2012年3月2日金曜日

「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」__自意識と救い

これはサリンジャーには珍しくストレートな作品のように思われる。いまは三十を過ぎたと思われる「わたし」が十代の終わりか二十歳そこそこのときに経験した出来事を回想する。語り口は軽妙で、読んでいて思わず笑ってしまう。ただし、あまりにも可笑しくて、その自意識が痛々しくもあるのだけれど。そういえば、いま手元にある新潮文庫の『ナイン・スートーリーズ』のカヴァーの裏に「九つのケッ作からなる自選短編集」とある。なぜ「傑作」でなく「ケッ作」なのか。吉本のバラエティ番組ではないのだ。サリンジャーに失礼であろう。語り口は嗜虐的、というより自虐的だが、これはまともな「傑作」である。

 主人公の「わたし」は、亡くなった母親の再婚相手つまり継父とともに、十年ぶりにフランスからニューヨークに戻ってくる。十年前には感じなかった孤独が「わたし」を襲う。「わたし」には居場所がない。購読していたフランス語の新聞で〈古典巨匠の友〉と言う美術の通信講座の講師募集をみつけた「わたし」は、早速応募する。帰国の船中で「自分が気味が悪いほどエル・グレコに似ていることに注目し続けた」「わたし」は年齢を十歳ちかくも偽り、風刺画で有名な「オノレ・ドーミエ」を大叔父にもつ「ジャン・ド・ドーミエ」と名のって採用される。

 口髭まで生やして精いっぱいめかしこんだ「わたし」は〈古典巨匠の友〉のあるカナダのモントリオールに行く。だが、〈古典巨匠の友〉はモントリオールのちっぽけな三階建てのアパートの二階で、出迎えた校長の〈東京帝室美術院〉前会員のヨショトという男も貧相な小男だった。仕事は郵送されてくる絵の添削指導である。だが、どれもこれも「わたし」のプライドを傷つけ、意気阻喪させるような作品ばかりで、慣れない食事と粗末な部屋の生活に我慢の限界を超えようとしたとき、手にしたのが修道女の絵だった。キリストが埋葬される場面を描いたその絵と、作者の「シスター・アーマ」に興味を覚えた「わたし」は、懇切丁寧な添削に加えて、「小包みたいな手紙を書いた」。

 シスター・アーマとの出会いだけを希望のよすがに、苦痛極まりない仕事に取り組んでいた「わたし」にヨショト氏が修道院の院長からの手紙を渡す。それはシスター・アーマの勉学の許可を取り消すというものだった。打ちのめされた「わたし」はいやいやながら添削指導を受け持っていた他の四人の生徒に「才能がないから絵画きになることは断念するように」とフランス語で書いた手紙を投函する。シスター・アーマにもまた長い手紙を書いて、「タキシードを着こんで」一流のホテルに予約を入れ、外出する。だが、途中で以前「『コニー・アイランド風』特大ホットドックを四本と泥水みたいな色のコーヒーを三杯」食べたスナックで「スープとロールパンとブラックのコーヒー」ですませ、ホテルの予約はキャンセルしてしまう。そして、シスター・アーマへの手紙を書き直すために学校に戻ろうとする。

 語り手が「異常な経験」と呼ぶ奇跡が起こったのは、その途中薄明るい夜九時半ごろだった。学校の建物の一階は整形外科の医療器具を売る店で、昨日は誰もいなかったショー・ウインドウの中に三十がらみの女の人がいて、マネキンの脱腸帯を取り替えているところだった。彼女はガラスの外で覗いている「わたし」に気がついて狼狽し、転んでしまう。だがすぐ立ち上がってまた取り落とした脱腸帯をしめ直す。「経験」が起こったのはそのときである。「突然太陽が現れて、わたしの鼻柱めがけて、秒速九千三百マイルの速度で飛んで来た。わたしは目がくらみ、ひどくおびえて__ウインドウのガラスに片手をついてようやく身体を支えた」

 これはまさしく使徒言行録九章の「パウロの回心」だ。ダマスコへの道でイエスはパウロに現れる。彼以外のひとにイエスの姿は見えないが、「突然、天からの光」が彼の周りを照らし、彼はイエスの言葉を聞く。そしてパウロは起き上がっても目が見えず、三日間何も食しなかった。「わたし」がその異常な「経験」をしたのは数秒のことだった。だが、「わたし」は部屋に戻ると、シスター・アーマへ手紙をだすことはやめ、絵画きを断念するよう言い渡したた四人には復学するように手紙を書いた。「今度の手紙はひとりでに筆が動いてゆくような感じだった」  

 愛していた母は亡くなり、継父とともに半ば異国のようなアメリカに戻ってホテル暮らしの「わたし」は、「おのれの手に触れるものが片端から孤独の結晶に変じるのを発見」する。過剰な自意識と背中合わせの孤独だ。年齢を偽り、道化となって美術講師を演じるものの、疎外感はどうしようもない。「おれは一介の訪問客、琺瑯引きのし瓶や便器の花が咲きほこり、目の見えぬ木製のマネキン人形の神が、値下げの札のついた脱腸帯をしめて立っている花園を訪れた一介の訪問客に過ぎぬではないか」という疎外感がシスター・アーマを偶像にまつりあげたのだ。その「わたし」が救われたのは、「わたし」がなんらかの努力をしたからではない。まったく一方的にそれは起こったのである。それが起こったのはほんの数秒のことだったが、「ふたたび目が見えるようになったとき、ウインドウの中にはすでに女性の姿はなく、後には二重の祝福を受けた世にも美しい琺瑯の花の花園が微かな光を放っていた」 

 「エズミに捧ぐ」の中で「愛する力を持たぬ苦しみが地獄である」と書いたサリンジャーは、この小説の中では「愛する対象をもつことができない」疎外という現実に、道化として立ち向かおうとして空回りする人間を描いた。その道化が、道化の衣装を脱ぎ捨てて、「タキシードを着こんで」正装して世の中に打って出る決意をかためたとき、「異常な経験」は起こった。そして「わたし」はもう一度日常の世界に入っていった。「良かれ悪しかれ、シスター・アーマにはその後二度と連絡しなかった」偶像はもう必要なかったのである。

 未整理な読書感想文以前の文章です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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