2013年9月14日土曜日

「紅の豚」を見る者____さよならをもう一度

 もう一度だけ書かなければならない。「紅の豚」とは何か、ということについて。いままで書いてきたことはすべて正しかったと思っている。「紅」はコミュニズム=共同体主義の象徴であること、「豚」は最後には殺されること、そして「豚」という言葉をもう一つのカテゴリーで考えるべきこと、それらのすべてを統合して、それらを超克する存在、それが「紅の豚」なのだ、ということをあらためて呈示しなければならない。

 豚が人間の顔に戻るのは豚の側にその主体的な条件があるのではない。見る側に、見る側の状況にあるのだ。豚が人間の顔をしているところを見たのは、フィオとカーチスである。この二人に共通した状況とは何か。二人ともある行為をした後に人間の顔をした豚を見たのだ。そしてその顔は、このブログを読んでくださっている方なら、誰もが知っている人間の顔である。そう、世界中の読者の方が知っている。あるいは宮崎駿の作品を継続的に追いかけてきた方なら、私より先にとっくに気がついていたかもしれない。

 フィオは言う。「あたし、マルコ・パゴット大尉のことたくさん知ってるの。父が同じ部隊だったでしょ。大尉が嵐の海に降りて敵のパイロットを助けた時の話、大好きで何度も聞いたわ」___マルコ・パゴット___嵐の海に下りて敵のパイロットを助ける___これだけでヒントは十分だろう。さらにいえば、マルコは意識を失い、いったん「雲の平原」の上に昇る。だが、昇天した飛行艇の群れには加わらず、再び気がつくと海面すれすれを漂っていたのだ。

 だが、それでも、私にはわからない。何ゆえにポルコは再び地上に現れて、そして再び去ったのか。

 どなたかわかる方がいたら、教えてください。投稿お待ちしています。
 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

蛇足 修理が終わった飛行艇を運河から空中に離陸させる場面、ポルコでもフィオでもない第三の声が二回入るのだが、これってルール違反ではないか?いや、そのことをバラしてしまう私がルール違反?

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