではない。戦争はロマンではない。冷徹な経済論理の支配下(もう一度言おう。ポルコの稼いだ大金を最後に手したのは誰だったか)、わけのわからない抽象的な理念や美しいスローガンで洗脳し、人間同士を殺し合わせるもっとも残酷なゲームなのだ。オープニングの画面に流れる字幕の効果音は機銃掃射の音である。タイトルの「紅の豚」は「血塗られた豚」だ。ラスト近く、ポルコとカーチスの死闘が終わって、ジーナが言う。「さぁ、お祭りは終わり。イタリア空軍がここに向かってるわ」_____映画が公開された1992年には聞こえなかった戦争の足音が、ひたひたと聞こえてくるような気がする。もう、戦争をノスタルジーで語っているときではない。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年9月9日月曜日

「紅の豚」__「紅の」「豚」とは何か

 どなたかがブログで「紅の豚」の「紅」は共産主義の「赤」であると書いていた。私も同意見である。「共産主義」というなかば化石のようになってしまった言葉を「コミュニズム=共同体主義」と訳したらどうだろう。映画の中でくり返しジーナが歌う「さくらんぼの実る頃」というシャンソンはパリ・コミューンに参加した銅工職人が作詞したものだそうだ。短かったコミューンとそれに続く「血の一週間」を悼んで多くの歌手が歌っている。もちろんふつうの人たちも。

 少し長くなるが、歌詞を紹介しよう。もちろん私はフランス語も出来ないので日本語に訳したものである。

 さくらんぼの実る頃 さくらんぼの季節を歌い
 ナイチンゲールやマネツグミが みな陽気にさえずる頃

 女たちの心は狂喜にあふれ 
 恋人たちの心は陽光にみたされる

 私たちがさくらんぼの季節を歌えば
 鳥たちも一層上手にさえずり始める

 でもさくらんぼの季節はとても短い
 片方無くしたさくらんぼの耳飾
 夢の中でそれを探しに行く

 愛のさくらんぼはどちらも同じ衣をまとい
 滴る血となり葉の上に落ちる

 でもさくらんぼの季節はとても短い
 夢の中で摘む珊瑚の耳飾

 いつも私はさくらんぼの実る頃を愛する
 あのときから私は心を切り裂いた傷を秘めている

 「紅」は共産主義の「赤」であると同時に、さくらんぼの「紅」であり、「滴る血」の「紅」なのだ。生と死との両義性に満ちている。

 上記のブログ作者の方は「豚」について、抑圧とたたかう理想に燃えたエネルギーをもつ存在としてとらえている。私は、それについては同意できない。猪は「猪突猛進」という言葉が示すように、一直線のエネルギーを持つ物かもしれないが、豚は「人間に飼いならされた猪」であり「最後は人間に食べられるために」存在するのだ。豚は十分肥え太らせてから、殺すのだ。恐ろしいことである。ポルコが稼いだ大金を最後に手にしたのは誰だったか?

 「豚」については、このような食用家畜としての意味とはまた別のカテゴリーでも考えなければならない言葉であると思っている。ジーナを大統領夫人にするというカーチスに彼女はこうこたえるのだ。「ここではあなたのお国より、人生がもうちょっと複雑なの」___人生は両義性に満ちている。

 宮崎駿は素晴らしいアーティストだ。
 だが、美しい薔薇には棘がある。

 不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

「紅の豚」の謎その3__豚が人間になるとき__「人生は生きるに値する」

 宮崎駿は引退宣言にあたって「人生は生きるに値する」と言ったそうだ。

 
 「生きるに値する」_____含蓄の深いことばだ。真意はどこにある?

 「紅の豚」の半ば近く、ポルコとともに野宿したフィオが彼の人間の顔を垣間見てしまう場面がある。ポルコが薬莢を点検しているときに見えた横顔は人間のものだった。

 その後、ポルコはフィオに戦争の体験を語る。壮絶な空中戦で敵味方ともに彼以外がみな死んでいったときのことを。多くの戦闘機が上へ上へと昇って行き、美しい銀河の帯の中に入って行った。いや銀河そのものが昇天した戦闘機の群れなのだ。そしてポルコは気がつけば一人で海上すれすれを漂っていた。

 この話を聞いたフィオは言う。「神様がまだ来るな、って言ったのね」。それに対してポルコはこう答える。「俺には、そうして一人で飛んでろ、って言われた気がしたがね」。すると、フィオはこう叫ぶのだ。「そんなはずはないわ!ポルコはいい人だもの!」

 
 
 最後のフィオの反応は、自然な流れの中で発せられた言葉のようだが、どこかひっかかるものがある。「そうして一人で飛んでいる」ことは「いい人のやることではない!」とフィオは言っているのだ。なぜ?賞金稼ぎだから?それとも?

 ラストもう一度ポルコは人間の顔を今度はカーチスに見せる。イタリア空軍を空賊の逃げた方向と別の方向へ誘導しようと誘いかけたときだ。薬莢を点検している時と戦闘行為の意志を示した時、ポルコは人間の顔に戻る。

 エンディング、加藤登紀子の歌声が流れる。画面左側に白黒のデッサンが次々に現れる。多くは戦闘機が描かれている。大空を飛ぶ戦闘機もあれば、墜落して木にかかった戦闘機、戦闘機の前に立つ豚人間、戦闘機の描かれていない絵もある。人間の兵隊が多数入り乱れて戦う白兵戦、捕虜になった兵隊たち、塹壕を築く市民、そう、これらはフィオの言う「その後何回も起こった戦争」の現実なのだ。

 「人生は生きるに値する」_____含蓄の深いことばである。

紅の豚」の謎その2___前回の訂正と補筆

 前回フェラーリンとポルコが会った映画館で上映されていたアニメについて、間違ったストーリーを書いてしまったので訂正したい。

「主人公の女の人が蛇に巻きつかれているシーンを見ていたポルコが『ひでぇ映画だな』と言っている」と書いたが、DVDで見直してみたら、ポルコは、豚らしきキャラクターが女の人を拉致して(?)乗せていた飛行機が墜落するのを見て「ひでぇ映画だな」と言っているのだ。蛇はその前に2機の飛行機を追いかけようとして、自分で自分の首を絞めて悶絶している。その後、飛行機から降りた豚キャラと主人公の恋人らしき鼠キャラ(?)が決闘して豚キャラが負けるのだ。最後に恋人同士が抱擁し合ってめでたしめでたし、となるのである。それをみたフェラーリンが「いい映画じゃないか」と言うのだ。

 いうまでもなくこの映画はこれから起こるポルコとカーチスの決闘の予型である。でも結末が映画と逆のようであるが、もしかしたらそうでもない?自分で自分の首を絞める蛇って何?そこまで考えるのは考え過ぎ?

 もうひとつ、根本的な疑問は、冒頭ポルコに電話してきた依頼者は誰か、ということである。「契約14条の第3項を該当させる」という依頼者にポルコは「第4項だな」と応答しているので、両者の関係は継続的なものだろう。電話の声はフェラーリンに似ているようでもあり、そうでもないようでもある。最後にポルコがカーチスに「イタリア空軍を別の方向に誘導しよう」と素顔をさらして誘ったのはなぜだろう。カーチスの飛行艇のマークが矢がささったハートであることと、ジーナのコードネームが「ハートのG」であることは無関係なのか?

 「ジーナさんの賭けがどうなったかは私たちだけの秘密」というフィオのナレーションで映画は終わる。そのとき、上空からジーナの別荘が映されるのだが、ドアが開いたままの室内には人気がなく、なんとなく荒廃した雰囲気が漂う。ジーナとポルコはほんとうに結ばれたのだろうか。

 「もののけ姫」以降の作品に比べて、情緒的にはすんなり受けいれられるのですが、やはり一筋縄ではいかない作品のようです。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年9月8日日曜日

「紅の豚」の謎___いくつかの小さな疑問

 テレビはめったに見ないのだが、「ジブリの呪い」など賑やかなので、「金曜ロードショー」の「紅の豚」を見てしまった。あらすじは紹介するまでもないだろう。空と海と男と女の冒険とロマンの物語である。ハラハラドキドキの空中戦あり、胸キュンの少女の片思いあり、サービス満点のエンターテインメントとして申し分のない作品である。美しい色彩とレトロな雰囲気も気持ちよく見る者を酔わせてくれる。

 だから見終わって「おもしろかった~!」ですんでしまいそうで、実際すんでしまったのだが、なぜ「紅の」「豚」なのか、という疑問が残った。いや、正確に言えば、最初から「紅の」「豚」の解は持っていたのだが、ストーリー全体との整合性がいまひとつ満足のいくものではなかった。ジグゾーパズルのすべてがピタッと合わないのだ。それで、重箱の隅をつつくような作業だが、いくつかのちょっと不思議な場面を書き出してみることで、パズルをもう一度組み立ててみたい。

 冒頭ポルコが昼寝をしているシーン。「1929」の年号が書かれている雑誌を顔にかぶせている。その雑誌は「CINEMA」というタイトルなのだ。この映画のもう一人の主人公カーチスというアメリカ人(祖母がイタリア人というクォーター)は物語の後にアメリカに渡って映画俳優になったことが語られる。そのこととこの冒頭のシーンは関係があるのだろうか。それからカーチスが主演した映画のタイトルは「THE TRIPLE LOVE」となっていて、これもなんだか思わせぶりである。

 おなじく冒頭で小さなテーブルの上に食べかけのりんごが置かれている。これが不思議なことに灰色?のりんごなのである。半分以上食べられていて、しかも彩色するのを忘れたのかと思うような色なのでいかにもまずまずしい。ところが、次にまたりんごが登場するシーンがある。ポルコが賞金を手に入れて、カーチスとの一騎打ちのため飛行艇を修理に出すフライトに飛び立つときだ。なぜか今度は真っ赤なおいしそうなりんごがまるごとテーブルの上に残っているのである。

 カーチスの飛行艇に「ガラガラ蛇」が描かれているのはなぜだろう。物語の中盤でポルコが戦友フェラーリンと映画館で会うのだが、そのとき上映されていたアニメにも蛇が出ていた。主人公の女の人が蛇に巻きつかれているシーンを見ていたポルコが「ひでぇ映画だな」と言っている。最後は蛇が撃退されて、主人公の男女の抱擁で終わり、フェラーリンが「いい映画だったじゃないか」というのだが。

 一番ミステリアスに描かれているが、一番分かりやすいのがジーナで、暗号解読をするシーンがあるので、そういう人間なのだろう。経営するホテルではいつも紫の服を着て金の大きな丸いイヤリングをつけているが、昼間の別荘(これがなぜかちょっとした要塞のようで、カーチスは塀をよじ登ってドアにたどり付く)では白い服で青いすらりとしたイヤリングだ。だが、暗号解読のシーンではネイビーみたいな服装でズボンを穿いている。彼女の飛行艇の「G」はジーナの「G」なのだろうが。しかし彼女が愛した男はどうしてみんな死んでしまうのだろう。「一人は戦争で、一人は大西洋で、もう一人はアジアで」死んだというのは不吉だ。その彼女がポルコを「愛するか」どうか「賭け」をしている、というセリフも不思議だ。「愛される」かどうかなら不思議ではないが。

 ピッコロ社の主人もちょっと不思議なのは、どう見てもイタリア人には見えないことだ。極端に小さな体に眼鏡はむしろ日本人の典型ではないか。孫の天才少女フィオは生き生きと行動的でしかもナイーヴな女の子だが、空賊たちとの交渉の後、心を落ち着かせるために「あたし、泳いでくる!」というのは唐突だ。「泳ぐ」といえば、最初にポルコが救出した「バカンス中の女学生」という「15人」の少女が服を脱いで大海原で泳ぎだすシーンがあって、しかもそれが5~6歳の幼女にしかみえないのもおかしい。

 まだまだ不思議が見つかるかもしれないが、最後の結末の不思議を書いておこう。大人になったフィオが「ジーナさんはますますきれいになって」と語るのだが、彼女の経営するホテルアドリアーノの店内に彼女の姿は見えないのである。ホテルの裏に赤い飛行艇らしき物が見えるので、ジーナとポルコは結婚したのだ、という結末がネット上でよく語られるのだが、果たしてそうだろうか。

 さて「紅の」「豚」とは何か。・・・やはり書かないでおこう。「ポルコ」が「紅の」にあたるそうだが(イタリア語は全然わかりません。だからポルコが読む新聞の見出しも分からない。残念!)ジーナは彼を「マルコ」と呼んでいる。「マルコ」はマーク、マルクス、マルス、マースだろう。それから、「豚」といえばサリンジャーの「ド・ドーミエ・スミスの青の時代」にも「美しい豚の描き方」について書かれている。この後、宮崎駿自身も「千と千尋の神隠し」で主人公の少女の両親を「豚」に変えるのだけれども。そう、「青」といえば、カーチスがいつも青い服を着ているのも何か意味があるのか、とおもってしまうのだが、際限もなくなりそうなので、このくらいにしておこう。

 『同時代ゲーム』の読みが遅々として進まないので、また寄り道してしまいました。乱雑な走り書きの文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年9月1日日曜日

「香具山は畝傍をゝしと耳梨と」続々続々折口学再考___「つま争い伝承」?

