2019年3月20日水曜日

宮沢賢治『ポラーノの広場』その2__和解と祈り__宮沢賢治のキリスト教

 この作品は、おそらく作者の最晩年に現存のかたちにまとめ上げられたものと思われる。これは、作者の実生活での葛藤、相克を経て、最後に至り着いたしずかな「祈り」であり、現実との「和解」である。そしてその「祈り」は、作者が熱心な信徒だったという法華経の世界よりもキリスト教のそれに近いように思われる。近いということは必ずしも一致しているということではないのだが。

 宮沢賢治とキリスト教については『銀河鉄道の夜』が取り上げられることが多い。讃美歌が流れ、光が散りばめられた十字架と「神々しい白いきものの人」が登場するこの作品はキリスト教のイメージが色濃く漂っている。作中主人公のジョバンハニが「たったひとりのほんとうの神さま」について、難破した船に乗っていた女の子やその家庭教師の青年と議論する。天上に行くために次ぎの駅で下りるという女の子にジョバンニは言う。

 「天上なんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなきゃぁいけないって僕の先生が言ったよ。」
 「だっておっかさんも行ってらっしゃるし、それに神さまがおっしゃるんだわ。」
 「そんな神さまうその神さまだい。」
 「あなたの神さまうその神さまよ。」
 「そうじゃないよ。」
 「あなたの神さまってどんな神さまですか。」
青年は笑いながら言いました。
 「ぼくほんとうはよく知りません。けれどもそんなんでなしに、ほんとうのたった一人の神さまです。
 「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です。」
 「ああ、そんなんでなしに、たったひとりのほんとうの神さまです。」
 「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなたがたがいまにほんとうの神さまの前に、わたくしたちとお会いになることを祈ります」
青年はつつましく両手を組みました。

 この部分は『銀河鉄道の夜』の核心だろう。救命ボートに乗り込まずに、難破した船と運命をともにし、いま天上に向かう女の子と青年が信じる「神さま」と、ジョバンニの「たったひとりのほんとうの神さま」は違う神さまなのか。

 女の子と青年にとって、神さまは、最初から彼らの中にある。神さまの存在は自明の理なのだ。むしろ「始めに神ありき」といったほうがいいかもしれない。それに対してジョバンニの神さまは「ぼくほんとうはよく知りません。けれどそんなんでなしに、ほんとうのたった一人の神さまです。」という神さまなのである。それは「天上よりももっといいとこをこさえる」実践の旅の過程で「よく知らない。けれど」、きっと出会う神さまだろう。

 光り輝く十字架とその前にひざまずく女の子や青年たち、手をのばしてこっちに来る「ひとりの神々しい白いきものの人」を後にのこして汽車は過ぎて行く。ジョバンニの旅はサザンクロスで終わるわけにはいかなかったのだ。終末はもう近いのだが。

 さて、『ポラーノの広場』は主人公の前十七等官等官レオーノキューストが遁げた山羊を探す場面からはじまる。山羊が何の寓意であるかはひとまず置いて、レオーノキューストが、「教会の鐘」の音で目を覚ましたということ、山羊を探しに外に出たら「黒い着物に白いきれをかぶった百姓のおかみさんたち」に出会い、おかみさんたちが「教会へ行くところらしくバイブルも持っていた」という記述に注目したい。ここは明らかに、共同体の中心に教会がある場所なのだ。それにしても、「黒い着物に白いきれをかぶった」女たちの登場は異様である。

 遁げた山羊を連れて来てレオーノキューストに渡してくれたのは、ファゼーロという農夫の少年だった。レオーノキューストとファゼーロ、それから羊飼いのミーロという若者の三人は、つめ草の花を頼りに、歌と祭りがあるという伝説のポラーノの広場を探し始める。

