2022年1月24日月曜日

宮崎駿『千と千尋の神隠し』__油屋と銭屋の双頭支配__荻野?

  前回のブログで、現身として表現された「ちひろ」についてささやかな考察を試みた。今回は、この作品のひとつのテーマである「名前」にこだわって考えてみたい。名前とは、存在をアイデンティファイするもっとも重要な要素であることはいうまでもない。

 まず、姓名の名である「ちひろ」について。ジブリの公式サイトというところでは「千尋」と表記され、映画の中でも湯婆と契約するときに本人が「千尋」と書いている。「ひろ」というやまとことばは、両手を広げた状態の長さを表す単位で、とくに水深について使うようである。

 千尋が契約書に書いた文字は漢字の「尋」で、こちらはもうちょっと深い意味があるようだ。漢字の成り立ちを調べてみると、「右」と「左」を組み合わせた文字で、両方の手にそれぞれ「工」という神具と「サイ」(祝詞をかいたものを収める神具)を持ち、踊る様子をあらわしたものという。ちなみに「踊る」の原義は神事の際の舞踏をいう。「神に祈る」というのが「尋」のもともとの意味であると思われる。湯婆がちひろに、「贅沢な名前だね」と言ったのはこれを指して言ったのだろう。「千」_「ち」_非常に多いの意_も祈りをささげるのだから。

 ここまでは、少し調べれば誰でもほぼ同じ結論にたどりつく推理である。私がわからないのは、苗字の「おぎの」である。公式サイトには「荻野」とあるようだが、千尋は湯婆と契約するときに不思議な文字を使った。草冠に「犾」という字である。「狄」という字を草冠の下に書いて「荻」になるが、草冠の下に「犾」という漢字は見当たらない。「獲」の異体字という説もあるが、それでいいのかどうか疑問である。「犾」という字は「ギン」と読み、犭も犬を表すので「二匹の犬が吠え合っているさま」ともいわれるが、これもよくわからない。たんに千尋がまちがえただけかもしれない。

 ごく常識的に「荻」の字をまちがえた、あるいは隠した、ととるほうが作品を筋道立てて理解しやすいのだろう。「荻」は水辺あるいは湿地帯に生える多年草で、かつては茅葺の屋根に利用していたそうで、銭婆の家はこじんまりした茅葺の家だった。オクサレ様を迎える大湯の周辺も荻で覆われていたし、龍の姿になったハクの背中に生えていたのも荻のように見える。

 苗字は出自を示すので「おぎの(荻野?)」という苗字が奪われたことは属性を失い、自分のルーツを辿れなくなってしまうことを意味する。名前の「尋」という字も奪われたということは、個性を抹消されたということである。「千」という記号だけが許された存在。「油屋」の従業員は湯婆と契約を結ぶが、属性も個性も奪われ、一方的に労働力を提供する「記号」として存在する。

 余談だが、千尋の世話役として魅力的に描かれる「リン」は「五十鈴」だと考えている。リンについては、もう少し勉強してから書いてみたい。

 ひとつ注意しておきたいのは、属性と個性を奪って従業員を支配する湯婆は、全知全能の神ではない。千尋を前に「つまらない誓いをたてちまったもんだよ。働きたいものには仕事をやるだなんて」と愚痴をこぼしているように、湯婆は、勤勉で有能な経営者、というより現場支配人なのである。ヒエラルキーでいえば、湯婆の上には暴君の「坊」がいる。「坊」とは何かという問いも、じつは大問題なのだけれども、ともかく湯婆の上には「誓い」を立てた相手がいる。

 同じように双子の姉銭婆も全能ではない。「あたしたち二人で一人前なのに、気が合わなくてね。ほら、あのひと、ハイカラじゃないじゃない」という事情だが、契約印は銭婆がもっているので、ヒエラルキーは銭婆が上だろう。実務家の湯婆としては身を粉にして働いて、肝心の契約印は金融担当の銭婆が握っているのでは割に合わないと考えたのだろう。それで、これまでも忠実に「ヤバい」仕事をしてきたハクに命じて、契約印を奪わせようとしたのだと思われる。

 湯婆と銭婆については、もう少し書くことがあるのだが、長くなるので、今回はここまでにしたい。名前の問題は、ハクについても掘り下げなければならないが、ハクは物語の最後で、みずから「ニギハヤミコハクヌシ」と名告っているので、ヒントは十分にあたえられている。十分すぎるかもしれない。ジブリファンの方々もいろいろ考察されているようである。

 さて、根本的な問題として、私は「千と千尋の神隠し」という題名の意味がわからない。「神隠し」という言葉は、(主に子どもが)行方不明になることである。千尋が行方不明になったから「「千と千尋の」神隠し』なのか。それならば、『「千と千尋が」神隠し(にあった)』というのではないか。なんとなくおさまりが悪いけれど。「千と千尋の神隠し」は『「千と千尋の神」隠し』ではないか。千と千尋の深層にいる神を隠した話ではないか。千いや千尋の深層に神はいないか?隠されたあるいは抹消された神は?そのことについて、次回考えてみたい。

 最初は千尋=瀬織津姫というモチーフで考えていたのですが、いまはまた別のモチーフを考えています。こちらのほうが重く深いテーマなので、とりかかるには体力気力に万全を期して(というほど大げさでもないか)取り組みたいと思います。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

0 件のコメント:

コメントを投稿