 額田王、柿本人麻呂といわゆる宮廷歌人の歌を取り上げてきた。今回は天智天皇御製と記載されている歌三首。

 「香具山は 畝傍をゝしと、
   耳梨と、あひ争ひき。
  神代よりかくなるらし。
   いにしへも然なれこそ。
  うつそみも、つまを争ふらしき」 萬葉集巻一・一三

     反歌
 「香具山と 耳梨山と あひし時、立ちて 見に来し 印南国原」 萬葉集巻一・一四
 「わたつみの豊旗雲に入日さし、今宵の月夜明らけくこそ」 萬葉集巻一・一五

 大和三山のつま争いは有名な伝説だが、三山の雌雄は流動的である。多くは最も標高の高い(といっても199メートル)畝傍山を男性、耳梨と香具山を女性に見立てて解釈しているようだが、古代では母権制の名残で女山のほうが高い場合もあるようである。実際に登ってみると、香具山と耳梨山はあっという間に頂上に着いてしまう。高さはそんなに変わらないのだが、畝傍山はどこか神秘的な雰囲気が漂う妖しい山だった。

 だから、というわけでもないのだが、私は畝傍山が女山のような気がする。「畝傍を をし(愛しまたは惜し)」と読みたい。「畝傍雄々し」でなく。原文は「畝傍男雄志」とあるので畝傍山が男山であるとするのが一般的のようだが。折口も「畝傍男々し」と訓んでいる。だが、長歌は「香具山は、畝傍をゝしと」と詠み手が香具山の側に立って詠んでいる。とすれば香具山は天智天皇に擬せられるのだから男山ということになるのではないか。いずれにしろ、香具山は大和三山の中の一つ、というより、「ひさかたの」「天の」と枕詞を冠して詠まれる特別な存在だった。

「大和には群山あれど、
 とりよろふ天の香具山、登り立ち 国見をすれば、
   国原は煙立ち立つ。海原は鷗立ち立つ。
うまし国ぞ。蜻蛉島大和の国は」 舒明天皇 萬葉集巻一・二
「春過ぎて 夏来たるらし。しろたへの衣乾したり。天の香具山」 持統天皇 萬葉集巻一・二八
「ひさかたの 天の香具山。このゆふべ、霞たなびく。春立つらしも」 人麻呂歌集 萬葉集巻十・
一八一二

 香具山の説明が長くなってしまったが、雌雄いずれにしろ長歌は三山のうち二山が残りの一山をめぐって争った、という伝承を踏まえて「いにしへも然なれこそ。うつそみも、つまを争ふらしき」と詠んでいる。「つま争ひ」の歌である。それに対して反歌第一首「香具山と・・・」は三山のつま争いを仲裁に印南の国がやって来た、と長歌をうけた内容になっているが、必ずしも反歌としてしっくりあっていないようである。それでも、「あひし時」=「闘ひし時」または「戦ひし時」の意で、(つま)「争い」という共通項があることから、反歌として成り立たない、とまではいえない。だが、反歌第二首はどうだろうか。「わたつみの豊旗雲に入日さし・・・」とまったく異なる叙景歌が詠まれている。つま争いとは無関係なのだ。

 そもそもこの長、反歌はどこで詠まれたのか。「香具山は・・・」と読み出している長歌はどうしても、香具山を眼前にして詠んでいる、と考えるのが自然だろう。だが、「いにしへも然なれこそ。うつそみも、つまを争ふらしき」という詠嘆を反復、強調すべき反歌は「・・・立ちて 見に来し 印南国原」と木に竹を接いだような歌で、抒情のかけらも感じられない。そして第三首は、「わたつみの・・・」と海上の光景を詠んで、「今宵の月夜明らけくこそ」と歌い上げる。香具山を眼前にして「わたつみの・・・」はあり得ないので、少なくとも第三首は、海上ないし海を眼前にして読んでいるとしか考えられない。つまりこの三首は、つま争いの枠組みで一つながりの組歌として成り立たせることは困難なのだ。

 山本健吉氏は『万葉百歌』の中で、この三首は、六六一年正月、斉明天皇西征の時、印南の浦に泊り、宴を催した折のものではないか、と推測されている。おそらく、「そう読まれるべき」なのだと思う。萬葉集巻一は巻頭歌に雄略天皇「籠よ、み籠持ち・・・」を置くことから推測されるように、明確な意図をもって編纂されている。とすれば、この三首は、やはり、「つま争い」ではない一つながりの組歌として「読まれなければならない」。そしてその主眼は第三首「今宵の月夜明らけくこそ」にあると思われる。「明らけくこそ」は「清らけくこそ」「まさやかにこそ」など、異なる訓があるようだが、いずれも嘱目の光景を詠みながら、天気晴朗を願う歌である。同時に、その願望の先に何があるかはいうまでもない。軍旅である。そのことはまた、「つま争い」という伝承をもちだしたことの意味ももういちど考えなければならないことを示唆するものではないのか。

 この三首が「つま争い」という伝承に偏って取り上げられることが多いのは、おそらく額田王が天智、天武の両天皇に仕えたという史実によるのだろう。
「あかねさす 紫野行き 標野行き、野守は見ずや。君が袖振る」 額田王 萬葉集巻一・二〇
「むらさきの にほへる妹を。憎くあらば、人妻ゆゑに、われ恋ひめやも」 天武天皇 萬葉集巻一・二一
の二首もゴシップ的関心の的になるのかもしれない。だが、この三首の長、反歌はそれと切り離して読まれるべきである。

 萬葉集にこだわりはじめると、止め処がなくなりそうで、いつまでも大江健三郎やサリンジャーに戻れなくなりそうです。折口については、「折口信夫とキリスト教」とくに「貴種流離譚」というテーマで書きたいのですが、これは生半な覚悟では書けないので、だいぶ遠い先のことになりそうです。
そして、いつかは「権力小説としての源氏物語」を書きたいと思っています。日暮れて道遠し。

 今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年8月16日金曜日

「いかさまに 思ほしけめか」続々続折口学再考__懐古、鎮魂の目的

 わずか五年で廃都となった近江京は、その後多くの歌人たちの懐古の対象となって詠みつがれていく。ここではもっとも早く懐古、鎮魂の歌を詠んだ人麻呂の作品を取り上げてみたい。

「玉だすき畝傍の山の、橿原の聖の御代ゆ、
  あれましゝ神のことごと、栂の木のいやつぎつぎに、天の下知ろしめしゝを、
    空見つ大和をおきて、青丹によし奈良山を越え、
  いかさまに思ほしけめか、
あまさかる鄙にはあれど、いはゞしる近江国の、漣の大津の宮に、天の下知ろしけむ、
  皇祖の神の尊の大宮は、こゝと聞けども、大殿はこゝといへども、
    春草の茂く生ひたる、霞立つ春日のきれる、もゝしきの大宮どころ、見れば悲しも」
                                              萬葉集巻一・二十九
 
    反歌
「漣の滋賀の辛埼さきくあれど、大宮人の船待ちかねつ」 萬葉集巻一・三十
「漣の滋賀の大曲淀むとも、昔の人に復も逢はめやも」 萬葉集巻一・三十一

 長歌「あれましゝ神のことごと」の解釈がいまひとつ落ち着かないのだが、要するに、継続して都があった大和を捨てて、辺鄙な場所に近江京を造ったのに、今はそのあとかたもなく荒廃し、自然にもどってしまったことを嘆いた歌である。


 「玉だすき→畝傍」「栂の木の→いやつぎつぎに」「空見つ→大和」「青丹よし→奈良山」「いはゞしる→近江」「漣の→大津」「もゝしきの→大宮どころ」と、必ず枕詞をおいて地名を詠みこんでいるのは、たんなる修辞ではなく、呪術といってよい絶対の決まりごとだからだろう。折口はそれを「信仰」と呼ぶが、私にはもっと具体的なものへの畏怖の気持ちがそうさせるのだと思う。人麻呂はこの長、反歌を遷都という行為に対して中立の立場で詠んでいるように見えるが、実は違うのではないか。「いかさまに思ほしけめか」と懐疑の念をあらわにしているのである。

 反歌二首いずれも変わらぬ自然と激変した人事を対照して詠んでいる。
「大宮人の船待ちかねつ」折口はこの部分を「いくら待っても宮仕への官人衆の船が出て来ない。船を待ちをふせることが出来ないでいる」と口語譯をつけている。それで譯としてはよくわかるのだが、「船で宮仕へ」をするというのがいま一つわからない。人麻呂とほぼ同時代の黒人も
「旅にしてもの恋しきに、やましたの 朱のそほ船 沖に榜ぐ見ゆ」
など官船、及びその船旅を詠む歌をいくつも残していることから、現代の私たちが想像する以上に、この時代すでに水上交通が発達していたのかもしれない。ともかくも人麻呂のこの歌は湖上に船の姿が現れることがまったく期待できないことを嘆きつつ確認しているのだ。そしてさらに次の歌で「昔の人に復も逢はめやも」と念を押す。官人はもう誰もいないのだ、と。

 長、反歌あいまって、「(自然にもどってしまった)御所の跡を見ると悲しみにくれる」「船を待っても、来ない」「昔の人に(逢いたいのだが)逢えない」と悲傷、懐古の情が過不足なく詠みこまれている。だが、それは人麻呂個人の感慨を詠んだものというよりは、天武、持統両朝に仕えた宮廷歌人の作品として、廃都となった近江朝及びその建設にかかわった人々への鎮魂、慰撫を目的とするものであろう。さらにいえば、このように悲傷、懐古の姿勢を見せることで、「これほどまでも(廃都となった近江朝を)しのんでいるのだから、決して祟らないでくれ」と呼びかけているのだ。その対象はすでにこの世の人でなくなった天智天皇、大友皇子だけでなく、今も生きている近江朝にかかわった人々を含むのだと思われる。近江朝が滅んで千年もたってからこの歌が詠まれたのではない。

 萬葉集はこの歌の次に高市黒人の短歌二首を記載する。
「いにしへの人に 吾あれや。ささなみの故き京を見れば、悲しき」萬葉集巻一・三二
「ささなみの 国つ御神の うらさびて、荒れたる都見れば、悲しも」萬葉集巻一・三三
人麻呂の長、反歌とくらべれば、歌がずっと個人的な感慨に近くなってきていることがわかるだろう。鎮魂のくびきは残っていても、「いにしへの人に 吾あれや」という自省のことばがまず発せられるのだ。ここからは
「古き都に来てみれば 浅茅が原とぞなりにける 月の光はくまなくて 秋風のみぞ身にはしむ」(梁塵秘抄)から「辛崎の 松は花より朧にて」(芭蕉)まですぐのように思われるのだが、いまは歌謡史をたどることは控えて、黒人と人麻呂の歌柄の違いを指摘するにとどめたい。二人の歌人の間にさほどの年代の差があるとは思えない。歌が詠まれる場が異なっているのだと思われる。

 最後に、今回のブログの趣旨と少しずれるのだが、人麻呂の近江旧都を詠んだ歌をもう一首あげておこう。これは短歌だけで独立して萬葉集に記載された歌である。
「近江の湖、夕波千鳥、汝が鳴けば、心もしのに いにしへ思ほゆ」 萬葉集巻三・二六六
鎮魂、呪術といった実用を突き抜けた一直線の慟哭である。やはり天才というべきなのだろう。

 どうしても素材として作品を取り上げることに徹することが出来ず、鑑賞に傾きがちになってしまいました。不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2013年8月12日月曜日

「うまざけ 三輪の山」続折口学再考___信仰_呪術の根底にあるもの

 前回に続いて、額田王の作品を取り上げてみたい。額田王は鏡王の娘ではじめ大海人皇子に娶され、後に姉鏡女王とともに中大兄皇子(天智天皇)に娶された。以下は天智天皇作とも伝えられる有名な長、反歌である。

「うまざけ 三輪の山。
あをによし 奈良の山の、
 山の際にい隠るまで、
 道の隈い積るまでに、
  つばらにも見つつ行かむを。
  しばしばも見放けむ山を。
心なく 雲の 隠さふべしや」 萬葉集巻一・一七

   反歌
「三輪山を 然も隠すか。 雲だにも心あらなも。
隠さふべしや」 萬葉集巻一・十八

 六六七年天智天皇は近江の大津京に遷都する。「近江の国に下る時」という題詞から遷都以前に詠まれたものかと考えられる。通りすぎてゆく三輪山をいつまでも見たいのに、雲が立ち込めてこれを阻んでいるので、そうしないでくれ、と訴えかけている歌である。多くの解説がこの歌に三輪山への惜別の情を読み取っている。それで間違いはないと思うのだが、もう少し具体的な情景をイメージして考えてみたい。

