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2019年3月20日水曜日

宮沢賢治『ポラーノの広場』その2__和解と祈り__宮沢賢治のキリスト教

 この作品は、おそらく作者の最晩年に現存のかたちにまとめ上げられたものと思われる。これは、作者の実生活での葛藤、相克を経て、最後に至り着いたしずかな「祈り」であり、現実との「和解」である。そしてその「祈り」は、作者が熱心な信徒だったという法華経の世界よりもキリスト教のそれに近いように思われる。近いということは必ずしも一致しているということではないのだが。

 宮沢賢治とキリスト教については『銀河鉄道の夜』が取り上げられることが多い。讃美歌が流れ、光が散りばめられた十字架と「神々しい白いきものの人」が登場するこの作品はキリスト教のイメージが色濃く漂っている。作中主人公のジョバンハニが「たったひとりのほんとうの神さま」について、難破した船に乗っていた女の子やその家庭教師の青年と議論する。天上に行くために次ぎの駅で下りるという女の子にジョバンニは言う。

 「天上なんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなきゃぁいけないって僕の先生が言ったよ。」
 「だっておっかさんも行ってらっしゃるし、それに神さまがおっしゃるんだわ。」
 「そんな神さまうその神さまだい。」
 「あなたの神さまうその神さまよ。」
 「そうじゃないよ。」
 「あなたの神さまってどんな神さまですか。」
青年は笑いながら言いました。
 「ぼくほんとうはよく知りません。けれどもそんなんでなしに、ほんとうのたった一人の神さまです。
 「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です。」
 「ああ、そんなんでなしに、たったひとりのほんとうの神さまです。」
 「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなたがたがいまにほんとうの神さまの前に、わたくしたちとお会いになることを祈ります」
青年はつつましく両手を組みました。

 この部分は『銀河鉄道の夜』の核心だろう。救命ボートに乗り込まずに、難破した船と運命をともにし、いま天上に向かう女の子と青年が信じる「神さま」と、ジョバンニの「たったひとりのほんとうの神さま」は違う神さまなのか。

 女の子と青年にとって、神さまは、最初から彼らの中にある。神さまの存在は自明の理なのだ。むしろ「始めに神ありき」といったほうがいいかもしれない。それに対してジョバンニの神さまは「ぼくほんとうはよく知りません。けれどそんなんでなしに、ほんとうのたった一人の神さまです。」という神さまなのである。それは「天上よりももっといいとこをこさえる」実践の旅の過程で「よく知らない。けれど」、きっと出会う神さまだろう。

 光り輝く十字架とその前にひざまずく女の子や青年たち、手をのばしてこっちに来る「ひとりの神々しい白いきものの人」を後にのこして汽車は過ぎて行く。ジョバンニの旅はサザンクロスで終わるわけにはいかなかったのだ。終末はもう近いのだが。

 さて、『ポラーノの広場』は主人公の前十七等官等官レオーノキューストが遁げた山羊を探す場面からはじまる。山羊が何の寓意であるかはひとまず置いて、レオーノキューストが、「教会の鐘」の音で目を覚ましたということ、山羊を探しに外に出たら「黒い着物に白いきれをかぶった百姓のおかみさんたち」に出会い、おかみさんたちが「教会へ行くところらしくバイブルも持っていた」という記述に注目したい。ここは明らかに、共同体の中心に教会がある場所なのだ。それにしても、「黒い着物に白いきれをかぶった」女たちの登場は異様である。

 遁げた山羊を連れて来てレオーノキューストに渡してくれたのは、ファゼーロという農夫の少年だった。レオーノキューストとファゼーロ、それから羊飼いのミーロという若者の三人は、つめ草の花を頼りに、歌と祭りがあるという伝説のポラーノの広場を探し始める。

 この作品の「つめくさ」は「小さな円いぼんぼりのような白いつめくさくさ」とあるので「白つめくさ」__クローバーのことらしい。いまはもう、ほとんど見かけなくなってしまったが、昔の農村はれんげの薄紅とクローバーの白で田起こし前の田んぼが覆われていた。夢のように美しい光景だった。蛇がいることがあったが、草むらの中で春の長い日が暮れるまでよく遊んでいた。だが、れんげもクローバーも観賞用ではなく、重要な土壌改良剤だった。とくにクローバーは、酸性土壌の改良剤としてアメリカから輸入したもので、賢治が「つめくさ」に托す思いは深かったのだろう。物語のいたるところで、つめ草は「あかしをともす」という象徴的な表現とともに姿をあらわす。

 探しあてたポラーノの広場では山猫博士の酒宴が開かれていた。ポラーノの広場は山猫博士のもので、県会議員である山猫博士は、そこで次の選挙のための酒宴を開いていたという。酒盛りの場で水をくれというレオーノキューストたちと、酔った山猫博士の間で諍いが起こり、ファゼーロと山猫博士は決闘することになる。本気なのか酔狂なのかよくわからない決闘は、山猫博士が一方的に降参して終わるが、勝ったファゼーロは親方の制裁を怖れる。テーモという親方は山猫博士の手下で、酒盛りに参加していたからである。

 この後、山猫博士とファゼーロは二人とも失踪してしまう。ちょっと不思議なのは、ここまでの出来事の時系列が混乱していることである。遁げた山羊を追ってレオーノキューストとファゼーロが出会った日が「五月の終わりの日曜日」で、それから十五日後にポラーノの広場」でファゼーロと山猫博士が決闘し、その「次の次の日」にキューストが警察から呼び出される。ところが警部はキューストに「おまえは(五月)二十七日の晩ファゼーロと連れだって村の園遊会にちん入したなあ」と言っており、キューストもそのことばを否定していないのだ。そして警察からの召喚状の日付は「一九二七年六月廿九日」となっている。

 キューストは必至にファゼーロを探すがどうしても見つからない。八月になって、キューストは「イーハトーヴォ海岸で海産鳥類の卵を採集」するために出張する。彼はモリーオ市の博物局の職員なのである。出張も終わりに近づいた時に、キューストは偶然に山猫博士を見つけ、ファゼーロの行方を尋ねるが、山猫博士も知らないという。彼は林の中に木材の乾溜会社を立てたが、薬品価格の変動で経営が行き詰まり、工場を密造酒の醸造に使っていた。そのことで部下に脅迫され、広場に株主が集まっていた。ファゼーロと決闘したあの晩はやけっぱちになっていたのだという。いまは零落して収入の道もない、という山猫博士に同情してキューストは彼のもとを去る。

 九月一日、出張から帰ってきたレオーノキューストの家にファゼーロが姿を現す。ファゼーロはあの晩どうしても家に入ることができなくて、ずっと離れたところまで歩いて行って座り込んでいたら、革の仲買人が車に乗せてたべものをくれた。それからファゼーロは革をなめしたり着色したりする技術を身につけてセンダードへ行った。八月十日にモリーオに帰ってきたファゼーロは、山猫博士が残した工場で村の人と共同で酢酸をつくっていたという。

