2012年1月16日月曜日

愁ひつつ 岡にのぼれば 花いばら___俳句は抒情詩か?

蕪村の有名な句である。高校時代にこの俳句を読んだとき、自然に伝わってくる「憂愁」の近代性に驚いた記憶がある。日本語の読める人なら、この句を理解するのに、何の説明もいらないだろう。「かの東皐にのぼれば」と題する三句連作の最後の句である。

三句を順にあげると
「花いばら 故郷の路に 似たるかな」
「路たえて 香にせまり咲く いばらかな」
「愁ひつつ 岡にのぼれば 花いばら」

 第一句、野いばらの群生に故郷の風景を連想し、第二句では、道を覆って群生する野いばらのむせ返るような匂いをうたう。そして第三句、ここで初めて、「愁ひつつ」と蕪村その人の姿が現れ、野いばらは背景に退く。清楚な白い花を咲かせる「花いばら」は、作者の「愁い」に甘美で官能的な彩をそえている。美しい、美しすぎる抒情詩の連作のようにみえる。

 だが、俳句は抒情詩だろうか。芭蕉の時代にすでに、「俳句」は「発句」だけが自立して、前後の句を必要としない句が誕生していた。しかし、厳密にいえば、それらを抒情詩の範疇に入れることはできない。俳句は、作者個人の思いの独白というより、座の文学として、共同体の他者にむかって開かれた表現だからである。また、俳句は「俳諧」であり、諧謔と自己批判の要素をもつもので、自己完結的な抒情詩の枠からどうしてもはみだしてしまう。

  それでは、蕪村のこの連作は抒情詩であって、俳句ではないのか。このことを考えるために、もう一度連作中の「花いばら」を検討してみたい。「花いばら」は美しい花であると同時に鋭い棘である。「故郷の路」は棘で覆われた道だった。さらにはむせかえるほどの「いばら」の群生で、「路たえて」しまうのだ。傷心の作者蕪村が、岡にのぼって出合ったたもの、それは甘美な望郷の思いや官能的な香りだけではなかったのではないか。もっと複雑な感覚を「花いばら」と「いばら」という言葉を使い分けることによって表現したかったのではないか。それが表現出来てはじめて、この連作はようやく俳句として成り立つのだ、と思う。それでも、ずいぶん自己完結的な、短歌的抒情に傾きそうなところまできているようだが。

 参考までに 「花いばら」は、芭蕉の時代にはどのように詠まれていたのかを知るうえで、興味深い例をあげておきたい。「花いばら」を詠んだものはそんなに多くない、というより、かなり稀なのだが、『芭蕉七部集』最初の「冬の日」に
「花棘 馬骨の霜に咲かへり 杜国」とある。野ざらしの馬骨に置いた霜を、野いばらのかえり咲きに見立てたものであって、短歌的抒情とはずいぶん遠いところにあると思う。

 今日も、出来の悪い作文を最後まで読んでくださってありがとうございます。
 
 

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