2016年12月30日金曜日

大江健三郎『晩年様式集』___『懐かしい年への手紙』を読み直す___ギー兄さん、塙吾良、伊丹十三

 少し体調を崩していたこともあって、『晩年様式集』についていつまでも書けないでいる。ひとつには、これが大江健三郎の「最新」の作品なので、それについて書くことが私の大江健三郎論の総括、のようになってしまうことを怖れる意識がはたらくのかもしれない。

 『晩年様式集』というタイトルからうかがわれるように、この小説は一見小説らしくない構成をとっている。冒頭「前口上として」と、序文のような文章が置かれているが、そこには、大江健三郎とも「長江古義人」ともさだかでない「私」が登場して、これから読まれる文章が、「私」と「私」に「一面的な描き方で小説に書かれたことに不満を抱いている」三人の女たち__古義人の妹アサ、妻の千樫、娘の真木合計四人の「ノート」であり、私家版の雑誌である、と書かれている。この小説には語り手が、というより書き手が四人いることになる。もちろん、そんなはずはなく、すべて作者大江健三郎が書いているのだが、書かれている事柄の時系列が錯綜することもあって、かなり読みにくい。何故こんな「様式」にしたのか。

 実はもう一人、語り手、というか狂言廻しというか、プロットの展開を進める上で重要な人物がいる。一九八七年に書かれた『懐かしい年への手紙』の主人公ギー兄さんの遺児ギー・ジュニアである。『懐かしい年への手紙』については、以前「Kちゃんによる福音書あるいは黙示録」というサブタイトルで投稿しているので、ご参照いただければありがたい。作品中でギー兄さんに子供は生まれていない。オセッチャンという若い妻が、ギー兄さんが手術で生殖能力を失う前にKちゃん(「僕」)を巻き込んで子供をつくろうとするところまでが描かれている。

 その後発表された『燃え上がる緑の木』では、オセッチャンは生まれた子供を連れて屋敷を去り、大阪で子供と生活していた、と書かれている。ところが、『晩年様式集』ではギー・ジュニアは幼いころ「森のへり」で暮らし、その後資産(ギー兄さんの遺産)を処分した母親とともにアメリカに渡った、とされている。複数の外国語に堪能で有能なプロデューサーに成長した彼は3・11の取材を機会に日本を訪れる。そして長江と『懐かしい年への手紙』と『万延元年のフットボール』をつき合わせて、ギー兄さんの人生を検証することになる。____ここまで書いて、どうしても『燃え上がる緑の木』に登場するオセッチャンの連れ子「真木雄」」のことが気になってしまう。オセッチャンの子は「真木雄」ではなかったのか?「真木雄」=「ギー・ジュニア」という等式は成り立つのか?

 『晩年様式集』という作品のメイン・テーマは『懐かしい年への手紙』の読み直しだろう。森の中に自給自足を目指す生活共同体=「根拠地」を作り、最後は神学的観照の世界に生きた、半ば神話化された、それでいて卑俗なエピソードに満ちたギー兄さんのこれまで語れなかった姿を語り、それによって「僕」とギー兄さんの関係を語りなおす。ギー兄さんの遺児であり、知的探求心が旺盛でかつ経済的基盤と実行力をもつギ-・ジュニアがインタビュアーとして「僕」の前に現れる。ギー・ジュニアとの数回にわたるインタビューの中で、「僕」は必ずしも彼の質問に的確な回答をしているとは思えないのだが、回を重ねるうちに、ギー兄さんと「僕」の知られざる関係があかるみにでることになる。それは『懐かしい年への手紙』に記されている「師匠(パトロン)」と弟子の関係を逸脱するものだった。

 ギー兄さんの直接のモデルは伊丹十三だろう。ウィキペディアには伊丹十三の本名は池内義弘で、池内家の通名は「義」であることから、祖父の強い意向により「義弘」と命名された、とある。また、『取り換え子』には、長江古義人の妻の千樫が『懐かしい年への手紙』に兄の塙吾良が出てくるので、それ以降古義人の作品を読まなくなった、と書かれている。ギー兄さん、塙吾良、そして伊丹十三は虚実入り混じった複雑なトライアングルを形成している。『晩年様式集』では、塙吾良の晩年の恋人まで登場するのだが、果たして作者大江健三郎は複雑なトライアングルを解体しようとしたのか。それともより複雑で堅固なものにしようとしたのか。

 そもそも何故この小説が「3・11フクシマ」の後に、それまで書いていた長編小説を破棄して書かれなければならなかったのか。大江健三郎の小説は、細部の描写はしつこいくらいリアルだが、まちがってもリアリズムの小説ではない。個性的な人物が登場するが、作品は彼らの「人生」を描くものではない。作品世界の中で彼らは生き生きと動き回るが、その行動は与えられた役割を逸脱することはない。『晩年様式集』においてもそれは同じように思われるのだが。

 足踏みばかりしていて、結局出来の悪い読書感想文しか書けませんでした。最後まで読んでくださってありがとうございます。
   

2016年11月9日水曜日

大江健三郎『「雨の木(レイン・ツリー」を聴く女たち』「泳ぐ男__水のなかの「雨の木(レイン・ツリー」」___再び八十年代とは何だったか

 連作短篇集の最後の作品である。これまでの四作も不思議な小説だったが、この小説は、解釈、というより読解が拒まれているような気がする。たんに私の能力不足かもしれないが。

 年上の女が若い男を誘惑する。男はたぶん童貞で、女のあからさまな挑発と積極的な行動にひきずられて、危険な性的ゲームを続ける。作家の「僕」は、若い男のあて馬の役割を負わされ、彼と女との成り行きを見まもる。結末は、女は強姦され、扼殺される。だが、若い男は犯人ではない。犯人は「僕」と同じ大学出身の高校の英語教師だった。

 あらすじを紹介すると週刊誌の実話記事のようだが、とくに不自然ではない。人物の造型や細部の描写も、具体的でリアルである。外資系旅行会社のOLという設定の「猪之口さん」と呼ばれる女が、露悪的ともいいうるほどの挑発をしたあげく、「玉利君」という男に扼殺されるまでの経緯は委細を尽くして執拗に描写される。それはグロテスクだが、ありえないことではないだろう、と思う。問題は、「玉利君」が女を扼殺した(もしかしたらその時点では死んでいなかったのかもしれない、と思わせる記述があるのだが)後、「偶然」通りかかった「犯人」の行動と心理である。


 「犯人」は子供遊び場(なぜ「公園」という単語を使わないのか、微かな疑問を覚えるのだが)のベンチに下半身をさらけだして死んでいる(ように見える)女とその場を逃げ出した玉利君の様子から、強姦未遂であることをさとる。すると「犯人」の関心は、死んでいる女でなく、強姦未遂のまま逃げ出した玉利君に向けられるのである。このままでは玉利君は生涯を棒に振ってしまうことになる。自分は彼を救ってやろう。そのために、彼が未遂で終わった強姦を彼に代わって成就してやろう。そう思って「犯人」がそれを実行しているときに何人かの人間がやってきて懐中電灯で「犯人」を照らす。その瞬間死んだはずの女の躰が動く。「犯人」はやみくもに逃げ、追いつめられて鳩小屋によじ登り、ズボンからベルトを抜きとって首吊りジャンプをする。


 という「犯人」の行動と心理は、実は作家の「僕」の夢想とないまぜになった推測である。その推理を補強するのが、事件後初めて直接会話をかわすことになった玉利君の告白であり、「犯人」の妻である女教師のことばである。女教師は夫が露出趣味があったことを「僕」に告げるが、それよりも重要なのは、夫が「自己中心の思い込み」ではあるが、自分が犠牲になって誰かを救うことを一度決心したら、実際やり遂げる人間だったと語ったことである。

 大江健三郎の小説が不思議なのは、作品を読んでいるときは当たり前のこととして受け入れてしまう事柄が、現実に起こったら、決して受け入れられないだろう、ということである。酔って通りかかったら女が下半身剥き出しで縛られていた。身動きしないので、死んでいる、と思っただろう。そういう状態で性欲が湧くものだろうか。そんなにたやすく屍姦ができるのか。それは「犯人」の妻である女教師のいう夫の「猥褻行為」の範疇から逸脱している。

 だが、それよりも不思議なことは、屍姦という言葉にするだけでもおぞましい行為の動機が、自分が犠牲になって、強姦未遂を犯した若者を救うためである、とされていることである。そしてその行為は、「犯人」と同じ出身大学の作家の「僕」が夢想したことでもあるのだ。ここには、「犯人」と「僕」の親和性あるいは同一性がほのめかされているのだが、一方そういった親和性、同一性を打ち消すような記述もある。死の直前に「僕」の父親がいったとされることばである

 __おまえのために、他の人間が命を棄ててくれるはずはない。そういうことがありうると思ってはならない。きみが頭の良い子供だとチヤホヤされるうちに、誰かおまえよりほかの人間で、その人自身の命よりおまえの命が価値があると、そのように考えてくれる者が出てくるなどと、思ってはならない。それは人間のもっとも悪い堕落だ。・・・・・

 この父親の言葉がこの文脈で出てくることがさらに不思議である。「僕」が玉利君の身代わりになろうとしてできなかったことの説明にはまるでなっていないからだ。「僕」でなく「犯人」が身代わりになったことで玉利君は「人間のもっとも悪い堕落」に陥っていくことは確かだろうが。

 小説というものは何をどう書いてもいいのだろうが、大江健三郎の小説の書き方はどうしてもアンフェアだと思ってしまう。そもそもこの小説の冒頭にはかなりの分量で前置きがあって、「僕」がこれを書くに至った経緯が書かれているのだが、これを書いている「僕」は作家大江健三郎なのか、作品中の「僕」なのか。読み続けるうちに揺らいでくるのである。それも作者の計算通りなのだろうが。