 この作品の「つめくさ」は「小さな円いぼんぼりのような白いつめくさくさ」とあるので「白つめくさ」__クローバーのことらしい。いまはもう、ほとんど見かけなくなってしまったが、昔の農村はれんげの薄紅とクローバーの白で田起こし前の田んぼが覆われていた。夢のように美しい光景だった。蛇がいることがあったが、草むらの中で春の長い日が暮れるまでよく遊んでいた。だが、れんげもクローバーも観賞用ではなく、重要な土壌改良剤だった。とくにクローバーは、酸性土壌の改良剤としてアメリカから輸入したもので、賢治が「つめくさ」に托す思いは深かったのだろう。物語のいたるところで、つめ草は「あかしをともす」という象徴的な表現とともに姿をあらわす。

 探しあてたポラーノの広場では山猫博士の酒宴が開かれていた。ポラーノの広場は山猫博士のもので、県会議員である山猫博士は、そこで次の選挙のための酒宴を開いていたという。酒盛りの場で水をくれというレオーノキューストたちと、酔った山猫博士の間で諍いが起こり、ファゼーロと山猫博士は決闘することになる。本気なのか酔狂なのかよくわからない決闘は、山猫博士が一方的に降参して終わるが、勝ったファゼーロは親方の制裁を怖れる。テーモという親方は山猫博士の手下で、酒盛りに参加していたからである。

 この後、山猫博士とファゼーロは二人とも失踪してしまう。ちょっと不思議なのは、ここまでの出来事の時系列が混乱していることである。遁げた山羊を追ってレオーノキューストとファゼーロが出会った日が「五月の終わりの日曜日」で、それから十五日後にポラーノの広場」でファゼーロと山猫博士が決闘し、その「次の次の日」にキューストが警察から呼び出される。ところが警部はキューストに「おまえは(五月)二十七日の晩ファゼーロと連れだって村の園遊会にちん入したなあ」と言っており、キューストもそのことばを否定していないのだ。そして警察からの召喚状の日付は「一九二七年六月廿九日」となっている。

 キューストは必至にファゼーロを探すがどうしても見つからない。八月になって、キューストは「イーハトーヴォ海岸で海産鳥類の卵を採集」するために出張する。彼はモリーオ市の博物局の職員なのである。出張も終わりに近づいた時に、キューストは偶然に山猫博士を見つけ、ファゼーロの行方を尋ねるが、山猫博士も知らないという。彼は林の中に木材の乾溜会社を立てたが、薬品価格の変動で経営が行き詰まり、工場を密造酒の醸造に使っていた。そのことで部下に脅迫され、広場に株主が集まっていた。ファゼーロと決闘したあの晩はやけっぱちになっていたのだという。いまは零落して収入の道もない、という山猫博士に同情してキューストは彼のもとを去る。

 九月一日、出張から帰ってきたレオーノキューストの家にファゼーロが姿を現す。ファゼーロはあの晩どうしても家に入ることができなくて、ずっと離れたところまで歩いて行って座り込んでいたら、革の仲買人が車に乗せてたべものをくれた。それからファゼーロは革をなめしたり着色したりする技術を身につけてセンダードへ行った。八月十日にモリーオに帰ってきたファゼーロは、山猫博士が残した工場で村の人と共同で酢酸をつくっていたという。

 キューストとファゼーロはポラーノの広場のちょっと向こうにあるという工場に行く。そこでファゼーロやミーロは村の老人たちと酢酸をつくったり、革をなめしたり、ハムをこしらえるだけでなく、ここにむかしのほんとうのポラーノの広場、「そこへ夜行って歌えば、またそこで風を吸えばもう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢いがよくて面白いようなそういうポラーノの広場をぼくらはみんなでこさえよう。」と決意する。
ファゼーロが音頭をとって、「水を呑んで」新しいポラーノの広場の開場式が行われる。

 『ポラーノの広場』の物語はほぼここで終わっている。それから三年後、キューストは仕事の都合でモリーオ市を離れたが、ファゼーロたちの工場は立派な産業組合となり、みんなでつくったハムと皮類と酢酸とオートミールがひろく出回るようになった。最後はレオーノキューストが郵便で受けとった「ポラーノの広場の歌」が記され、作品も閉じられる。

