2022年12月18日日曜日

宮澤賢治『風の又三郎』__最後に残る二つの謎__高田三郎と宮澤賢治

  この後の月曜日、一郎と嘉助が嵐の中登校して、三郎が転校したことを告げられる。嘉助は先生に挨拶するとすぐ、「先生、又三郎きょう來るのすか。」ときいている。先生が告げるまでもなく、もう三郎は来ないことを嘉助も一郎も知っているのだ。

 九月一日に現れて、(おそらく)十一日に去って行った高田三郎。三郎が「風の又三郎」かどうか、という問いに対して、じつは私はほとんど関心がない。嘉助がまず最初に「又三郎」と呼び、子どもたちもみなそう呼んだ。それで十分である。物語の中で、高田三郎は、モリブデンの発掘という仕事をする父親とともに、谷川の小学校に現れた。モリブデン発掘が中止になったので、村を去った。それ以上でもそれ以下でもない。

 『風の又三郎』という作品を、東北地方にあるという「風祭り」と関連づけたり、又三郎を「風の神」としてとらえる民俗学的アプローチもあるようだが、いまの私は、そのようなアプローチには組したくない。

 少し、興味を覚えるのは、「鼻のとがった人」がステッキのようなもので川の浅瀬を調べていたことと、モリブデンの発掘が関係があるのかもしれない、ということである。だが、これも、さほど重要なことではないかもしれない。

 私がどうしても解決できない謎が二つある。一つは、三郎を極度におびえさせたシュプレヒコールの発端となった

 「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」

と叫んだのは誰か、ということである。本文では「すると、だれともなく、「雨は…。」と叫んだものがありました。」と書かれている。「叫んだもの」は人なのか、それとも作者はそうでないものを想起させたかったのか。

 この後すぐ、「みんなもすぐ声をそろえて叫びました。」と書かれているので、シュプレヒコールを発したのは子どもたちである。三郎が「いま叫んだのはおまえらだちかい。」ときくと「そでない、そでない。」と「みんないっしょに叫びました。」と、これも子どもたちがいっせいにそう叫んだのだ。

 最初に叫んだのが人か何かわからないが、次にシュプレヒコールを浴びせたのはあきらかに子どもたちである。だが、三郎の問いにみんなで声をそろえて否定する。またもやぺ吉が出て来て「そでない。」とだめ押しする。

 シュプレヒコールの威力は、集団の暴力である。多数の者がいっせいに声を出すことで、コミュニケーションを切断するのだ。前日は、一郎の音頭で子どもたちがシュプレヒコールを浴びせ、正体不明の鼻のとがった人を追い払った。この場面では一郎も集団のなかに埋没している。嘉助も耕助も「みんな」のなかである。三郎ひとり、「みんな」と対峙しなければならない。淵から上がった三郎のからだががくがくふるえていたのは、寒さと恐怖と、絶望的な疎外感のためだったのではないか。 

 もう一つわからないのは、物語の最期の段落の始めに

 「どっどど どどうど どどうど どどう
  青いくるみも吹きばせ
  すっぱいかりんも吹きとばせ
  どっどど どどうど どどうど どどう
  どっどど どどうど どどうど どどう

 先ごろ、三郎から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中でまたきいたのです。」
と書かれているのだが、本文中どこをさがしても、三郎が一郎あるいは子どもたちにこの歌を歌ってきかせている箇所はない。たしかなことは、一郎は「夢の中でまた」その歌をきいた、ということである。

 ここからは一郎と風の物語である。

 「馬屋のうしろのほうで何か戸がぱたっと倒れ、馬はぷるっと鼻を鳴らしました。一郎は風が胸の底までしみ込んだように思って、はあと息を強く吐きました。そして外へかけだしました。
 外はもうよほど明るく、土はぬれておりました。家の前の木の列は変に青く白く見えて、それがまるで風と雨とで今洗濯をするというように激しくもまれていました。
 青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎれた栗の青いいがは黒い地面にたくさん落ちていました。空では雲がけわしい灰色に光り、どんどん北のほうへ吹きとばされていました。
 遠くのほうの林はまるで海が荒れているように、ごとんごとんと鳴ったりざっと聞こえたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられ、風に着物をもって行かれそうになりながら、だまってその音をききすまし、じっと空を見上げました。」

 まさに「青いくるみも吹きとばせ。すっぱいりんごも吹きとばせ」の歌の通り、風が猛威をふるっている。すさまじくも美しい破壊と浄化の自然現象である。一郎は全身でそれをうけとめている。

 「すると胸がさらさらと波をたてるように思いました。けれどもまたじっとその鳴ってほえてうなって、かけて行く風をみていますと、今度は胸がどかどかとなってくるのでした。」

 一郎の中で何かが起きている。何かが一郎の中を通過して、一郎を昂揚させている。

 「きのうまで丘や野原の空の底に澄み切ってしんとしていた風が、けさ夜あけがたにわかにいっせいにこう動き出して、どんどんタスカロラ海溝の北のはじをめがけて行くことを考えますと、もう一郎は顔がほてり、息もはあはあとなって、自分までもがいっしょに空を翔けて行くような気持ちになって、大急ぎでうちの中へはいると胸を一ぱいはって、息をふっと吹きました。」

 「きのうまでしんとしていた」風が動きだした、ということ、それが一郎を昂揚させ、自分まで北をめざして空を翔けるような気持ちにさせたのだ。破壊と浄化、そして飛翔。変革への期待で一郎は「顔がほてり、息もはあはあと」なる。それは別離でもあったが。 

 「風の又三郎」を「見た」のは嘉助だったが、一郎は「風の又三郎」と「生きた」のだった。

 だが、いまさらながら「風の又三郎」とは何か。また「高田三郎」とは何か。「風の又三郎」とは何か、の問いに答えることはいまの私には不可能に近い。「高田三郎」については、何の検証もできていないが、ある仮説がある。作者宮沢賢治の分身ではないかと考えている。賢治が作品の中で「風」をどのように扱ってきたかをもう一回見直してみたいと思っている。

 七転八倒しながらやはり尻切れとんぼの結論になってしまいました。私にとって「風の又三郎」はあまりにも難解です。力不足、と言われればその通りなのですが。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 


 

 

 


 

 

 

 

  この後、一郎と嘉助が嵐の中登校して、三郎が転校したことを告げられる。嘉助は先生に「先生、又三郎きょう來るのすか。」ときいている。もう三郎は来ないことを嘉助も一郎も知っているのだ。


 九月一日に現れて、(おそらく)十一日に去って行った高田三郎。三郎が「風の又三郎」かどうか、という問いに対して、じつは私はほとんど関心がない。嘉助がまず最初に「又三郎」と呼び、子どもたちもみなそう呼んだ。それで十分である。物語の中で、高田三郎は、モリブデンの発掘という仕事をする父親とともに、谷川の小学校に現れた。モリブデン発掘が中止になったので、村を去った。それ以上でもそれ以下でもない。

 『風の又三郎』という作品を、東北地方にあるという「風祭り」と関連づけたり、又三郎を「風の神」としてとらえる民俗学的アプローチもあるようだが、いまの私は、そのようなアプローチには組したくない。

 少し、興味を覚えるのは、「鼻のとがった人」がステッキのようなもので川の浅瀬を調べていたことと、モリブデンの発掘が関係があるのかもしれない、ということである。だが、これも、さほど重要なことではないかもしれない。

 私がどうしても解決できない謎が二つある。一つは、三郎を極度におびえさせたシュプレヒコールの発端となった

 雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」

と叫んだのは誰か、ということである。本文では「すると、だれともなく、「雨は…。」と叫んだものがありました。」と書かれている。「叫んだもの」は人なのか、それともそうでないものを想起させたかったのか。

 この後すぐ、「みんなもすぐ声をそろえて叫びました。」と書かれているので、シュプレヒコールを発したのは子どもたちである。三郎が「いま叫んだのはおまえらだちかい。」ときくと「そでない、そでない。」と「みんないっしょに叫びました。」と、これも子どもたちが一斉にそう叫んだのだ。

 最初に叫んだのが人か何かわからないが、次にシュプレヒコールを浴びせたのはあきらかに子どもたちである。だが、三郎の問いにみんなで声をそろえて否定する。またもやぺ吉が出て来て「そでない。」とだめ押しする。

 シュプレヒコールの威力は、集団の暴力である。多数の者がいっせいに声を出すことで、コミュニケーションを切断するのだ。前日は、一郎の音頭で子どもたちがシュプレヒコールを浴びせ、正体不明の鼻のとがった人を追い払った。この場面では一郎も集団のなかに埋没している。嘉助も耕助も「みんな」のなかである。三郎ひとり、「みんな」と対峙しなければならない。淵から上がった三郎のからだががくがくふるえていたのは、寒さと恐怖と、絶望的な疎外感のためだったのではないか。 

 もう一つわからないのは、物語の最期の段落の始めに

 「どっどど どどうど どどうど どどう
 青いくるみも吹きばせ
 すっぱいかりんも吹きとばせ
 どっどど どどうど どどうど どどう
 どっどど どどうど どどうど どどう

 先ごろ、三郎から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中でまたきいたのです。」と書かれているのだが、本文中どこをさがしても、三郎が一郎あるいは子どもたちにこの歌を歌ってきかせている箇所はない。たしかなことは、一郎は「夢の中でまた」その歌をきいた、ということである。ここから終末までは一郎の物語である。

 一郎は歌をきいてはね起きる。外は激しい嵐で、くぐり戸をあけるとつめたい雨と風がどっとはいって來る。ここから岩波文庫版で一頁あまり一郎と嵐の情景が描写される。

 「馬屋のうしろのほうで何か戸がぱたっと倒れ、馬はぷるっと鼻を鳴らしました。
 一郎は風が胸の底までしみ込んだように思って、はあっと息を強く吐きました。そして外へかけだしました。
 外はもうよほど明るく、土はぬれておりました。家の前の栗の木の列は変に青く白く見えて、それがまるで風と雨とで今洗濯をするとでもいうように激しくもまれていました。
 青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎれた青いくりのいがは黒い地面にたくさん落ちていました。空では雲がけわしい灰色にひかり、どんどん北のほうへ吹き飛ばされていました。
 遠くのほうの林はまるで海が荒れているように、ごとんごとんと鳴ったりざっときこえたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられ、風に着物をもって行かれそうになりながら、だまってその音をききすまし、じっと空を見上げました。」

 まさに「青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ」と風が猛威をふるっている。自然が、すさまじくも美しい破壊と浄化のかぎりをつくしている。一郎はその中に立って、全身でそれをうけとめている。

 「すると胸がさらさらと波をたてるように思いました。けれどもまたじっとその鳴ってほえてうなって、かけて行く風をみていますと、今度は胸がどかどかとなってくるのでした。」

 一郎のなかで何かが変化している。「胸がさらさらと波をたてるよう」「胸がどかどかとなってくる」。何かが一郎を昂揚させている。

 「きのうまで丘や野原の空の底に澄みきってしんとしていた風が、けさ夜あけ方にわかにいっせいのこう動き出して、どんどんタスカロラ海溝の北のはじをめがけて行くことを考えますと、もう一郎は顔がほてり、息もはあはあとなって、自分までがいっしょに空を翔けて行くような気持ちになって、大急ぎでうちの中へはいると胸を一ぱいはって、息をふっと吹きました。」

 タスカロラ海溝の北のはじをめがけて、風が動いている。その風と自分が同化していっしょに空を翔けている、という一体感が一郎を昂揚させている。もちろんそれは一瞬の幻覚にすぎず、翔けて行ったのは又三郎だ、と直感するのだが。

 さて、それで、いまさらだが、「風の又三郎」とは何か。子どもたちから「又三郎」と呼ばれた高田三郎とは何か。私自身は、作者宮沢賢治の分身が高田三郎である、という仮説をたている。その仮説から「風の又三郎」について、というより「風」について、賢治が作品のなかで「風」をどうあつかってきたかを検証してみたいのだが、いかんせん力不足、というよりほかない現状である。「風」がなぜ「北」をめざすのか、ということだけでも追いかけてみたいのだが。

 七転八倒して、尻切れとんぼの決論になってしまいました。この作品については、まだ言わなければならないことがあるように思うのですが、思いを言語化するのにもう少し時間がかかりそうです。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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2022年12月16日金曜日

宮澤賢治『風の又三郎』__高田三郎はいかにして鬼になったか

  三郎と子どもたちが葡萄と栗を交換したエピソードの次に語られるのは、少し複雑で難解な出来事である。

 「次の日は霧がじめじめ降って学校のうしろの山もぼんやりしか見えませんでした。ところが今日も二時間目からだんだん晴れてまもなく空はまっ青になり、日はかんかん照って、お午になって一、二年が下がってしまうとまるで夏のように暑くなってしまいました。」

と書き出されるが、「次の日」が葡萄蔓とりの翌日のことなのか、よくわからない。「今日も二時間目からだんだん晴れて」とあるので、たぶん連続した日の出来事なのだろう。真夏のような暑さで、授業が終わると、子どもたちは川下に泳ぎに行く。「又三郎、水泳ぎに行かないが。」と嘉助に誘われ、三郎もついて行く。昨日の葡萄蔓とりには「三郎も行かないが。」と誘った嘉助が、今日は「又三郎」と呼びかけていることを覚えておきたい。

 勢いこんで水に飛び込み、がむしゃらに泳ぎ始めた子どもたちを三郎がわらい、その三郎が、今度は水にもぐって石をとろうとして息が続かず、途中で浮かびあがってきたのを見た子どもたちがわらう、という場面の後、発破を仕掛ける大人たちが登場する。庄助という抗夫が発破をしかけ、ほかの大人たちは網を持ったりして、水に入ってかまえる。だが、彼らが狙った獲物はかからず、流れてきた雑魚を取った子どもたちが大よろこびする。

 発破の音を聞きつけて、また別の大人たちが五六人、そのあとにはだか馬に乗った者もやってくる。そのとき、「さっぱりいないな。」とつぶやく庄助のそばへ三郎が行って、「魚返すよ。」といって二匹の鮒を河原に置く。「きたいなやづだな」といぶかる庄助と魚を置いて帰ってくる三郎を見て、みんながわらう。収獲がないので、大人たちが上流に去ると、耕助が泳いで行って三郎の置いてきた魚を持ってくる。みんなはそこでまたわらう。

 「発破かけだら、雑魚撒かせ。」と嘉助が雄たけびをあげる。子どもたちは雑魚だろうが何だろうが、魚がとれたことが無条件にうれしいのだ。食べ物が手に入ったのだから。だが、三郎にとっては、手放しでよろこべることではなかった。発破をかけて魚を取ること自体が違法行為であり、そうやって手に入れた魚は発破を仕掛けた者の所有物である、と考えたのかもしれない。とりあえず、魚を返すことで違法行為と関わりを断っておきたかった。泥棒といわれたくない、という自尊心もあったかもしれない。

 雑魚を返しに行く三郎の遵法意識が庄助に通用せず、いぶかられたのを見て笑った子どもたちにあるのは「食べ物が手に入ればうれしい」という徹底した現実感覚であり、論理である。三郎が返しに行った魚を取り返しに行くのが、葡萄蔓とりの耕助である。くちびるを紫いろにして葡萄をためこんでいた耕助がまたしても魚を取り返しに行く。子どもたちにとって「食」は無前提に優先されるが、三郎はそうではない。行動の当為が問題なのだ。子どもたちと三郎の隔たりをうみだすものは、飢えとの距離感だろう。