 三輪山は山そのものが「御神体」として崇められる古来有名な山だが、標高は海抜467メートルである。山腹に雲が湧き立つような高さの山ではないように思う。同じことは大和三山のつま争いで有名な香具山、畝傍、耳成にもいえるのだが、いったいヤマトからナラにかけては「海山のあひだ」である日本列島では珍しくこじんまりとした平野なのだ。それでも、雨が急速に上がって気温変化が著しい場合は山全体を雲、というより霧がたちこめて隠すこともあるかもしれない。だが、この歌は国境の奈良山(これも海抜100メートル級の低丘陵である)まで道行を進めてきた時点で詠まれているので、そのような気候の変化があったとは考えにくい。とすれば、「雲が隠してしまうので、三輪山が見えない」というのは事実なのだろうか。

 事実として確実なのは、一行は三輪山を見ないで、国越えをしつつある、ということだと思われる。「雲だにも心あらなも」は「せめて雲だけでも情けがあってほしい」の意だが、「せめて雲だけでも」というのは雲以外に「心なき」ものがあって三輪山を隠していることになる。この歌の作者はそれには触れないまま、「せめて雲だけでも」と哀願しているのだ。

 「うまざけ 三輪の山」から「しばしばも見放けむを」までは、中国の四六駢儷体を意識したかのように、結句「心なく 雲の 隠さふべしや」を導くための対句を重ねているが、それだけのことで特に個性的な表現ではない。人麻呂の長歌もより多くの修辞を連ねるが同じ構成である。要は、ことばを連ねることで通り過ぎる三輪山を宥めようとしているのだ。折口は『口譯萬葉集』で「故京に對する執著が、唯一抹の三輪山の、遠山眉に集中してゐる。山について思ふ所の淺い今人の、感情との相違を見る必要がある」と解説している。だが「故京に對する執著」というより、もう一歩すすめ「故京に対する畏怖」といってよいのではないか。そしてそれは、たんに「信仰」の次元というよりももっと具体的な「畏怖しなければならない勢力」への配慮だったのではないか。


 額田王は斉明天皇から持統天皇の時代にいたるまでの間に歌を残している。その多くが天皇ないし高貴な身分の人の代作であると思われる。この長、反歌も天智天皇(この時点ではまだ即位していないと思われるので中大兄皇子)に代わって天智の宮廷のために詠んだものだろう。天智の宮廷が詞を尽くして慰撫しなければならない勢力が三輪山周辺にあったこと、まずそれを念頭においてこの長、反歌を考えるべきである。

 天智の断行した近江遷都は六七一年天智が崩じると翌六七二年壬申の乱によって陥落してしまう。今度は近江が「故京」となって、次の代の歌人たちの懐古の対象になるのだが、それについてはまた回をあらためて考えてみたい。

 いまだ整理のつかない文章です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。












2013年8月10日土曜日

「熟田津に 船のりせむと」折口学再考____信仰という名の思考停止を超えて

 前回取り上げたレイモンド・チャンドラーとともに、若い日の私を虜にしたもう一人の男折口信夫について読み直さなければならない、と考えている。と言っても、折口は文学、宗教その他あらゆるジャンルにわたる巨人だ。これは折口批判などいうだいそれたものではなく、あくまで私の個人的な読み直しである。だが、どうしても、いま、しなければならに読み直しなのだ。

 学校の図書館ではじめて折口の著作に触れたとき、そこにあったのは難しくて読めない漢字と容易に意味の読み取れない文脈の連続だった。ほとんど理解できないまま、だが行間から立ち昇る妖気に惹かれて、次々と全集を読みあさった。折口学のよき紹介者となった弟子の池田弥三郎、山本健吉両氏による『萬葉百歌』が理解の手がかりを示してくれたことも大きい。文学を理解、鑑賞するためには、まずその発生の場に立ち帰らなければならない。可能な限り発生時の民衆の生活の場に立つこと、その方法論であり、又その集大成が折口民俗学である、という理解は間違っていないと思う。

 問題は、その民俗学が「信仰」という名の宗教の次元に入り込むことだ。乱暴な言い方をすれば、折口においては、「民俗」=「宗教」である。もちろんそれは、仏教、キリスト教、イスラム教などの教義、教団が確立されたものではない。民衆が生きていくために必要な生活の規定、法と分かち難いものであり、またそれが儀式化したものである。それ故に、折口学=民俗学=宗教学は文学の理解の原点なのだが、文学の理解に不可欠なものがもう一つある。それは文学の発生とその文字化=文献化は権力が関わらなければできない、ということだ。そして民衆と権力(者)の生活において、「信仰」という名で呼ばれる事柄の内容には微妙な、だが確実な違いがある。

 例をあげて考えてみたい。
「熟田津に、船乗りせむと 月待てば、潮もかなひぬ。今は漕ぎ出でな」萬葉集巻一・八
作者は斉明天皇とも額田王ともいわれる。おそらく額田王が斉明天皇に代わって詠んだものであろう。前記『萬葉百歌』には、「斉明七年(六六一年)正月、百済救援のため、西征の軍を発し、十四日に伊予の熟田津の石湯の行宮に着いた。ここに滞在中、女帝が船を水に浮かべて、禊の行事をやられた」とある。事情はおそらくその通りで、史実に即しているものと思われる。船上の「禊」とはどんなことをするのか、浅学菲才の私は具体的にはわからないのだが、船を乗りだすことそのものが「禊」であったのかもしれない。この場において、「信仰」=「宗教」は儀式であり、国家の命運を決める一大行事なのである。

 だから結句「今は漕ぎ出でな」に対して「この軍旅には、斉明女帝・大田皇女をはじめ、婦人の同行者が多かった。厳粛な祭事ではあるが、楽しい祭事でもあり、その華やかさや楽しさへのあふれるような期待が、「今は漕ぎ出でな」の結句字余りに現れていよう」という『萬葉百歌』の山本健吉氏の解釈には首を傾げざるを得ない。「婦人の同行者が多かった」のは本邦になんらかの重大な異変があって、大和に残るのが危険と思われたのではないか。何より、山本氏もいうように「軍旅」なのである。「潮もかなひぬ。今は漕ぎ出でな」の間合いに、切迫した呼吸を読み取るべきではないか。この後女帝は七月筑紫朝倉行宮に崩じ、日本水軍は六六三年白村江の戦いで唐水軍に敗れるのである。

 折口学と信仰について、もう少し例をあげて考えたいと思っているが、長くなるので、また回をあらためたい。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。




2013年8月9日金曜日

「ソルト・レーク・シティの孤児院で育った」___『長いお別れ』再考

 『同時代ゲーム』の読みに難渋しております。SFあるいはファンタジー、さらには網野民俗学とも絡めて読みたくはない天邪鬼な私は、めくらめっぽう資料をあさるうちに、作品とはほとんど無関係かもしれない事実を発見することが多々ありました。それに導かれて、いままで気がつかなかった事が重要な意味を持つのではないか、と思うようになりました。その一つが、以前ブログの開設まもなくとりあげたレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』に登場するテリー・レノックスの「ぼくはソルト・レーク・シティの孤児院で育った」という言葉のもつ意味です。

 
 高級クラブの駐車場で正体をなくすほど飲んだくれていたテリー・レノックスを自宅に連れて行って介抱した探偵マーロウは、再びぼろくずのようになった彼が留置場にほおり込まれるのを救う。そして三度目にマーロウの前に現れたとき、彼は一度離婚した億万長者の娘シルヴィアと再び結婚していており、もはや酔いつぶれるような人間には見えなかった。テリーとシルヴィアの結婚生活に疑問をもつマーロウに、彼は「なぜ彼女がぼくをそばにおきたがっているかを考えるべきだ。ぼくが繻子のクッションにすわって頭をなでられるのを辛抱づよく待っている理由なんか考えないでいいよ」と言う。「君は繻子のクッションが好きなんだろう」と言うマーロウにテリーはこう答える。「そうかもしれない。ぼくはソルト・レーク・シティ・の孤児院で育った」

 チャンドラーの読書暦?十年、いままで「ソルト・レーク・シティの孤児院」という言葉はたんに「親のいない、したがって貧しい子の生活する場所」の意味でしか理解してこなかった。それは間違ってはいないが、事柄の半分しかとらえていなかったのだ。「ソルト・レーク・シティ」という記号はより複雑で多義的な意味をもつ。ソルト・レーク・シティは末日聖徒キリスト教会(モルモン教会)がユタ州の荒地に開拓した都市で州の金融、経済の中心地なのである。だが、もっとも重要なのは末日聖徒キリスト教会が長く一夫多妻の生活を送ってきたと言う事実だ。「ぼくはソルト・レーク・シティの孤児院で育った」というテリーの言葉の背後にある状況に注意を喚起しなければならない。一般的なな日本人からみればかなり特殊な共同体の中で、どういう子供が「孤児院で」育たなければならなかったのか。そしてそれは、テリー・レノックスの一生にどんな意味をもつのか。

 だが、今はこれ以上の分析はしたくない。テリー・レノックスについても、作品そのものについても。ことばにするにはもう少し時間が必要な気がする。ただ、最後マーロウに「君はぼくを買ったんだよ、テリー。なんともいえない微笑やちょっと手を動かしたりするときのなにげない動作やしずかなバーで飲んだ何杯かの酒で買ったんだ」「まるで五十ドルの淫売みたいにエレガントだぜ」といわれるテリーの悲劇はこの世に生きるだれにとっても無関係な出来事ではないことを言っておきたい。テリー・レノックスは若い日の純粋な愛をつらぬけなかった。それを阻んだのは戦争だった。そして年を経て、抜け殻となった愛を償うために犯罪に加担する結果となってしまう。もし、その愛がそれほど激しく純粋でなかったなら、もし戦争が愛を阻むことがなかったら、そして、もし彼が抜け殻となった愛を償おうとしなかったなら、悲劇は起こらなかった。

 ほんとうはもう少し突っ込んだ分析を書きたかったのですが、何だかことばにしたくなくなってきました。今の段階でことばにしてしまうと、この作品の印象を薄っぺらなものにしてしまうような気がします。文学作品は精神分析や社会学的考察の素材ではないので、この小説の馥郁とした香りと奥の深さを伝えながらものが言えるまで、もう少し研鑽を重ねたいと思っています。

 今日も拙い文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年7月22日月曜日

『万延元年のフットボール』以前と以後____大江健三郎の闘いは変わったか

 up to date な事柄について書くことは控えようと思っているのだが、昨日の参議院議員選挙の結果はあまりにも衝撃的だった。意外だと言うのではもちろん、ない。予想されたとおりだったのだから。予想されたとおり過ぎたからだ。テレビというものを見ない私に、テレビをみていた連れ合いが午後八時の開票と同時に自民過半数が報道された、と教えてくれた。前回の衆議院選挙と同様、いろいろなことがいわれているが、現実は、「戦後民主主義」及び「戦後民主主義教育」のみごとな到達地点が示された、ということにつきる。

 そして、大江健三郎について考えている。私の大江体験は『雨の木(レインツリー)を聴く女たち』から始まった。大江健三郎が颯爽と登場した頃、私は「ホー・チミンってフランスの女優さん?」という世界の人間だったので、彼の文学とはまるで無縁だった。樺美智子さんの死も痛ましい「ニュース」だった。私が大江を読み始めたのは、その時期たんに比較的時間があったからだ。読んでもさっぱり分からないので、熱心な読者ではなかった。だが、続いて、すでに文庫本で出版されていた『飼育』『死者の奢り』『芽むしり 仔撃ち』『個人的な体験』などを買ったので、なにか惹かれるものがあったのだろう。

 今回大江を再読し始めたのは、サリンジャーの作品に導かれてのことである。『万延元年のフットボール』を読んで、小説というものはそう読まれなければならないのか、そう読めばなんと面白いものだろう、と齢?十歳を過ぎて開眼したのだ。恥ずかしながら。

 いま『万延元年のフットボール』以後の作品を順を追って読みながら、何とか『同時代ゲーム』までたどり着いた。そして思うことは、大江の小説は『万延元年のフットボール』以前と以後ではあきらかにちがうのではないか、ということである。内容も方法も。誤解をおそれずに言えば、『万延元年のフットボール』以前は、図式的とも見えるくらいに構造がはっきりしていた。たたかうべき現実は何か、どのようにたたかうか、という方法が作品の中で呈示されていた。言葉がつむぎだすイメージは鮮烈で激しすぎるほどだった。