 作品のあらすじを追うだけで、キリスト教とのかかわりについてはふれることがほとんどできなかったが、長くなるので、それについてはまた回を改めたい。キューストたちを導いて、読者ともにポラーノの広場にいざなうつめくさの花のモチーフを中心に書いてみたいと思う。

 書いては消し、書いては消し、いくら繰り返しても、まとまったものができないので、もう一度同じテーマでチャレンジしてみたいと思います。ひとえに私の能力と経験の不足です。未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2019年3月7日木曜日

宮沢賢治『ポラーノの広場』__革命の希求と涜神の怖れ

 二十世紀は革命と戦争の時代だった。「宮沢賢治と革命」という命題の立て方は唐突のように思われるかもしれないが、賢治は童話のジャンルでは寓意的に、詩の中では直接に「革命」について言及している。

 サキノハカという黒い花といっしょに
 革命がやがてやってくる
 ブルジョワジーでもプロレタリアートでも
 おほよそ卑怯な下等なやつらは
 みんなひとりで日向へ出た茸のやうに
 潰れて流れるその日が来る
 (略)
 はがねを鍛えるやうに新しい時代は新しい人間を鍛える
 紺色した山地の稜をも砕け
 銀河をつかって発電所もつくれ

 サキノハカという言葉が何を意味するものか諸説あって、わからないそうだが、もうひとつ「生徒諸君に寄せる」と題した詩のなかにもこの言葉が出てくる。賢治が花巻農学校の教師を辞するときの詩である。

 諸君よ 紺色の地平線が膨らみ高まるときに
 諸君はその中に没することを欲するか
 じつに諸君はその地平線に於る
 あらゆる形の山岳でなければならぬ
 サキノハカ〔以下空白〕
 〔約九字分空白〕来る
 諸君はこの時代に強ひられひ率ゐられて
 奴隷のやうに忍従することを欲するか
 むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ
 宙宇は絶えずわれらによって変化する
 潮汐や風、
 あらゆる自然の力を用ゐ尽くすことから一足進んで
 諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ 

 これは「グスコーブドリの伝記」の志向するところとほぼ一致するような内容である。この後さらに賢治は

 新しい時代のコペルニクスよ
 ・・・・・・・・
 新しい時代のダーウィンよ
 ・・・・・・・・
 新たな詩人よ
 ・・・・・・・・
 新たな時代のマルクスよ
 ・・・・・・・・
と農学校の生徒たちに呼びかけ、鼓舞する。ここに見られる賢治の「革命」は二〇世紀初頭に現実に起こった二つの革命とも、理念としての階級闘争とも異なっていて、むしろよりラディカルな、狂想ともいえるようなスケールのものである。だが、しかし、複雑なのは、「紺色した山地の稜をも砕け」と言い、「新たな自然を形成するに努めねばならぬ」と断言しながら、一方で

 祀られざるも神には神の身土があると
 あざけるようなうつろな声で
 さう云ったのはいったい誰だ 席をわたったそれは誰だ

と始まる「産業組合青年会」と題する詩が存在するのである。

 まことの道は
 誰が云ったの行ったの
 さういふ風のものでない
 祭祀の有無を是非するならば
 卑賎の神のその名にさへもふさわぬと
 応えたものはいったい何だ いきまき応えたそれは何だ
 (略)
 部落部落の省組合が
 ハムをつくり羊毛を織り医薬を頒ち
 村ごとのまたその聯合の大きなものが
 山地の肩をひととこ砕いて
 石灰岩末の幾千車かを 
 酸えた野原にそそいだり
 ゴムから靴を鋳たりもしよう
 (略)
 しかもこれら熱誠有為な村々の処士会同の夜半
 祀られざるも神には神の身土があると
 老いて呟くそれは誰だ

そしてこの詩のすぐ後に

 夜の湿気と風がさびしくいりまじり
 松ややなぎの林はくろく
 そらには暗い業の花びらがいっぱいで
 わたくしは神々の名を録したことから
 はげしく寒くふるへている