 だが、この時点では、いくぶんかの齟齬はあるものの、三郎が子どもたちから疎外されていたというわけではない。むしろ、一郎の指揮下子どもたちは、見知らぬ大人の侵入を警戒して、三郎を守ろうとするのである。

 発破騒ぎのあと、「一人の変に鼻のとがった、洋服を着てわらじをはいた人」が登場する。ステッキのようなもので生け洲をかきまわしている。佐太郎が「あいづ専売局だぞ。」と言い、嘉助も「又三郎、うなのとった煙草の葉めっけたんで、うな、連れでぐさ来たぞ。」と言う。「なんだい。こわくないや。」と三郎は言うが、「みんな、又三郎のごと、囲んでろ。」と一郎の指示で、三郎はさいかちの木の枝のなかに囲まれる。

 ところがその男は三郎を捕まえる気配もなく、川の中を行ったり来たりしている。子どもたちの緊張はとけたが、男のしていることの意味がわからない。それで、一郎が提案して、みんなで男に叫びかける。「あんまり川を濁すなよ、いつでも先生言うでないか。」このシュプレヒコールは三度くり返され、男は「この水飲むのか。」「川を歩いてわるいのか。」と子どもたちに問いかけるが、最後まで子どもたちは「あんまり川を濁すなよ、いつでも先生言うでないか。」とシュプレヒコールで返すだけだった。

 四度目のシュプレヒコールの後、男が去ると、子どもたちは何となく「その男も三郎も気の毒なようなおかしながらんとした気持ちになりながら」木からおりて、魚を手に家路についたのだった。

 子どもたちの生活世界のなかに、大人が侵入してくる。発破をしかけた一味と、それを見にきた集団。それから、目的不明で現れた「鼻のとがった人」。それらが、三郎と子どもたちの関係に微妙な波紋を投げかける。

 翌日、佐太郎が、発破の代わりに毒もみに使う山椒の粉を学校に持ってくる。山椒の粉は、それを持っているだけで捕まるというしろものである。この日の朝の天候は書かれていないが、「その日も十時ごろからやっぱりきのうのように暑くなりました。」とあるので、三日連続で夏のような天気が続いたことになる。授業が終わるのも待ち遠しく、子どもたちはさいかちの木の淵に急ぐ。佐太郎は耕助などみんなに囲まれて、三郎は嘉助とともに行ったのである。

 淵の岸に立って、佐太郎が一郎の顔を見ながら、差配する。佐太郎は、山椒の粉が入った笊を持って行って、上流の瀬で洗う。子どもたちはしいんとして、水を見つめている。三郎は水を見ないで、空を飛ぶ黒い鳥を見ている。一郎は河原に座って、石をたたいている。

 だが、いつまでたっても魚は浮いて来なかった。「さっぱり魚、浮かばないな。」と耕助がさけび、ぺ吉がまた「魚さっぱり浮かばないな。」と言うと、みんながやがやと言い出して、水に飛び込んでしまう。きまり悪そうにしゃがんでしばらく水をみていた佐太郎は、やがて立ち上がって「鬼っこしないか。」と言う。そうして、この「鬼っこ」が修羅場になる。

 つかまったりつかまえられたり、何遍も「鬼っこ」をするうちに、しまいに三郎一人が鬼になる。三郎が吉郎をつかまえて、二人でほかの子たちを追い込もうとするが、吉郎がへまをしたので、みんな上流の「根っこ」とよばれる安全地帯に上がってしまう。嘉助まで「又三郎、来」と、口を大きくあけて三郎をばかにする。さっきからおこっていた三郎はここで本気になって泳ぎ出す。これまで三郎をエスコートしてきた嘉助に裏切られたと思ったのだ。

 そして、みんなが集まっている「根っこ」の土に水をかけ始める。「根っこ」は粘土の土なので、だんだんすべって来て、集まっていた子どもたちは一度にすべって落ちてくる。三郎はそれをかたっぱしからつかまえる。一郎もつかまる。嘉助一人が逃げたが、三郎はすぐ追いついて、つかまえただけでなく、腕をつかんで四、五へん引っぱりまわす。水を飲んでむせた嘉助は「おいらもうやめた。こんな鬼っこもうしない。」と言う。ちいさな子どもたちは砂利の上に上がってしまい、三郎ひとりさいかちの木の下にたつ。三郎は一人ぼっちになってしまったのだ。

 三郎が一人鬼になってしまったのは偶然である。「鬼っこ」を始めたのも、毒もみ漁が上手くいかなかった佐太郎の思い付きだ。だが、鬼になった三郎が子どもたちを一網打尽にしたのは偶然ではない。彼がなみはずれた体力と知力をもっていたからである。そもそも、上の野原で逃げた馬を追って、馬といっしょに現れたのは三郎だった。

 その能力が怒りと結びついたとき、「鬼っこ」は修羅場と化した。天気も一変する。空は黒い雲に覆われ、あたりは暗くなり、雷が鳴りだす。轟音とともに夕立がやって来て、風まで吹きだす。

 さすがに三郎もこわくなったようで、さいかちの木の下から水の中に入って、みんなのほうへ泳ぎだす。そこへだれともなく、叫んだものがある。

 「雨はざっこざっこ雨三郎 
 風はどっこどっこ又三郎。」

すると、みんなも声をそろえて叫ぶのだ。

 「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ風三郎。」

 前日鼻のとがった人を追い払ったシュプレヒコールがここでも繰り返される。さらに、動揺した三郎が「いま叫んだのはおまえらだちかい。」ときくと、みんないっしょに

 「そでない。そでない。」

と叫ぶのだ。その上、ぺ吉がまた出て来て

 「そでない。」

と言う。

 三郎は、いつものようにくちびるをかんで、「なんだい。」と言うが、からだはがくがくふるえている。

 「そしてみんなは、雨のはれ間を待って、めいめいのうちへ帰ったのです。」と結ばれて、高田三郎の物語は終わる。

 高田三郎の物語はここで終わります。一郎と嘉助、そして村の子どもたちについては、もう少し考えてみたいことがあるのですが、長くなるので、また次回にしたいと思います。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2022年12月4日日曜日

宮澤賢治『風の又三郎』__葡萄と栗を交換する

  『風の又三郎』後半は、逃げた馬を追って彷徨した嘉助が、臨死体験のなかで「風の又三郎」を見た上の野原の出来事の後

 「次の日は朝のうちは雨でしたが、二時間目からだんだん明るくなって三時間目の終わりの十分休みにはとうとうすっかりやみ、あちこちに削ったような青ぞらもできて、その下を真白なうろこ雲がどんどん東へ走り、山の萱からも栗の木からも残りの雲が湯げのようにたちました。」

と書き出される。この「次の朝」が上の野原の出来事があった九月四日の日曜日の次の朝かどうか疑問なのだが、ともかくもここからは、嘉助の物語ではなく、又三郎と呼ばれる「高田三郎」の物語が語られる。

 耕助という子が葡萄蔓とりに嘉助を誘い、嘉助が三郎を誘う。葡萄蔓のありかを見つけた耕助は、嘉助が三郎を誘ったのがすでにおもしろくない。宝物のような葡萄蔓のありかをできるだけ秘密にしておきたかったのだ。

 葡萄蔓のある場所への道中、三郎はそれと知らないで、たばこの葉をむしって一郎に尋ねる。一郎は、たばこの葉が専売局の厳重な管理下にあるのを知っているので、少し青ざめて三郎をとがめる。子どもたちも口々にはやしたて、とくに耕助が、もと通りにしろなどと、いつまでも意地悪くいい募る。

 やがて山を少しのぼった所の栗の木の下に、山葡萄が藪になっている。耕助が「こごおれ見っつけたのだがらみんなあんまりとるやないぞ。」と言うと、三郎は「おいら栗のほうをとるんだい。」といって石を拾って枝に投げ、青いいがを落とす。そして、まだ白い栗を二つとったのである。

 その後一行が別の葡萄蔓の場所に移動する途中で、耕助が上から水をかけられて、体中水びたしになる。いつのまにか三郎が栗の木にのぼって、枝をゆすり、たまっていた雨水をふりかけたのだ。耕助がとがめても、三郎は「風が吹いたんだい。」とわらうだけである。そしてまた別の葡萄蔓に熱中する耕助は、またしても頭から水びたしになってしまう。姿は見えないが、今度も三郎が木をゆすって耕助に水をかけたのだった。

かんかんにおこった耕助と「風が吹いたんだい。」とくり返す三郎のやりとりを、ほかの子どもたちは笑ってみていたが、耕助は気持ちがおさまらない。三郎にむかって、「うあい又三郎、汝など世界になくてもいいなあ。」と言う。三郎は「失敬したよ、だってあんまりきみもぼくへ意地悪をするもんだから。」と謝るが、耕助のいかりはおさまらない。

 「汝などあ世界になくてもいいなあ。」「うなみたいな風など世界じゅうになくてもいいなあ。」「風など世界じゅうになくてもいいなあ。」と、あまりにも腹がたって言葉がみつからない耕助は、いつまでも同じことをいいつのる。結果、三郎に、風がなくてもいいというわけをいってごらん、と問い詰められ、いろいろ風の弊害をあげるが、最後に「風車もぶっこわさな。」といって、三郎だけでなくみんなに笑われてしまう。ついには耕助自身も笑い出し、三郎もきげんを直して耕助に謝り、仲直りする。

 帰るさに、一郎は三郎にぶどうを五ふさくれ、三郎は白い栗をみんなに二つずつ分けた、とあるが、この交換は何を意味するのだろう。そもそもこの一日のエピソードは何のためにここに置かれているのか。

 ここに描かれている高田三郎という少年は、議論をすることが上手だという点を除けば、同年齢の子どもたちと変わらないように見える。議論が上手なのも、父親の仕事上、いろいろな土地、世界を知っているためもあるかもしれない。要するに、都会的で「おませ」なのだ。だが、村の子たちが当たり前に知ってるたばこの葉のことを知らなかったことで、自尊心を傷つけられてしまう。

 それからもうひとつ、村の子たちと異なるのは、食べ物にたいする貪欲さに乏しいことだろう。「もう耕助はじぶんでも持てないくらいあちこちにためていて、口も紫いろになってまるで大きくみえました。」とあるが、耕助だけでなく、ほかの子どもたちにとっても、ぶどうは大のご馳走だった。三郎にとってもぶどうは魅力的だったはずで、「ぼくは北海道でもとったぞ。ぼくのお母さんは樽へ二っつ漬けたよ。」と言っている。それでも三郎は自分では葡萄をとらなかった。

 その三郎に、一郎はぶどうを五ふさくれて、三郎は白い栗をみんなに二つずつ分けた、とある。おいしいぶどうと、未熟で食べられない栗は等価交換ではない。そもそも、藪のようになっているぶどうはすぐに手に取って食べられるが、白い栗は三郎が石を投げて木から落としたものである。食べられないもののために、なぜ、三郎はそんな乱暴なことをしたのか。

 三郎のなかにある暴力性と自尊心の問題は、この後二日間のエピソードを読む上でも大きなテーマとなるが、それについては、また回をあらためたい。「耕助」「一郎」それから「嘉助」など、一見固有名詞に見えるものの意味することも考えてみたい。もちろん「風の又三郎」と「三郎」についても。

 いまの季節になっても、昼間は農作業に忙しく、といっても大したことはやっていないのですが、なかなかものを書く時間も読む時間もとれません。つくづく、体力、知力の衰えを感じています。今日も不出来な一文を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2022年10月19日水曜日

宮澤賢治『風の又三郎』__誰が風の又三郎を見たか

  又三郎を見たのは嘉助である。「ガラスのマントを着て、ガラスの靴をはき」「小さなくちびるを強そうにきっと結んだまま、黙って空を見て」いて、「いきなり」「ひらっとそらへ飛びあが」った又三郎を見たのは、嘉助である。谷川の岸にある小さな学校の小学五年生の嘉助だけが風の又三郎を見たのだった。

 『銀河鉄道の夜』と並んで、賢治の代表作として評価の定まっている『風の又三郎』については、多くの研究者の考察がある。いまさら私がいうべきことがあるだろうか、との思いもあるのだが、他の研究者の方と少し違う観点から(というより、例によって独断と偏見で)この作品と向き合ってみたい。

 賢治の多くの他作品と同様に、『風の又三郎』も彼の生前に活字化されたものではない。いま私がテキストとしているのは、昭和二六年四月二五日初版の第二七刷谷川徹三編の岩波文庫に収められたものであるが、ひとつの完成された作品として読むには、プロットの展開に不連続な部分があったり、矛盾が生じたりして不都合である。不可解な部分は不可解なまま読むしかないが、全体を通読して浮かび上がってくるのは、これは「童話」ではなく、「小説」なのだ、という思いである。作品のあちこちに存在する不可解な部分_謎を、「童話」のカテゴリーに入れて溶解させてしまうのでなく、現実の出来事として、どうしたらそのような事象が存在し得うるか、そのような事象を自分自身の感覚でリアリティあるものとして納得できるか、ぎりぎりまで考えていかなければならない。

 さて、作品に戻ると、いつも「くちびるをきっと結んだ」異形の転校生高田三郎の造型も印象的だが、それ以上に印象的なのが、彼を「又三郎」と呼び、かかわっていく村の子どもたちの姿である。

 新学期が始まった九月一日の朝、谷川の岸の小さな小学校の一つしかない教室の一番前に見知らぬ赤い髪の子がすわっている。登校して、自分の机におかしな赤い髪の子がすわっているのを見た一年生の子は泣きだし、後から「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり」とわけのわからないことを叫びながら「まるで大きなからすのように」「わらって」運動場にかけて来た嘉助はだまってしまう。その後来た一番年長の一郎が、赤い髪の子に呼びかけて、教室から外へ出てくるよう促すが、その子はきょろきょろみんなの方を見るだけで、じっとすわっている。

 たぶん、子どもたちの言葉が赤い髪の子にはまったくわからないのだろう。この作品で、賢治は、村の子どもたちに徹底して土地の方言で喋らせている。村の子どもたちにとって、赤い髪の子は言葉が通じない異邦人なのである。服装も「変なねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革の半靴をはいていたのです。」とあって、自分の机にすわられてしまった一年生の子が「黒い雪袴をはい」ていた時代では、「あいづは外国人だな」ということになってしまう。

 赤い髪の子を外国人から「風の又三郎」に昇華させたのは嘉助である。

 「そのとき風がどうと吹いて教室のガラスはみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱や栗の木みんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにゃっとわらってすこしうごいたようでした。
 すると嘉助がすぐ叫びました。
 「ああわかった。あいつは風の又三郎だぞ。」

 子どもたちも嘉助に同調して口々に赤い髪の子の又三郎たる所以を言い始める。これ以降、嘉助は一貫してその子を「又三郎」と呼び、子どもたちもそう呼ぶ。先生から「高田三郎」という本名を聞いた嘉助は、ここでも「わぁ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」と「まるで手をたたいて机の中で踊るようにしました」と書かれている。四年生の佐太郎だけが「又三郎だない。高田三郎だぢゃ。」というのだが、嘉助はどこまでも「又三郎だ。又三郎だ。」とがん張るのである。

