前回に続いて、額田王の作品を取り上げてみたい。額田王は鏡王の娘ではじめ大海人皇子に娶され、後に姉鏡女王とともに中大兄皇子(天智天皇)に娶された。以下は天智天皇作とも伝えられる有名な長、反歌である。
「うまざけ 三輪の山。
あをによし 奈良の山の、
山の際にい隠るまで、
道の隈い積るまでに、
つばらにも見つつ行かむを。
しばしばも見放けむ山を。
心なく 雲の 隠さふべしや」 萬葉集巻一・一七
反歌
「三輪山を 然も隠すか。 雲だにも心あらなも。
隠さふべしや」 萬葉集巻一・十八
六六七年天智天皇は近江の大津京に遷都する。「近江の国に下る時」という題詞から遷都以前に詠まれたものかと考えられる。通りすぎてゆく三輪山をいつまでも見たいのに、雲が立ち込めてこれを阻んでいるので、そうしないでくれ、と訴えかけている歌である。多くの解説がこの歌に三輪山への惜別の情を読み取っている。それで間違いはないと思うのだが、もう少し具体的な情景をイメージして考えてみたい。
三輪山は山そのものが「御神体」として崇められる古来有名な山だが、標高は海抜467メートルである。山腹に雲が湧き立つような高さの山ではないように思う。同じことは大和三山のつま争いで有名な香具山、畝傍、耳成にもいえるのだが、いったいヤマトからナラにかけては「海山のあひだ」である日本列島では珍しくこじんまりとした平野なのだ。それでも、雨が急速に上がって気温変化が著しい場合は山全体を雲、というより霧がたちこめて隠すこともあるかもしれない。だが、この歌は国境の奈良山(これも海抜100メートル級の低丘陵である)まで道行を進めてきた時点で詠まれているので、そのような気候の変化があったとは考えにくい。とすれば、「雲が隠してしまうので、三輪山が見えない」というのは事実なのだろうか。
事実として確実なのは、一行は三輪山を見ないで、国越えをしつつある、ということだと思われる。「雲だにも心あらなも」は「せめて雲だけでも情けがあってほしい」の意だが、「せめて雲だけでも」というのは雲以外に「心なき」ものがあって三輪山を隠していることになる。この歌の作者はそれには触れないまま、「せめて雲だけでも」と哀願しているのだ。
「うまざけ 三輪の山」から「しばしばも見放けむを」までは、中国の四六駢儷体を意識したかのように、結句「心なく 雲の 隠さふべしや」を導くための対句を重ねているが、それだけのことで特に個性的な表現ではない。人麻呂の長歌もより多くの修辞を連ねるが同じ構成である。要は、ことばを連ねることで通り過ぎる三輪山を宥めようとしているのだ。折口は『口譯萬葉集』で「故京に對する執著が、唯一抹の三輪山の、遠山眉に集中してゐる。山について思ふ所の淺い今人の、感情との相違を見る必要がある」と解説している。だが「故京に對する執著」というより、もう一歩すすめ「故京に対する畏怖」といってよいのではないか。そしてそれは、たんに「信仰」の次元というよりももっと具体的な「畏怖しなければならない勢力」への配慮だったのではないか。
額田王は斉明天皇から持統天皇の時代にいたるまでの間に歌を残している。その多くが天皇ないし高貴な身分の人の代作であると思われる。この長、反歌も天智天皇(この時点ではまだ即位していないと思われるので中大兄皇子)に代わって天智の宮廷のために詠んだものだろう。天智の宮廷が詞を尽くして慰撫しなければならない勢力が三輪山周辺にあったこと、まずそれを念頭においてこの長、反歌を考えるべきである。
天智の断行した近江遷都は六七一年天智が崩じると翌六七二年壬申の乱によって陥落してしまう。今度は近江が「故京」となって、次の代の歌人たちの懐古の対象になるのだが、それについてはまた回をあらためて考えてみたい。
いまだ整理のつかない文章です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
2013年8月12日月曜日
2013年8月10日土曜日
「熟田津に 船のりせむと」折口学再考____信仰という名の思考停止を超えて
前回取り上げたレイモンド・チャンドラーとともに、若い日の私を虜にしたもう一人の男折口信夫について読み直さなければならない、と考えている。と言っても、折口は文学、宗教その他あらゆるジャンルにわたる巨人だ。これは折口批判などいうだいそれたものではなく、あくまで私の個人的な読み直しである。だが、どうしても、いま、しなければならに読み直しなのだ。