 キューストとファゼーロはポラーノの広場のちょっと向こうにあるという工場に行く。そこでファゼーロやミーロは村の老人たちと酢酸をつくったり、革をなめしたり、ハムをこしらえるだけでなく、ここにむかしのほんとうのポラーノの広場、「そこへ夜行って歌えば、またそこで風を吸えばもう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢いがよくて面白いようなそういうポラーノの広場をぼくらはみんなでこさえよう。」と決意する。
ファゼーロが音頭をとって、「水を呑んで」新しいポラーノの広場の開場式が行われる。

 『ポラーノの広場』の物語はほぼここで終わっている。それから三年後、キューストは仕事の都合でモリーオ市を離れたが、ファゼーロたちの工場は立派な産業組合となり、みんなでつくったハムと皮類と酢酸とオートミールがひろく出回るようになった。最後はレオーノキューストが郵便で受けとった「ポラーノの広場の歌」が記され、作品も閉じられる。

 作品のあらすじを追うだけで、キリスト教とのかかわりについてはふれることがほとんどできなかったが、長くなるので、それについてはまた回を改めたい。キューストたちを導いて、読者ともにポラーノの広場にいざなうつめくさの花のモチーフを中心に書いてみたいと思う。

 書いては消し、書いては消し、いくら繰り返しても、まとまったものができないので、もう一度同じテーマでチャレンジしてみたいと思います。ひとえに私の能力と経験の不足です。未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2014年8月15日金曜日

大江健三郎『宙返り』___「反キリスト」作家大江健三郎___「宙返り」した悔い改め

 「作家・大江健三郎」は「反キリスト」である。『宙返り』の主人公「師匠(パトロン)」が反キリストだというのではない。『懐かしい年への手紙』から『燃え上がる緑の木』『宙返り』と宗教団体をテーマに小説を書いた作家・大江健三郎が反キリストなのである。そして私はそのことについて必ずしもネガティヴに捉えているのではない。少なくともいまのところは。

 作品としての『宙返り』については、まだ卒読の段階なので詳しく書くことはできない。もっともっと読み込んで作品論を書けるようになってからいうべきなのかもしれない。だが、大江の長編としてはめずらしく三人称で書かれたこの『宙返り』はなかなか複雑で、何通りにも読めてしまうので、解釈の落ち着きを待っていては埒が明かないような気がする。何通りにも読めてしまう、それが作者の狙いであるのだろうが、どんな読み方をしても気になることがある。それを書かないでは先に進めないので、まずはそのことから書いてみたい。

 大江は原水爆についてどう考えているのだろうか。先に『ヒロシマの生命の木』について書いた拙文でも触れたように、原水爆は純然たる経済行為である。爆弾投下は戦闘行為であるとともに、経済行為なのである。爆弾の企画、製作、投下=消費はお金をもってあがなわれる。広島、長崎への原水爆の投下は、莫大な利益を生む経済行為であって、自然災害ではないのだ。一方、『宙返り』のもう一人の主人公ともいうべき「案内人(ガイド)」の父のことばとして、作中次のようなことが語られる。

 軍医という立場上、中国人への直接の残虐行為から免れていた自分は、復員して原爆で潰滅させられた長崎を見た。敬虔なカトリック信者だった妻は赤ん坊を残して殺されていた。
「自分は、これこそが神のおはからい、神の御業だと思う」
「ある場所で罪が行われる。罪に参加しなかった者も、その場所にいたということのみで、同じく罪のある者ではないか?」
「さらにいえば、神が人間に大きい罰をあたえる時、それは罪ある人間、罪のない人間を問わないのではないか?なにより人間であることこそが罰せられるのであるから」

 括弧でくくった三つの文章は、そのままこの小説のもっとも重要なモチーフ「ヨナ書」のテーマであり、「よな」と記される重要人物「育雄」の問いの根本にあるものだと思うが、今は作品論に入ることをさけて、このような文章を書く大江健三郎という作家について考えたい。この三つの文章は先の3・11フクシマの直後、石原慎太郎が「天罰だ」と言ったのとどこが違うのか。共通しているのは「人間であることで罰せられる」という言いまわしである。

 そうではないだろう。いま3・11フクシマはひとまずさておいて、広島、長崎は原爆投下を命じながら、みずからは絶対に安全な場に身を置いて、ぬくぬくと利益(必ずしも経済的利益だけではない)を手中にした人間たちがまず罪に問われるべきである。罰せられるべきである。原水爆というものの存在すら知らなかった大多数の庶民が一方的に残酷に殺されたのに、どうして彼らが「人間であるということ」で罰せられなければならないのか。人間が起した現実の出来事の実相を見ないで、その悲惨を「神のおはからい」といい、「その場所にいたということのみで、同じく罪のある者ではないか?」というのは支配者に都合のいいすり替えである。

 案内者(ガイド)の父は、『人間であることこそが罰せられる」苦しみを生き続けるために生きるのであり、それを介して「悔い改める」ために生きるという。「「悔い改め」は『宙返り』の大きななテーマである。それは黙示録的終末とともに『宙返り』のなかで繰りかえし取り上げられるのだが、いまは作品からいったん離れて考えてみたい。「悔い改め」とはいったいどのようなことか。もっと言えば、何をしたら悔い改めたことになるのか。

 作中の「静かな女たち」のように、俗世間から身を避けて、「祈り」に集中することなのか。「エフェソ人への手紙」を引用して「情欲から身を遠ざけ云々」とあるような禁欲的な生活をすることが「悔い改め」にいたるのか。そもそも、大江の作品にでてくるようなハイ・ブロウな人たちならいざしらず、私を含めた大多数の庶民に「悔い改め」は必要だろうか。「悔い改め」が必要なのは、まず第一に原爆投下にかかわったごく少数の支配者たちであろう。「師匠(パトロン)」と「静かな女たち」の「悔い改め」はまさに「宙返り」している。彼らはまず、空前絶後の悪をなした人間たちを「糾弾」しなければならないのだ。そして、ほんとうに罰せられるべきは誰かをあきらかにしなければならない。

 作品論に入る前にのっけから刺激的な文章になってしまいました。『宙返り』はいままでに読んだ大江の小説の中で、ある意味一番面白く、魅力的な作品だと思います。もう少し熟読して、また書きたいと思います。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年11月24日日曜日

「刈りいるる日は近し」_____信仰ということ

 何年ぶりかで風邪をひいて、今日は連れ合いが仕事なので、たったひとりで寝ている。七匹の猫も、いつもと違って室内運動会などしないのは飼い主の身を案じているのだろうか。でも、それにしてもつらい~。こういう日は来し方行く末を思って弱気の極みにある。このまま無為の時間が流れて、あるとき突然「あなたはここまでです」なんていわれたら、何も覚悟のない私は「え!そんな!」とうろたえるだけだろう。

 もう十年以上も前のことだと思うが、たしかNHKで韓国の従軍慰安婦をしていた方たちがキリスト教の運営するホームで生活している様子を報道していた。もう人生の後半、というよりももっと年齢を重ねた方たちが、賛美歌を歌っていた。元気よく、はつらつと。それが標題の「刈りいるる日は近し」だった。もちろん韓国語だが、たぶん日本語でもそんなに意味は違わないと思う。

春の朝(あした) 夏の真昼  秋の夕べ 冬の夜も
勤(いそ)しみ蒔(ま)く 道の種の  垂穂(たりほ)となる 時来たらん
Chorus:
  刈り入るる 日は近し  喜び待て その垂穂
  刈り入るる 日は近し  喜び待て その垂穂

御空(みそら)霞(かす)む のどけき日も  木枯らし吹く 寒き夜も
勤しみ蒔く 道の種の  垂穂となる 時来たらん
  Repeat Chorus.

