2012年2月28日火曜日

「エズミに捧ぐ」その2___テキストへの信頼性とリアリティ

リアリティとは何か、ということを考えている。私たちが文学作品を読むとき、少なくともそのテキストに書かれていることは、一貫する真実である、という無意識の前提で読んでいる。語りが一人称であれ、三人称であれ、作品の中では「真実」__「事実」ではない__が語られていると信じて最後まで読むのだ。「エズミに捧ぐ」を読んでいて、ある不快ともいうべき違和感をどうしてもぬぐえないのは、その前提が揺らぐからだ。そして、その前提の揺らぎは、サリンジャー自身がそう仕向けたものなのだ。サリンジャーはルール違反ぎりぎりのことをやっている。

 語り手の「私」がこれは回想記ですとことわって始まった小説は、その直後「一九四四年四月」と日時を特定したうえでストーリーを展開する。主人公の「私」は史上最大の上陸作戦といわれた「ノルマンディー作戦」に備えた諜報活動のためにデヴォンシアにいる。この作戦がいかに厳しいものだったかは記録が示す通りである。作戦準備のための演習ですでに七百名以上の死者をだしたともいわれている。訓練の最終日に「私」は激しい雷雨の中「引金を引く指がむずむずするような思いとはおよそ離れた気持ち」で外出する。雷に打たれるのも弾丸に撃たれるのも、どちらも「こちらでどうにかできることではないのだから」という思いで。ここまでは、「この小説」の語り手、そしてサリンジャーが文字に定着させたリアリティーを疑わせるものは何ひとつない。異常を日常として生きる人間の孤独な姿が浮かび上がってくる。

 場面はその後「町の中心部__町の中でもおそらく、ここが一番ひどい雨に見舞われているらしかった」教会の中に移る。そこで子供たちが練習している聖歌の響きに「私」は感動する。中でも、際立った声でみんなをリードしている「少女に「私」は目をとめる。その少女が、弟と家庭教師らしき婦人とともに、一足先に教会を出た「私」が立ち寄った喫茶店に入ってきて、「私」と言葉をかわす。リアリティはこのあたりから微妙にゆらぎだすのだ。

  喫茶店の中での三人の会話にも行動にも不自然なところはない。あどけないがやんちゃなチャールズと、彼をたしなめながら、自分たちの身の上を「私」に語るエズミ、少し緊張しながらも彼女の言葉にこたえる「私」のやり取りが一人称で書かれる。ここで少し違和感を覚えるのは、エズミとチャールズの言葉が直接話法で書かれるのに、「私」の言葉は短い応答の言葉がいくつか直接話法で書かれるが、ほとんどが間接話法で記されていることだ。「私」は用心深く背景に退いて、小さな貴婦人のエズミと小さな暴君のチャールズの姿が鮮明に浮かび上がってくる。キャンベル・タータンの服を着て、雨に濡れた美しい金髪をしきりに気にしながら、大人びた言葉づかいで「私」と会話するエズミと、「「ひとつの壁が隣の壁になんて言ったか」という謎謎を繰り返してエズミと「私」の会話に割り込んでくるチャールズの様子は具体的すぎるくらい具体的に語られる。いま目の前に二人がいるような気分になるほど、生き生きとした描写が続く。

 リアリティがゆらぎだすのは、自己紹介を終えたエズミが、「わたしのために」「愛と汚辱の短編」を書いてほしいと頼むあたりからだ。「十三歳くらい」の少女エズミがなぜ「わたし、汚辱ってものにすごく興味があるの」と言うのか。そしてなぜ「お身体の機能がそっくりそのままでご帰還なさいますように」と、ある種不気味な言葉を別れの挨拶にしたのか。やんちゃなチャールズは帰り際なぜ「片方の肢がもう一方のより数インチも短い人みたいに、ひどいびっこを引きながら歩いてゆく」と描写されるのか。エズミとは何ものなのか?チャールズとは?また、「私」の前歯に真っ黒な詰め物がしてある、という記述が繰り返されるのも異様である。

 小説の後半は「私の口から明らかにすることは許されない理由によって」三人称で記述される。だが、語り手は「私」で「私」が三人称で書いている、と読者は無意識のうちに前提している。たしかにそのはずである。そして、誰もがX曹長は「私」である、と信じる。Z伍長はクレーと呼ばれる男で、クレーにはロレッタという心理学に詳しい妻とその母親がいる、と理解する。それ以外に考えられない。だが、小説の冒頭、「私」が結婚式に出られない理由として「家内の義母が、四月の最後の二週間をうちに来て、われわれのところで過ごすのを楽しみにしている」という文章があったのは偶然なのだろうか。それから「アルヴィン」という犬は何のために登場したのか。そもそも本当に犬はいたのだろうか。

 小説の読者は、作品の中で書かれている事柄は、作品中では「真実」である、と信じられるから読み進むことができる。信じることができるから「リアリティ」が存在するのであって、「リアリティ」があるから信じられるのではない。だが、「エズミに捧ぐ」と言う小説は、敢えてリアリティをゆるがすような構成で書かれてる。エズミと「私」の出会い、X曹長とクレーのやりとり、それらは一見いかにもリアルな、一方は「愛」に一方は「汚辱」にかかわるエピソードのようでありながら、実はその細部に複雑な罠が仕掛けられた「短編」の一部なのだ。前回は「語り手は誰か」という問題提起をしたのだが、今回はもうひとつの疑問を提出してとりあえずのまとめとしたい。それは、「この小説」は「何時」書かれたのか。そして「どこで」書かれたのか、という疑問である。

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年2月27日月曜日

「エズミに捧ぐ」その1___「語り手」は誰か

これもまた難解極まりない小説である。サリンジャーの小説作法には大分慣れてきたつもりだったが、ここまで仕掛けられると、もうサリンジャーを読むのはやめようかとさえ思った。

 小説は、結婚式の招待状を受け取った「私」が、花嫁との六年前の出来事を回想する、という書き出しではじまる。一九四四年の四月、イギリスのデヴォン州でノルマンディー上陸作戦に備えた特殊訓練を受けていた「私」は訓練最終日激しい雨の中外出する。子どもたちが聖歌の練習をしているのを聞きに教会に入った「私」は、その中でひときわ美しい声を響かせている少女に目をとめる。教会を出て喫茶店に入った「私」は、遅れて入ってきたその少女から話しかけられる。「エズミ」と名のった少女と彼女が連れていたチャールズという名の弟は、両親が亡くなったため、伯母に育てられたという。亡くなった父親が古文書の蒐集をしていて名文家だったと話すエズミは、「短編作家のつもり」と言う「私」に、「わたしだけのために、短編をひとつ」書いてほしいと頼む。そしてなぜか「どちらかと言えば、汚辱のお話が好き」なので「うんと汚辱的で感動的な作品にしてね」と言う。エズミは、自分のほうから先に必ず手紙を書くと約束し、「お身体の機能がそっくり無傷のままでご帰還なさいますように」という言葉を残して、喫茶店から出ていった。

 小説の後半は、「場面はここで一転する」と書かれて始まる。「私は依然として登場するけれど、これから以後は、私の口から明らかにすることを許されない理由によって巧妙に扮装してしまっているので、どんなに慧眼な読者でも私の正体を見抜くことはできないだろう」という文章の後、文体は三人称で書かれる。  

 翌年五月のヨーロッパ戦勝記念日から数週間後の夜十時半ごろ、バヴァリアのガウフルトの民家に、フランクフルトの病院から退院してきたX曹長がいる。彼は文字を読むことも書くことも思うようにできず、指はたえずふるえている。郷里の兄からの無神経な手紙に神経を苛まれているX曹長の部屋にZ伍長という年下の戦友が入ってくる。「Z伍長」と呼ばれながら、なぜか「クレー」とも呼ばれるこの男はX曹長と対照的に神経のタフな人間である。X曹長のことを「神経衰弱になりやがった」とうれしそうにいうクレーは、ノルマンディー上陸作戦で砲撃を受けたとき、ジープのボンネットにとび乗った猫を撃ち殺した話をし始める。X曹長の再三の制止にもかかわらず話を続けるクレーに、彼は「あの猫はスパイだったんだ。」と「ユーモア」と取れなくもない言い方で、逆に彼の神経を逆なでする。だが、そのことがX曹長自身の心身を一気にずたずたに切り裂き、彼は屑籠に吐いてしまう。

