2025年9月30日火曜日

大江健三郎『日常生活の冒険』_斎木犀吉からギー兄さんへ___『懐かしい年への手紙』の再読解にむけて

 『日常生活の冒険』について、前回よりもう少しまとまったことを書こうと思って、なかなか果たせないままの日が続いている。ひとつには身辺雑事あいついで、物理的に時間がとれないこともあるが、いつまでたっても、どこから書き始めるか、定まらないのだ。なぜか、と原因を探ってみると、たぶん、この小説が面白すぎるからではないか。以前三島由紀夫の『仮面の告白』について、「面白すぎる純文学」というタイトルで投稿したが、この『日常生活の冒険』も同様で、むしろ、こちらの方が「純文学」の重苦しいくびきから自由であるように思われる。

 面白すぎる理由の一つが、登場する人物がそれぞれ魅力的であることだと思う。冒頭死んでしまう「ぼく」の親友斎木犀吉、その最初の妻卑弥子、卑弥子から犀吉を奪った鷹子、犀吉が献身的にサポートした朝鮮人ボクサーの金泰、泣き虫から抜け目ないビジネスマンに変身した雉子彦、原爆症の発症に脅え不審死を遂げる暁、暁を殺したと信じて犀吉をつけ狙う暁の母などがリアルに生き生きと描かれる。物語の展開がスピーディで、なにより、作者が言葉を繰り出すことが楽しくてたまらない、といった趣があるのだ。もちろん、無から有をうみだす創作の苦しみは無視できないし、作者の大江自身がこの作品執筆中にある深刻な状況におかれ、身動きもできない日々が続いた、と記しているのだけれども。

 犀吉と「ぼく」の出会いは、二人が「スエズ義勇軍」に参加して、カイロに渡航しようとするところから始まる。スエズ義勇軍!そのような軍隊はほんとうに存在したのだろうか?東京の大学二年生の「ぼく」も関西の私立高校三年生の犀吉も軍隊の経験がないのはもちろんだが、渡航費用もないので、費用を無心に四国の山奥に「ぼく」の祖父を四国の山奥にたずねる。

 「頬にも顎にも一本の毛も生えていない」のに、「年寄りは若いうちに殺せ」とフランスの格言?をひいてうそぶいていた犀吉だが、実際に祖父と会うと、「あれは、長老だなあ」と感嘆し、祖父もまた犀吉を「マンホールに落ちても考えつづけている真の哲学者だ」と評価して、二人はたちまち議論に熱中する。年齢差をこえた二人の友情は祖父が愛犬南洲号の死に気落ちして亡くなるまで続くのである。

 首尾よく渡航費用は用立ててもらえたのだが、「ぼく」がハシカにかかってしまい、土蔵で隔離されている間に、二人分の旅費十万円を受け取って、犀吉だけが出発してしまう。カイロ行き義勇軍の話は中断されたので、貨物船にたのみこんで、どこか遠方の国へ、単独で。

 それから二年間、どうやら犀吉はかなり「非」日常的な冒険をしたようである。犀吉が乗り込んだのは海賊船の宝探しに行く船だったが、何者かに撃沈されて漂流した後、彼は香港の巡視船に救助される。それから九竜キャンプに収容されたが、同性愛のドイツ人によって救いだされる。ドイツ人の求愛をこばむためにずいぶん乱暴な手段をとって、何とか日本に帰ってきた犀吉だったが、もう彼から「戦争の虫」はおちていた。初夏の香港で、きれいに整えられた楽園のような庭に遊ぶ英国人の子供たちと、その傍らでぐったりと絶望している中国人の若い浮浪者を見て、自分はスエズ戦争について「跳ぶよりまえに考えたり見たりしているということに気がついていたわけなんだ」と悟ったのだ。

 ようやく「ぼく」と再会した犀吉だが、間もなく彼は姿をくらましてしまう。「セックスという命題に自分自身の意見のカードをもう一枚ふやしたかった」という理由づけで、犀吉よりさらに年少の少年と二人で一人の「ビグネーム」の女優の相手をして、その後その女優から「十万円」強請ったのだ。女優がそれを取り返すべくプロの地まわりに頼んだので、犀吉は逃げなければならなくなったのである。そして、彼は、ただ逃げだしたのではなく、香港から連れて来た「歯医者」という猫を「ぼく」に押しつけていった。彼が「長老」と仰ぐ四国の祖父に飼ってもらうためである。そうして、「ぼく」の原稿料の残りでウイスキーを睡眠薬と一緒にのんで、死の恐怖心を克服し、ボクシング仕込みの拳で地まわりを半殺しにして逃げたのだった。