 そうやって、「風の又三郎」を出現させた嘉助が、六年生の一郎に「嘉助、うなも残ってらば掃除してすけろ」といわれて「わぁい、やんたぢゃ。」と大急ぎで逃げだすと、

 「風がまた吹いてきて窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。」

と、嘉助の退場に風がさわぐのだ。「風の又三郎」より、嘉助自身のほうが、風と近親性があるのかもしれない。

 翌二日、小さな小学校の授業が始まる。一郎と嘉助が注目する中、三郎が「お早う。」と言って登校してくる。子ども同士で「お早う」と挨拶する習慣のない一郎と嘉助は、気後れしてしまって、ことばが返せない。他の子たちも誰も三郎に近寄っていかない。所在なく三郎が学校の玄関から向こう側の土手の方へ歩きだすと、つむじ風が起こる。するとまたもや嘉助が「そうだ。やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」と高く言って、だめ押しするのである。

 この後、新学期最初の日の授業風景が描かれ、三郎が四年生の佐太郎に自分の木ペンを与えるエピソードが語られる。佐太郎は嘉助に「又三郎だない。高田三郎ぢゃ。」と言った子だが、自分の木ペンをなくしたので、妹の木ペンを取り上げてしまったのである。妹のかよが取り返そうとしても、佐太郎が机にへばりついて渡さないので、かよは泣き出しそうになっている。三郎は困ったようにそれを見ていたが、だまって、自分の半分になった鉛筆を佐太郎の机の上に置く。にわかに元気になった佐太郎が、「くれる?」と聞くと、三郎はちょっととまどいながらも「うん」と言う。子どもながら抜け目ない佐太郎の策士ぶりが描かれていて、印象的なシーンである。

 佐太郎は、三郎が登場する最後の日でも重要な役割をになう人物である。

 このエピソードには、嘉助は登場しない。先生も佐太郎と三郎のやり取りには気がつかない。一郎だけが、一番後ろでこれを見ていた。そして、言葉にできない思いで歯ぎしりしていたのである。最後の三時間目の授業中、鉛筆を佐太郎にくれてしまった三郎が、消し炭を使って雑記帳に計算しているのを見たのも一郎だけだった。

 これが、赤い髪の転校生高田三郎が登場する二日間のできごとである。この後

 「次の朝、空はよく晴れて谷川はさらさらなりました。一郎は途中で嘉助と佐太郎と悦治を誘って一緒に三郎のうちのほうへ行きました。」という書き出しで、この作品の一つの山場が語られる。逃げた馬を追いかけた嘉助が気をうしなって「風の又三郎」と出会い、又三郎が空に飛びあがるのを見る場面は、前半のクライマックスである。

 ところで、「次の朝」とは、いつの次なのだろうか。この日登場する三郎は、九月一日谷川の岸の小学校に突然現れた赤い髪の異邦人転校生の三郎から、綺麗な標準語で村の子どもたちと自然に会話する「又三郎」へと変身している。明かな断絶がある。九月一日、二日とこの日(おそらく九月四日の日曜日)の間に、三郎の変化の過程を語る何らかのエピソードが挿入される予定だったが、どうしても断念せざるを得ない事情が賢治に生じたのではないか。そのようなエピソードがあったとしても、たった一日で劇的な変身を遂げるという筋書きは無理のように思われるが。

 いつ親交を深めたのかわからないが、一郎と嘉助ら四人の子どもたちは、三郎を誘って「上の野原」に行く。この「上の野原」と呼ばれる場所がどんな位置にあって、どのような地形になっているか、じつは、私はこの箇所を何遍読んでもよくわからない。「学校の少し下流で谷川をわたって」と書かれているので、川の「向こう側」である。「学校」という生活空間__「テニスコートのくらいの」運動場があり、たったひとつだが教室があって、いわば安全が担保された場所から、川を隔てた向こうへ、子どもたちは「だんだんのぼって行く」のである。子どもたちが楊の枝の皮で鞭をつくり、ひゅうひゅう振りながらのぼったのは、山のけものを追い払うためだと思われるが、もっと広くは魔ものをよけるためだろう。

 林の中の暗い道を抜け、息を切らしながら、三郎の待つ「約束のわき水」の出る場所まで登った子どもたちは、ここで三郎と出会い、冷たいわき水を飲む。ちょっとおかしいのは、ここまでかけ上がってきて、水を飲んだのが「三人」と書かれていることである。ここまで登ってきたのは四人のはずだが、誰かいなくなったのか、それとも作者の錯誤だろうか。

 三郎と一緒に子どもたちはさらに登って行く。上の野原の入り口近くから西のほうをながめると、たくさんの丘のむこうに、川にそった「ほんとうの野原」が碧くひろがっている、と書かれている。「ほんとうの野原」という言葉はこの後にも一回出てくるが、「上の野原」とどのように違う野原なのだろう。「上の野原」はほんとうの野原ではないのか。

 上の野原の入り口に、一本の大きな栗の木があって、幹の根本がまっ黒に焦げて、大きな洞のようになり、枝に古い縄や切れたわらじなどが吊るされている。神域を示す指標とも見えるが、何より無残な印象が強く、ここから先の「上の野原」がどのような空間であるかを象徴している。

 上の野原は草刈り場で、その中の土手で囲まれた内側には牧馬がいた。「来年から競馬に出る」「千円以上もする」馬だというが、子どもたちは、三郎の発案でそれらの馬を追って遊び始める。最初は、子どもたちがけしかけても反応しなかった馬が、「だあ」と一郎が掛け声をかけると、七匹が走り出す。そのうち二頭が、土手から外に出てしまう。土手の切れたところに丸太がわたしてあったのを、土手の内側に入るときに「おらこったなものはずせだぞ」と、軽率に嘉助が抜いてしまったので、障害がなくなっていたからである。

 物語の冒頭、嘉助が石をぶつけて教室の窓ガラスをわった、と子どもたちが言う場面がある。嘉助は乱暴ものなのだ。「風の又三郎」より嘉助のほうが風と近親性がある、と書いたが、作品中二回くり返される

 どっどど どどうど どどうど どどう
 青いくるみも吹きとばせ
 すっぱいかりんも吹きとばせ
 どっどど どどうど どどうど どどう

という歌の歌い手は、又三郎こと高田三郎より、嘉助のほうがふさわしいかもしれない。この歌の主題は、端的に破壊性である。

 さて、逃げた馬のうち一匹は一郎が抑えたが、もう一匹は本気で逃げてしまう。三郎と嘉助が必死に追うが、馬は捕まらない。ここからは、馬を追う嘉助の内部から物語が展開する。

 馬はどこまでも走る。後を追う嘉助は足がしびれて方向感覚もなくなってしまう。前を行く馬の赤いたてがみと三郎の白いシャッポが見えたのを最後に、嘉助は草むらに倒れてしまう。仰向けになって見上げる空はぐるぐる回り、雲がカンカン鳴って走っている。なんとか起き上がった嘉助は、馬と三郎が通った跡のような道を見つけて、歩きだす。だが、それも何がなんだかわからなくなってしまい、おまけに天気までおかしくなってくる。冷たい風が吹き、雲や霧が通り過ぎ、嘉助は道を見失う。破局の予感に脅えた嘉助は声を限りに一郎を呼ぶが、応答はない。

 嘉助はもう馬を追うことは諦めて、一郎たちのところに戻ろうとするが、来た道と違うところに出てしまう。あざみが茂り、草の底に岩かけがころがる。そして、いきなり大きな谷が現れ、その向こうは霧の中に消えている。風に揺らぐすすきの穂にまで翻弄されるが、急いで引き返すと、馬のひづめの跡の小さな黒い道を見つける。嘉助は喜んでその道を歩きだすが、行き着いたところは、てっぺんが焼けた大きな栗の木を囲む広場で、野馬の集まり場所だった。

 嘉助はがっかりして、ふたたび黒い道を戻りはじめる。ここからの描写は、現実のことなのか、嘉助が幻をみていたのか、どちらともいえない書き方である。見知らぬ草がゆらぎ、空が光ってキインと鳴る。霧の中に大きな黒い家の形のものがあらわれるが、近寄ってみると、冷たい大きな黒い岩だった。空がまた揺らぎ、草がしずくを払う。死を思った嘉助が一郎を呼んで叫ぶと、明るくなって、草はよろこびの息をする。山男に手足をしばられた子どものことを話す人声が聞こえる。それから、黒い道が消え、しばらくしいんとした後、強い風が吹いてくる。空が光って翻り、火花が燃えて、嘉助は草の中に倒れて、眠ってしまう。

 そして嘉助は風の又三郎を見たのである。又三郎の肩には栗の木の影が青くおちている。又三郎の影は青く草に落ちている。風が吹いている。それから、いきなり又三郎はガラスのマントをギラギラ光らせて空へ飛びあがったのである。

 岩波文庫版テキスト四ページにもわたる嘉助の彷徨は最後に

 「そんなことはみんなどこかの遠いできごとのようでした。」

という一行で読者を突き放したのち、「風の又三郎」を出現させて幕を閉じる。「もう又三郎がすぐ目の前に足を投げ出してだまって空を見あげているのです。」以下の八行は嘉助の臨死体験である。もしかしたら、最初に草むらに倒れてからの叙述全体が臨死体験なのかもしれない。

 死に臨んだ嘉助が見た「風の又三郎」は死神である。同時に、臨死体験、あるいはもっと常識的に夢、というべきかもしれないが、日常と異次元の時間の中で存在するものはすべて自意識の反映であるとすれば、「風の又三郎」は嘉助自身である。子どもたちに「又三郎」と呼ばれる「高田三郎」ではなく。

 それからどれほどの時間が流れたかわからないが、嘉助が目を開くと、馬と三郎がいる。嘉助が彷徨していた間、馬と三郎が何をしていたかは一切語られない。上の野原の出来事の主人公は嘉助であって、嘉助に臨死体験をさせるために、馬と三郎はそれぞれの役割を果たしたのだ。

 なぜ、嘉助はそのような体験をしなければならなかったのか。「嘉助」とはいったい何だろう。

 嘉助の物語は、みんなが上の野原をおりることでいったん終わる。

 「草からはしずくがきらきら落ち、すべての葉も茎も花も、ことしの終わりの日の光を吸っています。
 はるかな西の碧い野原は、今泣きやんだようにまぶしく笑い、向こうの栗の木は青い後光を放ちました。」

 とりあえず、自然は嘉助の体験を嘉したのだ。

 『風の又三郎』の主題は複雑かつ重層的で、今回はほんの一部分の表面をさらったにすぎません。これ以降の部分は、子どもたちから又三郎と呼ばれる少年高田三郎の物語になっていきます。異邦人三郎がどのように子どもたちに受け入れられ、どのように疎外されていったか、という視点から作品を読み直してみたいと思います。

 未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2022年8月24日水曜日

宮澤賢治『注文の多い料理店』シベリア出兵のナインストーリー__「水仙月の四日」__北の雪嵐大作戦とやどりぎ

  『注文の多い料理店』中「からすの北斗七星」に次いで五番目の作品で、春間近の北国を襲う雪嵐を描いた短編である。

 「雪婆んごは遠くへ出かけておりました。」と始まるこの童話は擬人法で語られている。雪婆んごとその指揮下にある四人の雪童子、雪童子の手下となって獅子奮迅の働きをする十一匹の雪狼、これらが雪嵐を起こすのだが、「猫のような耳をもち、ぼやぼやした灰色の髪をした」雪婆んごの存在は特異である。「きょうはここらは水仙月の四日だよ。さあしっかりさ。ひゅう。」と檄を飛ばし、縦横無尽に空をかけめぐる雪婆んごの命令は絶対で、雪童子も雪狼も極度に緊張して動き回る。

 雪婆んごが「西の山脈の、ちぢれたぎらぎらの雲をこえて、遠くへ出かけて」しばし不在のとき、この物語は始まる。子どもが一人「大きな象の頭の形をした、雪丘のすそを」歩いている。子どもは「赤い毛布(けっと)にくるまって、しきりにカリメラのことを考えながら」家に急いでいる。あたりの光景は、

 「お日さまは、空のずうっと遠くのすきとおったつめたいとこで、まばゆい白い火をどしどしおたきなさいます。
 その光はまっすぐ四方に発射し、下の方に落ちてきては、ひっそりした台地の雪を、いちめんまばゆい雪花石膏の板にしました。」

 と書かれ、絵画のように美しい描写である。ここに「白くまの毛皮の三角ぼうしをあみだにかぶり、顔をりんごのようにかがやかし」たひとりの雪童子が登場して、物語は展開するのだが、この雪童子とは何者なのか。「象の頭のかたちをした雪丘」、「四方に発射された」太陽の光、「雪花石膏の板になった台地」という表現とともにあらわれる「童子」は、たんに雪婆んごの命令の執行者ではないだろう。ある宗教的存在を暗喩していると思われる。

 「象の頭のかたちをした、雪丘」を、雪狼のうしろから歩いていた雪童子は、空を見上げて呪文のような言葉をさけぶ。

 「カシオピイヤ、
 もう水仙が咲き出すぞ
 おまえのガラスの水車
 きっきとまわせ」

 「アンドロメダ、
 アザミの花がもうさくぞ、
 おまえのラムプのアルコオル、
 しゅうしゅとふかせ。」

カシオペア座とアンドロメダ座という二つの星座(それらはいまは見えない星々なのだが)への叫びの意味するものについては、「熱機関概念の拡張とネゲントロピー〈宮沢賢治の物理学〉」という論文で元近畿大学理工学部の伊藤仁之氏が解析しておられる。物理学はおろか、自然科学一般について知識と素養の乏しい私は、残念ながら、伊藤氏の論を十分理解できたとは言い難く、したがって、うまく要約、紹介することができない。興味のある方は上記のタイトルでPDFになっているものを読んでいただきたい。

 伊藤氏の論文に助けられながら、私なりに考察すると、賢治はこの二つの星座が連携し合って行う運行と、カリメラ≒電気菓子の装置をある相似形のものとしてとらえたのではないか。どちらも、熱と回転の作用で、星座の運行は吹雪を、カリメラ≒電気菓子の装置は綿菓子をつくる。伊藤氏はこの作品を

 「電気菓子と吹雪の機構を同一視する賢治の洞察は、物理学的には、相変化もアウトプットとするような熱機関概念の一般化へと止揚されるであろう。さらにこの類推は大気の大循環にまでひろげることもできる。じつは「水仙月の四日」は局地的な吹雪の物語にとどまるものではなく、この大循環を下敷きに、宇宙原理(文学的な)にいたろうという壮大な童話なのである。天の星座に水車とランプがかくされており、ランプの熱と水車の回転の結果が森羅万象なのである。」

と総括しておられる。作品の自然科学的理解としてほぼ完璧だと思われるのだが、私にももう少し言うべきことが残されているような気がするので、そのことを書いてみたい。ひとつは、雪童子が子どもになげつけたやどりぎについてである。

 象の形の丘にのぼった雪童子は、その頂上に一本の大きなくりの木が、黄金いろのやどりぎのまりを付けて立っているのを見つける。雪童子は雪狼の一匹にいいつけて、それを取ってこさせる。雪狼がかじりとったやどりぎを拾いながら、雪に覆われた下の町をながめた雪童子は、赤毛布を着た子どもが家路を急いでいるのを見る。「あいつはきのう、木炭のそりを押して行った。砂糖を買って、じぶんだけ帰ってきたな。」と、雪童子はわらいながらやどりぎの枝を子どもにむかってなげつける。

