2015年9月28日月曜日

夏目漱石『こゝろ』___いくつかの不思議の妄想的分析その1___「私」は誰でしょう

 大江健三郎の「『水死』を読んでいて、作中重要な要素として引用される漱石の『こゝろ』を読まなければいけないと思った。大江が『こゝろ』を漱石の意図通りに引用しているわけではないのはいうまでもない。むしろ『こゝろ』をどのように戦略的に利用しているのか、が知りたかったのだ。読んでみて、最初に思ったのは、漱石は不思議なことをごく自然にみえるように書いてしまう人だな、ということだった。大江健三郎は不思議なことを不思議、というよりあからさまに「変なこと」として書く人で、「変」を際立たせるのだが。

 近代文学に無知な私は、『こゝろ』を読むにあたって、渡部直己氏の『不敬文学論序説』を参考にしたことを、まずことわっておかなければならない。この小説が、森鴎外の『雁』と同じく、その作中に直接的な関連を疑わせる片言一句を見出させないまま、当時の世相を震撼させた「大逆事件」に呼応して書かれたものである、という渡部氏の論は正確かつ強靭である。私のような小説読みビギナーがこれに付け加えてさらに何をいうことがあろうか、とも思うのだが、氏が、たぶん紙数の制約から、省かざるを得なかったであろう論と論をつなぐ具体的なことがらのいくつかについて考えてみたい。

 『こゝろ』のあらすじについては、いまさら紹介するまでもないだろう。「先生」と呼ばれる人とその親友Kが下宿先の「お嬢さん」をめぐって葛藤する。先生はKの思いを知りながら、先を制してお嬢さんの母親に談判してお嬢さんを貰うことに成功する。Kは自殺し、先生はKの死をひきずりながらお嬢さんとの結婚生活をおくるが、明治天皇とそれに続く乃木大将夫妻の死を追うようにして自殺する。

 以上の事柄が語り手の「私」の一人称で語られ、最後は「先生の遺書」という形式で、事柄の真相が先生の一人称で語られる。第一部「先生と私」と第三部「先生の遺書」が、明治天皇と乃木大将の死、おそらくそれらに続くであろう「私」の父の死を記録する第二部「両親と私」をはさんで、事柄の表裏をなすように構成されている。一見緻密な心理劇のようであり、何の破綻もないようだが、どこか納得できないものが残るのだ。

 まず第一に疑問に思うことは、語り手の「私」は、中立公平な純客観的記録者だろうか、ということである。「私」は何故先生を追いかけるのか、どうして先生に近づこうとしたのか、その動機は最後まで明かされない、というより、小説のなかで問題とされないのである。「私」と先生の出会いは鎌倉の海岸であったが、小説冒頭に置かれる出会いの場面はこう書かれている。

 「私は実に先生をこの雑踏の間に見付け出したのである。」

 「見付け出した」ということは、「私」が意志をもって先生を探していたことを意味する。つまり「私」は先生を「知っていた」のである。面識があったかどうかはわからないが。また、この後も

 「私がすぐ先生を見付け出したのは、先生が一人の西洋人を伴れていたからである。」

 と「見つけ出す」という言葉を繰りかえし使っている。何のために「私」は先生を探していたのか。

 それから、ささやかな疑問だが、先生が鎌倉の海岸で伴れていた「一人の西洋人」と先生の関係はどのようなものだろうか。先生がKを葬った雑司ヶ谷の墓地は外人が多く葬られているようだが、それは、社交の乏しい先生が「一人の西洋人」と一緒にいたところを「私」に発見されたことと関係があるのだろうか。また、先生は何故Kの墓をそのような場所に定めたのだろう。Kの生家は真宗の裕福な寺だった、とあるので「イサベラ何々」だの「神僕ロギン」だのと並んで葬られる、ということにかなり異和感があるのだが。

 「私」は急速に先生と親しくなり、先生の家に出入りして先生の奥さんともことばをかわすようになり、家族の一員であるかのような待遇を受けるようになる。(先生の奥さん_かつての「お嬢さん」については、また回をあらためて考えてみたい。彼女はこの小説の主要人物中ただ一人「静」という固有名詞をあたえられている存在である)そして、先生の人生に翳をおとしているのが、身内に裏切られて財産の多くを失ってしまったという体験であるということを打ち明けられる。注目すべきは「私」が先生のその「談話」に満足せず、隠さず「過去」を教えてほしいと要求するくだりである。

 「私は思想上の問題について、大いなる利益を先生から受けた事を自白する。」(下線は筆者。以下も同じ)

という文章があるが、その後「私」は

 「先生の過去が生み出した思想だから、私は重きを置くのです。二つのものを切り離したら、私にはほとんど価値の無い物になります。私は魂の吹き込まれていない人形を与えられただけで、満足はできないのです」

と、巧妙に先生に迫るのである。そして

 「私の過去を訐いてもですか」

という先生の言葉を引き出し、

 「私は今私の前に坐っているのが、一人の罪人であって、不断から尊敬している先生でないような気がした。先生の顔は蒼かった。」

と記す。ここまで先生を追い込む動機はなんだろうか。「思想上の問題について、大いなる利益を受けたことを自白する。」と書きながら、それがどのような思想であるかについての言及はいっさいなく、ただ「隠すな」と言っているのである。自白だとか罪人だとか、まるで警察か検事の取り調べのような用語の多用は異常である。

 先生と「私」の関係については、その類似性が多くの評者によって指摘されている。資産家の家に生まれたこと、大学教育を受けたこと、それでいて職につかないことなどであるが、私見ではもう二点ある。一つは、上にみたように、ごく親しい他者を執拗に追い詰めることである。「私」が先生を 追い詰めたように、かつては先生がKを追い詰めたのである。そしてもう一つは先生の「奥さん」との関係になるのだが、これについてはもう少し検討して書いてみたい。

 これくらいの名作になると、私が書かなくても誰かが書いているだろうから、とつい怠けて時間ばかり経ってしまいました。『こゝろ』を仕上げないと『水死』にむかえないので、悪戦苦闘しています。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。