2014年5月28日水曜日

大江健三郎『懐かしい年への手紙』___Kちゃんによる福音書あるいは黙示録___神話の世俗化と世俗の神話化

 この難解な作品については、文庫本の出版にあたり作者自身が「著者から読者へ__『ギー兄さん』」と題してあとがきをつけ、さらに小森陽一氏のゆきとどいた解説が書かれている。いまさら私が言うことなどあろうか、という思いもするのだが、せっかく一ヶ月以上もダンテだイエーツだマタイ伝だと悪戦苦闘したので、気がついたことを少しだけ書いてみたい。

 最初に『懐かしい年への手紙』という表題について。
「懐かしい年」とは何か。作者みずから作中「循環する時」の意に用いていると書いてあり、それがまず第一義なのだろうが、解説の小森氏は「年」をトポスとしてとらえている。ほぼそれで遺漏はないのだろうが、もう少しささいなことにこだわってみたい。「懐かしい」は解説の小森氏も指摘するように、『同時代ゲーム』の「壊す人」の「壊す」に通じるとされており、「懐かしい年」は「壊す年」あるいは(小森氏は「壊れる年」と表記されているが)「壊される年」でもある。始めもなく終わりもない円環構造の中で、それまでの世界が「壊される」特定の期間__それが「懐かしい年」なのではないか。

 次に「ギー兄さん」とは何か。
これも作者みずから前述文庫版の「ギー兄さん」と題したあとがきの中で、架空の人物であり、現実に出会った多くの人格の合成になる理想像であると書いている。そのとおりなのだろう。だがそれだけではないと思う。そもそもギー兄さんはいわゆる「人格者」として描かれてはいない。年若くしてデタラメと開き直って「家業?」の「千里眼」をやり、同居する母と子の両方と関係をもつばかりか、かつての恋人とその友人に卑劣極まりない性的屈辱を与える。Kちゃんに対してはよき教師であり的を射た批評家であったが、真に彼の自立を促すものであったのかという点では疑問の余地もある。「ギー兄さん」とは何か。そしてギー兄さんとKちゃん_「僕」との関係はいったい何なのか。

 ギー兄さんと僕の関係を端的にあらわす表現がこの小説のはじめの部分に出てくる。敗戦の年十歳になったばかりの「僕」がギー兄さんの自習の相手(これも不思議な関係だが)に選ばれて、はじめてギー兄さんの「屋敷」に行ったときのことである。
「僕はギー兄さんが勉強をする自習相手に選ばれて、村一番の資産家の、固有名詞のように屋敷と呼ばれている住居に出頭したところだったのである」(下線は筆者)
「出頭」とはこのような場合に使う表現だろうか。しかも「僕」は、母親が借りてくれた従兄の革靴を途中で脱いで橋のたもとにかくし、はだしで屋敷の土間に立ち、その後金盥で足を洗ったのである。はだしで「出頭」し、水で足を洗う___この行為の意味するものは何か。たんに泥で汚れたから足を洗った、ということではなく、ある種の宗教的象徴的行為なのではないか。だとすれば、この小説は「ギー兄さん」という「架空の人物」(?)の軌跡を記す福音書として読むことができるのではないだろうか。

 「その秋、僕が生まれ育った森のなかの、谷間の村で暮している妹から電話があった」とはじまる物語の最初の部分にギー兄さんからの手紙が二通記されている。その二通目、こちらのほうが時期的には早く書かれたものだが、書き出しはこうなっている。
《「無花果の樹よりの譬えを学べ、その枝すでに柔らかくなりて葉芽めば、夏の近きを知る」聖書のこの一句に、自分が深くひきつけられたことをいいたいと思う。・・・・・」
美しい夏の訪れにこころをはずませる文章のように見えるが、実はそれだけではない。いやむしろ、そのような日常的な感覚から異次元の世界への飛躍の契機として「無花果の樹」を想起しているのだ。

 この「無花果の樹の教え」は、ギー兄さんの手紙にもあるように、マタイ伝24章32節に挿入されたイエスの言葉である。32節以前にはエルサレム神殿の崩壊と世の終わりのさまが具体的に示され、選ばれた人達が苦難のあとイエスの再臨を迎えることが述べられている。新共同訳聖書では以下のように書かれている。
「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。」枝が柔らかくなり、葉が伸びて夏が近づくということは季節の到来を告げるのではなく、イエスの再臨に先立つ世の終わりを意味するのである。