 この作品から何を読み取ればいいのか、まるでわからない。「生き残っている者」にはdecenncyを守るくらいが関の山だと「僕」にいわれた玉利君は、「僕」に示唆されて「自分をコロス」トレーニングに集中する。玉利君はそうやってすべてを削ぎおとして、次の犯罪___猪之口さんで果たせなかった完全な強姦と扼殺にに向かって邁進している、と書いて作者は物語を閉じるのだ。この小説が「読売文学賞」なるものを受賞したという八十年代とは何だったのか。

 時間がかかった割には問題解決ができないままでした。それでもなんとか、一区切りつけて次は『晩年様式集』に向かいたいと思います。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2016年9月20日火曜日

大江健三郎『「雨の木(レイン・ツリー」)を聴く女たち』「さかさまに立つ雨の木(レイン・ツリー)」___さかさまに立つ反核運動

 連作短篇集『雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち』の第四作目。第二作「雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち」に登場したペニー(ペネロープ・シャオ=リン・タカヤス)が「僕」に宛てた手紙から始まる。

 亡くなった高安カッチャンが「高級コールガール」といって連れてきたペニーは、カッチャンの妻であり、なおかつ文学の研究者で、日本語が堪能な女性だった。彼女は「僕」の小説を日本語で読んで、そこに描かれた高安カッチャンがあまりに卑小で病的であるのがAWAREである、と抗議してきたのだった。高安カッチャンとペニーは、彼女の研究対象であるマルカム・ラウリーと妻のマージョリーが彼らの憧れの地であるブリッテシュ・コロンビアの漁村エリダナスでそうしたように、ハワイで至福と再生の生活をおくるはずだった。それを台無しにしたのは「僕」である、とも。

 《さようなら、私はもうあなたの友人ではないと思います。》と書いてきたペニーと「僕」はハワイで再会する。「僕」はハワイ大学の日本文学研究者が主催したシンポジウムにパネラーとして参加したのだが、日系アメリカ人と思われる聴衆に足元をすくわれるような批判を受けて立ち往生してしまった。するとそこに、ペニーが(前作と同じように)「スルリ」と現れ、理路整然と堂々たる英語で反論して「僕」の急場を救ってくれたのだ。

 その後、ペニーと「僕」は食事をともにする。彼女はカッチャンをミクロネシアの孤島に埋葬、というより散骨したことを報告し、さらに、ザッカリー・K・タカヤスというカッチャンの遺児の話をする。「ザッカリー」というファーストネームから読み取れるように、彼はカッチャンがユダヤ系の女性と結婚していた時期にもうけた息子であり、アメリカ人と再婚した母親のもとで育った。いま人気音楽グループのリーダーとなった彼は、ペニーのもとに残されていた父の膨大な草稿__それはほとんどマルカム・ラウリーの引用だった__からインスピレイションを受け、音楽を作り始める。

 お互いに一つの皿から分け合って食べる「夫婦のような」食べ方をした後、別れ際にペニーは「僕」にザッカリーのLPレコードを一枚くれる。そのジャケットの裏に書いてあったのは、「K・タカヤスのノートによる」という注釈がついていたが、ダグラス・デイのマルカム・ラウリー評伝の文章で、それ以外何もなかった。そして、ここから、ダグラス・デイの文章がほぼ二頁にわたって小説中に引用される。ダグラス・デイの文章そのものがパール・エプスタインの著書からの孫引きであるとことわっているのだが、これが、マルカム・ラウリーの作品、生涯の解説、というよりユダヤ教のカバラの解説なのである。

 以下、神の創造とセフィロト、あるいは生命の樹、その転倒である地獄機械、地獄機械によって転倒したセフィロトであるクリフォトなどの概念が説明されるのだが、ここで疑問に思うのは、この小説が発表された一九八一年の時点で、ダグラス・デイ、パール・エプスタインいやマルカム・ラウリーでさえ、一般の読者はどの程度知っていたのだろうか。私はそれらの人名はもとより、「カバラ」という固有名詞が何をあらわすのか知らず、セフィロトやクリフォトなどまったくちんぷんかんぷんであった。いまは、インターネットというものがあって、自宅である程度の検索ができるが、当時だったら、図書館に日参できる環境でなければ大江健三郎の作品を理解することはあきらめていただろう。大江健三郎はどのような読者を対象として小説を書いていたのだろうか。

 「生命の樹」の概念と地獄機械という発想はこの小説の根幹をなすものであり、マルカム・ラウリーという作家を登場させたのは、そのような形而上学的概念の具象化が目的だったのではないかと思われる。作者はこの後ハワイ在住の老婦人との交流を語り、彼女が意図した反核運動の挫折を記述する。それは同時に「僕」の挫折でもあって、その事態に対する憤怒から「僕」はワイキキの海でひたすら泳ぐことに没頭していたのだが、そこに再びペニーが現れる。日本にいるときからの計画にあったように、一緒に「雨の木(レイン・ツリー)」のある施設に行ってみようという「僕」の提案に対して、彼女は「死んだ人のことより、生きている人間のことをしよう」といって、彼女の友人のアパートに「僕」を誘う。

 友人のアパートに向かう道中、ペニーは___それは同時に死んだ高安カッチャンの言葉であったが___反核運動の無意味を語る。運動のレベルの程度にかかわらず、アメリカ人の反核運動は全て無意味で、アメリカ圏とソヴィエト圏すなわち現代文明の大半は核の大火に焼きつくされる。なぜなら、すでに地獄機械は動き始め、セフィロトの木は転倒してしまっているのだから。高安は、ニューズ・ウイークの表紙から切りぬいた原爆のキノコ雲の写真を、「転倒したセフィロトの木」と書きつけて、ラウリーの引用と一緒にノートに貼りつけていた、と。

 帰国して半年後、ペニーから写真を同封した手紙がくる。その写真には、真っ黒な基底部を残して無残に焼けつくした巨木を中央に、ペニーとアガーテ(「頭のいい雨の木(レイン・ツリー)」に登場するドイツ系アメリカ人)と思われる二人の女性が写っていた。手紙には、「僕」の雨の木(レイン・ツリー)」は燃えてしまった。まもなく文明圏は原爆の大火で燃えてしまうだろうが、それは世界が長年にわたって行ってきた自殺の"only a ratification"である、と書かれていた。また、自分自身は核の大火に焼かれなければならない人間だとは考えていない。核の爆弾をつくりだす文明に手を貸したことのない太平洋の島に移住して、そこに根付く「荷物(カーゴ)・カルト運動」を新しく始めるつもりだ。それは「原水爆荷物(カーゴ)・カルト運動」と呼ぶべきものである。文明圏が核の大火に焼かれれば、多くの物資が荷物(カーゴ)として太平洋に漂い出る。島の人びとはそれを拾い、何十年かして放射能が減少したら、カヌーに乗ってでかけていけばよい、とも。

 ここで述べられているペニーの思想は、作品制作時の作者大江の思想だろうか。そうであっても、なくても、いま、この時点で振り返れば、少なくとも二つの意味で、この思想は間違っていた、といわざるを得ない。「核の大火が文明圏を焼き尽くす」という黙示録的発想はわかりやすかったし、そう警鐘を鳴らすことで核戦争になにがしかの抑制力をもつと思われたかもしれない。しかし、現実には、全面的な核戦争は起こらなかった。ペニーが考えていたような二つの大きな文明圏の対立は、一方のソヴィエト圏が消滅してしまったことで、核戦争のトリガーたりえなくなった。いや、二つの大きな文明圏の対立というより端的にアメリカとソ連の冷戦構造だったが、それは権力の側の図式であって、「世界が長年にわたって行ってきた自殺の"only a ratification"」ではない。「世界」という表現で曖昧にされてしまっているが、文明圏の人々であろうが、太平洋の島々の人びとであろうが、権力の側でない庶民は「長年にわたって自殺」などしようとはしていないのだ。

しかし庶民は「長年にわたって殺されている」。全面的な核戦争は起こらなかったが、地球上のいたるところで、とくにいわゆる文明圏でない地域で、原爆より小規模な、しかし残忍な破壊力を持つ兵器によって、大量に人間は殺されている。殺された人間は、セフィロトの木に登ろうとして、掟を乱したから地獄機械のようにひっくり返ってしまい転落していったのではない。地獄機械、という言葉を使うのなら、それはあらゆる兵器を製造し、使用するように仕向ける体制そのものを指して使うべきだろう。

 いま私は小林正一という物理学者の言葉を思っている。

「神に依り頼まぬ者は必ず倒れるということを物理学者が明確に把握しなくてはいけないと思う。・・・・物理学者と技術者が国から何と言われようとも原爆の制作を拒否したら、どうしても原爆は存在しなくなるはずのものである。しかしそれには十字架を負う覚悟が必要である」
(『聖国への旅__小林正一・郁子遺稿追悼集』一九八六年九月)
『主に負われて百年___川西田鶴子文集』(二〇〇三年二月新教出版社)より

小林正一という物理学者は一九八三年九月大韓航空機撃墜事件で郁子夫人とともに亡くなったキリスト者である。

 今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2016年9月9日金曜日

大江健三郎『「雨の木(レイン・ツリー)」の首吊り男』___「自殺」という首吊りの方法

 連作短編集『雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち』の第三作目で、第五作目「泳ぐ男__水の中の雨の木(レイン・ツリー)」に次ぐ長さの小説である。短編、というより短い中編といったほうがいいかもしれない。作家の「僕」が半年ほどメキシコに滞在して、当地の「学院(コレヒオ)」で客員教授をしていた時の体験に基づいて書かれている。

 内容は平易でわかりやすい。小説の発端は、帰国した「僕」が、カルロスという男が癌に冒されたという噂を聞いて、衝撃を受ける場面である。カルロスは学院で事務をとるかたわら「僕」の通訳をしてくれたペルー人で、メキシコに亡命してきた日本文学の研究者だった。彼は研究者といっても、アカデミズムよりは作家個人のゴシップに関心をよせる人物で、何より肉体的な苦痛を恐れていた。もしも癌に冒されることになったら、苦痛のきわみで苦しむよりは首を吊って死にたい、と言っていたのである。

 カルロスはまた、作家の「僕」に「首吊り」による自殺願望があることに関心を寄せていた。カルロスと「僕」は「首吊り」というキーワードでつながっていたのである。メキシコ・シティーを去るとき、「僕」はカルロスがHAIKUと呼ぶ次のような詩作を残したのだった。
 Without you,
   I would have hanged myself
   Under a bougainvillaea shrub.

