2013年8月16日金曜日

「いかさまに 思ほしけめか」続々続折口学再考__懐古、鎮魂の目的

 わずか五年で廃都となった近江京は、その後多くの歌人たちの懐古の対象となって詠みつがれていく。ここではもっとも早く懐古、鎮魂の歌を詠んだ人麻呂の作品を取り上げてみたい。

「玉だすき畝傍の山の、橿原の聖の御代ゆ、
  あれましゝ神のことごと、栂の木のいやつぎつぎに、天の下知ろしめしゝを、
    空見つ大和をおきて、青丹によし奈良山を越え、
  いかさまに思ほしけめか、
あまさかる鄙にはあれど、いはゞしる近江国の、漣の大津の宮に、天の下知ろしけむ、
  皇祖の神の尊の大宮は、こゝと聞けども、大殿はこゝといへども、
    春草の茂く生ひたる、霞立つ春日のきれる、もゝしきの大宮どころ、見れば悲しも」
                                              萬葉集巻一・二十九
 
    反歌
「漣の滋賀の辛埼さきくあれど、大宮人の船待ちかねつ」 萬葉集巻一・三十
「漣の滋賀の大曲淀むとも、昔の人に復も逢はめやも」 萬葉集巻一・三十一

 長歌「あれましゝ神のことごと」の解釈がいまひとつ落ち着かないのだが、要するに、継続して都があった大和を捨てて、辺鄙な場所に近江京を造ったのに、今はそのあとかたもなく荒廃し、自然にもどってしまったことを嘆いた歌である。


 「玉だすき→畝傍」「栂の木の→いやつぎつぎに」「空見つ→大和」「青丹よし→奈良山」「いはゞしる→近江」「漣の→大津」「もゝしきの→大宮どころ」と、必ず枕詞をおいて地名を詠みこんでいるのは、たんなる修辞ではなく、呪術といってよい絶対の決まりごとだからだろう。折口はそれを「信仰」と呼ぶが、私にはもっと具体的なものへの畏怖の気持ちがそうさせるのだと思う。人麻呂はこの長、反歌を遷都という行為に対して中立の立場で詠んでいるように見えるが、実は違うのではないか。「いかさまに思ほしけめか」と懐疑の念をあらわにしているのである。

 反歌二首いずれも変わらぬ自然と激変した人事を対照して詠んでいる。
「大宮人の船待ちかねつ」折口はこの部分を「いくら待っても宮仕への官人衆の船が出て来ない。船を待ちをふせることが出来ないでいる」と口語譯をつけている。それで譯としてはよくわかるのだが、「船で宮仕へ」をするというのがいま一つわからない。人麻呂とほぼ同時代の黒人も
「旅にしてもの恋しきに、やましたの 朱のそほ船 沖に榜ぐ見ゆ」
など官船、及びその船旅を詠む歌をいくつも残していることから、現代の私たちが想像する以上に、この時代すでに水上交通が発達していたのかもしれない。ともかくも人麻呂のこの歌は湖上に船の姿が現れることがまったく期待できないことを嘆きつつ確認しているのだ。そしてさらに次の歌で「昔の人に復も逢はめやも」と念を押す。官人はもう誰もいないのだ、と。

 長、反歌あいまって、「(自然にもどってしまった)御所の跡を見ると悲しみにくれる」「船を待っても、来ない」「昔の人に(逢いたいのだが)逢えない」と悲傷、懐古の情が過不足なく詠みこまれている。だが、それは人麻呂個人の感慨を詠んだものというよりは、天武、持統両朝に仕えた宮廷歌人の作品として、廃都となった近江朝及びその建設にかかわった人々への鎮魂、慰撫を目的とするものであろう。さらにいえば、このように悲傷、懐古の姿勢を見せることで、「これほどまでも(廃都となった近江朝を)しのんでいるのだから、決して祟らないでくれ」と呼びかけているのだ。その対象はすでにこの世の人でなくなった天智天皇、大友皇子だけでなく、今も生きている近江朝にかかわった人々を含むのだと思われる。近江朝が滅んで千年もたってからこの歌が詠まれたのではない。

 萬葉集はこの歌の次に高市黒人の短歌二首を記載する。
「いにしへの人に 吾あれや。ささなみの故き京を見れば、悲しき」萬葉集巻一・三二
「ささなみの 国つ御神の うらさびて、荒れたる都見れば、悲しも」萬葉集巻一・三三
人麻呂の長、反歌とくらべれば、歌がずっと個人的な感慨に近くなってきていることがわかるだろう。鎮魂のくびきは残っていても、「いにしへの人に 吾あれや」という自省のことばがまず発せられるのだ。ここからは
「古き都に来てみれば 浅茅が原とぞなりにける 月の光はくまなくて 秋風のみぞ身にはしむ」(梁塵秘抄)から「辛崎の 松は花より朧にて」(芭蕉)まですぐのように思われるのだが、いまは歌謡史をたどることは控えて、黒人と人麻呂の歌柄の違いを指摘するにとどめたい。二人の歌人の間にさほどの年代の差があるとは思えない。歌が詠まれる場が異なっているのだと思われる。

 最後に、今回のブログの趣旨と少しずれるのだが、人麻呂の近江旧都を詠んだ歌をもう一首あげておこう。これは短歌だけで独立して萬葉集に記載された歌である。
「近江の湖、夕波千鳥、汝が鳴けば、心もしのに いにしへ思ほゆ」 萬葉集巻三・二六六
鎮魂、呪術といった実用を突き抜けた一直線の慟哭である。やはり天才というべきなのだろう。

 どうしても素材として作品を取り上げることに徹することが出来ず、鑑賞に傾きがちになってしまいました。不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

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