憂(う)さ辛(つら)さも 身に厭(いと)わで  道のために 種を蒔け
ついに実る その垂穂を  神は愛(め)でて 見そなわさん
  Repeat Chorus

「刈りいるる日は近し 喜び待てその垂穂」___
英語ではWe shall come rejoicing, bringing in the sheaves

 どんな人生を歩いてきてもその収穫のときを喜べるということ、それが信仰だろう。無信仰の信仰だのぐじゃぐじゃかっこばかりつけるお前は何なのか、という問いをつきつけてくる番組だった。そして、わけのわからない涙がでそうだった。

 だが、しかし、これらの方たちの賛美歌を歌う姿がいかに美しくても、このような歴史は繰り返してはならない。人生は美しくなくていい。あたりまえに、昨日と同じ今日があって、ご飯が食べられて、夜はちゃんと眠れる、そんな時間の先に終わりのときが来る、という日常を成り立たせるのが政治家の仕事である。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。




 


2013年10月4日金曜日

大江健三郎_『ヒロシマの「生命の木」』__無信仰な者としてキリストを語ることはできるか(その2)

 無信仰な者がキリストを語ることはできるか___難しい標題を掲げてしまったものだと思う。「無信仰な者」とは何か、という定義がまず難しい。「主よ、信じます。信仰のない私をお助けください」(マルコによる福音書9章24節)という有名なことばがある。だが、ここではあえて、一般的に、洗礼を受けておらず、自らをキリスト者として認めていない人、として論をすすめたい。自らをキリスト者として認めていない者がキリストを語ることはできるか。

 大江は『ヒロシマの生命の木』の中で二回にわたってイエス・キリストについて語っている。最初はソヴィエトの作家アイトマートフとの対話の中で、彼の『処刑台』という作品の主人公アヴジイという青年を「いわばもうひとりのイエス・キリスト」と呼ぶ。アヴジイは《神のカテゴリーは、人類の歴史的発展に従って、時代につれて発展する》と考えるもと神学生で、麻薬がソヴィエトの青年たちを毒していることを憂え、危険を冒してその供給源を暴露しようとする。それだけでなく、密輸の結社に潜入し、かれらが手に入れた大麻を棄てるようにもとめる。そのようなアヴジイを大江は「繰り返されるそうした自己犠牲的な行為をつうじて、しだいにアヴジイは処刑台にあげられたイエスの、現在の新しい転換期における等価的な存在に限りなく近づく・・・・・・」と記述するのだ。

 ここには大江のイエス・キリスト理解の特徴が明確に示されている。一つは「自己犠牲」という観念であり、もう一つは「新しい転換期」という認識である。そしてそれは、当然のこととして、対話の相手のアイトマートフとも共有するものである。大江の「無信仰な者として、このようなかたちでイエス・キリストに関心をもっているのです」という言葉に、アイトマートフもまた「私もキリスト教徒ではない。家族ぐるみイスラム教徒です」と応じている。

 「歴史の分岐点=人類の危機の時、そこを乗り越えて新しい人間が生み出されなければ、人類は滅びるという時に現れて、新しい方向を示した人間がイエス・キリストではないか」という大江の問いに、アイトマートフも「新しい考えを生み出すために、もっとも辛い経験をした人がイエスだったと私は考えています。人類にとってイエスの体験を考えることで、いま必要な『新しい思考』をかちとるのに充分ではないかと思うほどです」とこたえる。

 大江とアイトマートフに共通するのは、イエス・キリストの出現が歴史を変えた__新しい人間、新しい思考を生み出したということで__という認識である。しかし、この認識こそが信仰ではないだろうか。無信仰な者が福音書を読めば、体制に反逆して無残に殺された人間を神話化した伝承でしかない。一人の男が十字架に架けられて死ぬ。事実としてはそれ以上でもそれ以下でもない。その事実にそれ以上の意味を託するのであれば、自らをキリスト者として認めるべきではないか。
そうでないなら、それは、自らは安全な場に身をおいて、一人の人間を「自己犠牲」という美しいことばで祀り上げてしまう行為でしかない。

 
 エッセイの後半でも、大江は物理学者フリーマン・ダイソンとの会話で作家ラスプーチンのイエス像について言及するのだが、こちらはほとんど具体的なことが語られていない。

 最後に、標題とは直接関係ないのだが、第一章で、広島原爆病院の院長をつとめた重藤博士の経歴を読んで、絶句してしまったことを記しておきたい。重藤博士は一九〇三年生まれ。九州大学医学部を卒業して三九年に山口赤十字病院レントゲン科医長となり、理学療法科医長を兼ねる。翌年白血病に関する研究で医学博士。一九四五年七月二十日頃広島に転勤、広島赤十字病院副院長となる。大江はいう。「それはこの年の八月六日、世界はじめての原爆が襲う市にあらかじめ準備されていたこととして、不思議な思いを誘う出来事ではないか?」(下線筆者)しかも、博士は、この朝、前日の日曜日を生家で家族とともにすごし、一番の汽車で広島に向かいながら、部下の医師の身のふり方について国鉄の管理部と交渉しなければならず、その交渉に三十分ほどついやした。そのことが直接博士の命を救ったのかもしれない。

 「あらゆる偶然は必然である」という箴言があったような気がする。

 「フクシマの生命の木」という書物が書かれる日はあるのだろうか。

 このように重くて複雑な、そして非常に微妙なテーマに取り組むに当たって、自分の力不足を認めざるをえません。不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年10月2日水曜日

大江健三郎_『ヒロシマの「生命の木」』__無信仰な者としてキリストを語ることはできるか

 表題のエッセイは一九九〇年八月三日NHK総合テレビで放映された『世界はヒロシマを覚えているか』の制作のために、大江健三郎が世界をめぐって、何人かの人物にインタヴィユーした時の経験を文章にしたものである。「一九九〇年」という絶妙なタイミングで企画され、放映された、ということが感慨深い。時はまさに、ペレストロイカ、東欧革命のさなかであり、日本は(いまでは)バブルと呼ばれた経済の最盛期でもあった。

