2013年10月23日水曜日

大江健三郎『同時代ゲーム』___エンサイクロペディアあるいは「聖書」としての同心円構造

 折り紙つきの難解な作品である。饒舌に執拗に、そして過剰といっていいほどの分量で「村=国家=小宇宙」の神話と歴史が語られる。語りの文脈が、日本語のそれとしては非常に複雑で、しかもさりげない一言に多義的な意味が含まれていそうなので、読む側としては緊張の持続を要求される。結果として、疲れてしまって、途中でいったん小休止、をくり返してしまう。というより、小休止して一つ一つのエピソードの意味を吟味しなければ先に進めないような展開になっているようだ。

 物語は語り手の「僕」が双子の妹に手紙を書くという形式で書かれる。書かれる内容は「父=神主」がスパルタ教育の口承で「僕」に教え込んだ「村=国家=小宇宙」の神話と歴史である。「村=国家=小宇宙」をつくりあげた「壊す人」の死と再生とそのヴァリエーションが、ある時はまったく神話風に、ある時は歴史の痕跡がたどれるかのように語られる。語られる次元は複雑に錯綜するが、中心は終始一貫して「村=国家=小宇宙」である。「村=国家=小宇宙」を語り尽くそうという試みとしては、たった一人で書いたエンサイクロペディアであり、収集された文献の口承もしくは朗誦そして編集の結果としては谷間と「在」という共同体の「聖書」(the Bible___ biblia書物の複数形 の意)として読むべきなのだろう。「第一の手紙 メキシコから、時のはじまりにむかって」は旧約聖書創世記に対応する。

 創世記が天地「創造」から始まり、「創る神」を語るのにたいして、『同時代ゲーム』はすでに確立されていた共同体からの「追放」から始まり、逃避行の果ての障害物_つねに「大岩塊、あるいは黒く硬い土の塊り」と記述される_を爆破した「壊す人」を語る。旧約聖書の神は支配し、命令し、罰する神であるが、「壊す人」は一行のリーダーであり、夢でお告げを述べる人であり、巨人化した自らを殺させ、その体を共同体の成員全員に食わせる人である。語り手の「僕」の双子の妹が「壊すという字を懐かしいという字と一緒にして、両方がひとつの字で、そのまま壊す人という名前になっていると思ってたんやねえ。」というように、罪と罰の恐怖支配を行う存在ではない。

 「壊す人」とは何か、「村=国家=小宇宙」と呼ばれる共同体とは何か、という主題にたち向かう前に、そもそも大江はなぜこの長大な作品をものしたのか、という疑問について考えてみたい。『万延元年のフットボール』から『みずから我が涙をぬぐいたまう日』『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』『ピンチランナー調書』『洪水はわが魂に及び』と、それこそ「同時代」を疾走してきた感のある作品群とくらべて、『同時代ゲーム』はいかにも重いのである。作品が長編だからそう感じる、というわけでもない。冗長で退屈、というのでも、もちろんない。冒頭のメキシコでの体験の語りからして緊迫感に満ちたストーリーの展開と圧倒的な描写力で読む者を魅了する。だが、「小説」として自律的な展開をするのはこの部分と最後の語り手の「僕」が森を彷徨する部分だけで、作品のほとんどは、核となる「村=国家=小宇宙」の神話あるいは歴史とその多様な解釈の呈示である。谷間の村を取り囲む森の中で自分でつくった迷路に入って脱け出せなくなった子供のように、この小説を読み込んでいくと、読めば読むほど考えが堂々巡りしてしまうような気がする。思考のベクトルが見出せないのである。

 というわけで何ヶ月かかっても、書き出せないでいたのでした。それでも、いくらか見えてきたものもあるので、また回を改めて書いてみたいと思います。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

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