 物語には、「僕」とカルロスを中心に、カルロスを脅かす彼の元妻セルラさん、大使館員を名告って「僕」の前に飄然と現れる山住さんが登場する。カルロスの共同研究者、というより実質的な研究はセルラさんが主体だったが、彼女は山住さんを使って「僕」を動かし、カルロスがセルラさんとよりを戻さなければ、亡命者の政治セクトに命を狙われる、と思い込ませようとしたのだ。だが、『僕」がカルロスとセルマさんの軋轢を心配している余裕はなくなった。日本に残してきた障害をもつ息子が、思春期の訪れにともなう失明、という事態に陥ったことがわかったのだ。

 太平洋を越えてはるか彼方の日本からかかってきた国際電話で息子の失明を知らされて、「僕」は何もできない、しない、という「退行現象」に陥ってしまう。アパートの先住者が残していった「カラヴェーラ」と呼ばれる骸骨人形に囲まれて、マンゴーだけを食べながら外の世界と隔絶して、四日間ベッドに横たわったままだった。

 「僕」と連絡がとれないのを不審に思った山住さんがアパートを訪れて、「僕」は現実に復帰したのだが、山住さんが仕切った酒宴の主人公に祭り上げられて正体もなく酔いつぶれてしまう。そればかりか、山住さんのトラブルに巻き込まれて黒服の日本人会社員の二人連れに痛めつけられ、挙句の果ては、いかがわしい曖昧宿に連れ込まれて、娼婦たちの嬲りものになる。

 というドタバタが語られ、結局「僕」は任期半ばで日本に帰ることになる。帰国にあたって学院で開いてくれたパーティの席で、カルロスは「僕」にフィチヨル・インディアンのつむぎ糸絵画を贈ってくれた。それは絵画の中央に大きな木が描かれ、なおかつ登場する人物のひとりが首を吊っているように見えるものだった。「僕」はその絵を見て、描かれている木をみずからが「雨の木(レイン・ツリー)」と呼ぶ宇宙樹としてとらえ、このような木の下で、絵に描かれているのと同じように、生涯の師匠(パトロン)の立ち合いのもとに首を吊ることができたら幸せであろう、という感想を述べた。

 それに呼応して、カルロスが言った言葉が前述のように、自分もまた同じようなことを考えている。肉体的な苦痛を何より嫌がる自分が、もし癌だとわかったら、インディアンから手にいれた、幸福感のうちに死にむかうことのできる薬草を噛んで、首を吊りたい。自殺を許さないカトリックの妻の監視を逃れて、首を吊るのによい木が生えているペルーまで同行してくれる人をさがしておきたい、というものだったのである。

 以上のように、この小説はストーリーが分かりやすく、起承転結が整っていて、よくまとまった中編小説のようにみえる。ある種の要領の良さはあるが、軽薄で享楽的な美男のカルロスと、学究的な能力は高いが容貌の醜い先妻のセルマさん、カルロスのファンクラブだが故国の体制にはっきりと批判的な亡命者の女たち、プロフェソールと呼ばれながら、事あるとエキセントリックで幼児的な対応しかできない「僕」、「オペラで不吉な情報を伝えるために舞台にあらわれる密偵めいた役どころを連想させる」山住さん、など魅力的な人物が登場する。ストーリーの展開が面白いので、すらすら読めるのだが、最後までいって、はて、この小説は何だろう?と思ってしまう。何が腑に落ちないのだろうか、と考えてみると、「僕」がカルロスに揶揄されるほど一貫して「首を吊る」ことにこだわった理由が私にはわからないのだ。

 敢えて乱暴な言い方をすれば、大江健三郎の文学のテーマは「首吊り」と「強姦」である。この二つのテーマのどちらかが取り上げられない作品はほとんどないのではないか。『万延元年のフットボール』のように、二つとも存在する作品ももちろんある。そして、とくに「首吊り」についていえば、作者の関心は、それを方法として選ぶ自殺の動機にあるのではなく、「首を吊る」という行為そのものにあるように思われる。強姦について、いま詳しく検討する余裕はないが、「不必要な強姦、あるいは不自然な強姦」がプロットの中に組み込まれることが多いように思われる。

 私は、大江健三郎が一貫して「首吊り」にこだわる理由がわからないので、後年彼が「魂のこと」にこだわり「救い主」にこだわる理由もまたわからない。「魂のこと」は小説の主題たりえるだろうか。「救い主」もまた然り。その中間の「アンチ・キリスト」なら小説の主題たりえるように思う。素人の独断と偏見だけれど。

 この小説は連作短篇集の中央に位置する作品だが、「雨の木(レインツリー)」は宇宙のメタファーというより、首吊りの木であり、前作との関連は薄いように思われる。前作に登場した高安カッチャンもペニーも登場しない。おそらくこれは、作者のメキシコ滞在の経験に基づく独立した短編(もしくは中編)を連作短篇集に組み込んだものではないか。だが、そのことが連作集にどのような意味をもつのかはよくわからない。次作「さかさまに立つ雨の木(レイン・ツリー)」には再びペニーが登場し、高保カッチャンの遺児ザッカリー・K・タカヤスが人気音楽グループのリーダーとして紹介され、「雨の木(レイン・ツリー)」はセフィロトあるいはクリフォトという名の「生命の樹」としてイメージされる。

 もう少しまとまったことを書こうと思って悪戦苦闘したのですが、力及ばず、でした。未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
   

2016年8月12日金曜日

大江健三郎『雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち』「雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち」____「暗喩(メタファー)」としての「雨の木(レイン・ツリー)」___三角関係という宇宙モデル

 前作「頭のいい雨の木(レイン・ツリー)」から一年十か月経って「雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち」が発表された。本作は、「僕」の「友人にして師匠(パトロン)というのがあっている」音楽家のTさん(これはあきらかに武満徹のことである)が作曲した「雨の木(レイン・ツリー)」の演奏を聴いて、「僕」が涙を流すところから始まる。「雨の木(レイン・ツリー)」の話を書きながら、その中では一言も触れなかった人物__高安カッチャンが常用したことばであり、、彼の存在そのものがそうであったような「悲嘆_griefとルビをふられた気分」から逃れられなかったのである。

 だが、高安カッチャンと彼の妻ペニー(正確にはペネロープ・シャオリン・タカヤス__この名前もまた様々な連想をよぶのだが)、そして「僕」の奇妙な「三角関係」がかたちづくるエピソードを語る前に、「僕」がその演奏を聴いて涙を流した「雨の木(レイン・ツリー」という曲及び「雨の木(レイン・ツリー)」そのものについて考えてみたい。

「雨の木(レイン・ツリー)」という曲は実際にユーチューブで聞くことができる。三本のトライアングルから始まり、1台のヴィブラフォンと2台のマリンバからなる演奏は、繊細にして霊妙、というほかない。この曲の楽譜のはじめに「頭のいい雨の木(レイン・ツリー)」中のアガーテのことばが引用されているので、直接にはその部分からインスピレーションを受けたのだと思われる。「雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち」では英文だが、ここでは「頭のいい雨の木(レイン・ツリー)」の日本語原文を書き出してみる。

  「雨の木(レイン・ツリー)」というのは、夜なかに驟雨があると、翌日は昼すぎまでその茂りの全体から滴を滴らせて、雨を降らせるようだから。他の木はすぐ乾いてしまうのに、指の腹くらいの小さな葉をびっしりとつけているので、その葉に水滴をためこんでいられるのよ。頭がいい木でしょう。

 アガーテのことばは、実在する「雨の木」について説明しているようで、「僕」もそのようにうけとっているが、一方で狂人の幻想のようでもある。「雨の木(レイン・ツリー)」そのものも、前作では、ほんとうにパーティ会場となった精神病者の施設にあったかどうかも曖昧なまま小説は終わっていた。だが、本作では、アガーテのことばを媒介にして、「暗喩(メタファー)」としての「雨の木(レイン・ツリー)」は作曲家のTと「僕」に「宇宙モデル」として共有されている。「暗喩(メタファー)」としての「雨の木(レイン・ツリー)」___私にはいまひとつ、わかった、といえないものがあるのだが、作者はこのように説明している。

 そして僕がこの小説で表現したかったものは、その「雨の木(レイン・ツリー)」の確かな幻であって、それはほかならぬこの僕にとっての、この宇宙の暗喩(メタファー)だと感じたのである。自分がそのなかにかこみこまれて存在しているあり方、そのありかた自体によって把握している、この宇宙。それがいまモデルとして、「雨の木(レイン・ツリー)」のかたちをとり、宙空にかかっているのだと。

 「確かな幻」という日本語にもどうしても異和感を覚えてしまうのだが、「この宇宙の暗喩(メタファー)」という「雨の木(レイン・ツリー」がこの後、「三角関係」に結びつけられる次第に絶句してしまう。作曲家自身が演奏の前に「僕は三角関係に興味を持っているんですよ」といったのは、演奏者が女ひとりと男二人であることの解説につながるものだったと思うが、「僕」は演奏を聴きながら、「雨の木(レイン・ツリー)」の暗喩(メタファー)が三人の男女によって具体化されてもいると感じた、とある。三段論法的にいえば、宇宙_雨の木(レイン・ツリー)_三角関係、となる。? 「雨の木(レイン・ツリー)」という曲が「トライアングル」から始まるのも作曲のための必然だけではなかったのかもしれない。

