2012年1月26日木曜日

「草庵に暫く居ては打やぶり」___芭蕉その一所不住の精神

引っ越しが大嫌いである。箸一本から布団、冷蔵庫まで、一つ一つ分類整理しながら梱包して、またその荷をほどくなど、考えただけでも、身の毛がよだつ。整理整頓ということができないから、必要最小限のもの以外は、この際捨てよう、ということになる。引っ越すたびに捨てて、捨てて、だからけっこう簡素化された暮らしをしております。というよりお金がないだけかも。毎日ルーティンの家事をして、終わったら一人でお茶を飲んで、というのが理想の暮らしである。その暮らしに引っ越しなどという亀裂を入れることは、できるだけ避けたいと思っているのだが、現実には、かなりの回数を重ねてきた。平穏な日常をこよなく愛しているのに、なぜか、「動きたく」なってしまう。「動く」ことを余儀なくされることもあったが。

 表題の句は芭蕉七部集「猿蓑」巻五「市中は物のにほひや夏の月」と始まる歌仙の名残の十一句。
「そのままにころび落たる升落 去来」
「ゆがみて蓋のあはぬ半櫃 凡兆」
と庶民の生活日常を詠む句が続いたあと、突如
「草庵に暫く居ては打やぶり」
と返す。なんという激しい気迫!当然西行の
「吉野山やがて出じと思ふ身を花散りなばと人や待つらむ」が連想されようが、「打やぶり」という語の強さが、いわゆる隠者文学の踏襲の域をはるかに超えている。

 芭蕉は「野ざらし紀行」「奥の細道」という、隠者というより求道者としての大旅行を終えて、元禄三年近江の膳所で新春を迎えた。だが、ここも
「行春(ゆくはる)を近江の人と惜しみける」
と去って、四月石山奥の幻住庵にこもる。
「先(まづ)たのむ椎の木もあり夏木立」と落ち着くかにみえたが、その後いったん嵯峨の落柿舎に滞在、さらに九月郷里の伊賀に、師走は京、四年の春は再び湖南に、と短い間に目まぐるしく移動した。七部集中最高峰といわれる「猿蓑」は、まさに「一所不住」の生活の中で編纂されたのである。そこまで芭蕉を駆り立て、追いやったものはなんだったのだろう。去来はこの芭蕉の句につけて、
「いのち嬉しき撰集のさた」
と、西行を想起しつつも、師の骨身を削る編纂をたたえているが。

 ずいぶん長くものを書くということから離れてきた。読むことからも離れてきたが。ふたたびものを書くことがあるとは思ってもみなかった。いま、ブログという形式が与えられて、自由に書くことができるのはなんという幸せだろう。まさに、数十年の生活を「打やぶ」って書き始めた。だが、ここで少しペースダウンして、他人の書いたものを読みたくなった。ブログに載せるために読み直した作品のあれこれを、もう一回ゆっくりと味わいたいと思うようになった。そのために書くことに割く時間はどうしても少なくなると思うが、またつきあっていただければ、幸いです。我が儘ついでに、創作能力の乏しい私が作った俳句の紹介です。

「こぶし咲きぬ 一所不住の生涯に」

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2 件のコメント:

  1. 勉強になりました。筆力のすぐれた方ですね。

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  2. 怠けているというわけではないのですが、書くことに集中できない日々が続いています。喝!を入れられたようなコメントありがとうございます。

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