 ようやくクレーを部屋から追い出したX曹長は、手紙を書くために机の上をかたづけようとして、「緑色の紙に包まれた小箱」を見つける。封を開けると、それは、前年六月七日付のエズミからの手紙だった。箱の中には、X曹長の安否を気づかう文章に添えて、エズミが身につけていた父親の腕時計が一緒に入っていた。彼は、送られてくる途中でガラスがこわれてしまった時計を長いこと手にしていたが、そのうちに快い眠気を覚える。

 ここまで三人称で書かれていた小説は、最後にまた一人称に戻る。最後はこう終わるのだ。「エズミ、本当の眠気を覚える人間はだね、いいか、元のような、あらゆる機___あらゆるキーノーウがだ、無傷のままの人間に戻る可能性を必ず持っているからね」
 
 あらすじの紹介だけで大分長くなってしまった。今日は、「この小説」の作者は誰か、語り手は誰か、という問題提起をして終わりたいと思う。それからまた、「私の口から明らかにすることを許されない理由」とは何か、と言う問題も提起したい。そのヒントは、あらすじの紹介では触れなかったが、作中一度だけ登場する「アルヴィン」 という名の「犬」にある。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年2月23日木曜日

「ながめ(長雨)」と「しぐれ(時雨)」___日本の雨の歌

今日はサリンジャーはちょっとお休みです。朝から雨なので、日本の雨の歌をいくつか紹介したいと思います。日本人は雨の歌が好きです。「長崎は今日も雨だった」___いいですねぇ。前川清が若かったですね。「雨の外苑、夜霧の日比谷」って、題名は何だったでしょうか。もうひとつ日本人は地名を詠みこんだ「ご当地ソング」も好きです。若き日の森進一が絶唱した「港函館、通り雨」の「港町ブルース」もありますね。「雨と地名の日本歌謡史」をいつか書きたいと思っています。

 「起きもせず寝もせで夜をあかしては春のものとてながめ暮らしつ」
「伊勢物語」第二段と「古今和歌集」に載っている。古今和歌集では、「弥生のつひたちより、忍びに人にものらいひてのちに、雨のそほふりけるに、よみてつかはしける、在原業平朝臣」とある。女のもとを訪れた男が、「起きもせず寝もせで___逢うには逢ったが、結局本意は遂げられないで一夜明かしてしまった。おりしも季節はもの忌みの春で、昼間もぼうっとした気分でいます。」と相手の女に送った歌である。古代は農耕の作業を始める前に、厳重な禁欲生活を送らねばならなかった、と折口はいう。それが春の長雨の時期と重なるので、春は「ながめ_長雨_禁欲」の季節として意識されたのである。

 「花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」
「古今集」に「小野小町」作として載っている有名な歌。「花」が何とも特定されていないのだが、その花びらの色が変わってしまった、と時の推移を嘆いた歌である。「いたづらに」_無為のうちに_という言葉は「うつりにけりな」にかかるのか「ながめせし間に」にかかるのか、あるいは「世にふる」にかかるのか、揺れ動くものがあるが、この言葉が一首の焦点だろう。こちらの「ながめ」も禁欲してぼうっとしている間に、という意味と実際に「長雨が降る」という意味の両方がこめられているのだろう。「花の色」を自分の容貌にたとえたものであるとする解釈は、いわゆる「小町伝説」にひかれたものだと思われる。単純に花びらの色が変わってしまったことに、時の推移を気づかされて、それを嘆いたものと解釈した方が、悲しみが深い。

  「うらさぶる 心さまねし。 ひさかたの 天の時雨の流らふ。見れば」
以前もとりあげた萬葉集巻一長田王の歌。折口信夫が「どうしてこんな歌ができたのかと思うほどだ」と激賞した歌である。「うらさぶ」も「心さまねし」も、現代語にどう訳すか難しい言葉である。「うらさぶ」は、「さざ波の国つみ神のうらさびて、荒れたる都みれば 悲しも」という高市黒人の歌が参考になるだろう。魂が遊離した状態をさす言葉であると思われる。「心さまねし」は寡聞にして他に用例を知らない。漠然とした不安な心理をいうのだろう。騒がしい相聞や儀礼的な羈旅歌にまじって、ひとり自分の内面を見つめようとする、心がしんとなる歌だ。雨の歌ではないのだけれど、長田王の歌のなかで私が好きなものをもう一首。
「聞きしごと まこと貴く 奇(くす)しくも神さびおるか。 これの水島」萬葉集巻三

 「袖ひづる時をだにこそ嘆きしか身さへ時雨のふりもゆくかな」
「蜻蛉日記」と「続古今集」に「長月のつごもりのころ、いとあはれにうちしぐれけるけしきを見て 右近大将道綱母」として載っている。「涙で袖がぬれただけでも悲しかったのは昔のことでした。今はこの身まで時雨に、いえ涙にぬれそぼって年をとっていくのです」「蜻蛉日記」中随一の絶唱だと思う。夫兼家との葛藤は、道綱母が「石山詣で」で山に籠ることで頂点に達した。だが、それも父の倫寧の勧告で下山を余儀なくされる。これは、その激動の夏の後、冬の訪れをつげる時雨に兼家との愛の終わりを実感したものである。

 平安時代を過ぎると、何故か「ながめ」の歌は詠まれなくなる。歌人たちの生活と「農耕作業開始前の禁欲」という観念が結びつかなくなっていったのだろうか。かわって「しぐれ」は日本の雨の歌、というより「わび」「さび」という文化の規範意識と密接に結びついて盛んに詠まれるようになる。
「世にふるは苦しきものを槇の屋にやすくも過ぐる初時雨かな」新古今集 三条讃岐から始まって
「世にふるもさらに時雨の宿り哉」宗祇
「世にふるも更にに宗祇のやどり哉」芭蕉
と続いて、さらに
「初時雨猿も小蓑をほしげ也」
また民謡の世界でも
「さんさ時雨か萱野の雨か」と謡われる。

 近代になっても雨の歌の伝統はやむことがない。
「雨は降る降る、城ケ島の磯に。利休鼠の雨が降る。」北原白秋の「城ケ島の雨」である。
「雨の歌」は日本文学の発想の原点なのだ。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年2月22日水曜日

「対エスキモー戦争の前夜」(続きの続き)___再び『美女と野獣』のプロットについて

  作中エリックに「ぼくは八遍見たな。あれこそまさに醇乎たる天才だね」と言わせているコクトーの『美女と野獣』から、サリンジャーは「ここまでやるの!」と言いたくなるくらい本歌取りをしている。まず、セリーヌの兄フランクリンとエリックは、野獣と美女ベルを慕うアヴナンの役割だろう。「髪は寝乱れ、金色の薄い鬚は二,三日も剃刀を当ててなかったと見えてまばらに伸びて」ジニーが「これまでお目にかかったことがない」と描写されるセリーヌの兄は野獣で、「整った顔立ち、短めに刈った髪形、背広の仕立て、絹のネクタイ」のエリックがアヴナンだ。それから、野獣の城の燭台をさしだすものが人間の「手」であるという奇怪な画面とジニー「マノックス(手の絆)」も無関係ではないだろう。

 セリーヌの兄の関心が指に集中しているのは、野獣が自分の爪が尖った指を見つめる動作を連想させる。口から出した煙を鼻から吸い込むという「フランス式喫煙術」とは、野獣の城の彫像が鼻から煙を出すシーンとほぼ同じ動作だ。「ベルが鳴りやがった。」と言って退場するセリーヌの兄と入れ代わりに入ってきたエリックは、自分が「善きサマリア人」よろしく助けた作家に恩を仇で返された、と長話をする。だが、「もっぱら口先だけで喋っている感じ」なのだ。もしかしたら、『美女と野獣』のアヴナンのように、借金のかたに家財道具を持ち出されてしまったのかもしれない。犬の毛だらけなのも、映画の冒頭で、アヴナンの射た矢が危うく室内にいた犬を射抜きそうになったことと関係があるのかもしれない。