 「イノセンス」という価値観がそれ自身の持つ無邪気な邪悪性(?)も含めて、それまでの作品に通底していたのが、『万延元年のフットボール』を分水嶺として、それを見出すことが困難になる。かわって、隠微に慎重に隠された「現実悪」をほのめかし、それとたたかうことが作品の主題になる。だが、悪の実体が何かということは容易には悟られないし、たたかいの担い手は誰か、どのようにたたかったのか、も具体的に突きとめることが困難である。文章は難渋をきわめ、文脈をたどることも一筋縄ではいかない。『同時代ゲーム』にいたっては、語りの次元と語られる次元が錯綜して、しかも、一つの出来事の解釈を同時に並列する、という手法をとったりするので、なかなか読了できなかった。

 一つのエピソードが日常的次元、神話的次元、そして歴史的現実の次元、で解釈しうるように書かれているので、最も深層の歴史的次元のどの出来事に対応するのかを読み解くことが重要なのだ。サリンジャーの小説と同じように。だから、もともと「ホー・チミン=フランスの女優?」の知識と教養しかなかった私は悪戦苦闘の連続なのである。それゆえにこそ、読書の楽しみはいや増す、といえるのかもしれないが。

 しかし、読書の楽しみを堪能している状況ではない。「民主主義」あるいは『民主主義教育」といわず、「天皇制」といわず、「戦後」が行き着いた果てが何であったかを、今回の選挙が教えてくれた。いま、ここに、徒手空拳の一個人たる私はどうやってたたかったらいいのだろう。

 作品に即して語ること以外はすまい、と思っていたのですが、今回は原則を破ってしまいました。『万延元年のフットボール』から『同時代ゲーム』までの作品についてはまた改めて書きたいと思っています。とくに『ピンチランナー調書』は愉快痛快奇奇怪怪の傑作だと思うのでなるべく早く取り上げたいと考えています。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年7月3日水曜日

『ライ麦畑でつかまえて』と「煙が目にしみる」___グッバイ、フィービー

 「煙が目にしみる」というタイトルからすぐにメロディーが浮かぶのは、たぶん人生の後半を過ぎた人だろう。黒人歌手の少しかすれた歌声が印象的だった。歌声を聞いて、まだ経験したことのない恋のときめきと、それを失った悲哀と、その両方の感情にひたっていたように思う。ちゃんと聞き取れた歌詞はSmoke gets in your eyesだけだったけれど。

 
 この曲は1933年「ロバータ」というミュージカルのために作曲され、1946年にナット・キングコールがカヴァーし、1958年またプラターズがカヴァーしている。私はナット・キングコールの歌声を聞いていたと思っていたのだが、プラターズのほうだったかもしれない。『ライ麦畑でつかまえて』の最後、フィービーが回転木馬に乗る場面でこの「煙が目にしみる」が流れる。

 回転木馬と「煙が目にしみる」のとりあわせがミスマッチのような気もするが、「とてもジャズっぽい、おかしな演奏のしかただったな」と書かれているので、行進曲風にアレンジしたのだろう。ちょっと不思議なのは、この前にホールデンとフィービーが回転木馬の方に近づいて行くときに「いつもやってる間が抜けたみたいな音楽が聞こえだしたんだな。曲は『おお、マリー!』だった」とホールデンが言っていることである。? 回転木馬の所で演奏されていたのはどちらだ?さらに不思議なのは、これに続くホールデンの言葉である。「今から五十年も前になるが、僕の子供の時にも、あの歌をやってたもんさ。これが回転木馬のいいとこなんだ。いつも同じ歌をやってるってところが。」(アンダーラインは筆者)いったいホールデンは何歳なのだ?

 そもそも「煙が目にしみる」も「おお、マリー!」もれっきとした大人のラヴ・ソングである。だが、回転木馬は八歳のフィービーが「あたしじゃ大きすぎるわ」というくらい小さな子供向けの乗り物なのだ。ラヴ・ソングが演奏に使われることがあるものだろうか。「おお!マリー」と「煙が目にしみる」の歌詞を書き出してみる。
「おお、マリー」
Here she comes, she's all dressed up in daises
Half the time, you'd swear that she is crazy
Flowered drinks and low-cut dress
That's the way I know her best
She says she's lonely, how could she be?
Every night she's got company

[Chorus]
Oh Marie,
I sure hope you're happy
Oh Marie,
What about me, Marie

She likes the way she looks in her Camaro
She likes lingerie but he prefers the sombrero
She's so famous on the block
<a href="http://www.lovecms.com/music-sheryl-crow/music-oh-marie.html">Oh Marie 歌詞<a>-<a href="http://www.lovecms.com">Loveの歌詞<a>

She stumbles home around four o'clock
She claims the guys are hard to please
She wears teen perfume behind her knees

[Chorus]

All day long she fills me up with dogma
She's all magazines and benzedrine and vodka
There was one man she truly loved
He took everything but her bear-skin rug
And now and then it's clear to me
That need is love and love is need

[Chorus]

Always an open door
What are you looking for

 「煙が目にしみる」 
They asked me how I knew
My true love was true
I of course replied something here inside
Cannot be denied

They said someday you'll find
All who love are blind
When your heart's on fire you must realize
Smoke gets in your eyes

So I chaffed them and I gaily laughed
To think they would doubt our love
And yet today my love has gone away
I am without my love

Now laughing friends deride
Tears I cannot hide
So I smile and say when a lovely flame dies
Smoke gets in your eyes

 どちらもれっきとしたラヴ・ソングだが、かなり趣きが異なっている。「おお、マリー」のほうは子供向けにはいかがなものかと思われるが、ここでは「煙が目にしみる」の歌詞に注目したい。「煙が目にしみる」とは、失恋の悲涙で目がくもる、ということではないのだ。(今まで、私はそう思っていたのだが)「恋は盲目」の意なのだ。偽りの愛を真実だと信じたのは「煙が目にしみ」たからなのだ。

「煙が目にしみる」の演奏とともに、フィービーは回転木馬に乗ってぐるぐる回る。すると、突然降りだした土砂降りの雨がホールデンをずぶ濡れにする。だが、フィービーがかぶせてくれた赤いハンチングをかぶったホールデンは、濡れながらフィービーの回り続ける姿を見て「大声で叫びたいくらい」幸福な気持ちになるのだ。「ただ、フィービーが、ブルーのオーバーやなんかを着て、ぐるぐるぐるぐる、回りつづけてる姿が、無性にきれいに見えただけだ。全く、あれは君にも見せたかったよ。」と語って、ホールデンは物語を閉じるである。グッバイ、フィービー_____

 フィービーについて語ることはあまりにも多く、そして、それを書くことは『ライ麦畑でつかまえて』の核心に触れることになるので、いまはここまでにしておきたい。いつかまた、フィービーの好きな映画のことや、彼女の書く探偵小説のこと、それからダンスが上手で、深夜ホールデンとダンスを踊ったことなどについても書いてみたい。それまでもう少し時間がほしいと思っている。

 今日も拙い文章を読んでくださって、ありがとうございます。

2013年5月20日月曜日

『万延元年のフットボール』____「森」はどこにあるのか

 大江健三郎の文学を語るとき、「森の思想」あるいは「神話の森」という言葉を目にすることが多い。作者の生まれ育った故郷が作品世界の中に登場する「森」とかさなってイメージされるので、谷間を流れる川のすぐ隣に豊かな森林があるように誰もが想像するのではないだろうか。だが、地図をひらけばわかるように、日本の国土は折口信夫のいう「海やまのあひだ」のきわめて狭量な地域なのである。四国だけでなく、「森」という言葉から連想されるような、なだらかな平原に木々が群生する空間は北海道をのぞいて、ほとんど存在しない。「谷間の村」を囲む「森」は実際は「やま」と表現されるのがふさわしいのではないだろうか。「やまの思想」「神話のやま」ではいけなかったのだろうか。

 『万延元年のフットボール』の森の風景は、まず、「獣のごときもの」と書かれる子供が排泄している光景とともに記述される。林道の両側に暗く茂った常緑樹がせまる中、若い農婦と子供と彼の黄色い排泄物の堆積が克明に描写される。やがてバスに乗り込んできた子供の剃りあげた頭を見た僕の妻は、自分たちが施設にあずけた赤ん坊の頭の瘤を連想して平静さを失ってしまう。僕と妻は逃れるようにバスを降りるのだが、森は人間に親和的な表情を見せることはない。僕は「めざましい朱色のヤモリの腹みたいな地肌」をあらわした赭土にさえ脅かされるように思うのだ。

 露悪的なほど生々しく描写される「森」の様子は、どう考えても「森」ではなく「やま」のように思われる。だが「高台」「窪地」「谷間」という地形を示す言葉は頻繁にでてくるが、「やま」という言葉をこの作品に見出すことはできなかった。「谷間の村」を囲む自然は実際には「やま_山」もしくは「山林」と呼ぶべきなのだろうが、作者はかたくななまでに「森」と呼ぶのである。さらに、戦争中に徴兵を忌避して逃亡した男を「森」の隠遁者ギーと名づけ、ある種のアンチ・ヒーローとして登場させる。「山の隠遁者」と呼ばないのは、「山の隠遁者」では中世から連綿と連なる「世捨て人」の系譜に数えられてしまうからだろうか。世捨て人には変わりないのだろうが。

 「森の隠遁者ギー」は、この後書かれる短編「核時代の森の隠遁者」の中で、荒野に呼ばわる預言者ヨハネのごとく「核時代を生き延びようとする者は/ 森の力に同化すべく ありとある市/ ありとある村を逃れて 森に隠遁せよ!」と叫んで壮絶な死を遂げる。続いて、「森の隠遁者」と入れ替わって「山の人」という言葉が「狩猟で暮らしたわれらの先祖」という短編の中に出てくる。それは非常に重要な言葉として括弧でくくられている。この短編には「みじめな獣」を追って放浪の生活をしているという一家が登場し、「山の人」と呼ばれる。犯罪の匂いが付きまとう彼らは、語り手の暮らすプチ・ブル的な住宅街に入り込んで、波紋をまき起こす。語り手の僕は何故かその「山の人」に脅えるのである。「山の人」と「森の隠遁者」とは対極の位置にあるようだ。

 さて、バスを降りた僕と妻はジープを駆使して迎えに来た鷹四と出会う。「やぁ、菜採っちゃん」「ありがとう鷹」と挨拶を交わした三人は「森と谷間の中間にある」生家に向かうが、ジープに乗り込む前に僕は妻を誘って「谷間の人間が森全体でいっとう旨い水だという湧き水」を飲む。水は二十年前の子供の頃と同じ水として湧き出ているが、僕は子供のときの自分との同一性も連続性も喪って、水に峻拒されていると感じてしまう。かつて祖先たちを「チョウソカベ」から守り、谷間に定着の場を設けることを可能にした森は、いま「猜疑心とともに僕を看視している」のだ。森は意思をもつのか?

 『万延元年のフットボール』の主人公は鷹四と蜜三郎と、そして「森」だろう。「森_もり_mori」という言葉の意味する者は何か。民俗学にもエコロジーにも還元できない、きわめて抽象的でありながら、同時にきわめて具体的な内容をもつ何かが「森」という言葉に託されているように思われる。

 まだまだ読み込みが足りないので、備忘録にもならないのですが、今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年5月7日火曜日

『万延元年のフットボール』_______「谷間の村」とスーパー・マーケットの天皇

 『万延元年のフットボール』には、読む側の想像力を刺激する神話的イメージがちりばめられている。前回私は「根所蜜三郎」というネーミングに「乳と蜜の流れる地_カナン」を連想したのだが、同時に「根」の「所」から地下=冥界を連想することも可能であり、そのような両義性はこの作品のいたるところにしかけられているように思う。だが、いまはどこまでも想像力を刺激する豊かな神話的イメージをあえて消し去って、「作品が記述している歴史」をたどってみたい。

 「作品が記述している歴史」としてもっとも古いのは、いうまでもなく題名となった「万延元年」の一揆である。苛斂誅求に耐えかねた谷間の百姓が、藩主に代わって金を貸し出し、百姓を救済しようとした庄屋=根所家を襲って、暴力と略奪を恣にしながら、城下町に繰り出して行った。しかも、先頭に立って「頭取」と呼ばれ一揆をリードしていたのは、庄屋=根所家の弟であった。次に記されるのは、敗戦下に起こった朝鮮部落の襲撃事件である。谷間の村の百姓が、自分たちが隠匿していた米を略奪し闇米にして売っていた朝鮮部落を襲って死者まで出した事件と、それに対する朝鮮人たちの報復戦争とも言うべき事件である。そのどちらにも警察が介入することはなかった。S兄さんと呼ばれる根所家の三男は二回目の事件のとき撲殺された。そして、最後に蜜三郎の弟鷹四が企てたスーパー・マーケットの略奪の有様が記される。

 それぞれの「歴史の解釈」は、歴史を語る人たちの立場と思いによって異なっている。狂気の人とされる蜜三郎の母親は、万延元年の一揆で、倉屋敷に籠もって銃を持ってたたかった曽祖父は勇敢な人であり、その弟は自分の家屋敷に放火して打ち壊した狂人であるという。「村全体の魂に責任をもつ」と書かれる寺の住職は、そもそも一揆は隣藩から潜入してきた工作者の企てたもので、曽祖父と弟は、あえて一揆を起こすことでそれ以上の混乱を避けようと、おたがいの役割を演じたのだとする。

 朝鮮部落の襲撃「事件そのもの」の解釈は前記の通りで揺らぎはないようだが、「S兄さんの死」の記憶は蜜三郎と鷹四の間には埋めようのない亀裂がある。鷹四によって語られるS兄さんは、水も光も泥さえも何もかも白い河原で、頭を打ち砕かれ腕を肩の上にかかげ走っているような足の形で死んでいる。無残な、しかしこの上なく聖化された美しい死である。それに対して、蜜三郎は、朝鮮人が死体を覆うために白い絹布をくれ、愛情をこめて死体をとりあつかったことは語るが、S兄さんの死体そのものは縮みこんで泥にまみれて血の匂いをたてていた、ときわめて即物的な表現をする。鷹四が語るS兄さんの死は、海軍帰りの年若いヒーローの死であり、蜜三郎のそれは、朝鮮人を一人殺してしまった谷間の村がバーターとしてさしだした犠牲者の死だったのだ。

 最後に鷹四とフットボール・チームの略奪の有様が記される。日当を払ってチームのメンバーを募り、訓練し、武器となりうる工具も揃えて、だが、略奪は二日間しか続かなかった。厳密には一日だけだったとも言える。そしてリーダーの鷹四は、略奪の蜂起が失敗に終わったことの責任をとって死んだのではなく、不可解な強姦殺人事件を起こして自殺したのである。いったい、この事件は何だったのか?鷹四と相対するスーパー・マーケットの天皇とはいったい何か?

