2013年9月9日月曜日

「紅の豚」__「紅の」「豚」とは何か

 どなたかがブログで「紅の豚」の「紅」は共産主義の「赤」であると書いていた。私も同意見である。「共産主義」というなかば化石のようになってしまった言葉を「コミュニズム=共同体主義」と訳したらどうだろう。映画の中でくり返しジーナが歌う「さくらんぼの実る頃」というシャンソンはパリ・コミューンに参加した銅工職人が作詞したものだそうだ。短かったコミューンとそれに続く「血の一週間」を悼んで多くの歌手が歌っている。もちろんふつうの人たちも。

 少し長くなるが、歌詞を紹介しよう。もちろん私はフランス語も出来ないので日本語に訳したものである。

 さくらんぼの実る頃 さくらんぼの季節を歌い
 ナイチンゲールやマネツグミが みな陽気にさえずる頃

 女たちの心は狂喜にあふれ 
 恋人たちの心は陽光にみたされる

 私たちがさくらんぼの季節を歌えば
 鳥たちも一層上手にさえずり始める

 でもさくらんぼの季節はとても短い
 片方無くしたさくらんぼの耳飾
 夢の中でそれを探しに行く

 愛のさくらんぼはどちらも同じ衣をまとい
 滴る血となり葉の上に落ちる

 でもさくらんぼの季節はとても短い
 夢の中で摘む珊瑚の耳飾

 いつも私はさくらんぼの実る頃を愛する
 あのときから私は心を切り裂いた傷を秘めている

 「紅」は共産主義の「赤」であると同時に、さくらんぼの「紅」であり、「滴る血」の「紅」なのだ。生と死との両義性に満ちている。

 上記のブログ作者の方は「豚」について、抑圧とたたかう理想に燃えたエネルギーをもつ存在としてとらえている。私は、それについては同意できない。猪は「猪突猛進」という言葉が示すように、一直線のエネルギーを持つ物かもしれないが、豚は「人間に飼いならされた猪」であり「最後は人間に食べられるために」存在するのだ。豚は十分肥え太らせてから、殺すのだ。恐ろしいことである。ポルコが稼いだ大金を最後に手にしたのは誰だったか?

 「豚」については、このような食用家畜としての意味とはまた別のカテゴリーでも考えなければならない言葉であると思っている。ジーナを大統領夫人にするというカーチスに彼女はこうこたえるのだ。「ここではあなたのお国より、人生がもうちょっと複雑なの」___人生は両義性に満ちている。

 宮崎駿は素晴らしいアーティストだ。
 だが、美しい薔薇には棘がある。

 不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