 極地探検にもなぞらえ得るような過酷な飛行機工場での労働で、もともと病弱なセリーヌの兄は満身創痍であり、孤独だ。ジニーの「バンド・エイドないの?」という問いに、彼は「ああ、ないね」と答える。彼に手をさしのべてくれる存在はなかったのだ。だが、ジニーはその事実に心を動かされる。変化は彼女の内面におきた。この次のエスキモーとの戦争は年寄りでないと行かせてもらえない、というセリーヌの兄の言葉に「でもあなたはどっちみち行かなくてもいいわね」と反応して、自分の言葉が彼を傷つけたのではないかと心配する。だから、彼がさしだすサンドイッチの半分を「とってもおいしそう」と言って「苦労して飲み込」んだのだ。

 さて、ジニーはセリーヌの兄の「善きサマリア人」になれるのか。彼女は、見かけはいいが通俗的で中身のないエリックには目もくれなかった。そしてセリーヌに「あたし、遊びに来るかもしれない」と言って彼女を驚かせる。彼女の兄に関心をもったことを明らかにしたのだ。だが、「復活祭の贈り物にもらったひよこが、屑籠の底に敷いた鋸屑の上で死んでいるのを見つけたときにも、捨てるのに三日かかったジニー」は、セリーヌの兄のくれたサンドイッチをどうするだろうか。サンドイッチは、野獣が美女ベルにくれた宝物の入った箱を開ける魔法の鍵ではないのだから。   
  
 これで、ひとまず「対エスキモー戦争の前夜」の読書感想文にもなっていないnoteは終わりにします。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年2月21日火曜日

「対エスキモー戦争の前夜」(続き)____もう一つの隠されたプロットとサリンジャーの命名法

今日はサリンジャーの小説の登場人物の名前について考えることで、難解極まりない「対エスキモー戦争の前夜」を読んでみたい。サリンジャーの小説は「ミュリエル」「シビル・カーペンター」「エロイーズ」そしてもちろん「シーモア・グラース」と、作中の役割を象徴する名前がつけられている。

 まず、主人公の少女「ジニー・マノックス」。ジニーはいうまでもなくヴァージニアの愛称であるが、マノックスとは何か。これはエスペラント語で「手」を意味する「MANO]とラテン語で「絆」の意の「NEXUS」だそうである。それから、セリーヌの兄「フランクリン」_これはファーストネームだろうか。作中この名で呼ばれるのは、彼を訪れたエリックが「フランクリンを見かけなかった?」と聞く場面だけである。その他は、常に「セリーヌの兄」と呼ばれる。おそらくこの「フランクリン」は北大西洋航路を探検したジョン・フランクリンを連想させる役割をもつものだろう。ジニーの姉が「ジョーン」というのは偶然だろうか。この小説の隠されたもうひとつのプロットは、フランクリン隊の北大西洋航路の探検ではないだろうか。

 「指の野郎を切っちまってさ」と部屋にとびこんできたフランクリンはジニーに彼女も指を切ったことがあるかとたずねる。その様子は「まるで前人未踏の境地に一人踏み込んで行く孤独から、彼女の同伴を得て救われたいと願っているようだ」と書かれる。また、「おれ、出血多量で死にそうなんだ。君、その辺にいてくれよ。輸血してもらわなきゃなんないかも」という彼の言葉は、フランクリン隊の隊員の多くが壊血病にかかって死んでいったことを連想させる。オハイオの飛行機工場で働いていた「三十七ヵ月」は、フランクリンの第一回の探検が1819年から1822年の3年間だったことに対応しているようだ。この探検で隊員八人が餓死、一件の殺人、人肉食も指摘されているという事実が、彼の「おれは彼女(ジョーン)に八遍も手紙を書いた。八遍だぜ。なのに彼女は一遍だって返事をよこさなかった」という言葉に関係があるのだろうか。彼の様子を見まもっていたジニーが突然「触っちゃダメ」と叫ぶのはどんな場面が生じたからか。 

 「さて、着替えでもするか。・・・チェッ!ベルが鳴りやがった。じゃあな」と言って「姿を消した」フランクリンと入れ替わりに部屋に入ってきたエリックもまた飛行機工場で「何年も何年も」働いていた。エリックは、なぜ軍隊に行かなかったのか。「エリック」という名前は何を意味するのか。

まだ解けない謎はいくつもあって、そもそも題名の「対エスキモー戦争の前夜」とは何か。それから、最後の「数年前、復活祭の贈り物にもらったひよこが、屑籠の底に敷いた鋸屑の上で死んでいるのを見つけたときにも、捨てるのに三日もかかったジニーであった」という怖ろしい一文をどう読めばいいのか。疑問はつきないのですが、今日はひとまず、ここまでにします。

 というのは、今朝の新聞で光市の母子殺人事件の死刑が確定した、という報道を読んで、心が波立って、続きをまとめることができなさそうだからです。。「罪なき者まず石を打て」でも触れたように、法の厳罰化、とくに少年法のそれがすすんでいることを憂えてきました。報道によれば、犯行時少年だった被告に死刑が適用されるのは、永山則夫以来六人目だそうです。今回は実名報道もされました。賛否両論ある今回の判決確定だと思いますが、私は「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである」というマタイによる福音書7章冒頭の一節を、自戒の言葉としてかみしめたいと思います。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年2月19日日曜日

「対エスキモー戦争の前夜」___善きサマリア人は誰か

表題は『ナイン・ストーリーズ』第三作である。これは難解です。作中にすんなり感情移入できる人物がなかなか見つからない、ということが、テーマを分かりにくくしている原因のひとつかもしれない.

 十五歳の少女ジニーはクラスメートのセリーヌと毎土曜日の午前中テニスをしている。いつも自分が全額負担してる帰りのタクシー代を彼女にも払わせようと、彼女の自宅までついて行く。肺炎で寝ているという母親のもとにいったん引き下がったセリーヌの代わりに、兄のフランクリンがジニーの前に現れる。彼は「屑籠に手をつっこんで」指を怪我している。フランクリンは「骨のとこまでぐさっと」切って、「出血多量で死にそうなんだ」というわりには、ジニーと話しこんでいる。どうやらフランクリンは、かつてジニーの姉とつきあっていて、ふられたらしい。姉は海軍少佐の男と婚約しているのだ。さえない容貌で体も弱いらしいフランクリンは八遍も手紙を書いて一度も返事がもらえなかったと言う。戦争中オハイオの飛行機工場で働いていたというフランクリンは、窓の下を通る人々を「あの阿呆ども」と呼ぶ。今度はエスキモーと戦争するので、「六十ぐらいの奴」がみんな戦争に行くのだと言う。彼は昨夜デリカテッセンで買ったというサンドイッチの残り半分を持ってきて、ジニーにすすめる。ジニーがようやく一口飲みこんだところで「ベルが鳴っ」て、フランクリンは姿を消す。

 フランクリンと入れ替わって部屋に入ってきたのはエリックとフランクリンが呼んだ男で、フランクリンとは正反対の非のうちどころない容姿である。彼は初対面のジニーに、いきなり「善きサマリア人」をやろうとした自分が裏切られたという話を始める。餓死寸前の「作家だか何だか知らない」男を引き取って面倒をみていたが、その男が「手の届くかぎりのもの」をもちだして出て行ってしまったというのだ。話し終えて、ジニーのコートに目をとめたエリックは、彼女の名前をたずねるが、ジニーは教えない。エリックは、今上映されているコクトーの『美女と野獣』は素晴らしい映画で、もう八遍見たが、いまからフランクリン、セリーヌと一緒に見に行くのだという。

 セリーヌがドレスに着替えて部屋に入ってきたのを見たジニーはエリックがまだ喋っているのをさえぎって、彼女のところに行き、タクシー代はもう要らない、と言う。そして、晩御飯の後で電話して、遊びに来るかもしれない、と言って、セリーヌを驚かせる。ジニーは、帰りのバス亭まで歩く途中で食べ残しのサンドイッチを捨てようとして、やはり捨てずにポケットにしまいこんだ。

