大江健三郎の小説を読んで分かった、と思ったことは一度もない。分かった、と思うときがきたら、そのとき私は大江の読者でなくなるだろう。『水死』も分からない小説で、いろいろな分からなさがあるが、まずは「コギー」なる名称と存在が分からない。
物語の始めに、古義人が賞をもらったときの記念碑に刻まれた詩(?)を紹介している。
コギーを森に上らせる支度もせず
川流れのように帰って来ない。
雨のふらない季節の東京で、
老年から 幼年時まで
逆さまに 思い出している。
最初の二行は古義人の母が作った俳句だという。まず、これからして不思議である。一九三五年生まれの古義人の母(当然母は古義人より少なくとも二十歳は年上)が息子を「コギー」と呼ぶだろうか。しかも、「コギー」は古義人のことであるが、また古義人の息子アカリのことだともいう。この後、妹のアサにも「コギー兄さん」と呼ばせているので、「コギー=古義人」を強調したかったのだろう。だが、アサはいつも古義人を「コギー兄さん」と呼ぶわけではない。
次に「コギー」を議論の対象としたのは、劇団「ザ・ケイヴ・マン(穴居人)」のリーダーで「長江の穴に住む人」との異名のある穴井マサオである。穴井は「コギー」を「長江さんの全小説を縦断的に脚色して、と考えている主題なんです」という。「穴井マサオ」とは、「コギー」を『水死』という小説のテーマにするために作者大江によって作品中に呼び出されたキャラクターのように思われる。「コギー』とは、穴井によれば、長江の作品中「幾つかの、別々の対象にあたえられている名前」である。それは、子供の時一緒に暮していた自分と瓜二つの子供であり、アグイーという名の死んだ赤ん坊であり、『懐かしい年への手紙』のラストに登場する幼く無垢なアカリである。
長江が、長江だけがその実在を主張する「コギー」を「ぬいぐるみ」にして可視化し、「水死小説」に登場させようという穴井の計画は「水死小説」の破綻によって立ち消えになってしまった。「コギー」の代わりにぬいぐるみとして劇中に登場するのは、ウナイコの発案した「死んだ犬」(!)だが、これについてはまた後で検討したい。「コギー」は物語の後半、再び作品中に呼び出される。古義人の前に再び現れた穴井マサオは、古義人から去った「コギー」を取り戻す最後のチャンスが洪水下の父の出航だったという。現実には古義人は入り江に戻り、父について行くコギーを見送って、チャンスを逃してしまったのだが、彼は、古義人が「水死小説」を書くことで最後の逆転をはかると期待したのだ。
ともにある人、癒す人、イノセントそのもの、としての「コギー」がついえて、最後に復活するのは「尸童(しどう)」、しかばねの童のモデルとして、である。谷間の森の円形劇場で「死んだ犬を投げる」公演を成功させたウナイコは東京の大劇場に出演する。そこで彼女は平家物語の建礼門院に取り憑く物の怪の「よりまし」_霊媒を演じる。ウナイコからその「よりまし」の話を聞いた古義人は「よりまし」に「尸童(しどう)」を見るが、ウナイコは「尸童(しどう)」のモデルが「コギー」だという。「コギー」はしかばねの童で、霊媒だったのか!______「水死小説」の、というより『水死』の結論はここにくるのか?
「コギー」という「長江さんの全作品をつらぬく記号」(穴井マサオの言葉)が何を意味するのか、性急な結論はしばらく置くとして、もうひとつわからないことについて考えてみたい。それは、この作品の中で「演劇」の果たす役割は何か、ということである。ウナイコは漱石の『こころ』を題材に、観客を巻き込んだ討論劇の方法を取り入れ、討論の相手方にぬいぐるみの犬_「死んだ犬」と呼ばれる_を投げつけるという過激なパフォーマンスで喝采を浴びる。___だが、ほんとうにそんなことが、とくに中学、高校の「演劇授業」として許容されるのか?「死んだ犬を投げる」というパフォーマンスのヒントは、物語の冒頭、古義人がウナイコの質問に答えるかたちで、ラブレーの「パンタグリュエル」の説明をする中にあるのだろうが、「パンタグリュエル」ほどグロテスクかつ残酷でないにしても、どう考えても教育的でない。どころか許されない行為だろう。
ところが、「死んだ犬を投げる」劇で成功したウナイコは、みずから企画した『メイスケ母出陣と受難』ではさらに過激な演出をする。前回のブログでも書いたが、『メイスケ母出陣』は国際的映画女優のサクラさんが直接古義人の母に取材して制作、主演した映画である。地域の一揆を指導した少年「メイスケさん」と「メイスケさんの生まれ替わり」を生んだ「メイスケ母」の伝承を映画化したもので、シナリオを古義人が書いた。今回はその演劇版だが、映画の最後で、サクラさんの「アー、アー」という声で暗示される強姦シーンを実際に舞台上で演じる、という。しかも、強姦されるのは、劇中のメイスケ母だけでなく、メイスケ母の衣裳を脱ぎ捨てたウナイコ自身である、という設定になっている。
当然、このことは地域に波紋をまき起す。のみならず、かつてウナイコを強姦した元文部省の高級官僚小河を谷間の森に呼び寄せることになる。ウナイコ自身が舞台上で十七年前の強姦の場面をそのまま演じ、その相手もあきらかにされるからである。ウナイコは小河自身を舞台に引き出すことを考えていたが、出てこなければ、代役を相手に「死んだ犬を投げる」芝居をするつもりだった。小河を呼び寄せるのには、古義人も一役買っていた。ウナイコが強姦された際の血と体液のついた下着、堕胎させられた処理後の品物を、劇団「ザ・ケイヴ・マン(穴居人)」のスケ&カクが舞台上でふりかざすというコントのシナリオを書いたのは、いうまでもなく古義人だからである。