学校の図書館ではじめて折口の著作に触れたとき、そこにあったのは難しくて読めない漢字と容易に意味の読み取れない文脈の連続だった。ほとんど理解できないまま、だが行間から立ち昇る妖気に惹かれて、次々と全集を読みあさった。折口学のよき紹介者となった弟子の池田弥三郎、山本健吉両氏による『萬葉百歌』が理解の手がかりを示してくれたことも大きい。文学を理解、鑑賞するためには、まずその発生の場に立ち帰らなければならない。可能な限り発生時の民衆の生活の場に立つこと、その方法論であり、又その集大成が折口民俗学である、という理解は間違っていないと思う。
問題は、その民俗学が「信仰」という名の宗教の次元に入り込むことだ。乱暴な言い方をすれば、折口においては、「民俗」=「宗教」である。もちろんそれは、仏教、キリスト教、イスラム教などの教義、教団が確立されたものではない。民衆が生きていくために必要な生活の規定、法と分かち難いものであり、またそれが儀式化したものである。それ故に、折口学=民俗学=宗教学は文学の理解の原点なのだが、文学の理解に不可欠なものがもう一つある。それは文学の発生とその文字化=文献化は権力が関わらなければできない、ということだ。そして民衆と権力(者)の生活において、「信仰」という名で呼ばれる事柄の内容には微妙な、だが確実な違いがある。
例をあげて考えてみたい。
「熟田津に、船乗りせむと 月待てば、潮もかなひぬ。今は漕ぎ出でな」萬葉集巻一・八
作者は斉明天皇とも額田王ともいわれる。おそらく額田王が斉明天皇に代わって詠んだものであろう。前記『萬葉百歌』には、「斉明七年(六六一年)正月、百済救援のため、西征の軍を発し、十四日に伊予の熟田津の石湯の行宮に着いた。ここに滞在中、女帝が船を水に浮かべて、禊の行事をやられた」とある。事情はおそらくその通りで、史実に即しているものと思われる。船上の「禊」とはどんなことをするのか、浅学菲才の私は具体的にはわからないのだが、船を乗りだすことそのものが「禊」であったのかもしれない。この場において、「信仰」=「宗教」は儀式であり、国家の命運を決める一大行事なのである。
だから結句「今は漕ぎ出でな」に対して「この軍旅には、斉明女帝・大田皇女をはじめ、婦人の同行者が多かった。厳粛な祭事ではあるが、楽しい祭事でもあり、その華やかさや楽しさへのあふれるような期待が、「今は漕ぎ出でな」の結句字余りに現れていよう」という『萬葉百歌』の山本健吉氏の解釈には首を傾げざるを得ない。「婦人の同行者が多かった」のは本邦になんらかの重大な異変があって、大和に残るのが危険と思われたのではないか。何より、山本氏もいうように「軍旅」なのである。「潮もかなひぬ。今は漕ぎ出でな」の間合いに、切迫した呼吸を読み取るべきではないか。この後女帝は七月筑紫朝倉行宮に崩じ、日本水軍は六六三年白村江の戦いで唐水軍に敗れるのである。
折口学と信仰について、もう少し例をあげて考えたいと思っているが、長くなるので、また回をあらためたい。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
学校の図書館ではじめて折口の著作に触れたとき、そこにあったのは難しくて読めない漢字と容易に意味の読み取れない文脈の連続だった。ほとんど理解できないまま、だが行間から立ち昇る妖気に惹かれて、次々と全集を読みあさった。折口学のよき紹介者となった弟子の池田弥三郎、山本健吉両氏による『萬葉百歌』が理解の手がかりを示してくれたことも大きい。文学を理解、鑑賞するためには、まずその発生の場に立ち帰らなければならない。可能な限り発生時の民衆の生活の場に立つこと、その方法論であり、又その集大成が折口民俗学である、という理解は間違っていないと思う。
問題は、その民俗学が「信仰」という名の宗教の次元に入り込むことだ。乱暴な言い方をすれば、折口においては、「民俗」=「宗教」である。もちろんそれは、仏教、キリスト教、イスラム教などの教義、教団が確立されたものではない。民衆が生きていくために必要な生活の規定、法と分かち難いものであり、またそれが儀式化したものである。それ故に、折口学=民俗学=宗教学は文学の理解の原点なのだが、文学の理解に不可欠なものがもう一つある。それは文学の発生とその文字化=文献化は権力が関わらなければできない、ということだ。そして民衆と権力(者)の生活において、「信仰」という名で呼ばれる事柄の内容には微妙な、だが確実な違いがある。
例をあげて考えてみたい。
「熟田津に、船乗りせむと 月待てば、潮もかなひぬ。今は漕ぎ出でな」萬葉集巻一・八