 いきなり目の前にやどりぎの枝が落ちてきて、子どもはびっくりするが、枝をひろってあたりを見まわす。そこで、雪童子が革むちをひとつならすと、一片の雲もない真っ青な空から、さぎの毛のような真っ白な雪が一面におちてくる。

 「それは下の平原の雪や、ビールいろの日光、茶いろのひのきでできあがった、しずかなきれいな日曜日をいっそう美しくしたのです。」

と書かれる光景は、東北の寒村というより、どこかユーラシア大陸の北の農村のように思われるのだが。

 雪童子はなぜやどりぎのまりを雪狼に取ってこさせたのだろう。ここにこの童話を読み解く重要な鍵があるのかもしれないが、いまの私には解けない謎である。

 それに比べれば、雪童子がやどりぎを赤毛布を着た子どもに投げた理由はわかりやすい。子どもの頭をいっぱいにしているカリメラとやどりぎのかたちが似ているからである。糸状にした砂糖が綿のようにかたまったカリメラと、細い枝が交叉してまりのようになったやどりぎは、カシオペアとアンドロメダの二つの星座の連携と綿菓子の製造装置が相似形であるように、菓子と半寄生の生物の違いはあれ、かたちは相似形といえるのではないか。「ほら、カリメラをやるよ。」くらいの親近感とユーモアで雪童子は子どもにやどりぎを投げた、とひとまず解釈しておきたい。

 子どもはやどりぎの枝をもって歩きだすが、その後雪嵐が襲ってくる。雪婆んごが戻ってきたのだ。擬人化された雪婆んごの脅威は絶大で、その到来の予兆だけで雪童子も雪狼も緊張の極に達する。灰色の雪ときりさくような風の中から雪婆んごの声が聞こえると、りんごのようにかがやいていた雪童子の顔は青ざめ、くちびるはかたくむすばれる。「ひゅうひゅう、ひゅひゅう、ふらすんだよ、飛ばすんだよ。」「さあ、しっかりやっておくれ。きょうはここらは水仙月の四日だよ。」と、雪婆んごは檄をとばしつづけるのだが、「水仙月の四日」とは何か。

 「ここらは」水仙月の四日、ということは、「ここら」以外は「水仙月の四日」ではない。「水仙月の四日」とは、暦の上の特定の日ではなく、特別なイベントなのだろう。北の雪嵐作戦、とでもいうような。二十年くらい前、アメリカがイラクに攻め込んだとき「砂漠の砂嵐作戦」と名付けていたような気がする。作品と関係ないことで、うろ覚えだが。

  突然襲ってきた雪嵐の中、赤毛布の子は歩くことが出来なくなって、倒れてしまう。雪童子は、子どもに、毛布をかぶってうつむけになるよう声をかけるが、子どもにはただの風の声としか聞こえず、立ち上がろうともがいて泣いている。その声を聞いた雪婆んごは、「おや、おかしな子がいるね、そうそう、こっちへとっておしまい。水仙月の四日だもの、ひとりやふたりとったっていいんだよ。」という。雪童子は、子どもにわざとひどくぶつかり、雪婆んごに聞こえるように「ええ、そうです。さあ、死んでしまえ。」と言うが、子どもには、倒れたままで動くなと指示する。そしてもういちどひどくぶつかって、もう起き上がれない子どもに毛布をかけてやり、こごえないように、その上にたくさんの雪をかぶせたのである。

 この後、雪婆んごは「きょうは夜の二時までやすみなしだよ。ここらは水仙月の四日なんだから、やすんじゃいけない。」とさけぶ。そして、日が暮れ、夜を徹して雪がふったのだった。夜あけに近くなって、ようやく雪婆んごは、これから海のほうへ行くという。「ああ、まあいいあんばいだった。水仙月の四日がうまくすんで。」と東の方へかけていったのである。北の雪嵐作戦無事終了、といったところだろうか。雪婆んごは恐怖の総司令官であり有能な任務遂行者だが、作戦執行を命じる側の存在ではない。ヒエラルキーのトップは天のどこかにいるのだろう。

 雪婆んごが去ると、空は晴れ、いちめんの星座がまたたきだす。雪婆んごが連れてきた三人の雪童子とやどりぎを子どもに投げた雪童子は、はじめて挨拶を交わす。今年中にあと二回くらい会うだろう、と言って雪童子たちは別れ、朝になる。丘も野原もあたらしい雪でいっぱいで、雪狼はぐったりしているが、雪童子は雪にすわってわらっている。「そのほおはりんごのよう、その息はゆりのようにかおりました。」とあって、ふたたび宗教的存在を暗喩する表現となっている。

 太陽がのぼると、雪童子は雪に埋もれた子どもを起こしに行く。雪狼に命じて、雪をけちらし、赤い毛布の端がみえるようにする。村のほうから、かんじきをはき毛皮をきた子どもの父親らしき人がいそいでやってくる。「お父さんがきたよ。もう目をおさまし。」と雪童子がよびかける。「子どもはちらっとうごいたようでした。そして、毛皮の人は一生けん命走ってきました。」と結ばれる。

 はたして、子どもは助かったのだろうか。

 子どもの生死を考えるとき、雪童子が投げかけたやどりぎについてもう一度検討する必要があると思われる。「あしたの朝まで、カリメラのゆめをみておいで。」と子どもにいって、雪をかぶせた雪童子は

「「あの子どもは、ぼくのやったやどりぎをもっていた。」

とちょっと泣くようにしました。」
と書かれている。

 やどりぎは、冬になって、宿主の木が葉を落としても枯れないことから強い生命力の象徴とされ、神が宿る木とされる。雪童子は、カリメラとのかたちの相似から子どもにやどりぎを投げかけたのだろうが、作者は、物語の要素として、死と再生の象徴をやどりぎに託したのではないか。だからといって、子どもが助かったかどうかは、不明だが。

 やどりぎについて、最後にまた、蛇足をひとつ。十九世紀後半から二十世紀前半にかけて出版され、日本でも多くの学者に読まれたフレイザーの『金枝篇』という大作がある。世界各地の神話、民俗の研究書であるが、誰も折ってはならないとされる金枝を折ることができるのは逃亡奴隷だけで、金枝を折った者は森の王を殺さなければならない、というイタリアのネーミに伝わる神話から始まる。この金枝がやどりぎのことである、といわれている。

 賢治が『金枝篇』を読んでいたかどうかはわからない。だが、賢治より少し年長だが、ほぼ同時代の折口信夫が『金枝篇』について言及しているので、博覧強記の賢治の目に触れる機会があった可能性もある。であれば、やどりぎは、死と再生の象徴以上のものとして作品に登場したのではないか。雪童子がそれを雪狼に取ってこさせ、さらに、赤い毛布を着た子どもに投げた、という行為の意味をもう一度考えなければならない。

 雪童子については「りんごのようなほお」と「ゆりのようにかおる息」という表現が暗喩する宗教的存在を語らなければならないと思うのだが、仏教の素養が乏しい私の力の及ぶところではない。たぶん、菩薩と呼ばれるものだろうと思う。いっぽう「白くまの毛皮の三角ぼうしをあみだにかぶり」と書かれているのは、また別の表徴である。雪童子とは何か、雪童子が救おうとした赤い毛布を着た子どもは、なぜ、一人で雪道を家に向かっていたのだろう、とまたもや物語の原点に戻って、私は謎と向き合っている。

 緊張感にみちた美しい叙景詩ともいうべきこの作品に、無用の解析を試みてしまったような気がしています。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2022年8月10日水曜日

宮澤賢治『注文の多い料理店』シベリア出兵のナインストーリーズ__「狼森と笊森、盗人森」__入植と侵略のユートピア

 『注文の多い料理店』第二話の短編である。狼森、笊森、盗人森はいずれも実在する黒いまつの森で、小岩井農場の北にあるという。自然と人間の交流を描いた作品として評価する論者が多いようだが、はたして、そのような牧歌的鑑賞にとどまってよいのだろうか。

 森と人間の歴史を語るのは、笊森と盗人森との間に位置する黒坂森のまん中の大きな岩である。これは、黒坂森の大きな岩が「わたくし」にきかせた話の記録である、という体裁になっている。黒坂森の大きな岩による建国神話であり、森の命名譚なのである。

 岩手山が何遍も噴火して、噴火がしずまると、灰に埋もれた場所に草が生え、木が生え、最後に四つの森ができる。まだ名前もない四つの森に囲まれた小さな野原に、ある年の秋「四人の、けらを着た百姓たちが、山刀や三本鍬や唐鍬や、すべての山と野原の武器を堅くからだにしばりつけて」やってくる。「よくみるとみんな大きな刀もさしていたのです」とあるので、彼らはたんなる農民ではない。

 四人の百姓は、日あたりがよくきれいな水の流れる場所を選んで、定住して畑を起こすことを決める。百姓たちの家族もすぐにやってくる。「荷物をたくさんしょって、顔をまっかにし」たおかみさんたちが三人と、「五つ六つより下の子どもが九人」とあるので、ひとりの百姓は独身であるようだ。四人の百姓たちは、畑を起こすこと、家を建てること、火をたくこと、木を切ることのそれぞれに森に伺いをたてる。そして森はそのすべてに許可をあたえたのだ。

 それから四人の百姓とその家族は死の物狂いで働き、最初の冬を越す。いちめんの雪がきたが、冬のあいだ、森は家族のために北風をふせいでくれた。春が来て小屋が二つになり、そばとひえが播かれる。秋には小屋が三つになり、穀物はともかくもみのったのだが、ある「土の堅く凍った朝」九人の子どもたちのなかの小さな四人がいなくなる。

 あたりをさがしまわっても見つからないので、百姓たちは森に尋ねるが知らないといわれる。そこで、彼らはさがしに行くことを宣言して、みんないろいろの農具をもって、一番近い狼森に入って行く。森の奥では火がたかれ、九匹の狼が火のまわりを歌いながら踊りまわっていて、いなくなった四人の子どもたちは火に向かって、焼けたくりやはつたけなどを食べている。百姓たちが声をそろえて「狼どの、子どもを返してけろ」とさけぶと、狼たちはびっくりして、歌と踊りをやめる。すると「すきとおったばら色」に燃えていた火は消え、あたりは青くしいんとなって、子どもたちは泣きだしてしまう。

 途方に暮れた狼たちは森の奥に逃げていくが、子どもを連れて帰ろうとしている百姓たちに、自分たちに悪意はなく、子どもたちにご馳走したのだ、とさけぶ。これを聞いて百姓たちは、うちに帰ってあわ餅をつくり、狼森にお礼としておいてくる。

 ここで語られるのは贈与と謝礼の経済である。四人の百姓_刀を持った開拓者たちと森との関係は、北風を防ぎ、木を切らせて、森は一方的にあたえる側である。九匹の狼たちも、見返りをもとめて子どもたちをご馳走したのではない。冬のあいだ「冷たい、冷たい。」と泣いていた子どもたちに、暖かい火のまわりで、おいしいくりときのこを食べさせたのだ。四人の子どもたちは、もしかしたら人質にとられていたのかもしれないが、ここにはまちがいなく祝祭の空間が存在した。だから、百姓たちは狼のもてなしに対して、自発的にあわ餅を謝礼として返したのである。

 次の春は、子どもが十一人になり、馬が二匹きて、畑に腐った草や木の葉と一緒に馬の肥も入って、秋には穀物がよくとれるようになった。ところが「霜柱のたったつめたい朝」すべての農具がなくなってしまう。百姓たちは今度も森に尋ねるが、知らないといわれ、またも「さがしに行くぞぉ」とことわって、てぶらで森に入って行く。

 狼森では、九匹の狼がすぐ出てきて、ここにはないから外をさがせ、といわれる。百姓たちが、西のほうの笊森に行くと、かしわの木の下の大きな笊の中になくなった農具が九つとも入っている。それだけでなく「黄金色の目をした、顔のまっかな山男」があぐらをかいてすわっていた。農具を隠したのは山男だったのである。「山男、これからいたずらやめてけろよ」という百姓たちに、山男は自分にもあわ餅をもってきてくれ、とさけぶ。百姓たちは笑ってうちに帰り、またあわ餅をつくって、狼森と笊森に持って行ったのだった。

 今回山男にもって行ったあわ餅は、狼森にもっていった謝礼としてのあわ餅ではない。山男がいたずらを止める見返りとしてのそれである。山男は強要、といっては言い過ぎかもしれないが、懇願よりははるかに強い要請としてあわ餅をくれ、といったのである。農耕生産の道具を奪われたら、百姓は生きていくことができなくなってしまう。山男にとっては「いたずら」かもしれないが、農具をなくすということは開拓者共同体の危機である。生産手段の確保のためにあわ餅を供与したのだとすれば、これは限りなく納税に近くなってくる。

 そしてまた次の夏、耕地はひろがり、馬が三匹になった。納屋も木小屋もできて、みんなは豊かになった。今年こそは、どんな大きなあわ餅でも作ることができる、と思ったが、今度はそのあわが一粒もなくなってしまう。百姓たちはあわのゆくえを森に尋ね、またもや知らないといわれるので、ことわった上で、今度はめいめい「すきなえものをもって」森に入って行く。

 注目すべきは、この後語られる狼森の九匹の狼と笊森の山男との百姓たちに対する態度の微妙な変化である。狼も山男も自分たちのところにはないから外を探せ、というのだが、狼は「みんなを見て、フッとわらって」、山男は「にやにやわらって」と書かれている。あからさまな嘲弄ではないが、かすかに冷笑している気配である。えものをもって、あわ泥棒をやっつけなければ、という百姓たちの意気込みが滑稽にみえたのだろう。百姓たちは決死の覚悟だったが。

 さて、百姓たちにあわのゆくえを教えたのは、タイトルに名前の出てこない黒坂森だった。百姓たちの呼びかけに、「形は出さないで、声だけで」こたえた、と書かれる黒坂森は、あわ餅のことなどはひとこともいわずに、「あけ方、まっ黒な大きな足が、空を北へとんで行くのを見た」と言ったのである。そうして、「もう少し、北のほうへ行ってみろ」と指示したのだ。

 百姓たちが北に行くと、「まつのまっ黒な盗人森」から「まっくろな手の長い大きな大きな男」が出てくる。「あわ返せ、あわ返せ。」とどなる百姓たちに腹をたてた大男は、自分は盗んでいないと言って、盗人よばわりするものはみんなたたきつぶしてやる、と威嚇する。百姓たちは恐ろしくなって逃げだそうとする。だが、そのとき、「銀の冠をかぶった岩手山」の「それはならん。」という鶴の一声がすると、黒い男は地に倒れてしまう。

 岩手山は、あわを盗んだのはたしかに盗人森(黒い大男)であると審判を下す。そして、必ずそれを返させる、とも確約する。盗人森は、自分であわ餅をつくってみたくなったので、あわを盗んできたのだ、と盗人森の「動機」を説明もしたのである。岩手山が話し終えると、男はもう姿を消していた。