谷間の森に呼び寄せられた元文部省の高級官僚小河は、配下の者にウナイコとアカリ、ウナイコの片腕でもある親友のリッチャンを拉致させ、大黄さんの錬成道場に軟禁する。アカリとリッチャンを人質にとって、古義人に立ち合わせ、ウナイコに上演を断念させようとしたのだ。だが、強姦ではなかった、と主張する小河は、本当にそうでなかったかどうか、十八年前の再現をしてみようというウナイコの挑発にのってしまう。ウナイコは「尸童(しどう)」_「よりまし」と化して、小河に致命的な一撃をあたえたのだ。情動にかられ再びウナイコを犯した小河は、リッチャンから報告を受けた大黄さんに銃弾二発で倒される。古義人はアサの処方した睡眠薬で深い眠りを眠り、目覚めたとき、すべては終わっていた。
「記号」というもの、「演劇」と小説、あるいは現実との関係、について、私のなかで見えてくるものは、まだ、ほとんどない。いま、世界中でおこる出来事は瞬時に報道され、可視化される。そこでは固有名詞は記号ではないのか、出来事は地球という舞台で上演される演劇ではないのか、という妄想にかられることがある。唐突なようだが、大江健三郎は何のために小説を書くのか。「すでにあったこと」を書くのか。「これから起こること」を書くのか。『さようなら、私の本よ!』の最後で長江古義人は「徴候」を集めて残すのだ、と言っていたが。
徹底的に能力不足、体力も不足していたのか、なんとも舌足らずな文章のままでした。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
2015年12月21日月曜日
2015年12月14日月曜日
大江健三郎『水死』___フィクサー・アサの役割と沈黙する古義人
この小説ほど古義人の妹アサの活躍する作品はない。アサは、物語りの発端から終末まで事件の展開の節目節目に登場して、その主導権を握っていく。アサから古義人への手紙、というかたちで語り手としての役割も担っている。一方、古義人はなんら主体性なく沈黙がちで、結末の破局までなすすべもなかったようにみえる。本当になすすべもなく、何もしなかったのかはひとまず保留しておくが。
古義人は、「赤革のトランク」を餌にアサに呼び寄せられて、四国の「森の家」に赴く。そして、古義人の作品を演劇化してきたという演劇集団「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」の活動と同時進行のかたちで「水死小説」の完成をめざすが、期待していた資料が得られず断念する。
古義人の断念は十年前に亡くなった母とアサの連携プレーによるものだ。古義人の父が手のこんだ手段を用いて残した「赤革のトランク」には、古義人が「水死小説」を完成させる手がかりとなるものは何ひとつ残されていなかった。母が長い年月をかけてすべて処分してしまったのだ。母の傍らでそれを見ていたアサは、古義人が期待する資料が何も残されたいないのを知りながら、むしろ古義人に「水死小説」を断念させるために彼を「森の家」に呼び寄せたのである。
しかし、たんに「水死小説」を断念させるのが目的ならば、母もアサも「赤革のトランク」ごと捨ててしまえばよかったのだ。そうしなかったのは、母が、穴井マサオのいう「(父を)斃れたヒーローとして書きたいもうひとつの昭和史」ではなくて、古義人が別の「水死小説」を_「あまり愚かでないお父さんのことを小説に書く日がくることを考えていた」からだ。母の遺志を実現するために、「不撓不屈」のアサはフィクサーとして八面六臂の活躍をする。
そのうち最も重要なのが、ウナイコという反・時代精神の女優と連携し、彼女を徹頭徹尾支援することだった。ウナイコが「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」から自立して演劇活動をするために、アサは「森の家」の所有権を土地ぐるみウナイコに譲渡するよう古義人に要請し、古義人はそれを受けいれたのである。
「水死小説」を断念した古義人は、穴井マサオに誘われて、父の水死した亀川で敗戦の日と同じように、ミョート岩の裂け目からウグイを見る。その後クロールで泳いだのが無理だったのか、古義人は大眩暈」の発作に襲われる。帰京してからもその発作は続き、さらに息子のアカリとも決定的な破局を迎えてしまう。古義人が大事にしている楽譜にアカリは好意で印にをつける。ところが、楽譜を汚されたことに激怒した古義人が、印をつけたアカリに「きみは、バカだ」と言ってしまったのだ。「水死小説」は挫折し、「斃れたヒーロー」としての父_子関係は破綻したのだが、現実の父_子の関係も破局を迎えてしまった。
ウナイコ_アサ連合の活躍はめざましかった。ウナイコは漱石の「こころ」を朗読劇に仕立てて、中学、高校に出前授業をする。その演劇授業の集大成として谷間の中学校の円筒劇場で公演するという運びになったのは、ウナイコの実力もさることながら、「狭い谷間で、批判もいろいろある長江古義人の妹として永くやってきた」「政治的人間」のアサの根回しがあったからである。
アサはまた、「重大な病気」が発見された古義人の妻千樫の依頼で、千樫に付き添うために上京する。アサと入れ替わるかたちで、古義人とアカリが四国の「森の家」に行くことになる。ここで重要なのは、アサが古義人を「元気づけるためのプラン」として、古義人の話し相手として「大黄さん」をさしむけたことである。
「大黄さん」については前回「大黄さんに関する備忘録」でもふれたが、もう少し補足してみたい。本文中アサの言葉として、大黄さんとは「本来は黄さんだったのに子供としては柄が大きいので大黄さん、孤児の引揚者として作られた戸籍の名は大黄一郎、、それが気の毒だとお母さんが採集する、薬草の大黄が村での呼び名がギシギシなので、そういうておった人」と定義されている。この定義は以前『取り替え子』でも述べられていたが、何だかおかしくないだろうか。「大黄さん」より「ギシギシ」のほうが名前として「気の毒」でないか?どうでもいいことなのかもしれないが、やはり腑に落ちないのである。「ギシギシ」__「技師」「義士」あるいは「義子」__これこそ「空想」でなくて「妄想」なのだろうが。妄想ついでに「大黄さん」は「大王さん」?
