2021年11月7日日曜日

三島由紀夫『天人五衰』__愛と救済のfarewell__輪廻転生を断ち切る残酷な真実

 前回の投稿で『天人五衰』について、もう言うべきことは言いつくしてしまったような気がするのに、何故か次の作品に向かうことが出来ない日が続いている。とりとめもない日常に埋没して、枯渇しつつあるエロスの対象を作品に集中することを怠っている毎日である。一言でいえば、能力不足なのだが。 

 それで、これから書くものは、読書感想文にもならぬただの「私の心境報告」である。

 この作品の難しさのひとつは、主人公が二人いて、しかもほとんど一人である、ということである。本多繁邦と安永透は、それぞれ別の人格をもって登場するが、二人ともまったく同じように、「純粋な悪」によって、正確無比に廻る歯車をもっている。歯車は、「無限に生産し、無限に廃棄するいやらしいほど清潔な工場の中で」廻りつづけている。そのことを両者ともに認識する存在として描かれている。作者は、あるときは安永透に憑依して彼の認識する世界を語り、あるときは本多繁邦の老いとその日常を彼の内側から告発する。安永透の世界の認識も本多繁邦の老残も、これ以上はないほど的確に叙述される。そして、的確に叙述されればされるほど、私の中で、この作品の「作者像」が揺らぐのである。

 作者像の揺らぎの問題はひとまず措くとして、いまの私の感覚、ほぼ生理的な感覚と言ってよいと思うのだが、それが受け入れやすいのは紛れもなく本多繁邦の老残の姿である。私はまだ本多の年齢には達していないし、本多とは性別を異にしているが、日常を生きることがそのまま死に近づていき、死の浸透をまぬがれないという厳然たる事実と向き合っている。ささやかだが執拗に続く身体の不具合、外の世界に対する秘かな軽蔑と無関心、あるいは破壊の衝動、これらはエロスの枯渇というよりもっと積極的に死の謀略であるという思いがある。

 朝目覚めた本多がまず向き合うのは死の顔だった。そんな現実よりもはるかに生きる喜びに溢れているのが夢の世界だった。目覚めても、夢の余韻に身を漂わせることが本多の習慣になっていた。小説の前半に、夢が思い出させたひとつのエピソードが語られている。若かったころの母が、ある雪の日に作ってくれたホットケーキの話である。

 ふりしきる雪の中を傘もささずに空腹で帰った本多を出迎えた母が、火鉢にフライパンをかけ、油をそそいで、一心に炭火を吹きながらホットケーキを焼いてくれた。炬燵にあたたまりながら食べたホットケーキの蜜とバターの融け込んだ美味も生涯忘れがたいが、少年の本多は、雪明かりのほの暗い茶の間で、ひたすら火を吹く母の突然のやさしさの裡にある憂悶、悲しみを、ホットケーキの美味を通じて、愛のうれしさを通じて、直観したのだった。遠い昔のつかの間の感覚の喜びが、半世紀以上も本多の人生の闇を、少なくとも火のある間は崩壊させたのである。

 このエピソードは、本多が久松慶子に招かれ、外国人の老女たちに囲まれてあまり身の入らないトランプのゲームをしている最中に、ふと想起した出来事のように書かれている。面前の現実よりも夢の世界に想いを馳せることが多くなった老年の本多が幾度も思いだすエピソードである。美しすぎるくらい美しいエピソードだが、ひとつ注目したいのは、この文脈で「愛のうれしさ」という言葉が使われていることである。

 「ホットケーキの美味を通じて」と並んでおかれる「愛のうれしさを通じて」という表現の中に挿入される「愛」という単語が何を意味するかについて、ほとんどの読者はこの箇所でたちどまって考えることはないだろう。どんな事情で母が憂悶をかかえていたかはわからないが、少年の本多は母の悲しみを感じとり、その悲しみを注ぎ込んだかのようなホットケーキの甘さを「愛のうれしさ」と受けとった。本多のこの感情の機微が「愛」と呼ばれていて、これを「愛」と呼ぶことには万人が共感するだろう。

 老年の本多の愛の記憶がどこまでも甘美なのに対して、本多とクローンのように同質の人間として、「純粋な悪として」、登場した安永透の「愛」はどのようなものとして語られるだろうか。

