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2024年6月2日日曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』___十字架と苹果の旅__白い十字架

 『銀河鉄道の夜』に限らず宮沢賢治の作品を読んで、「自己犠牲」をテーマに論じる読者が多い。以前私自身も「ケンタウルス、牛殺し_生の軛」というタイトルでこの作品について書いたとき、カムパネルラの死を「自己犠牲でなく犠牲」として論じた。烏瓜でつくった灯籠を川にながし、「星祭り」という美しいことばでよばれる「ケンタウル村」の祭りに秘められた本質の象徴が「犠牲」である、と仮説をたててみたのだが、それでよかったのかどうか、ジョバンニとカムパネルラの旅を振り返って、もう一度考えてみたい。

 銀色のすすきと青や橙やさまざまな色にちりばめられた三角標の光がちらちら揺れ動くなか、銀河鉄道の小さな汽車が走る。線路のへりに咲いた紫のりんどうの花が次から次へと過ぎ去っていく。ところでこの「三角標」がどういうものなのか、じつは私はよくわからない。銀河鉄道の旅のいたるところに登場するが、どのような標識なのだろうか。

 旅の始まりに、カムパネルラの「母のゆるし」と「ほんたうの幸い」の葛藤を告白されたジョバンニが「「ああ、さうだ。ぼくのおっかさんは、あの遠いちりのやうに見える橙いろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考へてゐるんだった。」と心の中で思っているので、三角標は現実世界の何かに対応するのだろう。

 そして、旅の出発点の前と終着点の後に登場する「天気輪の柱」はもっとわからない。こちらは天上の世界とつながるものを意味すると思われるが、三角標よりイメージをむすぶことが困難である。

 りんどうの花と三角標の列に迎えられて始まった二人の旅が最初に出会ったのは「ぼぅっと青白く後光の射した一つの島」とその平らないただきに立った「立派な目もさめるやうな白い十字架」だった。カムパネルラが「母のゆるし」と「ほんたうの幸い」の葛藤から「ほんたうの決心」を告白すると、俄かに、車のなかがぱっと白く明るくなる。「金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたやうな」きらびやかな銀河のまん中に小島があって、そこに十字架が見える。「それはもう凍った北極の雲で鋳たといったらいゝか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しづかに永久に立ってゐるのでした。」と書かれている。きらびやかにして清浄無垢、荘厳な世界の出現である。

 「ハルレヤ、ハルレヤ。」の声が起こり、乗客はみな十字架に向けて祈る。ジョバンニとカムパネルラも思わず立ちあがる。「カムパネルラの頬は、まるで熟した苹果のあかしのやうにうつくしくかゞやいて見えました。」

 白い十字架と赤い苹果、「ハルレヤ(ハレルヤでないことに注意)」の声と祈り、絵にかいたようなキリスト教の光景である。銀河鉄道の旅の基調にあるものが、キリスト教の世界であることは多くの人が指摘するもので、私も異論はないが、あえて、ひとこと言えば、この場面で描かれる「キリスト教」の世界は、あまりにも完璧に予定調和のそれである。「キリスト教」の象徴として「十字架」は、こんなに清浄無垢で荘厳、もっと言えば無機的に輝く存在だろうか。

 イエスの十字架は、この上なくむごたらしく血にまみれた実在の杭である。そのことを十分理解していたと思われる賢治は、なぜ十字架をこのように描いたのか。

 おそらく、賢治がこの十字架(白鳥座の北十字星のことであると言われる)を荘厳無垢に描いたのは、ここを、誰も足を踏み入れることなく、ひたすらな祈りがささげられる対象として措定したからではないか。旅人たちは「しづかに永久に立ってゐる」十字架に祈る。だが、汽車は止まることなく、乗客はみな車内で祈りをささげ、白鳥の島が「絵のやうになって」ついにすっかり見えなくなってしまうと、旅人たちは「しづかに席に戻り」、ジョバンニとカムパネルラも、「胸いっぱいのかなしみに似た新しい気持ちを、何気なくちがった詞で、そっと談し合ったのです。」

 白鳥座の十字架から、南十字星の十字架まで、銀河鉄道は走る。じつは十字架、というか十字架を暗喩するものは旅の途中でもあらわれ、それは非常に重要な問題を提起しているものだが、それについては、また回をあらためて考えてみたい。私見では、物語の後半に登場する「橄欖の森」がそれであると考える。また、苹果、とくに「燈台看守」が配る「金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果」についても考察を試みたい。どちらも、容易に作者の肉声を聞くことが拒まれているような気がして、難問である。カムパネルラの死と、タイタニック号の乗客の死、そして、蠍の死、これらと、十字架、苹果の両義的で複雑な関係を解きほぐす糸口だけでもみつかればいいと思っている。

 ここまで書いてきて、誤解のないように、あえて、いわずもがなのことを言っておきたい。私はこの作品をキリスト教のプロパガンダとして読むつもりはまったくない。他の宗教も同様である。それは、決して賢治の本意ではなかったと考える。根源的でありながら複雑で矛盾に満ちた生の本質に迫り、その過程での実践を模索するために、賢治は書き続けたのだと思っている。

 相変わらずまとまらなくてたどたどしい文章です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2024年5月23日木曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』__カムパネルラという存在とその消失の意味するもの__「母」のゆるしと「ほんたうの幸い」

  『銀河鉄道の夜』について、以前「ケンタウルスー牛殺しー生の軛」というタイトルで投稿した。そこで繰り広げたテーマは核心の一部をついていた、という自負はないではないが、この複雑で重層的な作品のより重要な部分を取り残してと感じるもどかしさがあって、それが何か、言葉につむぎだせにままに無為に五年の時が流れてしまった。

 五年の間に断続的に、初稿から最終稿まで増補、削除の大胆な編集を経てきたものを順不同で読んできた。そのいずれの稿にも共通しているのは、「カムパネルラ」の存在であり、その突然の消失である。主人公ジョバンニは気がついたら銀河鉄道に乗っていて、そこにはすでにカムパネルラがいた。そして、カムパネルラが消えると、ジョバンニは銀河の夢からさめて、もとの草の上で胸を熱らせ、つめたい涙をながしていたのだった。「カンパネルラ」とは何か。

 カムパネルラのモデルについてはさまざまなことがいわれているが、重要なのはモデル探しではなく、「カムパネルラ」」という存在が作品の中で、とくにジョバンニとのかかわりにおいて、どのように描かれているかを検討していくことだろう。

 カムパネルラは作品冒頭「午後の授業」の章の登場する。銀河について先生に指名され、立往生しているジョバンニを慮って、カムパネルラはわかっている答えを答えなかった。裕福な家庭に育ったカンパネルラは、父親の書斎から「巨きな本」をもってきて、「ぎんが」の美しい写真をジョバンニに見せてくれたのだから、答えられないはずはない。その時一緒に写真を見たジョバンニだって銀河を知らないわけではなかったのに、このごろのジョバンニは学校の前後にする労働がつらくて、授業中ぼぉっとしている。ジョバンニは病気の母親の面倒をみながら、不在の父親に代わって働かなければならないのである。

 ジョバンニは活版所で活字拾いをして一日銀貨一枚をもらうのだが、現場でひそかな冷笑の対象となっている。それだけでなく、学校の仲間からもからわれ、いじめられている。カムパネルラはそんなジョバンニを気の毒そうに見ているが、積極的にかばってくれるわけではない。カンパネルラとジョバンニは父親同士が友達だったようで、ジョバンニは父親が一緒にいたときは、父親に連れられてたびたびカンパネルラの家に寄った、とある。ジョバンニとカムパネルラは、そこでレールを七つ組み合わせて円くした線路の上をアルコールで走る汽車で遊んだこともあったのだが。

 「ケンタウル祭」とよばれる「銀河のお祭り」の日、ジョバンニは病気の母親が飲む牛乳が届かなかったので、牛乳屋にとりにいく。空気は澄みきって町は美しく飾られ、子供たちは楽しそうに遊んでいるが、途中で会ったいじめっこのザネリに、「ジョバンニ、お父さんから、らっこの上着が来るよ。」と嘲笑されたジョバンニの心は沈んでいる。そして、牛乳屋にいくと、「赤い目の下をこすりながら」あらわれたどこか具合が悪いような年取った女の人に、いまは誰もいないので、後にしてくれと言われてしまう。

 牛乳屋の台所から出たジョバンニは町で再びザネリに合う。ザネリはまたさっきと同じように「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。」と叫び、今度は一緒にいた同級生の子たちも続いて叫ぶ。そのなかにカムパネルラもいたのだった。カムパネルラはだまって、ジョバンニを気づかっているようだったが、みんなと一緒に口笛をふきながら、橋の方へ歩いて行ってしまう。「なんとも云へずさびしくなって」ジョバンニはいきなり走り出し、町を離れて「黒い丘の方へ」向かう。

 以上の経緯は「午後の授業」の教室での出来事を除いて、第三次稿と第四次稿に共通しているが、第三次稿により詳しい。ジョバンニの父親が密漁船に乗っていて、誰かを怪我させて監獄に入っているという噂があること。そのためにジョバンニはいじめっこのザネリにからかわれ、同級生から疎外されていること。母親は生活のために無理な労働をして体をこわしてしまったこと。母親の面倒をみながら働くジョバンニの労働のつらさ。それらが具体的に生き生きと描かれているが、第四次稿とくらべて、より多く精緻に記述されているのが、カンパネルラへの思いである。

 牛乳屋で「今日はもう牛乳はない」と断られたジョバンニの悲しみは

(今日、銀貨が一枚さへあったら、どこからでもコンデンスミルクを買って帰るんだけれど。ああ、ぼくはどんなにお金がほしいだろう。青い苹果だってもうできてゐるんだ。カムパネルラなんか、ほんたうにいいなあ。銀貨を二枚も運動場で弾いたりしてゐた。
 ぼくはどうしてカムパネルラのように生まれなかったらう。カムパネルラなら、ステッドラーの色鉛筆でも何でも買へる。それにほんたうにカムパネルラはえらい。せいだって高いし、いつでも笑ってゐる。一年生のころは、あんまりできなかったけれども、いまはもう一番で級長で、誰だって負ひつきやしない。...)

と、カムパネルラへの羨望にかわっていく。そのカムパネルラまでが、ザネリたちと一緒に口笛を吹いて遠ざかっていってしまう。それを見たジョバンニはいきなり走りだして、町を離れ、黒い丘に登っていく。丘の上のつめたい草に寝て、ジョバンニは天の川を見ながら考える。

 (ぼくはもう、遠くへ行ってしまひたい。みんなからはなれて、どこまでもどこまでも行ってしまひたい。それでも、もしカムパネルラが、ぼくといっしょに来てくれたら、そして二人で、野原やさまざまの家をスケッチしながら、どこまでもどこまでも行くのなら、どんなにいいだらう。...ぼくはもう、カムパネルラがほんたうにぼくの友だちになって、決してうそをつかないなら、ぼくは命でもやっていい。...)

 だが、第三次稿で縷々と綴られるジョバンニのカムパネルラへの切ない思いは、最終稿ではばっさりと切り捨てられ、カムパネルラその人の姿が現実的に描かれる。最終稿に登場するカムパネルラはいつも「気の毒さうに」しているが、ジョバンニをかばってくれるわけではない。カムパネルラは「だまって少しわらって」いじめられているジョバンニが自分のことを「怒らないだらうかと」見ているだけだった、とある。何もしないことでいじめに加担しているカムパネルラの姿を等身大に描写しているのだ。

 そのカムパネルラが銀河鉄道に乗っている。ジョバンニより先に乗っていたらしく、ぬれたようにまっ黒な上着をきて、窓から頭を出して外を見ていた。カムパネルラは「銀河ステーション」でもらった黒曜石でできた地図と切符も持っているので、正式な乗客である。銀河鉄道の「小さなきれいな汽車」に乗って、ジョバンニとカムパネルラの旅は始まる。現実に存在していたジョバンニとカムパネルラの距離は一気に縮まって、カムパネルラはジョバンニの唯一の確実な同行者になったのだ。

 カムパネルラがジョバンニにまず訴えたのは「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだらうか。」ということだった。カムパネルラは、母がほんとうに幸いになるためなら何でもするが、いったいどんなことがほんとうの幸いなのか、わからない、という。そして、誰でも、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸いなのだ、と。「ほんたうの幸い」と、物語の終盤で議論される「たったひとりのほんたうのほんたうの神さま」を探して、銀河鉄道は走るのだが、その出発点は「母のゆるし」である。

 「おっかさんが、ほんたうに幸いになるなら、どんなことでもする。」と「泣き出したいのを、一生けん命こらへてゐる」のが、現実に病気の母を支えているジョバンニでなく「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの。」といわれるカムパネルラであることに注目しなければならない。

 「母」と「ゆるし」と「ほんたうの幸い」を探すためにカムパネルラはジョバンニの同行者となった。だが、「ほんたうの幸い」とは何か、という問いは物語の中空につるされたまま、カムパネルラは「みんなが集まっているきれいな野原」「ほんたうの天上」にいる「おっかさん」に吸い込まれていく。はたしてカムパネルラは「ゆるされた」のか。それとも、「ゆるし」か否かの次元をこえた無限の磁場が「天上」の「おっかさん」には存在するのか。

 カムパネルラについては、旅の出発点と終着点に触っただけなので、まだ書かなければならないことが少なからずあるが、長くなるので、また回を改めたい。とくに、最後に登場して、「黒い服を着てまっすぐに立って右手に持った時計をじっと見つめて」「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」とその死を宣告する「父」の存在とその意味も考えなければならない。そこまで辿りつけるかどうか、かなり心もとないのだが。

 書かなければ何も考えなかったことと同じになるので、なんとか文章にしています。今日も不出来な作文を読んでくださってありがとうございます。

 

2023年7月30日日曜日

宮澤賢治『飢餓陣営』__国家の超克とキリスト教への接近__オペレッタで語る極限状況

  宮澤賢治『飢餓陣営』について、いつまでも考えている。

 「コミック オペレット」と注がついた一幕物の戯曲である。主人公の名をとって「バナナン大将」という題名のものが一九二二年六月に作られ、翌一九二三年五月、花巻農学校が県立となった開校式の日に上演された。賢治は当時この農学校の教師であり、記念としてこの劇と、もうひとつやはり自作の『植物医師』という劇を、みずから演出し生徒を俳優にして上演している。県立高校として出発する開校式の舞台で演じられたこの二つの劇はかなり不穏な要素がおりこまれているが、観客はどのように鑑賞したのだろうか。