 この小説の隠されたプロットは二つある。「善きサマリア人」と「美女と野獣」である。

今日はパソコンの調子が悪く、下書きが消えてしまうトラブルが続くので、続きはまた明日にします。
途中までよんでくださってありがとうございました。

2012年2月17日金曜日

「バナナ魚には理想的な日」再び___「スノビズムといこうぜ」

表題の小説を今回野崎孝さんの訳で読んでいて、気がついたことがある。シーモアがシビル・カーペンターを浮き袋に乗せて、波乗りをする場面だ。不安そうに「波が来た」というシビルに「波なんか無視しちまおう」とシーモアはこたえるのだが、問題はその後の彼の言葉だ。『ニューヨーカー短編集』の橋本福夫訳では『お上品ぶった二人づれというわけさ」となっているが、野崎訳では「スノビズムといこうぜ」となっている。こちらが原文の直訳だろう。これは「眼から鱗」だった。シーモアの死はまさに、「スノビズムといってしまった」のだ。

 スノッブ、スノビズムという言葉を、私はたんに「知ったかぶり」とか「知識のひけらかし」くらいの意味にとらえていた。だが、コジェーブという哲学者の定義によれば、スノビズムとは「「与えられた環境を否定する実質的理由がないにもかかわらず、『形式的な価値に基づいて』それを否定する行動様式である。スノッブは環境と調和しない。たとえそこに否定の契機がなかったとしても、スノッブはあえてそれを否定し、形式的な対立を作り出し、その対立を楽しみ、愛でる」ことである。コジェーヴは日本の切腹をその例に挙げている。名誉、義理などの形式的な価値のために、実質的に死ぬ理由がないにもかかわらず、死を選ぶことが、スノビズムだという。

 シーモアが生を否定した「形式的な価値」とは何だろうか。それは、シビルが「バナナ魚を見つけた」と言った言葉のうちにある。「バナナをくわえてた?」というシーモアの問いにシビルは「ええ、6本」と答える。するとシーモアはシビルの足を持ち上げて、その土踏まずの部分に接吻する。そして、「もうひきあげることにする。きみもじゅうぶんだろう?」と波乗りをやめてしまう。うまく波乗りが成功して恐怖と背中合わせの歓喜に満たされたシビルは、シーモアの愛を受け入れたのだ。だからシーモアは彼女の足に接吻した。そして、それで、儀式は完了した。この世で最も崇高な存在との結合。シャロン・リプシュッツという美しい空想上の名前をもつシビル・カーペンター。それはSibyl_Sybil Carpenter イエスの誕生と復活を予言するシュビラ=巫女であり、イエスそのものである。そもそも、波乗りという行為はバプテスマのメタファーだろう。シーモアはみずからを「イエスの履物のひもを解く値打ちもない」とするバプテスマのヨハネになぞらえたのか。

 ホテルに戻ったシーモアは、妻のミュリエルが眠る傍らで、拳銃自殺する。「部屋には仔牛皮の新しいトランク類やマニキュアの除光液の臭いが漂っていた」とある。「ミュリエル」という名もまた、ギリシャ神話の「没薬をつかさどる香の女神」である。そしてシビル_シュビラは冥界への案内をする巫女だともいわれている。

 これは、たんに謎解きをしただけで、何を言っていることにもなっていません。まさにnoteです。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

「コネティカットのひょこひょこおじさん」__語られているのは過去か?

『ナイン・ストーリーズ』の二作目の作品である。メアリ・ジェーンとエロイーズという女性二人が、エロイーズの家で、お酒を飲みながら会話している。二人は一九四二年、ほぼ同時期に大学を中退したかつてのルームメイトである。エロイーズは結婚してラモーナという娘がいるが、メアリ・ジェーンは今は独身で働いている。他愛もない会話が続くが、エロイーズは夫や姑とうまくいっていない様子で、娘のラモーナもおかしな子である。酔いが進むにつれて、エロイーズは、戦争中に事故で死んでしまった恋人のことを語り始める。ウオルトというその恋人の追憶に浸りながら、泣きだしてしまうエロイーズと、彼女の話を聞きながら、自分も酔いつぶれてしまうジェーン。最後は、エロイーズが、大学時代に着ているドレスが野暮ったいと言われて泣いた話をもちだし、ジェーンに「あたし、いい子だったよね」「ね、そうだろ?」と聞くところで終わる。

 『ナイン・ストーリーズ』の一作目「バナナ魚には理想的な日」がシーモア・グラースの自殺までを語る小説なので、ウオルトという青年の追憶が美しく語られるこの小説も、同じように、喪失の悲しみをテーマとする作品分析が多い。題名の「コネティカットのひょこひょこおじさん」も、エロイーズがウオルトと一緒に駈けだして転んで足首をくじいたときに、彼が彼女を「かわいそうなひょこひょこおじさん」と呼んだことに由来する。(uncle_ankle)そうだろうか。エロイーズの不幸は、彼女がウオルトを失ったことに原因があるのだろうか。夫を愛することができないのも、夫がウオルトのように「おかしいか、さもなきゃ優しいかどっちか」でない人間だからだろうか。夫「ルー」とはどんな人間なのだろうか。そして、エロイーズの話の「聞き役」のメアリ・ジェーンは、何のためにこの家を訪れたのだろうか。

 メアリ・ジェーンは約束の時間に二時間も遅れてエロイーズの家に着いた。わけのわからない理由を言って、ひどく狼狽している様子である。「電話をかけたのはどっち?」というエロイーズの言葉からメアリ・、ジェーンの方が訪問を申しでたのに、である。エロイーズの家について間もなく、「鏡をのぞいて歯をしらべた」のはなぜか。。エロイーズの娘のラモーナが帰ってくると、なぜかまた取り乱して、飲み物を絨毯の上にこぼしてしまう。そしてラモーナが誰に似ているのか知りたがる。エロイーズがウオルトの追憶にひたっていると、メアリ・ジェーンは「ルーはユーモアのセンスないの?」とそれをさえぎる。そして「それ(ユーモアのセンス)がすべてじゃないからね」と言う。亭主の知性なんて信用したら大変なことになる、というエロイーズの言葉を「憂鬱そうな顔をして」聞いていたメアリ・ジェーンは、「ルーは知性がないとはいえないわよ」と「声に出して」言う。

 エロイーズの美しい回想の「聞き役」として登場するメアリ・ジェーンは、たぶん、エロイーズとルーの生活の様子を探り来たのだ。彼女の関心はウオルトがどのような人間であったか、ではなく、エロイーズがウオルトのことをどのようにルーに告げたか、そして、その結果、ルーとエロイーズの関係がどのようになったか、である。メアリ・ジェーンはルーを愛しているのだ。エロイーズはそのことに気がついていないが、自分がルーに愛されていないことはわかっている。家の中は荒廃している。一人娘のラモーナは、架空の恋人を仕立てることで、空想の世界に逃げ込んでいる。そのラモーナの世話もエロイーズは投げやりだ。ラモーナが架空の恋人に逃げ込むように、エロイーズも追憶の世界に逃げ込むしかない。孤独なラモーナが現実を見るために絶対に必要な道具の「眼鏡」を頬に当ててエロイーズは泣く。「かわいそうなひょこひょこおじさん」と何度も繰り返して。孤独なエロイーズが現実と向き合うためには、そう唱えるしかなかったのだ。だが、やがてエロイーズは「レンズを下にして」眼鏡を置き、泣いているラモーナに接吻して階下に降りていく。そして、眠っているメアリ・ジェーンを起こして聞くのだ。「あたし、いい子だったよね」と。

 訳は野崎孝さんのものを使いました。glassという原語が「鏡」になったり「眼鏡」になったり、あるいは「グラス」、そしてもちろん「グラース」という姓、」というように、日本語にすると違う言葉になってしまいます。最後のI was  a nice girl ,wasn't  I?も「あたし、いい子だったよね?」の訳でいいのかちょっと迷います。解釈もこれでいいのかどうか確信はないのですが、メアリ・ジェーンの役割に注目して読んでみました。読書感想文にもなっていない段階です。

 今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

2012年2月15日水曜日

「笑い男」___サリンジャーその用心深い「入れこ構造」とテキストの重層化

このところサリンジャーに嵌まっております。深沢七郎を書くためにちょっと寄り道、のつもりが、こちらがメインロードになりそうです。でも、本格的にサリンジャーを書くためには、やはり原文にあたる必要があって、テキストがそろうかなぁ、とためらっています。なぜはまったかというと、たぶん、ミステリを読むのに近い感覚があるからだと思う。一つの謎が解けると、次の謎にチャレンジしたくなる。これって純文学の読み方として正しいのだろうか、など反省しながら、乱読しています。今日は、前回と同じく『ナイン・ストーリーズ』の中から「笑い男」について。 