 安永透は孤児である。

 「彼は凍ったように青白い美しい顔をしてゐた。心は冷たく、愛もなく、涙もなかった。」

と書き出される。

 いったい透の人物像の造型は、作者が彫琢をきわめればきわめるほど、凡庸な私の理解から遠ざかっていく。その完璧な人工性、独自性、そういう特性は、ことばとしては理解できても、というより、十分すぎるほど理解できるのだが、そうやってつくり上げた透の人間像は、自然に不自然なのだ。あるいは、不自然に自然である、といおうか。

 本多繁邦の養子になった透に縁談がもちこまれる。透は十八歳の高校二年生である。金目当ての申し入れと思いながら、本多は承諾し、透は百子という少女と交際を始めることになる。百子は没落しつつある旧家の令嬢で、美しいが平凡である。百子は無邪気に透に思いを寄せるが、透は、彼女をいたぶり、奸計をめぐらせて陥れ、婚約者の座から突き落とす。透は、満を持して待ち構えていたのだ。家庭教師の古澤に続く第二の犠牲者を。彼の磨き抜かれた刃で傷つける獲物を。そして、その情念を、透は「愛」と呼ぶ。

 「微笑が僕の重荷になったので、百子の前でしばらく不機嫌をつづけてやらふという目論見が僕にうまれた。怪物性をちらとのぞかせる一方、欲望が鬱積して不機嫌になる少年といふ、あのごくありきたりな解釋の餘地も殘しておく。そしてこれらすべてが無目的な演技ではつまらないから、僕にも何らかの情念がなければならない。僕はその情念の理由を探した。一番本當らしいものがみつかった。それは僕の中に生まれた愛だった。」

 小説の中ほどにかなりの部分を占めて「本多透の手記」が存在する。透の一人称で、自己分析をまじえながら、百子との「愛」の顛末が語られている。最初から、透の命題は、百子の「肉體を傷つけないで精神だけ傷つけ」ることだった。もしかしたら、肉體も精神もともに傷つけるよりも、もっと残酷な行為かもしれないが、それを意図した透の心情は理解できなくもない。私がわからないのは、以下に続く文章の意味である。

 「僕は僕の悪の性格をよく知っている。それは意識が、正に意識それ自體が、欲望に化身し了せるというやみがたい欲求なのだ。それは、言ひかへれば、明晰さが完全な明晰さのままで、人間の最奥の渾沌を演ずることだった。」

 難しい単語が使われているわけでもなく、文脈が読めないわけでもない。だが、私には「意識が欲望に化身し了せるというやみがたい欲求」がどういう欲求なのかが、まったくわからない。「明晰さが人間の最奥の渾沌を演ずる」とはどんな行為かわからない。

 突拍子もないことをいうようだが、たぶん、それは私が女だから、ではないだろうか。女は、というか私は、意識が欲望に化身するなどという放れ業は想像すらできない。いや、意識と欲望は未分化である。また、敢えて、独断と偏見をいえば、女と明晰は同じカテゴリーの中に入ることはできない。女は、

 「だって私の心がきれいだってことは、私が知ってゐるんですもの」

と平然と言い放つことができる百子と同じく、「ある悲しみに充ちた至福に涵ってゐて、あの少女趣味のがらくたから愛にいたるまで、かうしたあいまいな液體の中に融かし込んでゐる」生物なのだ。「彼女という浴槽に首まで漬かってゐ」るのは百子だけではない。女の常態である。

 いくつかの三島の小説を読んでいて思うのは、いったい彼はどんな女なら愛することが出来るのか、という疑問である。同時に、こんなに女を「知っている」男がいるのか、という驚嘆だ。もちろん、小説の主人公=三島由紀夫ではない。だが、『天人五衰』の本多透は三島のほぼ自画像といってよいだろう。少なくとも、リアルに存在する十八歳の少年ではない。

 手記の中で透は、「世界の外から手をさし入れて何かを創ってゐたので、自ら世界の内部に取込まれるといふ感じを味はったことはない」と自負する。また、「悲しいほどに獨自だった」と強調する透が、なぜ、特権階級の令嬢とはいえ、ただ平凡なだけの百子に苛立つのか。「他人の自己満足をゆるしておけないのが、僕のやさしさなのだ。」と透はいうのだが。

 「(愛されているかどうかという不安の)柵の内側に決してはいらない」「小さなすばしこい獣」と形容される百子を嫉妬させるために、透は汀という女を利用する。そして、最終的に、百子は、透に執拗に唆されて、汀に手紙を書く。自分は金目当てに透と付き合っていて、一家あげて透との結婚に賭けている。どうか、透と別れてくれ、という内容である。無邪気な百子は、「麻酔をかけるやうに」たえず耳に愛を囁かれて、愚かな女になったのだ。