 『植物医師』のあらすじは、上官を殴って退職した元役人が、枯れた陸稲をもって次々相談に来る農民たちに生半可な知識で亜ヒ酸を売りつけ、亜ヒ酸で陸稲を全滅させてしまうのだが、なぜか農民たちは元役人を許してしまう。「一年旱魃の事もあるから」、と全滅の陸稲をあきらめるのである。「植物医師」をかたる「爾薩待正」という不思議な名前の元役人の軽薄な詐欺師ぶりと、「医者さんもあんまりがおれないで、折角みっしりやったらよがべ」と「植物医師」をゆるしてはげます農民の不気味な諦念が印象的である。「郷土喜劇」と名付けたこの戯曲の農民のセリフは徹底して方言が用いられている。

 戯曲『飢餓陣営』は、餓死寸前の兵士たちが大将が身につけた勲章を食べてしまうという奇想天外な話である。

 舞台は「砲弾にて破損せる古き穀倉の内部、からくも全滅を免れしバナナン軍団、マルトン原の臨時幕営」と設定される。ここに、舞台の左右から曹長、特務曹長を先頭に兵士が六人ずつ登場し、それぞれに大将の不在と自分たちの飢餓を訴え、退場する。一時半、二時、四時、四時半と時が刻まれ、そのつど兵士たちは舞台に現れて空腹を訴え、退場する。状況は変わらず、七時半、八時と夜になって、兵士たちの疲労と衰弱は甚だしいものがある。かろうじて立っていられる兵士たちは

 「いくさで死ぬならあきらめもするが
  いまごろ餓えて死にたくはない
  ああただひときれこの世のなごりに
  バナナかなにかを 食いたいな。」

と合唱して、その後全員倒れてしまう。銅鑼が鳴る。

 そしてバナナン大将が登場する。「バナナのエポレットを飾り、菓子の勲章を胸に満たせり。」といういでたちである。幕営に兵士たちを残して、どこへ行っていたかわからないが、「いったいすこうし飲み過ぎたのだし
 馬肉もあんまり食いすぎた」
と、自分だけたらふく飲み食いしてきたようである。あげく、「つかれたつかれたすっかりつかれた」と言って、真っ暗な中で倒れている兵士たちを「灯をつけろ、間抜けめ。」と罵り、かろうじて立ちあがった彼らをみて「どれもみんなまるで泥人形だ。」と何の同情もない。

 悲惨な状況設定であり、不思議でもある。敗色濃厚な戦場で糧食もなく餓死寸前で「泥人形のよう」になってしまった部下を残して、大将が幕営を後にして出かけたのは何故だろう。食料を調達するために周辺を探したのか。残された曹長と特務曹長は
「大将ひとりでどこかの並み木の
 りんごをたたいているかもしれない
 大将いまごろどこかのはたけで
 にんじんがりがり、かんでるぞ。」
と想像しているのだが、そもそも大将は菓子でできた勲章で身を飾っているのだから、すくなくとも自分は食料を調達する必要はないはずである。

 ともかく、バナナン大将は、自分だけどこかでゲップするまで飲み食いしてきて、眠りこけてしまう。これが「コミック オペレット」と銘打たれた劇の出だしである。敗残の兵士たちの切実な飢餓と対照的な大将の満腹感がリアルに描かれている。だが、同時に大将の勲章が菓子でできている、というあり得ない設定があって、観客はその不条理をかかえたまま劇の進行についてゆくしかない。

 兵士たちは、眠り込んだ大将の勲章を食べたいという欲求を抑えられない。曹長は「大将の勲章を食べるいうわけにはいかないか」と特務曹長に問い、特務曹長は「軍人が名誉ある勲章を食ってしまうという前例はない。」し、「食ったら軍法会議」で「銃殺にきまっている。」と答える。「軍法会議」だの「銃殺」だの、リアルな恐怖をあたえることばだが、そもそも「軍人が名誉ある勲章を食ってしまうという」「前例」がないのではなく、「勲章を食ってしまう」ことが「不可能」なのである。このあたりから、役者が深刻な状況を真面目に演じると、それがそのまま、現実の感覚とちぐはぐでおかしいのだ。

 「不可能」だから「前例はない」のだが、ともかく「銃殺」ということばを聞いて、兵士一同はまた倒れてしまう。そこで、曹長が意を決して、自分一人が責任を被って銃殺されるから、将軍の勲章とエポレットを盗み、一同で食べようと申し出る。すると、特務曹長も自分もいっしょにやって、十の生命の代わりに二人の命を投げ出そうと言い、兵士たちに号令をかけて集合させる。そして勲章やエポレットを「盗む」のはよくないから「もっと正々堂々とやらなくちゃいけない。」と言うのだが、これもなんだかおかしい。「正々堂々と」大将を騙すのだから。

 特務曹長は勲章を拝見といって、バナナン大将に勲章十個とエポレット二個を外させ、自分を含めた兵士一同で食べてしまう。身につけた勲章が全部食べられてしまうまでバナナン大将が気がつかないのは不自然なようだが、舞台上でどんな演出がなされたのだろうか。

 バナナン大将が身に着けていた勲章とその由来は次の通りである。
1・獅子奮迅章。バナナン大将はロンテンブナール勲章ともいっている。インド戦争で受領。ザラメ入り。
2・ファンテプラーク章。シナのニコチン戦役でもらう。
3・チベット戦争でもらった勲章。チベット馬のしるしがついている。
4・普仏戦争の勲章。ナポレオン・ボナパルトの首のしるしつき。六十銭で買ったもの。
5・アメリカの勲章。ニュウヨウクのメリケン粉株式会社から贈られたもの。
6・シナの大将と豚五匹でとりかえたもの。ハムサンドウィッチ(そのもの?)
7・むすこからとりかえした勲章(?)立派なものらしい。
8・モナコ王国でばくちの番をしたときもらった勲章。
9・手製の勲章。
10・アフガニスタンでマラソン競争をして獲得したもの。

 以上、ユーラシア大陸から太平洋をはさんでアメリカまで、バナナン大将は世界中の戦場を渡り歩いて収集したようである。戦闘行為に参加して手にしたものではない勲章も含まれているところがおかしいが、そうやって獲得した勲章はすべて特務曹長の手から兵士たちの胃袋におさまってしまう。さらに

11・イタリアごろつき組合から贈られたジゴマと書かれた勲章は曹長が嚥下し
12・ベルギ戦役、マイナス十五里進行の際、スレジンゲトンの街道で拾った勲章。少し馬の糞がついているもの、とあるのは特務曹長みずから嚥下する。

 最後に、特務曹長はバナナン大将が両肩につけたバナナのエポレットも外させ、十二人の兵士全員で食べてしまう。勲章も肩章もすべて食べられて、はじめてバナナン大将は自分が無一物になったことに気がついて動揺する。一方兵士たちは飢餓から回復すると、罪の意識に苛まれる。兵士たちは「将軍と国家に」おわびの方法がないのでみんなで死のう、という。それにたいして、曹長と特務曹長は、勲章を食べることを発案した自分たちが悪いので、二人が責任を取って死ぬが、他の兵士たちは将軍の指示に従うように言って、号令をかける。

 そして、特務曹長がピストルを出し、
 「飢餓陣営のたそがれの中
 犯せる罪はいと深し
 ああ夜のそらの青き火もて
 われらが罪をきよめたまえ。」
と祈ると、曹長も
 「マルトン原のかなしみのなか
 ひかりはつちにうずもれぬ
 ああみめぐみのあめをくだし
 われらがつみをゆるしたまえ。」
祈り、さらに兵士一同合唱で
 「ああみめぐみの雨をくだし
 われらがつみをゆるしたまえ。」
と祈るのである。

 この祈りの詞は文字で読んでも、「コミックオペレット」には重すぎる印象だが、実際に劇中で歌われた曲を採譜して演奏したものを聞くと、讃美歌あるいは聖歌の響きがある。荘重で、暗く、あきらかにキリスト教の調べなのが異様である。

 特務曹長がピストルを擬して、まさに自殺しようとする。すると、これまで瞑目していたバナナン大将は即座に立ち上がり、特務曹長のピストルを奪う。そして、言う。

 「もうわかった。お前たちの心底は見届けた。お前たちの誠心に比べては俺の勲章などは実になんでもないんじゃ。
 おお神はほめられよ。実におん眼からみそなわすならば、勲章やエポレットなどは瓦礫にも等しいじゃ。」

 餓えと疲労で倒れる寸前だった兵士たちを「泥人形」と罵ったバナナン大将の突然の変化にとまどいを覚えざるをえないが、とまどうのはそれだけではない。「国家と将軍」に死んでわびようとしている兵士たちと、じぶんたち二人の死をもって償いをしようとする特務曹長と曹長に対して、
 「お前たちの誠心に比べてはおれの勲章などは実になんでもないんじゃ。」というバナナン大将の言葉は軍と国家の規範を完全に否定するものである。さらにバナナン大将は
 「おお神はほめられよ。実におん眼からみそなわすならば、勲章やエポレットなどは瓦礫にも等しいじゃ。」
と「神」という概念を至高のものとする価値観を堂々と開陳する。この論理あるいは倫理が県立学校の開校式で上演される演劇で語られるのも異様というべきである。

 兵士たちの祈りのことばにある「つみ」と「きよめ」「ゆるし」にも微妙な違和感を覚える。「きよめ」は「けがれ」と対で使われることが多いが、「つみ」を「きよめ」るのはキリスト教の概念であり、「ゆるし」もまたそうである。

 だから、バナナン大将が「神のみ力を受けて」発明した「生産体操」という果樹製枝法を兵士たちに体現させて、最後の「棚仕立て」でつくった棚の下で「琥珀の実」と「新鮮なエステルにみちた甘いつめたい汁でいっぱい」の果物を収穫する行為は、イエスが五つのパンと二つの小魚で五千人の群衆を満腹にさせたという奇跡と同じ文脈で考えなければならないだろう。

 最後の合唱は
 「・・・・・・・・・・・・
  あわれ二人の つわものは 
  責めに死なんと したりしに
  このとき雲のかなたより
  神ははるかにみそなわし
  くだしたまえる みめぐみは
  新式生産体操ぞ。
  ・・・・・・・・・・・・・
  ひかりのごとく くだりこし
  天の果実を いかにせん
  みさかえはあれ かがやきの
  あめとしめりの くろつちに
  みさかえはあれ かがやきの
  あめとしめりの くろつちに」
と結ばれるが、これも讃美歌98番
 「あめにはさかえみ神にあれや。つちにはやすき人にあれやと」にみるように「あめ」「みさかえ」「つち」と多くの讃美歌と共通の語がつかわれている。先の兵士の祈りの中にある「みめぐみ」もまた讃美歌539番
 「あめつちこぞりて かしこみたたえよ
  みめぐみあふるる 父みこみたまを。」
とキリスト教に特徴的ないいまわしである。

蛇足だが、特務曹長以下兵士が「十二人」というのも象徴的である。実は、特務曹長がバナナン大将に「かの巨大なるバナナン軍団のただ十六人の生存者・・・」というくだりがあるが、兵士十二人とバナナン大将を合わせた人数はどう計算しても十三人で数字があわないのだ。舞台に登場しない三人はどこにいるのだろう。兵士の数を十二人としたのに意味があるのはわかるが、なぜ敢えて、生存者と不一致の人数にしたのかが謎である。

 賢治のここまでのキリスト教への接近は何を意味するのだろう。

 結局何も解決できないで時間ばかり経ってしまいました。時代と賢治を理解する原点に戻ってきたという感じです。暑さと農作業にかまけて、なかなか先にすすめませんが、なんとか時間をつくって読みつづけたいと思っています。未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。

2022年6月23日木曜日

宮沢賢治『注文の多い料理店』______シベリア出兵のナインストーリーズ__「かしわばやしの夜」の謎

  岩手大学名誉教授の米地文夫氏に「宮沢賢治「月夜のでんしんばしら」とシベリア出兵」という論文がある。「啄木短歌・「カルメン」「戦争と平和」との関係を探る」と副題のついた精緻で素晴らしい論文である。米地氏は『注文の多い料理店』におさめられた作品中この「月夜のでんしんばしら」と「烏の北斗七星」について論文を書かれている。そのどちらも、これらの作品に深く影を落とす戦争とのかかわりを解析したものだが、私は賢治が唯一生前活字化した『注文の多い料理店』全体が、つねに戦時下にある当時の日本の状況を暗喩したものだと考えている。

 例によって独断と偏見でいえば、『注文の多い料理店』という作品集は宮沢賢治の「ナインストーリーズ」であると思う。サリンジャーが太平洋戦争の真実を「ナインストーリーズ」で書いたように、賢治は、明治維新というグレートリセット以来日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦そしてシベリア出兵と、戦争が日常であったといっても過言でない日本の状況を童話のかたちで書いたのではないか。といっても、日本の国土が戦場になったのではない。国土に根を下ろして生きていた日本の若者が徴兵されて、海外の戦場で戦わされたのだ。かしわの木が「九十八」本切られてその「足さき」が林の中に残ったように。

 「かしわばやしの夜」は非常に不思議な作品で、難解である。冒頭からの数十行、平易な日本語で書かれている部分がすでにわからない。

 「清作は、さあ日暮れだぞ、日暮れだぞと云いながら、稗の根もとにせっせと土をかけていました。
 そのときはもう、銅(あかがね)づくりのお日さまが、南の山裾の群青いろをしたとこに落ちて、野はらはへんにさびしくなり、白樺の幹などもなにか粉を噴いているようでした。
 いきなり、向こうの柏ばやしの方から、まるで調子はずれの途方もない変な声で、
「欝金しゃっぽのカンカラカンのカアン。」とどなるのがきこえました。
 清作はびっくりして顔いろを変え、鍬を投げ捨てて、足音をたてないように、そっとそっちへ走って行きました。
 ちょうどかしわばやしの前まで来たとき、清作はふいに、うしろからえり首をつかまれました。
 びっくりして振りむいてみますと、赤いトルコ帽をかぶり、鼠いろのへんなだぶだぶの着ものを着て、靴をはいた無暗にせいの高い眼のするどい画かきが、ぷんぷん怒って立っていました。
「何というざまをしてあるくんだ。まるで這うようなあんばいだ。鼠のようだ。どうだ、弁解のことばがあるか。」
 清作はもちろん弁解のことばなどはありませんでしたし、面倒臭くなったら喧嘩してやろうとおもって、いきなり空を向いて咽喉いっぱい、
「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン。」とどなりました。するとそのせ高の画かきは、にわかに清作の首すじを放して、まるで咆えるような声で笑いだしました。その音は林にこんこんひびいたのです。」

