2012年7月20日金曜日

「セロひきのゴーシュ」___自虐と他虐の孤独な自画像

これも賢治の代表的な作品である。私は「セロひきのゴーシュ」に二回出会った。最初は遥かな(?)昔、まだ若い母親だったとき、自分の子供に読み聞かせるために絵本を購入した。茂田井武という賢治と同じように夭折した画家の挿絵がついていた。二回目は、それからかなりの月日が経って、子供の勉強をみる仕事をしていたとき、NHK学園という通信制高校の現代文のテキストに採用されていた。教えていた子、といっても十代の後半だから若者といったほうが正確かもしれない。彼の容姿や雰囲気が茂田井画伯の描いたゴーシュに似ているのが、興味深かった。たぶん、偶然ではないと思うのだが。

有名な作品なので、あらすじを紹介するまでもないと思う。ゴーシュという孤独な若者が、コンクールのために一人で深夜まで猛練習をする。そこに、猫とかっこうと狸と野ねずみが訪れる。それぞれの動物との交流を経て、ゴーシュはセロの演奏に上達し、コンクールの本番では、アンコール演奏の指名を受けるまでになる。この作品のテーマとして、芸術による自己昇華あるいは大自然の意志との感応(瀬田貞二氏)を見るのはもちろん正しいし、まずそれを考えなければいけないのだろう。だが、どうしても、私にはそれだけで割り切れない複雑なものが残るのである。「ゴーシュさんは一生懸命練習しました。動物たちもやってきました。それでみんなにほめられる演奏ができました。よかったです」では済まない何かがあって、それがこの作品をいつまでも心に残るものにしているのだ。

この作品を読んで、まず驚くのは、最初に訪れた猫に対するゴーシュの残虐さである。ゴーシュの畑でもいできたトマトを持って、半ば道化を装いながら陣中見舞いにやってきた猫をいたぶって、その舌でマッチをするという行為は尋常ではない。次にぎょっとするのは、一緒にドレミファを練習したかっこうを外に出すためにガラスをけり破って窓を壊す場面である。「のどから血が出るまでは叫ぶ」と言って叫び続け、出口を求めてはガラスにぶつかり血まみれになるかっこうも常軌を逸しているが、それを外に出すために自らも危険を冒すゴーシュがなにより常軌を逸している。

ところで、本題とはあまり関係がないかもしれないのだが、この作品を読んでいつも思うことがある。「町はずれの川ばたにある水車小屋」に「たった一人ですんでいて、午前は小屋のまわりのちいさな畑でトマトの枝を切ったり、甘藍の虫をひろったりして」いるゴーシュとはいったい何だろう。「トマト」や「甘藍」は当時(1920年代後半~30年代前半)一般的に栽培されていたのだろうか。現代でいえば、朽ちかけた廃屋にすんで高級メロンなどを作っているようなものではないか。童話の世界にリアリティを求めることが無理なのかもしれないが、何だか不思議な感じである。もう一ついえば、賢治の童話の登場人物の名前について、賢治の作品には片仮名表記=外国風の名前と、漢字もしくは平仮名表記=日本風の名前との2種類の名前が存在する。そして、それぞれの作品世界には明らかな違いがあると思われる。オツペル、ジョバンニ、グスコープドリの登場する作品世界と、又三郎、小十郎、虔十の登場する作品世界は、同一次元のものではない。前者は現実とは別次元の、もっといえばある種の理想に到達し得る世界として描かれているのではないか。

それでは「セロ引き」の「ゴーシュ」が登場するこの作品世界は理想郷たり得るのだろうか?たしかにゴーシュは演奏を成功させ、楽長に賞賛され認められた。愛らしい狸の子と一緒に演奏して平和に夜を明かすこともできた。そして、野ねずみの子の病気をなおすという奇跡のようなことも起こった。ゴーシュを取り巻く世界は変わったのである。だが、ゴーシュの孤独は変わらなかったのではないか。ゴーシュにほんとうのドレミファを教えたかっこうは永遠に行ってしまったのである。「ああ、かっこう。あの時はすまなかったなあ。おれはおこったんじゃなかったんだ。」という最後のゴーシュの独白は「おいゴーシュ君。君には困るんだなあ。表情ということがまるで、できていない。怒るも喜ぶも感情ということがさっぱり出ないんだ」という楽長の指摘と対をなして、この作品中最も印象的である。怒ったのではなかったのだ。あまりにも孤独で、それゆえ不器用だから、「感情というものが出な」かったのだ。「感情というもの」が「ない」わけでは決してないのに。

「サリンジャーに戻ります」といいながら、また宮沢賢治について書いてしまいました。賢治の作品に関しては、もう一つ「風の又三郎」についても書きたいと思っています。その前に「ド・ドーミエ・スミスの青の時代」について書かなければなりませんが。

今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。