大黄さんと古義人の対話の主題はずばり「王殺し」である。古義人は「赤革のトランク」に残されていたフレイザーの『金枝篇』の講釈をする。『金枝篇』は「高知の先生」が古義人の父に貸したものだという。「高知の先生」は『金枝篇』のうち「王殺し」に関する三巻を古義人の父に貸して、政治教育をしたのである。共同体の豊饒と繁栄を失わないために、衰えの見え始めた王は倒され、倒した者が新たな王になる、という原始社会のセオリーを、古義人は「人間神を殺す」という言葉で語る。
これに対して大黄さんは事実に即して古義人の父と古義人の行動を語る。大黄さんは、すべてを「見て」いたのだ。古義人の父が、取り巻きの将校たちの誰よりも「高知の先生」に傾倒し、本気で蹶起を考えていたこと、だが、谷間の「鞘」をそのために利用し、冒すことは断固として拒絶したこと、そして、大水の夜たった一人で転覆必至の舟で漕ぎ出していったこと、古義人は置き去りにされたこと、古義人の父の遺体を水底で発見したのも大黄さんだった。アサにみちびかれて古義人は大黄さんと向き合い、そうすることで事実と直面せざるを得なかったのである。
アサはこの後、反・時代精神の女優ウナイコの『メイスケ母出陣』の演劇化をすすめる活動に協力して、古義人も巻き込む。『メイスケ母出陣』は『﨟たしアナベル・リー総毛立ちつ身まかりつ』の主人公の国際的女優サクラさんが制作、主演した映画だが、日本で公開されることはなかった。『メイスケ母出陣』の演劇化は成功するが、思いがけない(あるいは当然の)事件が起こり、事態は一挙に破局に向かう。ここでも、アサの行動は非常に重要なポイントとなる。そのことについては、古義人の状況も含めて、もう少し詳しく見ていきたいが、長くなるので、また回を改めたい。
ここまでくるのに悪戦苦闘の連続でした。未整理な乱文を最後まで読んでくださってありがとうございます。
古義人は、「赤革のトランク」を餌にアサに呼び寄せられて、四国の「森の家」に赴く。そして、古義人の作品を演劇化してきたという演劇集団「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」の活動と同時進行のかたちで「水死小説」の完成をめざすが、期待していた資料が得られず断念する。
古義人の断念は十年前に亡くなった母とアサの連携プレーによるものだ。古義人の父が手のこんだ手段を用いて残した「赤革のトランク」には、古義人が「水死小説」を完成させる手がかりとなるものは何ひとつ残されていなかった。母が長い年月をかけてすべて処分してしまったのだ。母の傍らでそれを見ていたアサは、古義人が期待する資料が何も残されたいないのを知りながら、むしろ古義人に「水死小説」を断念させるために彼を「森の家」に呼び寄せたのである。
しかし、たんに「水死小説」を断念させるのが目的ならば、母もアサも「赤革のトランク」ごと捨ててしまえばよかったのだ。そうしなかったのは、母が、穴井マサオのいう「(父を)斃れたヒーローとして書きたいもうひとつの昭和史」ではなくて、古義人が別の「水死小説」を_「あまり愚かでないお父さんのことを小説に書く日がくることを考えていた」からだ。母の遺志を実現するために、「不撓不屈」のアサはフィクサーとして八面六臂の活躍をする。
そのうち最も重要なのが、ウナイコという反・時代精神の女優と連携し、彼女を徹頭徹尾支援することだった。ウナイコが「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」から自立して演劇活動をするために、アサは「森の家」の所有権を土地ぐるみウナイコに譲渡するよう古義人に要請し、古義人はそれを受けいれたのである。
「水死小説」を断念した古義人は、穴井マサオに誘われて、父の水死した亀川で敗戦の日と同じように、ミョート岩の裂け目からウグイを見る。その後クロールで泳いだのが無理だったのか、古義人は大眩暈」の発作に襲われる。帰京してからもその発作は続き、さらに息子のアカリとも決定的な破局を迎えてしまう。古義人が大事にしている楽譜にアカリは好意で印にをつける。ところが、楽譜を汚されたことに激怒した古義人が、印をつけたアカリに「きみは、バカだ」と言ってしまったのだ。「水死小説」は挫折し、「斃れたヒーロー」としての父_子関係は破綻したのだが、現実の父_子の関係も破局を迎えてしまった。
ウナイコ_アサ連合の活躍はめざましかった。ウナイコは漱石の「こころ」を朗読劇に仕立てて、中学、高校に出前授業をする。その演劇授業の集大成として谷間の中学校の円筒劇場で公演するという運びになったのは、ウナイコの実力もさることながら、「狭い谷間で、批判もいろいろある長江古義人の妹として永くやってきた」「政治的人間」のアサの根回しがあったからである。
アサはまた、「重大な病気」が発見された古義人の妻千樫の依頼で、千樫に付き添うために上京する。アサと入れ替わるかたちで、古義人とアカリが四国の「森の家」に行くことになる。ここで重要なのは、アサが古義人を「元気づけるためのプラン」として、古義人の話し相手として「大黄さん」をさしむけたことである。
「大黄さん」については前回「大黄さんに関する備忘録」でもふれたが、もう少し補足してみたい。本文中アサの言葉として、大黄さんとは「本来は黄さんだったのに子供としては柄が大きいので大黄さん、孤児の引揚者として作られた戸籍の名は大黄一郎、、それが気の毒だとお母さんが採集する、薬草の大黄が村での呼び名がギシギシなので、そういうておった人」と定義されている。この定義は以前『取り替え子』でも述べられていたが、何だかおかしくないだろうか。「大黄さん」より「ギシギシ」のほうが名前として「気の毒」でないか?どうでもいいことなのかもしれないが、やはり腑に落ちないのである。「ギシギシ」__「技師」「義士」あるいは「義子」__これこそ「空想」でなくて「妄想」なのだろうが。妄想ついでに「大黄さん」は「大王さん」?
大黄さんと古義人の対話の主題はずばり「王殺し」である。古義人は「赤革のトランク」に残されていたフレイザーの『金枝篇』の講釈をする。『金枝篇』は「高知の先生」が古義人の父に貸したものだという。「高知の先生」は『金枝篇』のうち「王殺し」に関する三巻を古義人の父に貸して、政治教育をしたのである。共同体の豊饒と繁栄を失わないために、衰えの見え始めた王は倒され、倒した者が新たな王になる、という原始社会のセオリーを、古義人は「人間神を殺す」という言葉で語る。
これに対して大黄さんは事実に即して古義人の父と古義人の行動を語る。大黄さんは、すべてを「見て」いたのだ。古義人の父が、取り巻きの将校たちの誰よりも「高知の先生」に傾倒し、本気で蹶起を考えていたこと、だが、谷間の「鞘」をそのために利用し、冒すことは断固として拒絶したこと、そして、大水の夜たった一人で転覆必至の舟で漕ぎ出していったこと、古義人は置き去りにされたこと、古義人の父の遺体を水底で発見したのも大黄さんだった。アサにみちびかれて古義人は大黄さんと向き合い、そうすることで事実と直面せざるを得なかったのである。
アサはこの後、反・時代精神の女優ウナイコの『メイスケ母出陣』の演劇化をすすめる活動に協力して、古義人も巻き込む。『メイスケ母出陣』は『﨟たしアナベル・リー総毛立ちつ身まかりつ』の主人公の国際的女優サクラさんが制作、主演した映画だが、日本で公開されることはなかった。『メイスケ母出陣』の演劇化は成功するが、思いがけない(あるいは当然の)事件が起こり、事態は一挙に破局に向かう。ここでも、アサの行動は非常に重要なポイントとなる。そのことについては、古義人の状況も含めて、もう少し詳しく見ていきたいが、長くなるので、また回を改めたい。