 三角関係の一人であり、主役である高安カッチャンは「僕」の大学の同級生だった。ただの誇大妄想狂か天才か、もしかしたらその両方だったかもしれない。ハワイ大学のセミナーに参加した「僕」の前に現れた時、すでに彼は人生の敗残者のたたずまいだった。アルコールと薬物中毒で衰弱し、「外目にも見てとれる重たげな外套のような悲嘆をまといこんでいるのであった。」と書かれている。

 高安カッチャンをめぐる三角関係は二つ語られているのだが、そのどちらも「宇宙モデル」とは程遠いように思われる。ひとつは、高安カッチャンと「僕」の共通の友人であり、白血病で死んだ斎木と高安カッチャンと電鉄会社系大資本の一族の娘の話である。高安カッチャンを愛している大資本の娘を金主にして、斎木とカッチャンで大資本の「文化的前衛」として英・仏二国語の国際誌を出そうというものだった。彼はそれに「大河小説」を書いて掲載する予定でもあった。だが、高安カッチャンのいうところによれば、斎木が娘に熱中し、娘がそれをうるさがったため、計画は破綻した。次善の作として、彼と斎木と二人で娘を共有して事業を継続しようとした高安カッチャンの提案は受け入れられなかった。

 もうひとつの三角関係とは、「僕」と高安カッチャンと彼の妻ペニーの関係である。彼は泥酔してハワイの「僕」の宿舎を訪れる。妻のペニーを高級コールガールと偽って、三百ドルで「僕」に売る、という。「僕」にその気がないのを見てとった彼は、暗闇の中とはいえ、「僕」の目の前でペニーと性交しようとする。実際にしたのかもしれないが。そして、契約だから三百ドル払え、と難癖をつける。難癖をつけること自体が目的だったのかもしれない。「僕」はペニーに三百ドル渡し、高安カッチャンは、ペニーからかすめた三百ドルを最後に「僕」に返してきたのだが、それは「僕」に密輸の片棒をかつがせるというもので、「僕」を罠に嵌めたのであった。

 ハワイから帰国後ペニーから手紙がくる。ペニーは少女時代香港の空手映画の主演女優で、いまはハワイ大学の聴講生でマルカム・ラウリーの研究をしているという。アルコール症で自己破壊してしまったマルカム・ラウリーと妻のマージョリーとの関係を、自分と高安カッチャンの関係になぞらえるペニーは、日本語の文体に不安がある高安カッチャンと「僕」が合作して小説を書いてほしいと頼んできたのだった。ペニーの語る高安カッチャンの大河小説の構想とは、白血病で死んだ斎木がその妻にのみ語っていたものとまったく同じものだった。__現代世界の運命打開に責任のある秀れた男女たちが、宇宙のへりでの鷲の羽ばたきに感応して、地球上で行動をおこす、という・・・・・・

 「僕」が「頭のいい雨の木(レイン・ツリー)」を発表した後、ペニーから再び手紙がくる。高安カッチャンがアルコールと薬品を重ねたあげく、事故で死んだのだ。自分が彼の死に関して潔白であることを述べた上で、彼女は高安カッチャンのことばをつたえる。あの小説(「頭のいい雨の木(レインツリー)」)のアイデアは自分のものであり、「雨の木(レイン・ツリー)」の暗喩は自分のことを指すのだ、と。

 だが、ペニーは、小説中の巨大な樹木が単なる暗喩だとは思わない。実際にある「雨の木(レイン・ツリー)」の下で、その水滴の音を聞きながら、高安のことを考えていたいので、どの施設がモデルなのか教えてくれ、という。これからは、自分とプロフェッサー(と呼ばれる「僕」)だけが高安を記憶しつづけるだろう、とも書いて、「高安の小説」の鷲の羽ばたきの構想を「僕」が使うことを「許可」するのである。

 高安カッチャンをそれほどまでに信じるペニーとは何だろう。「この現代世界には私らのような女がいるのだ」というが、「私らのような女」とはどんな女なのか。狂気は高安カッチャンではなくてペニーなのか。語り手の「僕」は狂気でないのか。

 さて、この「奇妙に捩れたかたちの、いわばひずんだ球体に描いた三角形」の三角関係がいったい、どのようにして、「宇宙モデル」になるのか。「自分がそのなかにかこみこまれて存在しているありかた、そのありかた自体によって把握している、この宇宙」という「僕」の定義にしたがえば、ここに描かれている地球上の様々な、決して高尚とはいえない人間関係はそのまま「宇宙モデル」ということになろうか、とも思うのだけれど。

 思えば八十年代は「宇宙ブーム」の時代だった。すでに七十年代後半にアニメの分野で松本零士が「宇宙戦艦ヤマト」「キャプテン ハーロック」「銀河鉄道999」の連載を始め、TVドラマ化されていた。「機動戦士ガンダム」が始まったのも七九年だった。この「宇宙ブーム」についていうべきことはあるのだが、長くなるのでそれはまたの機会にしたい。ただこれらの作品が、「銀河鉄道999」を除いて、ほとんどがいわゆる「戦争もの」だったことは記憶しておきたい。

 八十年代とは何だったのか。

 相変わらず未整理な文章です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

   

2016年8月4日木曜日

大江健三郎『雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち』「頭のいい雨の木(レイン・ツリー)」__「80年代」とは何だったか?

 やはり今でも『晩年様式集』について書けなくて、あるいは書かないで、留保の状態を続けている。そしてもう一度、私が大江健三郎の作品を読むきっかけとなった『雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち』を読み直している。読み直しても、最初に読んでわからなかったことがわかるようになった、とはとてもいえないのだが。

 『雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち』は、五つの短編からなる連作短篇集である。昭和五五年一月号の《文學界》に「頭のいい雨の木(レイン・ツリー)」が発表された。以下《文學界》昭和五六年十一月号「雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち」、《新潮》昭和五七年一月号「雨の木(レイン・ツリー)の首吊り男」、《文學界》昭和五七年三月号「さかさまに立つ雨の木(レイン・ツリー)」、《新潮》昭和五七年五月号「泳ぐ男__水のなかの「雨の木(レイン・ツリー)」とあわせて昭和五七年七月に『雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち』として新潮社から出版された。五つの短編は、「雨の木(レイン・ツリー)」という記号は共通しているが、その主題と方法は必ずしも同じではないようで、わかりにくさの一因はそこにあるのかもしれない。

 第一作「頭のいい雨の木(レイン・ツリー)」は昭和五五年一月_一九八〇年の幕開けに発表された。この小説をいま、この時点で取り上げることに、何とも形容しがたい心地わるさを覚えるのだが、これは、精神病を病む人たちが起こしたミニ・クーデターの話なのである。主人公の「僕」はハワイ大学のセミナーに参加し、ある晩そのスポンサーが経営する精神病の民間治療施設で催されたパーティに招かれる。ホーキング博士を思わせる車椅子の建築家が登場し、客として招かれていたアメリカ人の詩人と論戦するのだが、実は建築家を含め、パーティの主催者側と思われていた人たちは、みな精神病の人たちだった。患者たちが看護婦と警備員を縛り、地下室に閉じ込めていたのである。暗闇の中で「頭のいい雨の木(レイン・ツリー)」を見に「僕」をつれ出した「アガーテ」と呼ばれるドイツ系アメリカ人もその一人だったのだ。

 「僕」が見たのはパーテイ会場の外に広がる闇を埋めつくすような巨木の板根だけだった。夜中に降った驟雨をその葉の窪みにためて、次の昼すぎまで滴らせるので「頭のいい雨の木(レイン・ツリー)」だとアガーテはいう。そういうことが可能な木があるのだろうか?アガーテは「雨の木(レイン・ツリー)」の板根の間に椅子を置いてそこから「馬上の少女(ア・ガール・オン・ホースバック)」と自ら題する幼女期__「本当に恐ろしい不幸なことは起こっていなかった頃」と彼女はいう___の肖像画を眺めることがあったらしいのだが。

 ここにさしだされる「雨の木(レイン・ツリー)」とは何か。次作「雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち」の中では「宙に架けるようにして提示した暗喩(メタファー)」としている。さらに四作目「さかさまに立つ雨の木(レイン・ツリー)」では、ユダヤ教のカバラにいうセフィロトあるいはクリフォトの暗喩となるのだが、第一作「頭のいい雨の木(レイン・ツリー)」が発表されてから二作目との間には一年十カ月の間隔がある。最初からそのような構想のもとに「雨の木(レイン・ツリー)」を提示したとは思えないのだ。

 確かなことは、「僕」が精神病の人たちが開いたパーテイ会場の「ニュー・イングランド風の古く大きい建物」__それは「はてしなく天上へ向けて上昇する構造をそなえた」と形容される__の外の暗闇が「巨きい樹木ひとつで埋められている」と思ったこと、そして、最後までその姿を見ることがなかった、と書かれていることである。それからもうひとつ、パーティの主催者が精神病の患者だったことがわかって、「僕」を含む客たちが一目散に逃げ出すときに、頭のいい「雨の木レイン・ツリー)」の方角から「およそ悲痛の情念に躰がうちがわから裂けるような、大きい叫びとしての女性の泣き声」を聞いたことである。

 大江健三郎は80年代の幕開けに、ハワイというアメリカ本土と異なる風土、歴史をもつ、しかし紛れもなくアメリカである島の狂人の家で起こった出来事を書いたのである。「雨の木(レイン・ツリー)」というより、この出来事自体が状況の「暗喩」だったのではないだろうか。パーティは島の狂人の家で開かれる。その家は「はてしなく天上へ向けて上昇する構造をそなえた」もので、住人(収容されている人)は各々個個の「位置」を割り当てられている。このことが意味する具体的な現実がどのようなものであるか、あるいはあったか、ということは未だに私のなかで揺らいだままなのだが。