作者は斉明天皇とも額田王ともいわれる。おそらく額田王が斉明天皇に代わって詠んだものであろう。前記『萬葉百歌』には、「斉明七年(六六一年)正月、百済救援のため、西征の軍を発し、十四日に伊予の熟田津の石湯の行宮に着いた。ここに滞在中、女帝が船を水に浮かべて、禊の行事をやられた」とある。事情はおそらくその通りで、史実に即しているものと思われる。船上の「禊」とはどんなことをするのか、浅学菲才の私は具体的にはわからないのだが、船を乗りだすことそのものが「禊」であったのかもしれない。この場において、「信仰」=「宗教」は儀式であり、国家の命運を決める一大行事なのである。
だから結句「今は漕ぎ出でな」に対して「この軍旅には、斉明女帝・大田皇女をはじめ、婦人の同行者が多かった。厳粛な祭事ではあるが、楽しい祭事でもあり、その華やかさや楽しさへのあふれるような期待が、「今は漕ぎ出でな」の結句字余りに現れていよう」という『萬葉百歌』の山本健吉氏の解釈には首を傾げざるを得ない。「婦人の同行者が多かった」のは本邦になんらかの重大な異変があって、大和に残るのが危険と思われたのではないか。何より、山本氏もいうように「軍旅」なのである。「潮もかなひぬ。今は漕ぎ出でな」の間合いに、切迫した呼吸を読み取るべきではないか。この後女帝は七月筑紫朝倉行宮に崩じ、日本水軍は六六三年白村江の戦いで唐水軍に敗れるのである。
折口学と信仰について、もう少し例をあげて考えたいと思っているが、長くなるので、また回をあらためたい。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
2013年8月9日金曜日
「ソルト・レーク・シティの孤児院で育った」___『長いお別れ』再考
『同時代ゲーム』の読みに難渋しております。SFあるいはファンタジー、さらには網野民俗学とも絡めて読みたくはない天邪鬼な私は、めくらめっぽう資料をあさるうちに、作品とはほとんど無関係かもしれない事実を発見することが多々ありました。それに導かれて、いままで気がつかなかった事が重要な意味を持つのではないか、と思うようになりました。その一つが、以前ブログの開設まもなくとりあげたレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』に登場するテリー・レノックスの「ぼくはソルト・レーク・シティの孤児院で育った」という言葉のもつ意味です。
高級クラブの駐車場で正体をなくすほど飲んだくれていたテリー・レノックスを自宅に連れて行って介抱した探偵マーロウは、再びぼろくずのようになった彼が留置場にほおり込まれるのを救う。そして三度目にマーロウの前に現れたとき、彼は一度離婚した億万長者の娘シルヴィアと再び結婚していており、もはや酔いつぶれるような人間には見えなかった。テリーとシルヴィアの結婚生活に疑問をもつマーロウに、彼は「なぜ彼女がぼくをそばにおきたがっているかを考えるべきだ。ぼくが繻子のクッションにすわって頭をなでられるのを辛抱づよく待っている理由なんか考えないでいいよ」と言う。「君は繻子のクッションが好きなんだろう」と言うマーロウにテリーはこう答える。「そうかもしれない。ぼくはソルト・レーク・シティ・の孤児院で育った」
チャンドラーの読書暦?十年、いままで「ソルト・レーク・シティの孤児院」という言葉はたんに「親のいない、したがって貧しい子の生活する場所」の意味でしか理解してこなかった。それは間違ってはいないが、事柄の半分しかとらえていなかったのだ。「ソルト・レーク・シティ」という記号はより複雑で多義的な意味をもつ。ソルト・レーク・シティは末日聖徒キリスト教会(モルモン教会)がユタ州の荒地に開拓した都市で州の金融、経済の中心地なのである。だが、もっとも重要なのは末日聖徒キリスト教会が長く一夫多妻の生活を送ってきたと言う事実だ。「ぼくはソルト・レーク・シティの孤児院で育った」というテリーの言葉の背後にある状況に注意を喚起しなければならない。一般的なな日本人からみればかなり特殊な共同体の中で、どういう子供が「孤児院で」育たなければならなかったのか。そしてそれは、テリー・レノックスの一生にどんな意味をもつのか。