 さらにまた二年がたって、犀吉は「拾ってきた」シトロエンに乗って「ぼく」の前に現れる。運転していたのは彼と一週間前に結婚した「卑弥子」という十八歳の少女だが、独断と偏見でいえば、卑弥子ほど魅力的な女性をほかの大江健三郎の小説で見たことがない。大江は彼女を語るのに、スタンダールやヘンリー・ミラーの言葉を引用しているが、そんなものは不必要に思われる。出自も来歴も明らかにされないが、たん的に卑弥子は、知的で情熱的で、やさしくて感受性に富み、誇り高く、料理が好きで上手い。何よりその小さな体のすべてで犀吉を愛し、尊敬しているのだ。犀吉と「ぼく」は「ぼく」が借りていた下宿に落ち着いたが、卑弥子は盗んできたシトロエンを棄てるために、寒空の中、「ぼく」の町を通る私鉄の終点まで走り、そこで車を乗り捨て、暖房設備のない待合室で酷寒の夜をすごして、始発の電車に乗り、なかば凍てついて戻ってきたのである。

 暖かい部屋にもどってきた卑弥子が、氷がないので生のままのウイスキーを「西部劇のジョン.ウエインみたいに一息に」飲んで、ひとしきり泣いた後眠ってしまうと、犀吉の果てしない饒舌が復活する。彼は、この二年間の間に四国の谷間の「ぼく」の祖父をたずねて、いまはもう半ば野生化した彼の猫にも会ってきた話をして「ぼく」を驚かせる。だが、犀吉が「タクシー代がないから」シトロエンを「拾って」までして、「ぼく」のまえに現れたのは、そんな回顧談をするためではない。「直截にいえば、「ぼく」が「自己欺瞞」をしはじめている」ので、それを破壊したいのだというのである。

 「ぼく」は大学在学中から小説を書きはじめていた。二年間の間にかなり多くの小説を書いて、文学賞をもらい、大学の友人の妹と結婚することもきめていた。安定的な、いってみればぬるま湯のような作家生活(そんなものが存在するかどうかわからないが)の路線が見えていたが、あるときそれは一変する。「ぼく」が書いた「政治的な残酷物語」によって、「ぼく」は日夜脅迫の電話や手紙の攻勢にさらされる。孤独においつめられた「ぼく」は一種のヒコポンデリアにかかり、大食と知的怠惰の極みの生活を送るようになっていた。

 そんな「ぼく」について、谷間の祖父は「左にしろ右にしろ、翼のついた人間とかかわるつもりなら自分もまた跳ぶつもりにならねばならん」といったのだが、犀吉はまさに、「ぼく」のヒコポンデリアの原因が「自己欺瞞」にあると喝破して、それを破壊すべく、日常生活から「ぼく」を「跳び」たたせるために「ぼく」のまえにあらわれたのである。

 「ぼく」は、「ゴッホのハタンキョウの絵」がかる犀吉の部屋での大晩餐会の後、夜警をする犀吉につきあって、ビルの屋上から東京の夜明けの瞬間に出会う。「ぼく」は夜明けの東京に「人間の魂を搾木でしめつけて死にものぐるいにおののかせるもの」とともに、「様ざまの奇怪な予感におびえながら、しかも荒々しい冒険心の恍惚を感じ」、《さあ行こう、どこへ行こう》という若い詩人の詩と同じように、行く先さだかではないが、日常生活から跳び立つ決断をしたのだった。
  
 ここで、横道にそれるようだが、斎木犀吉のモデルとされる伊丹十三と大江健三郎の関係について、というより、大江健三郎の作品との関係について考えてみたい。むしろ、このテーマを考えるために今回のブログを書き始めたのだが、なかなか本題に入れないでいる。
 
 いうまでもなく、『日常生活の冒険』に描かれる斎木犀吉は伊丹十三の実像とは異なっている。当時伊丹十三はすでに評価の定まった俳優であり、「北京の55日」や「ロードジム」という外国映画で、チャールトン・ヘストンやピーター・オトゥールと共演して重要な役を演じている。文筆家としても、軽妙だが才気あふれ、しかもきちんと筋の通った姿勢がうかがわれる文章が残されている。その他、商業デザイナーなど彼のマルチな才能については若い日の私の記憶にいまでも鮮やかである。要するに当時の彼は、「壁に画鋲で止めたゴッホの複製だけが存在する五帖」の「いつのまにか二階と三階とが解けあっている、その非ユークリッド幾何学的な接合点の歪んだ部屋」を住居とするような生活はしていなかったのだ。