ここまでくるのに悪戦苦闘の連続でした。未整理な乱文を最後まで読んでくださってありがとうございます。
2015年12月5日土曜日
大江健三郎『水死』__「大黄さん」に関する備忘録
『水死』はやはり不思議な小説である。この作品だけ読めば、起承転結整っていてスキがないようにみえるが、長江古義人シリーズの最新作としては、これまでの作品との破綻があちこちにあると思う。もちろん、これも作者大江の戦略なのだろうが。
前回のブログ「ウナイコという戦略_『みずから我が涙ぬぐいたまう日』を読み換える」でも指摘したように、『水死』は『みずから我が涙ぬぐいたまう日』を確信犯的に読みかえるところから出発している。『みずから・・・』のあの人は一義的に「父」となり、語り手の「かれ」は十歳の少年となって、古義人自身と一体化している。ここまでは、重層的な作品世界の一元化、の範囲だと思うが、問題は蹶起」という事件の起こった「時」のズレである。『みずから・・・』では敗戦の翌日となっているが、『水死』では敗戦を目前にした時点、となっていて、戦争はまだ終わっていない。『みずから・・・』も『水死』もそれぞれ独立した作品なのだから、この程度のズレは問題にすべきでない、という考え方もあるだろうが、それにしても釈然としないものが残るのだ。
水死した父の後を継いで超国家主義者の錬成道場のリーダーとなった大黄さんはこの小説で極めて重要な人物として登場するが、大黄さんとは何者か。大黄さんが初めて長江シリーズに登場したのは『取り替え子』だったと思うが、当時高校生の古義人より少なくとも五~十歳は年上で老獪、狡猾な大人として描かれていた。とすると、『水死』の時点では八十歳を超えているはずである。だが、この作品に登場する大黄さんは精悍かつ知的な老人で、八十をとうに超えた人とはどうしても思えないのだ。そもそも大黄さんは『取り替え子』では死んだことになっている。さすがに、この点にかんしては作者大江も気がひけたとみえて、道場解散に際して弟子たちが「生前葬」をして古義人にすっぽんを送った、ということにしているのだが。
錬成道場そのもが、『憂い顔の童子』の時点で、松山の財閥に土地ごと買い取られて、あとかたもなくなったはずである。それをもう一度復活させて新たなキャラクターを大黄さんに与えたのは何故だろう。そもそも大黄さんは、古義人に、間歇的に「通風」というテロを行ってきた張本人なのである。古義人は何回も郷里の訛りのある複数の人間に押さえつけられ、足の親指に砲丸を落とされるという体験をしている。もちろん実行犯は配下の人間であるが。これは間違いなく脅迫で、その目的は、「アレ」をバラすな、ということだ。この「アレ」こそが『取り替え子』と『憂い顔の童子』の核心だった。
『さようなら、私の本よ!』、『﨟たしアナベル・リー総毛立ち身まかりつ』にまったく登場しない大黄さんに新たなキャラクターを与えて復活させ、魅力的なヒーローとして一気に結末をつけさせたのは何故か。だが、結末、といっても、大黄さんが「赤革のトランク」でないもうひとつのやや大きなトランク_古義人の父の持ち物だった_から取り出して小河を撃った銃はどうやって入手したものか、という疑問が残されている。もしかして、それは塙吾良を囮に大黄さんの道場におびき寄せられたアメリカ兵ピーターの持っていたものではなかったのか。だとすると、問題の焦点はもう一度「アレ」に、1951・4・28の日米講和条約の時点に遡る。古義人の父の死を語る大黄さんの言葉も、それをうけて沈黙する古義人の態度も、その意味するところの揺らぎは私のなかで容易に解決されないのだ。
今回ほど自分の非力を思い知らされたことはありませんでした。もう大江の作品について書くのはやめようかと思いましたが、まずは、書けることから書いてみよう、とメモをしたためました。最後まで読んでくださってありがとうございます。
前回のブログ「ウナイコという戦略_『みずから我が涙ぬぐいたまう日』を読み換える」でも指摘したように、『水死』は『みずから我が涙ぬぐいたまう日』を確信犯的に読みかえるところから出発している。『みずから・・・』のあの人は一義的に「父」となり、語り手の「かれ」は十歳の少年となって、古義人自身と一体化している。ここまでは、重層的な作品世界の一元化、の範囲だと思うが、問題は蹶起」という事件の起こった「時」のズレである。『みずから・・・』では敗戦の翌日となっているが、『水死』では敗戦を目前にした時点、となっていて、戦争はまだ終わっていない。『みずから・・・』も『水死』もそれぞれ独立した作品なのだから、この程度のズレは問題にすべきでない、という考え方もあるだろうが、それにしても釈然としないものが残るのだ。
水死した父の後を継いで超国家主義者の錬成道場のリーダーとなった大黄さんはこの小説で極めて重要な人物として登場するが、大黄さんとは何者か。大黄さんが初めて長江シリーズに登場したのは『取り替え子』だったと思うが、当時高校生の古義人より少なくとも五~十歳は年上で老獪、狡猾な大人として描かれていた。とすると、『水死』の時点では八十歳を超えているはずである。だが、この作品に登場する大黄さんは精悍かつ知的な老人で、八十をとうに超えた人とはどうしても思えないのだ。そもそも大黄さんは『取り替え子』では死んだことになっている。さすがに、この点にかんしては作者大江も気がひけたとみえて、道場解散に際して弟子たちが「生前葬」をして古義人にすっぽんを送った、ということにしているのだが。
錬成道場そのもが、『憂い顔の童子』の時点で、松山の財閥に土地ごと買い取られて、あとかたもなくなったはずである。それをもう一度復活させて新たなキャラクターを大黄さんに与えたのは何故だろう。そもそも大黄さんは、古義人に、間歇的に「通風」というテロを行ってきた張本人なのである。古義人は何回も郷里の訛りのある複数の人間に押さえつけられ、足の親指に砲丸を落とされるという体験をしている。もちろん実行犯は配下の人間であるが。これは間違いなく脅迫で、その目的は、「アレ」をバラすな、ということだ。この「アレ」こそが『取り替え子』と『憂い顔の童子』の核心だった。
『さようなら、私の本よ!』、『﨟たしアナベル・リー総毛立ち身まかりつ』にまったく登場しない大黄さんに新たなキャラクターを与えて復活させ、魅力的なヒーローとして一気に結末をつけさせたのは何故か。だが、結末、といっても、大黄さんが「赤革のトランク」でないもうひとつのやや大きなトランク_古義人の父の持ち物だった_から取り出して小河を撃った銃はどうやって入手したものか、という疑問が残されている。もしかして、それは塙吾良を囮に大黄さんの道場におびき寄せられたアメリカ兵ピーターの持っていたものではなかったのか。だとすると、問題の焦点はもう一度「アレ」に、1951・4・28の日米講和条約の時点に遡る。古義人の父の死を語る大黄さんの言葉も、それをうけて沈黙する古義人の態度も、その意味するところの揺らぎは私のなかで容易に解決されないのだ。
今回ほど自分の非力を思い知らされたことはありませんでした。もう大江の作品について書くのはやめようかと思いましたが、まずは、書けることから書いてみよう、とメモをしたためました。最後まで読んでくださってありがとうございます。
2015年11月9日月曜日
大江健三郎『水死』__ウナイコという戦略__『みずから我が涙ぬぐいたまう日』を読み替える
『水死』は不思議な小説である。主人公は誰か?大江健三郎は何故この小説を書いたのか?