だが、今はこれ以上の分析はしたくない。テリー・レノックスについても、作品そのものについても。ことばにするにはもう少し時間が必要な気がする。ただ、最後マーロウに「君はぼくを買ったんだよ、テリー。なんともいえない微笑やちょっと手を動かしたりするときのなにげない動作やしずかなバーで飲んだ何杯かの酒で買ったんだ」「まるで五十ドルの淫売みたいにエレガントだぜ」といわれるテリーの悲劇はこの世に生きるだれにとっても無関係な出来事ではないことを言っておきたい。テリー・レノックスは若い日の純粋な愛をつらぬけなかった。それを阻んだのは戦争だった。そして年を経て、抜け殻となった愛を償うために犯罪に加担する結果となってしまう。もし、その愛がそれほど激しく純粋でなかったなら、もし戦争が愛を阻むことがなかったら、そして、もし彼が抜け殻となった愛を償おうとしなかったなら、悲劇は起こらなかった。
ほんとうはもう少し突っ込んだ分析を書きたかったのですが、何だかことばにしたくなくなってきました。今の段階でことばにしてしまうと、この作品の印象を薄っぺらなものにしてしまうような気がします。文学作品は精神分析や社会学的考察の素材ではないので、この小説の馥郁とした香りと奥の深さを伝えながらものが言えるまで、もう少し研鑽を重ねたいと思っています。
今日も拙い文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
高級クラブの駐車場で正体をなくすほど飲んだくれていたテリー・レノックスを自宅に連れて行って介抱した探偵マーロウは、再びぼろくずのようになった彼が留置場にほおり込まれるのを救う。そして三度目にマーロウの前に現れたとき、彼は一度離婚した億万長者の娘シルヴィアと再び結婚していており、もはや酔いつぶれるような人間には見えなかった。テリーとシルヴィアの結婚生活に疑問をもつマーロウに、彼は「なぜ彼女がぼくをそばにおきたがっているかを考えるべきだ。ぼくが繻子のクッションにすわって頭をなでられるのを辛抱づよく待っている理由なんか考えないでいいよ」と言う。「君は繻子のクッションが好きなんだろう」と言うマーロウにテリーはこう答える。「そうかもしれない。ぼくはソルト・レーク・シティ・の孤児院で育った」
チャンドラーの読書暦?十年、いままで「ソルト・レーク・シティの孤児院」という言葉はたんに「親のいない、したがって貧しい子の生活する場所」の意味でしか理解してこなかった。それは間違ってはいないが、事柄の半分しかとらえていなかったのだ。「ソルト・レーク・シティ」という記号はより複雑で多義的な意味をもつ。ソルト・レーク・シティは末日聖徒キリスト教会(モルモン教会)がユタ州の荒地に開拓した都市で州の金融、経済の中心地なのである。だが、もっとも重要なのは末日聖徒キリスト教会が長く一夫多妻の生活を送ってきたと言う事実だ。「ぼくはソルト・レーク・シティの孤児院で育った」というテリーの言葉の背後にある状況に注意を喚起しなければならない。一般的なな日本人からみればかなり特殊な共同体の中で、どういう子供が「孤児院で」育たなければならなかったのか。そしてそれは、テリー・レノックスの一生にどんな意味をもつのか。
だが、今はこれ以上の分析はしたくない。テリー・レノックスについても、作品そのものについても。ことばにするにはもう少し時間が必要な気がする。ただ、最後マーロウに「君はぼくを買ったんだよ、テリー。なんともいえない微笑やちょっと手を動かしたりするときのなにげない動作やしずかなバーで飲んだ何杯かの酒で買ったんだ」「まるで五十ドルの淫売みたいにエレガントだぜ」といわれるテリーの悲劇はこの世に生きるだれにとっても無関係な出来事ではないことを言っておきたい。テリー・レノックスは若い日の純粋な愛をつらぬけなかった。それを阻んだのは戦争だった。そして年を経て、抜け殻となった愛を償うために犯罪に加担する結果となってしまう。もし、その愛がそれほど激しく純粋でなかったなら、もし戦争が愛を阻むことがなかったら、そして、もし彼が抜け殻となった愛を償おうとしなかったなら、悲劇は起こらなかった。
ほんとうはもう少し突っ込んだ分析を書きたかったのですが、何だかことばにしたくなくなってきました。今の段階でことばにしてしまうと、この作品の印象を薄っぺらなものにしてしまうような気がします。文学作品は精神分析や社会学的考察の素材ではないので、この小説の馥郁とした香りと奥の深さを伝えながらものが言えるまで、もう少し研鑽を重ねたいと思っています。
今日も拙い文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
2013年7月22日月曜日
『万延元年のフットボール』以前と以後____大江健三郎の闘いは変わったか