 あまりに長い間書かないでいると、書くことがどうでもよくなってしまいそうで、苦しんでいます。何でもいいから書いてみた、の見本のような文章ですが、最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2016年6月23日木曜日

映画『静かな生活』伊丹十三と大江健三郎____『晩年様式集』読解の助走として

  『晩年様式集』についていつまでも考えている。

 『日常生活の冒険』の斎木犀吉、『懐かしい年への手紙』のギー兄さん、そして『取り換え子』から『晩年様式集』にいたるまでの塙吾郎、それらのモデルはあからさまに伊丹十三である。『晩年様式集』では、その三者をもう一度作品中に呼び戻し、しかもそれらの人物と長江古義人あるいはKちゃん、いや大江健三郎その人かもしれない人物との関係を「ちゃぶ台返し」にしているように見える。

 何故、3.11フクシマの後、この作品が書かれなければならなかったのか。大江健三郎はそれまで書いていた長編小説を中絶してこの小説にとりかかった、としている。3.11と『晩年様式集』との関係を探るために、ここでは、伊丹十三をモデルとする人物は作品中に登場せず、伊丹十三本人が監督、制作した映画『静かな生活』と、原作となった大江健三郎の短編集『静かな生活』を比べながら、「ちゃぶ台返し」の意味について考えてみたい。探索の手がかりをつかめる確信はないのだが。

 映画『静かな生活』は、原作の短編集をほぼ忠実になぞっているように見える。世界的に有名な作家の家族の物語である。作家の父が外国の大学に招かれ、母も同行する。脳に障害をもって生まれたイーヨーと姉のマーちゃん、弟のオーちゃんの三人が、子供たちだけで生活する。子供たちといっても、一番年下のオーちゃんが浪人生、という設定なので、イーヨーもマーちゃんもすでに成人である。

 小説も映画もイーヨーの性の目覚めが周囲に微妙な波紋を投げかけることから始まっている。性の目覚め、といっても、原作ではイーヨーは性的な話題から潔癖に遠ざかる人物として描かれ、もっぱら機能的に成熟した、というように記されている。それに対して映画では、原作にないお天気お姉さんが登場し、イーヨーは彼女にひそかに思いを寄せ、淡い失恋の痛みを味わうことを思わせる場面がある。

 映画と原作とのささいな差異は、そもそも、作家の父が招かれた大学が、原作では米カリフォルニアにあるのに対し、映画ではオーストラリアのシドニーとなっていることである。そんなに大した違いとは思われないが、なぜ、カリフォルニアではいけなかったのか。どちらも作家の「ピンチ」をのりこえるために必要な樹木のある避難場所とされているのだが。オーストラリアは、地図で見るとかたちが作家の郷里である四国に似ているからだろうか。

  それから、これも大した意味はないかもしれないが、子供たち三人が暮らす家が、映画では海が見える閑静な住宅街にある。原作は、はっきりと「成城学園前」と駅名を記しているが、「成城学園前」付近で海の見える場所はないだろう。小説もフィクションだが、映画はさらに小説をフィクショナイズしたものである、ということを象徴したのだろうか。

 映画の中で起こる出来事はおおむね原作と同じである。家に毎日水を届けに来る得体のしれない狂信者めいた男が、実は幼女を襲う連続事件の痴漢だったこと。幼女を襲っているのがイーヨーかもしれない、というマーちゃんの心配が杞憂だったこと。イーヨーが「すてご」というタイトルの曲をつくったことから、マーちゃんやKの親友でイーヨーの作曲の先生の「重藤さん」(これも映画ではなぜか「だんとうさん」となっている)が子供たちを置いて外国に行った作家のKに憤慨すること。

 その他、重藤さんの奥さんが、ポーランドの作家や詩人への弾圧に抗議するビラを来日したポーランド国家評議会議長のヤルゼンスキ氏に手渡そうとして、パニックに陥った警官に突きとばされれ、鎖骨を折る怪我をしたこと。ビラは、動けない奥さんのかわりに重藤さんとイーヨー、マーちゃん、オーちゃんの四人でレセプションのパーティ会場から退出する代表団の一行にもれなく配ったこと。満員電車の中でイーヨーが発作を起こし、女子中学生に「おちこぼれ」と罵られたこと、など。だが、ここでは、「すてご」というタイトルでイーヨーが作曲したことについて考えてみたい。

 イーヨーは、自分たち姉弟が両親から棄ててられた、という思いで「すてご」というタイトルをつけたのではなかった。マーちゃんや重藤さんはそう思ったのだが、福祉作業所の仲間が(映画ではイーヨー本人になっているが)公園清掃のとき棄てられた赤ん坊を見つけ、保護したことがイーヨーの記憶にあり、「すてごを救ける」曲をつくったのだった。その経緯を聞き出したのはイーヨーのお祖母ちゃんだった。四国の谷間の村でKちゃんの兄の葬儀があり、マーちゃんと一緒に参列したイーヨーはお祖母ちゃんとと作曲の話をしたのだ。

 この部分は原作をほぼ忠実に映像化している。お祖母ちゃんがイーヨーと話しているときに、マーちゃんはフサ叔母さん(Kちゃんの妹)から、Kちゃんが小さい頃、アシジのフランチェスコが水車小屋に現れて、すぐさま自分を連れていくのではないかと惧れた話を聞いているところも同じだ。だが、原作にあって、映画が省いたフサ叔母さんの一言が、映画と原作の決定的な違いを明らかにしている。「すてご」の由来を聞いてフサ叔母さんはこう言ったのだ。「もしこの惑星の人間みなが棄て子だったとすれば、イーヨーの作曲のあらわしているものは、なんだか壮大な規模だわねぇ!」

 映画にはイーヨー(本人)が棄て子を見つけ抱き上げているシーンがある。そのシーンの後にフサ叔母さんの前述のセリフがあったら、イーヨーは「この惑星の人間みな」を救う「壮大な規模」のヒーロー(もしくはアンチ・ヒーロー)になってしまう。伊丹十三はそういう「壮大な規模」の作品にしたくなかったのだ。

 連作短編集『静かな生活』の中で、作者の大江がかなりの頁をさいてこだわっているのが、「キリスト」、というよりむしろ「アンチ・キリスト」の問題である。映画『案内人(ストーカー)』(原作はストロガツスキー兄弟の『道傍のピクニック』)、エンデの『モモ』、『はてしない物語』、セリーヌの『リゴドン』、そしてブレイクの詩が縦横に引用される。『静かな生活』のテーマは、これ以降の作品で「魂のこと」として明確に主題としてあつかわれる「救い」__現実の日常生活の中で「救い」はどのようにもたらされるか、ではないだろうか。そして「救い」をもたらす存在は、決して誰の目にもそれとわかるヒーローではありえないということ。

 満員電車の中でイーヨーが発作を起こすシーンについていえば、映画では発作を起こしたイーヨーは一方的に庇われる存在として描かれているが、原作では、発作を起こして苦しみながらイーヨーは、マーちゃんを守ろうとして庇ったのだった。それから起こったマーちゃんの思いを大江健三郎はこのように書いている。

 そのうち、私の胸のなかに、___もしかしたらイーヨーはアンチ・キリストのように邪悪な力をひそめているかも知れない。たとえそうだったとしても、私はイーヨーについてどこまでも行こう、という不思議な決心が湧いてきたのだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 それでも私の躰をつらぬいて光が放射されるように、続けて起こって来るのはあきらかに邪悪な強い歓喜で__私はこの世界の人間のうちもう兄と自分自身のことしか考えなかったから__ひとつ向こうのフォームから出ていく特急のレールの音にまじって、ベートーベンの第九とはくらべることもできないが、やはり一種の「歓喜の歌」が聞こえるのを、自分の頭のすぐ上にあるイーヨーのふっくらした耳と一緒に、私は勇気にあふれて受けとめるようであったのだ。

 これは明らかに、『燃え上がる緑の木』のサッチャンの原型だろう。

 後半イーヨーの水泳のコーチとして登場する新井君は、『雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち』中の「泳ぐ男___水のなかの雨の木(レイン・ツリー)」の玉利君だろう。保険金殺人で多額の金を手にした疑いをもたれている新井君がマーちゃんを強姦しようとする。原作はその行為を、慎重に、(あるいは巧妙に?)「どこか本気か冗談かわからない、それでいて・またはそれゆえに、過剰な露骨さに誇張されたものだった」とするが、映画では新井君はあきらかに「悪い人」である。新井君にいいように嬲られているマーちゃんをイーヨーが救う。

 映画ではイーヨーとマーちゃんが力を合わせて新井君をやっつける。新井君のマンションから裸足で飛び出したマーちゃんが土砂降りの雨のなかマンションの駐車場で泣き崩れ、イーヨーがマーちゃんを支えて抱擁する。そこへ新井君がマーちゃんの帽子やバッグ、靴などを持って現れ、それらを投げ出して駆け足で戻るのだ。アンチではなくて、颯爽としたヒーロー・イーヨーの誕生である。観客は「脳に障害をもちながらも」音楽の天分に恵まれ、悪漢新井君をやっつけるイーヨーと、イーヨーに助けられたマーちゃんに感情移入してカタルシスを味わう。折からオーストラリアの母から国際電話があって、「パパがピンチを乗り越えた」という報告を受ける。メデタシ、メデタシの予定調和の世界である。

 原作はもう少し複雑である。マーちゃんは一人でマンションから飛び出し、大声で泣いた後、イーヨーを凶暴な新井君のもとに置き去りにしてしまったことに気が付いて、水泳クラブのメンバーに助けを求めに戻る。「アンズのかたちの目をした」女の子と見まがうような顔の新井君は、「マーちゃんに近づくな」と警告した重藤さんに蹴りを入れて肋骨を折ってしまう(この部分は映画と原作は同じ)ほど、徹底的にやる人なのだ。ところがそこに、イーヨーが、マーちゃんの残した荷物と傘を持った新井君に「つきそわれて」歩いて来るのだ。「大丈夫ですか?マーちゃん!私は戦いました!」とマーちゃんに声をかけるイーヨーと新井君の間には微妙な親和性がほのめかされている。