十七歳の少女が強姦され堕胎をさせられる。十七年後女優になった彼女は強姦した男に復讐する。物語の縦糸はこれである。縦糸に絡む横糸として、作家長江古義人の「水死小説」がある。縦糸と横糸で織り成された作品は未完に終わった水死小説の「現実」による完成を遂げて終わる。
さて、それで、この小説の主人公は誰か?古義人の娘真木の似姿として登場し、ウナイコとよばれる(本名はミツコ)女優、ウナイコを強姦した元文部省の高級官僚を銃殺する錬成道場の主宰者大黄さん、古義人の妹でウナイコの強力な支援者かつ隠然たるフィクサーのアサ、そして未完の水死小説を断念し、ウナイコのために「メイスケ母出陣」の脚本を書く古義人、そのいずれもそれぞれの物語を持って登場する。それぞれの物語がもつれながら絡みあい、放れ、そして最後に唐突に終わる。ここでは、小説の冒頭に颯爽と登場するウナイコについて考えてみたい。
運河に沿った道路で転倒しかけた古義人を文字通りサポートしてくれた娘ウナイコとの出会いは、しかし偶然ではなかった。偶然にみえた出会いは、古義人の妹アサの助言により周到に準備されたものだった。以後、ウナイコと彼女の劇団「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」の仲間たちは、四国の「森の家」を根拠に古義人の「水死小説」の進行をリアルタイムで追いながら活動を始める。
ウナイコという奇妙な名の由来はアサが語っている。古義人の娘真木が小さい頃古代の「うない(髪)」のような髪型をしていて、それがウナイコとよばれるようになった娘の髪型と同じだったこと、髪型だけでなく真木とウナイコは似ていること、そして劇団のリーダーの「穴井」_アナイとの発音も似ていることからウナイコ自身がウナイコと改名したのだという。古義人の母が教えたという古歌も引用されている。
郭公(ほととぎす)をちかへり鳴けうなゐこが打ち垂れ髪のさみだれの空 躬恒 拾遺集
「うなゐこが打ち垂れ髪の」の部分の解釈が、私のなかでどうしても揺らぐのと、「郭公をちかへり」の「をちかへり」に、たんに「若返り」というような軽い語感におさまらないものがあって、複雑な思いがする。「をちかへる」という言葉については折口信夫がよく言及していたように記憶するのだが。
小説の中でウナイコの果たす役割は何だろう。彼女は、穴井マサオとともに古義人の作品を演劇化する劇団「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」のリーダーとして活動するが、次第に劇団から自立していく。その過程で、かつて古義人が書いた『みずから我が涙ぬぐいたまう日』が、ウナイコにとっても古義人にとっても読み直されていく、ということが起こる。これは非常に重要かつ複雑な転換である。
古義人が「森の家」に帰ってまもなくの日曜日「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」が演劇版『みずから我が涙ぬぐいたまう日』のリハーサルを行う。ウナイコはベッドに横たわる(自称癌患者の)作家の幻影の少年を演じる。皇居爆撃のための飛行機を調達するために、少年の父を木車に載せ、トラックで地方都市へ向かう軍人たちは外国語の歌を合唱する。バッハのカンタータ(「マタイ受難曲」から)である。原文はドイツ語だが、少年の父はこのように訳して少年に説明する。
天皇陛下ガ、オンミズカラノ手デ、ワタシノ涙ヲヌグッテクダサル、死ヨハヤク来イ、眠リノ兄弟ノ死ヨ、早ク来イ、天皇陛下ガミズカラソノ指デ、涙ヲヌグッテクダサル
「天皇陛下、オンミズカラ」は実際は「Heiland selbst 救い主みずから」となっているのだが、ここでは、問題は訳語の違いではなく、ウナイコ扮するゴボー剣に戦闘帽の少年だけでなく、現実の古義人自身が観客席で歌い始めたことである。それも、一緒に見ていた妹のアサが「あんなに入れ込んで歌っているのを聴いたことはないよ」と言うほど熱心に。
「ずっとずっと感性のなかに埋もれていた歌が、将校や兵隊たちに扮している「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」の合唱を聴いているうちに……もしかしたら、コギー兄さんの魂のあたりによみがえったんじゃないの?」とアサは続ける。優れた音楽はある種の魔性があって、理性や経験をこえた情念で人間を囮にしてしまう。(賛美歌や聖歌を捨てきれない私はつくづくそう思う)自分自身も合唱に感動したアサは、古義人の情念が「水死小説」のベクトルとなることを恐れる。
ウナイコもまた、実際に舞台で少年を演じながら、ドイツ語で歌う古義人を見て衝撃を受ける。そして、十七年前伯母と靖国神社に行って、日の丸と軍服軍帽に長剣をもった男を見ながら吐いてしまった、という体験を話す。実はこのとき彼女は妊娠していたのだが。
この一連の文脈で『みずから我が涙ぬぐいたまう日』は、超国家主義者の父と父を慕う少年の物語として読まれている。だが、『みずから我が涙ぬぐいたまう日』はそのような一義的な小説だろうか。『みずから我が涙ぬぐいたまう日』については、以前「ハピィ・デイズという逆説」とサブタイトルをつけて書いているので、興味のある方はそちらを参照していただければありたい。少年の父はつねにあの人とゴシックで記され、「神話か歴史の中の、架空にちかい人物」のようだと書かれている。水中眼鏡とヘッドホーンに身をかためた主人公の作家は「かれ」と自称し、みずからの語りを「遺言代執行人」と呼ぶ妻に口述筆記させるのだが、これを叙述する文章もまた三人称なので地の文でも作家は「かれ」と呼ばれる。非常に入り組んだ複雑な構成なのだ。
なので、当然のこととして、難解極まりない作品となっている。だが、この小説は、意表をついた出だしといい、生き生きとしたプロットの展開といい、謎だらけのまま一気呵成に最後まで読ませる魅力にあふれている。そして、私は独断と偏見で、ひそかに、この小説は、野次とヘリコプターの轟音の中で声を振り絞って演説し、死んでいった三島由紀夫へのレクレイムでありオマージュだと思っている。
多面的重層的な『みずから我が涙ぬぐいたまう日』を、超国家主義者の蹶起と殉死、そこに傾斜していく古義人の「戦後の改革を徹底して支持する教条主義とはまた別に、深くて暗いニッポン人感覚」という主題に一義化してしまった理由は、この後ウナイコが高校生対象の演劇で取り上げる漱石の「こころ」の主題と共通する要素に絞り込みたかったからだろう。時代精神と殉死、そして決して文字化されることなく語られる大逆事件___『水死』の中に突然登場する「高知の先生」が指し示す存在は何かについて考えなければならない。いうまでもないことだが、ウナイコはこれらの主題にたいして批判的である。演劇を討論の場とし、反対意見を述べる相手方に「死んだ犬を投げる」という奇妙、というよりグロテスクな方法は、彼女の批判の過激な実践の手段だった。
ウナイコについては、これからが本論、といったところですが、長くなるので、続きはまた回を改めたいと思います。相変わらずの未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
十七歳の少女が強姦され堕胎をさせられる。十七年後女優になった彼女は強姦した男に復讐する。物語の縦糸はこれである。縦糸に絡む横糸として、作家長江古義人の「水死小説」がある。縦糸と横糸で織り成された作品は未完に終わった水死小説の「現実」による完成を遂げて終わる。