 鷹四がスーパー・マーケットの天皇と会ったのは、谷間の村の若者が養鶏に失敗して鶏を全滅させ、その善後策を講じに町に出かけて行ったときが最初ではない。天皇が「偶然に」視察に訪れたアメリカで二人は出会っている。そして、そのときに鷹四は(兄の蜜三郎に無断で)郷里の倉屋敷を売る話をまとめているのである。物語の前半でさりげなく語られるこのことは、二つの意味で非常に重要である。一つは、根所家の人間にとって、谷間の村にはもはや帰るべき家はなかったのだということ。それから、「倉屋敷」という建物そのものだけでなく、鷹四は「土地」までも売って、まとまった代金を手にした、ということである。フットボール・チームのメンバーを養い、略奪を企て、実行した資金の出所はスーパー・マーケットの天皇その人だったのだ。鷹四と天皇との間には、万延元年の一揆における曽祖父と弟のような共犯関係はなかったのだろうか。現実に、事件の後スーパー・マーケットで売る日用品は二、三割も値上がりしたが、人々は、特に女たちはこぞってそれを買った。天皇は確実に谷間の村に対する支配力を強めたのである。「窪地は屈服した。」と作者は念をおす。

 スーパー・マーケットの天皇は、まず念仏踊りの「御霊」として登場する。鷹四が指揮した季節はずれの念仏踊りの一行が倉屋敷に繰り込んでくる。折口学まで持ち出して考証する「念仏踊り」と「御霊」の詳しい説明は省くが、要するに、村に厄災をもたらすとされる死者の霊を迎え、慰撫する行事である。死者の扮装をした村の若者が森から行列してくりだし、倉屋敷にたどり着いて円陣をなす観客の前で踊る。だが、やってくるのは本来死者の「御霊」であるのに、この季節はずれの念仏踊りのそれは生きているスーパー・マーケットの天皇とその妻なのだ。

 ホンブルク帽をかぶり何故かシャツを着ないで黒いモーニング・コートにチョッキという扮装の天皇を演じるのは、鶏を全滅させた養鶏グループのリーダーである。容貌魁偉の若者である彼が演じる天皇の「御霊」は次のように描写される。「かれは躰を丸めこみ上品な猫背でゆっくり歩きながら、四囲の観衆に威厳のこもった会釈を繰りかえす。」純白のチマ・チョゴリを着て天皇の妻を演じるのは、鷹四たちに占拠されたスーパー・マーケットの事務室で、散髪する鷹四の髪を新聞紙に受けていた「小柄な肉体派の娘」である。スーパー・マーケットの天皇の連絡係りだったのが、鷹四たちの協力者となり、天皇攻撃において勇猛果敢であるという。彼女の様子は次のように描写される。「猥らなほどあからさまに上気した桃色の魅惑的な谷間の娘は、注目の的たるスターの昂揚感にうっとりと微笑んで、眩しげになかば眼を閉じた小さな顔を青空にむけ優雅に歩いていた。」

 天皇の妻を演じた「肉体派の小娘」は不可解な強姦殺人事件の被害者として死んでしまう。一方現実の「スーパー・マーケットの天皇」は物語の最後に、はじめて密三郎の前に姿を現す。天皇が谷間にやってくる、という報告を受けて、村役場前の広場まで降りて行った蜜三郎が見た天皇は「踵に達するほどに長い外套の裾を蹴りながら、軍人のように規則正しく歩いてくる大柄な男」で「大きい袋みたいな鳥撃ち帽をかぶったかれの丸い顔は、遠眼にもあきらかに血色よく肥満している。」と描写される。そして、天皇と蜜三郎の会見は次のように記述される。「やがてスーパー・マーケットの天皇は僕の所在に気づいた。それはともかく僕が、かれと視線のあうことを惧れずにかれを待ちうけている谷間で唯一の人間だからだ。」「根所です。あなたと取引した鷹四の兄です、と僕は自分の意志に反して掠れてしまう声で切りだした。」

 ペク・スン・ギと名告る天皇の容貌は作中他に例を見ないほど詳しく描写される。「豊かな下瞼の上にゆったりと乗っかっている大きな眼」「頬から顎にかけてたっぷりと肉のついた陽気な顔」「白(ペク)の眉は濃く太く鼻梁も逞しいが、赤く濡れた小さい唇は娘のようだし耳は植物さながらみずみずしく、顔全体に若々しい生気を与えている」スーパー・マーケットの天皇の描写はなぜこれほど精細をきわめているのだろうか。

 根所家とスーパー・マーケットの天皇との関係についてはまだ考察しなければならないことがあって、それがこの作品の謎を解く最も重要な鍵であると思われる。それについては、自殺した友人の死体を前に友人の祖母が「サルダヒコのような」と言ったこと、顔を朱に塗り、裸で肛門に胡瓜を差しこんで縊死した友人の死に語り手の僕が最後までとらわれなければならなかったことの意味をも考えなければならない。とりあえずの備忘録その2として、今回は作中の天皇の描写を中心に書き留めてみた。

 今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
 


















 

2013年5月1日水曜日

『万延元年のフットボール』に見る暴力の克服____カインとアベルの神話の反復と超克

 『万延元年のフットボール』についてはすでにあまりに多くの人たちがこれを語り、評論している。いま現代文学にまったくの門外漢たる私が付け加えることなどほとんどないのだが、読了して得た深い感動の一端でも文字にしたい、という思いを禁じえなかった。もちろん、まとまった評論など書けるわけもないので、断片的な備忘録、ノートの体裁で箇条書きに近いものになるだろう。備忘録その1は、この作品を貫くもっとも骨太な構造としての神話「アベルとカインの物語」である。

 旧約聖書巻頭「創世記」は楽園を追放されたアダムとイヴが、二人の男の子を生み、兄をカイン弟をアベルと名づけたことが記される。兄のカインは地を耕してその収穫物を神に供え、弟のアベルは牧畜をして羊の初子を供えた。神はアベルの供え物に目を留められ、カインの供え物は無視したので、カインは憤ってアベルを憎むようになり、アベルを野に誘い殺した。カインがアベルを殺したことは神の知るところとなり、カインはアベルの血を受けた土地から追放される。神は「この土地が口を開けて、あなたの手から弟の血を受けたので、土地はもはやあなたのために実を結ばない」とカインを呪い、カインは放浪者となるが、「神はカインを見つけるものがだれも彼を撃ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた」

 クリスチャンはこの説話をありがたい説教に変えて信仰の大切さを説くが、これは不思議な説話である。そもそもカインがアベルを憎むようになったのは、神がアベルの供え物だけをとりあげたからである。その上でカインになぜ憤るのかと問い、カインに「正しいことをしていないなら、罪が戸口まで来ているので、あなたはそれを治めなければならない」というのは理不尽ではないか。兄弟はそれぞれのなりわいにしたがって、供え物をささげた。それ以外の供え物があるはずはないのである。「罪が戸口まで来ていて、あなたはそれを治めなければならない」という言葉はカインに罪=殺人を教唆するものではないか。

 謎に満ちたこの説話が示す事柄は、楽園を追放されたアダムとイヴが生んだ子たちは一人は殺され、もう一人は生まれたその土地からまたも追放された、という歴史をヘブライの民は信じた、ということである。神は牧畜による供え物を喜ばれたが、牧畜をなりわいとする者は殺され、地を耕す者は牧畜をなりわいとする者を殺したが故にその土地に定着して農耕をすることを許されなかった。だが殺人者が放浪者として地上に生存する権利は保証されたのである。

 さて、追放された兄カインをこの作品の語り手である僕=根所蜜三郎に、弟アベルを鷹四になぞらえることはたやすい。「根所蜜三郎」というネーミングに「乳と蜜の流れる所___約束の地カナン」を連想するのは飛躍しすぎだろうか。第一章「死者にみちびかれて」の中で「僕」がみずからの右眼の視力を失ったいきさつを作者は「ある朝、僕が街を歩いていると、怯えと怒りのパニックにおちいった小学生の一団が石礫を投げてきた」と記す。片眼を撃たれて倒れ、「僕の右眼は白眼の部分から黒眼の部分にまたがって横に裂け、視力を失った」。だが、なぜそのようなことが起こったのか、その原因について語り手の僕は何もいわない。「現在に至るまで、あの事故の本当の意味を理解したと感じたことはない。しかもそれを惧れる気持がある」__惧れる気持?物語の出発点から語り手は自らの存在の根幹にかかわる何かを惧れ、惧れているという事実は示しながらそれ以外は隠微に隠したままの状態で最後まで語るのだ。ただ一つ「右眼が白眼の部分から黒眼の部分にまたがって横に裂け」ているという異形の相になったこと__「一つのしるしをつけられた」ことをまず述べるのである。それでは、聖書の記述にあるように、蜜三郎_カインはアベル_鷹四を殺したのか?

 「蜜、きみはなぜそのようにも俺を憎んでいるんだ?・・・おれたちは、根所家に生き残った、ただふたりだけの兄弟じゃないのか?」と叫んで、頭と顔を霰弾銃で打ち抜いて死んでいった鷹四の死はもちろん自殺である。蜜三郎が殺したのではない。だが、蜜三郎の妻菜採子は「蜜は鷹の自殺がもっとも惨めな恥ずかしい死になるように鷹を追いつめたわ。そのように惨めに死ぬほかないところまで、鷹を繰りかえし恥の輪の中におとしこんだわ」と弾劾する。その弾劾は正当である。いったい蜜三郎の憎悪の底にあるものは何なのか?鷹四をアベルになぞらえることが妥当だとすれば、鷹四とは何者なのか?