 細かいことにこだわるようだが、清作が「さあ日暮れだぞ、日暮れだぞ」と独り言をいいながら農作業をしていた、と書かれていることにまず注目したい。「もう」日暮れだぞ、ではないのだ。「もう」日が落ちて農作業をやめるときがきた、というのではない。「さあ」日暮れになった、と自分に言いきかせている。日が暮れたら、何かが起こることを予期しているのである。

 そして突然、「欝金しゃっぽのカンカラカンのカアン」というどなり声が聞こえる。「清作はびっくりして顔いろを変え」とあるので、この声は清作には予期せぬものであったようだ。声に驚いた清作は、逃げるのではなく、「鍬をなげすてて、足音をたてないように、そっとそっちへ走っていきました」と書かれているが、「そっと走る」のは忍者ならぬふつうの人間には難しい。案の定、清作は赤いトルコ帽をかぶった男に見つかり、その「鼠のよう」なあるき方を「何というざまをしてあるくんだ」と非難される。不思議なのは「弁解のことばはあるか」と男にいわれて「もちろん弁解のことばなどはありませんでしたし、面倒臭くなったら喧嘩してやろうとおもい」清作も「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン」とどなることである。

 いったい清作と赤いトルコ帽をかぶった画かきとはどういう関係なのか。「欝金しゃっぽのカンカラカンのカアン」という声を聴いて清作が顔いろを変えたのはなぜか。そもそも「欝金しゃっぽ」とは何か。清作は欝金いろの帽子をかぶっているのか。それとも清作の髪が欝金いろなのか。あるいは「欝金しゃっぽのカンカラカンのカアン」とは何かの合言葉なのか。私にとって、「欝こんしゃっぽ」は謎のはじまりであり、最後まで解けない謎だった。

 清作が「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン」とどなり返すと、画かきはにわかに機嫌がよくなって「咆えるような声で笑いだし」その声は「林にこんこんひびいた」とある。「せいの高い」「眼のするどい」画かきとは何者か。

 この後画かきと清作は禅問答のような挨拶を交わす。清作の応答によろこんだ画かきは「おもしろいものを見せてやる」といって、林の中に入って行く。

 林の中は清作にたいする悪意にみちていた。それもそのはずで、清作は林の中の柏の木を九十八本も切ってしまったからである。林の中には「しっかりとしたけらいの柏ども」にかこまれて、「大小とりまぜて十九本の手と、一本の太い脚とを持」った「柏の木大王」がいるが、大王は画かきと一緒にやってきた清作のことを「前科九十八犯」の前科者と呼ぶ。だが、清作は「おら正直だぞ」と臆するところがない。自分は山主の藤助に酒を二升買ってあるから、切る権利があるという。山主の藤助がたった二升の酒を受け取ったために、九十八本の柏の木はなんら抵抗するすべもなく切られてしまったのだ。

 ところで、柏の木大王は、清作が柏の木を切った行為そのものにをとがめたのではないようである。山主の藤助に酒を買ったのに、なぜ自分には買わないのかと文句をいうのだ。

 「そんならなぜおれには酒を買わんか。」「買ういわれがない。」「いや、ある、たくさんある。買え。」「買ういわれがない。」

 柏の木大王と清作のこの問答は作品中三回繰り返される。柏の木大王にとって、林の柏の木の命は二升の酒と引き換えになるものなのだろうか。

 林の中の険悪な空気は画かきのことばで一変する。
 「おいおい、喧嘩はよせ。まん円い大将に笑われるぞ。」東の山脈の上に「大きなやさしい桃いろの月」がのぼったのだ。柏ばやしは、若い木も柏の木大王も

 「かしわばやしの よろこびは 
  あなたのそらにかかるまま」

と月への讃歌をうたう。

 ちょっと不思議なのは、柏の木大王が

 「こよいあなたは ときいろの
  むかしのきもの つけなさる
  かしわばやしの このよいは
  なつのおどりの だいさんや

  やがてあなたは みずいろの
  きょうのきものを つけなさる」

と、うす桃いろの月が「むかしのきもの」を着て出てきて、今晩「なつのおどりのだいさんや」に「みずいろの きょうのきもの」に着替える、といっていることである。「むかしのきもの」を着ている月に、若い柏の木たちも

  「あんまりおなりが ちがうので
   ついお見外れしてすみません」

と謝っている。うす桃いろあるいは水色の優美な衣装を着けた月を、画かきが「まん円い大将」と兵隊の位でよぶことにも微かな違和感を感じるのだが、いったい、月は何の表徴なのだろうか。

 柏の木たちの月讃歌によろこんだ画かきは興に乗って「じぶんの文句でじぶんのふしで歌う」歌のコンクールをしようと言い始める。一等から九等まで画かきが書いたメタルをくれるという。白金、きんいろ、すいぎん、ニッケル、とたん、にせがね(?)、なまり、ぶりき、マッチ(?)とあって、最後は「あるやらないやらわからぬ」メタルだそうだが、「書いた」メタルって何のことだろうか。

 画かきがまず、賞品のうたをうたい始めると、柏の木たちは柏の木大王を正面に環をつくる。月も水いろの着ものと取りかえ、あたりは浅い水底のようになる。月影に「赤いしゃっぽもゆらゆら燃えて見え」る画かきは、まっすぐ立ってスタンバイするのだが、最初の小さな柏の木が歌い始めると、なぜか、鉛筆が折れた、といって靴の中で削りはじめる。削り屑で酢をつくるというのだが、出ばなをくじかれてみんな一瞬しらけてしまう。

 それでも、若い柏の木から順々に歌い始めると、画かきはその都度「わあ、うまいうまい」とほめて一等から順に評価を与える。だが、そのうたたるや

 「うさぎのみみはながいけど
  うまのみみよりながくない」

というようなナンセンス、というほどの意味もないようなうたである。きつねや猫、くるみ、さるのこしかけなど、林のなかの生きもののうたが続いて五等賞まで進む。

 そして、六番目に出てきたのは、清作が林のなかに入ろうとしたとき、脚をつき出してつまずかせようとした若い柏の木で、

 「うこんしゃっぽのカンカラカンのカアン
  あかいしゃっぽのカンカラカンのカアン」

とうたう。いうまでもなく、林の入り口で画かきと清作がかわしたやりとりである。画かきはこれを「うまいうまい。すてきだ。わあわあ」とほめるが、清作は当然おもしろくない。

 さらに続く三本の柏の木が、清作が葡萄酒を密造しようとして失敗したことを暴露する。清作の怒りは頂点に達するが、画かきにつかまれて身動きがとれない。柏の木たちももう言うべきことを言いつくしたのか、みんなしんとしてしまう。うんといいメタルを出すから、と画かきに促されて、柏の木がざわついたときに、ふくろうの軍団がやって来る。

 「のろづきおほん、のろづきおほん、
  おほん、おほん、
  ごぎのごぎのおほん
  おほんおほん」

と奇妙な鳴き声のふくろうの集団が、柏の木のあちこちにとまる。清作と会ったばかりの画かきが「野はらには小さく切った影法師がばら播きですね」と言ったのはこの光景だったのかもしれない。その中から、立派な金モールをつけて眼のくまがまっ赤な年寄のふくろうの大将が、柏の木大王の前に出ていう。ふくろうたちはいま「飛び方と握み裂き術の大試験」を終えたところで、「たえなるしらべ」が聞こえてきたのでまかり出てきた。ついては、これから柏の木たちと連合で大乱舞会をやろうと。そして、梟の大将みずからうたい始める。

 「からすかんざえもんは
  くろいあたまをくうらりくらり、
  とんびとうざえもんは
  あぶら一升でとううろりとろり、
  そのくらやみはふくろうの
  いさみにいさむもののふが
  みみずをつかむときなるぞ
  ねとりを襲うときなるぞ」

「黒砂糖のような甘ったるい声で」うたった、とあるがえげつない、不気味なうたである。他のふくろうたちも「ばかみたいに」

 「のろづきおほん、
  おほん、おほん、
  ごぎのごぎおほん、
  おほん、おほん、」

と、どなったのにたいして、さすがに柏の木大王は「きみたちのうたは下等じゃ」と眉をひそめる。そこで、副官のふくろうがとりなして、今度は上等のうたをやるから一緒におどろうと音頭を取る。

 「おつきさんおつきさん まんまるまるるるん
  おほしさんおほしさん ぴかりぴりるるん
  かしわはかんかの  かんからからららん
  ふくろはのろづき  おっほほほほほほん。」

副官のうたで、柏の木とふくろうは息を合わせて大乱舞会をやったのである。

 大乱舞会は実にうまくいったのだが、月はすこし真珠のようにおぼろになった。これもまた、画かきと会ったばかりの清作が「お空はこれから銀のきな粉でまぶされます」と予言された事態かもしれない。そして、乱舞会の成功によろこんだ柏の木大王が


 「雨はざあざあ ざっざざざざざあ
  風はどうどう どっどどどどどう
  あられぱらぱらぱらぱらったたあ
  雨はざあざあ ざっざざざざざあ」

とうたうと、霧が矢のように林の中に降りてきたのである。急転直下の事態に、踊りの途中の柏の木たちは、化石したように硬直したままだが、画かきの姿はなく、赤い帽子だけがほうりだされている。まだ飛び方の未熟なふくろうがばたばた遁げていく音がした。

 林を出た清作が空を見ると、月があったあたりはぼんやり明るく、黒い犬のような形の雲がかけて行き、林の向こうの沼森のあたりから「赤いしゃっぽんのカンカラカンのカアン。」と画かきが叫ぶ声がかすかにきこえる。

 以上作中歌われる不思議な「うた」を中心にあらすじを追いかけてきたが、謎は深まるばかりで、いっこう解ける気配がない。そもそも、振出しに戻って、「清作」とは何か。鍬を持って農作業をしているので、農民なのだろうが、何故柏の木を九十八本も切ったのだろう。切った柏の木をどうするのか。山主の藤助がたった酒二升で伐採を許したのも解せない。また、野原にぶどうをとりに行った清作が「一等卒の服」を着ていた、とうたわれているが、清作は兵隊なのか。

 柏の木大王は、清作を「前科九十八犯」と呼んで弾劾する。だが、その罪は清作が柏の木を伐採した行為そのものではない。清作が山主の藤助には酒を買いながら、大王には酒を買わなかったことを非難しているのだ。清作は買う「いわれがない」といい、大王は「(いわれは)ある。沢山ある。買え」と言って、この問答は三回繰り返される。どこまで行っても平行線のこの論争で、当の柏の木の命は議論の圏外である。 

 清作を林へいざなう画かきの正体は何か。清作が「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン」とどなると、「まるで咆えるような声で笑いだしました。その音は林にこんこんひびいたのです。」と書かれている。これは人間だろうか。「赤だの白だのぐちゃぐちゃついた汚ない絵の具箱」を持っているが、いったいどんな絵を描くのだろう。清作を林に連れて行った目的は何か。白日ならぬ月光の下で、清作の冒した密造酒づくりという罪を暴き、償わせようとしたのか。

 この作品の前半は清作対柏の木の敵対関係がテーマだが、後半ふくろうが登場すると、清作も画かきも出る幕がなくなる。ふくろうの大将が

「そのくらやみはふくろうの、
 いさみにいさむものふが 
 みみずをつかむときなるぞ
 ねとりを襲うときなるぞ」

と宣言するように、ふくろうは森の殺戮者である。森の殺戮者と、神が宿る神聖な木ともいわれる柏の林が「大乱舞会」をくりひろげた、というのはどういうことなのか。そして、これが最も難問だが、この「大乱舞会」によろこんだ柏の木大王が「すぐ」

 「雨はざあざあ ざっざざざざざあ……」とうたいだすと霧が「矢のように」降りて来て、饗宴が突然の終わりを迎えたのはなぜだろう。柏の木大王はふくろう軍団に友好的ではなかったのか。

 最後に赤いシャッポを残して、画かきはいつ姿を消したのだろう。「赤いしゃっぽ」っていったい何だろう。「欝金しゃっぽ」も、そもそも帽子だろうか。_______とまたもや振出しに戻ってしまい、何ひとつ解決できないままである。

 書いているうちに何か解き明かされるかもしれないとかすかな期待をかけていたのですが、やはり非力な自分を思い知らされました。探っても探っても真相は遠のいていくような気がします。それが賢治の作品の魅力なのかもしれませんが。不得要領な一文を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2019年8月28日水曜日

宮沢賢治『グスコーブドリの伝記』_九十年前のジオ・エンジニアリング

 地球温暖化の議論、異常気象などここ数年地球環境の異常さが人類生存の深刻な危機として問題になっている。自然の猛威の前に文明は何をなし得るか。九十年前にその課題に挑んだ人間の軌跡として『グスコーブドリの伝記』を取り上げてみたい。

 前回のブログで書いたように、この作品も相次ぐ冷害と飢饉で主人公の両親が自死することが物語の発端である。『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』は冒頭数枚の原稿が焼失してしまっているが、『グスコーブドリの伝記』の方は、主人公ブドリの父は森の木こりで、幼いブドリと妹のネリが楽園のような森の生活を送ったことが描かれている。だが、ブドリが十になった年とその翌年冷害が続いて、どうしても食べる物がなくなってしまう。最初に父が「おれは森へ行って遊んでくるぞ。」という悲痛なことばをのこして森の中へ入っていく。翌日に母もわずかな食糧を兄妹に残して、後を追う二人をしかりつけて森に入る。それから二十日後に妹のネリが人さらいにさらわれ、ブドリはたった一人になってしまう。

 誰もいなくなった森にやってきたのは「てぐす」を飼う男だった。「てぐす」とは「天蚕糸」のことで、「家蚕糸」が屋内で蚕を飼うのに対し、屋外でクヌギやナラなどの木に「てぐす」という虫を這わせて繭を取る方法だそうである。物語の中でもかなり詳しく「てぐす」を飼って繭を取る方法が書かれている。日本ではとくに長野県安曇市の有明というところで盛んに行われ、明治二十年から三十年が全盛期だったが、焼岳の噴火で降灰の被害にあったことが記録されている。賢治はこの史実を踏まえていると思われる。

 ブドリはてぐすを飼う男たちの仕事を手伝うことで食料をもらい、最初の冬を越すことができたが、翌年も同じように作業をしているときに火山が爆発し、森は灰で覆われてしまう。てぐすも全滅でブドリは男たちと一緒に森から脱出しなければならなくなったのである。

