2020年4月12日日曜日

折口信夫『死者の書』__反逆者の伝承__藤原仲麻呂を中心に

 前回「南家郎女と水の女」を投稿してから随分と時間が経ってしまった。次は小説としての『死者の書』の「世態風俗」について書いてみたい、としながら果たせないでいる。

 『死者の書』前半は、滋賀津彦と呼ばれる大津皇子と南家郎女の出会いが語られ、その描写は鬼気迫るものがあって、しかも、不思議なリアリティがある。折口でなければ書けない文章であって、口述筆記する折口の息の匂いがつたわってくるような気がする。

 ところが中段になって、大伴家持が登場し、藤原仲麻呂と会話する場面では、木に竹を接いだように、文章の調子ががらりと変わる。藤原京から平城京へ都が変わり、権力闘争が相次ぐ。そのさなかに身を置きながら、流れに乗りきれない自分の内面を確かめようとする家持の視点から、出来事が語られる。だが、『死者の書』中段の主人公は、家持ではなくて、じつは、藤原仲麻呂なのではないか。

 家持が仲麻呂の邸宅に招かれ饗応を受けている。仲麻呂の息子久須麻呂と家持の娘の縁談がもちあがっていたようだから、そのための饗応だったのかもしれない。家持は、十歳年上の仲麻呂の悠揚迫らぬ風格に気おされそうになる。会話はふたりの共通の話題の漢文学から、神隠しにあったという南家郎女の話に及ぶ。春の日長の、何事も起こっていないかのような、平和で満ち足りた光景が展開するのだが、家持は一抹の不安を覚える。恵美屋敷の立派過ぎる庭が、気になるのだ。立派な庭に住んだ貴族の末は滅びてしまう、という。

 高校日本史程度の知識しかない私が七、八世紀の歴史を俄か勉強して、あらためて驚いたのは、近畿地方の狭い地域を中心に、血で血を洗う権力闘争が絶えなかったという事実と、その経緯のむごたらしさが目を覆うばかりであったことである。叔母の光明皇太后の権威を盾に、権力をみずからの手に集中させた藤原仲麻呂は律令体制の施行に驀進する。作品中の家持との会話にも窺われるように、仲麻呂は当代一流の知識人であり教養人であった。『懐風藻』の編者の一人ともいわれている。その仲麻呂が橘奈良麻呂の変に際して行った処罰は苛烈極まるものだった。皇族を含む四百人以上が逮捕され、ほとんどが訊杖という杖で打たれる拷問によって獄死している。家持と仲麻呂の会話は、家持が越中から帰京して八年後と書かれているので、この事件の後という設定になっている。

 光明皇太后の死後、仲麻呂の運命は暗転する。天皇の大権である貨幣鋳造権までも手中にして、政、官、軍の大権を掌握した仲麻呂だが、孝謙上皇に謀反を起こそうとしたとの密告があって、近江に逃れ、越前を目指す。だが、吉備真備を指揮官とする孝謙上皇方の討伐軍に、海、陸両方から攻められた仲麻呂軍は、わずか九日であっけなく敗れる。湖上に船を出して逃れようとした仲麻呂は妻子ともに皆殺しにされるのだ。

 昔見し 舊き堤は年深み 池の渚に 水草生ひにけり

 手入れの行き届き過ぎた庭を目にして危惧する家持の心を読んだかのように、仲麻呂は
古歌を呟く。萬葉集巻三山部赤人が、仲麻呂の祖父不比等の館跡で詠んだ歌 

 いにしへの 古き堤は 年深み 池の渚に 水草生ひにけり

 として知られているものだが、一句目「昔者之」を、折口は「いにしへの」ではなく、「昔見し」と訓んで、仲麻呂に呟かせている。余談ながら、折口は「口訳萬葉集巻三」中の表記も「昔見し」としているので、そう訓むのが正しいと考えていたのだろう。山部赤人にとって、淡海公藤原不比等の館跡はたんに漠然とした「いにしえの古き堤」ではなく、「昔見し舊き堤」だった。ほんの一昔前のことだったかもしれない。赤人はそこが水草の生い繁るがままにまかされていることに時間の推移を見ている。しずかな感動と、たしかな鎮魂の思いが過不足なく表現されていると思う。そしてその思いは、仲麻呂に寄せる折口の思いでもあったのではないか。

 「庭はよくても、滅びた人ばかりはないさ。」と、家持の顔色をよんだ仲麻呂は言ったが、信じ難いほど急転直下の成りゆきで滅亡してしまう。そんなに仲麻呂の権力の基盤は脆かったのだろうか。一方、対話の相手の家持は、相次ぐ政変からあやうく身をかわしながら、仲麻呂の死後二十年以上生き延びている。藤原宿奈麻呂の仲麻呂暗殺計画に加わっていたともいわれるが、罪に問われることはなかった。もっとも、死後に起った藤原種継暗殺事件に関与していたとされ、埋葬を許されなかった、とあるので、名門貴族の氏上でありながら、順風満帆の生涯とは程遠かったようである。

 物語の本筋に直接関係ない家持と仲麻呂の対話は、何故木に竹を接いだように、挿入されたのだろうか。折口はこの後、「たなばたつめ」のモチーフを用いて南家郎女が曼荼羅を織り上げる物語を語る。家持と仲麻呂のその後の消息が語られることは二度とない。「當麻の氏人に縁深いお方が、めでたく世にお上りなされた」と、仲麻呂の庇護のもとにあった大炊王が即位したことを記すのみである。

 折口の「民俗学」は、徹底して「歴史」を語らない。膨大な文献を渉猟して緻密に組み立てられた、むしろ「言語学」に近いもののような気がする。そのこと自体がきわめて政治的であると思う。小津安二郎の映画が日常茶飯に徹して、政治を語らないのと同じように。「歴史」を語らないという禁欲。過去の文献を読み解きながら、文献に書かれた「事実」に触れないという禁欲。その禁欲が、折口を読む者に、いいようのない息苦しさを覚えさせるのではないか。

 それでは『死者の書』の中で、折口は歴史を語っているだろうか。語っているようにも見えるし、そうでないようにも見える。いえることは、折口は、ここではのびやかに書いている、ということだ。大仏開眼に沸く奈良朝の「世態風俗」、家持と仲麻呂の二人の「人情」、それらを折口は楽しみながら書いているように思われる。折口が「民俗学」の中では解放できなかったもの、徹底して禁欲してきたこと、「事実」に触れるということは「小説」の中だからこそなし得たのだと思う。それが「歴史」ではなく、「伝承」の記録というかたちであっても。

 『死者の書』に登場する大津皇子、天若日子、隼別皇子、そしていうまでもなく藤原仲麻呂はみかどに弓引く企てをした反逆者として非業の死を遂げた者たちである。折口は、南家郎女の物語を縦糸に、彼ら反逆者の伝承を横糸にして『死者の書』という曼荼羅を織り上げたのだと思われる。

 『死者の書』については、郎女の見る「俤人」が何故「金髪、白皙」の「色人」なのか、という問題を考えなければならなく、そして、その解についてもある仮説があるのですが、いまは、まだ、まとまったことが書けそうにありません。自分の文章作成能力の乏しさをつくづく 感じています。
 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。