 物語は1928年、当時九歳だった「私」が回想する形式で始まる。「私」は男子児童二十五人からなる「コマンチ団」という団体の一員で、日曜以外は「団長(チーフ)」の引率のもとで、自由な時間を集団競技のスポーツ、キャンプ、あるいは博物館めぐりなどで過ごす。団員の結束は固く、団長への信頼は絶大なものがあった。この「団長(チーフ)」が「コマンチ団」の少年たちを「囚人護送車にも似た」バスで送迎するときに「笑い男」の話をして聞かせる。つまり、この小説は、いまは大人になった「私」の回想の中に、ジョン・ゲダツキーという名の「団長(チーフ)」の語る「笑い男」の話が入り込む、という形になっている。

 笑い男は、金持ちの「宣教師」夫妻のひとり息子だったが、幼児のとき中国の山賊に誘拐され、身代金を払ってもらえなかったために、「ヒッコリーの実のような形の頭をして、髪の毛がなく、鼻の下には口の代わりに大きな楕円形の穴が開いているといった顔」にされてしまった。だが、芥子の花びらで作った仮面で顔を包まれ、生き延びた笑い男は、山賊のノウハウを手に入れると、逆に山賊を「地下深いところにありながら内部には気持よい装飾が施されている廟」に閉じ込め、国境を越えて活躍して、世界一の資産家になる。資産の大部分を寄付したり、ダイヤモンドに換えた上で海に沈めてしまった笑い男は、チベット国境の小屋の中で「米を食い、鷲の血を啜りながら」ブラックウイングという斑狼、オンバという小人、白人に舌を焼き切られたホングという蒙古人の大男、欧亜混血で笑い男に思いを寄せる娘の4人の仲間と共に生きていた。

 ここまで「笑い男の話」が進んだ後、「メアリ・ハドソン」という名の団長のガールフレンドが出現する。「ビーヴァのコートを脱ぎ、こげ茶のドレスで」コマンチ団の少年たちにまじって、初めて球を打ったらしいメアリは、大当たりで、それから一か月の間、彼らと一緒に野球をする。「笑い男の話」が、男の破滅に向かって急展開するのは、メアリがいつもの時間にバスに乗り込まなかったときのことだった。

 笑い男の親友の斑狼ブラックウイングが、宿敵デュファルジュ父娘に捕われてしまう。ブラックウイングの釈放と引き換えに、笑い男は自分の身を、みずからすすんで父娘に差し出す。だが、父娘は笑い男を欺いて、ブラックウイングのかわりに「左足を白く染めた」狼を鎖でつないでおく。「その身を有刺鉄線で一本の立木に縛り付けられた」笑い男は、「アルマン」というその狼から「自分はブラックウイングではない」という事実を告げられ、欺かれたのを知って、仮面の下の素顔を父娘にさらしてみせる。娘は気絶したが、父親は笑い男を拳銃で撃ち続ける。

 団長は笑い男の話を、ここでいったん終え、メアリを待つのをやめて、セントラルパークに向かう。少年たちがいつものように野球を始めて、しばらくして、メアリがパークに現れる。「乳母車をひいた二人の子守に両側から挟まれたような恰好で」座っていたが、メアリは少年たちにまじってゲームに参加することも、「私」の自宅への招待に応じることもなかった。「メアリ・ハドソンがコマンチのラインナップから永遠に脱落したということは、私には分かりすぎるほど分っていた」のだ。

 帰りのバスの中で、笑い男の最後が語られる。拳銃で撃ち殺されたはずの笑い男は、なんと弾丸全部を吐き出して、デュファルジュ父娘に「恐ろしい笑いを笑っ」て彼らをショック死させてしまう。有刺鉄線で立木に縛りつけられた笑い男は、とめどなく血を流すにまかせていたが、あるとき森の動物たちに救いを求め、小人のオンバを連れてくるように頼む。瀕死の笑い男のもとに到着したオンバは鷲の血を差し出すが、笑い男はそれを飲まず、ブラックウイングの名を呼ぶ。ブラックウイングがすでに殺されてしまったことをオンバから告げられた笑い男は、鷲の血の入った瓶を握りつぶし、みずからの仮面を剥ぎ取って死ぬ。「そしてその顔が、血に染まった地面に向ってうつむいたのである。」笑い男の話がここで終わると、コマンチ団の少年たちは、いちように恐怖に襲われる。バスを降りて、一枚の赤いティッシュペーパーが風にはためいているのが「芥子の花びらで作った誰かの仮面のように」見えた「私」は「歯の根も合わぬ」ほどふるえ、帰宅すると「すぐに床に入るように言われたのである。」

 この小説の中で、「コマンチ団」の少年たちに「笑い男」の話を語る「団長」の容姿は、低い身長、ずんぐりした胴長の体型、黒い髪、大きな鼻など、明らかにアメリカインディアンの特徴をそなえている。バスの運転席に「後ろ向きに跨いで腰をかけ」る姿勢で語るのだが、それは、まさに「馬乗り」のポーズだ。「私」が回想する話の中で「笑い男」は「団長(チーフ)」のメタファーであり、「笑い男」の話は、ホースインディアンと呼ばれた「馬盗人」「コマンチ族」の物語のメタファーなのだ。(おそらく、白人の母とインディアンの父の混血で、最後の酋長(チーフ)といわれた「クアナ・パーカー」が「笑い男」のモデルだと思われる)「鬱蒼と茂る深い森の中に入って」動物たちと仲良しになり、そこでは仮面を脱いで、「動物たちの言葉」を使いながら「美しい優しい声で彼らに話かけたのだ」と述べられる笑い男の姿は、自然と一体になって生きるインディアンそのものではないか。

では、メアリ・ハドソンとは何か。「団長(チーフ)」の「ガールフレンド」として出現し、いっときはコマンチ団と交わりながら、「乳母車をひいた二人の女にはさまれ」団長に別れを告げなければならなかったのはなぜか。
「メアリ・ハドソンがコマンチのラインナップから永遠に脱落した」と信じてしまった「私」が「蜜柑を握りしめながら」「後ろ向きに歩いて行くのは常にもまして危険を孕み、・・・いやというほど「乳母車」にぶつかってしまっ。」た、とあるのは何を意味するのか。「乳母車」とは何か。「蜜柑」とは?

 メアリ・ハドソンとは、たぶん「白人」のメタファだろう。彼女が「自分もゲームに加わりたい」と言いだすと、それまで「ただ彼女の『女性』らしさを単に見つめるだけだったわれらコマンチどもの目つきが、今度は睨みつけるように変わった」とあるのは、インデアンに近づこうとした白人への彼らの警戒感の暗示だろう。あるいは、作者は特定の個人をモデルにしているのかもしれない。インディアンとアメリカの白人の歴史に詳しくない私がわからないだけで、すぐに思い浮かぶような人物がいるのかもしれない。「後ろ向きに歩」くとは、後退または撤退作戦を意味し、「乳母車」は「幌馬車隊」か。「蜜柑」とはインディアンの武器だろう。

 いずれにしろ、メアリ・ハドソンが泣きながら走り去っていった後、笑い男の悲惨な、しかし従容として死んでいく様子が「団長」の口から語られる。これもインディアンの滅亡のメタファであることは間違いないと思われるのだが、ここに至って、悲劇はもう一つのイメージを喚起する。「有刺鉄線で『立木』に縛りつけられ、血を流して死んでいく」「弱々しい声で愛するウイングの名を呼んだ」が、もはやウイングが存在しないことを知って「胸を引き裂くような最後の悲しみの喘ぎが笑い男の口からもれた」「それが彼の最後だった。そしてその顔が、血に染まった地面に向ってうつむいたのである」という叙述は、まさに十字架上のイエスのそれではないか。福音書の伝えるイエスの死は「午後三時過ぎ」とあるが、コマンチ少年団は「学校のある日には、いつも『午後の三時に』」団長の車が迎えに来てくれるのだった。そして、笑い男の最後を語る団長がバスに乗り込んできたのは「ある四月の、ひどく肌寒い日」「五時十五分の黄昏が落ちかけていた」ときだった。イエスの死は午後三時過ぎ「太陽が光りを失っていた」ときだった。