 『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』のネネムは、昆布取りのつらい作業を十年間やって三百ドル貯め、、自立して、自由意志で森を出ることにしたのだが、ブドリは、そうではない。両親を死に追いやった自然がまたしても人々に襲いかかったのだった。自然の克服がブドリの出発点であり、到達点である。

 灰に覆われた森を出て歩き続けると、しだいに灰は薄く浅くなって、美しい色のカードでできているような町に入っていく。ブドリは「山師を張る」という赤ひげの大百姓に出会って、そこで働かせてもらうことになる。「山師を張る」というのは実験的というか投機的な農業を試みることだった。ブドリは大百姓に見込まれて、大百姓の亡くなった息子の代わりに勉強するように、たくさんの本を渡される。ブドリが本から学んだ知恵が役立って、作物の病害を防いだこともあったが、翌年からまたしても冷害と旱魃が続き、大百姓はブドリに暇をださなくてはならなくなってしまう。 

 大百姓のもとで六年間働いたブドリは、汽車に乗って、勉強しているときに読んだ本の著者クーボー博士の学校のあるイーハトーヴに行く。「クーボーという人の物の考え方を教えた本はおもしろかったので何べんも読みました」とあるが、クーボー博士は『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』のフゥフィーボー先生と同じ役割を果たす人物である。フゥフィーボー先生は「せの高さ百尺あまり」のばけもので、空を飛ぶ能力をもっていたが、クーボー博士は小さな飛行船に乗って空を飛ぶ。

 夕方ちかくようやく探しあてた教室で、クーボー博士は大きな櫓のような模型を使って「歴史の歴史」ということを教えていた。授業はその櫓のような模型を図に書き取ることだった。(どんな図ができるのでしょうか?)授業が終わると卒業試験で、一番最後に試験を受けたブドリは優秀な成績でほめられ、イーハトーヴ火山局の仕事を紹介される。

 イーハトーヴ火山局のくだりを読む度に、賢治はどこからこの構想のヒントを得たのだろうか、と不思議に思いかつまた感嘆してしまう。イーハトーヴ火山局は「大きな茶いろの建物で、うしろには房のような形をした高い柱が夜の空にくっきり白く立っておりました。」とあり、中に入ると

 その室の右手の壁いっぱいに、イーハトーヴ全体の地図が、美しく色どった大きな模型に作ってあって、鉄道も町も野原もみんな一目でわかるようになっており、そのまん中を走る背骨のような山脈と、海岸に沿って縁をとったようになっている山脈、またそれから枝を出して海のなかに点々の島をつくっている一列の山々には、みんな赤や橙や黄のあかりがついていて、それらがかわるがわる色が変わったりジーと蝉のように鳴ったり、数字が現れたり消えたりしているのです。下の壁に添った棚には、黒いタイプライターのようなものが三列に百でもきかないくらい並んで、みんな静かに動いたり鳴ったりしているのでした。

と描写される。「イーハトーヴ」という地域がどれくらいの広さのものかわからないが、この後「三百ある火山」という記述もあるので、かなりのものだろう。火山も含めてその土地の模型を作ることは賢治の時代でももちろん可能だったと思われるが、ここでは、すべての火山がその活動をリアルタイムで観測されるというのである。それを可能にしているのが三列に百でも聞かないくらい並んでいる「黒いタイプライターのようなもの」なのだろうが、これはまさにコンピューターではないだろうか。

 ブドリの仕事は火山活動の制御だった。噴火の時期を予測して、人々が生活する市に被害が及ばないように工作する。ブドリは、上司の老技師ペンネンナームとともに、噴火まじかの火山が市街地でなく海岸の方にむかって噴火するように工作し、遠隔操作で爆発させることに成功する。

 それだけでなく、火山局は肥料を空から降らせることにも成功する。まずクーボー博士が飛行船に乗って、雲の上に出る。その後、

 その雲のすぐ上を一隻の飛行船が、船尾から真っ白な煙を噴いて、一つの峰から一つの峰へちょうど橋をかけるように飛びまわっていました。そのけむりは、時間がたつほどだんだん太くはっきりなってしずかに下の雲の海に落ちかぶさり、まもなく、いちめんの雲の海にはうす白く光る大きな網が山から山へ張りわたされました。

という光景が出現する。がする。(これと同じような光景を近年見かけることが多いような気がする)飛行船が再び雲の下に沈むと、ペンネン技師が、地上で雨が降っていることを確認して、ブドリにぼたんを押すように指示する。ブドリがぼたんを押すと、さっきのけむりが美しい桃いろや青や紫にかがやき点滅する。こうして合成された硫酸アムモニヤが雨とともに地上に降り注ぎ、農作物の肥料になった、というのである。

 これはいわゆるジオ・エンジニアリングではないだろうか。賢治の時代に人工降雨の技術はあったようで、チャールズ・ハットフィールドというアメリカ人が「レインメーカー」と呼ばれ、1890年から二十六年間全米各地で雨を降らせることを商売にしていたという。1916年サンティエゴで雨を降らせたが、洪水になってしまい、これを最後に人工降雨の技術をみずから封印したといわれている。賢治がこのことを知っていた可能性は大きいが、雨の中に肥料をまぜるという発想は賢治独自のものだろう。

 もう一つ、最後にブドリが実行したジオ・エンジニアリングは、火山を人工的に爆発させ、気層の中の炭酸ガスの量を増やす工作である。ある年、ブドリの両親が死に追いやられた時と同じような冷害の予兆が続いた。ブドリはクーボー博士をたずねて、カルボナードという火山を爆発させ、噴出した炭酸ガスで地球全体を暖める計画を提示する。だが、その計画を完遂するためには、最後までカルボナード島に残る人間が必要だった。ブドリは、止めるペンネン技師を説得して、みずからその任務に就いたのだった。

 『グスコーブドリの伝記』という作品は、最後のブドリの死に焦点があてられ、「自己犠牲」が主題として論じられることが多い。そういう読み方もあるかもしれないが、作者賢治が多くの枚数を費やして述べているのは、当時としては空想的な、しかし非常に具体的で、現代の私たちから見ればリアルなジオ・エンジニアリングである。異常気象による大災害が世界中であい次ぐ今日、この作品をもう一度、別の観点から読み直す試みがあってもよいのではないか。ブドリの死は、たんなる自己犠牲、というよりは、自然を冒したことにたいする贖罪の意識もあったのではないか、と思われるのだが。

 自己犠牲に焦点が当てられ、教訓的な解釈で終わってしまいそうなこの作品が、不思議な世界を展開していることを発見して、いかに自分の読みが浅薄なものだったかに気づかされました。未整理な読書感想文に最後までつきあってくださってありがとうございます。
 

2019年8月20日火曜日

宮沢賢治『ペンネンネン・ネネムの伝記』__ばけもの社会のMMT

 『グスコーブドリの伝記』について調べていくうちに、『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』という作品に出会った。『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』と呼ばれる草稿に手を加えて完成したものが『グスコーブドリの伝記』であるとされている。たしかに、この二つの作品は、冷害と飢餓のため両親が自死し、妹も人さらいにさらわれて、一人ぼっちになったた少年が自立して世の中に出ていくという成長小説である。

 だが、作品として完成し、どこかとりすました感のある『グスコーブドリの伝記』とくらべると、『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』は粗削りだが、とにかくおもしろいのである。主人公のネネムが、偶然に、奇術の一座の中に人さらいに連れ去られた妹のネリを見つける場面など、手に汗握る面白さである。豪華絢爛、奇想天外な奇術(魔術?)の舞台、それを固唾を飲んでみつめる観客の緊張と興奮、賢治の天才的な想像力がほとばしり、躍動感あふれる描写に圧倒される。

 そしてもうひとつ、私が関心を惹かれたのは、この作品が「ばけもの社会の経済学」とでもいうような論理を呈示していることである。いやそれは人間社会の経済学かもしれないが。

 一人ぼっちになったネネムは、住んでいた家ごと森を買い占めた男に昆布取りの仕事をさせられる。栗の木にはしごを掛けててっぺんまで登り、空中に網を投げて昆布を捕るのである。? こんなことで昆布が取れるのかと不思議だが、男は一日一ドルの手間をくれるという。だが、男がネネムに差し入れるパンの値段が一ドルで、一日十斤以上昆布を取ったらあとは十セントで買ってくれるというのだ。一日十斤に足りないときはネネムの損で、借金が残る。じつにあこぎなシステムだが、人間社会でも同じように、いやもっとひどいことに、最初から借金を背負って働かなければならない人たちが多かったのだろう。

 ネネムは栗の木のてっぺんに立ちっ放しで十年で借金を返し、貯めた三百ドルをふところに、栗の木から降りてばけもの世界のまちに向かって歩き出したのである。三百ドルは賢治の時代にいかほどの価値があったのか。かなりの大金だったのではないか。そしてネネムは、そのお金で森の出口の雑貨屋でまっ黒な上着とズボンを買って身をかため、学問をして書記になろうと考えたのである。「もう投げるようなたぐるようなことは考えただけでも命が縮まる。」じっさい、肉体労働者が確実に命を縮めて働くのは賢治の時代の日本だけではない。

 立派な姿になったネネムは嬉しくて一気に三十ノットばかり走り、出会った黄色な幽霊にまちまでの距離をたずねる。すると黄色な幽霊はネネムをばけものりんごの木の下まで連れて行って、木の根とネネムの足さきをそろえてから、市まで六ノット六チェーンだという。不思議なことをするものだ。もう一つ不思議なのは、ノットは船の速度の単位だが、距離の単位としても使うのだろうか。

 それからネネムは市の刑事の尋問にあったり、失踪した息子の行方を探している母親に息子と間違えられたりしながら、無事にばけもの世界の首府の市に着く。ここでネネムは当代一の化学者フゥフィーボー先生の教室に紛れ込む。フゥフィーボー先生は「せの高さ百尺あまり」のばけもので、何だかよくわからない講義の終わりにテーブルの上に飛びあがって、「げにも、かの天にありて濛々たる星雲、地にありてはあいまいたるばけもの律、これはこれ宇宙を支配す。」と大見えを切る、と書かれている。あきらかにドイツの哲学者イマヌエル・カントのパロディである。動く哲学大全みたいなカントの道徳律を空飛ぶばけもの博士に語らせているのだ。

 ネネムはめでたくフィフィーボー先生の試験に一等で合格して「世界裁判長」という職に抜擢される。書記よりはるかに偉そうな地位につくことができたのである。ネネムに尋問した刑事は、ネネムが森の中でばけものパンばかり喰ったので書記になりたがっていると指摘したのだが、「ばけものパン」と書記に関係があるのだろうか。やわらかいパンばかり食べていると、過酷な肉体労働などいやになるということなのだろうか。

 世界裁判長になったネネムは、人間界に出現したばけものの裁判をした後、中生代の瑪瑙木(これはいきものかしらん)の「世界長」に挨拶に出向く。そしてその後まちに出る。ネネムが町で出会ったのは「フクジロ印」という商標のマッチを売り歩くばけものの一行だった。一行はフクジロという皺くちゃで年寄のような子供のような怖いおばけに一つ一銭のマッチを十円で売らせているのだった。

 ネネムがフクジロを捕まえると、フクジロはいくらマッチを売ってもお金はみんな親方に巻き上げられてしまい、ご飯もろくにたべさせてもらえないという。そこでフクジロにマッチを渡している親方を捕まえると、その親方もやっと喰うだけしか貰えず、後ろにいるばけものにみんな取られるという。ネネムは一行三十人あまりを全員捕まえて調べ上げる。

 調べてわかったことは列の一番おしまいの緑色のハイカラなばけものを除いて、前に並ぶばけものはみなその前のばけものに借金があり、それぞれ日歩を払っているということだった。緑色のばけものは百二十年前にその前に並ぶまっ赤なハイカラなばけものに九円貸して、今は元金が五千円になっているという。まっ赤なばけものは、元金は手付かずで、日歩三十円をばけものは、緑色のばけものに払っている。同様にばけものたちは前のものにお金を貸して、利息を受け取り、また利息を払っていて、最後のものは三百年以上も前に借りたお金の利息千三百三十円三十銭を払っているというのだ。これはまさしく金融資本主義の原型ではないか。

 千三百三十円三十銭という金額がどのくらいのものか見当もつかないのだが、マッチの値段がふつうは一銭というので、その十三万三千三十倍、ということは千万円くらいだろうか。もう少し少ないかもしれないが、それにしても一日に入る現金としては大変な額である。ばけもの一行がやっていることは、フクジロというばけものにただ働きをさせて、一銭のマッチを十円で売り、一日何もしないで暮らすことだった。

 もちろん、脅して無理やり買わせるのだから悪いことである。悪いことだが、マッチを買う方は、脅されたとはいえ、自由意志で買うのだから、これは商取引といえないこともない。だいたいものの値段が需要と供給の均衡で決まるなど神話以外なにものでもないだろう。脅されるか、おだてられるか、ともかく買う側に価格決定権などない。一銭のマッチが十円で売れれば、GDPは膨らむのである。

 世界裁判長たるネネムはこの事実を見逃すわけにはいかない。みんな悪いがみんなを罪にするのはかわいそうだと言って、ネネムは一行を解散させてしまう。あわれなフクジロは張り子の虎をつくる工場に送られ、ほかのばけものはちりぢりに逃げてしまった。見物人は「えらい裁判長だ。」と喝さいするのだが、膨らんでいたGDPはしぼんでしまう。それだけでなく借金がなくなると、元金も永遠にもどらなくなり、毎日入っていた利息も消えてしまうのである。これでよかったのだろうか。もちろんこれは、私の疑問であって、賢治にこの問題意識があったかどうかわからないのだが。

 この後ネネムは名声いやがうえにも高まり、幼いころさらわれていった妹とも再会し、これ以上を望むことができないほどの暮らしをする。だが、自己実現の極みともいうべき境地に達したネネムは、火山の爆発に興奮狂喜して、人間界に出現してしまう。そして、その罪によりいっさいを失うのである。賢治の自己消失への願望、それは自己昇華あるいは自己犠牲と呼ばれたりするものだが、そのことについては『グスコーブドリの伝記』との対照で考えてみたい。文章にまとめるのにはもう少し時間がほしいと思っている。

 『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』と『グスコーブドリの伝記』は発端も結末もよくにているのですが、作品のベクトルは正反対のような気がします。Gay Twentyといわれた1920年代から大不況の30年代への時代の変遷がそのことと何ほどの関係があるのかについても考えてみたいのですが、これも課題としてずっとかかえていくしかないようです。この作品のおもしろさを伝えることができなくて残念です。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

