2015年3月10日火曜日

大江健三郎『憂い顔の童子』___「童子」と「アレ」の楕円構造その2

 物語の後半は、古義人の旧友である「黒野」という人物の登場から始まる。黒野は、ローズさんいわく「『ドン・キホーテ』のなかで作者が本当に悪いやつとみなしているヒネス・デ・パサモンテ」のような人、と紹介されている。大学の同窓だが、関わりがあったのは反・安保運動の渦中で、古義人は彼の様ざまな企ての後始末をするはめになった。それでいて黒野は、古義人を「いろいろ運動に近づくが、本腰入れぬ、上昇指向のオポチュニスト」と批判していた。

 黒野が「私のヒネス・デ・パサモンテ」と古義人に呼ばれる理由は、ノーベル賞をもらった古義人が文化勲章を辞退した件に関わってくる。黒野は匿名の手紙でこう書いてきたのだ。

 勲章をもらったうえで、そのレプリカを作ってそれに新型の爆弾をしのばせて頸につるし、晩餐会に出れば、《真先にきみの頭が吹っ飛ぶのは当然だが、この国で歴史始まっていらい、誰ひとりなしえなかったことをやった人物として、記憶されることになる!きみも『政治少年の死』の作者だろう?》

 そして古義人が『政治少年の死』に書いた
 純粋天皇の胎水しぶく暗黒星雲を下降する
の実現をうながすのだ。

 事後、黒野は古義人が文化勲章を辞退した理由は知っている、とせせら嗤いながら、その「秘密」を公表しないことで、古義人に「貸し」を作った、と考えている。ローズさんはそう推測し、古義人もそれを否定しないのである。「貸し」は本当なのだろうか。

 黒野の登場とともに、物語の舞台は古義人の住まいの十畳敷から「奥瀬」と呼ばれる、かつて古義人の父が開いた超国家主義者の錬成道場のあった場所に移る。古義人と吾良とピーターという米兵の「アレ」があった所である。

 『取り替え子』で詳しく語られる「アレ」とは、超国家主義者だった父の後を継いだ「大黄さん」の主宰する道場を訪れた古義人と吾良と米兵ピーターの経験した事件である。使用不能になった銃を要求されたピーターが大黄さんたちに殺されたのではないか、古義人と吾良はそれに手を貸してしまったのではないか、その真相は最後までわからない。

 錬成道場のあった地所はバブル時にホテルの経営者に売られ、いまそこに田部という経営者の夫人が「十八世紀ヨーロッパの王家や貴族が芸術家や学者を招待する」という夢を実現させようと、たんなる温泉施設ではない「新しいホテル」を建設している。黒野はそこに古義人を巻き込もうとしていた。長江古義人が主宰する「シニア世代の知的活性化セミナー」なるものが、本人の知らない間に地元の新聞に発表され、すでに具体化され始めているのだった。

 古義人はこの話をことわることもできたのだが、黒野の強引さに押されるかたちで受け入れ、真木彦さんが積極的に実務を引き受けたのである。黒野は、セミナーの一環として、六十年代に「若いニホンの会」に集まったメンバーをもう一度組織して「老いたるニホンの会」を立ち上げようと言うのだ。だが、黒野はたんなるオーガナイザーとして「老いたるニホンの会」を考えているのではなかった。本来志向しながらそのように生きられなかった分野に戻るために、彼自身は「本格小説」をものしたいという。「女性的な情の濃さが切れ込みの深い眼に満ちている」「疲れた山羊のような顔が、やはりハンサムというほかない」と描写される黒野は、波乱万丈な人生の総決算として小説を書くことを思っているのだ。

 奥瀬に建つ新しいホテルの文化セミナーは中止になった。ローズさんとの閨房の秘事を真木彦さんから聞いて得意げに話す田部夫妻の下劣さに古義人が憤ったからである。奥瀬のホテルに集まった「老いたるニホンの会」のメンバーは、最後にパフォーマンスとして機動隊を迎え討つ「我が青春のジグザグデモ」をすることになる。リーダーの麻井を中心とするデモは難なく目的とするホテルの音楽堂に到着するが、その後余勢をかってさらに機動隊を粉砕しようとして、あべこべに機動隊員の扮装をした若者たちに摑まってしまう。古義人も左右に腕をとられて音楽堂から斜面を滑り落ちていく。それはまさに吾良が遺した米兵ピーター殺害のシナリオさながらだった。そして、自分を捕らえている二人が真木彦さんと動くんであることに気づいた古義人は、憤怒のままに腕を振り払おうととして、空中に投げだされ、赤松の木に激突する。古義人は頭蓋骨に重傷を負い、黒野は心臓発作で死んでしまう。