up to date な事柄について書くことは控えようと思っているのだが、昨日の参議院議員選挙の結果はあまりにも衝撃的だった。意外だと言うのではもちろん、ない。予想されたとおりだったのだから。予想されたとおり過ぎたからだ。テレビというものを見ない私に、テレビをみていた連れ合いが午後八時の開票と同時に自民過半数が報道された、と教えてくれた。前回の衆議院選挙と同様、いろいろなことがいわれているが、現実は、「戦後民主主義」及び「戦後民主主義教育」のみごとな到達地点が示された、ということにつきる。
そして、大江健三郎について考えている。私の大江体験は『雨の木(レインツリー)を聴く女たち』から始まった。大江健三郎が颯爽と登場した頃、私は「ホー・チミンってフランスの女優さん?」という世界の人間だったので、彼の文学とはまるで無縁だった。樺美智子さんの死も痛ましい「ニュース」だった。私が大江を読み始めたのは、その時期たんに比較的時間があったからだ。読んでもさっぱり分からないので、熱心な読者ではなかった。だが、続いて、すでに文庫本で出版されていた『飼育』『死者の奢り』『芽むしり 仔撃ち』『個人的な体験』などを買ったので、なにか惹かれるものがあったのだろう。
今回大江を再読し始めたのは、サリンジャーの作品に導かれてのことである。『万延元年のフットボール』を読んで、小説というものはそう読まれなければならないのか、そう読めばなんと面白いものだろう、と齢?十歳を過ぎて開眼したのだ。恥ずかしながら。
いま『万延元年のフットボール』以後の作品を順を追って読みながら、何とか『同時代ゲーム』までたどり着いた。そして思うことは、大江の小説は『万延元年のフットボール』以前と以後ではあきらかにちがうのではないか、ということである。内容も方法も。誤解をおそれずに言えば、『万延元年のフットボール』以前は、図式的とも見えるくらいに構造がはっきりしていた。たたかうべき現実は何か、どのようにたたかうか、という方法が作品の中で呈示されていた。言葉がつむぎだすイメージは鮮烈で激しすぎるほどだった。
「イノセンス」という価値観がそれ自身の持つ無邪気な邪悪性(?)も含めて、それまでの作品に通底していたのが、『万延元年のフットボール』を分水嶺として、それを見出すことが困難になる。かわって、隠微に慎重に隠された「現実悪」をほのめかし、それとたたかうことが作品の主題になる。だが、悪の実体が何かということは容易には悟られないし、たたかいの担い手は誰か、どのようにたたかったのか、も具体的に突きとめることが困難である。文章は難渋をきわめ、文脈をたどることも一筋縄ではいかない。『同時代ゲーム』にいたっては、語りの次元と語られる次元が錯綜して、しかも、一つの出来事の解釈を同時に並列する、という手法をとったりするので、なかなか読了できなかった。
一つのエピソードが日常的次元、神話的次元、そして歴史的現実の次元、で解釈しうるように書かれているので、最も深層の歴史的次元のどの出来事に対応するのかを読み解くことが重要なのだ。サリンジャーの小説と同じように。だから、もともと「ホー・チミン=フランスの女優?」の知識と教養しかなかった私は悪戦苦闘の連続なのである。それゆえにこそ、読書の楽しみはいや増す、といえるのかもしれないが。
しかし、読書の楽しみを堪能している状況ではない。「民主主義」あるいは『民主主義教育」といわず、「天皇制」といわず、「戦後」が行き着いた果てが何であったかを、今回の選挙が教えてくれた。いま、ここに、徒手空拳の一個人たる私はどうやってたたかったらいいのだろう。
作品に即して語ること以外はすまい、と思っていたのですが、今回は原則を破ってしまいました。『万延元年のフットボール』から『同時代ゲーム』までの作品についてはまた改めて書きたいと思っています。とくに『ピンチランナー調書』は愉快痛快奇奇怪怪の傑作だと思うのでなるべく早く取り上げたいと考えています。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
そして、大江健三郎について考えている。私の大江体験は『雨の木(レインツリー)を聴く女たち』から始まった。大江健三郎が颯爽と登場した頃、私は「ホー・チミンってフランスの女優さん?」という世界の人間だったので、彼の文学とはまるで無縁だった。樺美智子さんの死も痛ましい「ニュース」だった。私が大江を読み始めたのは、その時期たんに比較的時間があったからだ。読んでもさっぱり分からないので、熱心な読者ではなかった。だが、続いて、すでに文庫本で出版されていた『飼育』『死者の奢り』『芽むしり 仔撃ち』『個人的な体験』などを買ったので、なにか惹かれるものがあったのだろう。