 エッセイは広島原爆病院の院長であった故重藤文夫博士の生家にその夫人を訪ねた記事から始まる。表題「生命の木」とは、原爆病院で絶望の淵にありながら医療に従事していた若い医師に、重藤博士が「緑を見て来い」と言って山に行かせたというエピソードに由来するのだろう。この医師はその後自殺してしまうのだが。

 第二章以下は有名無名の人物とのインタヴューあるいは私的な会話を通じて、核と人類の未来が議論される。インタヴューに応じた主な人物は、旧ソ連側では作家チンギス・アイトマートフ、同じく作家アルカージー・ストルガツキー、ソヴィエト共産党の機関紙「プラウダ」の科学担当の記者であり、劇作家でもあるウラジミール・グーバレフ、アメリカでは心理学者ロバート・J・リフトン、物理学者フリーマン・ダイソン(フリーマンとの対話の中で、ジョージ・ケナンにも触れている)、天文学者でSF作家カール・セーガンがあげられ、また、市民レベルでは「被爆者友の会(フレンズ・オブ・ヒバクシャ)」の人たちとの交流も記されている。最後にしめくくりとしてアジアから登場した金芝河との対話は緊張感に満ちたものとなった。

 私が現代文学や現代史について知識が乏しいためか、このエッセイは難解をきわめる氏の小説よりもさらにわかりにくいものであった。ひとつには「世界はヒロシマを覚えているか」というタイトルのもと、何を議論するかという論点が絞れていないように思われることがある。一九九〇年の当時「なぜ、いま、ヒロシマなのか」___なぜ、このような企画をたてたのか。大江および制作スタッフの問題意識はどこにあったのか。最後に登場した金芝河に、「世界はヒロシマを覚えているか」という命題の立て方は間違っている、と指摘され(私からみれば)不毛な議論を重ねたのは、その未整理な、というよりとらえどころのない命題の立て方を衝かれたのではないか。

 一つの推論として、当時「ペレストロイカ」という言葉とともに、何か新しいことが始まったのだと思わせる風潮があった。同時に、「ペレストロイカ」を促すきっかけとなったチェルノブイリの事故が起こって、核の問題に対する喫緊の対応が迫られていたという状況もまた存在した。二大陣営の冷戦が引き起こす「核戦争の恐怖」はひとまず遠のいたが、「原子力の平和利用」による事故の危険が現実のものとなったのである。このような状況で私たちはどう生きるのか、生き得るのか、という問いを、大江は当時の錚々たる知識人たちとの対話あるいは議論をすすめながら深めていこうとしたのだと思われる。

 だが、この問いに対して大江は、その核心にあるものに触れないまま、周辺を丁寧に、誠実にまさぐっているように思われる。なによりも、「核戦争=核爆弾」「原子力の平和利用」は現実にひとつの経済行為として世界に存在するということ、問題の核心はそれだろう。ウラン発掘から核爆弾の製造にいたるまで、また発電などのいわゆる平和利用はそれ自体が非常に裾野の広い巨大なプロジェクトである。巨大な資本が投下され、得られる利潤もまた巨大である。プロジェクトを動かすのは、いうまでもなく資本家であり、その意を受けた経営者たちだ。ここが変わらなければ、何も変わらない。知識人たちとの対話で、あるいは草の根的な市民レベルの運動で、ピラミッドの頂点を突き崩すことは可能だろうか。

 大江と知識人たちのインタヴューについて、その一つ一つを個別に検討、批判する余裕と力量は私にはない。総じて議論は文明論であり、歴史観の問題に帰するように思う。ここでは、エッセイ中最も重要であると思われるリフトン教授の文章を取り上げて考えてみたい。リフトン教授は一九六二年、家族とともに六ヵ月間広島に滞在し、被爆体験を持つ七五名の人々の面接調査を行った心理学者である。

《広島とアウシュビッツのさまざまなイメージを人間の意識から払いのけようと、世界の非常に多くの人々が試みているが、これは無益だというだけではない。そのような企てをするということは、われわれから我々自身の歴史を奪い取り、われわれが現にそうであるところのものを奪い取ることである。・・・・・・われわれは広島とアウシュビッツを必要としているのだ。・・・・・・それは、それらがわれわれにもたらす戦慄にもかかわらず、その戦慄がもたらさざるをえない飛躍へと想像力を深化させ、解き放つために、である。ロートケの言葉を借りれば「眼は暗いときにこそ見えはじめるものなのだから」。死のビジョンが生をもたらすのである全体的な死滅というビジョンをもつことによって、死滅の呪いのもとで、そしてその呪いを超えて生きるということを、想像できるようになるのである》
(下線は筆者)

 大江はこの文章に深く共感している。だが、この文章は、非常に危険な、そしてそれゆえに非常に美しい文章である。全滅という黙示録的ビジョンをもつこと、まさのそのことが「全滅を超克する生」に対する想像力を可能にするといっているのだ。だが、想像することと、現実に生きる、生き延びることとは違う。現実に生き延びることができるかどうか、ボールは私たちの側にあるのではない。核産業の経済合理性にかかっている。利潤を上げ続けることができれば、資本家は「核戦争=爆弾」「原子力の平和利用」という経済行為をやめる理由はない。規模の縮小や商品の多様化はあるかもしれないが。

 ボールが私たちの側にあるのではないとしたら、私たちは何をなし得るのか。それに答えるかのように、大江はこのエッセイの中で、二度にわたってイエス・キリストに言及する。キリスト教徒でない、無信仰な者として、イエスに言及する___それはまさに、私が生活者として、また文章を書くものとしてなしている行為である。だが、それは可能なのか?このエッセイは私にその問いをつきつけている。私は大江のなしている行為とともに、私自身がなしている行為について、批判、検討しなければならない。

 本論はこれからなのですが、序論の段階ですでにかなりの長文になってしまいました。続きはまた回を改めたいと思います。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年1月31日火曜日

「罪なき者まず石を打て」___法の内面化

 「酒鬼薔薇」と名のる少年の事件が起こったのは十数年前のことだった。衝撃的な事実が報道され、非常に特殊な事件だったにもかかわらず、当時子どもをもつ親だけでなく、多くの人がこの事件を自分のこととして受け止めた。一人事件を起こした少年だけでなく、私たちが築き上げ、それなりの成熟度に達した日本の社会の側にも問題があるのではないかという議論が起こりつつあったと思う。

 だが、少年法の規定で裁判が公開されなかったこともあって、事件にたいする関心は次第に薄れていった。その後も少年による犯罪は相次いだのだが、興味本位な報道が多く、事件の核心に迫ろうという姿勢はほとんど見られなかった。気がつけば、世の中の風潮が、少年法だけでなく、一般に刑法というものの厳罰化に向かっているように思われる。それでよいのだろうか。「罪なき者まず石を打て」ではなかったか。