 だが、私の関心の中心は、実際の伊丹十三と斎木犀吉との齟齬にあるのではない。モデルと実像との間に距離があるのは当たり前である。問題は、犀吉が「ぼく」に向ける執拗な「否」のベクトルである。物語りのなかで、語り手に最も近い位置に存在する重要人物が語り手に「否」を突きつけ、語り手を追いつめるという主題は大江健三郎の後の作品に繰り返されるのだ。

 特に重要な作品が『懐かしい年への手紙』で、ここで斎木犀吉は、かなり飛躍した乱暴な解釈かもしれないが、主人公のKちゃんの師匠(大江の呼び方でいえば「パトロン」)的存在の「ギー兄さん」に昇華して登場する。「ギー」という呼称は『万延元年のフットボール』に登場する「森の隠遁者ギー」を経て、『懐かしい年への手紙』の「ギー兄さん」となる。さらに「ギー兄さん」は『燃え上がる緑の木』の主人公となり、『宙返り』にも少年の「ギー」が登場するのだが、主人公に明確に「否」を突きつけるのは『懐かしい年への手紙』のギー兄さんである。

 作品としては『個人的な体験』から出発した大江健三郎≒Kちゃんの創作活動に対して、事故とも事件とも不明瞭な殺人の罪を自ら引き受けて、それを償い終えてKちゃんのもとに現れたギー兄さんはこう言うのだ。

 「・・・・・・・Kちゃんが自己の回心の・死と再生の物語をめざしていることはあきらかだよ。しかし、それには時がある。Kちゃんよ、きみのなかで自己の回心の・死と再生の物語を書く時は熟しているかい?」

 『懐かしい年への手紙』のギー兄さんの言葉は、『日常生活の冒険』の斎木犀吉とは比較にならないほどの重さがあって、大江の分身として設定されている「Kちゃん」は、長い時間をかけて書いてきた草稿を燃やしてしまう。それが、どれほど大変なことであったかということが、『晩年様式集』でもう一度言及されるのだが、これについては、また回を改めて考えてみたい。そもそも『晩年様式集』は『懐かしい年への手紙』を読み直す、というか『懐かしい年への手紙』という作品をものした作者の真意ともいうべきメッセージを伝えるために、非常に慎重に、工夫をこらして構成されたもののように思われる。

 一九八七年に出版された『懐かしい年への手紙』と一九六四年の『日常生活の冒険』をくらべてみると、二十三年の間に大江健三郎の作品世界がまったくと言っていいほど変わってしまったことに気づく。『日常生活の冒険』は、登場人物ひとりひとりが私たちと同じ日常の時間、空間に存在する血の通った人間なのだ。斎木犀吉も卑弥子も「ぼく」も、その他の誰もが、当たり前に呼吸し、生きている。だが、『懐かしい年への手紙』のギー兄さんをはじめとするさまざまな人物は、それなりに作品のなかでリアリティをもちながら、何らかの寓意性をひそめて存在している。いわば、小説のプロットとは別次元の、さらに上位のシナリオを演じている役者のように思われるのだ。

 日常生活から跳びたつ決心をした「ぼく」が実行したことは、「アームストロング」という外国製の中古車を買うことだった。フランス人と国際結婚した日本の女優が乗っていたものだったというが、「アームストロング」という車は実在したのだろうか?

 「ぼく」は犀吉たちとアームストロングに乗って、冒険の旅に出ようとしたのだが、それはかなわなかった。犀吉の生活が一変してしまったからである。卑弥子を捨てて、大富豪の娘と結婚した犀吉は、憧れだった「ゴージャスな」生活を享受し、モラリストとして培ってきた経験と才能を生かす機会にめぐまれながら、結局「おれはまったくなにひとつやりとげなかったなあ。」と言って、「ぼく」の前から姿を消して破綻していく。その過程もきちんと追わなければならないが、これもまた、いずれ時間の余裕があれば試みてみたい。

 作品に集中的に向かい合う時間をとることができなかったこともあって、書き始めと終わりの整合性が足りませんでした。自分の能力の限界を思い知らされると同時に『晩年様式集』を書いたときの大江健三郎の年齢が七九歳だったという事実に驚嘆しています。ひとなみ優れた物語作家だった彼が、みずからつくった物語を解体し、新しい「晩年様式」をつくりあげたという事実に。