今回大江を再読し始めたのは、サリンジャーの作品に導かれてのことである。『万延元年のフットボール』を読んで、小説というものはそう読まれなければならないのか、そう読めばなんと面白いものだろう、と齢?十歳を過ぎて開眼したのだ。恥ずかしながら。
いま『万延元年のフットボール』以後の作品を順を追って読みながら、何とか『同時代ゲーム』までたどり着いた。そして思うことは、大江の小説は『万延元年のフットボール』以前と以後ではあきらかにちがうのではないか、ということである。内容も方法も。誤解をおそれずに言えば、『万延元年のフットボール』以前は、図式的とも見えるくらいに構造がはっきりしていた。たたかうべき現実は何か、どのようにたたかうか、という方法が作品の中で呈示されていた。言葉がつむぎだすイメージは鮮烈で激しすぎるほどだった。
「イノセンス」という価値観がそれ自身の持つ無邪気な邪悪性(?)も含めて、それまでの作品に通底していたのが、『万延元年のフットボール』を分水嶺として、それを見出すことが困難になる。かわって、隠微に慎重に隠された「現実悪」をほのめかし、それとたたかうことが作品の主題になる。だが、悪の実体が何かということは容易には悟られないし、たたかいの担い手は誰か、どのようにたたかったのか、も具体的に突きとめることが困難である。文章は難渋をきわめ、文脈をたどることも一筋縄ではいかない。『同時代ゲーム』にいたっては、語りの次元と語られる次元が錯綜して、しかも、一つの出来事の解釈を同時に並列する、という手法をとったりするので、なかなか読了できなかった。
一つのエピソードが日常的次元、神話的次元、そして歴史的現実の次元、で解釈しうるように書かれているので、最も深層の歴史的次元のどの出来事に対応するのかを読み解くことが重要なのだ。サリンジャーの小説と同じように。だから、もともと「ホー・チミン=フランスの女優?」の知識と教養しかなかった私は悪戦苦闘の連続なのである。それゆえにこそ、読書の楽しみはいや増す、といえるのかもしれないが。
しかし、読書の楽しみを堪能している状況ではない。「民主主義」あるいは『民主主義教育」といわず、「天皇制」といわず、「戦後」が行き着いた果てが何であったかを、今回の選挙が教えてくれた。いま、ここに、徒手空拳の一個人たる私はどうやってたたかったらいいのだろう。
作品に即して語ること以外はすまい、と思っていたのですが、今回は原則を破ってしまいました。『万延元年のフットボール』から『同時代ゲーム』までの作品についてはまた改めて書きたいと思っています。とくに『ピンチランナー調書』は愉快痛快奇奇怪怪の傑作だと思うのでなるべく早く取り上げたいと考えています。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
2013年7月3日水曜日
『ライ麦畑でつかまえて』と「煙が目にしみる」___グッバイ、フィービー
「煙が目にしみる」というタイトルからすぐにメロディーが浮かぶのは、たぶん人生の後半を過ぎた人だろう。黒人歌手の少しかすれた歌声が印象的だった。歌声を聞いて、まだ経験したことのない恋のときめきと、それを失った悲哀と、その両方の感情にひたっていたように思う。ちゃんと聞き取れた歌詞はSmoke gets in your eyesだけだったけれど。
この曲は1933年「ロバータ」というミュージカルのために作曲され、1946年にナット・キングコールがカヴァーし、1958年またプラターズがカヴァーしている。私はナット・キングコールの歌声を聞いていたと思っていたのだが、プラターズのほうだったかもしれない。『ライ麦畑でつかまえて』の最後、フィービーが回転木馬に乗る場面でこの「煙が目にしみる」が流れる。
回転木馬と「煙が目にしみる」のとりあわせがミスマッチのような気もするが、「とてもジャズっぽい、おかしな演奏のしかただったな」と書かれているので、行進曲風にアレンジしたのだろう。ちょっと不思議なのは、この前にホールデンとフィービーが回転木馬の方に近づいて行くときに「いつもやってる間が抜けたみたいな音楽が聞こえだしたんだな。曲は『おお、マリー!』だった」とホールデンが言っていることである。? 回転木馬の所で演奏されていたのはどちらだ?さらに不思議なのは、これに続くホールデンの言葉である。「今から五十年も前になるが、僕の子供の時にも、あの歌をやってたもんさ。これが回転木馬のいいとこなんだ。いつも同じ歌をやってるってところが。」(アンダーラインは筆者)いったいホールデンは何歳なのだ?