 黒野は本当に古義人にとって「私のヒネス・デ・パサモンテ」だったのか。どうも私にはそうは思われない。彼は「作家にならなかったもう一人の古義人」_古義人の影武者とも言うべき存在のように思われる。「私のヒネス・デ・パサモンテ」は真木彦さんではないのか。古義人から執拗に「アレ」の真相を引き出そうとする試みは、真に古義人のためなのか。

 「アレ」の真相はついに明かされないのだが、最後に「加藤典明」という評論家の文章を真木彦さんが古義人に見せ、その中にある「強姦と密告」という文字に憤りながらも触発された古義人が「密告」について新たな光を見出す場面がある。講和条約発効日に古義人は吾良の住んでいた寺のお堂を訪ねた。そのとき、住職がじきじきに電話の呼び出しに来たのである。吾良にかかってきたその電話がピーターからのものだった可能性がある、ということ。もし、そうであれば、「密告」はピーターの所業だった。ピーターは、大黄さんたち練成道場が講和条約発効日に蹶起する計画を米軍に密告していた。そして、道場の若者たちは死体となって基地のゲート前に横たわっていた。・・・・・・・ピーターは被害者でなく、加害者の側だった・・・・・・・

 最後のどんでん返しが真相だと仮定すると、「アレ」について書かれたすべてがまったく異なった解釈を強いてくる。そのことは必然的に、読者に「アレ」について書かれたすべての「読み直し」を要請してくるのだ。そうすることによって、読者は敗戦直後に何が起こって、何が起こらなかったかをもう一度検証し直す。起こったこと、起こらなかったことの意味を考えるために。

 最終章で意識不明の古義人に、妻の千樫が中野重治の『軍楽』の一節を読み聞かせる場面がある。敗戦直後、復員したばかりの元日本兵(おそらく中野重治自身がモデル)が、進駐軍のブラスバンドが演奏する音楽を聞く。その音楽はこう書かれている。

《・・・・・男はふるえあがるような、痛いようなものを感じた。それは男に西洋的なものでも東洋的なものでもなかった。民族的なものでさえなかった。それは、人のたましいを水のようなもので浄めて、諸国家・諸民族にかかわりなく、何ひとつ容赦せず、しかし非常にいたわりぶかく整理するような性質のものに見えた。・・・・・・・・
殺しあったもの、殺されあったものたち、ゆるせよ・・・・・・はじめて血のなかから、あれだけの血をながして、ただそのことで曲のこの静かさが生まれたかのようであった。二度とそれはないであろう・・・・・・諸国家、諸民族にかかわりなく、何ひとつ容赦せず、しかし非常にいたわりぶかく・・・・・・》

 中野重治という人の文学と生の軌跡について何も語れぬ私は、この文章についても、何もいうことができない。ローズさんは(大江自身が、だろうが)声を震わせて
「私ハ、読ミマシタガ、ワカラナイデス。ナゼ、二度とそれはないであろう、ナノカ?二度モ三度モアッタ、イマモ同ジ米軍ガ、ヤリ続ケテイマス。」
というのだが、古義人の妻の千樫はローズさんに呼びかける。
「よくわからない同士で、練習してみましょうか。古義人はもう涙を流していません。耳を澄ましているような感じです。」

 駆け足であらすじだけ書き散らした文章で、あらためて自分の非力を痛感しています。『憂い顔の童子』については、ひとまずこれで卒業にして、何とか次にとりかかりたいと思います。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2015年3月2日月曜日

大江健三郎『憂い顔の童子』____「童子」と「アレ」の楕円構造・その1

 『憂い顔の童子』を読み始めてからもう三ヶ月になるのに、いまだに何も書けないままである。ひとつには私の生活が、ものを書いたりあるいは読んだりすることさえも厳しい状況にあった、といえなくもないのだが、それはやはり言い訳で、作品と私の間に「いま、これを書かなくては」というのっぴきならない緊張の関係が成り立たなかったのだ。大江健三郎の「良い読者」どころか「読者」であること自体に自信をうしなってしまいそうな気がする。

 この小説の目次をみて気がつくことは、ひとつひとつの章がこれまでの大江の作品にくらべて非常に短い、と感じられることである。序章「見よ、塵のなかに私は眠ろう」から終章「見出された「童子」」まで二十一章ある。いったん通読すれば、章題を見てその内容を思い出すことができるので、章題は索引のような役割を果たしているようだ。

 序章「見よ、塵のなかに私は眠ろう」は特に重要である。ここに、以下に続く物語のテーマがすべて呈示されている。主人公の作家長江古義人が谷間の森に帰って暮らし、「童子のこと」をするのは、死にゆく母の強い要請が誘引するものであった、ということ。古義人のもっともよき理解者であり、最も深い批判者であった母の言葉としてあるように、古義人の書くものは「ウソの世界」を思い描いたものであって、本当のことは「ウソに力をあたえるため」に交ぜるのだということ(その逆ではない、いうまでもなく)。そして最後に、章題「見よ、私は塵のなかに眠ろう」の出典であるヨブ記_義人の苦難をうたった長詩として有名である_とくにその七章21節
 「今や、わたしは横たわって塵に帰る。
 
