2012年3月15日木曜日

「ライ麦畑でつかまえて」___戦争の影

前回ペンシー・プレップの創立を「一八八八年」と書いた。野崎孝さんの訳ではそうなっているのだが、講談社英語文庫版では「一八八六年」となっている。おそらくこちらが正しいと思う。サリンジャーが年号や固有名詞を使うときは必ず意味がある。一八八六年はアメリカ独立宣言から百年後で、自由の女神が完成した年であり、アパッチ族が最終的に降伏した年でもある。「イカシタ子がさ、馬に乗ってからに、障害を跳び越えてる写真なんか出しちゃって」る広告を「千ばかしの雑誌に」出している「ペンシー」は、この年に創立されたのだ。

 ホールデンの回想はペンシーが「サクソン・ホール」という高校とフットボールの試合をやった土曜日から始まる。この試合をホールデンは「トムソン・ヒル」の「独立戦争なんかに使ったイカレタ大砲のそばに立って」見ていた。。「サクソン・ホールとの対抗試合はね、ペンシーじゃ重大事件ということになって」いるので、「もしもペンシーが負けたら首でもくくらなきゃならないみたい」なのだ。たんなるフットボールの対抗戦というよりもっと重い響きがあるような書き方である。

 だが、ホールデンはこの試合を「競技場へ降りていかないで」「トムソン・ヒルのてっぺんなんかに突っ立って」見ていた。ゲームに参加することはおろか、観客にすらならないで傍観していたのである。そもそも、自分がフェンシングのチームのマネージャをしていたにもかかわらず、対抗試合に出かける途中の地下鉄の中に用具一式を忘れてしまったので、試合が中止になっったという経緯がある。自分が闘うのが苦手なだけでなく、他人を闘わせることもできないのだ。当然のこととして、帰りの列車の中で村八分にされる。ホールデンは、「ペンシー」という共同体からも、自分がマネージャをしていたフェンシング・チームという共同体からも疎外されるのだ。

ホールデンの回想は、 戦闘行為を想起させるフットボールの試合の場面から始まったが、小説の後半18章では、直接戦争について述べられる。18章では、ホールデンは誰とも会わず、ラジオ・シティの映画館で、クリスマスのステージ・ショーを見た後、戦争中記憶を失った男の映画を見る。それから、戦争について考え始めるのだが、彼は戦地で死ぬことより、「軍隊」に入って生活することが耐えられない、と思う。特に「前の奴の首筋を見て歩く」行軍がいやで、いっそ射撃部隊の前に立たせてもらったほうがいいと言うのだ。そしてこの章の最後では、原子爆弾が発明されてうれしい、と言い、今度戦争があったら、「原子爆弾のてっぺんに乗っかってやる」と「誓ってもいいや」と言うのだ。

 「原子爆弾のてっぺんに乗っかって」という言葉は強烈で、しかも複雑である。ホールデンの弟アリーが「白血病」で死んだのは一九四六年七月十八日と明記されているが、この2日前アメリカは「クロスロード作戦」と呼ばれるビキニでの原爆実験を行っている。そしてアリーが死ぬと、ホールデンが(なぜか)ガレージで寝て、「拳で窓をみんなぶっこわしてやった」とある。「拳で窓をみんなぶっこわす」「原子爆弾のてっぺんに乗っか」るという行為は、たんに自己破壊を意味するだけのものだろうか。とくに後者は、いうまでもなくハルマゲドンを想起させるものだが、同時に「雲の上に乗ったイエス」____イエスの再臨__のイメージをも喚起するのではないか。

 そう考えると、ホールデンがニューヨークで買った「赤いハンチング」とは何か。これは「フェンシングの剣やなんかをみんな失くしちまったことに気がついたすぐ後」買ったものだ。「フェンシングの剣やなんかをみんな失くしちま」う____これは「武器よさらば」ではないか。第18章でホールデンは「武器よさらば」のことを「あんなインチキ本」と言っているが、それでもD・Bに「読ませられた」とある。しかしホールデンは、フェンシングの剣は失くしたが、それに代わる「人間を射つ」もの(これは武器だろう)としてハンチングをかぶるのだ、とアクリーに説明している。小説の最後のほうで、ホールデンがフィービーに赤いハンチングを投げつけられ「死にそうになった」と言う場面があるが、「死にそう」はたんなる比喩だろうか。

 ホールデンが「死にそう」になるのは、この他二か所あって、いずれも「首の骨を折りそう」になる場面だ。それについても考えてみたいのだが、長くなるので、今日はここまでにしたい。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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