 「罪なき者まず石を打て」はヨハネによる福音書だけが伝えるエピソードである。朝早くイエスが神殿で民衆に教えていると、ユダヤ人指導者たちが、イエスを陥れようとして、姦淫した女を連れて来た。そして「律法では、こういう女は石で打ち殺せと命じているが」とイエスに問いかけた。だが、イエスは無言で、地面に指で何か書き続けているだけだった。再三の問いかけにイエスは答える。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」この言葉に、年長者から始まって、一人また一人と立ち去っていった。一人残った女にイエスは言う。「私もあなたを罪に定めない。これからは、もう罪を犯してはならない。」

 旧約聖書の伝える「律法」の規定は、具体的かつ厳格である。それはけっして体系的、概念的な「法律」ではない。少なくとも近代的な「法」ではなく、「刑罰の定め」という印象を受ける。非常に細かく複雑な刑罰で、しかも現代の私たちの感覚ではきわめて過酷である。独裁者の恣意で罰せられるのではなく、きちんと成文化した規定で罰せられるのだから、合理的であるとはいえようが。ユダヤ人指導者たちは、イエスに「(この過酷な)律法に従って、この女を殺せ、と命じるのか。命じなければ、法を破る、すなわち神に逆らうことになる」と迫った。律法の形式的な厳格性を利用して、自分たちは手を洗って高みの見物のまま、イエスの判断の言葉尻をとらえようとしたのだ。イエスは答えなかった。そして、問題を彼らユダヤ人指導者たちに投げ返したのだった。あなたたち自身は裁くことができるのか、と。

 このエピソードはヨハネだけが伝えている。マタイによる福音書には、同じく姦淫の罪について「みだらな思いで他人の妻を見る者は誰でも、既に心の中でその女を犯したのである。もし、右の目があなたを躓かせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである」というイエスの言葉がある。とても、同じ人物の言葉とは思えない。このエピソードはヨハネが創作したものだろうか。それとも、マタイの方が創作なのだろうか。いずれにしろヨハネの描くイエス像は四福音書の中で非常に個性的である。イエスは、真理そのものでありながら、真理を説いて、人々を真理に導く教師として描かれているように思われる。イエスに問う人に、イエスは問い返す。「あなたはどうするのか」と。問いかけて、立ち止まらせて、その問いが自分に向けられたものだということに気づかせるのだ。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年1月25日水曜日

「初めに言(ことば)ありき」____人間たらしめるもの

ヨハネによる福音書は不思議な書物である。イエスの事跡を伝えるのに、マタイのように「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」とルーツをたどることもなく、ルカが伝える美しいクリスマスストーリーとも無縁である。「神の子イエス・キリストの福音の初め。」と力強く宣言するマルコとも違う書き出しだ。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」と旧約の創世記と同じように「初めに・・・があった。」と天地創造を語り始める。天地創造を、ことばによって認識するのでなく、天地創造の原初に、ことばが「あった」とするのである。そして、その「ことば」によってすべてが成り、その「ことば」のうちに命があった、とする。言い捨てられて消滅してしまう「ことのは」でなく、原初から存在し、すべてを成り立たせる働きをするもの、生きて動く「いのち」あるものが「ことば」である、と。

 以上のような形而上学的記述は、論理としては理解しうるとしても、実感として「わかる」とはとてもいえない。私が実感として「初めにことばありき」を理解できたのは、もう十数年以上前、子どもの勉強をみる仕事をしていたときのことである。

 初めて彼女に会ったのは、彼女が五年生の時だった。「うちでは勉強をみてやれなくて」と母親がつれてきたのだが、まず驚いたのが、必ず指を使って計算することだった。暗算という概念はないようだった。それから本を読めないことだった。内容がわからないといったことではなくて、音読ということができないのだ。一行上から下に読み下すことができなくて、何度も同じところを行ったり来たりしてしまう。ある程度以上の分量になると、文字を「ことば」というまとまりとして読み取れなくなるようだった。お話することも上手ではなかった。いつも、同じ女の子の絵をかいていた。

 私にできることは、徹底して彼女の話を「聞く」ことだけだった。彼女から「ことば」をひきだすこと、彼女が、自分のうちに「ことば」をもっているということに気づかせること、同時に世界は「ことば」で成り立っているということを理解させること、そのためには、まず、彼女を受け入れ、彼女から聞かなければならなかった。数の概念や読書感想文はそのずっと後だった。そう、「初めにことばありき」だったのだ。

 彼女との数年間は楽しかった。私が彼女に教えたことより、彼女から私が学んだことのほうがずっと多かった。とくに、人が言葉を習得するとはどういうことなのかについて、考えさせられた。いまでも考えている。ことばによって、ことばの内にある命の光によって、人は人たらしめられるのだろう、と思っている。ことばを奪ってはならないし、ことばを失いたくない。希望はことばにしかないから。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。

2012年1月23日月曜日

「ぶどう園と農夫___悪しき農夫のたとえ」___イエスは誰に語ったのか

ヨハネを除くすべての福音記者が伝える「ぶどう園と農夫のたとえ」について書くことには葛藤がある。これはたとえ話なのだから、このたとえ話から、何を読み取るかが大事なので、物語の内容にいちいちこだわることは、躓きの石です、という声が聞こえてくるような気がする。

 それぞれの福音記者の叙述には、細部で微妙な違いがあるが、ここでは、最も早く書かれたと思われるマルコによる福音書の記述を紹介しよう。ユダヤの祭司長、律法学者、長老たちと「権威についての問答」をした後、次のように「イエスはたとえで彼らに語った」。

 ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して旅に出た。収穫の時になったので、僕を農夫のところに送ったが、農夫たちはこの僕を袋叩きにして、何も持たせずに帰した。また僕を送ったが農夫たちは頭を殴り、侮辱した。更にまた送ったが、今度は殺した。そのほかに多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。最後に「わたしの息子なら敬ってくれるだろう」と愛する息子を送ったが、農夫たちは『これは跡取りだから、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる』と捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。ぶどう園の主人は、戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。

 ここで農夫にたとえられているのは、いうまでもなく祭司長以下のユダヤ支配層である。ぶどう園に送られてきた僕は旧約の世界に登場する預言者たちだ。あなた方は、預言者たちの言葉を聞かず、かたくなで、その存在を抹殺してきた。最後に送られて来た神の子も殺して、すべてを手に入れようとしている。イエスの批判は鋭い。そして、現実にその通りになったので、このたとえ話は無理なく受け入れられてしまう。少なくとも「聖書」の世界のなかでは。