 今日も未整理な文章を読んでくださってありがとうございました。

2025年6月24日火曜日

大江健三郎『日常生活の冒険』___早すぎたレクレイムとゴッホとハタンキョウ

  『晩年様式集』を読み直す過程で『日常生活の冒険』にふれなければいけないといいつつ、何をどう書くかまとまらないでいる。書くべきことはたくさんあるが、軸が定まらない。主人公のモデルがあまりにもあからさまなので、現実とフィクションの齟齬に関心がむかいがちで、作品の主題を見失いそうになってしまう。主人公斎木犀吉のモデルである伊丹十三は1997年12月20日に64歳で死んでいる。だが1964年に書かれた『日常生活の冒険』は主人公斎木犀吉が25歳で自殺するところから始まるのである。

 伊丹十三がビルの屋上から「墜落死」してほぼ二年半後の2000年にに出版された『取り換え子』に先立つこと三十六年前に『日常生活の冒険』は出版されている。冒頭

 「あなたは、時には喧嘩もしたとはいえ結局、永いあいだ心にかけてきたかけがえのない友人が、火星の一共和国かとも思えるほど遠い、見知らぬ場所で、確たる理由もない不意の自殺をしたという手紙をうけとったときの辛さを空想してみたことがおありですか?」

こういう言葉で大江健三郎は、当時働き盛りで活躍中だった伊丹十三の死を悼んでいる。この小説は現実の伊丹の死の33年前に書かれたレクレイムである。なぜこんな奇妙な作品が書かれなければならなかったのか。

 『日常生活の冒険』が出版された1964年、大江健三郎は『個人的な体験』という作品も出版している。今日では、あるいは当時でもこちらの方が評価が高いようである。大江自身はこの小説を「技法、人物のとらえ方など、小説の基本レヴェルを満たしていない」として、『日常生活の冒険』を自身の選集に入れていない。 

 だが、、「鳥(バード)」と呼ばれる語り手の「個人的な体験」__はじめての子が障碍をもって生まれ、紆余曲折ありながら、その事実をうけいれ、「親」として生きる決意を表明するにいたるまでの過程を描いた作品とくらべて、『日常生活の冒険』が上記の「小説の基本レヴェル」において劣っているとは、少なくとも私は思えない。

 『日常生活の冒険』は、個性的な登場人物が波乱万丈のストーリーの展開とともに描かれ、みずみずしい感性が描写のすみずみにみなぎっている。あの時代の記念碑というべき魅力的な青春小説を読んだという思いがある。だが、小説の発表から数十年を経て選集の作品を選ぶとき、おそらく、モデルとなった人物、すなわち当時存命だった伊丹十三および作品に登場するその周囲の人物にたいする配慮から、目立つことはできるだけ避けたかったというのが作者大江の本意だったのだと思う。

 先に引用した冒頭の文章に明らかなように、物語の出発点で主人公は死んでいる。サリンジャーの『ナインストーリーズ』の巻頭「バナナ魚には理想的な日」のシーモアがそうであるように。『ナインストーリーズ』は、シーモアの死から始まって、一見脈絡のない短編を紡ぎながら、最後に「テディ」でとじられ、じつはまた「バナナ魚には理想的な日」に戻るのである。『ナインストーリーズ』の時間はメビウスの輪のように閉じられ、循環し、直線ではない。

 一方、『日常生活の冒険』は、『ナインストーリーズ』のように閉じられた時間の中で継起した出来事を寓意という手段をもちいて語ろうとしたものではない。主人公の死という「喪失からの出発」は共通しているが、サリンジャーがアレゴリーという武器をもちいて「出来事」を記したかったのに対し、大江健三郎は「斎木犀吉」という「人間」を記憶し続けたかったのである。

  死者を死せりと思うなかれ
  生者あらん限り死者は生けり
  死者は生きん 死者は生きん

 この詩はゴッホが、彼の従妹の夫が亡くなった時に「モーヴの思い出のために」と書き込んで《花咲ける木》という絵を描き、絵ともに従妹に贈ったものである。その絵の複製が若い犀吉の「壁際に書物がつみ重ねられたほかはまったく何もない五畳ほどの素裸の部屋」の壁に画鋲でとめてあり、絵を見ている「ぼく」に犀吉自身がこの詩を朗誦して教えてくれたのだった。