 透が繰り返した「愛してゐる」という言葉について、彼はこうも言っている。

「しかし、「愛してゐる」といふ經文の讀誦は、無限の繰り返しのうちに、讀み手自身の心に何らかの變質をもたらすものだ。………
 百子の要求するものも亦、このいかにも時代遅れの少女にふさはしく、純粋に「精神的な」確證だけだったから、これに報いるには言葉で十分だった。地上にくっきりと影を落として飛翔する言葉、それこそ僕本来の言葉ではなかったか。僕はもともと言葉をさういふ風にのみ使ふうやうに生まれついたのだ。それなら、(この感傷的な言草はわれながら腹が立つが)、僕の人前に隠してきた本質的な母国語は、愛の言葉そのものだったかもしれない。」

 三島由紀夫の文学の急所がこの独白で語られている。それは、彼の文学が、「地上に影を落としながら飛翔する」すなわち、現実の重力に引きずられない言葉の文学であること、それは文学者として生まれついた出発点からそうであったこと、それから、これが最も重要かもしれないが、「愛の言葉そのもの」だった、という告白である。

 「本多透の手記」という章には「愛」という言葉が散りばめられている。三島の作品で、これほど「愛」という言葉が使われるものがほかにあっただろうか。だが、ここに使われる「愛」という言葉には、複雑な屈折が含まれている。前述のホットケーキにまつわる本多の回想が、万人が共感を寄せるような感情の機微であったのに対し、透の定義する「愛」は

 「しかし要するに、僕の人生はすべて義務だった。こちこちになった新米の水夫のやうに。……そして僕にとって義務でないものは、船酔、すなわち嘔吐だけだった。世間で愛と呼んでいるものに該當するもの、それが僕にとっての嘔吐だった。」

とあって、この言葉を感覚的に受け入れられる人は少ないだろう。

 嘔吐=愛の図式はあまりにも極端で奇を衒ったように思われる。だが、それにもかかわらず、この小説を読了して、私の中に沈殿してくるのは、「愛」である。人生のあらかたを生きてしまった本多の回想の中の甘美な感覚の喜びも、透の屈折と苦渋に満ちた行動の軌跡も、どちらも「愛」なのだ。

 末尾の久松慶子の苛烈な弾劾の言葉の底流も、やはり「愛」だろう。慶子の、そして本多の、「人間について知り過ぎてしまった人の 愛情」____複雑に絡み合った輪廻転生を断ち切ったのは、苦渋に満ちた、残酷な「愛」の真実だった。

 とりとめもない心境報告の最後に、「本多透の手記」の中で、というより『天人五衰』の中で、最も美しい場面を引用して終わりたい。百子と二人、日没間際の後楽園を散歩したときに透が見た光景である。

 「そこで橋上の僕らは、おかめ笹におほわれた丸い築山の小蘆山と、その背後の深い木立に、最後のしたたかな光を投げかけてゐる落日の投網に對してゐた。網目にとらへられることを拒みながら、そのまばゆさに耐へ、苛烈な光明に抗ってゐる最後の一尾の魚のやうに自分を感じた。
 僕はともすると他界を夢みてゐたのかもしれない。……もとより僕は救済を求める者ではないが、もし僕にも救済が来るとすれば、意識を絶たれたあとでなくてはならないと思った。悟性がこんな夕日のなかで腐敗してゆくときは、どんなにか快いにちがひない。
 たまたま西側の橋下は、蓮に充たされた小池であった。
 水のおもても見えぬほど密生した蓮の葉は、水母のやうに夕風に浮遊してゐた。裏革のやうな肌の、胡粉を含んだ粉っぽい緑の葉が、小蘆山の谷底を埋めていたのである。蓮の葉は光を柔軟にやりすごし、隣の葉の影を宿し、あるひは池邊の一枝の紅葉のこまかい葉影を描ゐていた。すべての葉が不安定に揺れながら、かがやく夕空に競って欣求してゐた。そのかすかな聲の合誦が聞こえるかのやうだった。」

 かがやく夕空に競って欣求していたのは蓮の葉であり、透であり、本多だった。生きとし生けるもの、何より私自身だったかもしれない。

 手記を海中に投げ捨て現実に驀進していった透は失明し、本多は、スキャンダルによって、財産以外築いてきたすべてを失った。だが、それでも、とうよりそれこそが、救済だったのではないか。

 長く粗雑な心境報告を最後まで読んでくださってありがとうございます。