この小説は、コマンチ団」の一員だった「私」の回想という構造の中に、「団長(チーフ)」の語る「笑い男」の話という構造が入れ込み、それぞれの登場人物が、別の次元の存在のメタファーであり、しかも、それが重層的である。非常に複雑な入り組んだ構造で、細部に私が解き明かしていないメタファーもいくつかあるだろう。そしてこれは「インディアン」というアメリカ社会のマイノリティーのメタファーであると同時に、もう一つのマイノリティーである作者サリンジャーの属するユダヤ民族のメタファーなのではないか。小説の最後で、当時「九歳(サリンジャーの実年齢)」だった「私」は、帰宅と同時に倒れ込んでしまうほど恐怖にふるえた。自分だけが「現存する笑い男の嫡出の子孫」である、つまりインディアンの嫡出の子孫である「私」は救いようのない悲惨な最後をむかえる笑い男の運命と自分を重ね合わせたのだ。それはまた、作者サリンジャーが、けっして直接には語らない、けれど、終生自分の存在の根の部分で意識せざるを得なかった「宿命」ではなかったか。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年2月13日月曜日

「バナナ魚には理想的な日」___喪失からの出発

初めてサリンジャーの作品を読んだのは「バナナ魚には理想的な日」だった。これもまた『ニューヨーカー短編集』に掲載されているものを読んだ。日本で『ニューヨーカー短編集』が発行されたのは1969年だったが、作品自体は1948年に発表されている。私にとっては、当時も今も難解な作品である。

 「ミュリエル」という名の若い女性が、旅先のフロリダのホテルから母親に長距離電話をかけている。新婚の夫と旅行にきたのだが、夫のシーモアという男は精神異常者だというので、母親は心配でならないのだ。だが、夫から「一九四八年のミス精神的浮浪者(スピリチュアル・トランプ)」と呼ばれている若い女性は、いっこうに気にしている様子はない。長距離電話の順番を待っている間に『セックスは快楽か___それとも地獄』という雑誌を読んだり、爪にマニキュアを塗ったりしている。

 同じホテルの砂浜でシビル・カーペンターという小さな女の子が母親に陽やけどめ油をぬってもらっている。母親がホテルに上がって、解放された少女は、砂浜で寝ころんでいるシーモアのところに走っていく。明日父親がホテルに来るという少女を浮き袋にのせて、シーモアは海に入る。そこで、バナナのある穴に入り込んで、たべすぎて出られなくなって死んでしまう「バナナ魚」を探そうと言う。浮き袋の上で波乗りに成功した女の子は「バナナ魚」を一匹見つけたとシーモアに報告する。シーモアは女の子の足に接吻して海から上がる。女の子は走ってホテルに戻り、シーモアも自分の部屋に戻って、妻の眠っているベッドの隣で拳銃自殺する。

  謎に満ちたこの作品は、サリンジャーのいわゆる「グラース・サーガ」の第一作である。おそらく「グラース」という一家の姓も、新約聖書のコリント人への手紙13章「私たちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だが、そのときには、顔と顔を合わせて見ることになる」を暗示するものだろう。ミュリエル、シビル「カーペンター(大工の意。イエスの職業は大工であったといわれる)」という名前も聖書からの出自を直接示すのだろう。だが、この作品の中では、なぜシーモアが精神異常になったのか、俗物で平凡なミュリエルを妻にしたのか、そして自殺しなければならなかったのか、いっさい語られることはない。また、作中引用される「ちびくろサンボ」の虎の数は、実際は4匹なのに、なぜ「6匹」とシビルにいわせているのか。シビルが見つけたバナナ魚がくわえていたバナナの数もまた「6本」だったことにはどんな意味があるのか。シーモアの「足」にたいするこだわりはなぜか。などなど、謎は謎としてただ呈示されているだけである。

 作中、シーモアが妻のミュリエルを「一九四八年の精神浮浪者(スピリチュアルトランプ)」と年号を冠して呼んだのは何か意味があるのだろうか。1948年はイスラエルの建国、同時に第一次中東戦争が勃発した年でもあった。この小説の中で「ロウとオリーブ」が好きな女の子シビルは、オリーブの好きな大学生のフラニーに成長するのだろうか。「シャロン」という美しい名で呼ばれる三歳半の女の子とは何か。さまざまな謎をはらんで、「1948年」シーモアは死ぬ。そして「シーモア神話」が誕生する。イエスが死んで、福音書が書かれたように。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年2月10日金曜日

「甲州子守唄」__深沢七郎の世界の続き

私が生まれて育ったのは東京郊外の町だった。純農村地帯だったのが、戦後まもなく大企業の工場誘致をして、周囲に住宅が増え、比較的早い時期に新興住宅地に変わっていった。だから言葉は標準語と呼ばれるものに近かったが、それでも、土地に住みついていた人たち独特の言い回しがあって、町を流れる川の向こうとこっちで「言葉が違う」ともいわれていた。だが、私は小、中、高校と地域の学校に通わなかったので、土地ことばが使えない。「故郷の訛りなつかし」という感覚を知らない。日本人なら、いつでも、どこでも、だれとでも通用する「標準語」しか話せない、ということがある種のコンプレックスになっているような気がする。私が深沢七郎を愛読するのは、その甲州弁だか石和弁だかが懐かしいからかもしれない。

 「甲州子守唄」は1964年_昭和39年に発表された。笛吹川の橋のたもとに住む「徳次郎」とその母親「オカア」の一家の物語である。不思議なことに深沢の小説の登場人物には苗字がない者が多い。それどころか、固有名詞さえ与えられていない場合もある。この小説でも、徳次郎とならぶもう一人の主人公「オカア」の名前は最後まで記されない。名前などなくても、物語はどんどん進む。さらさらと、それこそ「川の流れのように」深沢は「エンサイクロペディア・イサワーナ」とでも呼びたいような世界を語るのだ。

 物語は、明治の終わり、徳次郎が「アメリカさん」とよばれる移民になって、出稼ぎに行くところから始まる。オカアは、徳次郎がアメリカに行って稼いで20年もすれば「俺家(おらん)でもお蚕を飼ったり」田畑も買える。家も建てられると夢を抱く。徳次郎も、1万円は稼いできて、世話になった母親の妹にも「百円ぐれえは」やろうと思っている。「おばさんだものを」義理は欠くことができないと思っているのだ。「しっかりやっておいでなって」と村の人が叫ぶ中、徳次郎は石和の駅を出発する。

 「10年たったら、帰(けぇ)ってこう、きっと、嫁をきめておくから」と徳次郎に約束してオカアは心待ちにしていた。渡航費用の借金をひと月で返してきた徳次郎は、10年後、砂糖とシャボンと横浜で買ってきた餅マンジュウを土産に戻ってきた。だが、肝心の嫁が決まらない。「アメリカなんかへ行けばうちの人とは生き別れのようなもんさよ」と誰も相手にしてくれないのだ。それになんだか、徳次郎の様子がよそよそしくなっている。アメリカでいくら貯めてきたかをオカアにも教えないのだ。やっと決まった嫁は、乞食の「オクレやん」という女が世話した「狐ッ付きみたいに口がとがっている」不器量のため嫁ぎそびれていたチヨという娘だった。10日ばかりいて、徳次郎はチヨを連れてまたアメリカに戻った。

 さらに10年後、徳次郎はアメリカで生まれた三人の子とチヨの一家五人で帰国した。金は貯めてきて横浜の銀行に預けて利息だけでも相当な収入になるのだが、アメリカに行く前は「百円ぐれえは」やろうと思っていた母親の妹が「20円あればトタン屋根にしたり、湯殿がつくれるけんど」と頼みに来ると、徳次郎は「ゼニを貸してくりォというようなつもりだったらおばさんとは思っちゃいんからね。いますぐ縁を切ってもらいてえ」と怒る。アメリカに行って「ヒトが変わって、薄情に(すっちょなく)な」ってしまったのだ。

