2013年5月1日水曜日

『万延元年のフットボール』に見る暴力の克服____カインとアベルの神話の反復と超克

 『万延元年のフットボール』についてはすでにあまりに多くの人たちがこれを語り、評論している。いま現代文学にまったくの門外漢たる私が付け加えることなどほとんどないのだが、読了して得た深い感動の一端でも文字にしたい、という思いを禁じえなかった。もちろん、まとまった評論など書けるわけもないので、断片的な備忘録、ノートの体裁で箇条書きに近いものになるだろう。備忘録その1は、この作品を貫くもっとも骨太な構造としての神話「アベルとカインの物語」である。

 旧約聖書巻頭「創世記」は楽園を追放されたアダムとイヴが、二人の男の子を生み、兄をカイン弟をアベルと名づけたことが記される。兄のカインは地を耕してその収穫物を神に供え、弟のアベルは牧畜をして羊の初子を供えた。神はアベルの供え物に目を留められ、カインの供え物は無視したので、カインは憤ってアベルを憎むようになり、アベルを野に誘い殺した。カインがアベルを殺したことは神の知るところとなり、カインはアベルの血を受けた土地から追放される。神は「この土地が口を開けて、あなたの手から弟の血を受けたので、土地はもはやあなたのために実を結ばない」とカインを呪い、カインは放浪者となるが、「神はカインを見つけるものがだれも彼を撃ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた」

 クリスチャンはこの説話をありがたい説教に変えて信仰の大切さを説くが、これは不思議な説話である。そもそもカインがアベルを憎むようになったのは、神がアベルの供え物だけをとりあげたからである。その上でカインになぜ憤るのかと問い、カインに「正しいことをしていないなら、罪が戸口まで来ているので、あなたはそれを治めなければならない」というのは理不尽ではないか。兄弟はそれぞれのなりわいにしたがって、供え物をささげた。それ以外の供え物があるはずはないのである。「罪が戸口まで来ていて、あなたはそれを治めなければならない」という言葉はカインに罪=殺人を教唆するものではないか。

 謎に満ちたこの説話が示す事柄は、楽園を追放されたアダムとイヴが生んだ子たちは一人は殺され、もう一人は生まれたその土地からまたも追放された、という歴史をヘブライの民は信じた、ということである。神は牧畜による供え物を喜ばれたが、牧畜をなりわいとする者は殺され、地を耕す者は牧畜をなりわいとする者を殺したが故にその土地に定着して農耕をすることを許されなかった。だが殺人者が放浪者として地上に生存する権利は保証されたのである。

 さて、追放された兄カインをこの作品の語り手である僕=根所蜜三郎に、弟アベルを鷹四になぞらえることはたやすい。「根所蜜三郎」というネーミングに「乳と蜜の流れる所___約束の地カナン」を連想するのは飛躍しすぎだろうか。第一章「死者にみちびかれて」の中で「僕」がみずからの右眼の視力を失ったいきさつを作者は「ある朝、僕が街を歩いていると、怯えと怒りのパニックにおちいった小学生の一団が石礫を投げてきた」と記す。片眼を撃たれて倒れ、「僕の右眼は白眼の部分から黒眼の部分にまたがって横に裂け、視力を失った」。だが、なぜそのようなことが起こったのか、その原因について語り手の僕は何もいわない。「現在に至るまで、あの事故の本当の意味を理解したと感じたことはない。しかもそれを惧れる気持がある」__惧れる気持?物語の出発点から語り手は自らの存在の根幹にかかわる何かを惧れ、惧れているという事実は示しながらそれ以外は隠微に隠したままの状態で最後まで語るのだ。ただ一つ「右眼が白眼の部分から黒眼の部分にまたがって横に裂け」ているという異形の相になったこと__「一つのしるしをつけられた」ことをまず述べるのである。それでは、聖書の記述にあるように、蜜三郎_カインはアベル_鷹四を殺したのか?

 「蜜、きみはなぜそのようにも俺を憎んでいるんだ?・・・おれたちは、根所家に生き残った、ただふたりだけの兄弟じゃないのか?」と叫んで、頭と顔を霰弾銃で打ち抜いて死んでいった鷹四の死はもちろん自殺である。蜜三郎が殺したのではない。だが、蜜三郎の妻菜採子は「蜜は鷹の自殺がもっとも惨めな恥ずかしい死になるように鷹を追いつめたわ。そのように惨めに死ぬほかないところまで、鷹を繰りかえし恥の輪の中におとしこんだわ」と弾劾する。その弾劾は正当である。いったい蜜三郎の憎悪の底にあるものは何なのか?鷹四をアベルになぞらえることが妥当だとすれば、鷹四とは何者なのか?

 「鷹四」とは不思議なネーミングである。「根所」「蜜三郎」も不思議なネーミングといえるが、「鷹四」はきわだって特異である。「鷹」という文字から猛禽類の鷹をまずイメージする。第2章「一族再会」の中で鷹四は「アナグマの毛皮(または模造皮)の衿をつけた上着に、デニムのズボンをはいた狩猟家のような弟」として登場する。彼の年少の友人星男は恐れることのない勇敢なヒーローとして彼を信奉する。事実物語りのなかで、鷹四は暴力と知力を用いて、有能なアジテーター=「悪の執行者」としてふるまうのである。だが「鷹四」というネーミングの喚起するものはそれだけではない。

 「鷹」_ホーク_ホルス=エジプト神話の最も偉大な神ホルスは天空と太陽の神であり、隼の顔をもつ。ホルスは、叔父または兄ともいわれるセトという神とたたかって左目を失う。母イシスの膝に抱かれる幼子として描かれることがあり、その姿がマリアとイエスに置換され、イエスの原型となったともいわれる。贖罪と死のイメージはイエスと鷹四(_鷹死)を結ぶ共通項である。万延元年の一揆では、鷹四の曽祖父は一揆の実行犯の若者たちを謀略をもって斬殺させたが、、リーダーたる弟は生き延びさせた。(つまり、カインはアベルを殺さなかった。)これに対し、鷹四の企てたスーパー・マーケットの略奪の場合は、だれ一人逮捕者を出すこともなかったが、鷹四は自死した。鷹四は死をもって、曽祖父と弟の罪を償ったのだ、といえないだろうか。

 結論を急ぎすぎたようである。この作品の重要な登場人物として、「僕」と「一卵性双生児のよう」だとされ、物語の冒頭で「朱色の顔料で頭と顔を塗りつぶし、素裸で肛門に胡瓜をさしこみ、縊死した」友人と「僕」の妻で鷹四の子を宿す菜採子、鷹四に倉屋敷の売却金を与え、略奪の軍資金を提供した(結果となった)スーパー・マーケットの「天皇」についてもふれなければならないが、長くなるのでそれらはまたの機会にしたい。

 今日も、未整理な備忘録に過ぎない文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

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