 「鷹四」とは不思議なネーミングである。「根所」「蜜三郎」も不思議なネーミングといえるが、「鷹四」はきわだって特異である。「鷹」という文字から猛禽類の鷹をまずイメージする。第2章「一族再会」の中で鷹四は「アナグマの毛皮(または模造皮)の衿をつけた上着に、デニムのズボンをはいた狩猟家のような弟」として登場する。彼の年少の友人星男は恐れることのない勇敢なヒーローとして彼を信奉する。事実物語りのなかで、鷹四は暴力と知力を用いて、有能なアジテーター=「悪の執行者」としてふるまうのである。だが「鷹四」というネーミングの喚起するものはそれだけではない。

 「鷹」_ホーク_ホルス=エジプト神話の最も偉大な神ホルスは天空と太陽の神であり、隼の顔をもつ。ホルスは、叔父または兄ともいわれるセトという神とたたかって左目を失う。母イシスの膝に抱かれる幼子として描かれることがあり、その姿がマリアとイエスに置換され、イエスの原型となったともいわれる。贖罪と死のイメージはイエスと鷹四(_鷹死)を結ぶ共通項である。万延元年の一揆では、鷹四の曽祖父は一揆の実行犯の若者たちを謀略をもって斬殺させたが、、リーダーたる弟は生き延びさせた。(つまり、カインはアベルを殺さなかった。)これに対し、鷹四の企てたスーパー・マーケットの略奪の場合は、だれ一人逮捕者を出すこともなかったが、鷹四は自死した。鷹四は死をもって、曽祖父と弟の罪を償ったのだ、といえないだろうか。

 結論を急ぎすぎたようである。この作品の重要な登場人物として、「僕」と「一卵性双生児のよう」だとされ、物語の冒頭で「朱色の顔料で頭と顔を塗りつぶし、素裸で肛門に胡瓜をさしこみ、縊死した」友人と「僕」の妻で鷹四の子を宿す菜採子、鷹四に倉屋敷の売却金を与え、略奪の軍資金を提供した(結果となった)スーパー・マーケットの「天皇」についてもふれなければならないが、長くなるのでそれらはまたの機会にしたい。

 今日も、未整理な備忘録に過ぎない文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年4月12日金曜日

「人間のひとり勝ち」という自然観___美しい叙情詩

 昨日の日経新聞の夕刊に歌人の馬場あき子さんが「蛇」と題したエッセイを書いておられた。蛇が日常身近な生き物だった頃の体験を語られ、とくにその脱皮という危険な命がけの生命の営みに感動したことが記されている。簡潔でみずみずしい叙情に満ちたエッセイである。

 
 私の幼い頃蛇はやはり珍しい生き物ではなかった。れんげの花が敷き詰めた田植え前の田んぼで遊んでいて、立ち上がると足元に蛇がいたり、風呂場の薪が積み重なっている間から姿を現したり、あるいは通学路の舗道に長々と横たわっていたりした。「蛇は水の中に入ると生き返る」と誰かに聞いて、動かなくなっている蛇を川に投げ入れた記憶もある。異形の存在に恐怖を覚えなかったわけでもなかったと思うのだが、随分大胆なことをしたものだと思う。

 だが、蛇が脱皮する様や抜け殻は見た記憶がない。蝉の抜け殻は今でも夏の終わりになると、いろいろな場所で目にする。以前マンションに住んでいたことがあって、夏の終わりになるともう動けなくなっている蝉をベランダでよく見た。箒でゴミと一緒に集めようとすると、仰向けの姿のまま手足を動かすので、なんとなく触ることがためらわれた。うつ伏せにして体を起こしてやったこともあるが、また仰向けになってしまう。そのまま完全に死ぬまで何日もかかるのである。大人になった私は、そうやって死んでいく無数の中の一個の死に粛然とした。

 生も死もいつでもどこでも無数にころがっている。幼い頃は無数にころがる生と死を当たり前にそのものとして受け止めたのだろう。意味を考えるのは大人になってからだ。だが、無数にころがる生と死の意味づけは、人間にとっての意味、評価なのである。馬場さんが書いているように、人間がそれらに「励まされたり、悲しんだり、恐れたりする思い」をもつことは大切な経験だが、その経験だけを絶対化してはいけない。

 馬場さんの美しいエッセイに異を唱えるつもりは毛頭ないのだが、結びの文章がどうも気になってしまう。馬場さんは(たぶん、生き物と触れる機会の少なくなった)若者が小さな虫まで気味悪がることに触れ、「いろいろな生のかたちを異質なものと思わない感性はしだいに滅びてゆくのだろうか。人間だけがひとり勝ちのように残ってゆく時の流れのなかで」と結語している。生命の本質的同質性ということに異論はない。アメーバーから人間にいたるまであらゆる生命は平等である。だが、そのことは生物としての事実であって、それ以上でもそれ以下でもない。

 結語「人間だけがひとり勝ちのように残ってゆく時の流れの中で」は危険な文章である。それまでの文脈から自然に導きだされる文章のようだが、それで納得してしまってはいけない。「自然を破壊してきた人間は自然への感性を失ってしまいました。そして罪深い人間はひとり勝ちしています」という告発をたくみに隠しているのである。この告発に賛同するか否かは別として、告発は告発としてきちんと文章化しなければいけない。私はこの告発に賛同することはできない。

 「人間だけがひとり勝ちのように残って」はいけないのか。いや「ひとり勝ちのように残って」いる人間とは、どのような次元から眺められるのだろうか。バブルの頃ならいざしらず、いまの日本で、あるいは世界のどこに「ひとり勝ち」して生活している人間がいるのだろう。ほとんどの人が地べたにへばりついて、その日の糧を得るために働いている。「人間だけがひとり勝ちのように」残らない世界とはどんなものなのか。人間と他の生物が予定調和的に共生できる世界を夢みるのか、それとも地べたにへばりついて働いている人間がまっ先に殲滅され、一握りの人間と他の生物と地球が復活する世界を意図するのだろうか。その道筋をあきらかにしないで「時の流れのなかで」で結語するのはあまりに美し過ぎる。

 サリンジャーを書かなければいけないのに、またより道してしまいました。今日も独断と偏見に満ちた文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年4月9日火曜日

『サリンジャー戦記』を読んで____村上春樹氏へ_一つの根本的な疑問

 さていよいよフィービーについて書かなければならないのだが、それを書くことは『ライ麦畑でつかまえて』の最終的な結論を提示することになる。その前に前回述べたように、二人の学友アクリーとストラドレーター、カール・ルース、グランド・セントラル・ステイションで出会った二人の尼さんなどについても触れておきたい。それで、今回はちょっと閑話休題、村上春樹と柴田元幸という当代きってのサリンジャー読みが対談した『サリンジャー戦記』という本の読書感想文を試みたい。

 対談は「君ってだれだ?」という魅力的な小見出しから始まる。 If  you  really  want  to hear  about  it と書き出されるyou は誰なのか、という問いは謎に満ちた この小説を読み解く上で最も重要な問いだろう。だが、残念なことに魅力的なのは小見出しだけで、結局 you は「ひとつの考え方としてオルターエゴ(もう一つの自我)」ということに落ち着いてしまったようだ。村上春樹は「この小説の中心的な意味あいは、ホールデン・コールフィールドという一人の男の子の内面的葛藤というか、『自己存在をどこにもっていくか』という個人的な闘いぶりにあったんじゃなかったのかということなんです」と言っている。

 そうだろうか。冒頭の文章に続けて、ホールデンは「・・・まず、僕がどこで生まれたとか、チャチな幼年時代はどんなだったのかとか、僕が生まれる前に両親は何をやっていたのか、とかそういった《デーヴィッド・カパーフィールド》式のくだんないことから聞きたがるかもしれないけどさ、実を言うと僕はそんなことはしゃべりたくないんだな」と宣言している。その通り、ホールデンはペンシーを脱け出してフィービーを回転木馬に乗せ雨にうたれるまでの三日間の出来事だけを語るのだ。語りの最後に「大勢の人に話したのを、後悔してるんだ」とあるから、D.Bだけでなく、その他複数の人間に語ったのだ。「内面的葛藤」を多数の人間に語ってその語りが小説になることがあるだろうか。

 対談はこの小説のあちこちをつつきながらいくつかの謎を見出すのだが、なんだかボタンの掛け違い、という感じがする。ここでは一番大きいボタンをあげておきたい。題名の訳し方である。原題 The  Catcher  in  the  Ryeはいままでの訳では「ライ麦畑でつかまえて」と主語を省いて動詞の連用形で終わるかたちだった。村上訳では「キャッチャー・イン・ザ・ライ」と一見原題に近いように見える。だが、根本的に違っている。原題は「ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ」で定冠詞「ザ」が入るのだ。一般的な「捕まえる人」ではなく「その捕まえる人」なのである。特定の個人を念頭において発語しているのだ。

 そもそもThe  Catcher  in  the Rye という題名のもとになったロバート・バーンズの詩はフィービーの言うとおりIf  a  body  meet  a  body  coming  through  the  rye でこれをIf  a  body  catch  a  body と聞き違えるという設定にどうしても不自然なところがある。フィービーに指摘されて気がつくのだが、その後のホールデンの言葉にも納得できない。広いライ麦畑で子供たちがゲームをしていて、誰かが崖から落ちそうになったら その子をつかまえる、そういうものになりたい、という。ライ麦畑に崖?麦畑に崖があるものだろうか。日本の棚田ではあるまいし。ライ麦畑で遊ぶなら、この詩というか俗謡にあるように「二人でキスした、いいじゃないか」だろう。

 ライ麦畑の捕まえ手になりたいというホールデンを造形したサリンジャーを村上春樹は「イノセンスというものを守護しようと、一人で立ち上がった」と言う。と言いながらイノセンス自体は読者にとってもはやキー・ポイントではないとする。その理由も二人の対談の中で説明されるが、なんだかわかったようなわからないような感じである。だいたいアメリカ文学を語る三つの大きななテーマがあるようで、イノセンスとイニシエイションと大脱出である、と昔習ったような気がする。そのどれかを用いれば何かを言ったような格好がつくから、学生時代の私なら嬉々としてレポートを書いたかもしれないが、齢?十歳をこえてそういう作業をする気はない。それは源氏物語を語るのに貴種流離譚等のモチーフをもちだして何かを語った気になるのと同じである。

 話が横道にそれたが、この対談の最後は「イノセンスから愛へ」という小見出しで締めくくられる。「愛へ」となっているが、結論は「ホールデンは優しさをもっているけれど、誰かを真剣には愛さない」ということで「変動的相対性の海の中にいるというか、普遍的な足場を持たない少年の話なんだけど、それが社会的に許される時期というのは、精神的にはかなりきついけれども、この時期しかないんです」ということになる。?ずいぶんいろいろなことを言ってきてこの結論?まぁ、「一人の男の子の内面的葛藤」とか「自己存在」という言葉で作品分析をすれば、こういう結論になるのだろう。私には同語反復としか思えないが。

 大分辛口の読書感想文になってしまったことにわれながら驚いています。最後にこの本を読んで大変参考になったことを一つ書き留めておきたいと思います。それは、対談に先立つ部分「ライ麦畑の翻訳者たち  まえがきにかえて」という村上さんの文章の中に、サリンジャーのアメリカ本国のエージェントから訳者がいっさい解説をつけてはならない、という通知がきてせっかく書いた解説をはずした、とあることです。テキストはテキストとして読まれなければならない、ということでしょう。大変貴重な情報でした。村上さんどうもありがとうございました。

 不出来なしかも高名なお二人に対して大変失礼な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年4月3日水曜日

『ライ麦畑でつかまえて』____アントリーニ先生とは何か

 黒衣の美女サリー・ヘイズとの惨憺たるデイトのあと、ホールデンはかつてフートンの先輩だったカール・ルースと会う。なぜか夜十時という時間に現れてさっさと帰ってしまったこのルースのことも、それから順序は前後するが、グランド・セントラル・ステーションでホールデンと朝食をともにしながらシェークスピアの話をした尼さんのこと、またペンシーの学友二人アクリーとストラドレーターについても書かなければならないのだが、いまはまず、アントリーニ先生について考えてみたい。ホールデンは三日間の逃避行?の最初と最後に「先生」と名のつく人に会うのである。

 妹のフィービーに会いたくて、ホールデンは自宅マンションにしのび込む。だが、そこで夜を明かすことはできないので、かつてエレクトン・ヒルズで英語を教わったアントリーニ先生に電話して泊めてもらうことにする。まだ若い先生にはリリアンという六十くらい(!)年上の大金持ちの奥さんがいて、二人の仲はうまくいっているようだが、不思議なことにこの夫婦は同時に同じ部屋にいることがないので、いつも大声で叫びあっている。この夜も先生の方はハイボール片手にバスロープ姿で現れたが、奥さんは「ホールデン、ちょっとでもあたしを見ちゃだめよ。ひどい格好なんだから」と言って姿を隠そうとする。折りしも「バッファローから来た女房の友だち仲間」とパーティをしていた後で、あたり一面散らかり放題のようである。

 アントリオーニ先生は「僕がこれまで接した中で一番いい先生だった」とホールデンはいう。ホールデンがエレクトン・ヒルズをやめた後も彼の様子を見に家を訪れて食事をともにしたり、ホールデンの方が先生の家に行ったりしていた。この夜ホールデンは極度の体調不良で早く休みたかったのだが、酩酊状態の先生は熱っぽく語ってやまない。

 先生はホールデンが「どこまでも堕ちて行くだけ」の「特殊な堕落」「恐ろしい堕落」に向かって進んでいると言う。彼が「きわめて愚劣なことのために、なんらかの形で高貴な死に方をしようとしていることが」はっきりと見える、というのだ。そして、ウィルヘルム・シュテーケルという精神分析の学者の言葉「未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある」を書いた紙をホールデンに渡す。

 さらに先生は学校教育について説き始める。ホールデンは遠からず自分の進むべき道をみつけださずにはいられない。そのときは直ちに学校に入らなければならない、というのだ。そこで自分と同じような経験をして同じような悩みを悩んだ先人の記録に学び、自らもその経験を人に与えることが出来れば、それは「美しい相互援助」というものであり、「こいつは教育じゃない。歴史だよ。詩だよ」と興奮してとどまるところを知らないかのようである。ホールデンのほうは何故か急に眠たくなってあくびをかみころしていたが、先生が「学校教育を続けていけば『自分の頭のサイズ』がわかりかけてくる」というくだりまで話したところでついにあくびをしてしまう。ようやく先生の演説が終わり、ホールデンは窮屈なベッドに身を横たえる。

 出来事が起こったのはその後である。あっという間に眠り込んでしまったホールデンだったが、誰か手で頭をさわったのに気がついて突然目を覚ましてしまう。アントリーニ先生が床に坐ってホールデンの頭を愛撫していたようなのだ。ホールデンは「一千フィートばかしも跳び上がった」。そしてなんとか身支度を整えると、どうしても見つからないネクタイはしないまま、先生の部屋から逃げ出したのである。

 ホールデンはどうしてそんなに怯えたのだろうか。信頼していた先生が同性愛者だったとしても、「身体が気違いみたいに震えて」汗びっしょりになるほど恐ろしい体験だろうか。こういうことは「子供の頃から二十回ほど」も繰り返した、というが二十回繰り返してもなお「がまんができない」体験?それにしては、前述のカール・ルースとの会話で、ホールデンはルースの性生活について同性愛も含めて話題にしているが、その話ぶりは執拗で、異常といってもいいくらいな執拗さに違和感を覚えるほどだ。話題にすることと実際に体験することとはまったく違うのだろうか?

