2013年2月6日水曜日

「ちびくろサンボ」を考える___サリンジャーとちびくろサンボ

 一昔前、たぶんバブルの八十年代後半だったと思うが、「ちびくろサンボ」が差別かどうかで議論が沸騰したことがあった。「ちびくろサンボ」だけでなく、他の作品も、というより言葉そのものが差別かどうかで議論の対象になり、いくつかの言葉が「言葉狩り」の対象になった。単刀直入にそのものを示すやまとことばはおおっぴらに使うことが躊躇われるようになって、それは今でも続いている。「めくら」は「視覚障害」、「つんぼ」は「聴覚障害」と言い換えられるようになった。いや、「障害『者』」と言う言葉さえも直接当事者に向かって発するには勇気を要する。だが、言葉はそもそも「モノ」や「コト」を他と区別する機能をもつものだ。そのものズバリのやまとことばが差別語であるとして、漢語を使ったまわりくどい表現ならよしとする風潮はおかしい。

 「差別語」を使わなければ差別がなくなるわけではない。八十年代後半から今にいたるまで差別は一層深刻になり、「格差」あるいは「格差社会」と言う言葉が発明された。「格差」は抽象的表現で、内実は「貧富の差」「弱肉強食の徹底」である。

 さて「ちびくろサンボ」に戻ろう。差別か否かだけが議論の対象となったこの作品は謎に満ちている。サリンジャーの小説がどれも謎にみちているように。サリンジャーは『ナイン・ストーリーズ』の巻頭「バナナ魚には理想的な日」の中にこの作品を登場させる。主人公シーモアがシビル・カーペンターという少女と浜辺で会話している。シーモアは少女にどこから来たのか訊ねる。最初は知らない、と言った少女がシーモアの誘導に「コネティカット州ホヮーリーウッド」と答えた後、突然「あんた、『ちびくろサンボ』読んだ?」とシーモアに聞く。その後の会話がちょっと不思議なのである。自分も昨夜読み終えたばかりだ、と答えるシーモアは木の周りをぐるぐる回る虎のことを「あんなにたくさんの虎、見たことない」と言う。それにたいしてシビルは「たった六匹よ」とかえす。

 よく知られているように、原作に登場する虎は四匹である。なぜシビルは「たった六匹よ」と言ったのだろう。それに対してシーモアは「きみは六匹をたったって言うの」と返して、頭数を訂正するわけでもない。この後シビルは「六本」のバナナをくわえているバナナ魚を見つけた、と書かれているので、「六」という数字は何か意味があるのだろう。だが、わざわざ登場する虎の頭数を変えてまで「ちびくろサンボ」を登場させたのは何故か。

 「ちびくろサンボ」は19世紀末に軍医の夫とともにインドで生活したバナーマン夫人が自分の娘たちのために書いた童話であるとされている。チベットの民話が元になっているとも言われるが詳ししい由来は知らない。私自身も岩波版の「ちびくろサンボ」を自分の子どものために買って読み聞かせた覚えがある。お母さんのマンボに赤い上着と青いズボンを作ってもらい、お父さんのジャンボに紫の靴と緑色の傘を市場で買ってもらったサンボは竹やぶの中に出かけて、順々に現れた四匹の虎に命と引き換えにみんな取られてしまう。四匹の虎はそれぞれ自分の獲物を自慢し、自分が一番強いと言って、けんかを始める。相手の尻尾を嚙もうとしてぐるぐる回り始めた虎は、そのうち溶けて「ギー」というバターになってしまう。裸で木の上から見ていたサンボはそのギーを家に持ち帰ってお母さんにホットケーキを作ってもらって、お母さんのマンボが27枚、お父さんのジャンボが55枚、サンボは169枚食べました、というお話である。

 童話なのでつじつまが合わないことがあるのは当然だが、それでも不思議なことがいくつもあるお話だと思う。まず、上から下まで新調の衣服を身に着けてご機嫌なサンボはどうして虎が出てくるような危険な竹やぶに入っていったのか。竹やぶで緑色の傘をさすのはなんの必要があってのことか。赤、青、紫、緑、(+虎の黄色、茶色)と色が特定されているのはなにか意味があるのだろうか。それから、最初に虎に出会って赤い上着を取られた、という怖ろしい体験をしたのに、どうしてすぐ家に逃げ帰らなかったのか。一方虎の方も、サンボが身につけていた品物は虎にとってはそれこそ無用の長物なのに、何故そんなものをサンボの命と引き換えに受け取ったのだろう。およそ実用的な価値がない物なのに、それを所有していることで一番の権威を持つことが出来ると考えているようだ。挙句の果ては権力争い?をして自らの体を溶かしてしまうとは。

 結末も不思議である。虎のギーで作ったホットケーキをそれぞれが食べた枚数が「27枚」「55枚」「169枚」と具体的に数字を挙げて語られている。荒唐無稽なお話だからあまり意味はないのかもしれないが、なんとなく印象的な数字である。

 と、ここまであらすじをたどってきても、サリンジャーが何故「ちびくろサンボ」を「バナナ魚には理想的な日」に登場させたのかよくわからない。童話を深読みしてもよくないのかもしれないが、謎解きのためのヒントはいくつか見つけたよう気がする。古今東西民話の中に登場する動物は現地住民のメタファーであるということ。虎とは何か?サンボ一家は何人か?ジャンボ、マンボ、サンボ、という名前は少なくとも白人ではないだろう。でも虎ではないのだから現地住民でもないだろう。近代的な衣類を身につけ、ホットケーキを食べる習慣があるので、生活様式は文明人だろう。また、・・・とこれ以上書くと子どもの夢を壊す、と叱られそうである。

 さて、「きみは六匹をたったって言うの?」とシーモアに聞かれたシビルはそれには答えず「あんた、蠟(原文はwax〉は好き?」とシーモアにたずね、この後二人はバナナ魚を探しに海に入って行く。謎に満ちた展開はまだまだ続くのだが、シビルとシーモアは「ちびくろサンボ」を仲介させて何事かを了解し合ったように思われる。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。

0 件のコメント:

コメントを投稿