 では、この話を、現実の「農夫」と呼ばれている人たちに語ったら、どうなるだろう。「そうです。収穫物はご主人のものですから、きちんとご主人に渡します。私たちは、その分け前をいただければありがたいのです」となるだろうか。もちろん、現実には、農夫たちは分配に口を出す権利などもつはずもない。そういう社会のなかで、このたとえ話は語られたのだ。分配に口を出す権利などなく、そんなことが考えられもしなかった社会でも、権利、義務などの観念でなく、実際の生活のひっ迫から農民が立ち上がることはあっただろう。だが、ぶどう園の「労働者」に対してあれほど共感を寄せていたイエスは、ここでは、「農夫」に一片の同情もない。遠く離れた所に住む大土地所有者がまったくの不労所得を搾取する、という当時の現実を無条件に肯定したうえで、この「たとえ話」を語っているのだ。

 福音記者たちは、イエスはこのたとえ話を、イエスを陥れようとしているユダヤ支配層に向けて語ったと記している。おそらく実際そうだったのだろう。彼らは神の国を管理する義務を負っていて、忠実に実行しなければならないのに、それを怠り、腐敗しているという事実を激しく糾弾したのだ。だが、この話は、「聖書」の中で「悪しき『農夫』のたとえ」として定着してしまったことで、さまざま問題をはらんでしまったのではないか。まず、第一に、これを「たとえ話」として読む私たちは、無意識のうちに、自分をぶどう園の主人と主人が遣わした僕の側においている。農夫すなわちイエスから糾弾されるユダヤ支配層の側ではない。そうだろうか。私たちは、彼らとどれほどの違いがあるのか。また、たとえ話とはいえ、農民が領主に反抗することは、無条件に悪である、としたことで、「この世の秩序には従順でありなさい。その上で、心のなかに信仰をたもちましょう」という方向付けがなされたのではないか。このたとえ話のすぐ後に、ヨハネ以外の福音記者すべてが、「カイザルのものはカイザルへ」というイエスの言葉を記録しているのは偶然ではないだろう。

 福音記者たちは、このたとえ話を締めくくるイエスの言葉として「聖書にこう書いてあるのを読んだだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』」と記す。だが、私は、おそらくイエスがこのたとえ話を構築する際に土台としたイザヤ書5章と合わせて、この話を読むべきだと思う。
「わたしは歌おう、わたしの愛する者のために そのぶどう畑の愛の歌を」とはじまるこの詩は
「よいぶどうが実るのを待った。しかし実ったのは酸っぱいぶどうであった。さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。」と展開し
「災いだ、家に家を連ね、畑に畑を加える者は。お前たちは余地を残さぬまでに この地を独り占めにしている」と現実の大土地所有者を弾劾している。民族を滅亡に至らせるものは、彼らの腐敗、不正なのだ、と。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年1月17日火曜日

「わたしはまことのぶどうの木」___死と復活と再生

前に住んでいた家の庭にぶどうの木が一本あって、ある年突然、信じられないくらいたくさん実をつけた。毎日毎日、顔がぶどうの色になるくらい食べたのだが、とても食べきれないので、潰して、広口瓶に入れ、ふたをして放っておいたら、数日で発酵して、ぶどう酒ができた。夏の終わりでまだ暑い日が続いたので、ちょうどいい加減の温度が保たれたのだと思う。それからしばらく秋になると葡萄酒をつくった。うっすらと粉をふいて、はじけるようなぶどうの粒を圧搾器で潰して、皮も実も種もみんないっしょに広口瓶の六合目くらいまで入れて、最後に発酵を進めるためにちょっと砂糖を加えて、ふたをして、そうすると、さあ、ぶどう酒の天地創造劇の始まりです。

 押し潰されて無残な姿になっていたぶどうの粒が、だんだん皮とどろどろの実に分離してくる。この段階は、皮も実も草色と泥色の混じったような色で、全体にどよーんとした感じ。しばらくすると、少しずつ、泡が出てきて、発酵が始まる。泡がたくさん出て、発酵が進むと、行ったり来たり上下運動をしていたぶどうが皮と実に分離し始める。いつのまにか、どよーんとしていた広口瓶の中身が、きれいな桜色になってくる。ほんとうにきれいな桜色だ。この段階で上澄みを飲んだら、きっと甘口のおいしいぶどう酒なのだろう。でも、甘いお酒がダメな私は、このまま発酵させて、きれいな桜色が、きれいなワインレッドに変わるのを待つ。透明で美しいワインレッドになったら、出来上がり。ざるで漉して、液体は適当な酒瓶に詰める。底にたまった澱も絞って、二番絞りのぶどう酒になる。

 この過程を見ていて、聖書のなかにぶどうに関する記事が多いのがわかるような気がした。これはまさに、死と復活と再生の過程ではないか。一粒の麦ならぬぶどうが刈り取られて、無残に潰され、容器の中に押し込められる。そこから、発酵という復活が始まるのだ。発酵はけっして穏やかな作用ではない。いつか、欲張って広口瓶の八合目くらいまでぶどうを入れたら、内側からもの凄い力で瓶のふたが開けられ、中身が部屋中にとび散った。あのエネルギーはどこから生じるのだろう。まさに、「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れよ」である。十分に発酵して、最後にアルコールとして再生すれば、ほぼその状態で安定する。

 聖書の中でも、とくにヨハネによる福音書はぶどうに関するたとえを多く記している。第15章「わたしはまことのぶどうの木、あなたがたはその枝である」という一節が有名だが、第2章の水をぶどう酒に変える奇跡も印象的である。婚礼に招かれたイエスが、母に「ぶどう酒がなくなりました」と言われ「わたしの時はまだ来ていない」と言いながらも、水がめに満たされた水をぶどう酒に変える。これは、ヨハネによる福音書だけが記す奇跡であって、ヨハネはこう記している。「イエスはこの最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた」

 家の庭にあったぶどうの木は、何年かしたら、まったく実が生らなくなった。ぶどう農家の人に聞いたら、ぶどうは剪定が大事で、たくさん実をつけさせてはならず「地面に木洩れ日がさすくらい」に隙間をあけておくそうだ。それから間もなく、その家を貸して、私たちは引っ越した。いまは、新しく住人となった方たちが、いったんは見る影もなくなったぶどうの木を大事に育ててくださって、去年は初夏に青い花実をつけた。今年はいく房か実るだろうか。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年1月15日日曜日

「ぶどう園の労働者のたとえ」__平等ということ

以前夫が勤めていた会社は、十数名の社員全員が同じ給料だった。ボーナスも同額だった。たった10万円だったけれど。素晴らしい社長だった。のんだくれで、夫の入社後2年も経たないうちに死んでしまったので、たんに面倒だから、全員一律の給料にしたのか、人間の評価など人間にはできるはずもない、というような深い考えがあってそうしたのか、今となっては確かめるすべもないが。