という詩が続く。「サキノハカ「という黒い花」と「暗い業の花」は同じものだろうか。賢治は、自然の改変という「革命」をこの世にもたらすことをほんとうに望んだのか。
「神々の名を録」す涜神の怖れに堪えることができると考えたのだろうか。


 前置きが長くなってしまったが、そもそも標題の『ポラーノの広場』の意味するところが複雑なのである。賢治が演出して花巻農学校の生徒に上演させた劇の台本として『ポランの広場』と題した草稿が残っているそうである。「ポラン」から「ポラーノ」への変化もまた謎だが、「ポラーノ」の由来も諸説ある。おおむね「ポール」から派生して「北極星」あるいは「北」の意を含む言葉としているようだが、ポーランド語で「薪」を意味するという説も捨てがたい。作品の末尾で、「私」のもとに郵便で「ポラーノのうた」が楽譜とともに届くのだが、その二番の歌詞に

 まさしきねがいに いさかうとも
 銀河のかなたに ともにわらい
 なべてのなやみを たきぎともしつ
 はえある世界をともにつくらん

とある。

 ポラーノの語義として最も有力なのはエスペラント語の「花粉」だと思われるが、またしても独断と偏見の持ち主である私はロシア語の「森の中の草地」説(これはトルストイの生地の地名でもあるようだ)も捨てがたい。「広場」というとすぐに「赤の広場」を連想してしまう私の想像力の貧困が恥ずかしいのだが、元来ロシア語の「赤」は「美しい」という意味だったそうなので、そんなに突飛な連想でもないと思う。

 「革命」の詩の解釈と「ポラーノ」の語義を調べることでかなりの字数をついやしてしまった。「前十七等官 レオーノキュースト誌 宮沢賢治訳述」と記された『ポラーノの広場』の内容については、次回また書くことにしたい。賢治自身が「少年小説」とメモしたというこの作品は、苦渋に満ちた、しかしある種の諦観に到達した作者の自伝小説のように思われる。「革命」はここでは、「フェビアン協会」のような「社会改良主義」といったほうがよいかもしれないのだが。

 なかなか本題に入れずここまできてしまいました。未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2019年1月15日火曜日

映画『新しき土』__シュールで奇怪な国策映画の示すもの

 昨年末から何回もこの映画を観ているのだが、さて、何をどう書こうかと構えるとどうしてもまとまらない。いろいろと曰くのある作品である。

 よくいわれるのは、この映画の制作のかげで、日独防共協定が秘密裡に締結されようとしていたということである。一九三六年十一月二十五日締結にいたる日独防共協定の交渉を仲介したフリードリッヒ・ハックという親日家のドイツ人が『新しき土』の実質的なプロデューサーであったといわれている。フリードリッヒ・ハックについては、ノンフィクション作家の中田整一氏が『ドクター・ハック__日本の運命を二度握った男」という著書で詳しく述べられているが、私見では、日独そしてソ連の三重スパイだったのではないかと考えている。

 映画そのものは、これを何と評してよいか__今日の日本人の目で見ると、「国策映画」として何をプロパガンダしようとしたのか、まったくわからないのである。冒頭、祭囃子の笛、太鼓、拍子木の音とともに、富士山と桜を描いた紙芝居の絵のような画面が現れる。その直後に、今度は日本列島を上から俯瞰した画面で、列島上空には煙とも霧ともつかぬものが立ち込めていてる。それから次は火山が噴火する。噴火のシーンは特撮らしいが、映画の中で何回も登場する。噴火、地震の日本列島なのである。火山の後は、険しい岸壁に荒波が押し寄せては砕けるシーンだ。間違っても、「明るく楽しく満州に行こうよ」という映画ではない。

 ストーリーは単純で、洋行帰りの「大和輝男」という若い男性が、許嫁で戸籍上の妹である「大和光子」という少女と結ばれるまでの物語である。輝男は、富士山の見える農村に住む「神田耕作」という百姓の子だが、大富豪の「大和家」の養子となって、海外留学させてもらったのである。輝男を慕い続けて八年間待った光子は彼の帰国の知らせに飛び上がって喜ぶが、輝男は「ゲルダ・シュトルム」というドイツ人の恋人と一緒だった。