 アントリーニ先生とホールデンの会話はほとんど先生が一方的に熱弁を振るって高邁な教育論を語るのだが、妙に具体的でトーンの異なる箇所がいくつかある。その一つはホールデンが話題にした《弁論表現》の授業について、本題と無関係なことを言って《脱線!》とどなられてばかりいた生徒をホールデンが擁護する場面である。気が小さくて唇のふるえがとまらないこの生徒はいつもこの課目で《Dの上》だったが、あるとき父親が買った農場のことを話していて、途中で彼のおじさんが四十二のときに小児麻痺になったことを興奮して話だした、というのである。それに対してクラスの他の生徒たちは《脱線!》を浴びせかけるが、ホールデンはそのまま話さしてやるべきで、しょっちゅう「統一しろ」「簡潔にしろ」とばかり言う担当の教師も他の生徒たちも間違っているという立場なのだ。彼自身は《弁論表現》の評価は《F》だったという。

 もうひとつ微妙にトーンの異なる箇所があって、それはアントリーニ先生が、ホールデンは「恐ろしい堕落の淵に向かって進んでいる」という話題を持ち出した部分である。その「堕落の種類」について先生が説明するのだが、その「種類」がちょっと不思議なのである。「君が三十くらいになったとき、どっかのバーに坐り込んでいて、大学時代にフットボールをやっていたような様子をした男が入って来るたんびに憎悪をもやす」というような堕落、あるいは「『それはあいつとおれの間の秘密でね』といった言葉遣いをする奴に顔をしかめるぐらいの教育しかない人間」になってしまうような堕落、さらに「身近にいる速記者に向かってクリップを投げつけるような人間になってしまう」ような堕落と三つの例を挙げるのだが、これらはそんなに「恐ろしい堕落」なのだろうか。この後に抽象的で高邁な教育論が続くので、この部分が際立って異質なものに見えるのである。

 それから、これは日本語訳の問題かもしれないのだが、アントリーニ先生が「自分の頭のサイズ」はいくつか、という箇所について、原文はWhat  size mind you have となっていることに少し引っかかるものを感じてしまう。訳者の野崎さんはこの部分 mind という単語をすべて「頭」と訳していて、ある意味それは名訳だと思うのだが、mind という単語は普通は「心」とか「気持ち」というような感性的なニュアンスの日本語に訳すのではないか?私自身は野崎さんがこの訳語を使ってくれたおかげで随分いろいろなことが見えてきたような気がするのだが。

 
 アントリーニ先生に関して、まだいくつか考えなければならないことがあって、そのひとつが奥さんの名前についての疑問である。奥さんの名前は「リリアン」というのだが、ホールデンの兄D.Bが昔つきあっていた女の名前と同じなのだ。これは偶然なのだろうか。作品の中で違う人間に同じ名前をつけることがあるものだろうか。

 アントリーニ先生については、もしかしたらスペンサー先生より謎の部分が多くあるのかもしれません。とりあえず途中経過の報告です。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年3月21日木曜日

「対エスキモー戦争の前夜」と「美女と野獣」について再び___主人公は誰か

 『ライ麦畑でつかまえて』の続きを書かなければ、と思うのだが、その前にコクトーの「美女と野獣」についてもう一度見直さなければいけないような気がしてならない。映画「美女と野獣」の主人公は誰なのか?

 「美女と野獣」というタイトルなのだから、「美女」と「野獣」の両方が主人公であって何の疑問の余地もない、というのが常識的な答えだろう。だがコクトーはこの映画を美女と野獣との「二人の愛の物語」にはしなかった。アヴナンという男を登場させて、ベルを挟んだ「三角関係の愛の物語」にしたのである。王子の姿に戻った野獣がベルに「(アヴナンを)愛していたのか?」と訊ね、ベルが「ウィ」と答え、「では野獣は(愛していたのか)?」と聞かれると、これにもベルが「ウィ」と答えるシーンがある。そして王子がベルのことを「変わった娘だ」というくだりになるのは前回書いた通りである。

 今回気がついたのは、この前に王子が「人を野獣に変えるのも愛」「醜い男を美しく変えるのも愛」と言っていることである。この「愛」という抽象的な言葉は具体的には美女の「ベル」ということだろう。「ベル」こそが自分に想いをよせるアヴナンを野獣に変え、その「愛に満ちた眼差し」で野獣として死んだ王子を蘇らせたのだから。言い換えればベルはアヴナンと野獣(王子)の二人を操ったのではないか。主人公は「美女と野獣」の二人ではなく、「美女」ベルその人なのではないか。映画の中で何度も繰り返される「ベェ~ル」という言葉が、言葉そのものとしてというより独特の響きをもった音声としていつまでも耳に残る。

 美女ベルが二人の男を操った、は言いすぎだとしても二人の男が美女ベルを仲介させて、一方は死に、一方は蘇ったというプロットを「対エスキモー戦争の前夜」と重ね合わせてみると、どんなものが見えてくるだろう?いうまでもなくこちらの主人公はジニー・マノックスである。このほうが分かりやすい、というよりむしろ誰も疑念はいだかないだろう。フランクリンが野獣でエリックがアヴナン、という図式をあてはめることもたぶん間違っていない、と思われる。問題はその次である。「対エスキモー戦争」でアヴナンのエリックは死んで、野獣のフランクリンは蘇って王子となり、ベルのジニーとともに「私(王子)の支配する国」に旅立ったのだろうか?むくむくと湧き上がる雲に乗って。

 映画「美女と野獣」については、この他にもいくつか書かなければならないことがあって、「対エスキモー戦争の前夜」という作品を考えるにあたって大事なことなのだが、長くなるのでそれはまたの機会にしたい。今回はそのテーマを二つだけあげておきたい。ひとつは、サリンジャーが作中エリックに「あの映画だけは開演に間に合うように行かなくっちゃ。そうしないと魅力が台無しになっちまうもん」と言わせていること。観客は幕が上がる前から画面に注目することを要求されているのだ。最初からワンカットも見逃さないでほしい、といっているのが何故か、ということである。
もうひとつは野獣のバラに対するこだわりである。何故こだわるか、ではなく、こだわっているという事実そのものについて考えてみたいと思っている。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。



2013年3月6日水曜日

『ライ麦畑でつかまえて』___サリー・ヘイズとは何か

 ジェーン・ギャラハーとならぶこの小説の重要人物であるサリー・ヘイズについて、なかなか書けませんでした。書くことがないわけではなかったのですが、相変わらずの身辺雑事に追われていた、というのは言い訳で、サリー・ヘイズに関しては、スペンサー先生やジェーン・ギャラハーに比べてもう一つ魅力的な謎が見出せなかったからかもしれません。謎がないわけではないのですが、何故かどうしても書きたいと突っ込んでいく動機づけが自分自身のなかで作り出せなかった。
ひとつには、サリー・ヘイズがあまりにも見事に、具体的に描写されていて、彼女とのからみの部分はごく普通の通俗小説として読めてしまうからかもしれません。もしかしたら、というよりたぶんそれがサリンジャーの巧妙に隠されたねらいだったのでしょう。

  ペンシーを脱け出したホールデンはいかがわしいホテルでサニーという若い娼婦を買うことになるのだが、うまく事が果たせない。それどころか、たった五ドルを惜しんだために、エレベーターボーイで客引きのモーリスという男に痛めつけられてしまう。一夜を散々な目にあって過ごしたホールデンは、サリー・ヘイズという少女に電話してデイトの約束をする。彼女から二週間前に手紙をもらっていたという。サリーのことは「あまり好きじゃないんだけど、何年も前からのつき合い」で「舞台や戯曲や文学やなんかのことをすごくいっぱい知ってた」ので頭のいい娘だと思っていたが、どうもそうではないらしい。

 
 約束の時刻より十分遅れてサリーはやってきた。黒のオーバーに黒のベレーという黒づくめの服装で現れたサリーを見て、ホールデンは一瞬彼女との結婚を考えてしまう。彼女はとびきりの美人なのである。そして、そのことを彼女自身よく知っている。美人で家はお金持ちで知識だけは詰め込んでくれる学校に行っている女の子が通俗的でなかったら天と地がひっくり返ってしまう。だから、最初はタクシーのなかで「盛大な抱擁」を交わした二人だったけれど、ほんとうに心が通い合うはずもなかった。ホールデン自身それを望んでいたわけでもなかったと思われるのだが。

 
 「どちらかといえば、つまんないみたい」な芝居を見ていた二人だったが、幕間にサリーが以前パーティで会ったという男を見つけて、彼と会話を始めたあたりから雰囲気は次第に険悪になる。インテリぶってエリート意識丸出しの男の風体も話し方もホールデンは気に入らない。まぁ、どんな男だろうがデイトに割り込んできた男を気に入るはずはないが。いやホールデンが気に入らないのは、次から次へ共通の知人と土地の名前をくりだして男との会話に夢中のサリーのほうだったかもしれない。

 「二ブロックほども僕たちについて歩いて」きた男だったが、最後は二人と別れた。ホールデンはサリーをそのまま家に送るつもりだったが、彼女の提案でラジオ・シテイにアイス・スケートをしに行くことにする。サリーは、ラジオ・シテイで貸してくれるスケート用の短いスカートをはいた姿を見せびらかしたかったのだ。それはたしかに魅力的なスタイルだったが、悲劇的だったのは、二人ともスケートが際立って下手で、他のお客のさらしものになってしまったことである。滑るのはやめてバーで休むことにした二人だったが、ここでの会話が二人の間に横たわる溝を決定的にしてしまう。

 「何もかもたくさんだっていう気持ち」「こっちでなんか手を打たないと、何もかもつまんなくなってしまいそうだだっていう、そんな不安」を訴えるホールデンにたいして、サリーは通り一遍の受け答えしかしない。自らをとりまく現実のすべてを嫌悪するホールデンは、サリーに一緒にニュー・ヨークから脱出しようと誘う。いますぐ、とび出して「小川が流れてたりなんかするところに住」んで、冬は自分で薪割りをするような生活をしようと語るホールデンだが、サリーは一顧だにしない。ごく常識的に、そういう生活は大学を出てからすればいい、と言うのだ。ついにホールデンは「正直いって僕は、君と会ってるとケツがむずむずするんだ」というセリフをはいて、彼女を泣かせてしまう。さらに悪いことに、泣きだした彼女に必死で謝っていたホールデンだったが、突然大声で笑いだしてしまったのである。もう、こうなっては万事休す、だ。デートは最悪の結果に終わったのである。

 そもそもサリーはホールデンが嫌悪するような生活を嫌がるどころか大好きな人間のように見える。ホールデンも彼女がそういう人間であることをよく知っていた。それなのに、どうしてデイトに誘ったのだろう。というより、そんな彼女と何年間もつき合ってきたのはどんな事情があるのだろうか。ホールデンはサリーの父親と知りあいのようだから、家族ぐるみのつき合いだろうか。サリーがホールデンにクリスマス・イヴにツリーの飾りつけに来てくれるかどうかを突然聞き出すくだりがある。二週間前に彼女が書いた手紙というのも、そのことに関するものだったのかもしれない。それにたいしてホールデンも手紙を書いて行くと返事をしたと言っている。いったんサリーと別れた後、酔っ払ったホールデンは深夜彼女の家に電話して、しつこいほどイヴに飾りつけに行くと繰り返す。クリスマス・イヴにツリーの飾りつけをするため他所の家を訪問することにどんな意味があるのだろうか。

 
 喧嘩別れになったけれど、ホールデンはまたサリーに会うのだろう。何年もそうやってつき合ってきたのだろうから。なんだか十代の少年少女の他愛ない恋愛ごっこというよりも大人の男女のくされ縁といった趣があるのも不思議なことである。

 出来事の上っ面をなぞっただけの不出来な文章です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年2月6日水曜日

