2016年12月30日金曜日

大江健三郎『晩年様式集』___『懐かしい年への手紙』を読み直す___ギー兄さん、塙吾良、伊丹十三

 少し体調を崩していたこともあって、『晩年様式集』についていつまでも書けないでいる。ひとつには、これが大江健三郎の「最新」の作品なので、それについて書くことが私の大江健三郎論の総括、のようになってしまうことを怖れる意識がはたらくのかもしれない。

 『晩年様式集』というタイトルからうかがわれるように、この小説は一見小説らしくない構成をとっている。冒頭「前口上として」と、序文のような文章が置かれているが、そこには、大江健三郎とも「長江古義人」ともさだかでない「私」が登場して、これから読まれる文章が、「私」と「私」に「一面的な描き方で小説に書かれたことに不満を抱いている」三人の女たち__古義人の妹アサ、妻の千樫、娘の真木合計四人の「ノート」であり、私家版の雑誌である、と書かれている。この小説には語り手が、というより書き手が四人いることになる。もちろん、そんなはずはなく、すべて作者大江健三郎が書いているのだが、書かれている事柄の時系列が錯綜することもあって、かなり読みにくい。何故こんな「様式」にしたのか。

 実はもう一人、語り手、というか狂言廻しというか、プロットの展開を進める上で重要な人物がいる。一九八七年に書かれた『懐かしい年への手紙』の主人公ギー兄さんの遺児ギー・ジュニアである。『懐かしい年への手紙』については、以前「Kちゃんによる福音書あるいは黙示録」というサブタイトルで投稿しているので、ご参照いただければありがたい。作品中でギー兄さんに子供は生まれていない。オセッチャンという若い妻が、ギー兄さんが手術で生殖能力を失う前にKちゃん(「僕」)を巻き込んで子供をつくろうとするところまでが描かれている。

 その後発表された『燃え上がる緑の木』では、オセッチャンは生まれた子供を連れて屋敷を去り、大阪で子供と生活していた、と書かれている。ところが、『晩年様式集』ではギー・ジュニアは幼いころ「森のへり」で暮らし、その後資産(ギー兄さんの遺産)を処分した母親とともにアメリカに渡った、とされている。複数の外国語に堪能で有能なプロデューサーに成長した彼は3・11の取材を機会に日本を訪れる。そして長江と『懐かしい年への手紙』と『万延元年のフットボール』をつき合わせて、ギー兄さんの人生を検証することになる。____ここまで書いて、どうしても『燃え上がる緑の木』に登場するオセッチャンの連れ子「真木雄」」のことが気になってしまう。オセッチャンの子は「真木雄」ではなかったのか?「真木雄」=「ギー・ジュニア」という等式は成り立つのか?

 『晩年様式集』という作品のメイン・テーマは『懐かしい年への手紙』の読み直しだろう。森の中に自給自足を目指す生活共同体=「根拠地」を作り、最後は神学的観照の世界に生きた、半ば神話化された、それでいて卑俗なエピソードに満ちたギー兄さんのこれまで語れなかった姿を語り、それによって「僕」とギー兄さんの関係を語りなおす。ギー兄さんの遺児であり、知的探求心が旺盛でかつ経済的基盤と実行力をもつギ-・ジュニアがインタビュアーとして「僕」の前に現れる。ギー・ジュニアとの数回にわたるインタビューの中で、「僕」は必ずしも彼の質問に的確な回答をしているとは思えないのだが、回を重ねるうちに、ギー兄さんと「僕」の知られざる関係があかるみにでることになる。それは『懐かしい年への手紙』に記されている「師匠(パトロン)」と弟子の関係を逸脱するものだった。

 ギー兄さんの直接のモデルは伊丹十三だろう。ウィキペディアには伊丹十三の本名は池内義弘で、池内家の通名は「義」であることから、祖父の強い意向により「義弘」と命名された、とある。また、『取り換え子』には、長江古義人の妻の千樫が『懐かしい年への手紙』に兄の塙吾良が出てくるので、それ以降古義人の作品を読まなくなった、と書かれている。ギー兄さん、塙吾良、そして伊丹十三は虚実入り混じった複雑なトライアングルを形成している。『晩年様式集』では、塙吾良の晩年の恋人まで登場するのだが、果たして作者大江健三郎は複雑なトライアングルを解体しようとしたのか。それともより複雑で堅固なものにしようとしたのか。

 そもそも何故この小説が「3・11フクシマ」の後に、それまで書いていた長編小説を破棄して書かれなければならなかったのか。大江健三郎の小説は、細部の描写はしつこいくらいリアルだが、まちがってもリアリズムの小説ではない。個性的な人物が登場するが、作品は彼らの「人生」を描くものではない。作品世界の中で彼らは生き生きと動き回るが、その行動は与えられた役割を逸脱することはない。『晩年様式集』においてもそれは同じように思われるのだが。

 足踏みばかりしていて、結局出来の悪い読書感想文しか書けませんでした。最後まで読んでくださってありがとうございます。