 百姓たちが家にかえってみると、あわは納屋にもどっていたので、みんなはあわ餅をつくって四つの森にもって行く。盗人森には、少し砂が入っていたが、いちばんたくさんのあわ餅をもっていった、とある。それから森は「すっかりみんなの友だち」で、毎年冬のはじめには、きっとあわ餅をもらったが、そのあわ餅も、時節がらずいぶん小さくなって、これはどうも仕方がない、と黒坂森の韜晦の言葉で建国神話は結ばれる。

 最後の盗人森の大男にもって行ったあわ餅にはどんな意味があるのか。狼や山男とは異質の凶暴な大男と百姓たちの交渉は、銀の冠をかぶった岩手山がいなければ、百姓たちの一方的な敗北である。せっかく作った食料をすべて奪われては共同体は壊滅する。百姓たちは、岩手山の権威のもとで、盗人森にシノギを納めて生産を続けることができたのだ。上品なことばでそれを納税というのだろう。

 返礼から納税へとあわ餅の意味は共同体の変化とともに変わっていった。森と開拓者たちの関係も変わっていったのはいうまでもない。これは黒坂森が語る「百姓の側からの歴史」であり、入植あるいは開拓の歴史だが、森の側からみれば「侵略」の歴史でもある。毎年冬のはじめにあわ餅をもらう狼や山男やまっくろな大男はその後どうなっていったのだろう。

 最後に、ささいなことかもしれないが、少し気になることを考えてみたい。この作品では、4、9の二つの数にこだわっているように思われる。四つの森、四人の百姓、九人の子ども、九匹の狼、九つの農具。九匹の狼は「水仙月の四月」にも「三人の雪童子」が「九匹の雪狼」を連れている、とあって、ここでも4、9が登場する。4、9は何の数字なのだろう。どうでもいいようにみえて、この疑問が解けないので、作品の土台のところでわかっていないような気がしてならない。

 結局尻切れトンボで終わってしまい、相変わらずの非力を覚えています。今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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2022年6月23日木曜日

宮沢賢治『注文の多い料理店』______シベリア出兵のナインストーリーズ__「かしわばやしの夜」の謎

  岩手大学名誉教授の米地文夫氏に「宮沢賢治「月夜のでんしんばしら」とシベリア出兵」という論文がある。「啄木短歌・「カルメン」「戦争と平和」との関係を探る」と副題のついた精緻で素晴らしい論文である。米地氏は『注文の多い料理店』におさめられた作品中この「月夜のでんしんばしら」と「烏の北斗七星」について論文を書かれている。そのどちらも、これらの作品に深く影を落とす戦争とのかかわりを解析したものだが、私は賢治が唯一生前活字化した『注文の多い料理店』全体が、つねに戦時下にある当時の日本の状況を暗喩したものだと考えている。

 例によって独断と偏見でいえば、『注文の多い料理店』という作品集は宮沢賢治の「ナインストーリーズ」であると思う。サリンジャーが太平洋戦争の真実を「ナインストーリーズ」で書いたように、賢治は、明治維新というグレートリセット以来日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦そしてシベリア出兵と、戦争が日常であったといっても過言でない日本の状況を童話のかたちで書いたのではないか。といっても、日本の国土が戦場になったのではない。国土に根を下ろして生きていた日本の若者が徴兵されて、海外の戦場で戦わされたのだ。かしわの木が「九十八」本切られてその「足さき」が林の中に残ったように。

 「かしわばやしの夜」は非常に不思議な作品で、難解である。冒頭からの数十行、平易な日本語で書かれている部分がすでにわからない。

 「清作は、さあ日暮れだぞ、日暮れだぞと云いながら、稗の根もとにせっせと土をかけていました。
 そのときはもう、銅(あかがね)づくりのお日さまが、南の山裾の群青いろをしたとこに落ちて、野はらはへんにさびしくなり、白樺の幹などもなにか粉を噴いているようでした。
 いきなり、向こうの柏ばやしの方から、まるで調子はずれの途方もない変な声で、
「欝金しゃっぽのカンカラカンのカアン。」とどなるのがきこえました。
 清作はびっくりして顔いろを変え、鍬を投げ捨てて、足音をたてないように、そっとそっちへ走って行きました。
 ちょうどかしわばやしの前まで来たとき、清作はふいに、うしろからえり首をつかまれました。
 びっくりして振りむいてみますと、赤いトルコ帽をかぶり、鼠いろのへんなだぶだぶの着ものを着て、靴をはいた無暗にせいの高い眼のするどい画かきが、ぷんぷん怒って立っていました。
「何というざまをしてあるくんだ。まるで這うようなあんばいだ。鼠のようだ。どうだ、弁解のことばがあるか。」
 清作はもちろん弁解のことばなどはありませんでしたし、面倒臭くなったら喧嘩してやろうとおもって、いきなり空を向いて咽喉いっぱい、
「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン。」とどなりました。するとそのせ高の画かきは、にわかに清作の首すじを放して、まるで咆えるような声で笑いだしました。その音は林にこんこんひびいたのです。」

 細かいことにこだわるようだが、清作が「さあ日暮れだぞ、日暮れだぞ」と独り言をいいながら農作業をしていた、と書かれていることにまず注目したい。「もう」日暮れだぞ、ではないのだ。「もう」日が落ちて農作業をやめるときがきた、というのではない。「さあ」日暮れになった、と自分に言いきかせている。日が暮れたら、何かが起こることを予期しているのである。

 そして突然、「欝金しゃっぽのカンカラカンのカアン」というどなり声が聞こえる。「清作はびっくりして顔いろを変え」とあるので、この声は清作には予期せぬものであったようだ。声に驚いた清作は、逃げるのではなく、「鍬をなげすてて、足音をたてないように、そっとそっちへ走っていきました」と書かれているが、「そっと走る」のは忍者ならぬふつうの人間には難しい。案の定、清作は赤いトルコ帽をかぶった男に見つかり、その「鼠のよう」なあるき方を「何というざまをしてあるくんだ」と非難される。不思議なのは「弁解のことばはあるか」と男にいわれて「もちろん弁解のことばなどはありませんでしたし、面倒臭くなったら喧嘩してやろうとおもい」清作も「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン」とどなることである。

 いったい清作と赤いトルコ帽をかぶった画かきとはどういう関係なのか。「欝金しゃっぽのカンカラカンのカアン」という声を聴いて清作が顔いろを変えたのはなぜか。そもそも「欝金しゃっぽ」とは何か。清作は欝金いろの帽子をかぶっているのか。それとも清作の髪が欝金いろなのか。あるいは「欝金しゃっぽのカンカラカンのカアン」とは何かの合言葉なのか。私にとって、「欝こんしゃっぽ」は謎のはじまりであり、最後まで解けない謎だった。

 清作が「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン」とどなり返すと、画かきはにわかに機嫌がよくなって「咆えるような声で笑いだし」その声は「林にこんこんひびいた」とある。「せいの高い」「眼のするどい」画かきとは何者か。

 この後画かきと清作は禅問答のような挨拶を交わす。清作の応答によろこんだ画かきは「おもしろいものを見せてやる」といって、林の中に入って行く。

 林の中は清作にたいする悪意にみちていた。それもそのはずで、清作は林の中の柏の木を九十八本も切ってしまったからである。林の中には「しっかりとしたけらいの柏ども」にかこまれて、「大小とりまぜて十九本の手と、一本の太い脚とを持」った「柏の木大王」がいるが、大王は画かきと一緒にやってきた清作のことを「前科九十八犯」の前科者と呼ぶ。だが、清作は「おら正直だぞ」と臆するところがない。自分は山主の藤助に酒を二升買ってあるから、切る権利があるという。山主の藤助がたった二升の酒を受け取ったために、九十八本の柏の木はなんら抵抗するすべもなく切られてしまったのだ。

 ところで、柏の木大王は、清作が柏の木を切った行為そのものにをとがめたのではないようである。山主の藤助に酒を買ったのに、なぜ自分には買わないのかと文句をいうのだ。

 「そんならなぜおれには酒を買わんか。」「買ういわれがない。」「いや、ある、たくさんある。買え。」「買ういわれがない。」

 柏の木大王と清作のこの問答は作品中三回繰り返される。柏の木大王にとって、林の柏の木の命は二升の酒と引き換えになるものなのだろうか。

 林の中の険悪な空気は画かきのことばで一変する。
 「おいおい、喧嘩はよせ。まん円い大将に笑われるぞ。」東の山脈の上に「大きなやさしい桃いろの月」がのぼったのだ。柏ばやしは、若い木も柏の木大王も

 「かしわばやしの よろこびは 
  あなたのそらにかかるまま」

と月への讃歌をうたう。

 ちょっと不思議なのは、柏の木大王が

 「こよいあなたは ときいろの
  むかしのきもの つけなさる
  かしわばやしの このよいは
  なつのおどりの だいさんや

  やがてあなたは みずいろの
  きょうのきものを つけなさる」

と、うす桃いろの月が「むかしのきもの」を着て出てきて、今晩「なつのおどりのだいさんや」に「みずいろの きょうのきもの」に着替える、といっていることである。「むかしのきもの」を着ている月に、若い柏の木たちも

  「あんまりおなりが ちがうので
   ついお見外れしてすみません」

と謝っている。うす桃いろあるいは水色の優美な衣装を着けた月を、画かきが「まん円い大将」と兵隊の位でよぶことにも微かな違和感を感じるのだが、いったい、月は何の表徴なのだろうか。

 柏の木たちの月讃歌によろこんだ画かきは興に乗って「じぶんの文句でじぶんのふしで歌う」歌のコンクールをしようと言い始める。一等から九等まで画かきが書いたメタルをくれるという。白金、きんいろ、すいぎん、ニッケル、とたん、にせがね(?)、なまり、ぶりき、マッチ(?)とあって、最後は「あるやらないやらわからぬ」メタルだそうだが、「書いた」メタルって何のことだろうか。

 画かきがまず、賞品のうたをうたい始めると、柏の木たちは柏の木大王を正面に環をつくる。月も水いろの着ものと取りかえ、あたりは浅い水底のようになる。月影に「赤いしゃっぽもゆらゆら燃えて見え」る画かきは、まっすぐ立ってスタンバイするのだが、最初の小さな柏の木が歌い始めると、なぜか、鉛筆が折れた、といって靴の中で削りはじめる。削り屑で酢をつくるというのだが、出ばなをくじかれてみんな一瞬しらけてしまう。

 それでも、若い柏の木から順々に歌い始めると、画かきはその都度「わあ、うまいうまい」とほめて一等から順に評価を与える。だが、そのうたたるや

 「うさぎのみみはながいけど
  うまのみみよりながくない」

というようなナンセンス、というほどの意味もないようなうたである。きつねや猫、くるみ、さるのこしかけなど、林のなかの生きもののうたが続いて五等賞まで進む。

 そして、六番目に出てきたのは、清作が林のなかに入ろうとしたとき、脚をつき出してつまずかせようとした若い柏の木で、

 「うこんしゃっぽのカンカラカンのカアン
  あかいしゃっぽのカンカラカンのカアン」

とうたう。いうまでもなく、林の入り口で画かきと清作がかわしたやりとりである。画かきはこれを「うまいうまい。すてきだ。わあわあ」とほめるが、清作は当然おもしろくない。

 さらに続く三本の柏の木が、清作が葡萄酒を密造しようとして失敗したことを暴露する。清作の怒りは頂点に達するが、画かきにつかまれて身動きがとれない。柏の木たちももう言うべきことを言いつくしたのか、みんなしんとしてしまう。うんといいメタルを出すから、と画かきに促されて、柏の木がざわついたときに、ふくろうの軍団がやって来る。

 「のろづきおほん、のろづきおほん、
  おほん、おほん、
  ごぎのごぎのおほん
  おほんおほん」

と奇妙な鳴き声のふくろうの集団が、柏の木のあちこちにとまる。清作と会ったばかりの画かきが「野はらには小さく切った影法師がばら播きですね」と言ったのはこの光景だったのかもしれない。その中から、立派な金モールをつけて眼のくまがまっ赤な年寄のふくろうの大将が、柏の木大王の前に出ていう。ふくろうたちはいま「飛び方と握み裂き術の大試験」を終えたところで、「たえなるしらべ」が聞こえてきたのでまかり出てきた。ついては、これから柏の木たちと連合で大乱舞会をやろうと。そして、梟の大将みずからうたい始める。

 「からすかんざえもんは
  くろいあたまをくうらりくらり、
  とんびとうざえもんは
  あぶら一升でとううろりとろり、
  そのくらやみはふくろうの
  いさみにいさむもののふが
  みみずをつかむときなるぞ
  ねとりを襲うときなるぞ」

「黒砂糖のような甘ったるい声で」うたった、とあるがえげつない、不気味なうたである。他のふくろうたちも「ばかみたいに」

 「のろづきおほん、
  おほん、おほん、
  ごぎのごぎおほん、
  おほん、おほん、」

と、どなったのにたいして、さすがに柏の木大王は「きみたちのうたは下等じゃ」と眉をひそめる。そこで、副官のふくろうがとりなして、今度は上等のうたをやるから一緒におどろうと音頭を取る。

 「おつきさんおつきさん まんまるまるるるん
  おほしさんおほしさん ぴかりぴりるるん
  かしわはかんかの  かんからからららん
  ふくろはのろづき  おっほほほほほほん。」

副官のうたで、柏の木とふくろうは息を合わせて大乱舞会をやったのである。

 大乱舞会は実にうまくいったのだが、月はすこし真珠のようにおぼろになった。これもまた、画かきと会ったばかりの清作が「お空はこれから銀のきな粉でまぶされます」と予言された事態かもしれない。そして、乱舞会の成功によろこんだ柏の木大王が


 「雨はざあざあ ざっざざざざざあ
  風はどうどう どっどどどどどう
  あられぱらぱらぱらぱらったたあ
  雨はざあざあ ざっざざざざざあ」

とうたうと、霧が矢のように林の中に降りてきたのである。急転直下の事態に、踊りの途中の柏の木たちは、化石したように硬直したままだが、画かきの姿はなく、赤い帽子だけがほうりだされている。まだ飛び方の未熟なふくろうがばたばた遁げていく音がした。

 林を出た清作が空を見ると、月があったあたりはぼんやり明るく、黒い犬のような形の雲がかけて行き、林の向こうの沼森のあたりから「赤いしゃっぽんのカンカラカンのカアン。」と画かきが叫ぶ声がかすかにきこえる。

 以上作中歌われる不思議な「うた」を中心にあらすじを追いかけてきたが、謎は深まるばかりで、いっこう解ける気配がない。そもそも、振出しに戻って、「清作」とは何か。鍬を持って農作業をしているので、農民なのだろうが、何故柏の木を九十八本も切ったのだろう。切った柏の木をどうするのか。山主の藤助がたった酒二升で伐採を許したのも解せない。また、野原にぶどうをとりに行った清作が「一等卒の服」を着ていた、とうたわれているが、清作は兵隊なのか。

 柏の木大王は、清作を「前科九十八犯」と呼んで弾劾する。だが、その罪は清作が柏の木を伐採した行為そのものではない。清作が山主の藤助には酒を買いながら、大王には酒を買わなかったことを非難しているのだ。清作は買う「いわれがない」といい、大王は「(いわれは)ある。沢山ある。買え」と言って、この問答は三回繰り返される。どこまで行っても平行線のこの論争で、当の柏の木の命は議論の圏外である。 