   

2019年7月15日月曜日

宮沢賢治『どんぐりと山猫』__かねた一郎と黄金いろの草地

 『どんぐりと山猫』は、私にとって謎に満ちた作品である。いつまで経っても解決の糸口さえ見いだせなくて、ここしばらく作品の周りを行ったり来たりしている。

 不思議なお話はこう始まる。

 おかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。

  かねた一郎さま 九月十九日
  あなたは、ごきげんよろしほで、けっこです。
  あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。とびどぐもたないでくなさ
 い。
                                    山猫拝

 ほんとうに「おかしな」はがきである。宛名と日付はきちんと書かれているが、住所は書かれていないようで、「めんどなさいばん」はどこでするのかわからない。「とびどぐもたないでくなさい。」とあるのも少し物騒である。

 一郎という少年はうちじゅうとんだりはねたりするほどうれしくなって、翌朝目をさますと、食事もそこそこに出かける。その道中がまた不思議である。何の案内もなく、一郎は谷川に沿ったみちを上流にむかってのぼって行く。道すがら、やまねこの行方をくりの木、滝、きのこ、りすにたずねながら進んでいくのだが、その問答がまた奇妙なのだ。

 まず、くりの木にやまねこの行方をたずねると、やまねこは馬車でひがしの方に飛んで行ったという。すると一郎は「東ならぼくのいく方だねぇ、おかしいな、とにかくもっといってみよう」という。「ぼくのいく方」だと何故「おかしい」のか。

 次に、笛ふきの滝と呼ばれる滝に同じことを訊く。滝は、やまねこが西の方へ馬車で飛んで行ったと答える。それにたいして一郎は、「おかしいな。西ならぼくのうちの方だ。けれども、まあも少し行ってみよう」という。滝はくりの木と反対の方角を示したのだが、一郎はくりの木の指した方に「おかしいな」といいながら進むのである。

 さらに進んで、ぶなの木のしたで「変な楽隊」をやっている白いきのこと、くるみの木の梢を飛んでいるりすに訊くと、いずれも朝早く南の方へ飛んで行ったという。一郎は「みなみへ行ったなんて、二とこでそんなことを言うのはおかしいなぁ。」といいながら、さらに、谷川に沿った道を行く。

 ところで、少し脇道にそれるようだが、「おかしい」と表記されている日本語が旧かな遣いでは「をかしい」だったことに触れておきたい。「をかしい」と「おかしい」では松竹新喜劇と吉本くらいの、あるいはそれ以上の差があるのではないだろうか。「おかしい」という表現が、たんに現象の表面的な不可解さをいうのに対して、「をかしい」は「をかし」という語源を意識せざるを得ず、現象の背後にひそむ闇の部分に踏み込んだ深さと重さを感じるのだ。

 さて、一郎は道が尽きると、谷川の南についたあたらしいみちを進んで行く。白いきのことりすが言った通りの方角に行くことになったのである。両側から榧の木の枝が重なりあって真っ黒な中、急坂を上ると、いきなり目が眩むほどの明るさになる。

 そこはうつくしい黄金いろの草地で、草は風にざわざわ鳴り、まわりは立派なオリーブいろの榧の木のもりでかこまれてありました。

 「かねた(金田?)」一郎は「黄金いろの」草地に招待されたのである。黄金いろの草地とは何を意味するのか。

 ここで突如として不思議な人物(?)が登場する。それは「せいの低いおかしな形の男」で「ひざを曲げて手に革鞭を持って」草地のまん中に立っている。「片目で、見えない方の目は、白くびくびくうごき、上着のような半纏のようなへんなものを着て」「足がひどくまがって山羊のよう」「足先ときたら、ごはんをもるへらのかたちだった」まさに異形としかに言いようのない存在だが、これは人間だろうか。

 男は、自分がやまねこの馬車別当だと名告り、一郎にはがきを出したのは自分であるという。文字や文章の稚拙さを恥じる男を一郎が気遣って会話していると、風が吹いて、山猫が現れる。山猫の描写は「黄色な陣羽織のようなものを着て、緑いろの目をまん丸にして立っていました。」と、馬車別当のそれよりずっと簡単である。だが、山猫の権力は絶大で、馬車別当の目の前でたばこをくゆらせると、たばこがほしくてたまらない馬車別当は、なみだをこぼしながら、気をつけの姿勢でがまんしている、と書かれている。

 その権力者の山猫が、一昨日からめんどうなあらそいが起こって、裁判にこまっているという。一昨日とははがきの日付にある九月十九日だろうか。すると、はがきが届くのに一日かかったとして、物語の今は九月二一日ということになるのだが、この具体的な日にちに何か意味があるのだろうか。

 めんどうなあらそいとは、どんぐりの背比べならぬどんぐりの偉さ比べだった。「その数ときたら三百でもきかないような」赤いズボンをはいた黄金のどんぐりが、それぞれに自分がいちばんえらいと騒いでいるのである。いわく「頭がとがっているのがいちばんえらい」「いや、まるいのがえらい」「大きいのがえらい。わたしがいちばん大きい。」「いや、わたしのほうが大きい。」「せいの高いのだ」「押しっこのえらいのだ」・・・

 もう三日続いているという騒ぎをしずめたのは一郎の簡潔直截な助言だった。一郎は「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい」と言いわたしたらいい、と裁判長の山猫にいったのである。「ぼくお説教できいたんです。」とも。

 山猫はそれを聞いて「このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」と、どんぐりに申しわたす。どんぐりは一瞬でしずかになって、みんな緊まってしまう。何の解決にもならないような判決だが、山猫は騒ぎをしずめることが目的だったようで、一郎に名誉判事になってほしいと頼む。

 さて、ここで一郎が提起する価値の転倒について、どう考えるべきか。作者賢治がこの作品について「必ず比較をされなければならないいまの学童たちの内奥からの反響です。」と解説している。私にとっては、賢治のこの解説もまた謎である。この作品の最も深い、根本的な謎といってもいいかもしれない。

 「いちばんえらくないのが、えらい」という価値判断は、じつは判断の放棄である。「いちばんえらくないのが、えらい」なら、その「えら」くなった「いちばんえらくない」のは「えら」くなったことで、再び「えら」くなくなるのだ。何故なら「いちばんえらくないのがえらい」というシステムは、いつまでも循環するからである。

 一郎が助言して山猫が申しわたした判決は、どんぐりたちの、あるいはどんぐりに寓意された学童たちの「内奥」からの個性の主張をばっさりと切り捨て、空疎な抽象論に帰納してしまっている。一郎自身が「ぼくお説教できいたんです。」という「えらくないものがえらい」論は、法華経の常不軽菩薩の精神と結びつけられて解説されることが多いようだが、それは違うのではないか。常不軽菩薩の話は、修行者の実践のありかたとして、他者に向かう姿勢を説いたのであって、異なる個性をもつ一人一人の叫びを封じ込めるためにもちだすべきではないだろう。
 
 だが、ともかくどんぐりたちはしずかになって、一郎は山猫からお礼をもらうことになる。塩鮭のあたまと金いろのどんぐり一升のどちらがいいかと問われて、一郎は黄金のどんぐりを選ぶ。これも不思議なことである。一郎にとって、あるいは山猫にとって、黄金のどんぐりとは何の意味をもつのだろう。山猫は金いろのどんぐりの数が足りないなら「めっきのどんぐりもまぜてこい」と馬車別当に命じる。山猫にとって、どんぐりはますごとさしだすことのできる「もの」だったのか。また、一郎はますでもらった黄金のどんぐりをどうするつもりだったのだろう。

 お礼にもらった黄金のどんぐりは、一郎が家に帰り着くと、ただの茶いろのどんぐりに変わっていた。送ってくれた山猫も馬車別当も乗っていたきのこの馬車も消えていたという結末は童話のお約束だが、茶いろのどんぐりは残っていたので、一郎は実際にどう処分したのだろう。

 「かねた」一郎がうつくしい黄金いろの草地で、黄金のどんぐりの裁判に立ち会って、黄金のどんぐりをもらって帰る、という「黄金づくし」の話は何を寓意するのだろう。東だ、西だ、南だ、(なぜか北は出てこない)と、道中方角にこだわるのは何故だろう。あらすじを追ってきてもわからないことばかりである。

 どんぐりの裁判を終えて、山猫が次に一郎を呼び出すときは「用事これありに付、明日出頭すべし」と書いていいか、とたずねたのも奇妙である。「出頭」は被告人が召喚されるときに使う表現である。名誉判事になってほしいと頼む相手にたいして使う言葉だろうか。

 最後に、物語の主人公「かねた一郎」のついて考えてみたい。冒頭「おかしな」はがきを見た瞬間に「うれしくてうれしくてたまりませんでした。はがきをそっと学校のかばんにしまって、うちじゅうとんだりはねたりしました。」とあるので、学校に通っている年齢であることは確かだが、いったい何歳くらいの少年なのだろうか。馬車別当にたいする気遣いといい、山猫への大人びた助言といい、「学童」と呼ばれる年齢ではないと思われる。はがきを見て、即座に欣喜雀躍して、翌日起こることへの期待に胸はずませるのは何故だろう。ふつうは、そんなはがきを受け取ったら、いぶかしさが先に立つと思うのだが。

 「かねた一郎」は山猫の「にゃあとした顔」を知っているようなので、山猫と面識があり、その支配する世界についても何らかの知識があったのだろうか。「かねた一郎」はなぜ黄金の草地に招聘されたのか。そもそも、この作品の主人公が「かねた」と苗字がつけられているのはどんな意味があるのか。賢治のほかの作品では、登場人物のほとんどが名前だけである。「グスコーブドリ」「レオーノ・キュースト」など例外はあるが、それらはいずれも外国人(らしい)である。「かねた」という苗字は、一郎の家族のなんらかの属性を示唆しているのだろうか。

 書き続けていくと、謎の解明どころか、いつもの妄想癖がでそうなので、未整理な乱文はここまでにします。『どんぐりと山猫』を含む『注文の多い料理店』はそれぞれ不思議な作品ばかりなので、いままで取り上げなかったものももう一度読み直してみる必要がありそうです。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2019年6月28日金曜日

宮沢賢治『山男の四月』__「山男」とは誰か

 標題の作品は賢治が生前に出版した『注文の多い料理店』の巻頭を飾る短編である。最初『山男の四月』というタイトルで出版を考えていたともいわれる。短編だが含蓄の深い作品であり、賢治の作品の中でも重要な意味をもつと思われるのだが、論考の対象となることが少ないのが不思議である。まったくないわけではないようだが。

 山男は金色の目を皿のようにし、せなかをかがめて、西根山のひのき林のなかをうさぎをねらってあるいていました。

 という書き出しではじまるのだが、「山男」は人間なのか、それともけものなのだろうか。「金色の目」をしているので、少なくともふつうの日本人ではない。

 うさぎはとれないで山鳥がとれ、それで山男はうれしくなって「顔を真っ赤にし、大きな口をぐにゃぐにゃまげてよろこんで」とあるので、よほどおなかがすいていたのだろう。ところが不思議なことに山男はせっかく捕まえた山鳥をその場ですぐ食べるのではなく、「ぐったり首をたれた山鳥をぶらぶら振りまわしながら」森から出て、「ばさばさの赤い髪毛を指でかきまわしながら」日あたりのいい南向きのかれ芝に寝ころんで「碧いあおい空」をながめているうちに、夢の世界に誘いこまれる。これは、「金色の目」と「赤い髪毛」の異形の男の「風流夢譚」なのである。

 山男は自分が「七つ森」の中にいる夢を見る。「七つ森」は、いうまでもなく、賢治の処女詩集『春と修羅』の巻頭を飾る「屈折率」という詩に

 七つ森のこっちのひとつが
 水の中よりもっと明るく
 そしてたいへん巨きいのに
 わたくしはでこぼこ凍ったみちをふみ
 向こうの縮れた亜鉛の雲へ
 陰気な郵便脚夫のやうに
   (またアラツデイン 洋燈(ランプ)とり)
 急がなければならないのか

とうたわれる実在の森である。

 山男は(そしてここまで来てみると、おれはまもなく町へ行く。町へはいって行くとすれば、化けないとなぐり殺される。)とひとりごとを言いながら、木こりのかたちに化ける。何故、七つ森の中に入ると必然的に町に入ることになるのか、そしてそのままの姿ではなぐり殺されるのか、理由はわからない。夢の中で山男がそう思ったのでそうなったのである。

 山男が町に入って行くと「入口にはいつもの魚屋があって」とあるので、山男は(夢の中で?)何回も町にも出入りしているらしい。魚屋の軒に「赤ぐろいゆで章魚が五つ」吊るしてあるのに見入って、そのまがった足のりっぱさや、海底をはう姿を思い浮かべて感動し指をくわえて立っていると、通りかかった行商のシナ人に話しかけられる。

 「あなた、シナ反物よろしいか。六神丸たいさんやすい」

これ以降くりひろげられるシナ人と山男のやりとり、とくにシナ人の言葉は抱腹絶倒のおもしろさである。「シナ人」という呼称、彼が使う助詞を省いた独特の日本語は、今日の読者(の一部)には「差別的表現」などとには眉をひそめる向きもあるかもしれないが。

 ところでシナ人が商品として売っている(後でわかるのだが、シナ人の「製造直売」である)六神丸とは、京都の呉服商亀田利三郎が清国で病気になった時これを服用してたいへん効き目があったので持ちかえったのが始めという。麝香、牛黄、熊胆、人参、真珠、センソの六種の生薬が原料である。「六神丸」の名称のいわれはその他にもあるようだが、これに二種の生薬を加えたものが現在の「救心」で、心臓の薬である。効能書きに「この薬を用いているときは他の薬は服用しないこと」と書かれているので、大変強い作用を持つもののようである。

  山男はシナ人のとかげのような「ぐちゃぐちゃした赤い目」や「ずいぶん細い指」や「あんまりとがっている爪」を警戒するのだが、シナ人は香具師の口上よろしく

 「あなた、この薬飲むよろしい。毒ない。決して毒ない。飲むよろしい。わたしさき飲む。心配ない。わたしビール飲む、お茶飲む、毒飲まない。これながいきの薬ある。飲むよろしい。」

と言って、飲んでみせる。気がつけばなぜかそこは町の中ではなく、ひろい野原の真ん中で、シナ人と山男の二人だけになっていた。執拗にせまるシナ人に根負けして、飲んだら逃げ出すつもりで山男は薬を飲む。すると山男はちぢまって、六神丸になってしまったのである。