さて、それで、この小説の主人公は誰か?古義人の娘真木の似姿として登場し、ウナイコとよばれる(本名はミツコ)女優、ウナイコを強姦した元文部省の高級官僚を銃殺する錬成道場の主宰者大黄さん、古義人の妹でウナイコの強力な支援者かつ隠然たるフィクサーのアサ、そして未完の水死小説を断念し、ウナイコのために「メイスケ母出陣」の脚本を書く古義人、そのいずれもそれぞれの物語を持って登場する。それぞれの物語がもつれながら絡みあい、放れ、そして最後に唐突に終わる。ここでは、小説の冒頭に颯爽と登場するウナイコについて考えてみたい。
運河に沿った道路で転倒しかけた古義人を文字通りサポートしてくれた娘ウナイコとの出会いは、しかし偶然ではなかった。偶然にみえた出会いは、古義人の妹アサの助言により周到に準備されたものだった。以後、ウナイコと彼女の劇団「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」の仲間たちは、四国の「森の家」を根拠に古義人の「水死小説」の進行をリアルタイムで追いながら活動を始める。
ウナイコという奇妙な名の由来はアサが語っている。古義人の娘真木が小さい頃古代の「うない(髪)」のような髪型をしていて、それがウナイコとよばれるようになった娘の髪型と同じだったこと、髪型だけでなく真木とウナイコは似ていること、そして劇団のリーダーの「穴井」_アナイとの発音も似ていることからウナイコ自身がウナイコと改名したのだという。古義人の母が教えたという古歌も引用されている。
郭公(ほととぎす)をちかへり鳴けうなゐこが打ち垂れ髪のさみだれの空 躬恒 拾遺集
「うなゐこが打ち垂れ髪の」の部分の解釈が、私のなかでどうしても揺らぐのと、「郭公をちかへり」の「をちかへり」に、たんに「若返り」というような軽い語感におさまらないものがあって、複雑な思いがする。「をちかへる」という言葉については折口信夫がよく言及していたように記憶するのだが。
小説の中でウナイコの果たす役割は何だろう。彼女は、穴井マサオとともに古義人の作品を演劇化する劇団「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」のリーダーとして活動するが、次第に劇団から自立していく。その過程で、かつて古義人が書いた『みずから我が涙ぬぐいたまう日』が、ウナイコにとっても古義人にとっても読み直されていく、ということが起こる。これは非常に重要かつ複雑な転換である。
古義人が「森の家」に帰ってまもなくの日曜日「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」が演劇版『みずから我が涙ぬぐいたまう日』のリハーサルを行う。ウナイコはベッドに横たわる(自称癌患者の)作家の幻影の少年を演じる。皇居爆撃のための飛行機を調達するために、少年の父を木車に載せ、トラックで地方都市へ向かう軍人たちは外国語の歌を合唱する。バッハのカンタータ(「マタイ受難曲」から)である。原文はドイツ語だが、少年の父はこのように訳して少年に説明する。
天皇陛下ガ、オンミズカラノ手デ、ワタシノ涙ヲヌグッテクダサル、死ヨハヤク来イ、眠リノ兄弟ノ死ヨ、早ク来イ、天皇陛下ガミズカラソノ指デ、涙ヲヌグッテクダサル
「天皇陛下、オンミズカラ」は実際は「Heiland selbst 救い主みずから」となっているのだが、ここでは、問題は訳語の違いではなく、ウナイコ扮するゴボー剣に戦闘帽の少年だけでなく、現実の古義人自身が観客席で歌い始めたことである。それも、一緒に見ていた妹のアサが「あんなに入れ込んで歌っているのを聴いたことはないよ」と言うほど熱心に。
「ずっとずっと感性のなかに埋もれていた歌が、将校や兵隊たちに扮している「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」の合唱を聴いているうちに……もしかしたら、コギー兄さんの魂のあたりによみがえったんじゃないの?」とアサは続ける。優れた音楽はある種の魔性があって、理性や経験をこえた情念で人間を囮にしてしまう。(賛美歌や聖歌を捨てきれない私はつくづくそう思う)自分自身も合唱に感動したアサは、古義人の情念が「水死小説」のベクトルとなることを恐れる。
ウナイコもまた、実際に舞台で少年を演じながら、ドイツ語で歌う古義人を見て衝撃を受ける。そして、十七年前伯母と靖国神社に行って、日の丸と軍服軍帽に長剣をもった男を見ながら吐いてしまった、という体験を話す。実はこのとき彼女は妊娠していたのだが。
この一連の文脈で『みずから我が涙ぬぐいたまう日』は、超国家主義者の父と父を慕う少年の物語として読まれている。だが、『みずから我が涙ぬぐいたまう日』はそのような一義的な小説だろうか。『みずから我が涙ぬぐいたまう日』については、以前「ハピィ・デイズという逆説」とサブタイトルをつけて書いているので、興味のある方はそちらを参照していただければありたい。少年の父はつねにあの人とゴシックで記され、「神話か歴史の中の、架空にちかい人物」のようだと書かれている。水中眼鏡とヘッドホーンに身をかためた主人公の作家は「かれ」と自称し、みずからの語りを「遺言代執行人」と呼ぶ妻に口述筆記させるのだが、これを叙述する文章もまた三人称なので地の文でも作家は「かれ」と呼ばれる。非常に入り組んだ複雑な構成なのだ。
なので、当然のこととして、難解極まりない作品となっている。だが、この小説は、意表をついた出だしといい、生き生きとしたプロットの展開といい、謎だらけのまま一気呵成に最後まで読ませる魅力にあふれている。そして、私は独断と偏見で、ひそかに、この小説は、野次とヘリコプターの轟音の中で声を振り絞って演説し、死んでいった三島由紀夫へのレクレイムでありオマージュだと思っている。
多面的重層的な『みずから我が涙ぬぐいたまう日』を、超国家主義者の蹶起と殉死、そこに傾斜していく古義人の「戦後の改革を徹底して支持する教条主義とはまた別に、深くて暗いニッポン人感覚」という主題に一義化してしまった理由は、この後ウナイコが高校生対象の演劇で取り上げる漱石の「こころ」の主題と共通する要素に絞り込みたかったからだろう。時代精神と殉死、そして決して文字化されることなく語られる大逆事件___『水死』の中に突然登場する「高知の先生」が指し示す存在は何かについて考えなければならない。いうまでもないことだが、ウナイコはこれらの主題にたいして批判的である。演劇を討論の場とし、反対意見を述べる相手方に「死んだ犬を投げる」という奇妙、というよりグロテスクな方法は、彼女の批判の過激な実践の手段だった。
ウナイコについては、これからが本論、といったところですが、長くなるので、続きはまた回を改めたいと思います。相変わらずの未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
2015年10月10日土曜日
夏目漱石『こゝろ』__いくつかの不思議の妄想的分析その2__「自白」が守った「純白の記憶」
渡部直己氏も触れていることだが、『こゝろ』の中には、登場人物が心中を吐露する文脈で「自白」という言葉が多用されている。上巻「先生と私」では二箇所だが、下巻「先生の遺書」では十六箇所、計十八箇所で使用され、後半に頻出する。これが作者の無自覚な用法でない証拠には、「告白」という言葉も「先生と私」の中で使われている。「告白」という言葉が使われているのは三箇所、それも先生が自分の厭世観を「覚悟」ということばで吐露するひとつながりの文脈の中にあって、その部分だけである。では「自白」は、どのような場面で使われてているのだろうか。
最初に「自白」という言葉が使われたのは、先生が奥さんとの関係について感想を洩らしたときのことである。