そもそも「煙が目にしみる」も「おお、マリー!」もれっきとした大人のラヴ・ソングである。だが、回転木馬は八歳のフィービーが「あたしじゃ大きすぎるわ」というくらい小さな子供向けの乗り物なのだ。ラヴ・ソングが演奏に使われることがあるものだろうか。「おお!マリー」と「煙が目にしみる」の歌詞を書き出してみる。
「おお、マリー」
Here she comes, she's all dressed up in daises
Half the time, you'd swear that she is crazy
Flowered drinks and low-cut dress
That's the way I know her best
She says she's lonely, how could she be?
Every night she's got company
[Chorus]
Oh Marie,
I sure hope you're happy
Oh Marie,
What about me, Marie
She likes the way she looks in her Camaro
She likes lingerie but he prefers the sombrero
She's so famous on the block
She stumbles home around four o'clock
She claims the guys are hard to please
She wears teen perfume behind her knees
[Chorus]
All day long she fills me up with dogma
She's all magazines and benzedrine and vodka
There was one man she truly loved
He took everything but her bear-skin rug
And now and then it's clear to me
That need is love and love is need
[Chorus]
Always an open door
What are you looking for
「煙が目にしみる」
They asked me how I knew
My true love was true
I of course replied something here inside
Cannot be denied
They said someday you'll find
All who love are blind
When your heart's on fire you must realize
Smoke gets in your eyes
So I chaffed them and I gaily laughed
To think they would doubt our love
And yet today my love has gone away
I am without my love
Now laughing friends deride
Tears I cannot hide
So I smile and say when a lovely flame dies
Smoke gets in your eyes
どちらもれっきとしたラヴ・ソングだが、かなり趣きが異なっている。「おお、マリー」のほうは子供向けにはいかがなものかと思われるが、ここでは「煙が目にしみる」の歌詞に注目したい。「煙が目にしみる」とは、失恋の悲涙で目がくもる、ということではないのだ。(今まで、私はそう思っていたのだが)「恋は盲目」の意なのだ。偽りの愛を真実だと信じたのは「煙が目にしみ」たからなのだ。
「煙が目にしみる」の演奏とともに、フィービーは回転木馬に乗ってぐるぐる回る。すると、突然降りだした土砂降りの雨がホールデンをずぶ濡れにする。だが、フィービーがかぶせてくれた赤いハンチングをかぶったホールデンは、濡れながらフィービーの回り続ける姿を見て「大声で叫びたいくらい」幸福な気持ちになるのだ。「ただ、フィービーが、ブルーのオーバーやなんかを着て、ぐるぐるぐるぐる、回りつづけてる姿が、無性にきれいに見えただけだ。全く、あれは君にも見せたかったよ。」と語って、ホールデンは物語を閉じるである。グッバイ、フィービー_____
フィービーについて語ることはあまりにも多く、そして、それを書くことは『ライ麦畑でつかまえて』の核心に触れることになるので、いまはここまでにしておきたい。いつかまた、フィービーの好きな映画のことや、彼女の書く探偵小説のこと、それからダンスが上手で、深夜ホールデンとダンスを踊ったことなどについても書いてみたい。それまでもう少し時間がほしいと思っている。
今日も拙い文章を読んでくださって、ありがとうございます。
この曲は1933年「ロバータ」というミュージカルのために作曲され、1946年にナット・キングコールがカヴァーし、1958年またプラターズがカヴァーしている。私はナット・キングコールの歌声を聞いていたと思っていたのだが、プラターズのほうだったかもしれない。『ライ麦畑でつかまえて』の最後、フィービーが回転木馬に乗る場面でこの「煙が目にしみる」が流れる。
回転木馬と「煙が目にしみる」のとりあわせがミスマッチのような気もするが、「とてもジャズっぽい、おかしな演奏のしかただったな」と書かれているので、行進曲風にアレンジしたのだろう。ちょっと不思議なのは、この前にホールデンとフィービーが回転木馬の方に近づいて行くときに「いつもやってる間が抜けたみたいな音楽が聞こえだしたんだな。曲は『おお、マリー!』だった」とホールデンが言っていることである。? 回転木馬の所で演奏されていたのはどちらだ?さらに不思議なのは、これに続くホールデンの言葉である。「今から五十年も前になるが、僕の子供の時にも、あの歌をやってたもんさ。これが回転木馬のいいとこなんだ。いつも同じ歌をやってるってところが。」(アンダーラインは筆者)いったいホールデンは何歳なのだ?