 山男はくやしがり、シナ人は文字通り欣喜雀躍する。六神丸になってしまった山男は、シナ人に行李の中に押し込められ、やがて行李の上から風呂敷をかけられて、真っ暗闇のなかでひとり言を言っていると、横から話しかけられる。行李の中には、山男と同じように、シナ人に六神丸にされてしまった仲間が何人もいたのである。

 ここからの山男の心理の変化は微妙である。横の六神丸(にされてしまった人間)と話していて、シナ人に「声あまり高い。しずかにするよろしい。」といわれた山男は腹を立てて、町にはいったら大声でシナ人を罵ってやるという。これを聞いて、シナ人はしばらくしんとしている。山男はシナ人が泣いているのだと思い、いままで見てきたシナ人たちの様子と重ね合わせて想像し、かわいそうになってしまう。

 「それ、あまり同情ない。わたし商売たたない。わたしおまんまたべない。わたし往生する。それ、あまり同情ない。」

 山男は、シナ人のこのことばを聞くと「おれのからだなどは、シナ人が六十銭もうけて宿屋に行って、鰯の頭や菜っ葉汁をたべるかわりにくれてやろう」と気の毒になる。山男は、町にはいったら声をださないとシナ人に言う。シナ人は安堵し喜ぶ。

 ところが、町へ行く道中、山男は横の六神丸にされた人間から聞いて、シナ人は名前を陳といい、行李のなかには陳に六神丸にされてしまった孔子聖人の末裔がたくさんいることを知る。陳が悪者だと知った山男は、六神丸になってしまった人間をもとの形に戻してやろうと考える。骨まで六神丸になっていない山男は丸薬さえ飲めばもとへ戻る。陳が水薬を飲んでも六神丸にならないのは、一緒に丸薬を呑むからだという。山男がもとへ戻ったら、ほかの六神丸を水につけてもめば、その人たちも人間に戻るといわれる。横の六神丸からそう聞いた山男は行李から出て人間に戻る機会をうかがう。

 やがて外で陳が「シナたものよろしいか」と商売を始める声がする。にわかに蓋が開いたので、山男が外を見ると、おかっぱの子供がいる。いる。陳はいつもの口説で子供に薬を飲ませようとしてとしている。そのとき山男は丸薬を呑む。いきなりもとの立派な赤髪のからだになった山男を見て、陳はびっくりして、丸薬と一緒に飲む水薬はこぼしてしまい、丸薬だけ飲んでしまう。すると陳は頭がめらぁっと延び、二倍の大きさになって山男につかみかかる。山男は一生けん命逃げようとするが、足がから走りして逃げられない。「助けてくれ、わあ」という自分の叫び声で山男は夢からさめる。

 夢からさめた山男は、投げ出された山鳥の羽をみたり、しばらく夢の世界の出来事を考えていたりしたが、「夢の中のこった。陳も六神丸もどうにでもなれ。」とあくびをして放念する。

 以上が大まかなあらすじだが、不思議な夢物語である。人間が六神丸になったり戻ったりすることが不思議なのではない。奇想天外な話だが、夢なのだからそんな話があってもおかしくはない。不思議なのは山男という存在である。うさぎを狙ったり、山鳥をつかまえて喜ぶというのは野生だからだろう。一方、人間のことばを話し、六神丸になった人間とことばをかわすのだから、立派に社会性のある人間である。

 童話の世界だから、人間以外の生物が人間とことばをかわすことがあっても不思議ではないかもしれない。山男が不思議なのは、その性格の曖昧さである。シナ人に声をかけられると、さして必要とも思われないのに反物を買うといってしまう。とかげのようなシナ人を警戒しながらも、その場しのぎで薬を飲んでしまう。およそ主体性というものが感じられないのである。

 騙されて六神丸にされてしまったことをくやしがりながら、シナ人がご飯がたべられないと泣いていると思って、自分はシナ人の犠牲になろうとする。安易な同情心にひたるのだ。ところが、シナ人が自分以外にもたくさんの人間を六神丸に変えている悪者だと知ると、正義心に駆りたてられる。仲間の六神丸をもとの姿にもどしてやろう、と義侠心を発揮するのだ。そして、おかっぱの子供がシナ人の毒牙にかかろうとしているときに、もとの姿に戻るのだが、シナ人が倍の大きさになると怖くて逃げだそうとする。

 最後は、すべては夢の中のこと、として山男は(そして作者も)韜晦してしまう。いったい賢治は、山男の何が描きたくてこの作品を書いたのか。仮説はあるのだが、まだもう少し確かめたいものが私の中にある。それは、そもそも、宮沢賢治の作品をどう読むか、というより、どう読まれなければならないか、という問題提起につながるもののように思う。

 体力的に思うようではなくて、なかなか集中力が保てません。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
 

2019年5月12日日曜日

宮沢賢治『ポラーノの広場』__山猫博士とレオーノキューストの社会学的考察


 『ポラーノの広場』の中で、一番魅力的かつ重要な人物は、じつは山猫博士と呼ばれるデストゥパーゴではないだろうか。『ポラーノの広場』で連日酒宴を催し、本気とも酔狂ともつかぬ決闘騒ぎを起こした後、忽然と姿をくらましてしまう。山猫博士とキューストたちの出会いがなかったら、そして、彼が密造酒をつくっていた工場を遺して姿をくらまさなかったら、ファゼーロやミーロは産業組合を起ち上げることができなかったのだ。

 山猫博士とはいったい何か。「山猫を釣って外国に売っている」と羊飼いのミーロはいうが、「山猫を釣る」とはどうやって「釣る」のだろう。魚は釣り針にかかるが、山猫はかからないと思うので、捕獲器で捕まえるのだろうか。また、捕まえた山猫を外国で売っているというが、誰がどのような目的で買うのか。謎に満ちた人物である。

 もうひとつ細やかな疑問がわくのが、デストゥパーゴとレオーノキューストの関係である。じつは、物語の始まる前に二人は出会っていたのではないかと思われるのだ。遁げた山羊を連れてきたファゼーロからデストゥパーゴの名を聞いたキューストは「あいつは悪いやつだぜ。」と言っている。実際にポラーノの広場でキューストを見たデストゥパーゴは「どうもわたくしのことを見たことはあるが考え出せないという風」だったと書かれている。博物館の職員のキューストと県会議員のデストゥパーゴはどんな関係だったのだろうか。

 ところで『ポラーノの広場』はタイトルの脇に「レオーノキュースト誌」とに書かれている。この作品はレオーノキューストーが「記録」したものである、ということになっている。それを(外国語で書かれているので)宮沢賢治が「訳述」したものである、とも。では、レオーノキューストとはどんな人物なのか。

 レオーノキューストの自己紹介は作品の冒頭に述べられている。「前十七等官」で県の博物局で「標本の採集、整理」の仕事をしていた、とある。好きな事だったので、「毎日「ずいぶん愉快にはたらきました」とあるのは賢治の性向と一致するのだろう。だが、「標本の採集、整理」は過去の遺物の記録、展示であることにも注目したい。レオーノキューストは『ポラーノの広場』を、「みんななつかしい青いむかし風の幻燈のように」私たちの前に呈示しているのである。

 俸給は「ほんのわずか」だったが、レオーノキューストの生活は自足したものだった。植物園に拵え直す予定の競馬場の跡地に、「小さな蓄音器と二十枚ばかりのレコードをもって」ひとり番小屋に住み、一匹の山羊を飼って毎朝乳をしぼり、パンにひたしてたべる。おそらくこれは賢治が憧れた生活だったのだろう。「靴もきれいにみがき」毎日さっそうと市役所に出勤する。経済的にも自足、自立した生活。富商の父の庇護から自立する生活を模索して一生葛藤したのが賢治の生涯だったと思われるのだが。

 一方、山猫博士と呼ばれるデストゥパーゴはどのような人物として描かれているか。彼はポラーノの広場の持ち主であるという。資産家なのである。木材の乾溜工場も経営していて、そこでじつは密造酒を作ってもいる。いかがわしいけれど、経営者である。同時に資本家あるいは投機家でもあって、姿をくらました後住んでいる大都市に土地を持っているらしい。だが、経営の失敗を株主に追及されて失踪せざるを得なかった(あるいは計画的失踪?)ところをみると、絶大な権勢を揮う人物でもないらしい。大酒呑みで粗暴なふるまいをするが、じつは気配りは細やかで機を見るに敏である。

 ファゼーロやミーロ、村の老人たちは、デストゥパーゴが放棄(?)した工場を利用して生産し始めた。彼らの産業組合は、デストゥパーゴが投下した資本の上に成り立ったのである。現実にはあり得ない展開は、作者賢治の最後の祈りを作品のなかに具体化したのだろう。

 レオーノキューストは「いまこの暗い巨きな石の建物のなかで」「友だちのないにぎやかながらすさんだトキーオ市のはげしい輪転器の音のとなりの室で」ひと夏の夢のような物語を記録する。レオーノキューストのこの姿に、ファゼーロたちとの同伴者、観察者のたたずまいを見る意見が多いが、私はもっと直截に、賢治の自己処罰、自己批判があると考える。ポラーノの広場の酒宴の席で、デストゥパーゴの決闘の相手にファゼーロをさしだして、自分は介添え人として後ろにひいたこと。決闘の後、帰る場所がなくなったファゼーロをそのままにしたこと。レオーノキューストにこのようなふるまいを、敢えてさせて、賢治は自分を罰しようとしたのだと思われてならない。そんな必要があるとは、私だけでなく誰も思わないだろうが。

 最後に記される「一通の郵便で受けとった」『ポラーノの広場』の楽譜と歌は、賢治の人生の到達点での希求である。You Tubeで岩手大学の混声コーラスを聞くことができるので興味のある方はそちらをお聞きになることを勧める。特に、ローテンブルクの聖フランシスコ教会で録音されたものが素晴らしい。

 まさしきねがいに いさかうとも
 銀河のかなたに ともにわらい
 なべてのなやみを たきぎともしつ、
 はえある世界を ともにつくらん
 
宮沢賢治の作品は「童話」というくくりで語られることが多い。自然界のすべてが対象で、擬人化されていることから「童話」というジャンルに属するのだろうが、文学、とくにすぐれた文学が時代の状況と切り結ぶものである以上、歴史的あるいは社会学的な考察が必要なのではないか。などと大それたことを考えているのですが、ここ二ヵ月近く五十肩に悩まされていることもあって、いかんせん力不足です。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2019年4月23日火曜日

宮沢賢治『ポラーノの広場』__つめくさの花と聖パトリックの生涯

 その青じろいあかりが「つめくさのあかし」と呼ばれるつめくさの花のモチーフは「『ポラーノの広場』という作品の中で唯一の童話的要素である。「レオーノキュースト誌/宮沢賢治訳述」と冒頭に記される『ポラーノの広場』は、レオーノキューストの自分史ともいうべき小説である。この小説の中で、キューストたち三人を夜のポラーノの広場に導くかのように、野原一面に咲くつめくさの花は、何を寓意するのだろうか。

 つめくさの花の一つ一つに番号が記されていて、それを五千までたどればポラーノの広場に行くことができるという。作品中に、「レオーノ(獅子)」「山羊」「山猫」「御者(別当)」と星座の名前が用いられていることから、つめくさの花の番号は、天文学で使われる星の番号すなわちNGCという四桁の数字ではないかという仮説があるそうである。それでは、つめくさは、地に咲く星だろうか。

 つめくさの花が地に咲く星であるというイメージは非常に美しい。美しすぎるほどだが、賢治はつめくさの花を「この世を照らすひかり」としてモチーフにしただけなのだろうか。ここでまた、独断と偏見と妄想にかられる私は、つめくさ(正確にはシロツメクサ)とキリスト教のつながりについて考えてみたい。

 五世紀アイルランドにキリスト教を布教した聖パトリックという人がいる。四世紀の後半ウェールズのケルト人(ローマ人とも)のクリスチャンの家に生まれたが、十六歳のとき海賊にさらわれ、アイルランドに奴隷として売られる。六年間羊飼いとして働いた後神の召命を聞き、牧場を脱走して、およそ三百キロを歩いてウェールズに戻ったが、神学を学ぶためヨーロッパに渡る。七年間、神学を学んだ後帰国し、家族の反対を押し切って四三二年再びアイルランドを訪れてキリスト教の伝道をする。ドルイド教を信じていたアイルランド人十二万人を改宗させ、三六五の教会をたて、多くの讃美歌を作ったともいわれている。

 賢治が聖パトリックの生涯を知っていたという証拠はないのだが、知らなかったという証拠もない。博覧強記の賢治のことだから、知っていた可能性はあると思う。さらわれて奴隷となり、羊飼いをして六年間働き、その後召命を聞き脱走して聖職者の道に進む。その生涯の流れが『ポラーノの広場』のファゼーロ、ミーロのそれと重なってくるように思われる。

 もうひとつ、こちらのほうが重要かもしれないが、聖パトリックが伝道のとき、いつも手にしていたのが「シャムロック」という三つ葉のクローバーなのである。聖パトリックがシャムロック_三つ葉のクローバーを手にしていたのは、「父と子と聖霊」の三位一体を説明するため、といわれる。あるいは「信仰、希望、愛」とも。

 シャムロック_つめくさはキリスト教の信仰、あるいはキリストそのものの象徴である。賢治がこのことを知っていてつめくさを『ポラーノの広場』の重要なモチーフにした、というのはそんなに無謀な仮説ではないと思う。だが、「ポラーノの広場」とつめくさの花の関係は、実は微妙で複雑なものがある。

 キューストたちがポラーノの広場を見つけ出したのは、つめくさの花の番号をたどって行ったからではない。山猫博士の馬車別当に「這いつくばって花の数を数えて行くようなそんなポラーノの広場はねえよ」と嘲われたが、ファゼーロとミーロは広場の物音を頼りに探しあてたのである。

 つめくさの花は、キューストたち一行がポラーノの広場に着くまで夜の野原を照らす。広場で開かれていた酒宴の場でも「つめくさの花の咲く晩に」「つめくさの花のかおる夜は」と歌の主題となって歌われる。つめくさの花の咲きほこるときポラーノの広場の宴も最高潮だった。楽隊の音楽と人々のどよめき、いろいろな花の匂いと混ざったお酒の匂い、山猫博士の不思議な酔態・・・雑多な、だが活気にみちた夜の気配が描写され、キューストとファゼーロが家路につくときも、つめくさのあかりは二人を照らしていた。