「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。妻の方でも、私を天下にただ一人しかいない男と思ってくれています。そういう意味からいって、私たちは最も幸福に生まれた人間の一対であるべきはずです」
私は今前後の行き掛りを忘れてしまったから、先生が何のためにこんな自白を私にして聞かせたのか判然いう事ができない。」
次は前回取り上げた
「私は思想上の問題について、大いなる利益を先生から受けた事を自白する。」
という部分である。
下巻「先生と遺書」では、まず冒頭「私」に就職の世話を頼まれた先生がそれに対して
「・・・・・・・・・・しかし自白すると、私はあなたの依頼に対して、まるで努力をしなかったのです。」
とことわる場面。
それから先生が叔父に欺かれて親の財産の多くを失った経緯を説明する文脈で
「自白すると、私の財産は自分が懐にして家を出た若干の公債と、後からこの友人に送ってもらった金だけなのです。」
この後Kが登場する。
「自白すると、私は自分でその男を宅に引張って来たのです。」
Kは真宗の寺に生まれ、医者の家に養子に入ったが、「道」のために医学を捨て、そのことで養家から出され実家からは勘当される。経済的にも精神的にも追い詰められたKを救い出し、支えるために、先生は彼を自分の下宿に連れてきたのである。
夏休みに入って「私」は渋るKを誘って一緒に房州を旅行する。「行商」のように炎天下を歩きながら、夜になるとKと先生は「人間らしい」かどうかということで議論する。Kの「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という言葉にたいして先生がもちだした「人間らしい」という言葉の裏には「私」のお嬢さんへの感情があったが、それを直接言い出せなかったのは
「……勇気が私に欠けていたのだという事をここに自白します。」
旅行後、下宿先の家の人間関係は微妙に変化した。お嬢さんとKの距離が急速に縮まったのだ。そしてとうとう先生はKに「お嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた」のである。ここから「自白」という言葉が頻出する。「恋の告白」はすべて「自白」という言葉に置き換えられる。
「彼の自白は最初から最後まで同じ調子で貫いていました。」
「私の心は半分その自白を聞いていながら……」
「……こっちも彼の前に同じ意味の自白をしたものだろうか、……」
「Kの自白以前と自白以後とで、彼の挙動にこれという差異が生じないならば、彼の自白は単に私だけに限られた自白で……」
「私が第一に聞いたのは、この間の自白が私だけに限られているか、または奥さんやお嬢さんにも通じているか……」
「それが単なる自白に過ぎないのか、またはその自白について、実際的の効果をも収める気なのかと問うたのです。」
Kは恋する者の弱みで先生に進退を相談する。思いもかけずKに先を越されてしまった先生だったが、相手の不安に乗じて、無防備な彼を完膚なきまでに打ちのめし、退路を断つ。先生がKに投げかけた「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という言葉は
「復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。」
このときKのもらした「覚悟」という言葉に焦った先生は仮病を使って、Kとお嬢さんを遠ざけ、奥さんにお嬢さんを貰う談判をする。話はあっけなくかたづいて、先生はお嬢さんと結婚することになるが、奥さんの口からそれを聞いたKは二日後の日曜日の朝、頚動脈を切って自殺してしまう。
「その時私の受けた第一の感じは、Kから突然の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。」
以上「自白」という言葉が使われている箇所を拾い出してみたが、そのいずれも「告白」という言葉を使う方が自然のように思われる。何故強引に「自白」を使うのかも問題だが、ここでは度重なる「自白」によっても明らかにされない「こゝろ」について考えてみたい。剛毅なKを自殺に追い込んでいく先生の「こゝろ」は詳細にその内側から語られ、「道」を求めて精進するKの「こゝろ」、また「男のように判然したところのある」奥さんの「こゝろ」も、先生の側からある程度語られるが、お嬢さんの「こゝろ」は、何故か、というより当然のように語られないのである。お嬢さんこそは、二人の男(もしくは語り手の「私」を含め三人の男)の関係の中央に位置して、彼らの死(語り手の「私」は死なないが)に最も重要な関わりをもつ存在であるのに。
お嬢さんの「こゝろ」は語られないが、「静」と名がついた彼女の言動の描写は精彩を放っている。美人で、他人にもそう思われていると知っている女のbehaviorの描き方は実に巧みで、漱石がいかに深く女を「知って」いたかがよくわかる。そんな女が、一つ屋根の下に若い男二人と一緒に暮して、男たちの気持ちがわからない、ということがあるだろうか。お嬢さんは先生の気持ちもKの恋心も十分知っていたはずである。そして、先生の優柔不断もKの禁欲もお嬢さんには関係がない。彼女は自分に寄せる二人の好意を分かっていて、二人を「操った」のではなく、自然にふるまっただけなのだ。だからこそ、遺書の最後で、先生は「妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが、私の唯一の希望なのですから」と語り手の「私」に念を押すのである。
はたしてお嬢さん_「静」と呼ばれる先生の奥さんはKの死の真相に気づかなかったのだろうか。小説の前半で語り手の「私」と二人で先生の態度についてやりとりする彼女は、知的で機知に富んでいて、かつコケットリーに満ちているが、先生がKの秘密にふれそうになったときには、巧妙にそれを遮ってもいるのである。さらにいえば、明治天皇の死に際して「最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました」というときに「では殉死でもしたらよかろうと調戯」って、死のトリガーとなったのも彼女なのだ。
小説『こゝろ』は謎に満ちている。そもそも、死を決意してから十日もかけてこのような長文の「遺書」を書くという行為が可能だろうか、と思ってしまう。また、「私は今自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。」という言葉の激烈さは何を意味し、「私の鼓動が停まった時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。」とはどんな「命」なのだろうか。不思議なことはいくつもあるが、ここでは、この長文の「遺書」という名の「自白文」が「静」と呼ばれる先生の奥さんの記憶の「純白」を無垢のまま守ったことを確認しておきたい。
体力が落ちたのかもともと能力不足なのか、なかなか続きが書けませんでした。もうひとつ、Kという文字が何か、という根本的なことを考えなければいけないのですが、これについてはすでに論が出尽くしているようにも思います。私自身は、原点にかえって「水死」との関係という視点で考えた場合、KはKingという立場で読んでいきたいと思っています。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。
最初に「自白」という言葉が使われたのは、先生が奥さんとの関係について感想を洩らしたときのことである。