 それで、いよいよマタイによる福音書20章の「ぶどう園の労働者のたとえ」について考えてみたい。といっても、今日は時間がないので、このたとえのあらすじの紹介です。

 ぶどう園の主人が、自分のぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明け前に出て行って、何人かの労働者を1デナリオンの約束で雇い、次に9時ごろまた広場に出て行って何人か雇い、12時、午後3時、最後に夕方5時になっても仕事に就けないで広場に立っている人々がいたので、雇った。さて、賃金を払うことになって、主人は監督に「最後に来た労働者から始めて、最初に来た者まで順に、賃金を払うように」と指示する。ところが、最初に雇われた人たちが、最後に雇われた人たちと自分たちの賃金が同じであることで、主人に不平を言う。「最後に来た連中はたった1時間しか働かないのに、1日中暑い中を働いたわたしたちと同じとは」。これに対して主人は「友よ」と呼びかけ、こう言うのだ。「あなたに不当なことはしていない。わたしは、あなたと1デナリオンの約束をした。わたしは最後の者にも、あなたと同じように払ってやりたいのだ」

 マタイはこの記事を「天の国は次のようにたとえられる」と書き始めているが、これは「たとえられる」のではなく「天の国は次のようになっている」と記すのが正しいだろう。これは「たとえ」ではない。自分の肉体労働しか売るものがない労働者にとって、働くことができない、ということは死に直結する。遊び呆けて広場にいたのではないのだ。働くことができないから、お腹を空かせて立っていたのだ。夕方5時になって、今日誰も雇ってくれなかったら、一晩中みじめに夜を明かさなければならない。だから主人は、最後に雇った者から先に賃金を払うように、監督に命じたのだ。これで、朝から働いていた者も夕方やっと働けた者も、平等に明日を迎えることができる。これが神の国でなくて、なんであろうか。

 あらすじの紹介で、私の言いたいこともほぼ尽くしたと思うのですが、できれば後日「ぶどう園の農夫のたとえ」についても、考えてみたいと思います。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年1月13日金曜日

「貧しい者は幸い」か___山上の垂訓を考える

GDPの推移だの労働者の賃金の減少だの、いちいち数字をあげなくても、私たちの暮らしが年を追うごとに貧しくなっているのは、多くの人が共有する実感だろう。絶対的な窮乏ではない。まだ、何とか食べていくことはできるし、こどもを学校にやることもできる。でも、なんだか体のなかから生き血を抜かれているかのように、社会全体から活気が乏しくなっているのだ。先が見えない時代、ともよくいわれる。そうではないだろう。先は見えている。ベクトルは下だ。そして、まだ底には到達していない。簡単にいえば、もっと悪くなる、と多くの人は思っているが、その現実に向き合うのがつらいから「先が見えない」と言っているのだ。

 それで、聖書のなかの有名な「山上の垂訓」を考えてみたい。この記事は、マタイによる福音書とルカによる福音書に記されている。イエスが山に入って、弟子たちに語ったとされる言葉である。マタイの記事では「心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである」となっているがルカは」端的に「貧しい人々は幸いである、神の国はあなたがたのものである」と記している。ここでは、より原典に近いといわれるルカの記事を中心に考えてみたい。

 ルカは続けて次のように記す。「今、飢えている人々は幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は幸いである、あなたがたは笑うようになる」貧しくて、飢えて、泣いている人々、どうしてそういう人々が幸せなのか。ここから、余剰を削ぎ落す、いわゆる清貧の思想の類を読み取ろうとするのはナンセンスである。イエスの時代も現代も、地球上には貧しくて、飢えて、泣いている人たちのほうが圧倒的に多いのだ。

 この「・・・・人々は・・・・である。・・・・人々は・・・・である」という倫理学の教科書みたいな口語訳聖書から離れて、今は一般に使われていない文語訳を振り返ってみたい。、たしか「幸いなるかな、貧しき者、神の国は汝らのものなり」となっていたと思う。もう一つ、英語の聖書では、こうなっている。
Blessed are you poor, for yours is the kingdom of God.
Blessed are you that hunger now,for you shall be satisfied.
Biessed are you that weep now,for you shall laugh.
原典のギリシャ語はどうなっているかわからないのだが、おそらく口語訳よりは、文語訳、そして英語の聖書のほうに近いのではないか。Blessed are you ・・・はたんなる倒置ではない。「祝福はあなたがたにある!」という宣言なのだ。いま、目の前にいるあなたがたに!飢えて、泣いているあなたがたに!
for yours is the kingdom of God. なぜなら、あなた方のものなのだ、神の国は。
for you shall be satisfied .なぜなら、私があなたがたをお腹いっぱいにするのだ。
for you shall laugh. なぜなら、私があなたがたを笑えるようにするのだ。

 shallは、話者が必然と考える未来について発語するときの助動詞である。目の前で、飢えて、泣いているあなた、私はあなたを祝福する、そしてあなたがたに神の国をもたらし、お腹いっぱい、笑えるように必ずする、という狂気のような強い意志を、語順の倒置と助動詞shallから読み取るべきなのだ。イエスは本気で行動しようとしたのだし、実際にしたのだ。そして、十字架にかかったのだ。

 さて、ここで私は自問する。私は、祝福される者として、イエスとともに、イエスの側にいるのか?それとも、傍観者として、イエスを十字架につけた者と同じ側にいるのか?

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年1月11日水曜日

再び「タラントのたとえ」について___投機と投企

もう一回「タラントのたとえ」について考えてみたい。このたとえが、無自覚に「資本の増殖と能力崇拝」を肯定している、という田川健三の指摘は、もちろん正しいだろう。だが、マタイによる福音書の記者が、この記事をイエスの十字架の記事の直前に置いたのは、あくまで「たとえ」として「たとえられるもの」を示したかったからだ。その「たとえられるもの」とはなにか。

 5タラントンをもとに5タラントン儲けるのは、以前書いたように、投資ではなく投機だ。2タラントンも然り。では、なぜ主人は「投機」した者を顕彰したのか。僕たちは「商売」をして儲けた、とあるので、厳密な意味では「投機」といえないかもしれないが、5タラントンで5タラントン儲けることができるのは、かなり「ボロい」_投機的な商売だ。日本人は、「投機」は嫌いな人が多いが、サクセスストーリーは好きな人が多いので、この話に違和感を感じる人は少ないのかもしれない。熱心に商売に励んで、ご主人に褒められる、それがどこがおかしい?といわれそうだ。

 やはり、おかしいと思う。たとえ話とはいえ、5タラントンという資金の巨大さ、「蒔かない所から刈り取る」という苛斂誅求、「何もしなかった」_無為にたいする罰としての放逐、すべて「異常」である。このたとえ話は「異常」を「正常」として語っているのだ。主人から財産を預かったら、何も言われなくても、「早速」出て行って商売をして2倍にしなければならない。苛斂誅求の主人を恐れて、ひたすら「保存」していてはいけない。財産は増やさなければいけない。とにかく、現状維持ではだめなのだ。なすべきことは、即その場で、自己を「投企」することなのだ。無為は許されない。

 「それぞれの力に応じて」与えられた財産=タラントン=たまものを、全身全霊で有効に使うこと、それが日々私たちに要求されているのだとしたら、そんな厳しい要求に私たちはどうやってこたえればいいのだろう。

 イエスは私たちに「救い」をもたらしにきたのだろうか?
  