 だが、それから二月余りが経って、姿をくらましていたファゼーロと出張から戻ってきたキューストが再会し、二人が山猫博士が置き去りにした工場に向かう晩には、もうつめくさの花は枯れて葉も縮んでしまっていた。ファゼーロ、ミーロそれにファゼーロの姉のロザーロや村の老人たちも一緒になって、ハムを作ったり、革をなめしたり、後に産業組合となる組織の萌芽がこの工場で芽生えるのだが、このときつめ草の花はその役割を果たしたかのように萎れていく。

 「そこへ夜行って歌えば、またそこで風を吸えばもう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢いがよくて面白いようなそういうポラーノの広場をぼくらはみんなでこさえよう。」とファゼーロは言って広場の開場式をするのだが、そこでは「つめくさの花の終わる夜は」「つめくさの花のしぼむ夜は」と、つめくさの花の終焉が歌われるのである。

 そして、風がやって来る。キューストのきもののすきまから吹き込む冷たい風。ファゼーロの言葉を途中でかき消す風。開場式でみんなが飲むコップの水を波立たせる風。キューストに別れを告げるファゼーロの言葉やみんなの叫ぶ声もかき消す風。

 賢治はつめくさの花に何を象徴させたかったのだろう。『ポラーノの広場』の主人公はレオーノ・キューストでも、ファゼーロでもなくつめ草の花なのではないかと思われてくる。あるいは、晦渋にみちて自己処罰的に描かれたレオーノキューストの分身_純潔で貞節な信仰の象徴としての_がつめ草の花である、とも。

 ようやく『ポラーノの広場』とつめ草の花についてのささやかな考察に一区切りがつきました。この後、レオーノキューストについてもう少し書いてみたいと思っていますが、まだ時間がかかりそうです。今日も最後までつきあってくださってありがとうございました。

2019年3月30日土曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』__ケンタウルス_牛殺し_生の軛

 『銀河鉄道の夜』については、多くの分析や論評がなされていて、いま私のような賢治初心者があらたにいうこともないのだが、初心者なりに気が付いたことを少しだけ書いてみたい。

 この作品も生前活字になったものではないので、決定稿がないのだが、物語が始まるのは、主人公ジョバンニの町の「ケンタウル祭」の夜である。「ケンタウル祭」とは何か。

 「ケンタウル」という言葉はあきらかに「ケンタウルス」という星座名に由来するのだろう。ケンタウルスとは半牛半人の怪獣である。半馬半人や半獅子半人として描かれている絵画もあるようだが、元来は牛の下半身と人間の上半身が合体したものである。ギリシャ語で「タウルス」は「牛」であり、「ケンタウルス」は「牛殺し」の意だそうである。

 賢治は巧妙に「ケンタウルス祭」と呼ばずに「ケンタウル祭」としているが、祭りの夜子どもたちは「ケンタウルス、露をふらせ」と叫ぶ。また、物語の最後近く、難破した船と運命をともにして、銀河鉄道に乗り込んできた「タダシ」と呼ばれる男の子も、突然「ケンタウルス、露をふらせ」と叫ぶのだ。「ケンタウル祭」とは何か。主人公ジョバンニは何故ケンタウル祭から疎外されるのか。

 ここで、少し脇道にそれるようだが、ジョバンニと、ジョバンニの同伴者カムパネルラについて触れてみたい。ジョバンニという名の由来はあきらかにヨハネである。新約聖書には、ヨハネという名は福音書の作者として、書簡の著者として、また黙示録の作者としてその名が記載されている。だが、この作品のジョバンニ_ヨハネは、福音書の中で、イエスの前に登場して、荒野で悔い改めを説く洗礼者ヨハネだろう。あるいはイエスの弟子となったヨハネかもしれない。イエスその人ではなく。

 カムパネルラについては、十六世紀後半から十七世紀前半イタリアルネッサンスの時代に生きた修道士トマソ・カンパネッラに由来するといわれている。この作品中のカンパネルラにトマソ・カンパネッラの実像がどれほど投影されているのか疑問だが、自然哲学者、科学者そして魔術者でもあったトマソ・カンパネッラの事跡は賢治の文学と人生に大きな影響を与えたと思われる。カンパネッラの主著「太陽の都」は賢治の『ポラーノの広場』のモデルともいわれている。

 「ケンタウル祭」が何か、ジョバンニは何故「ケンタウル祭」から疎外されているのかを考えることは『銀河鉄道の夜』という作品の最も大きな主題を探ることになると思う。それは、人間が、生きるために食べる、食べるために殺す、ということの絶対的な不条理を考えることである。原罪、という言葉を使うとどうしてもキリスト教の世界を呼び寄せてしまうような気がするので、あえて、不条理といっておきたい。

 ジョバンニは病気の母親のために、配達されなかった牛乳をもらいに行く。だが、牛乳はもらえなかった。物語の最後で種明かしのように明らかになるのだが、牛乳屋の主人が目を離した隙に、仔牛が親牛のところに行って、乳を飲んでしまったからである。

 仔牛が親牛の乳を飲むのは自然の摂理である。人間がそこに介入して、仔牛を疎外してしまう。仔牛の食べ物を人間が略奪しているのである。病気の母親のために必要だからという理由で略奪が赦されるのか。略奪という言葉もまだ欺瞞で、人間の生、食は他の生物の命の収奪である。

 ケンタウルス_牛殺しは神話ではなく、太陽神ミトラスを主神とするミトラ教の秘儀である。牛は古くから家畜として人間の生を養う存在だった。『銀河鉄道の夜』でも、ジョバンニとカムパネレラが「ボス」と呼ばれる牛の祖先の骨を発掘調査している大学士に出会っている。ミトラ教が牛を聖牛として崇め、屠る儀式は、やがてその「血で贖う」というモチーフがキリスト教の救済の教義と結びついていった、という説があるのだが、いまは、この秘儀が生命力の解放と豊穣をもたらすと信じられていたことを確認しておきたい。

 生=食=殺というジレンマが賢治の実生活を苦しめたことはよく知られている。どうにかしてこのジレンマから逃れるすべはないか。この世に生きている限り逃れるすべのないジレンマの、ありうべき解決のベクトルとして、賢治が提示してみせたのが、最初に銀河鉄道に乗り込んできた「鳥を捕る人」だったのではないか。

 鳥捕りは両手を広げていれば、舞いおりてくる鳥を何の苦もなく捕まえることができ、鳥は鳥捕りの袋のなかで「しばらく青くぺかぺか光ったり消えたりしていましたが、おしまいとうとう、みんなぼんやり白くなって、目をつぶるのでした」という最後を迎える。そしてつかまる鳥よりつかまらない鳥のほうがはるかに多くて、それらは無事天の川に降りると「二、三度明るくなったり暗くなったりしているうちに、もうすっかりまわりと同じいろになってしまうのでした。」と書かれる。

 生物が自然の死を迎える直前に捕獲して、そのまま食物とする。しかも「ああせいせいした。どうもからだにちょうど合うほどかせいでいるくらい、いいことはありませんな。」と、必要なだけしか捕獲しない。これがシステムとして成り立てば、生=食=殺の軛から逃れることができる。

 ジョバンニは鳥捕りにすすめられて、押し葉になった雁を食べてみる。それはチョコレートよりもおいしいお菓子の味だった。一緒に食べていたカムパネルラも「こいつは雁じゃない。ただのお菓子でしょう」という。二人が食べたのは雁だったのか、それとも「ただのお菓子」だったのか。「ただのお菓子」は雁ではないのか。ここには賢治の巧妙な欺瞞があるような気がするのだが。

 「茶いろの少しぼろぼろの外套を着て」「赤髯の背中のかがんだ人」と描写される鳥捕りとは何か。ジョバンニはその人を見て「なにか大へんさびしいような悲しいような気」がする。赤ひげの人も「なにかなつかしそうにわらいながら」ジョバンニやカムパネルラのようすを見ている。鳥捕りの正体は謎に満ちているが、注目すべきは、ジョバンニは最初から鳥捕りを悲哀の目でみつめ、同情をよせていることである。

 もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸いになるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙っていられなくなりました。

 ジョバンニは、なぜこれほど異様なまでの感情の昂ぶりをあらわにするのか。「この人のほんとうの幸いになるなら」__幸いは「この人」のものであって、けっして「私の」幸いではないことに注意したい。「あなたのほんとうにほしいもの」は何か、ジョバンニが鳥捕りに聞こうとして後ろを振りかえると、鳥捕りの姿は消えていた。「この人のほんとうの幸い」」_絶対利他の到達点をもとめて、ジョバンニの旅は始まる。

 ケンタウルスの主題に戻ろう。ケンタウルスという言葉が再び登場するのは、汽車が蠍の火が燃え盛る天の川の野原を過ぎたときである。蠍の火については、賢治がほとんど同じ主題で「よだかの星」という有名な作品を残している。『銀河鉄道の夜』では、難破船から乗り込んできた女の子がカムパネルラと、食物連鎖から逃れようとした蠍の話をする。他者に自分をたべさせ、他者の生を養うことから逃げ回り、最後は井戸で溺れ死にそうになる蠍の祈りが語られる。この次はむなしく命をすてずに、まことのみんなの幸いのために自分のからだを使ってください、という蠍の願いが聞き入れられ、まっ赤なうつくしい火となって天上で燃え続けている、と女の子は語る。

 蠍の火から遠ざかるにつれて、町のお祭りのような気配がしてくる。突然、ここで、いままで睡っていたタダシという男の子が「ケンタウルス露を降らせ。」と叫ぶ。この後「ああ、そうだ、今夜ケンタウル祭だねぇ。」「ああ、ここはケンタウルの村だよ。」というやり取りがある。それまで天上を走っていた汽車が、突然日常世界に戻るのも不思議だが、難破船から乗り込んできた男の子が「ケンタウルス露をふらせ」と叫ぶのもわからない。

 この後、サウザンクロスで多くの人々が下り、ジョバンニはカムパネルラとどこまでも一緒に行こうと誓いをかわす。だが、そのカムパネルラが「あ、あすこ、石炭袋だよ。そらの孔だよ。」と暗闇を見つける。さらに「ああ、あすこの野原はなんてきれいなんだろう。みんな集まっているねぇ。あすこがほんとうの天上なんだ。あっ、あすこにいるのはぼくのお母さんだよ。」と叫んで消えてしまう。

 最初に書いたように、『銀河鉄道の夜』は決定稿がないが、第四次稿とされるものには、カムパネルラが級友のザネリを助けるために溺れ死んだことが示唆されている。カムパネルラが姿を消す前に蠍の火のモチーフが詳しく語られ、夜空に燃えさかるうつくしい火が描写されるのは、カムパネルラの死の意味を伝えるためだろう。

 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
                  ヨハネによる福音書15-13

カムパネルラの死の意味をいうとき、まずこの聖句が思い浮かぶだろう。それでいい、と思うし、そう考えなければいけない、とも思うのだが、カムパネルラの死は「自己犠牲」という言葉で終わらせてはならない、という誘惑にかられるのだ。それは「自己犠牲」ではなく「犠牲」の死だった。カムパネルラは「ケンタウルス、露をふらせ。」の叫びに答えたのだ、と。

 思いつきの走り書きです。複雑で底知れない深さの作品に、ほんのちょっとかぶりついてみて、自分の非力に茫然としています。この作品の隠されたテーマと思われる母と子の関係、後半突如として登場する空の工兵大隊と「星とつるはしを書いた旗」のことなど考えてみたいことはたくさんあるのですが、いったんは『ポラーノの広場』に戻りたいと思います。

 今日も不出来な文章に最後までつきあってくださってありがとうございます。
 

2019年3月7日木曜日

宮沢賢治『ポラーノの広場』__革命の希求と涜神の怖れ

 二十世紀は革命と戦争の時代だった。「宮沢賢治と革命」という命題の立て方は唐突のように思われるかもしれないが、賢治は童話のジャンルでは寓意的に、詩の中では直接に「革命」について言及している。

 サキノハカという黒い花といっしょに
 革命がやがてやってくる
 ブルジョワジーでもプロレタリアートでも
 おほよそ卑怯な下等なやつらは
 みんなひとりで日向へ出た茸のやうに
 潰れて流れるその日が来る
 (略)
 はがねを鍛えるやうに新しい時代は新しい人間を鍛える
 紺色した山地の稜をも砕け
 銀河をつかって発電所もつくれ

 サキノハカという言葉が何を意味するものか諸説あって、わからないそうだが、もうひとつ「生徒諸君に寄せる」と題した詩のなかにもこの言葉が出てくる。賢治が花巻農学校の教師を辞するときの詩である。

 諸君よ 紺色の地平線が膨らみ高まるときに
 諸君はその中に没することを欲するか
 じつに諸君はその地平線に於る
 あらゆる形の山岳でなければならぬ
 サキノハカ〔以下空白〕
 〔約九字分空白〕来る
 諸君はこの時代に強ひられひ率ゐられて
 奴隷のやうに忍従することを欲するか
 むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ
 宙宇は絶えずわれらによって変化する
 潮汐や風、
 あらゆる自然の力を用ゐ尽くすことから一足進んで
 諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ 

 これは「グスコーブドリの伝記」の志向するところとほぼ一致するような内容である。この後さらに賢治は

 新しい時代のコペルニクスよ
 ・・・・・・・・
 新しい時代のダーウィンよ
 ・・・・・・・・
 新たな詩人よ
 ・・・・・・・・
 新たな時代のマルクスよ
 ・・・・・・・・
と農学校の生徒たちに呼びかけ、鼓舞する。ここに見られる賢治の「革命」は二〇世紀初頭に現実に起こった二つの革命とも、理念としての階級闘争とも異なっていて、むしろよりラディカルな、狂想ともいえるようなスケールのものである。だが、しかし、複雑なのは、「紺色した山地の稜をも砕け」と言い、「新たな自然を形成するに努めねばならぬ」と断言しながら、一方で

 祀られざるも神には神の身土があると
 あざけるようなうつろな声で
 さう云ったのはいったい誰だ 席をわたったそれは誰だ

と始まる「産業組合青年会」と題する詩が存在するのである。

 まことの道は
 誰が云ったの行ったの
 さういふ風のものでない
 祭祀の有無を是非するならば
 卑賎の神のその名にさへもふさわぬと
 応えたものはいったい何だ いきまき応えたそれは何だ
 (略)
 部落部落の省組合が
 ハムをつくり羊毛を織り医薬を頒ち
 村ごとのまたその聯合の大きなものが
 山地の肩をひととこ砕いて
 石灰岩末の幾千車かを 
 酸えた野原にそそいだり
 ゴムから靴を鋳たりもしよう
 (略)
 しかもこれら熱誠有為な村々の処士会同の夜半
 祀られざるも神には神の身土があると
 老いて呟くそれは誰だ

