2017年5月10日水曜日

『紙屋悦子の青春』その3_______そして海ヘ___マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや

 以前「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」の歌を「寺山修司の世界」とサブタイトルをつけて取り上げたことがあった。そこで私は決定的な間違いをしていたと思う。

 「マッチ擦るつかのま海に霧深し」の上句五・七・五と
 「身捨つるほどの祖国はありや」下句七・七
の間に断絶があるとして、この歌に俳句的要素をみていたのである。そうではなかったのだ。「つかのま海に霧深し」の「海」は『紙屋悦子の青春』の海なのだ。この映画に一シーンだけ現れる海こそ寺山修司の海だ。寺山修司の海の歌の上句と下句の間に断絶などない。一直線の慟哭があるのみだ。慟哭というより憤りかもしれない。それがわからなかったのは、ひとえに私に経験がなくて、浅薄だったからである。


  『紙屋悦子の青春』の冒頭に現れるすすきは海に沈んだ明石の墓標である。いや、明石だけではない。桜の木を囲むすすきの群れは戦争で「ようけ死んで」いった兵士たちの幽明次元を異にした姿だろう。映画の最初に現れる「公園の桜の木」の下に敷き詰められた落ち葉は無数に死んでいった名もない庶民の姿だろう。「誰もかれも死んで」しまったのだ。それでは、この映画は「昔昔のこと」をふりかえったレクレイムなのだろうか。


 そうではないだろう。画面はあまりにも寓意に満ち満ちている。頻繁に登場する十字架に見える電柱。その手前の階段を上って下りてくる二人の兵士、茫々としたすすきに囲まれる桜の木、桜の木がシンボル・ツリーのように置かれた紙屋家。一回だけ現れる月__雲が流れていくのか、回転しているように見える。


 プロットもまた平凡な日常の流れのようでありながら、どこかおかしい。悦子の両親が「帝都の空襲に会われて」死んでまだ二十日なのに「お見合い」の話がもちこまれるだろうか。そもそも両親はなぜ二人そろって鹿児島から東京に行ったのだろう。安忠のことばにあるように「いまは非常時」なのに。


 お見合いの席に「おはぎ」というのもどうだろうか。「おはぎ」は一般にはお彼岸に食べるものである。あるいは四十九日忌明けけに食べるともいわれる。死者を迎え、送る行事の食べ物だろう。兄嫁と二人で「腕によりをかけて作った」おはぎを悦子がなかなか勧めないのも不審である。「静岡いうたら、清水の次郎長ですたい」という永与のことばをきっかけに、明石が「それじゃ、これで」 と席を立とうとすると初めて悦子は「あの、おはぎのあっとです」 というのである。


 最もわざとらしくて違和感があるのは、見合いの時間をまちがえて(?)知らされた悦子が、明石と永与が家に上がっているのを知らずに、外から勝手口に入るときに、漬けもの石につまずく場面である。この石は、ペリマリさんの指摘するように、「躓きの石」だろう。


 これから書くことはすべて私の妄想もしくは狂想である。


 紙屋悦子は「躓いたもの」なのか。十字架の向こうから階段を上がって下りてくる明石と永与は「二人のメシア」ではなくて「二人の悪魔」なのか。悪魔が悦子の青春を買いにきたのか。永与は「俺は悦子さんば貰いに来たとぞ」と明石に言っている。見合いの席だから当たり前といえば当たり前で、さらっと聞き流してしまうのだが。タイトルもまた『紙屋悦子の「「結婚」』ではなくて『紙屋悦子の「青春」』と微妙にズレている。「青春」という言葉の原義は残酷な意味が含まれているとも聞いたことがあるが。明石に気がある悦子が、見合いの当日、早々と「何のとりえもなか。ふつつかもんの私ですけど、どうか、よろしく頼みます」と永与に頭を下げてしまうのも、どこか引っかかるものを感じてしまう。


 桜の木と弁当箱の謎解きは、私などよりはるかに博覧強記の方にお任せしたい。弁当箱についてはペリマリさんがすでに書いているようだ。桜、といえば、『梶井基次郎集』に「櫻の樹の下には」という短編(ほんとうに極短の小説)があって、こう始まっている。

 櫻の樹の下には屍体が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。
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 馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。

紙屋悦子の「ひいおじいちゃん」が植えた桜が何の寓意であるかは、もう、いうまでもないだろうが。

 音声だけ聞こえる「役場の渋谷さん」とセリフがなくて姿だけ現す「郵便配達人」を含めてたった七人しか登場しないこの映画は、役名もまた重要な意味をもっている。「紙屋」という姓は実際に存在し、とくに鹿児島県には相対的に多いようだ。だが、「紙屋」は「かみや」であり「神家」でもあるだろう。あるいは「仮・宮」かもしれない。また、全国に「紙屋」という地名は複数あるが、広島の原爆の爆心地も紙屋町である。偶然かもしれないが。「永与」という姓は見たことも聞いたこともない。劇中、兄嫁のふさが「ながのさん」と言い間違えているくらいだ。「永与」という言葉は中国の詩の中で使われているようだが、残念ながら私には出典がつきとめられない。「明石」という名はさまざまな連想を呼び起こすが、なぜ「明石」は「明石少尉」とあって、ファーストネームが字幕に記されないのだろう。一番不思議なのは、字幕には「看護人」という役名があって、演じる俳優の名も出てくるのに、作品中にはそれらしい人物は現れないのである。DVDを何回見ても見つけられなかった。誰か見つけた人がいたら、教えてください。


 『紙屋悦子の青春』はレクレイムではなくて、予言だろう。ラスト「聞こえました?耳を澄ましてください。波の音の・・・」という悦子の言葉にかぶさる海の音。人気のない病院の屋上で肩を寄せ合って耳を澄ます男と女。この映画の主役は何もかも呑みこみ永劫寄せては返す海だ。昂まる波の音と汽笛は何かの「とき」を告げているのだろう。


 「今日の続きのあっとですか」という女の問いに、男は「う~ん、ずぅ~と続くったい。いつまでてん」と答える。だが、この映画を撮った監督は作品の公開を待たずに急逝してしまった。続編は、もう、ないのだろうか。


 結局最後まで解釈のベクトルさえ見つけられずに終わってしまいました。不思議な透明感のこの映画のすばらしさをうまく伝えられないもどかしさを覚えています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。