そもそも「煙が目にしみる」も「おお、マリー!」もれっきとした大人のラヴ・ソングである。だが、回転木馬は八歳のフィービーが「あたしじゃ大きすぎるわ」というくらい小さな子供向けの乗り物なのだ。ラヴ・ソングが演奏に使われることがあるものだろうか。「おお!マリー」と「煙が目にしみる」の歌詞を書き出してみる。
「おお、マリー」
Here she comes, she's all dressed up in daises
Half the time, you'd swear that she is crazy
Flowered drinks and low-cut dress
That's the way I know her best
She says she's lonely, how could she be?
Every night she's got company
[Chorus]
Oh Marie,
I sure hope you're happy
Oh Marie,
What about me, Marie
She likes the way she looks in her Camaro
She likes lingerie but he prefers the sombrero
She's so famous on the block
<a href="http://www.lovecms.com/music-sheryl-crow/music-oh-marie.html">Oh Marie 歌詞<a>-<a href="http://www.lovecms.com">Loveの歌詞<a>
She stumbles home around four o'clock
She claims the guys are hard to please
She wears teen perfume behind her knees
[Chorus]
All day long she fills me up with dogma
She's all magazines and benzedrine and vodka
There was one man she truly loved
He took everything but her bear-skin rug
And now and then it's clear to me
That need is love and love is need
[Chorus]
Always an open door
What are you looking for
「煙が目にしみる」
They asked me how I knew
My true love was true
I of course replied something here inside
Cannot be denied
They said someday you'll find
All who love are blind
When your heart's on fire you must realize
Smoke gets in your eyes
So I chaffed them and I gaily laughed
To think they would doubt our love
And yet today my love has gone away
I am without my love
Now laughing friends deride
Tears I cannot hide
So I smile and say when a lovely flame dies
Smoke gets in your eyes
どちらもれっきとしたラヴ・ソングだが、かなり趣きが異なっている。「おお、マリー」のほうは子供向けにはいかがなものかと思われるが、ここでは「煙が目にしみる」の歌詞に注目したい。「煙が目にしみる」とは、失恋の悲涙で目がくもる、ということではないのだ。(今まで、私はそう思っていたのだが)「恋は盲目」の意なのだ。偽りの愛を真実だと信じたのは「煙が目にしみ」たからなのだ。
「煙が目にしみる」の演奏とともに、フィービーは回転木馬に乗ってぐるぐる回る。すると、突然降りだした土砂降りの雨がホールデンをずぶ濡れにする。だが、フィービーがかぶせてくれた赤いハンチングをかぶったホールデンは、濡れながらフィービーの回り続ける姿を見て「大声で叫びたいくらい」幸福な気持ちになるのだ。「ただ、フィービーが、ブルーのオーバーやなんかを着て、ぐるぐるぐるぐる、回りつづけてる姿が、無性にきれいに見えただけだ。全く、あれは君にも見せたかったよ。」と語って、ホールデンは物語を閉じるである。グッバイ、フィービー_____
フィービーについて語ることはあまりにも多く、そして、それを書くことは『ライ麦畑でつかまえて』の核心に触れることになるので、いまはここまでにしておきたい。いつかまた、フィービーの好きな映画のことや、彼女の書く探偵小説のこと、それからダンスが上手で、深夜ホールデンとダンスを踊ったことなどについても書いてみたい。それまでもう少し時間がほしいと思っている。
今日も拙い文章を読んでくださって、ありがとうございます。
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