 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年1月6日金曜日

「タラントのたとえ」___不条理な「教え」

一昨日予告していた「タラントのたとえ」について、考えてみたいと思います。

 この話は、イエスの死後、最も早く書かれたといわれるマルコによる福音書と、最も遅れて書かれたというヨハネによる福音書には記されていない。ほぼ同時期に成立したとされるマタイによる福音書およびルカによる福音書にほとんど同じ趣旨のたとえ話が記されている。

 旅行に出かけることになった主人が僕たちを呼んで、それぞれの能力に応じて、一人には5タラントン、一人には2タラントン、そしてもう一人には1タラントン預けた。しばらくして帰ってきた主人は、僕たちを読んで「清算」を始めた。5タラントン預かっていた僕は、商売をして5タラントン儲け、2タラントン預かっていた僕は同じく2タラントン儲け、それぞれ主人に「お前は小さなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」とほめられる。ところが、1タラントンしか預からなかった僕は、「ご主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集める厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。」と隠しておいた1タラントンを差し出す。すると、主人はこの僕を「怠け者の悪い僕だ」と叱り、さらに「わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに」と言って、この僕に預けておいた1タラントンを取り上げ、「外の暗闇に追い出せ」と命じるのである。

 以上はマタイによる福音書の記事であって、ルカによる福音書では、お金の単位がムナになっていて、もう少し複雑な筋書きであるが、趣旨はほとんど変わりがない。ちなみに、聖書の注によれば、1タラントンは6000デナリ、1デナリは労働者1日分の賃金なので、5タラントは労働者30000日分の賃金!一生働いても労働者は手にいれることはできないだろう。1タラントも蓄えることは無理だろう。そのような巨額の資金を運用する僕を「小さなものに忠実だった」と評価する主人と僕の関係とは、どんなものなのか。そもそも、限られた期間に資金を倍にする、という行為は、投資というより投機である。投機に成功した者を褒めて取り立て、投機しなかった者にたいしては「怠け者だ!」と罵るばかりか、共同体から放逐してしまうとは、あまりにむごい話ではないか。また「蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集める」とは、苛斂誅求以外なにものでもない。どうしてこれが「天国のたとえ」になるのか。

 このたとえ話については、田川健三が『イエスという男』の中で「資本の増殖と能力崇拝」という章を設けて詳しく解説しているので、私がさらに新しい解釈を付け加える部分はほとんどない。田川は、このたとえ話の主人と僕の関係を、神と、有能な者として神に選ばれた支配者との関係として捉えている。選ばれた僕としての支配者は、だから、神から委託されたものをさらに増やして、繁栄させなければならない。それは至上命令で、怠ることは許されないのだというのが、このたとえ話の主眼なのだろう。

 しかし、このたとえ話をイエスは誰に向けて語ったのか。1デナリしか稼げない労働者たちに向かって語ったのだろうか。それとも、5タラントンを運用するような資産家たちに語ったのか。その日暮らしの労働者たちに語ったのであれば、大いに共感を得たに違いない。彼らに直接の抑圧を与えるのは、1タラントンを隠しておくような無能な支配者だから、そういう人間が「暗闇で泣きわめいて歯ぎしりする」光景を想像して喝采しただろう。だが、しかし、本当に彼らを支配し、生涯1タラントンも貯えることができないような境遇に置き続けているのは、5タラントンを運用する、あるいは5タラントンを僕に預けて旅行に行くような雲の上の資産家なのだ。逆に5タラントンを運用するような支配者層にむけて語ったのだとすれば、これは彼らに対する厳しい弾劾のことばである。聖書の記述は、死を目前にしたイエスが、オリーブ山のふもとで弟子たちに語ったとされているが、マルコとヨハネがこの話を全く伝えていないのは、あるいは、後世の纂入かとも疑われるのだが。 


 天国に関するイエスのたとえ話は他にもたくさんあって、必ずしもその趣旨が同じ方向を目指すとは思われないものもある。しかし、そのたとえ話を通して、イエスの生きた時代がどのような時代であったか、そして、イエスが無条件に受け入れている社会構造がどのようなものであったかを知ることができるのは興味深い。このたとえ話の主人の言葉として、マタイによる福音書の記者は「だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる」と書き記す。これはまさに、古代であれ現代であれ、資本主義の現実そのものではないか。たとえ話ではなく。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2012年1月4日水曜日

サラの墓__古代社会と貨幣

今日は東京証券取引所の大発会の日で、2012年の株式市場がスタートした。そのタイミングに合わせたわけでもないのだろうが、今朝の日経朝刊に岩井克人という経済学者が「貨幣論の系譜」という記事を書いている。この記事によれば、紀元前6世紀から4世紀の古代ギリシャで誕生した「近代社会」は、歴史上初めて全面的に「貨幣化」した社会であり、この「近代社会」を生きたアリストテレスこそ、国家と資本主義の対立関係を最初に思考した思想家であった。

 だが、貨幣の歴史は、いうまでもなくアリストテレス以前から存在する。「全面的に貨幣化」していたか否かは別として、旧約聖書にはいくつかの貨幣(あるいは貨幣としての金、銀)が登場する。最も早く登場するのは、創世記23章アブラハムの妻サラが127歳!でなくなり、アブラハムが彼女を埋葬するために土地を買い求める場面である。アブラハムは、その時滞在していたヘブロンの地で、畑と洞穴とその周囲に生えている木を含め「銀400シュケル」で自らの所有とした、と記されている。

 聖書の注によれば、1シュケルは5.6gとあるので、400シュケルは2300gである。銀の価格は、現代の市況価格をそのまま当てはめることはできないが、本日の相場は1g79円の売渡価格なので、銀400シュケルは約18万円ということになって、驚くほどの安さである。古代は精錬技術がいまとは比較にならないくらい遅れていたので、銀の値段が相対的に高かったとしても、このことはどう解釈したらいいのだろうか。

 創世記が書かれたのは意外に新しく、紀元前5世紀から4世紀といわれている。創世記の記者はすでにかなり発達した貨幣経済を知っていたのかもしれない。新約聖書の時代になると、登場する貨幣の種類はさらに増え、その機能も複雑になる。新約聖書のなかには、「銀行」と「利息」の記述があるのだ!私は、「キリスト教」が地中海沿岸の諸都市に広まり、やがてローマの国教となる過程で、貨幣経済とギリシャ語の果たした役割は大きいと考えている。それは、言語、民族を異にする人々の共通の生活手段であったはずだ。

 新約聖書を、貨幣経済ないし資本主義という観点から読み直してみたい、という思いを捨てきることができない。イエスの生きた時代は、すでに十分資本主義の時代ではなかったか。そのことを、聖書の記述に即して、明日は、もう少し具体的に考えてみたい。

 今日もできの悪い作文でした。最後まで読んでくださってありがとうございます。