 清作を林へいざなう画かきの正体は何か。清作が「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン」とどなると、「まるで咆えるような声で笑いだしました。その音は林にこんこんひびいたのです。」と書かれている。これは人間だろうか。「赤だの白だのぐちゃぐちゃついた汚ない絵の具箱」を持っているが、いったいどんな絵を描くのだろう。清作を林に連れて行った目的は何か。白日ならぬ月光の下で、清作の冒した密造酒づくりという罪を暴き、償わせようとしたのか。

 この作品の前半は清作対柏の木の敵対関係がテーマだが、後半ふくろうが登場すると、清作も画かきも出る幕がなくなる。ふくろうの大将が

「そのくらやみはふくろうの、
 いさみにいさむものふが 
 みみずをつかむときなるぞ
 ねとりを襲うときなるぞ」

と宣言するように、ふくろうは森の殺戮者である。森の殺戮者と、神が宿る神聖な木ともいわれる柏の林が「大乱舞会」をくりひろげた、というのはどういうことなのか。そして、これが最も難問だが、この「大乱舞会」によろこんだ柏の木大王が「すぐ」

 「雨はざあざあ ざっざざざざざあ……」とうたいだすと霧が「矢のように」降りて来て、饗宴が突然の終わりを迎えたのはなぜだろう。柏の木大王はふくろう軍団に友好的ではなかったのか。

 最後に赤いシャッポを残して、画かきはいつ姿を消したのだろう。「赤いしゃっぽ」っていったい何だろう。「欝金しゃっぽ」も、そもそも帽子だろうか。_______とまたもや振出しに戻ってしまい、何ひとつ解決できないままである。

 書いているうちに何か解き明かされるかもしれないとかすかな期待をかけていたのですが、やはり非力な自分を思い知らされました。探っても探っても真相は遠のいていくような気がします。それが賢治の作品の魅力なのかもしれませんが。不得要領な一文を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2022年2月19日土曜日

宮崎駿『千と千尋の神隠し』__「黙説法」に挑む__再び「油屋」と「銭屋」の双頭支配について

  世の中には「黙説法」という語り方があるという。中心となる事実は語らないで、その周辺を語る。語り口が巧みであるほど、読者あるいは観客の関心はたかまり、より多く知りたいという欲望にかられる。だが、決して、核心に直接触れることはできない。核心のまわりに衛星のように散りばめられたディテールが、かえって核心を隠すからである。ディテールに惹かれ、読者あるいは観客は核心に接近しようとするが、阻まれる。このような経緯を「接近、回避のディスクール」と呼び、その語り方を「黙説法」という。以上のことを、渡部直己氏の『不敬文学論序説』という書物で学んだ。

 『千と千尋の神隠し』は、確信犯的に「黙説法」の語りで作品を組み立ていると思われる。さりげなく、緻密に描きこまれたディテールの深層を読み込まなければ表面上のプロットしかわからない。だが、そのディテール自体にこだわって、そこにある謎を解こうとしても、単独のディテールだけでは解けないのだ。作品全体が複雑に組み立てられたジグゾーパズルのようで、たった一つのピースでも欠けたらジグゾーパズルは完成しないように、すべてのディテールの意味が分からなければ、結局謎はいつまでも謎のままで、堂々巡りである。

 黙説法の危険なのは、魅力的なディテールと一見わかりやすく感動を誘う表面上のプロットの威力で、多くの人にカタルシスをもたらすことである。剥き出しの真実より、美しいヴェールを人間は好むのだ。_______この頃は、もう、それでもいいかもしれない、と思ってしまう。年齢のせいだろう。

 それでも、美しいヴェールをめくることはできなくても、その裾を踏んづけることくらいには挑戦してみたい。

 この映画は、蛙となめくじが従業員で、経営者が魔女の「油屋」と言う名の湯屋が舞台である。湯婆と呼ばれる魔女は、鷲の鼻、もしくは天狗の鼻を持ち、眉間に丸い玉を埋め込んでいる。女の従業員は源氏名がついていて、「年季明け おめでとう」という貼り紙があるところを見ると風俗営業であるようだ。そこへ、一人だけ「いくら何でも人間はこまります」といわれる千尋が入ってくる。この店で人間は千尋だけである。ハクとリンは人間に数えられないようだ。経営者の湯婆は、明け方になると、手下を連れて空を飛び、何か偵察している様子で、これももちろん、人間ではない。

 油屋は「八百万の神様が疲れを癒しに来るところ」で、客も人間ではない。ここに「オクサレサマ」ならぬ「名のある河の主」がやって来て、千尋にニガヨモギを与え、膨大な廃棄物と砂金を残して去っていく。従業員は砂金に群がって拾うが、拾った砂金はすべて湯婆に取り上げられてしまう。金に目が眩んだ従業員は、正体不明のカオナシが繰り出す偽造の金におびき寄せられて、手あたり次第食べ物と一緒にカオナシに飲み込まれてしまう。

 ここまでの展開に、日本の高度経済成長からバブルへの仕掛けとその崩壊を読み取るのは、そんなに無理でもないと思う。「ニガヨモギ」が何か、という問題はあるが。難解なのは、その後である。なぜ、湯婆はハクに命じて、銭婆の持つ契約印を盗みに行かせたのか。ハクはどうやって盗んだのか。そもそも契約印とは何か。盗んだ契約印を千尋が勝手に銭婆に返してしまったことに対して、ハクはどう思うのか。せっかく盗んだ契約印を銭婆に返してしまった千尋に対して、なぜ湯婆は寛大なのか。等々、多くの疑問は、物語内部には、解決の糸口すら見つけられない。核心へのこれ以上の接近は拒まれている。

 ここまで書いてきて、一番の疑問は、この物語が過去の出来事を語ったものか、それともこれから起きる未来の予告なのか、ということである。以下はまたしても、私の独断と偏見、妄想である。

 どちらもまったく同じ顔をもつ双子の鷲がヒエラルキーの最上位にいる世界があって、その世界を回すエネルギーは油と金融である。油と金融で覇権争いがあって、油が覇権を握るかに見えたが、結局金融の覇権は揺るがなかった。ここに登場したのが、ニギハヤミと千尋という人間__日本人である。ニギハヤミの奪ったものを、千尋がニガヨモギの力で無にした。ニギハヤミも千尋も覇権の構造の外にある存在である。千尋は役割が終われば人間の世界に戻ることができるが、ニギハヤミはわからない。

 というわけで、最後まで謎は謎のままで、ジグゾーパズルは完成できなかった。終わりに、DVDを持っている方は、「おわり」という文字が浮き出す最後の絵コンテを、もう一度よく見ていただきたい。水面に小さく靴が描かれ、白い波しぶきのようなものが何か所か描かれている。だが、目を凝らすと、水面下にいろいろなものが沈んでいるのがわかる。はっきり見えるのが車で、その他建物や、動物?のようなものも描かれているように見える。何のためにこのようなものを描いたのかわからない。エンディングに流れる主題歌ともども、何となく不気味である。

 ちょっと寄り道のつもりが、随分長く立ち止まってしまいました。これから、また、幕末明治と島崎藤村に戻ります。今日も舌たらずなな文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2022年2月16日水曜日

宮崎駿『千と千尋の神隠し』__ニガヨモギの如意宝珠、鳥になった両親?契約印の魔法

 『千と千尋の神隠し』には不思議な効果をもつ「モノ」がいくつかでてくる。体が「融けていく」千尋に、ハクが飲ませた赤い錠剤(?)、空腹の千尋がむさぼる大きなお握り。お握りには、「千尋が元気になるように魔法をかけておいた」とハクはいうのだが、なぜか食べながら千尋は泣きじゃくっている。だが、一番不思議で、一番重要なのが、翁面の「名のある河の主」が千尋に与えたニガヨモギの草団子である。

 この草団子は、どんな効能をもつのか。千尋はこれを豚になってしまった「お父さんとお母さんに食べさせようと思った」と言っている。だが、食べた両親が人間に戻ることが出来るかどうかは分からないはずである。それを千尋は瀕死の龍ハクに飲み込ませる。するとハクは盗んだ契約印と黒いタールのような液体を吐き出し、人間の姿となる。さらにまた、食べ物も人間も手あたり次第に飲み込んで、怪物化したカオナシの口にも放り込む。カオナシもまた、ハクと同じように飲み込んだものすべてを吐き出す。ニガヨモギとは吐瀉剤なのか?千尋はニガヨモギが吐瀉剤だと知っていたのか。そんな筈はないのだが。

 おそらく、千尋が翁面の龍から授かったニガヨモギの団子は、如意宝珠と呼ばれる「龍の玉」の寓意だと思われる。龍の脳みそからとれるともいわれる如意宝珠は、その名の通りどんな願いもかなえる珠であるという。千尋の渾身の行為を翁面の龍は「善哉」と言祝いで、万能の珠をあたえたのだ。

 だが、それが「ニガヨモギ」である理由は何か。

 効能はなさそうだが、不思議なモノはまだある。ひとつは、ハクが湯婆の部屋に行くとき、なぜかエレベーターに乗らずに、建物の内部を螺旋状に上る階段を登っていくのだが、その途中に不思議な袋が二つ吊り下げられている。肌色の布の袋のようで、そんなに大きくはない。何が入っているのだろう。そして、なぜ、この場面があるのだろう。

 不思議な鳥も登場する。傷ついたハク龍を追いかけて、千尋が建物の外から危険を冒して湯婆の部屋に上っていくときに、二羽の白い鳥が千尋の周囲を飛んでいる。何も論理的根拠はないが、この二羽の白い鳥は千尋の両親のように見える。だが、なぜここに白い鳥、もしくは千尋の両親が登場するのかわからない。

 ニガヨモギの効能を考えるとき、忘れてならないのがハクが盗んだ契約印との関係である。海原鉄道に乗って、銭婆の家を訪れた千尋が「銭婆さん、これ、ハクが盗んだものです。お返しに来ました。」と契約印を差し出す。銭婆は「あんた、これが何だか知ってるかい?」とたずねる。「いえ、でも、とっても大事なものだって。ハクの代わりに謝りにきました。ごめんなさい。」と千尋が頭を下げると、銭婆はしげしげと判子を見て、小さな声で「おや、まもりのまじないの魔法が消えてるね」とつぶやく。千尋が「あの、判子から出てきた虫、あたしがつぶしちゃいました」というと、銭婆は「踏みつぶした?!あんた、あれは、妹が弟子を操るために、龍にかけた魔法だよ。踏みつぶした!あ、は、は」と大笑いする。

 このくだりは、非常にわかりにくい。敢えて分かりにくくしているように思われる。ここで呈示されている事実は二つある。一つは、契約印にかけられた「まもりのまじないの魔法」(かけたのは銭婆だろうか)が消えているということ。もうひとつは、契約印と一緒にハクの体から「虫」__黒いタール状の液体がとびだしたということである。「虫」とは湯婆が「弟子を操るために龍にかけた魔法」であり、千尋がそれを踏みつぶした、ということは、「弟子を操るために龍にかけた魔法」もまた消えたということだろう。この二つの事実はニガヨモギの効能と関係があるのか。

 最後に、ニガヨモギと契約印の魔法の関係は、ひとまず措いて、千尋の行動について考えてみたい。瀕死のハクが吐き出した契約印を、千尋が、ハクの代わりに銭婆に返す。そして「ごめんなさい」と謝る。銭婆もこれを受け入れ、龍の姿でやってきたハクに「あなたの罪は、もう咎めません」と許す。一件落着で、めでたしめでたしの大円団だが、ほんとうにそれでよかったのか。ハクが命がけで銭婆のもとから奪い取った契約印を千尋は「大事なものだって」と言って、独断で返してしまう。盗んだものを元の持主に返すのは「よい」行為で、千尋は「よい子」、という文脈は、ドラマづくりの巧みさから何となく受け入れられてしまう。強欲で酷薄そうな湯婆と、質素で優しそうな銭婆が対比的に造型されていることも、その流れを後押しする。

 だが、契約印がどういうもので、なぜ湯婆が奪おうとしたのか、という根本的な問題は曖昧にされたままである。もしかしたら、「根本的な問題」などなかったのかもしれない。あるように見せかけて、さまざまな謎を仕掛け、最後まで関心を惹きつけておいて、効果的な音楽と緻密な作画で観客にカタルシスを味わわせることが目的のすべてだった、といったら言い過ぎだろうか。あるいは、本当の核心は隠したままで、その周辺を丁寧に繊細に描くことで、観客にいつまでも繰り返し作品を反芻させることが目的だった、とは言えないだろうか。

 上記の問題提起については、もう少し論旨を整理して(できるだろうか)、考えてみたい。その前に、千尋の神話的深層についても触れなくてはいけないのだが、うまくまとまるだろうか。ハクが「ニギハヤヒ」であるという前提にたてば、千尋は「ヒルコ」である、というのが今の私の仮説なのだが。 

 論の展開が少し強引だったかもしれません。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

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2022年2月10日木曜日

宮崎駿『千と千尋の神隠し』__「大湯」という能舞台、「セン」と「リン」、「ふむ」という所作

 自転車とスパナの謎は解けないままだが、「名のある河の主」の登場について、ひとつ気になることがあるので、本筋にあまり関係ないかもしれないが、少し書いてみたい。

 「名のある河の主」登場から退場の場面は、能「翁」と「三番叟」を下敷きにしているものと思われる。突拍子もないことをいうようだが、この作品の作者は、たんに日本の神話に詳しいだけでなく、民俗学(折口学?)にも相当の造詣を持つ人ではないか。

 センとリンが「オクサレサマ」を迎えた「大湯」のしつらえは、壁面に松の古木を描いた能舞台そのものである。松は神の降りてくる木と考えられていて、松の下で芸能を行うと、神が松を下って来て舞う。これがすなわち翁である、と折口信夫はいう。その松を「はやして」(分離して)持ち運び、舞踏の場(かならずしも舞台と限らない)に据え、舞う。いまでも、舞台正面に松の絵を描くだけでなく、その脇に本物の松の枝を据えている能舞台もある。

 この「大湯」という能舞台に上がるのが、「オクサレサマ」の様相をした「名のある河の主」である。「オクサレサマ」あるいは「名のある河の主」は、降りしきる雨の中、太鼓橋を渡って油屋に向かう。悠揚迫らぬあゆみである。能「翁」の最初の詞章は、シテが直面で舞い、謡う

 どうどうたらりたらりら たらりららりららりどう
 ちりやたらりたらりら たらりららりららりどう

とあって、まったく意味不明だが、何となく、オクサレサマの様子をイメージできるのではないか。オクサレ神を大湯の間に案内して歩く千尋の後ろ姿も極端なガニ股で、普通の歩き方ではない。

 「翁」「三番叟」は、いまは演じられなくなった「父尉」と合わせて「式三番」と呼ばれる。白い尉面を付けて舞う「翁」、黒い尉面をつけてふむ(舞う、とはいわないそうである)「三番叟」の順に演じられる。ストーリーはなく、シテの「所千代までおはしませ」から始まる言祝ぎの詞章が展開される。白い尉面をつけて舞う翁は、松から降りてきた神と考えられていて、装束も神々しく、舞うさまも厳粛、荘重である。それに対して黒い尉面をつけてふむ三番叟は、滑稽味を帯びて、動的だ。「日本藝能史序説」の中で、折口は、以前、「翁」の本芸にたいして、三番叟は「もどく」芸で、象徴的な白式尉の舞に平俗な説明を加えるものであると考えていたが、後になって考えてみると、この順序は逆かもしれない、といっている。