 さらに、ギー兄さんはプラトンの「パイドロス」をひいて、樹木の枝が柔らかくなるとその部分ガムズガユクなって翼が生えてくる様子に感情移入するという。私には「枝が柔らかくなる」という感覚もしくは状況が(ことばとしてはわかるような気がするが)わからないし、樹木の枝が翼になるというシュールな感覚はもっとわからない。これらは神話の世界の出来事のように思われる。森の魔力の磁場のなかで生まれ・育ち「このように美しい少年がいるのかと思った」と描写される「ギー兄さん」と呼ばれる存在は、一部の評者がいうような作者の分身などではなく、神話の世界の人物なのではないだろうか。

 作品中いたるところにちりばめられる死と再生のモチーフ(冒頭、四国の郷里にむかう旅のはじめに、ヒカリが癲癇の発作を起して「大きい公衆便所のようにも見える地下道に、釈迦の涅槃図のような恰好で倒れていた」と書かれているのも小説全体のテーマであり最後のギー兄さんの運命の暗示であろう)、実体を持った存在として語られる魂の問題、生殖機能を失うギー兄さん=去勢の暗示、など、この小説は神話を世俗的に語ったのではないか。あるいは世俗的な現実を神話化したのか。

 神話の完成はいうまでもなくギー兄さん=森の神の死である。「煉獄のモデル」をつくり「魂の浄化」をするために、自らの私有地である「テン窪」を堰きとめて人造湖をつくろうとしたギー兄さんは殺された。堰きとめられつつあるテン窪という湿地帯が、「壊す人」の事跡の始原にあったような黒い水をたたえ、くさい臭いをたてはじめて、下流の人々がその堰堤の決壊を怖れたからである。

 だがギー兄さんはたんなる被害者ではない。みずから夢のなかの話として、人造湖となったテン窪に小舟を浮かべ、自分が合図して堰堤を爆破させる、そして真黒い水ともども、自分が鉄砲水になって突き出す。その黒々としてまっすぐな線が自分の生涯の実体であり、世界中のあらゆる人々への批評なのだ、と語っている。現実に「僕」の妹は「ステッキをついて工事現場で陣頭指揮するギー兄さんは、正直いえば狂信者めいてきてね」と悪魔的な破壊者の様相を呈するギー兄さんの姿を客観的に描写する。もはや、「隠遁者ギー」の面影はない。ギー兄さんは、頭蓋骨に重傷を負うことになる安保デモのときにも、ステッキならぬ雨傘をふりかざして大立ち回りをしたのだったが。

 さて、話は戻るが、この小説は神話を世俗化したのか、あるいは世俗的な現実を神話化したのだろうか。その両者の幸福な(?)一致が宗教だろうか。そしてこれは、Kちゃんによるギー兄さんの福音書なのか、それとも、「懐かしい年_壊される年」への手紙という黙示録なのか。ギー兄さんの堰堤工事を弾劾して谷間と在のいたるところに貼りめぐらされたビラの黒い水人殺しという文字は無気味である。作品発表当時は思いもよらなかった出来事が起こってしまったいまとなっては。

 この小説については、「ギー」という音(隠遁者ギーとギー兄さんの(実名の)音の共通性ということばが冒頭に出てくる)、固有名詞で語られる作中人物の容姿の描写など、考えなければならない問題を多く含むが、解決にいたるまでまだ長い道のりがあると思う。

 この作品にくらべれば『同時代ゲーム』はずっとわかりやすかった、と思えてきました。あくまで、「くらべれば」ですが。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2014年5月7日水曜日

深沢七郎『風流夢譚』___「時計仕掛け」の革命夢譚

 いま大江健三郎の『懐かしい年への手紙』を読んでいる。錯綜した時系列の要所々々にダンテの「神曲」、イエーツの詩、新旧約の聖書などが原文または文語訳、ときにはラテン語などでかなりの分量が引用され、西洋文学にたいして通り一遍の知識と教養しかない、もしくはそれすらも覚束ない私は悪戦苦闘を強いられている。それでも大半は、(当たり前だが)日本語で書かれている。日本語および日本文学の読者として、この作品を読み進めるにあたって、どうしても看過できない、というほど大げさでもないかもしれないが、喉に突き刺さった骨のような感触を覚える部分があるので、それについて書いてみたい。