 連作短編集『静かな生活』文庫版の解説を伊丹十三が『「静かな生活」映画化について』と題して書いている。「話すように書」いたこの文章は、自己嘲弄と韜晦に満ちていて、私にとって読むのがつらいものがあった。伊丹十三は何より大江の文学の深い理解者である。饒舌をよそおった書きぶりを裏切って誠実なメッセージが直につたわってくる。

 伊丹十三は、大江がこの作品以降テーマとする「魂のこと」としてこれを映画化しなかった。映画『静かな生活』のナラティブは映画の定型を敢えて外した、と伊丹十三は書いているが、立派に定型を完成している。「この世で一番美しい魂を持ったイーヨーと、一生イーヨーに寄り添って生きて行こうと決心した二人の波瀾万丈の体験の物語』として。「品が良くて、毒があって、美しくて、見終わったときに生きるための静かな力が湧いてくるような映画」__大衆に消費されるエンターテインメントとして十分である。原作にまったくない「お天気お姉さん」まで登場させるサービス精神だ。

 私は独断と偏見の持ち主だから山田洋二の「寅さんシリーズ」が大嫌いである。だが、映画『静かな生活』はそれよりも好きになれない。私は『静かな生活』以外の伊丹十三の映画を見たことがないのだが、いったい彼は監督として何がしたかったのか。
 
 ところで、DVDを何回か見直すうちに、この映画の登場人物は、痴漢騒ぎの野次馬のおじさんまでも、ほとんどチェックの服を着ていることに気づいた。マーちゃん、重藤さん、その奥さん、オーちゃん、パパも、タータンチェック、マドラスチェック、グレンチェック、ギンガム、ダイヤ柄など、さまざまなチェックが登場する。チェックを着ないのはママと新井君だけである。イーヨーは横縞を着ていることが多いが一回だけチェックの服を着て出てくることがあったと思う。服だけでなく帽子、バッグ、水着、カーテン、クッションまでもチェックである。なんとなく気分に触ってくるものがある。

 それから、これもささいなことなのだが、映画の中で市松模様(これもチェックの一種だろうが)が、奇妙なところに使われているのに気がついた。海が見える道路のガードレールと新井君のマンションの駐車場の舗装(?)である。ガードレールは水色と白で、マンションの駐車場は黒と白である。おそらく特殊撮影なのだろうが、なぜこんなところに市松模様を使うのか。

 というわけで『晩年様式集』読解の助走どころか、準備体操にもなっていないありさまです。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

   

2016年4月23日土曜日

三島由紀夫『禁色』__三島由紀夫とは何者だったのか

 三島由紀夫の『禁色』について、いつまでも考えている。書くことはたくさんありそうで、さて、何をどう書いたらいいのか迷っている。ひとことでいったら思弁的、形而上学的装いの通俗小説である、と評したくなる誘惑にかられている。あるいは、複雑かつ巧妙にカモフラージュされたモデル小説である、とも。

 物語の発端は檜俊輔という老齢の作家が美少女に懸想し、袖にされたことから始まる。美少女康子に執着する俊輔は、彼女の後を追って海辺のさびれた観光地で、南悠一という美青年に出会う。アポロンのようなこの美青年は女を愛することができないのに、持参金目当てで康子と結婚することになってしまった。腎臓病の母親をかかえ、没落した家の家計を支えなければならなかったからである。

  悠一の告白を聞いた俊輔は彼に持参金以上の金を与え、その上で康子と結婚させる。俊輔は自分を愛さなかった康子を女を愛することのできない悠一と結婚させ、不幸にしたかったのだ。そして、俊輔が不幸にしたかったのは康子だけではなかった。夫と組んで彼を美人局の罠に陥れた鏑木伯爵夫人、彼の愛を受けいれなかった穂高恭子、この三人の女が悠一を愛することによって、俊輔から復讐されるのである。「醜さ」のゆえに女から愛されない青春を送った作家俊輔は絶世の美青年南悠一という「作品」を操って女への復讐を企てたのだ。

 中でも最も残忍な仕打ちを受けるのは穂高恭子である。俊輔の描いたシナリオ通りに悠一に誘惑された恭子は、悠一と思いこんで暗闇の中で俊輔に犯され、一夜をすごしてしまう。何故彼女がこうまでされなければならないのかその理由は明らかではない。俊輔は「あんな目に会わせるだけの悪いことはしていない女なんだ」といいながら「あの女はこの事件を境にひどく身を持崩すだろう」と予言するのである。

 康子と鏑木夫人の不幸は複雑である。女を愛さない夫との間に子を生んだ康子は、夫が「作品」から「現実の存在」になったときに、ほんとうの「不幸」になる。悠一は同性愛が露見すると、それを取り繕うために鏑木夫人の力を借りる。だが、悠一が同性愛であろうがなかろうが、康子にとっては、もはやどうでもよいことだった。この間の機微を三島はこう書いている。

 「しかるにすでに康子は自若としていて生活の中に腰をおちつけ、渓子を育てながら、老醜の年齢まで、悠一の家を離れない覚悟を固めていたのである。絶望から生まれたこんな貞淑には、どのような不倫も及ばない力があった。
 康子は絶望的な世界を見捨てて、そこから降りて来ていた。その世界に住んでいたとき、彼女の愛はいかなる明証にも屈しなかった。・・・・・・・・
 その世界から降りて来たのは、何も彼女の発意ではない。・・・良人として多分親切すぎた悠一は、わざわざ鏑木夫人の力を借りて、妻をそれまで住んでいた灼熱とした静けさの愛の領域から、およそ不可能の存在しない透明で自在な領域から、雑然とした相対的な愛の世界に引きずり下ろしたのである。・・・・・そこに処する方法は一つである。何も感じないことである。何も見ず、何も聴かないことである。
 ・・・・(康子は)自分にたいしてすら敢然と愛さない女になった。この精神的な聾唖者になった妻は、一見はなはだ健やかに、派手な格子縞のエプロンを胸からかけて良人の朝食に侍っていた。もう一杯珈琲はいかが、と彼女は言った。やすやすとそう言ったのである。」

 康子は『仮面の告白』の園子をはるかに超えて、正真正銘の悪女となったのだ。
 
 鏑木夫人の場合は、さて、彼女は不幸になったのか。それとも幸福になったのか。あるときは単独に、あるときは夫と組んで背徳をかさねた彼女は悠一に殉愛を捧げる。同性愛の夫と悠一の現場を見てしまってもその愛は変ることがない。悠一も失踪した彼女からの手紙に感動して「僕はあの人を愛している。・・・僕が女を愛しているんだ!」と思う。だがその愛は、少なくともこの世のものとしては、成就することはない。ラスト近く二人は連れ立って伊勢、志摩の海に浮かぶ賢島に旅行する。そこでプラトニックな一夜を明かすことで鏑木夫人は悠一への愛を永遠のものとしたのである。まるでエーゲ海のほとりで語られる神話のように。

 悠一と三人の女たちとの関係は、美と愛をキーワードに語られる。それは、虚実皮膜論の皮のような危うさを含んでいる。絶対にありえないリアルさ、とでもいったらいいのだろうか。それに比べて、悠一と男たちとの関わりはリアルそのものである。そのキーワードは「金」と「権力」である。檜俊輔は悠一を愛して、彼に莫大な遺産を残して自殺する。鏑木伯爵は夫人に去られて生活の糧を失い、悠一に捨てられる。産業資本家であり有能な経営者の河田は悠一への愛に溺れそうになる自分を守るために多額の手切れ金を悠一に渡して別れる。悠一自身は、これら年上の男たちを愛することはない。彼が愛するのは、彼と同じように若くて美しい男である。そしてその愛はすべて一回的な愛である。

 檜俊輔の女たちへの復讐譚として始まったこの小説は、途中から俊輔の「作品」としてつくられた美青年南悠一の物語となる。アポロンの塑像から血の通った野心的な青年へと悠一は成長していく。その過程が観念的でありながらも精緻な心理分析とともに語られるのだが、これが敗戦からそんなに月日を隔てていない昭和二十六年に書かれた小説であることに驚いてしまう。朝鮮動乱を経て、ようやく庶民が食べ物に困らなくなったこの時代に、鏑木夫人は悠一に「プラム入りの温かいプディング」をつくって食べさせるのである。不夜城と化すナイトクラブ、同性愛の外人のたむろする大磯の「ジャッキー」の家などの描写は、日本の上流階級は敗戦の打撃など受けなかったのだろうか、と思ってしまうほど豪奢である。三島由紀夫は庶民と隔絶した別世界の出来事をほとんど痛みなく書いていく。いったい三島由紀夫とは何者だったのか。何のためにこの小説を書いたのか。

 この小説は、作中人物のそれぞれにモデルがいて、当時の読者にはそれを特定することが容易だったのではないだろうか。鏑木伯爵や河田、あるいは一場面だけ登場する製薬会社社長の松村など、それぞれに経歴や地位が書かれているので、大体のところは察しがついてしまう。不思議、というか複雑なのは檜俊輔で、そのモデルは誰でも思い浮かぶ文豪だろうが、私見ではそれは一人ではない。いや、モデルは何人いてもいいし、そのうちの一人は三島由紀夫自身かもしれないのだが、問題は作品中とはいえ、俊輔を自殺させてしまっていることである。小説が書かれて二十年近く経って、最初に三島が死に、それから文豪が不可解な死を遂げたことをいま現在の私たちは知っている。メビウスの輪のように、現在と過去と未来がよじれて繋がっていて、時間がゆがんでいるような感覚にはまってしまう。

 いったい三島由起夫とは何者だったのか。

 まだまだ書かなくてはならないことがあるのですが(この作品以降繰り返される「覗き見」と「火事」のモチーフについてなど)、長くなるのでまた次の機会にしたいと思います。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2016年3月28日月曜日