そしてこの詩のすぐ後に

 夜の湿気と風がさびしくいりまじり
 松ややなぎの林はくろく
 そらには暗い業の花びらがいっぱいで
 わたくしは神々の名を録したことから
 はげしく寒くふるへている

という詩が続く。「サキノハカ「という黒い花」と「暗い業の花」は同じものだろうか。賢治は、自然の改変という「革命」をこの世にもたらすことをほんとうに望んだのか。
「神々の名を録」す涜神の怖れに堪えることができると考えたのだろうか。


 前置きが長くなってしまったが、そもそも標題の『ポラーノの広場』の意味するところが複雑なのである。賢治が演出して花巻農学校の生徒に上演させた劇の台本として『ポランの広場』と題した草稿が残っているそうである。「ポラン」から「ポラーノ」への変化もまた謎だが、「ポラーノ」の由来も諸説ある。おおむね「ポール」から派生して「北極星」あるいは「北」の意を含む言葉としているようだが、ポーランド語で「薪」を意味するという説も捨てがたい。作品の末尾で、「私」のもとに郵便で「ポラーノのうた」が楽譜とともに届くのだが、その二番の歌詞に

 まさしきねがいに いさかうとも
 銀河のかなたに ともにわらい
 なべてのなやみを たきぎともしつ
 はえある世界をともにつくらん

とある。

 ポラーノの語義として最も有力なのはエスペラント語の「花粉」だと思われるが、またしても独断と偏見の持ち主である私はロシア語の「森の中の草地」説(これはトルストイの生地の地名でもあるようだ)も捨てがたい。「広場」というとすぐに「赤の広場」を連想してしまう私の想像力の貧困が恥ずかしいのだが、元来ロシア語の「赤」は「美しい」という意味だったそうなので、そんなに突飛な連想でもないと思う。

 「革命」の詩の解釈と「ポラーノ」の語義を調べることでかなりの字数をついやしてしまった。「前十七等官 レオーノキュースト誌 宮沢賢治訳述」と記された『ポラーノの広場』の内容については、次回また書くことにしたい。賢治自身が「少年小説」とメモしたというこの作品は、苦渋に満ちた、しかしある種の諦観に到達した作者の自伝小説のように思われる。「革命」はここでは、「フェビアン協会」のような「社会改良主義」といったほうがよいかもしれないのだが。

 なかなか本題に入れずここまできてしまいました。未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2018年12月5日水曜日

宮沢賢治『フランドン農学校の豚』__父と子そして国家

 前回『フランドン農学校の豚』について、救済をもたらさない受難物語として読んでみた。概ねそれでいいと思うのだが、もう少し書いてみたい。この作品に限らないのだが、賢治の作品、とくに散文の中には、ときに周到に隠されているのだが、「父と子」のテーマが存在するのである。

  フランドン農学校の校長と豚の関係は、たんに擬人化された飼育者と家畜のそれにとどまらないものがあるように思う。豚と言葉を交わしコミュニケーションをとるのは、校長だけである。どこにも救いのない死に至る豚だが、校長とのやりとりには、微かな甘えの気配が漂うのだ。校長もまた、豚に対して決然とした態度をとれないでいる。

 校長は、印を押させるための死亡承諾書を持って来ながら、豚の様子があまりに陰気だったので、承諾書をそのまま持ち帰ってしまう。再びやってきた校長が意を決して切り出すと、豚は「いやです、いやです、そんならいやです。どうしてもいやです。」と泣き叫ぶ。犬/猫にも劣る恩知らず、と罵りながらも、校長はやはり印を押させることができない。豚は「どうせ犬猫なんかにははじめから劣ってますよう、わあ」と、すねて大泣きする。ここには哀歓をともにする感情の交流が間違いなくあるのだ。

 だが、豚は「農学校で飼育されている食肉用家畜」である以上、殺戮されることを運命として引き受けなければならない。校長と感情の交流があるといっても、校長は最終的に豚に死を宣告する役割がある。殺戮を実行するのは冷徹なテクノクラートだが、「死亡承諾書」に印を押させることは、校長にしかできないのである。

 ところで、「死亡承諾書」なるものは何を意味するのか。豚が殺される前の月、その国の王が「家畜/撲殺同意調印法」を布告した、と書かれている。『フランドン農学校の豚』を、たんなる受難物語として読み過ごすことができないのは、「家畜/撲殺同意調印法」の意味がわからないからである。なぜ家畜を殺すのに家畜の同意を得る必要があるのか。それを法律で定める必要があるのか。___というより、賢治がこの作品の中に、唐突に国王と法律を持ち出すことの意味がわからないのである。

 「死亡承諾書」が存在しなくても、殺される豚と農学校の校長との物語は成り立っただろう。死を強制せざるを得ない父と最後にはそれを受け入れざるを得ない子との物語である。だが、その強制の背後に「法律」が存在して、「国」の「王」がいる、となると、これは「父と子」のプロットを包み込む、さらに大きな枠組みが用意されていることになる。

 いったい、賢治の「童話」と称されるものは、実はかなり複雑な影を帯びているものが多い。有名な『注文の多い料理店』という作品も、例によって独断と偏見の持ち主の私は、「富国強兵」のスローガンのもと、「イギリス風の紳士」然と西洋化した(させられた)日本が、言葉巧みに操られて、最後は丸裸になって滅亡させられてしまうところだった、というお話だと考えている。賢治は、最後に死んだはずの犬が「山猫軒」を襲って二人の「イギリス風の紳士」を助けてくれることにしているが、この結末にはかなりの無理があるように思われる。

 『フランドン農学校』という作品は、賢治の晩年、と言っても三十代のことだろうが、に書かれたようである。晩年に近づくほど、詩、散文ともに、賢治の作品は、実生活の影が濃く、苦渋に満ちたものが多くなってくる。『フランドン学校の豚』は、擬人法、というより、人間社会を豚に擬えて書いた、という意味で「擬豚法」とでも呼ぶべき方法で描いた、苦渋に満ちた傑作であると思う。

 もっと丁寧に「父と子」と「国家」について掘り下げなければならないのですが、体力、気力ともに十分ではないので、もう少し時間が欲しいと思っています。今日も不出来な感想文を読んでくださってありがとうございます。

2018年11月28日水曜日

宮沢賢治『フランドン農学校の豚』__絶望の果ては何か

 異様な作品である。賢治の死後に原稿が発見されたそうで、作品の冒頭部分が欠落している。『フランドン農学校』で飼育されている豚が屠られるまでの数日間を、豚の内面に入って描いた小説である。「童話」というにはあまりにも残酷で、「寓話」と呼ぶには描写がリアル過ぎる。

 この豚は人間の言葉を理解し、話す。当然に、人間と同じ感情をもつ。同時に豚なので、金石でなければ、あたえられるものは何でもたべて上等な脂肪や肉にする。触媒として、白金と同じだ、といわれてよろこぶ。豚は白金の値も知っていて、自分の目方もわかっているので、素早く自分の値打ちを計算して幸福感にひたったりする。

 豚の運命が暗転していくのは、あたえられた餌のなかに歯磨楊枝が混じっていたときからである。ここまでは三人称の叙述だったのだが、ここで突如として語り手が語り始める。少し長いがその部分を引用したい。

  それから二三日たって、そのフランドンの豚は、どさりと上から落ちて来た一かたまりのたべ物から、(大学生諸君、意志を鞏固にもち給え。いいかな。)たべ物の中から、一寸細長い白いもので、さきにみじかい毛を植えた、ごく率直に云うならば、ラクダ印の歯磨楊枝、それを見たのだ。どうもいやな説教で、折角洗礼を受けた、大学生諸君にすまないが少しこらえてくれ給え。

 つまり、この作品は語り手(誰かわからないが)が、複数の大学生に向かって語っているのである。しかも、その「大学生諸君」は「折角洗礼を受けた」とあるので、キリスト教の学生なのだ。

 飼育が進んでいく豚を怜悧な目で観察していくのは畜産学校の教師である。教師と助手は毎日豚の様子を見に来るが、豚と言葉を交わすことはない。直覚で豚は彼らの冷酷さを感じて恐怖する。豚と言葉を交わしコミュニケーションをとるのは、農学校の校長だけである。

 校長は豚から「死亡承諾書」を取るためにやってくる。その国の王が前月「家畜撲殺調印法」という法律を布告したので、家畜を殺すものはその家畜から「死亡承諾書」を取って判を押させることになったからである。ところが、校長は豚に「死亡承諾書」のことを切り出せなかった。気分がふさぐという豚とにらみ合ったままで、しばらく立っていたが、「とにかくよくやすんでおいで。あんまり動きまわらんでね。」という言葉を残して行ってしまう。

 豚は「承諾書]という言葉を畜産学の教師と助手の会話から聞いてしまう。豚は「承諾書」という言葉に不安と恐怖を覚えて煩悶する。さらに寄宿舎の生徒がやって来て、屠った豚の料理の話をする。彼らが小屋を出て行った後に、校長が再びやって来る。そして、今回は飼育されたことのありがたさを豚に説いて、「死亡承諾書」に判を押させようとする。「死亡承諾書」にはこう書いてある。

 死亡承諾書、私/儀永永御恩顧の次第に有候儘、御都合により、何時にても死亡/仕るべく候年月日フランドン畜舎内、ヨークシャイア、フランドン農学校長/殿

 校長は「ほんの小さなたのみだが」というが、読めば恐ろしい事が書いてある。「いやです、いやです、そんならいやです。どうしてもいやです。」と、泣いて叫ぶ豚に、校長は「いやかい。それでは仕方がない。お前もあんまり恩知らずだ。犬/猫にさえ劣ったやつだ。」と怒って出て行ってしまう。校長はまたしてもしくじったのだ。

 次の日また畜産の担任が助手を連れてやって来る。校長と違って畜産学の教師は冷酷な実務家だ。悲嘆にくれてやせ衰えた豚を運動させて腹を空かせようとする。教師は「む茶くちゃにたたいたり走らしたりしちゃいけないぞ」と指示するのだが、助手は丁寧な言葉使いでいたぶりながら、鞭をくれて豚に散歩させる。登場人物のなかで、この助手が最も残酷で嗜虐的な人間として描かれている。

 三日経っても痩せる一方で回復しない豚を見て、畜産の教師は肥育器を使うことにする。豚を縛りつけて喉に管を通し、強制給餌をするのだ。縛りつける前に死亡承諾書に判
を押させなければならないので、あわてて校長がやって来る。今度ばかりは校長の剣幕におびえて、豚は承諾書に判を押してしまう。

 それから豚は縛りつけられて喉に管を通され、胃の中まで餌を送り込まれる。七日間ひたすら餌を送りこまれて、息をするのも苦しいくらい太った豚は「もういいようだ。丁度いい。・・・丁度あしたがいいだろう」という教師の言葉を聞いて、自分があす死亡することを知る。それから助手と小使いがやって来る。助手に鞭打たれて体を洗われた豚は、小使いのもつブラシが豚の毛でできているのを見て、泣きわめく。

 寒さと空腹と恐怖のなかで一夜を明かした豚は、また助手に鞭打たれ、畜舎から外に出され、殺される。「はあはあ頬をふくらませて、ぐたっぐたっと歩き出す」豚を鉄槌を持って殺したのは、畜産の教師である。生徒らにもう一度体を洗われた豚の喉を刺したのは助手だった。

 作者みずから最後に「一体この物語は、あんまり哀れ過ぎるのだ。」と書かずにいられないほど、この作品は残酷である。みずからの死に何の意味も見いだせないばかりか、不安が恐怖へ、恐怖が絶望に変わって、絶望の中で、誰にも愛されず豚は殺されるのだ。なおかつ、殺された豚は、生徒たちが待っていたような晩餐の糧となったわけでもなさそうである。「からだを八つに分解されて、厩舎のうしろに積みあげられた。雪の中に一晩/
漬けられた。」とあるのだ。

 ところで「フランドン農学校」とはどこにあるのだろう。フィクションなのだから、固有の地名にこだわる必要はないのかもしれないが、「フランドン」から「フランダース」_『フランダースの犬』を連想するのは突拍子もないことではないだろう。賢治の時代に日本に紹介されていたかどうかわからないのだが、『フランダースの犬』は一八七一年に書かれているので、その可能性がないとはいえないと思う。

 『フランダースの犬』という小説は書かれたイギリスよりも日本で愛読されたようで、最後に、教会のルーベンスの絵の前で死ぬ少年と犬の話として有名である。月光の中で、キリストの十字架を描いたルーベンスの絵を見て死んでいく少年の姿に涙しながらも、ひとすじのカタルシスをもたらす「フランダースの犬」にくらべて、「フランドン農学校の豚」はあまりにも暗い。というか、『フランダースの犬』の宗教的法悦を真っ向否定するために『フランドン農学校の豚』は書かれたのではないかとさえ思われる。

 前述の「折角洗礼を受けた、大学生諸君」に「どうもいやな説教ですまないが」という叙述から、この作品がキリスト教と深い関連があると推察するのは間違っていないと思う。十字架に掛けられるイエスの受難、それによる救済の福音と、無残に、無意味に死んでいく豚の絶望を対比させたかったのではないか。最後に作者はこう結ぶ。

 さて大学生諸君、その晩空はよく晴れて、金牛宮もきらめき出し、二十四日の銀の角、つめたく光る弦月が、青じろい水銀のひかりを、そこらの雲にそそぎかけ、そのつめたい雪の中、戦場の墓地のように積みあげられた雪の底に、豚はきれいに洗われて、八きれになって埋まった。月はだまって過ぎて行く。夜はいよいよ冴えたのだ。

(「二十四日の銀の月」は十二月二十四日キリスト生誕の前夜である)

 ことわっておくが、私は、賢治がキリスト教を否定したかったのだというつもりはない。ただ、徹底して無残な、孤独の死を描きたかったのだろうと思う。ここには『なめとこ山の熊』の予定調和もない。無常が、観念でなく実在しているだけだ。そして、一個の豚の無残な死を書き留めることによって、この世で誰にも愛されず絶望の果てに死んでいった豚への愛を語ったのだろうと思われる。もちろんそれが、何の救いになるわけでもないのだけれど。

「小津安二郎と日中戦争」について書くといいながら、また寄り道してしまいました。弁解になるのですが、それほど小津の映画は手ごわいのです。今日も不出来な読書ノートを読んでくださって、ありがとうございます。