 ひとつは主人公ギー兄さんが淡い思いをよせた女優のSさんを懐古してくちずさむ「のうさてな、逢ひ見ての後の心にくらぶれば、かほど物をば思はじものを、昔恋ひしやな、今の身や」という古歌とも謡ともつかぬ語句である(下線は筆者)。作中妻のオユーサンが指摘するように百人一首にある権中納言敦忠の歌から引用しているのだが、原歌は「逢ひ見ての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり」(下線は筆者)である。ここは打ち消しの助動詞「ず」(この場合は連用形「ざり」)しか使えない。「思はじ」の「じ」は否定の意志、推量の助動詞「じ」(この場合は連体形「じ」)なのだが、それでは前の句と意味が繋がらない。日本語として意味が成り立たないのである。「のうさてな・・・・」は何度も繰り返されるので、その部分を読むたびに意識は混乱してそこでたちどまってしまう。

  もうひとつは、こちらが本題なのだが、自作『セヴンティーン』を発表し右翼から攻撃されたことに関連して、深沢七郎の『風流夢譚』に言及した箇所である。ほぼ時期を同じくして発表された『風流夢譚』について大江健三郎は「天皇家をめぐり、土着的な独自のグロテスク趣味に、強い風刺性をないまぜたこの小説」と総括している。?「土着的な独自のグロテスク趣味」とはあまりに皮相なもっといえば浅薄な見方ではないか。深沢はその独特な石和弁とおよそ作家らしからぬ日本語の使い方からそのように誤解されるかもしれないが、きわめて都会的、理知的な作家である。『風流夢譚』のグロテスク趣味とは何を指していうのか。私には大江健三郎の情愛を伴わない性描写の方がよほどグロテスクに感じられる。もっとも、「グロテスク」は非難の言葉ではないのだが。

 前回のブログでも述べたように、『風流夢譚』は堅固な構成の作品である。前回は「私は誰でしょう?」と語り手に焦点を当てて考察してみたが、今回は作品の枠組みをつくる「時間」について考えてみたい。冒頭「あの晩の夢判断をするには、私の持っている腕時計と私との妙な因果関係を分析しなければならないだろう」と書かれているが、この小説には二つの時計が重要な役割を果たすのだ。一つは「アメリカ婦人」のものだったのを「私」が友人から買った腕時計であり、もう一つは同居している甥の「ミツヒト」が家に置いてある「高級なウエストミンスターの大型時計」である。「アメリカ婦人」のものだった腕時計は「私」が腕からはずして寝ると止まって、朝起きて腕につけると動きだすのだが、「ウエストミンスターの置時計」はつねに正確な時を刻む。「私」は二つのタイム・スケジュールにのっとって生きているのである。

 日中活動しているときは「アメリカ婦人」のものだった腕時計の時間が流れるが、眠っているときは腕時計は止まっている。一方「ウエストミンスター」の置時計は休むことなく動いていて、厳然として流れは止まることがない。ただ「あの晩」の午前1時50分から2時の10分間だけは「私」の腕時計も動いていて、「私」は革命の夢を見た。グロテスクな描写などどこを探してもなく、あっけらかんと、それこそ大江のいう「祝祭としての革命」の夢である。夢の中味を詳しく吟味することは次の機会に譲って、いまは、この夢が二つの時間の流れが一致した僅か10分間に見られたものだった、ということを指摘しておきたい。アメリカの時計とイギリスの時計が重なって動いた10分間。そして夢の中で繰り返し出現する「イギリス製」の皇族の衣裳。それは偶然の一致だろうか。

 ほんとうは『懐かしい年への手紙』に集中すべきなのですが、大江の『風流夢譚』へのあまりにおざなりな評価の仕方に一言いいたくなって寄り道してしまいました。大江健三郎という作家が日本語および日本文学に対してどのような姿勢をとっているのか、についてはもっと時間をかけて考え続けなくてはいけないように思います。

 今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。