 作品のテーマとしては、ヨーロッパの空気に触れた輝男が、日本の慣習を受け入れるまでの葛藤、であろうか。輝男は「日本のために働きたい」と志し、満洲に自己実現の場を見出す。だが、輝男の帰国を知らせる電報が耕作の家に届いたとたんに、地震が起きるのだ。地震と噴火のシーンは、輝男と日本との葛藤の象徴として、繰り返し登場する。輝男の恋人「ゲルダ・シュトルム」のシュトルムも疾風の意なので、日独とも、天変地異が相次ぐことを示唆しているようだ。

 後半は、噴火する山の描写の連続である。輝男に捨てられたと思った光子が、花嫁衣裳を包んだ風呂敷を手に家を出る。そして、一両編成の市電のような電車に乗って、下車すると、そこから登山道に向かい、着物姿で噴火を続ける山に上って行く。これはいったいどこの火山なのだろう。

 余談だが、たぶん、ドイツ人観客のために名所案内サービスを意図したのだろうが、この映画の地理は無茶苦茶である。大和家がどこにあるのかわからないのだが(横浜に輝男を迎えに来た光子が「あたくし、もう東京にいたくありませんの」と言っているので東京でないのはたしかだろう)、大和家の大邸宅を出ると、厳島神社があったり、浜辺に鹿がいたりする。ヨーロッパから航海して横浜港に入るのに松島湾の映像が挿入されたりする。

 光子を追って、輝男も山に登る。光子は着物姿で険しい山を上って行くが、輝男は不気味な沼を泳いで渡ってずぶ濡れになって、靴も履かずに噴火する山をよじ登るのである。足を血まみれにしながら、山頂で光子と巡りあった輝男が、どうやって光子を抱えて下山できたのか、不思議なのだが、延々二十分ほど続くこの部分がこの映画のクライマックスなのだろう。山岳映画を得意としたドイツ人監督ファンク(フリードリッヒ・ハックの大学の後輩で、彼の依頼で監督を引き受けたそうである)の腕の見せ場、というより若き円谷英二が特撮技術を駆使したものと思われる。迫力満点、というべきか、荒唐無稽、というべきか。

 ラストは満洲である。戦車のようなトラクターに乗った輝男と、生まれて間もない赤ん坊を抱いた光子が登場する。王道楽土に新しい生命を育む若いふたり、と絵に描いたような予定調和の画面で終わる。__と言ってもよいのだろうが、このあと少し気になるシーンがある。

 ひとつは、輝男が光子から渡された赤ん坊をトラクターの轍の溝に置いて「坊主、お前も土の子になれよ」という場面である。赤ん坊を泥の上に寝かせて「土の子になれ」とはどういう意味なのだろう。輝男はそう言って微笑みながら光子を見上げるのだが、光子はニュートラルな表情のまま、視線をそらす。その視線の先には、機関銃を構えた兵士の姿がある。

 さらに気になるのが、アップで映された兵士の表情である。赤ん坊を抱いた二人の光景を見ていた兵士は、笑みをたたえていたのだが、視線を上に向けると、笑みは消え、険しい(あるいは恐怖の色を浮かべた)目つきになる。映画はここで終わるのである。  

 「日独合作映画」としての主題は、大和家を訪れたゲルダと当主の巌が岸壁に押し寄せる荒波を前に佇むシーンにあるのだろう。巌は「私たちが極東でこの岩だらけの島を守っている。この防壁にあらゆる嵐は打ち砕かれるだろう」 と言うのだ。しかし、この映画はどう見ても、戦意高揚(まだ日中戦争も日米戦争も始まっていなかったが)、士気を鼓舞、といった目的にかなうものとは思われない。

 もっとも国策映画らしいのは、登場人物のネーミングかもしれない。大和巌、大和輝男、大和光子、神田耕作、神田日出子((輝男の妹)、ネーミングがキャラクターを十分に説明している。