「ちびくろサンボ」を考える___サリンジャーとちびくろサンボ

 一昔前、たぶんバブルの八十年代後半だったと思うが、「ちびくろサンボ」が差別かどうかで議論が沸騰したことがあった。「ちびくろサンボ」だけでなく、他の作品も、というより言葉そのものが差別かどうかで議論の対象になり、いくつかの言葉が「言葉狩り」の対象になった。単刀直入にそのものを示すやまとことばはおおっぴらに使うことが躊躇われるようになって、それは今でも続いている。「めくら」は「視覚障害」、「つんぼ」は「聴覚障害」と言い換えられるようになった。いや、「障害『者』」と言う言葉さえも直接当事者に向かって発するには勇気を要する。だが、言葉はそもそも「モノ」や「コト」を他と区別する機能をもつものだ。そのものズバリのやまとことばが差別語であるとして、漢語を使ったまわりくどい表現ならよしとする風潮はおかしい。

 「差別語」を使わなければ差別がなくなるわけではない。八十年代後半から今にいたるまで差別は一層深刻になり、「格差」あるいは「格差社会」と言う言葉が発明された。「格差」は抽象的表現で、内実は「貧富の差」「弱肉強食の徹底」である。

 さて「ちびくろサンボ」に戻ろう。差別か否かだけが議論の対象となったこの作品は謎に満ちている。サリンジャーの小説がどれも謎にみちているように。サリンジャーは『ナイン・ストーリーズ』の巻頭「バナナ魚には理想的な日」の中にこの作品を登場させる。主人公シーモアがシビル・カーペンターという少女と浜辺で会話している。シーモアは少女にどこから来たのか訊ねる。最初は知らない、と言った少女がシーモアの誘導に「コネティカット州ホヮーリーウッド」と答えた後、突然「あんた、『ちびくろサンボ』読んだ?」とシーモアに聞く。その後の会話がちょっと不思議なのである。自分も昨夜読み終えたばかりだ、と答えるシーモアは木の周りをぐるぐる回る虎のことを「あんなにたくさんの虎、見たことない」と言う。それにたいしてシビルは「たった六匹よ」とかえす。

 よく知られているように、原作に登場する虎は四匹である。なぜシビルは「たった六匹よ」と言ったのだろう。それに対してシーモアは「きみは六匹をたったって言うの」と返して、頭数を訂正するわけでもない。この後シビルは「六本」のバナナをくわえているバナナ魚を見つけた、と書かれているので、「六」という数字は何か意味があるのだろう。だが、わざわざ登場する虎の頭数を変えてまで「ちびくろサンボ」を登場させたのは何故か。

 「ちびくろサンボ」は19世紀末に軍医の夫とともにインドで生活したバナーマン夫人が自分の娘たちのために書いた童話であるとされている。チベットの民話が元になっているとも言われるが詳ししい由来は知らない。私自身も岩波版の「ちびくろサンボ」を自分の子どものために買って読み聞かせた覚えがある。お母さんのマンボに赤い上着と青いズボンを作ってもらい、お父さんのジャンボに紫の靴と緑色の傘を市場で買ってもらったサンボは竹やぶの中に出かけて、順々に現れた四匹の虎に命と引き換えにみんな取られてしまう。四匹の虎はそれぞれ自分の獲物を自慢し、自分が一番強いと言って、けんかを始める。相手の尻尾を嚙もうとしてぐるぐる回り始めた虎は、そのうち溶けて「ギー」というバターになってしまう。裸で木の上から見ていたサンボはそのギーを家に持ち帰ってお母さんにホットケーキを作ってもらって、お母さんのマンボが27枚、お父さんのジャンボが55枚、サンボは169枚食べました、というお話である。

 童話なのでつじつまが合わないことがあるのは当然だが、それでも不思議なことがいくつもあるお話だと思う。まず、上から下まで新調の衣服を身に着けてご機嫌なサンボはどうして虎が出てくるような危険な竹やぶに入っていったのか。竹やぶで緑色の傘をさすのはなんの必要があってのことか。赤、青、紫、緑、(+虎の黄色、茶色)と色が特定されているのはなにか意味があるのだろうか。それから、最初に虎に出会って赤い上着を取られた、という怖ろしい体験をしたのに、どうしてすぐ家に逃げ帰らなかったのか。一方虎の方も、サンボが身につけていた品物は虎にとってはそれこそ無用の長物なのに、何故そんなものをサンボの命と引き換えに受け取ったのだろう。およそ実用的な価値がない物なのに、それを所有していることで一番の権威を持つことが出来ると考えているようだ。挙句の果ては権力争い?をして自らの体を溶かしてしまうとは。

 結末も不思議である。虎のギーで作ったホットケーキをそれぞれが食べた枚数が「27枚」「55枚」「169枚」と具体的に数字を挙げて語られている。荒唐無稽なお話だからあまり意味はないのかもしれないが、なんとなく印象的な数字である。

 と、ここまであらすじをたどってきても、サリンジャーが何故「ちびくろサンボ」を「バナナ魚には理想的な日」に登場させたのかよくわからない。童話を深読みしてもよくないのかもしれないが、謎解きのためのヒントはいくつか見つけたよう気がする。古今東西民話の中に登場する動物は現地住民のメタファーであるということ。虎とは何か?サンボ一家は何人か?ジャンボ、マンボ、サンボ、という名前は少なくとも白人ではないだろう。でも虎ではないのだから現地住民でもないだろう。近代的な衣類を身につけ、ホットケーキを食べる習慣があるので、生活様式は文明人だろう。また、・・・とこれ以上書くと子どもの夢を壊す、と叱られそうである。

 さて、「きみは六匹をたったって言うの?」とシーモアに聞かれたシビルはそれには答えず「あんた、蠟(原文はwax〉は好き?」とシーモアにたずね、この後二人はバナナ魚を探しに海に入って行く。謎に満ちた展開はまだまだ続くのだが、シビルとシーモアは「ちびくろサンボ」を仲介させて何事かを了解し合ったように思われる。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。

2013年1月31日木曜日

対エスキモー戦争の前夜」と「美女と野獣」____サリンジャーとコクトー

 「対エスキモー戦争の前夜」の中で「あれこそまさに醇乎たる天才だね」と作中人物に賞讃される映画「美女と野獣」について、もう一度考えてみたい。サリンジャーは「美女と野獣」のどこに「醇乎たる天才」を見いだしたのか。美しいモノクロの画面の中でくり広げられる物語は荒唐無稽なお伽話のようでありながら、細部の心理描写にリアルなものがあり、ストーリーの展開が緊密で無駄がない。だが、サリンジャーは、たんにそのような映画的完成度にたいして「醇乎たる天才」と言ったのだろうか。

 映画「美女と野獣」はジャン・コクト-が1946年に製作した作品であるが、ボーモン夫人による同名の小説と異なっているのは、原作にはないアブナンという人物を登場させている点である。アブナンは主人公の美女ベルの兄の友人であり、ベルに想いを寄せている。彼はぐうたらで生活力もないが、ベルの身を案じる気持ちに偽りはなく、そのために野獣を殺してその財宝を奪おうとする。欲に目がくらんだベルの姉たちがベルから盗んだ「ディアナ館」という宝物殿の鍵を渡され、野獣の館に向かったアブナンは、ディアナ館を見つけるが、「罠があるかもしれない」と言って屋根を壊して侵入しようとして、ディアナの彫像に射殺されてしまう。

 一方野獣はベルに去られて寂しさのあまり瀕死の状態で庭園の中で横たわっている。そして、駆けつけたベルの必死の呼びかけにもこたえることは出来ず、ほんとうに死んでしまう。だが、たぶんここが原作と決定的に異なっている部分だと思うのだが、野獣はアブナンが死ぬのと同時に生き返り、しかも美しい王子の姿ですっくと立ち上がるのである。そしてアブナンの死骸は野獣のむくろとなっていくのだ。つまり、アブナンの死が野獣を再生させたのだ。

 美しい王子の姿でよみがえった野獣にベルは「あなたは誰かに似ている」と言う。「その男を愛していたのか」と聞く王子にベルは「はい」と答え、「では野獣は(愛していたのか)」と聞かれるとこれにも「はい」とこたえる。?ベルは誰を愛していたのか?父親思いで働き者の純情な乙女が恋愛巧者の熟女に変身してしまったのか?なんとも不思議な場面で、王子となった野獣も「変わった娘だ」と言うのである。「(私がアブナンと)似ていては嫌か」とたずねる王子にベルは「嫌よ」とはぐらかしながら「うそです」と答える。なんとも堂々としたお手並みである。

 最後は定石通り二人で王子の国へと旅立つ。むくむくと湧き上がる雲の上を飛んでいって、めでたしめでたし、となってそれなりのカタルシスも味わえる結末である。ときにあまりにもリアルな心理描写に微かな違和感を覚えることはあっても、よくできたお伽話として受け止めてさしつかえないように思うのだが、はたしてそれでよいのだろうか。

 コクトーはこの映画の構想を第二次大戦中の1944年1月からもっていて、いったん挫折を余儀なくされながら、翌1945年8月に製作を開始する。当時コクトーは極度に健康状態が悪く、満身創痍で製作に打ち込んだ。また特筆すべきは、新進のドキュメンタリー作家として台頭してきたルネ・クレマンを、彼が対独レジスタンスの映画「鉄路の闘い」の撮影中であるにもかかわらず、「美女と野獣」の技術担当として引き抜いてしまったことである。「鉄路の闘い」は、最後にナチスの軍用列車が線路を爆破されて脱線するクライマックスシーンを残すのみであったという。執念ともいうべきコクトーの思いをこめたこの映画は、いったい何を伝えるのか。そしてサリンジャーは何を受け止めてこの映画を「醇乎たる天才」と賞讃したのだろうか。
 

 
 このブログを書くにあたって、松田和之氏の「ルネ・クレマンとジャン・コクトー。__映画『美女と野獣』小考__」(福井大学教育地域科学部紀要Ⅰより)を参考にさせていただきました。松田先生に厚く御礼申し上げます。

 
 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年1月14日月曜日

サリンジャーと雪

 身辺雑事はだいぶかたづいたのですが、原文講読も書くことも遅々としてはかどりません。能力の限界を感じています。と泣き言を言っても何もならないし、たまたま今日は雪が降っているので、本筋とあまり関係がないかもしれないのですが、「サリンジャーと雪」について少しだけ書いてみたいと思います。

 『ライ麦畑でつかまえて』は「十二月かなんかでさ、魔女の乳首みたいにつめたかった」土曜日の午後から始まる。何日かは特定されないが、クリスマス休暇間近の三日間の出来事である。土曜の夜、寮のディナーを済ませて食堂を出ると雪が降っている。ホールデンは寮に残っていた学生たちと一緒に雪投げをしたりしてはしゃぐ。毎日雪に降り込められる地方の人以外には、雪は古今東西時空を越えて心を浮きたたせるものらしい。ところでちょっと不思議なのはその後のホールデンの行動である。

 ホールデンは窓をあけて素手で雪球を握り、外の物にぶつけようとする。まず道路の向こう側に止まっていた車に、それから消火栓に。だが、そのどちらもあまりに「白くてきれい」なので、何にもぶつけずそのまま握っていて、ルームメイト二人と外出してバスの中でも持っている。さすがに運転手にドアをあけて捨てさせられたのだが。「雪球」を長時間(といっても数十分だろうけれど)握っていても溶けないことがあるのだろうか。

 『ライ麦畑でつかまえて』に雪が降るのはこの場面だけである。太陽は姿を見せないが、雪はもう降らない。冷たく陰鬱なニューヨークの空の下、ホールデンはさまざまな体験を重ねていく。そして最後に妹のフィービーを回転木馬にのせるところでこの物語は終わるのだが、ここでは、雨が降ってくるのだ。冬のさなかなのに真夏のような土砂降りの雨が降りだすのである。

 サリンジャーの作品ではこのほかに『ナイイン・ストーリーズ』中の「コネティカットのひょこひょこおじさん」にも雪が登場し、しかも重要な役割を果たす。大学時代の友人エロイーズを訪れたメアリ・ジェーンは雪に降り込められてエロイーズの家で足止めをくってしまう。そしてメアリ・ジェーンの車が移動できないことを口実にエロイーズは夫のルーを迎えに行くことを断る。だが、メイドのグレースの亭主は雪の中に追い出すのである。エロイーズの娘ラモーナが雪道で履くオーヴァーシューズを脱がすのに一騒動あったりもする。この小説で雪は重要な小道具、と言うより作品自体を成り立たせるためのひとつの劇場空間といった趣がある。エロイーズとメアリ・ジェーンの共通の知人、癌で死んだ先生の名が「ホワイティング先生」というのも偶然だろうか。

 書いているうちに雪は雨に変わってしまったようです。終の棲家に、と昨年11月に越してきたこの地は、連日氷点下7~8度の寒さです。関東地方の内陸部としては異常ともいえる寒さで、今年が特別でありますように、と願っています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。