 徳次郎が「アメリカさん」になってせっかくためたお金は、戦争になって物が足りなくなるとインフレでどんどん目減りしてしまう。徳次郎が最初に送ってきたお金でささやかな商いを始めていたオカアは、闇の物々交換に手を出すようになる。したたかに闇商売で儲けたオカアだったが、戦争が終わる頃には「髪の毛も白いし顔も頭も胸も白い象のような皺になって」座ってばかりいる。徳次郎が、闇で商うサッカリンにうどん粉をまぜているのを知っても「(いい人間(ひと)で終わってしまうことなんか出来んさ)」と開き直り、「(いいさ、いいさ、、恥をかいてもしかたがねえさ)」とひとりごとを言うのだった。

 「甲州子守唄」は徳次郎とオカアの物語を軸に、石和近辺の風俗と人情の変遷を描く。40年あまりの出来事を一気に読み下せるのは、なにより登場人物の使う石和弁が面白いからである。作者は、いいことも悪いことも、なんでも区別せずに、さらさらと書いていく。作中、もっとも印象的だった石和弁は、戦争中、「ボコに乳(うんま)をやっていた」女のひとが機銃掃射で撃たれて言った「あれ、わしァ困るよう、死ぐじゃアねぇらか」ということばと、それを教えてくれた人の「場即(ばそく)だそうでごいす」ということばである。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年2月9日木曜日

「愛らしい口もと、わが眼は緑」___信仰、希望、愛

『ニューヨーカー短編集Ⅲ』に掲載されていた表題の小説を初めて読んだのはいまから40年以上も前だった。若かった私は、この小説をよくできた心理小説ないし風俗小説として読んでいたような気がする。唐突な結末が、でも何となく、納得できてしまうのが不思議だった。

 物語は、男と女がベッドを共にしているところに、女の夫から電話がかかってくる。一緒にパーティにでかけた妻が家に戻らないので、居どころを知らないか、と聞いてきたのだ。電話を受けた男は、夫の話に適当に応答しながら、なんとかなだめて、女が帰ってくるのを待つように説得しつづける。弁護士らしい夫は、裁判に負けたこともあって、どん底の精神状態である。夫は、妻である女が男にだらしがないことを呪い、教養がないことをののしり、だが、そんな妻がいかに無邪気で魅力的な女であるか、いかに自分に献身的に尽くしてくれたことがあったかを語って、電話を切ろうとしない。最後に夫は、男の家に行って一杯飲ませてくれという。もちろん、夫に来られたくない男は、妻を家で待つように夫を説得して電話を切る。するとまもなく、また夫から電話がある。男と話し終わった直後に妻が帰ってきた、と言う。そして、ニューヨークという都会を離れて、二人の生活をやり直し、裁判の結果についても善後策を講じてみるつもりだと言うのだ。話し続ける夫をさえぎって電話を切った男は、放心状態で、落とした煙草を拾い上げようとした女をどなりつける。

表題は、作中、夫が妻である女に送った自作の詩「わが色はバラ色にして、白し、愛らしい口もと、わが眼は緑」の一部である。「あいつは緑色の眼なんかしちゃいない__あいつの眼は海の貝殻みたいだ」とある。夫にとって、妻である女は、愛することのすべてだった。だが、女から愛される望みは、少なくとも夫が女を愛するように愛されることは、ほとんど望めなかった。いや、まったく望めなかった。その望みのない望みに夫は賭けたのだ。信じられない妻を信じたのだ。不可能な愛を可能にしたのだ。まさに、「信仰と希望と愛、この三つのものは、いつまでも残る。その中で、最も大いなるものは愛である」(コリント人への手紙13章13節)である。

 電話を受けた男は、女の夫の「信仰告白」に打ちのめされる。男とベッドをともにしているのは、「ジョーニイ」と呼ばれる女のぬけがらではないのか。真実の「ジョーニイ」は夫のもとにいるのではないか。男に残されたものは何があるだろう。優位な立場にたって、うまくやりぬいたと思っていた男は、じつは自分が決定的な敗者である、という事実に呆然とするのみだった。

 この作品と、これより以前に発表された「バナナ魚には理想的な日」のシーモアの自殺を関連付けて考えてみようと思っています。まとまったものを書くには、もう少し時間が必要なようです。

 今日もできの悪い読書感想文を読んでいただいて、ありがとうございます。

2012年2月6日月曜日

田中小実昌『アメン父』について__物語は否定できるか

昔田中小実昌の訳でチャンドラーを読んだことがある。ハヤカワミステリの『湖中の女』と『高い窓』だった。清水俊二さんの感傷的なようできちんと勘所を押さえた名訳を読み慣れていたので、田中小実昌の短く文節を区切って言葉をつなげていく訳になじめなかった。今でも、『湖中の女』と『高い窓』を読み返す気がしないのは、チャンドラーのせいではなく訳がしっくりこないからだと思う。推理小説は哲学書ではないのに、いちいち立ち止まって言葉を吟味していては、ストーリーを追うことができないのだ。


『アメン父』は田中小実昌の父「田中種助」(のち遵聖と改名)とイエスの物語である。種助の伝記ではない。書き出しはこうである。
「大きな机の上に、いくつか分けてつんであった。若いときの父に関するものなどだという。」物語は父が軍港呉の山腹に教会と住居を建てたところから始まる。父は「(神から)拝命された」どこの派にも属さない、十字架もない集会の牧師である。父と信者たちは、集会をする場所を「教会」と呼ばず、「中段」と呼んだ。その下に牧師をつとめる父の家があり、さらにその上にも建物があったからである。十字架がないのに、「集会でのわめいたりさけんだりの祈りには、ジュウジカジュウジカという言葉がよくきこえた。」とある。ずいぶん、ラディカルといえば聞こえがいいが、狂信的な感じがする。小実昌は「信仰はココロではない」と何度もくりかえしているが、そこまでいけば、「ココロではない」に決まっている。「言葉」でも「行い」でもないだろう。ただ「十字架」なのか。それでは、何も言っていないのと同じことのように思われるが。

 誤解のないようにことわっておくのだが、これは「田中種助の物語」ではない。「種助とイエス(と小実昌自身の)の物語」なのだ。少なくとも、私はそう読んだ。「物語」について、マルグリット・デュラスの『愛人』の最初にこういう文章がある。
「私の人生の物語などというものは存在しない。そんなものは存在しない。物語をつくりあげるための中心などけっしてないのだ。道もないし、路線もない。ひろびろとした場所がいくつか、そこにはだれかがいたと思わされているけれど、それはちがう、だれもいなかったのだ。」
「だれもいなかった」けれど、語る「わたし」はいて、この後デュラスは「私の青春のごく小さな小さな部分の物語」を始める。小実昌は「道もないし、路線もない。ひろびろとした場所」の時間、空間を行きつ戻りつしながら、種助とイエスと、そして自分自身の物語を語るのだ。

 種助とイエスの出会いは、時系列で整理すれば、明治四十一年種助がアメリカに移民として入国し、シアトルの農園で働いていたときのことだった。「朝五時から晩の九時半までノベツにはたらかなければならぬ」生活の中、明治四十五年ユニテリアンの久布白直勝牧師から洗礼を受ける。のち種助はユニテリアンを「理知信仰」としてこれからはなれる。帰国して大正十四年「はじめて天来の霊感に触れ」歓喜するが、時とともにこれを失い絶望する。だが、昭和二年五月一二日「この機においつめられるや、忽然として観照の光明に接し、生けるキリストの十字架解明の一大発見を与えられ」る。昭和三年一月に小倉市西南学院シオン教会を辞任し、八月十七日呉市に独立教会アサ(聖なるものに遵うの意_種助いわく)会を設立し、牧師となる。ふりかえると、種助の転機というべきものは三度あったが、そのつど信仰を深めた、といった単純なものではなかったようだ。むしろ、転機が訪れるたびに、混迷と絶望は深まっていったように思われる。

 こうして時系列を整理しても、種助についてもイエスについても小実昌自身についても、何も語っていないことに気がつく。小実昌自身が周到に「物語ること」をさけているからだ。「人生の物語などいうものは存在しない」と書いていながら、臆面もなく何葉かの写真を小説に添えたデュラスにたいして、小実昌は、父の写っている何枚かの写真について、文中何度も言及しながら、一枚も載せない。信仰は因果律ではないし、いわんや物語でもないのだから、物語をつくってしまう要素はなるべく排除したのだろうか。それでも、『アメン父』は物語なのだと思う。すくなくとも、「物語」を「解体」した「小説」である。テーマは種助とイエス、ではなく、小実昌その人とイエスだ。