映画『恋人たち』___「映画」という文法

 去年の暮れにカメラマンをしている息子から薦められて、はやく見ようと思っていた『恋人たち』という映画をやっと見ることができた。もう都心の映画館では上映しているところがなく、やっていたのは「深谷シネマ」というNPO法人が運営している地方の、映画館というより民俗資料館みたいな外観のこじんまりした施設だった。観客はどれくらいいただろうか。でも、すばらしい映画だった。そして複雑な映画だと思った。いまでも消化不良の部分がいくつもある。

 あらすじはもう紹介するまでもないだろう。妻が連続通り魔殺人の被害者として殺され、やり場のない怒りにとらわれて、そこから脱け出すことのできない若い男(アツシ)、狭い借家で姑と同居しながら一人になると少女趣味のアニメと小説を書いている皇室オタクの中年女(瞳子)、同性愛だがエリート弁護士を絵にかいたような四ノ宮、この三人を中心にそれぞれの日常が丁寧に、優しく、どこか渇いたタッチで描かれる。

 大きな事件は起こらないのだが、ちょっとした事件はいくつか起こる。瞳子は偶然の出会いから実はチンケな詐欺師だった男に白馬の王子様を夢みて家出する。四ノ宮は何ものかに階段から突き落とされ右足を負傷する。それだけでなく、生活をともにしていたパートナーに去られ、ひそかに思いを寄せていた親友にも何故か関係を断たれる。物語が始まる前にすでに決定的な事件が起こってしまったアツシは、生活破綻の一歩手前の状況だ。

 三人の日常に起こる出来事は、かならずしも因果関係があきらかではないけれど、それぞれそれなりの結末を迎える。どうしても自分の殻を敗れなかったアツシは職場の前の埠頭で行われた夜のバーベキューで笑顔を見せ、彼を支えてくれた片腕の上司が焼いた魚を食べる。男と一緒に養鶏場をやろうと家出した瞳子は夢破れてもとの日常に戻るが、家の中の空気は微妙に変わっている。

 この二人にはささやかな救いが用意されているが、最も救いがないように見えるのが弁護士の四ノ宮だ。右足の傷は癒えてギブスは外されるが、愛する者に去られて彼の心は傷ついたままだ。人格が崩壊しつつある彼は、依頼人にきちんと向かい合うことができない。妻を殺した犯人に対して民事裁判を起してくれと頼むアツシの必至の訴えにも、これ以上やると四ノ宮自身が傷つくからやめよう、と取り合わない。離婚しようと思っていた夫への愛を涙を流して訴える女子アナのことばをうわの空で聞いていて、自分の思いにひたっている。そして、絶交を告げた親友がくれた万年筆が転がるのを見て涙を流すのだが、それを依頼人から「うれしい!先生、私のために泣いてくれたんですね」と誤解される。誤解されることが救いになるとは何という皮肉だろう。そうやって、それでも日常が流れていく、ということか。

 ごく普通の、弁護士の四ノ宮以外は、あまり豊かとはいえない人々の日常を丁寧にすくい取って映像は流れるが、ときに?と思われるシーンが挿入される。皇室オタクの瞳子がパート仲間と「雅子さん」を見に行ったときの様子をビデオで撮ったと思われる映像がでてくるが、これを撮ったのは誰だろう。ふだんの瞳子はいつも素顔だが「雅子さん」を見に行ったときの彼女は(パート仲間もそうだが)毒々しいまでの口紅をつけてカメラに手を振っている。この映像が何回か繰り返し出てくるのだ。

 最後に日常に戻った瞳子がテレビのスイッチを入れると、彼女にインチキな水を売りつけた女が皇族の名を騙って結婚式を挙げた事件が報道されている。アツシの上司は、皇居にロケットを飛ばそうとして自分の腕を飛ばした話をする。アツシに「笑っちゃうよね」と語りかける彼の笑顔の底の一瞬の陰惨な表情が凄いが、「俺サヨクだったから」という自己紹介は年齢的に見てどうしても無理があると思われるので、なぜそんな作り話?をしたのかわからない。ちくりと喉にささったトゲがいつまでも取れないような感触が残るのだ。

 他にも取れないトゲはいくつかあって、それぞれ結構重要なトゲだと思うのだが、それはあまり言葉にしたくないような気がする。最後に、この映画で一番印象的だったシーンについてひとこと。それは瞳子が家を出る前にお風呂場を洗うシーンである。瞳子は、ステンレスのどう見ても高級とはいえない浴槽をしっかりと泡立て洗っている。もう出て行く家なのに。幸せな暮らしをしていたとはいえない家なのに。それでも彼女はきれいにして家を出たいのだ。なんとも切なくて、この監督はどうして女の気持ちがこんなにわかるのかと思った。女の私が言葉をみつけられないのに。

 複雑で消化不良で、どうしても言葉で伝えきれないもの、それが日常であれば、そんな日常をそのまますくい取ろうとするところに映画の文法がある、そんなことをこの映画を観て思った。私が非力でうまくこの映画のすばらしさを伝えきれないのが残念です。

 大江健三郎の『晩年様式集』について書きたいのですが、どうしても集中できずグズグズしています。寄り道ばかりしているとあっという間に今年も終わってしまいそうなので、なんとか書く時間を見つけたいと思っています。今日も出来のわるい感想文を最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2016年2月28日日曜日

橋本治『三島由紀夫とはなにものだったのか』___「父」と「天皇」そして「女」を語らない自分史

 のっけから随分辛口のタイトルとなったが、この評論はおもしろかった。ひとつには、著者の橋本治が私とほぼ同世代で、ともに学生運動の嵐が吹き荒れる中で青春時代(歌の題名みたいであまり使いたくない言葉だが)を過ごしたからである。

 橋本治は当時現役バリバリの東大生で、のみならず「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く」というポスターの作者としても知られている。だが、しかし、彼は、このポスターの文句から当然うかがわれるように、全共闘の活動家ではなかった。そして、私は、というと、すでにブログの中で何回か述べたが、「ホー・チミンってフランスの女優さん?」と訊ねたように、政治といわず世の中の状況にまったく無知だった。何をしていたか?生涯あの四年間だけは二度と繰り返したくないし思い出したくもない会社勤めと、そして、ほとんど確実におとづれるであろう破局の予感のなかで恋をしていたのである。「三島由紀夫」は私にとって何の関係もない存在だった。いま、あれから四十年が過ぎて、「三島由紀夫」がそこにいて、「橋本治」と私が向きあっていることにつくづく人生の不思議を感じる。

 橋本治は三島の作品を精緻に分析して三島を語る。当たり前のようだが、そうではない。作品をそっちのけにして語られることがおかしくないほど、「三島由紀夫」は特異な存在だった。とりわけその唐突で不可解な死を遂げた後はそうである。だが、私は三島の死から演繹して彼の作品を語るべきではないと思う。『豊饒の海』のラストと三島の死を結びつけて論じるのはルール違反だ。この点で、私は橋本治の論の立て方に納得できないものがあるのだが、彼の同性愛を主軸にすえた作品論はすぐれたものだと思う。同性愛というものに関心の薄い私は、この評論を読んで「そうなのか~」と教えられることが多かった。でも、よくわかっていないと言わざるを得ないのだけれど。

 実は、この本の中で一番おもしろかったのは、最後の最後に「補遺」として書かれた「恋すべき処女__六世中村歌右衛門」の章だった。ここには三島由紀夫の「最愛の女優」といわれた六世中村歌右衛門と、三島由紀夫、そしてそれを論じる橋本治のすべてが炙り出されている。いろいろすごい言葉が並んでいるが、私が最も興味深かったのは「彼(歌右衛門)は、自分が演じようとする「女」が信じられないのである」という一文である。もちろん、こう言っているのは橋本治である。「六世中村歌右衛門」を論じて、論の対象との距離が近すぎる三島より、橋本治のほうが核心をついたものがあるように思われる。

 本論の中で取り上げられる作品は主に『仮面の告白』と『豊饒の海』、『禁色』、『午後の曳航』などである。先に述べたように、橋本治は三島の内部に入り込んで、三島の同性愛を中心に作品分析を組み立てる。それは、そのように読むことはもちろん可能で、おもしろいのだが、読んでいくうちに何だか「おもしろうて やがてかなしき」という気分になってきてしまう。その原因は、ことばにできるものとしては、この評論があまりに自己完結的だからだと思う。橋本治が自己完結的、三島由紀夫が自己完結的・・・・・三島由紀夫が自己完結的な作家であったことは疑いないことだったから、それを語る橋本治は自己完結的に語ったのか?いや、そうではなくて、橋本治は三島由紀夫のなかに、自分自身と同じ「自己完結的」という共通の資質をみいだし、なかば無意識のうちにそれを頼りに三島の文学の鉱脈をまさぐろうとしたのではないか。

 しかし、橋本治が三島の鉱脈から掘り出してきたものよりもっと豊かでエネルギッシュな、自己完結をつきやぶろうとするデーモンが三島にはある。三島の文学で重要なテーマでありながら、橋本治が触れなかったもの、それは「父」であり「天皇」であり、そして「女」である。

 橋本治は三島と「男」の関係については詳細に論じる。執拗に、といってもよい。だが、三島と「父」については全く触れないのである。『午後の曳航』は、「父」となった母親の愛人を主人公の少年が殺す小説であるが、橋本治はその中でこういう文章を引用している。

《ところでこの塚崎龍二といふ男は、僕たちみんなにとっては大した存在じゃなかったが、三號にとっては、一かどの存在だった。少なくとも彼は三號の目に、僕がつねづね言ふ世界の内的關聯の光輝ある證據を見せた、という功績がある。だけど、そのあとで彼は三號を手ひどく裏切った。地上で一番わるいもの、つまり父親になった。これはいけない。はじめから何の役にも立たなかったのよりもずっと惡い。》