 全編を通して、おどろおどろしい音響と地震、噴火のシーンの連続で、『新しき土』_満洲国建国の希望につながる要素を見出すのは難しいのである。むしろ、頻繁に登場する噴火の映像は、なんだかキノコ雲のように見えてくる。私だけかもしれないが。もちろん、一九三六年に制作されたこの作品にきノコ雲が登場するはずはないので、噴火も爆発も同じように見える現象だということなのだろう。

 見終わっての感想がどうしてもまとまらないのは、私の理解力の不足かもしれないが、敢えていってしまえば、シナリオが悪いのではないか。あれもこれも入れようとして、ただのごった煮になってしまっている。いろいろな要素が無責任に放り出されているように思う。脚本は伊丹万作とアーノルド・ファンクの共同執筆となっているが、プロが責任をもって制作したものとは思われない。何より情熱が感じられないのだ。それでも、現在の金額に換算すると数十億円を費やして出来上がったのがこの映画だそうで、なんとも不思議な気がする。

 作品の欠点をあげつらうより自らの集中力と文章力の不足を自覚すべきかもしれません。一六歳で主役をつとめた原節子の目を見張るような演技力についても触れたかったのですが、また機会があれば、と思います。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。
 

2018年12月19日水曜日

小津安二郎『秋刀魚の味』__軍艦マーチが奏でる「日本」の挽歌

 「日中戦争と紀子三部作の謎」について、いつまで経ってもいっこうに解きほぐせないので、つい考えるのが億劫になってしまう。それで、大した進展はないのだが、少しだけ、また独断と偏見を書いてみたい。「紀子三部作」の一作目の『晩春』(一九四九年公開)と、小津の遺作となった『秋刀魚の味』(一九六一年公開)の比較である。

 『秋刀魚の味』は、晩春』の焼き直しといわれても仕方がないほど、同じプロットから成り立っていることは誰でもわかるだろう。寡夫となった父が娘を嫁にやるまでの経緯をきめ細やかに淡々と描いた作品である。ラスト近く、花嫁衣裳の娘が父に挨拶して家を出ていくシーンも共通している。

 ただ、微妙に違うのは、『晩春』の紀子が、白黒の映画なので黒く見える地色の花嫁衣裳に身を包み、どこか恨めしそうに、もっといえば、屠殺場に引かれていく行く牛のようなたたずまいの後ろ姿を見せるのに対し、『秋刀魚の味』の路子は、美しく輝く白無垢の衣装で、あっけらかんと、明るく家を出ていくことである。『晩春』の紀子は、纏綿たる情緒をただよわせ、どこまでも「女」だったが、『秋刀魚の味』の路子は、どこか無機質で、人形のように可愛いのだ。

 ストーリーは『晩春』のほうがはるかに単純である。父を慕う紀子の執着をいかに断ち切って嫁にやるか、ほぼこれに尽きるといってよい。紀子の恋人に擬せられる服部という父の助手とか、父の再婚相手として紹介されるという未亡人の三輪夫人が登場するが、メインはあくまで紀子と父の葛藤である。

 『秋刀魚の味』は、前回のブログでも書いたが、冒頭主人公の平山と友人の河合とのやり取りから、初老の平山の隠された情動がひそかに暗示される。娘のような若い女と再婚した同窓生も登場する。同時に、早くに妻をなくし、娘を妻替わりに使って嫁にやりそびれた教師と娘の無残な老後も描かれる。『秋刀魚の味』はいくつかの主題がからみあって展開される。

 平山の次の世代も登場する。『晩春』の紀子は一人娘だったが、『秋刀魚の味』の平山家には、路子の兄、弟がいる。弟はまだ学生のようだが、兄は社会人で、結婚して団地住まいのサラリーマンである。冷蔵庫を買うといって、父に金を無心するが、実はほしいのはゴルフのセットである。マクレガーというアメリカ製のセットが欲しいのだが、中古でもサラリーマンの給料ではとても買えないのだ。いや、妻と共稼ぎの所帯だが、冷蔵庫も高値の花だったのである。