 少し寄り道になるが、折口の説明に耳を傾けてみたいと思う。折口は「でもんとかすぴりっととか言ふ、純粋な神でない所の、野山に満ちているあにみずむの當體、即、精靈の祝福に来る事が、まづ考へられるのである。」という。ただし、精霊たちは、最初から人間を祝福しに来るものではない。人間に居場所を奪われた精霊たちは、常に悪意を持って反抗しようとしている。だから、機会あるごとに、人間は精霊を押さえつけて、服従を誓わせ、逆に自分たちを祝福しに来させるようにした。こういう低い神々が、時を経て出世してくる。アニミズムの対象であったものが、神社に祀られてくる、と折口はいう。すなわち、発生の順としては、精霊の表徴化された黒尉の三番叟が先である、と。

 要約の仕方がたどたどしくて、我ながら浅学を恥じるばかりだが、敢えて、折口に語らせたのは、黒尉の翁のふむ演技に注目したいからである。三番叟では、最初は直面で、次に黒尉の面をつけて、次第に高潮して演じられるのだが、この時、鈴を渡されて踊るのだ。扇をかざし、鈴を振ってダイナミックに踊るそのさまは、抗う精霊たちを何としても屈服させようとする所作である。同時に精霊たちの抗うさまにも見える。鈴は、抗う精霊たちを引き寄せ、また、屈服させる両義的な機能をもつ道具なのではないか。そして、「セン」と呼ばれる千尋を「手下(ハクの表現である)」にした「リン」の正体は「鈴」ではないだろうか。

 もうひとつ黒尉の翁の演技で特徴的なのが、文字通り「ふむ_踏む」所作である。地中の精霊を踏みつける動作が様式化されて繰り返される。この動作が作品中映像化された場面がある。小さな鼠に姿を変えられた「坊」がやっている。傷ついたハクがニガヨモギの団子を飲み込んで、銭婆から奪った契約印を吐き出したときに、契約印と一緒にハクの口から黒い、タールのようなものが出てくる。生き物のようにピョンピョン跳ねるその物体を千尋が踏みつぶすと、それが土間に流れ落ちて、不思議なかたちの黒い跡(これの正体がこの作品の謎を解く重要な鍵である)ができる。それを「坊」がたくさんの煤(ススワタリというそうだ)に囲まれた中で、踏みつけるのだ。歌舞伎の「見得」のようにも見えるが、黒尉の「ふむ_踏む」所作なのだろう。

 最後にもう一度大湯という能舞台に戻って考えてみたい。この舞台の登場人物はいうまでもなく、千尋と「名のある河の主」である。酸鼻をきわめる「オクサレサマ」を迎えた千尋が、描かれた松の木の根本をたたくと、はめ込まれていた戸が倒れて、薬湯の札を掛ける紐が垂れてくる。千尋がそれに札を引掛けると札が窯爺に届く。そうして、千尋が湯舟の上に垂れ下がった紐を引っ張ると、神の降臨ならぬ大量の薬湯が上から落ちてくる。千尋は濁流にのまれてしまうが、濁流の中から腕のようなものが伸びて、千尋をすくい上げる。その後、「油屋一同心をそろえて、イヤー、オ~レ」と銭婆に鼓舞され、皆で「オクサレサマ」の体に刺さっていた「トゲのような」自転車のハンドルを引き抜くと、様々な堆積物が押し出されてくる。

 さらに千尋ひとり釣竿の糸のようなものを手繰り寄せている。千尋がそれを精一杯引くと、今度は下から清流が湧いて出て、千尋は再び呑み込まれてしまう。清流が流れ去ると、ハァーという声が洩れて、画面は真っ白な背景に木彫りの翁の面が浮き上がり、翁の面は「善哉」と一言いって、龍の姿になって去る。千尋の手にニガヨモギの団子が残されている。さて、この翁は白尉なのか黒尉なのか。いずれにしろ、能舞台から「翁」は去った。そして、千尋も「セン、そこをお退き!」と銭婆に言われて、舞台を下りる。「セン」はもしかして、翁の露払いをする「千歳」の役を演じたのだろうか。

 舌足らずなのにくだくだした、達意とほど遠い文章で、さぞ、読みにくかったと思います。この「大湯の場」については、また別の角度から考察しなければならないと考えています。もう少し、時間がかかると思います。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2022年2月2日水曜日

宮崎駿『千と千尋の神隠し』__どうしても解けない謎__たくさんの腕を持つ龍、コハクヌシ、など

  作品の大まかなプロットはいくらかつかめたように思うのだが、細かな事がどうしても気になって、先に進まない。どうでもいいことなのかもしれないが、少しずつ書き出して考えたいと思う。

 冒頭、花束を抱いた女の子が運転中の車の後部座席に横たわっている。「やっぱり田舎ね」という女の人の声がかぶさると、画面全体が亀裂が入ったように二度揺れる。車の振動ではないようだ。何?「買い物は隣町に行くしかなさそうね」という女の人の声に対して、男の人の声が「住んで都にするしかないさ」とこたえるのも、ちょっとおかしいといえばおかしい。ふつうは「住めば都さ」とかえすのではないか。「住んで都にする」のは、大袈裟に言えば、権力をもつ者にのみ可能なことだと思われる。

 エアコンの効いた車内で、窓を開けることの不思議については以前も述べたので、ここでは繰り返さない。その後、トンネルを抜けて、父親が振りかえると、建物の頭頂部に奇妙な二つの時計があって、それぞれが違う時刻を指している。また、その文字盤が左右反転した算数字だったり、よく読み取れない漢字だったりして、まともに機能していないことを暗示している。これから先の空間には、それぞれ異なる時間が流れ、しかもそれが歪んでいる、ということなのだろう。

 千尋の両親が食べ物の匂いにつられて入り込んだ飲食店街については、前回「つげ義春「ねじ式と河の神」_めの世界」で述べたので、深く立ち入ることは避けたい。世にいう陰謀論が好きな人には説明するまでもないだろう。それと関連して、湯婆の部屋のしつらえもいわくありげである。天上に張り付けられた巨大な鳥(鷲?)の翼の彫刻__まん中に丸で囲んで「油」と描いてある__と、本棚を埋め尽くす百科事典の本が物語る記号も「めの世界」を示唆している。

 最も不気味なのが、後半、ハクが傷ついた龍の姿になって倒れ込むシーンで、一瞬映し出される恐竜のような鳥の剥製である。吹き抜けの屋根から吊り下げられているのだろうか、よく見ると、まん中に人間のような形のものが透けて見える。手と足はそれぞれ四本指で爪が生えているが、恐竜の翼に磔けられたキリストのように見えなくもない。

 だが、何といっても、この映画の最大の謎は、「名のある河の主」が龍の姿になって油屋を去る場面だろう。油屋のあたり一帯が暗い雲に覆われ、激しい雨が降り始める。まさに龍神の登場の予告である。オクサレさまの姿で油屋を訪れた「名のある河の主」は、翁の面に変身して、千尋にドラゴンボールならぬよもぎ団子を与える。「善哉」とひとこと言って龍に化身し、高笑いとともに去る「名のある河の主」は、湯婆に「お帰りだ!大戸(王戸?)を開けろ!」と叫ばせるほど「畏れ多い」存在のようである。

 だが、不思議なことに、この龍には角がない。さらに奇妙なのが、体のなかに無数の腕を持っているのだ。人間の腕のようだが、よく見ると指は四本で海老なりに曲がっている。たくさんの腕を持っているが、それが、尾に近くなると、腕というよりは肢のようにも見えてくる。はたしてこれは龍神なのか?

 龍神といえば、「ニギハヤミコハクヌシ」と名乗る少年ハクは、紛れもない龍神である。立派な角の生えた白龍として颯爽として登場する。「すごい名前!神さまみたい!」と千尋にいわれる「ニギハヤミ」という名前も、古事記に登場する「饒速日(ニギハヤヒ)」を連想させる。「饒速日」は天の磐船に乗って降り立ち、神武東征前の大和の地を治めていた、とされる。それまで協力関係にあったが、神武に従わない長髄彦(妻の兄であった)を討ち、神武に大和の地を国譲りしたが、その後の伝承はない。まさに隠された、あるいは隠れた神である。

 なので、ハクが龍神とされることは疑う余地がないのだが、「コハクヌシ」について、どう考えればいいのか。

 銭婆の家から帰るとき、龍の姿になったハクの背に跨ってハクの角をつかんだ千尋は突然思い出す。自分が小さいとき川に落ちて溺れそうになったときのことを。いまは埋め立てられてマンションになってしまったその川の名が「コハク川」だった、と千尋は言い、ハクに「あなたの本当の名はコハク川」と言う。その瞬間、龍の鱗が飛び散り、ハクは人間の姿になる。「私も思い出した。千尋が私の中に落ちたときのことを。靴を拾おうとしたんだ」とハクもこたえ、千尋が「そう、コハクが私を浅瀬に運んでくれたのね。うれしい」と言って、千尋とハクは手をとりあい、空を飛ぶ感動のシーンとなる。

 この成り行きはちゃんと辻褄が合っているようだが、何となくひっかかるものがある。なぜ、龍の背にまたがって角をつかむと、自分が溺れたときのことを思い出すのか?その川の名が「コハク川」だからハクの名前が「コハク川」だ、と千尋が断言できるのはなぜか?

 千尋の回想の言葉に先立って、画面には、水中で龍らしきものの背に跨った裸足の足が映され、その後、ピンク色の靴(たぶん左足の方)が川面に浮かび、みるみる遠ざかる。流れは速く、川幅は広く、海のようである。これが「コハク川」だとしても、埋め立てられてマンションになるような川幅の川には見えない。それから、遠ざかる靴の映像の後、突然、太い腕(これもたぶん左腕)が大きな音を立てて水面に挿し込まれる。これは何を意味するのか?

 わからないことはまだまだあるのだが、長くなるので、今回はこれまでにしたい。最後に、また蛇足をひとつ。油屋の店は、従業員が全員古代人風の衣裳を着ているが、湯婆はきんきらきんの洋装である。「天」と表示される階にあるその居室も豪華絢爛で、国籍不明だが、まったく日本風ではない。そして、最後にハクが湯婆と対決するシーンで、窓の外の景色なのか、大きな絵画が貼られているのかよくわからないが、どこか外国の風景が映される。山を背にした大きな建物が正面にあって、スイスかどこか、ヨーロッパの山岳地方のようである。その直前、坊の幕屋の背後にちらっと熱帯の島のような風景が見えるのも不思議なのだが。

 次回はもう少しまとまりのある文章を書きたいと思います。今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

2022年1月27日木曜日

宮崎駿『千と千尋の神隠し』__つげ義春「ねじ式」と河の神_「め」の世界

  千尋の神話的深層を探る前に、この映画が一部下敷きにしているといわれるつげ義春の漫画「ねじ式」について考えてみたい。

 「ねじ式」は一九六八年雑誌『ガロ』に掲載された短編漫画である。海水浴にきて「メメクラゲ」に左腕を嚙まれ、静脈を切断された男が医者を捜しまわるが、村には医者が見当たらない。なんだか奇妙な漁村で、洗濯物をかけた衣紋かけが林立していたり、家と家の間に日の丸の旗がのぞいていたりする。なんとなく、当時としてもレトロな雰囲気が漂う村の中を男は必死に捜すが、村人は誰も「イシャ」のありかを教えてくれない。

 男は隣村に行って捜そうとして、線路の中を歩くが、折よくやってきた汽車に乗る。たった一両、座席も一つしかなさそうな不思議な蒸気機関車である。狐の面をかぶった子供が運転士である。しかも、汽車は後ろに進んで、到着したのはもとの村だった。

 男は「テッテ的」に捜そうとしたが、目玉マークの眼医者が軒をならべているばかりだ。そして、男は金太郎アメをつくっている老婆に出会い、老婆の所有する「金太郎飴ビル」の一室で開業している「産婦人科の女医」を紹介される。男が捜していたのは「産婦人科の女医」だったのだ。

 老婆と男は不思議な縁があるようだ。男は老婆に「あなたはぼくが生まれる以前のおっ母さんなのでしょう」と聞くが、老婆は「それには深ーいわけがある」といってこたえない。それは金太郎アメの製法特許と関係があるらしい。金太郎アメは、桃太郎のデザインだが、金太郎なのだ。はぁ?老婆と男は金太郎アメのおりくちを見せ合って別れる。

 暗くなって、電柱だか十字架だかが立ち並ぶ家の間を通って、ようやくビルの一室にたどりつく。ここはどういう建物なのだろう。円筒形の建屋が二つ見える。「金太郎飴ビル」と看板がかかっている。そのてっぺんに煙突のようなパイプが何本か立っていて、クレーンのようなものも見える。ここに「産 婦人科」という看板がかかっている。ビルというより工場のようだ。

 内部にはドアのない入口がいくつもあって、中に何かよくわからないものが堆積している。その向こうに女医がいる。着物姿で額に診察用の鏡をつけ、千鳥格子の座布団に座っている。おかしな猫足テーブルに向っていて、テーブルの上にはお銚子が一本と猪口が置かれている。開け放った障子の間から海が見え、遠くに軍艦が一艘浮かんでいて、今まさに砲撃している。

 いまは戦争中なのか?冒頭一コマ目も、左腕をかかえる男の頭上に巨大な戦闘機の影が描かれる。「イシヤはどこだ!」と呻く男の背後に喇叭を吹きながら行進する兵隊の影が描かれるコマもある。

 「シリツをしてください!」と叫ぶ男に「お医者さんごっこをしてあげます」と女医は全裸になって、「麻酔もかけずに」「シリツ」をする。「ギリギリ」と音がして、私にはなんだかよくわからないが、静脈は繋がったようである。男の左腕には蝶ねじが挿し込まれている。この手術は「○×方式」を応用したものだが、「ねじは締めたりしないでください。血液の流れが止まってしまいますから」と女医はいう。

 という回顧談を、左腕に蝶ねじを挿し込んだ男が、モーターボートの後ろに座り、話している場面で終わりになる。なんともシュールな漫画だが、そんなに難解でもない。だが、いまはその謎解きをするつもりはなく、ただ「め」と「「ねじ」を覚えておきたい。

 男がなぜ「イシヤ」を探したのか。なぜ眼医者しかなかったのか。それは、男が切断されたのが左腕だったことと関係があるのか。「ねじ」あるいはそれを締めるスパナの意味何か。

 「千と千尋の神隠し」に戻れば、食べ物のにおいにつられて両親が向かった先は、国籍不明だが、何となく中国風、東アジア風な店が並ぶ飲食店街だった。「生あります」という看板が下がり、「餓えと喰う会」という不思議な垂れ幕が張られている。「呪」「骨」「肉」「狗」「鬼皮」など不気味な文字が目につくが、最も目立つのは「め」という文字と目玉マークだろう。豚になった両親に驚いて、来た道を戻ろうとした千尋をとり囲む「めめ」と目玉マーク、「生あります」の看板(最後のクレジットが流れる絵コンテでは「生めあります」になっている)だった。「油屋」の門前は「めの世界」だった。

 油屋の従業員になった千尋が、オクサレさまならぬ「名のある河の主」を迎えて、神さまに刺さった「トゲ」を見つける。「トゲ」は自転車の左側のハンドルだったが、皆でそれを引き抜くと、大量の廃棄物があふれ出てくる。二槽式洗濯機や便器などに混じって、国旗(あるいは白旗?)が出てくるのも印象的だが、最後に水の底に沈むスパナが映されることに注目したい。

 宮崎駿はなぜここまでして、ねじ式の世界を想起させたかったのか?「名のある河の主」と左腕にねじを挿し込んだ男は関係があるのか?