「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。妻の方でも、私を天下にただ一人しかいない男と思ってくれています。そういう意味からいって、私たちは最も幸福に生まれた人間の一対であるべきはずです」
私は今前後の行き掛りを忘れてしまったから、先生が何のためにこんな自白を私にして聞かせたのか判然いう事ができない。」
次は前回取り上げた
「私は思想上の問題について、大いなる利益を先生から受けた事を自白する。」
という部分である。
下巻「先生と遺書」では、まず冒頭「私」に就職の世話を頼まれた先生がそれに対して
「・・・・・・・・・・しかし自白すると、私はあなたの依頼に対して、まるで努力をしなかったのです。」
とことわる場面。
それから先生が叔父に欺かれて親の財産の多くを失った経緯を説明する文脈で
「自白すると、私の財産は自分が懐にして家を出た若干の公債と、後からこの友人に送ってもらった金だけなのです。」
この後Kが登場する。
「自白すると、私は自分でその男を宅に引張って来たのです。」
Kは真宗の寺に生まれ、医者の家に養子に入ったが、「道」のために医学を捨て、そのことで養家から出され実家からは勘当される。経済的にも精神的にも追い詰められたKを救い出し、支えるために、先生は彼を自分の下宿に連れてきたのである。
夏休みに入って「私」は渋るKを誘って一緒に房州を旅行する。「行商」のように炎天下を歩きながら、夜になるとKと先生は「人間らしい」かどうかということで議論する。Kの「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という言葉にたいして先生がもちだした「人間らしい」という言葉の裏には「私」のお嬢さんへの感情があったが、それを直接言い出せなかったのは
「……勇気が私に欠けていたのだという事をここに自白します。」
旅行後、下宿先の家の人間関係は微妙に変化した。お嬢さんとKの距離が急速に縮まったのだ。そしてとうとう先生はKに「お嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた」のである。ここから「自白」という言葉が頻出する。「恋の告白」はすべて「自白」という言葉に置き換えられる。
「彼の自白は最初から最後まで同じ調子で貫いていました。」
「私の心は半分その自白を聞いていながら……」
「……こっちも彼の前に同じ意味の自白をしたものだろうか、……」
「Kの自白以前と自白以後とで、彼の挙動にこれという差異が生じないならば、彼の自白は単に私だけに限られた自白で……」
「私が第一に聞いたのは、この間の自白が私だけに限られているか、または奥さんやお嬢さんにも通じているか……」
「それが単なる自白に過ぎないのか、またはその自白について、実際的の効果をも収める気なのかと問うたのです。」
Kは恋する者の弱みで先生に進退を相談する。思いもかけずKに先を越されてしまった先生だったが、相手の不安に乗じて、無防備な彼を完膚なきまでに打ちのめし、退路を断つ。先生がKに投げかけた「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という言葉は
「復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。」
このときKのもらした「覚悟」という言葉に焦った先生は仮病を使って、Kとお嬢さんを遠ざけ、奥さんにお嬢さんを貰う談判をする。話はあっけなくかたづいて、先生はお嬢さんと結婚することになるが、奥さんの口からそれを聞いたKは二日後の日曜日の朝、頚動脈を切って自殺してしまう。
「その時私の受けた第一の感じは、Kから突然の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。」
以上「自白」という言葉が使われている箇所を拾い出してみたが、そのいずれも「告白」という言葉を使う方が自然のように思われる。何故強引に「自白」を使うのかも問題だが、ここでは度重なる「自白」によっても明らかにされない「こゝろ」について考えてみたい。剛毅なKを自殺に追い込んでいく先生の「こゝろ」は詳細にその内側から語られ、「道」を求めて精進するKの「こゝろ」、また「男のように判然したところのある」奥さんの「こゝろ」も、先生の側からある程度語られるが、お嬢さんの「こゝろ」は、何故か、というより当然のように語られないのである。お嬢さんこそは、二人の男(もしくは語り手の「私」を含め三人の男)の関係の中央に位置して、彼らの死(語り手の「私」は死なないが)に最も重要な関わりをもつ存在であるのに。
お嬢さんの「こゝろ」は語られないが、「静」と名がついた彼女の言動の描写は精彩を放っている。美人で、他人にもそう思われていると知っている女のbehaviorの描き方は実に巧みで、漱石がいかに深く女を「知って」いたかがよくわかる。そんな女が、一つ屋根の下に若い男二人と一緒に暮して、男たちの気持ちがわからない、ということがあるだろうか。お嬢さんは先生の気持ちもKの恋心も十分知っていたはずである。そして、先生の優柔不断もKの禁欲もお嬢さんには関係がない。彼女は自分に寄せる二人の好意を分かっていて、二人を「操った」のではなく、自然にふるまっただけなのだ。だからこそ、遺書の最後で、先生は「妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが、私の唯一の希望なのですから」と語り手の「私」に念を押すのである。
はたしてお嬢さん_「静」と呼ばれる先生の奥さんはKの死の真相に気づかなかったのだろうか。小説の前半で語り手の「私」と二人で先生の態度についてやりとりする彼女は、知的で機知に富んでいて、かつコケットリーに満ちているが、先生がKの秘密にふれそうになったときには、巧妙にそれを遮ってもいるのである。さらにいえば、明治天皇の死に際して「最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました」というときに「では殉死でもしたらよかろうと調戯」って、死のトリガーとなったのも彼女なのだ。
小説『こゝろ』は謎に満ちている。そもそも、死を決意してから十日もかけてこのような長文の「遺書」を書くという行為が可能だろうか、と思ってしまう。また、「私は今自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。」という言葉の激烈さは何を意味し、「私の鼓動が停まった時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。」とはどんな「命」なのだろうか。不思議なことはいくつもあるが、ここでは、この長文の「遺書」という名の「自白文」が「静」と呼ばれる先生の奥さんの記憶の「純白」を無垢のまま守ったことを確認しておきたい。
体力が落ちたのかもともと能力不足なのか、なかなか続きが書けませんでした。もうひとつ、Kという文字が何か、という根本的なことを考えなければいけないのですが、これについてはすでに論が出尽くしているようにも思います。私自身は、原点にかえって「水死」との関係という視点で考えた場合、KはKingという立場で読んでいきたいと思っています。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。
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