 『晩春』の紀子に結婚を決意させたものは、父と三輪夫人の再婚話だったが、『秋刀魚の味』の路子は、兄の部下の男に失恋したためである。この男は計算高くて調子のいい軽薄な人間として描かれているので、路子がこんな男を好きだったというのが、ちょっと不思議なのだが。

 という風に『秋刀魚の味』は、まさに高度成長期にさしかかった日本の風俗を軽やかにすくい上げていく。抑制の効いたカラーの画面も上品で美しい。そんな中、ある種唐突に、戦時中平山の部下だった坂本という男が登場する。いまはラーメン屋を営んで生計をたてているかつての恩師のもとに、同窓生一同から募った寸志を届けに行った平山は、店に入ってきた男に声をかけられる。平山は軍艦「朝風」(実在の駆逐艦である)の艦長で、男はその部下だったというのだ。自動車の修理工場をしているという坂本に連れられて、平山は彼のなじみのバーに行くと、そこに流れていたのは「軍艦マーチ」だった。

 「軍艦マーチ」はこのバーの名物らしく、坂本が音頭をとって、レコードに合わせて敬礼しながら店内を行進するシーンがある。坂本は平山に「艦長もやってくださいよ」と敬礼させ、お風呂から帰ってきたという店のママも一緒に敬礼する。

  思うに、『秋刀魚の味』のテーマは「軍艦マーチ」に収斂されていく、といってよいのではないか。赤い横線の入った煙突が煙を吐く冒頭のシーン(おそらく川崎の工場地帯だと思われる)、いまから見るとおもちゃ箱のようなコンクリートの団地、長男夫婦に象徴される消費経済への転換、など世相を描き、人情の機微も描きながら、ラスト近く再び軍艦マーチが流れる。

 路子の結婚式を終えた平山は、仲人をつとめた河合の家でかなりの酩酊状態になりながら、坂本に案内されたバーに足を運ぶ。そこには、平山の亡き妻に似ているというママがいて、「今日はどちらのお帰り?お葬式ですか?」と聞いた後、「かけましょうか、あれ」と軍艦マーチのレコードをかけるのだ。サラリーマン風の男が二人隣のツールに座っていて、音楽が流れると、「大本営発表!」「帝国陸軍は今暁五時三十分南鳥島東方海上において」「負けました」「そうです。負けました」とかけあいでアナウンサーの真似をしている。平山は無言である。

 平山の遅い帰宅を待っていた長男夫婦も帰って、家には次男と平山の二人だけになる。平山は台所の椅子に座って軍艦マーチを口ずさんでいる。「浮かべる城ぞたのみなる・・・」もう寝ろよ、と次男は気遣うが、平山は、「やぁ、ひとりぼっちか・・・浮かべるその城日の本の・・・」とつぶやいた後、立ち上がって階段の前にたたずむ。しばらく上を見上げている。カメラだけが主の去った路子の部屋を映して回る。

 やがて平山はもう一度台所に戻って、やかんから水を飲む。軍艦マーチの音楽がテーマミュージックにかぶりながら変わって「終」の文字がでる。やかんの水が末期の水に見えてくるような終わり方である。

 世紀を超えたいま、この時点から振り返ると、「六十年代」は日本が劇的に変わっていった時代だった、と思う。以前にも書いたが、小津安二郎の映画は、政治にかかわらないという点で、きわめて政治的である。日本中を政治の季節に巻き込んだ「六十年安保」を経て、時代は確実に、そして劇的に変わっていったのだ。「小津安二郎の日本」__あるいは「小津安二郎と日本」は終わったのである。

 余談だが、この映画には「海」の映像がない。『晩春』、『麦秋』、『東京物語』の紀子三部作はもちろん、その他の映画にも海の映像はほとんどといっていいくらい登場する。だが、「軍艦マーチ」が主旋律となるこの映画に海の映像はないのだ。「海」の映像と訣別しなければならない何かがあったのだろうか。