 今日も出来の悪い読書感想文を読んでくださってありがとうございます。

2012年2月5日日曜日

「太っちょのオバサマ」は誰か_____深沢七郎のキリスト

太っちょのオバサマはキリストである。これはサリンジャーの『フラニーとゾーイ』の「ゾーイ」で最後にゾーイが明かす秘密だ。といっても、今日のテーマはサリンジャー論ではない。私はサリンジャーのよい読者ではない。ただ自意識の牢獄で苦闘するフラニーに、最後にゾーイが投げかけることば「そこにはね、シーモアの『太っちょのオバサマ』でない人間は一人もおらんのだ。・・・・よく聴いてくれよ___この『太っちょのオバサマ』というのは本当は誰なのか、そいつがきみには分からんだろうか?・・・・ああ、きみ、フラニーよ、それはキリストなんだ。キリストその人にほかならないんだよ、きみ」(野崎孝訳)の意味が長い間わからなくて、ずっとやりのこした宿題を抱えているような感覚を心のどこかにもっていたのだ。

 わかった、と思えたのは、深沢の小説を読み直すようになってからだった。今日取り上げる「揺れる家」は、サリンジャーの「フラニー」が出版されたのと同じ1955年_昭和30年に執筆され、「ゾーイ」が出版されたのと同じ1957年_昭和32年に発表された作品である。荷物を運搬する舟の上で生活する一家四人の出来事が庄吉という少年の語りで語られる。庄吉一家は庄吉の祖父「おじい」と母親「母あちゃん」、「吉」と呼ばれる父親「父うちゃん」、と戸籍すら定かでない少年「庄吉」が舟の中の狭い二畳間に住んでいる。庄吉は実は「おじい」とおじいが養女に迎えた「母あちゃん」の間に生まれた子で、「父うちゃん」はその事実をごまかすためにおじいが探してきた婿なのだった。「杓子くらいしかない小さい顔で頭はとんがり帽子のように尖っって瓢箪みたい」な「よりによった醜男で頭の足りない」父うちゃんはおじいだけでなく母あちゃんからも無視され、辛い目に合っている。だが父うちゃんは庄吉にはいつもやさしく、面倒をみてくれるのだった。

 ある夜、暗闇のなかでおじいと母親、父ちゃんの三人の無言の格闘劇が繰り広げられる。母あちゃんを巡って、三人とも一歩もゆずらぬ肉のせめぎ合いがあったのだ。翌朝、おじいが父うちゃんをたたきのめして、舟から追い出してしまう。事件はその後、母あちゃんの両親の介入で収まるかに見えたのだが、父うちゃんが行方不明になり、クリスマスの朝、おじいが警察に連行されるという展開になる。誰もが、父うちゃんはおじいに川に突き落とされて死んでしまったと思ったのだが、正月になって、庄吉はすれちがった肥舟の上に立っている父うちゃんを見つける。幽霊かと思った父うちゃんはじつは生きている人間だと知った庄吉は、見えなくなった父うちゃんに向かって、舟からころげおちそうになるくらい大きく手を振った。

 「フラニーとゾーイ」と偶然にも同じ年に発表された深沢の「揺れる家」は、サリンジャーが精緻な自我の分析と宗教批判を展開してようやく最後に用意した救済を、なんの衒いもなくまっすぐに呈示している。父うちゃんこそ「太っちょのオバサマ」だ。なんの力もなくて、なにもできなくて、けれど、庄吉にとっては父うちゃんはキリストだった。物語の最初に、父うちゃんが流れてきた板切れを拾って、玩具にするために、庄吉の背中に投げてくれる場面がある。血がつながっていなくても、自分が辛い目にあっていても、父うちゃんは庄吉を愛してくれたし、庄吉も父うちゃんが好きだった。キリストは教会の中で聖書を読み讃美歌を歌うときにいるのではない。街の中に、家の中に、どこにでもいるのだ。だれもがキリストになれるし、ならなければいけない。いや、すでにキリストなのだ。この後「楢山節考」のおりんに具現化される深沢のキリストは、この小説の中では、おりんのように美化され理想化された形でなく、現実のどこにでもいそうな能なしの姿でぽんと現れた。救いは天からくるのではなく、私たちのうちにあるのだ。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年2月2日木曜日

深沢七郎の世界___近代的自我とは何か

この頃また深沢七郎を読み始めている。なんだか深刻そうな、ちゃらちゃらした言葉が煩わしくなるときがあって、無性に深沢の描く「庶民」の「あたたかさ」に触れたくなることがある。

 「おくま嘘歌」は昭和37年から42年にかけて発表された「庶民列伝」という連作の第一作である。本名は「つば」だが、死んだ亭主の名前が熊吉だったので「おくまさん」と呼ばれるようになったくまは「色が黒くて背(せい)が低く、足が短くて四角の様な肩幅で、顔はでかいが眼が細く、アタマが小さくて頸が短」いが「ひとに親切だし、正直だし、働き者」だ。息子と娘の二人の子どもはりっぱにそだち、孫にも恵まれて、生活に不自由はないが、鶏を飼うのが上手で、卵を産ませて商いをしている。楽しみは嫁に行った娘の顔を見にバスを乗り継いで出かけることだが、、孫に会いたくて来たと嘘をつく。娘にひとときでも楽をさせたいので、孫の子守をしてやるのだが、娘に気兼ねをさせたくないのだ。肩にずっしり重い子をおぶって、ふらふらになっても「なーに、いっさら」と嘘をつく。夕飯の蕎麦を打ってやって、目いっぱい働いて、家に帰って、また、今度は息子たち家族のために「なに、いっさら」と働くのである。体の自由がきかなくなると、栄養のあるものは「舌がまずくて」嫌いになり、栄養のないトコロテンを「口あたりがいいら」と食べて、みずから死期を早めるのだ。

 ここに描かれる「庶民」おくまは、徹底的に他者のために生き、他者のために死んでいく。みずからのゆたかなエロスを他者に幸せをあたえることだけにふりむける。知識とか教養ということばとは無縁の、だが、実に繊細で意志の強い人間を「庶民」と呼んで、深沢は提示したのだ。

 もう一つ「おくま嘘歌」とは対照的な「庶民」の話。「おくま嘘歌」より以前の昭和24年ごろに書かれた「魔法使いのスケルツオ」という小説の主人公おつまは、小商いと金貸しで生計をたている。死んだ亭主の母親を世話しているが、どはずれた吝嗇なので、満足に食事もあたえない。息子が二人いるが長男は金の無心に来るだけである。あるとき、長男と修羅場を演じた挙句、金をむしり取られたおつまは、腹いせに姑の食事を断ってしまう。どんなに懇願しても食事がもらえない姑は、餓死寸前の身で部屋のすぐ下を流れるドブ川の岸に降りる。そこで野菊をつんで戻り、むしろに突き刺して死んでいく。その後、おつまは姑の葬式で、手伝いの近所の連中や戻ってきた二人の息子にさんざん散財をさせられる。みんなこの機会に吝嗇なおつまからむしりとってやろうとたくらんできたのだった。

 こちらは徹底的に自分の慾だけに生きる人間を描いた。おつまには、倫理、道徳の観念のかけらもない。唯一「世間」は存在して、最後にその「世間」にやられてしまうのだ。「(稼いでも、みんな使われてしまうのだ)そう思うと涙がポロポロとこぼれてきた」口惜しくてたまらない。だが、反省などとは無縁である。(嫌な奴だったなァ)と思う「姑の姿が戒名だけの小さな形になってしまったので、そう思えばなんだか安心して、口惜しさも少しは我慢する気になってきた。」

 徹底して他人のために生きたおくまと、徹底して自分のためだけに生きたおつま。そのどちらも、懐疑とか内省とか、いわゆる近代的自我とは無縁の人間たちである。あるがままの状況に生き、あるがままの状況を生き抜いていった人間たち。おつまの姑も、受け入れざるを得ない状況を受け入れ、死んでいった。深沢はその姑に人間としての尊厳を保たせるために、野菊を一輪手向けたのだ。日本の社会にも、ほんの少し前までおつまの姑のような人たちは実在していたのだろう。もちろんおつまも、それからおくまも。そのだれもが「あたたかい」のである。つくりものでない、生身の人間の肌触りが懐かしいのである。

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