 「名のある河の主」は千尋を濁流から掬い上げ、「善哉」と言って、千尋に草団子をあたえ、角のない龍の姿になって去る。「名のある河の主」とハク、千尋の関係については、難問である。もう少し、時間をかけて考えてみたい。解が見つかるかどうか、心もとないのだが。

 「めの世界」と油屋については、もっと堀下げなければならないかもしれません。今日も乱雑な走り書きを最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2022年1月24日月曜日

宮崎駿『千と千尋の神隠し』__油屋と銭屋の双頭支配__荻野?

  前回のブログで、現身として表現された「ちひろ」についてささやかな考察を試みた。今回は、この作品のひとつのテーマである「名前」にこだわって考えてみたい。名前とは、存在をアイデンティファイするもっとも重要な要素であることはいうまでもない。

 まず、姓名の名である「ちひろ」について。ジブリの公式サイトというところでは「千尋」と表記され、映画の中でも湯婆と契約するときに本人が「千尋」と書いている。「ひろ」というやまとことばは、両手を広げた状態の長さを表す単位で、とくに水深について使うようである。

 千尋が契約書に書いた文字は漢字の「尋」で、こちらはもうちょっと深い意味があるようだ。漢字の成り立ちを調べてみると、「右」と「左」を組み合わせた文字で、両方の手にそれぞれ「工」という神具と「サイ」(祝詞をかいたものを収める神具)を持ち、踊る様子をあらわしたものという。ちなみに「踊る」の原義は神事の際の舞踏をいう。「神に祈る」というのが「尋」のもともとの意味であると思われる。湯婆がちひろに、「贅沢な名前だね」と言ったのはこれを指して言ったのだろう。「千」_「ち」_非常に多いの意_も祈りをささげるのだから。

 ここまでは、少し調べれば誰でもほぼ同じ結論にたどりつく推理である。私がわからないのは、苗字の「おぎの」である。公式サイトには「荻野」とあるようだが、千尋は湯婆と契約するときに不思議な文字を使った。草冠に「犾」という字である。「狄」という字を草冠の下に書いて「荻」になるが、草冠の下に「犾」という漢字は見当たらない。「獲」の異体字という説もあるが、それでいいのかどうか疑問である。「犾」という字は「ギン」と読み、犭も犬を表すので「二匹の犬が吠え合っているさま」ともいわれるが、これもよくわからない。たんに千尋がまちがえただけかもしれない。

 ごく常識的に「荻」の字をまちがえた、あるいは隠した、ととるほうが作品を筋道立てて理解しやすいのだろう。「荻」は水辺あるいは湿地帯に生える多年草で、かつては茅葺の屋根に利用していたそうで、銭婆の家はこじんまりした茅葺の家だった。オクサレ様を迎える大湯の周辺も荻で覆われていたし、龍の姿になったハクの背中に生えていたのも荻のように見える。

 苗字は出自を示すので「おぎの(荻野?)」という苗字が奪われたことは属性を失い、自分のルーツを辿れなくなってしまうことを意味する。名前の「尋」という字も奪われたということは、個性を抹消されたということである。「千」という記号だけが許された存在。「油屋」の従業員は湯婆と契約を結ぶが、属性も個性も奪われ、一方的に労働力を提供する「記号」として存在する。

 余談だが、千尋の世話役として魅力的に描かれる「リン」は「五十鈴」だと考えている。リンについては、もう少し勉強してから書いてみたい。

 ひとつ注意しておきたいのは、属性と個性を奪って従業員を支配する湯婆は、全知全能の神ではない。千尋を前に「つまらない誓いをたてちまったもんだよ。働きたいものには仕事をやるだなんて」と愚痴をこぼしているように、湯婆は、勤勉で有能な経営者、というより現場支配人なのである。ヒエラルキーでいえば、湯婆の上には暴君の「坊」がいる。「坊」とは何かという問いも、じつは大問題なのだけれども、ともかく湯婆の上には「誓い」を立てた相手がいる。

 同じように双子の姉銭婆も全能ではない。「あたしたち二人で一人前なのに、気が合わなくてね。ほら、あのひと、ハイカラじゃないじゃない」という事情だが、契約印は銭婆がもっているので、ヒエラルキーは銭婆が上だろう。実務家の湯婆としては身を粉にして働いて、肝心の契約印は金融担当の銭婆が握っているのでは割に合わないと考えたのだろう。それで、これまでも忠実に「ヤバい」仕事をしてきたハクに命じて、契約印を奪わせようとしたのだと思われる。

 湯婆と銭婆については、もう少し書くことがあるのだが、長くなるので、今回はここまでにしたい。名前の問題は、ハクについても掘り下げなければならないが、ハクは物語の最後で、みずから「ニギハヤミコハクヌシ」と名告っているので、ヒントは十分にあたえられている。十分すぎるかもしれない。ジブリファンの方々もいろいろ考察されているようである。

 さて、根本的な問題として、私は「千と千尋の神隠し」という題名の意味がわからない。「神隠し」という言葉は、(主に子どもが)行方不明になることである。千尋が行方不明になったから「「千と千尋の」神隠し』なのか。それならば、『「千と千尋が」神隠し(にあった)』というのではないか。なんとなくおさまりが悪いけれど。「千と千尋の神隠し」は『「千と千尋の神」隠し』ではないか。千と千尋の深層にいる神を隠した話ではないか。千いや千尋の深層に神はいないか?隠されたあるいは抹消された神は?そのことについて、次回考えてみたい。

 最初は千尋=瀬織津姫というモチーフで考えていたのですが、いまはまた別のモチーフを考えています。こちらのほうが重く深いテーマなので、とりかかるには体力気力に万全を期して(というほど大げさでもないか)取り組みたいと思います。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2022年1月23日日曜日

宮崎駿『千と千尋の神隠し』__油屋と銭屋の双頭支配__「おぎのちひろ」とは何か

  昨年から島崎藤村の『夜明け前』を読んでいるが、遅々として進まない。あまりにも重く、大きな課題に向き合って、最初から腰が引けてしまっている。それで、つい、精巧に組み合わされたジグゾーパズルを解く感覚で、金曜ロードショー『千と千尋の神隠し』に寄り道してしまった。ところが、これもかなりの難問なのである。

 映画の導入がまず、不思議、というか不気味である。「ちひろ 元気でね また会おうね 理砂」という文字と理砂らしき女の子のイラスト入りのカードと、(たぶん)スイトピーの花束が画面いっぱいに映され、花束の向こうに子どもの足(正確にはむきだしの太ももと靴をはいた足)がちらっと見える。その後画面が切り替わると、車の後部座席に寝転がって、足を段ボールの箱の上にのせている女の子がいる。つまらなそうな顔である。一瞬、花束を抱いた子がお棺の中にいるのかと思ってしまった。

 「ちひろ、ちひろ、もうすぐだよ」という男性の声「やっぱり田舎ね。買い物は隣町にいくしかなさそうね」という女性の声「住んで都にするしかないさ」という男性の声が続く。一家は引っ越しの途中で、身の回りの荷物を載せて乗用車で引っ越し先に向かっているらしい。もうすぐ引っ越し先の新しい家に着くようだが、女の子は転校先の学校を示されてもアカンベエをして「前のほうがいいもん」とふて腐れた様子。そして、花束の花が萎れってっちゃったと母親に訴えるのだが「水切りすれば大丈夫」と取り合ってもらえない。「初めてもらった花束がお別れの花束なんて悲しい」という女の子に母親は「あら、この前のお誕生日に薔薇の花をもらったじゃない」とこたえる。それに対して女の子は「一本ね。一本じゃ花束っていえないわ」と返す。なかなかのものである。 

 この後母親が「カードが落ちたわ。窓を開けるわよ。もう、しゃんとしてちょうだい。今日は忙しいんだから」と女の子に言って、(なぜか)窓を開ける。半開きになった窓から外の景色が流れる。さらに三叉路を右に折れていく乗用車の後部が映される。上に掲げられた標識には「国道21号 とちの木 中岡」とあって、車は右側「とちの木」方面に折れ、つづら折りのようになった坂道を登っていく。坂の上にひな壇状に造成された新興住宅街が目的地のようである。そこそこ大きな家が立ち並ぶ住宅街が画面いっぱいに写され、「千と千尋の神隠し」のタイトルがオーヴァーラップする。ここまで1分39秒である。そしてここまでに、この映画の謎が盛りだくさんにつめこまれている。

 何が謎で、その謎をどう解いたらいいかについては、おいおい触れていくことにして、まずとりあげたいのは、この車は「四輪」のアウディで、当然エアコンもついているはずなのに、どうして窓を開けるのだろうか。季節は、暑くもなく寒くもなさそうで、女の子とその両親の服装も半袖のTシャツの軽装である。女の子がスイトピーの花束を握りしめているところを見ると、たぶん五月だろう。連休を利用しての引っ越しだと思われる。

 タイトルが流れた後、画面は切り替わって、杉の巨木が映される。根本に置かれている鳥居に比べると、とてつもなく大きな木であるが、幹から出た枝はほとんど折れている。鳥居の周りに杉の木を囲むようにしてたくさんの石が散らばっている。どうやら道を間違えたようである。「あのうちみたいの何?」と聞く女の子に母親が「石の祠。神さまのおうちよ」と即答して、車はさらに舗装されていない道を進んで行く。

 落雷に直撃されたような杉の巨木と片寄せられて見捨てられた鳥居、石の祠、これらがもたらすメッセージは誰でも受け止められるもので、私がわざわざ解説するまでもないだろう。その先のトンネルの前に立つ蛙の石像も同様で、賽の神である。前と後ろの両面を向いているのが奇妙といえば奇妙だが。

 母親の制止を振り切って、石畳の道を猛烈なスピードで車は進み、蛙の石像に遮られてトンネルの前で止まる。見上げると、暗い赤っぽい色のトンネルの上に屋根があって、「湯屋」と描かれた古い看板が掲げられている。「湯」と「屋」の間に丸で囲んだ「油」という文字がはさまっている。「門みたいだねえ」といいながら父親は興味を覚えたらしく、トンネルの方に進んでいく。母親は戻ろう、と制止するが、女の子はすぐに車を降りて父親の傍に行く。

 「なんだ、モルタル製か。けっこう新しい建物だよ」と父親は言って、薄暗い奥に出口らしきものを見つけて、中に入ろうとするが、足元の枯草がトンネルの中に吸い込まれて行くのを見て女の子は怖くなる。「戻ろうよ、お父さん」と車のところに戻る女の子を置き去りにして、母親までも「ちひろは車の中で待ってなさい」とトンネルの中に入って行く。置き去りにされた女の子は、何ともしれぬ「ほろほろ」と鳴く鳥の声のような音におびえて、両親の後を追い、トンネルの中にはいって行く。

 女の子は「そんなにくっつかないでよ。歩きにくいわ」といわれながらも、母親の腕にしがみついて進んでいく。出口近くいくらか光の指し込む空間が見えてくる。そこにはたくさんの石柱があって、上のほうに小さなランプが石柱を囲むように吊るされている。いくつもの(たぶん)木製のベンチが置かれ、小さな円いステンドグラスのような窓からかすかな光が差し込んでいる。隅の方に壊れた家具のようなものが乱雑に積み重ねられている。修道院のような雰囲気もするが、なんだか、死を待つ人のための部屋、といった趣がある。あるいは、収容所に送られる人が一時そのときを待つための部屋。

 トンネルを進んでその部屋に入ると、前より明るくなって、電車の音が聞こえてくる。小さな円いステンドグラスと蝋燭の燭台が映される。「案外駅が近いかもしれないね」という母親に「行こう。すぐわかるさ」と父親も応じて、三人はトンネルを脱け出る。

 トンネルを脱けると、見わたす限り広い草原で、ここにも奇妙な形の石像があり、ところどころに朽ちかけた家も散在している。父親が「やっぱり、間違いないな。テーマパークの残骸だよ、これ」と言って上をみあげると、トンネルの上は赤っぽい塗料が剥げかけた倉のような建物である。屋根の上に時計塔が乗っている。建物の側面に丸で囲んで「湯」と描かれ、正面にまた別の時計が描かれていて、時計塔の時計と異なる時刻を示している。その下には「復楽」と書かれた看板がかかっている。

 何とも奇妙なのが、時計の文字盤である。上の時計塔のそれは、直角の二面についていて、そのどちらも一見「10時40分」を指しているようだが、「3」と「9」の位置が逆さまで、しかも数字の並びがくるっている。下の時計は文字盤が数字でなく、漢字で書かれているが、かろうじて読めるのは「6」の位置にある「参」だけである。

 九十年代にたくさん計画されて、その後つぶれてしまったテーマパークの残骸が残っているんだ、と言って、どんどん進んで行く父親とその後を追う母親。女の子ひとり、「もう帰ろうよ!」と叫ぶが両親ともふりむかない。残された女の子の頭の上の方から風が吹きつけて、木の葉が舞う。風は時計のほうから吹いてくるようだ。怖くなった女の子は、しかたなく両親の後を追う。

 ここまで6分40秒である。この後、賽の河原だか三途の川を渡って、石段を上り、無人の食べ物屋で山盛りの料理を貪り、両親が豚になるくだりとそれ以降は、多くのジブリファンがさまざまな考察を試みているので、とりあえず今回はここまでにしたい。この作品は、じつはここまでが謎だらけで、しかも、ほとんどの人が謎に気づかないようである。私にとって、最大の謎はこの女の子_「千尋=ちひろ」と呼ばれる_が何ものなのか、ということである。

 誰でも気づくのは、両親、とくに母親が千尋にたいして冷淡であることだ。トンネルの暗がりを歩くときも「くっつかないで」と言い、大きな石ころだらけの川を渡るときは、「早くしなさい」というばかりで、手を貸そうともしない。よく見ると、車から降りた千尋は極端に手足が細くて、着ている服はだぶだぶである。どう見ても、愛されている子の風体ではない。両親と千尋の関係性は、日常現実の世界で理解しようとしても、無理なような気がする。それは「神隠し」_隠された神の世界に入り込んで解き明かすしかないのではないか。私は一つの仮説をもっているが、長くなるので、今回はここまでにしたい。次回はまず、「おぎのちひろ」という名前を手掛かりに考えてみたい。千尋という存在の深層に隠された神は何か。

 最後に蛇足をつけ加えると、この映画の舞台は、双子の姉妹である「油屋」と「銭屋」が双頭の鷲のように支配する異空間である。銭屋が所有する契約印を油屋が奪おうとして失敗する。最も大きなプロットはこれである。その契約は、誰と誰の間で結ばれるものか、という点が、いまの私には疑問なのだけれど。

 いろいろ調べていて時間ばかり経ってしまいました。自分が神話や歴史をあまりにも知らないことに気づいて愕然としています。なので、どこまで読み解けるかわかりませんが、もう少し考察を進めてみたいと思います。今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。