 『秋刀魚の味』について何ほどのものが書けたのか、という忸怩たる思いがあるのですが、ひとまずこれで区切りを付けたいと思います。また紀子三部作に戻る予定です。今日も不出来な感想文を読んでくださって、ありがとうございます。
 

2018年12月5日水曜日

宮沢賢治『フランドン農学校の豚』__父と子そして国家

 前回『フランドン農学校の豚』について、救済をもたらさない受難物語として読んでみた。概ねそれでいいと思うのだが、もう少し書いてみたい。この作品に限らないのだが、賢治の作品、とくに散文の中には、ときに周到に隠されているのだが、「父と子」のテーマが存在するのである。

  フランドン農学校の校長と豚の関係は、たんに擬人化された飼育者と家畜のそれにとどまらないものがあるように思う。豚と言葉を交わしコミュニケーションをとるのは、校長だけである。どこにも救いのない死に至る豚だが、校長とのやりとりには、微かな甘えの気配が漂うのだ。校長もまた、豚に対して決然とした態度をとれないでいる。

 校長は、印を押させるための死亡承諾書を持って来ながら、豚の様子があまりに陰気だったので、承諾書をそのまま持ち帰ってしまう。再びやってきた校長が意を決して切り出すと、豚は「いやです、いやです、そんならいやです。どうしてもいやです。」と泣き叫ぶ。犬/猫にも劣る恩知らず、と罵りながらも、校長はやはり印を押させることができない。豚は「どうせ犬猫なんかにははじめから劣ってますよう、わあ」と、すねて大泣きする。ここには哀歓をともにする感情の交流が間違いなくあるのだ。

 だが、豚は「農学校で飼育されている食肉用家畜」である以上、殺戮されることを運命として引き受けなければならない。校長と感情の交流があるといっても、校長は最終的に豚に死を宣告する役割がある。殺戮を実行するのは冷徹なテクノクラートだが、「死亡承諾書」に印を押させることは、校長にしかできないのである。

 ところで、「死亡承諾書」なるものは何を意味するのか。豚が殺される前の月、その国の王が「家畜/撲殺同意調印法」を布告した、と書かれている。『フランドン農学校の豚』を、たんなる受難物語として読み過ごすことができないのは、「家畜/撲殺同意調印法」の意味がわからないからである。なぜ家畜を殺すのに家畜の同意を得る必要があるのか。それを法律で定める必要があるのか。___というより、賢治がこの作品の中に、唐突に国王と法律を持ち出すことの意味がわからないのである。

 「死亡承諾書」が存在しなくても、殺される豚と農学校の校長との物語は成り立っただろう。死を強制せざるを得ない父と最後にはそれを受け入れざるを得ない子との物語である。だが、その強制の背後に「法律」が存在して、「国」の「王」がいる、となると、これは「父と子」のプロットを包み込む、さらに大きな枠組みが用意されていることになる。

 いったい、賢治の「童話」と称されるものは、実はかなり複雑な影を帯びているものが多い。有名な『注文の多い料理店』という作品も、例によって独断と偏見の持ち主の私は、「富国強兵」のスローガンのもと、「イギリス風の紳士」然と西洋化した(させられた)日本が、言葉巧みに操られて、最後は丸裸になって滅亡させられてしまうところだった、というお話だと考えている。賢治は、最後に死んだはずの犬が「山猫軒」を襲って二人の「イギリス風の紳士」を助けてくれることにしているが、この結末にはかなりの無理があるように思われる。

 『フランドン農学校』という作品は、賢治の晩年、と言っても三十代のことだろうが、に書かれたようである。晩年に近づくほど、詩、散文ともに、賢治の作品は、実生活の影が濃く、苦渋に満ちたものが多くなってくる。『フランドン学校の豚』は、擬人法、というより、人間社会を豚に擬えて書いた、という意味で「擬豚法」とでも呼ぶべき方法で描いた、苦渋に満ちた傑作であると思う。

 もっと丁寧に「父と子」と「国家」について掘り下げなければならないのですが、体力、気力ともに十分ではないので、もう少し時間が欲しいと思っています。今日も不出来な感想文を読んでくださってありがとうございます。