 何故「父親になる」ことが即「地上で一番わるいもの」になることなのか。塚崎龍二という男は「小柄だが、逞しく迫りだした胸毛の生えた胸板を持ち、女に向かって雄々しく男根をそそり立てる男」だから殺されたのではない。「父」と呼ばれる存在になったから殺されたのである。

 もうひとつ『禁色』の隠されたテーマも「父殺し」であると思う。『禁色』についてはもっと読み込んで作品論を書いてみたいので、くわしくは述べないが、実に魅力的な教養小説、もっとわかりやすくいえば成長小説である。主人公の美青年南悠一は「父」に擬せられたメフィストフェレス檜俊輔という老作家を自殺というかたちで死に追いやり、のりこえて行く。莫大な遺産も手にする。

 橋本治は「父」を語らないので、当然「天皇」を語らない。『英霊の声』はもちろん、『憂国』も取り上げない。『憂国』は昭和三五年雑誌『中央公論」に深沢七郎の「風流夢譚」が掲載されることを知って、性急に執筆されたともいわれている。ここで詳しく述べる余裕はないが『金閣寺』もまた、「父」と「天皇制」が隠されたテーマであると私は考えている。

 そして最後に、橋本治は「女」を語らないのである。作家三島由紀夫の「祖母」を語り、「母」を語る。作品中の「母なる存在」についても語っている。「女方」については前述のように優れた考察がある。だが、「女」は不在なのだ。三島由紀夫に「女」は不在だったか。とんでもない。以前「面白すぎる純文学___三島由紀夫『仮面の告白』』というブログでも書いたように、三島の小説は魅力的な女_悪女に満ち満ちている。『仮面の告白』の園子、『禁色』の康子、『豊饒の海』の聡子、どれもすばらしい悪女たちではないか。

 私が一番驚いたのは、橋本治が『仮面の告白』の園子を「日本文学史上最も魅力のないヒロインである。」といってのけたことである。橋本治はよほど園子が嫌いらしく、「性的な抑圧が強くて偽善的__典型的な中産階級の娘である。なんの魅力もない」とダメを押す。ほう~!小説とは読み手によってこんなにもちがう捉えられ方をするのか。私は女で、そしてミーハー偏差値抜群なので、自分が園子になりかわったような気持ちでこの小説を読んだ。園子のようなことがあったらどんなにすてきだろう、と胸をドキドキさせながら読んだ。そう、橋本治のいうように、女は恋愛小説が好きで、私は女だから、この小説を、とくに園子が初々しい人妻となって「私」と再会してからラストまでをすばらしい恋愛小説として読んだのである。

 だから、最後に園子が「私」に「女を知ったか」ということをたずねたときの「私」とのやり取りについて、私は橋本治と決定的に異なった解釈をする。長くなるが、重要な場面なので、橋本治が引用するより少し前からぬきだしてみたい。

 とはいえこの場の空気が、しらずしらずのうちに園子の心にも或る種の化学変化を起させたとみえて、やがてそのつつましい口もとには、何か言い出そうとすることを予め微笑で試していると謂った風の、いわば微笑の兆しのようなものが漂った。
「おかしなことをうかがうけれど、あなたはもうでしょう。もう勿論あのことはご存知の方(ほう)でしょう」
 私は力尽きていた。しかもなお心の発条のようなものが残っていて、それが間髪を容れず、尤もらしい答えを私に言わせた。
「うん、・・・・・・知っていますね。残念ながら」
「いつごろ」
「去年の春」
「どなたと?」
 ___この優雅な質問に私は愕かされた。彼女は自分が知っている女としか、私を結びつけて考えることを知らないのである。
「名前はいえない」
「どなた?」
「きかないで」
 あまり露骨な哀訴の調子が言外にきかれたものか、彼女は一瞬おどろいたように黙った。顔から血の気がひいていくのを気取られぬように、あらん限りの努力を私は払っていた。

 橋本治はこのやり取りで、園子の追及を字義通りにとらえている。自分よりいい女が「私」の前にあらわれ、「私」はその女と交渉をもった。その女が誰か知りたくて園子は執拗に追求している、というのが橋本治の解釈である。そうではないだろう。園子はまっすぐにきいているだけだ。そして「私」の嘘を女の直感でみぬいているが、なんの衒いもなく思ったことを言葉にしているだけなのだ。いうまでもなく、それは彼女がすでに「女」でなおかつ自然で伸びやかな「女」だったからだ。もっといえば、その「女」を満たそうとしない「私」に焦れているからだ。

 何だかこれ以上書いていくと、ミーハー度満開の「女を語る自分史」になってしまいそうである。評論とは「他人をダシにして自分を語ること」だといった人がいたが、まさにそうなのかもしれない。著者には不本意かもしれないが、私はこの本を橋本治の自分史として興味深く読んだ。ここに語られている複雑な、そして自己撞着的な議論をじゅうぶん理解できたとはとても思えないが、そういう筋道もあるのだ、という発見をした。何より、もう一度三島を読みたい、と思うきっかけがあたえられたことに感謝している。

 ほんとうは大江健三郎の『晩年様式集』について書かなければ、と思っているのですが、もうひとつ集中できず、三島論に寄り道してしまいました。不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

   

2016年1月9日土曜日

大江健三郎『水死』___「をちかへり」考___「ウナイコという戦略」拾遺

 『水死』について、これ以上書くこともない、というか書けることもないのだが、一つだけ前回「ウナイコという戦略」で書き残したことを書いてみたい。『水死』のヒロイン、反・時代精神の女優ウナイコ「ウナイコ」が「ウナイコ」と呼ばれるようになったくだりで引用される古歌の解釈の問題である。

 郭公(ほととぎす)をちかへり鳴けうなゐこが打ち垂れ髪のさみだれの空   

 平安初期の三十六歌仙と呼ばれる凡河内躬恒の作。躬恒は古今集の撰者であるが、これは拾遺集に採られている。ホトトギスは、「時鳥」と書いて田植えの時を告げる鳥といわれる。梅雨の季節の到来に、今こそ鳴いて田の事を始めさせよ、の意だが、現代の語感では「をちかへり」がなかなか難解である。

 折口信夫は「若水の話」という論文の中で「をつ」について述べている。「をつ」は沖縄の言葉「すでる」と同意義であって、「すでる」が動物の変態をいう言葉だとする。蝶や鳥、蛇など胎生でない動物がいったん死んだようになって、姿を変えて活動を始める、その様子が「すでる」_「をつ」だという。古代の人はそこに「死と再生」をみた。「をつ」に「変若」という漢字をあてている論文もあったと思う。

 とすれば「郭公(ほととぎす)をちかへり鳴け」は死した郭公(ほととぎす)に生き返って鳴け、と呼ばわっているのではないか。もともと「ほととぎす」には中国の故事成語から「社宇」「蜀魂」「不如帰」などの漢字があてられることが多い。そこには田事と同時に死と再生、あるいは死者への招魂のイメージがつきまとう。大江健三郎は、その「ほととぎす」に「郭公_かっこう」の漢字を振って、「吾子、吾子」の鳴き声を連想させる。そこから「うなゐこが打ち垂れ髪の」につながっていくのだろうが、この「うなゐこが打ち垂れ髪の」がまた厄介なのだ。

「うなゐこ」が少女をいうことは確かだろうが、「うなゐ」とはどんな髪型だろう。髪をうなゐ_首すじのあたりで切ったものか、それとも首の後ろで結んだのか。大江は『水死』の作中では、首の後ろで結んだものとして書いているが、そうすると、「うなゐこが打ち垂れ髪の」がよくわからない。おそらくこの古歌では、切り下げ髪の少女をいっているのだろう。いずれにしろ「うなゐこが打ち垂れ髪の」は「さみだれの空」に懸かる序詞で意味は問わない、といえばそれまでだが、「ほととぎすをちかへり鳴け」が「うなゐこが打ち垂れ髪の」と呼応すると、死と再生、夭折した少女、のイメージが立ち昇るのだ。

 そうして、もうひとつ事を複雑にするのが、「うない」という言葉に、厳密にいえば表記は異なるが、「うなひおとめ_兎原乙女」を連想してしまうことである。「兎原乙女」は「真間の手児奈」と同じく各地にある処女塚伝説のヒロインである。美しい娘が二人の男に求愛され、どちらにも身をまかすことなく死んでしまう。処女塚伝説の系譜は大和物語から世阿弥の謡曲をへて、森鴎外の戯曲『生田川』まで続く。ここでも、「うなひおとめ」は夭折した_成女とならないで死んだ人間のイメージ、というより死者そのものなのである。

 「郭公(ほととぎす)をちかへり鳴け・・・・」の歌は複雑、重層的なイメージを喚起する。古義人の母が、孫の髪型に目をとめ、それからこの古歌に言及した、とする大江の記述は奥が深い。

 横道にそれるが、いままで私は大江の日本文学の古典に対する態度にうなづけないものがあった。和泉式部を「足の指が奇形でそのために特殊な足袋を履いていた」という伝承の主として紹介している記述を読んで、怒髪天を突いたことがあった。和泉式部こそは、平安朝といわず日本文学史上の最高の歌人、といってもよい、と私は評価している。高校時代に教科書に載っていた
        性空上人のもとへ、詠みて遣わしける
 暗きより暗き道にぞ入りぬべき はるかに照らせ山の端の月
という歌に出会ったときの衝撃はい今も忘れられない。和泉式部奇形伝説はどこの地方に存在するのか、大江に問い糾したい気持ちであった。

 「うなゐ」も「うなひ」も現代語表記では「うない_ウナイ」となるのも大江の戦略だったのだろうか。それともたんに私が深読みをしているだけなのだろうか。ともあれ、私自身が一度古典のおさらいをしてみたかったこともあって、「をちかへり」と「うない」について考えてみた。

 折口を読んで半世紀近く経つのに、昔と同じく悪戦苦闘しています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。