 あなたが捜し求めても
 わたしはもういないでしょう」
という敗北宣言である。だが、それはほんとうに敗北宣言なのか。

 長男のアカリを連れて郷里に帰った古義人は、「ローズさん」という古義人の作品の研究者と同居して「童子のこと」にとりかかる。「童子」とは、五歳のとき自分を置いてひとり森に戻ってしまったコギーであり、コ・ギーであることから「ギー兄さん」と呼ばれる古義人の作品の主人公たち、また、明治の終わりに別子銅山の住友騒動で鉱夫の側に立って県警と採鉱課相手に調停した「(歴史上)はっきり実在した人物」とされる動(アヨ)童子、西南戦争で敗走する西郷隆盛が託した二頭の犬を世話し、遺された一頭とその仔犬の血筋を増やすことに一生をささげたという「老人になった童子」のことである。「童子のことをする」とは、「童子」について「書くこと」である。第十一章「西郷さんの犬を世話した童子」のなかで、ローズさんが古義人のノートに記された文章としてこう説明している。

《私の主人公が何故、東京という中心の土地に住まうことを止めて、周縁の森のなかに帰っていくのか?私の影武者でもあるかれは、自分の作り出した作品世界において根本的な主題を、はっきりいえばつまりノスタルジーのいちいちをあらためて検証しようとしているのです。とくに土地の伝承のうちにある、つねに少年として森の奥に生きており、この土地を危機が見舞う際、時を越えてその現場に出現し、かれらを救う「童子」についてあきらかにしよう、とめざしています。》

 ここまで自作自解をやられると、みもふたもない感もするのだけれど、「童子」についてあきらかになったか、というと、そもそもあきらかにしようとする意図があったのか、と思ってしまう。あきらかになっていくのは、古義人を取り巻く状況の変容である。「谷間の森」と名づけられた郷里の人心は荒廃している。かつてそこが「根拠地」とされ、「教会」が建てられた「倉屋敷」は崩壊の寸前だ。古義人のスポークスマンでもある妹のアサさんも例外ではない。アサさんは古義人にとって、中立、公平な「社会との仲介者」でありながら、最も厳しい批判者でもあるのだ。実際に、「童子」のことを調べていく過程で、古義人は肉体にも精神にもさまざまなダメージを加えられる。

 最初に、初代童子ともいうべき「亀井銘助」が描かれた絵を探して不識寺の松男さん(『燃え上がる緑の木』に登場し、「ギー兄さんの教会の信仰の中心的存在となる)を訪れた古義人が、納戸の上の「いかにも特別なあつかいを受けている感じ」の箱を取ろうとして、落下して納骨堂に突っ込んでしまい、逆さ吊りになった古義人に「引き取り手のない県出身のBC級戦犯」の遺骨が骨壷ごと降り注ぐ、という事件が起こる。たんなる事故ではないようで、松男さんと「三島神社の神主となった同志社出身の真木彦さん」がはかったことのようである。古義人の左足は「ギブスに捕われの身」になってしまう。

 次に古義人が受けたダメージは、あきらかに真木彦さんのたくらみによるものである。真木彦さんは古義人の義兄である吾良の死について古義人と話すうちに、その真相をあぶりだそうとする。神主の真木彦さんは、土地の習俗である「御霊」の行進に、吾良と足を潰されたアメリカ兵の御霊を登場させる。吾良と古義人が高校生のときにかかわった事件があって「アレ」と呼ばれるのだが、かれらのせいでアメリカ兵が殺されたかもしれないのだ。吾良とアメリカ兵の御霊を見た古義人は恐怖とも怒りともつかぬ情動に突き動かされて森の中を走り出し、斜面から沢に墜落する。そうして左耳に裂傷を負ってしまうのだ。

 真木彦さんはこれ以降も執拗に「アレ」を追及する。なぜ神官の真木彦さんが「アレ」と古義人にこだわるのか。作者は(もちろん古義人は、ではない)は真木彦を恋してしまったローズさんに、「古義人はこの世紀の変わり目の、真の小説家なんです。一方で真木彦は、あなたが想像力で作りあげた「救い主」を検討して、この土地で、それらを超えた「救い主」を現実に作り出したいんです。わかりましたか?真木彦は革命家なんです!」と言わせている。_______しかし、古義人が真の小説家であることはうなづけても、真木彦は革命家なのだろうか。また、彼が執拗にアレを追求して、というよりアレを利用して再び古義人にダメージを負わせ再起不能かもしれない状態にまで追い込むのは革命の戦略といえるのだろうか。

 物語は後半、古義人が若い頃参加していた「若い日本の会」のメンバーが登場して、革命と童子とアレが複雑に入り組んだ展開をなしていくのだが、長くなるので、回を改めて続けたい。不出来で半端な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。