 「生者あらん限り死者は生けり 死者は生きん 死者は生きん」

 「ぼく」は生きている限り「斎木犀吉」を記憶し続け、書き続けようとしたのだ。なぜなら、彼ほど死をおそれた人間はいなかったから。耐えきれぬ苦痛の果ての無残な死はもちろん恐怖だが、死によって存在の痕跡が完全に無になることはもっと救いがない。犀吉は五畳の部屋のゴッホのハタンキョウの絵の前で「ぼく」にこう言ったのだ。

 「おれにとっての生者はきみひとりだったのさ。きみのあらん限り、おれは生きん、おれは生きん、そのおれ風の進軍歌をうたって、おれは死の恐怖に対抗してきたんだよ。」

 斎木犀吉とは何だろう。ナセル義勇兵の集会で「頬にも顎にも一本のひげも生えていない」少年として「ぼく」と出会い、徹底したモラリスト_道徳家という意味ではない。すべて自分自身の内側から考察するという意味の_として颯爽と生き、そして最後に「おれはまったくなにひとつやりとげなかったなあ。おれはなにひとつやれなかったなあ。……………おれはいま恐ろしいんだよ、喉からしたいっぱいに不安と恐怖をつめこまれたみたいだ…」と「ぼく」に訴え、「おれはヨーロッパについたら、今度はすぐにアルルに行ってみるよ、おれは花の咲いたハタンキョウの木が見たいんだがもう季節をすぎたかね?」と言って「ぼく」と空港で別れた「斎木犀吉」とは。

 ところで、この「花咲ける木」の絵について、私のなかで少しとまどいがある。「モーヴの思い出のために」と書き込まれたこの絵は有名で、ネット上でもたくさんの複製の写真がみられるが、これは桃の木を描いたものなのだ。「ハタンキョウ」の花を描いたものは「アーモンドの木の枝」として検索される。こちらは弟テオに子どもが生まれたことを祝福して描いたもののようだ。桃もすももも「ハタンキョウ」と呼ばれることがあるようだから、あまりこだわる必要はないかもしれないが。それでも「桃_もも」と「ハタンキョウ」では語感も字面もかなりちがうので、作者大江は意図的に「ハタンキョウ」という硬質の語感をもつ言葉を選んだのだろう。

 桃の木を描いた絵もアーモンドの木の枝を描いたものも、どちらも非常に美しい絵だと思うが、死者を悼む前者が春のおとづれを告げるように満開の花をつけた木を描いて華やかな印象を受けるのにたいして、新しい命の誕生を祝福する後者は、青い背景に白っぽく見える(経年変化で褪色したのかもしれないが)花をつけた枝が縁取りで描かれ、何か澄明な趣である。こちらはゴッホの最晩年にプロヴァンスの精神病院で制作したもののようである。  

 犀吉の五畳の部屋に画鋲で止めてあったのは、まちがいなく(日本でいう)桃あるいはすももの花の絵だったと思われる。画面右側に黄色っぽい柵のようなものが描かれ、中央に満開の花をつけた大きな木が立っている。後方に小さく同じような木が列をなして続いているようなので、これは果樹園の桃の木なのだろう。そして、さらによく見ると、中央の木はじつは二本あるようだ。二本の木が寄り添うように立っていて、後ろの木が前の木の二股に分かれた間から枝を差し入れているように見える。

 『日常生活の冒険』は、ナセル義勇軍の集いでの「ぼく」と犀吉の出会いから空港での別れまで、さまざまなエピソードが綴られるが、ゴッホの絵に言及される場面はその中でもとりわけ印象的である。モラリスト犀吉はいつも論理の鎧でタフネスをよそおっているが、この「花咲ける木」を前にして脆いほど素直に真情を吐露する。「ぼく」はそれを受けて「センチメンタル」になってしまう。最後の空港の別れの場面など「ぼく」は犀吉への憐憫の情で涙ぐんでしまいそうになった、と書かれる。「モーヴの思い出のために」と書き込まれた絵の中の二本の木が、死者とそれに寄り添う生者の象徴だとしたら、それはまた犀吉と「ぼく」の象徴でもあると想像することは不可能だろうか。

 ゴッホが「モーヴの思い出のために」と書き込んで二本の桃の木を描いてモーヴを悼んだように、大江健三郎は『日常生活の冒険』という「斎木犀吉」へのレクレイムをうたったのだ。「頬にも顎にも一本の髭も生えていない」十八歳の少年が、憔悴して、「惨めな苦力のように」よろめいて「ぼく」の前から姿を消すまでの七年間は、決して実際の大江健三郎と伊丹十三の人生と重なり合うものではない。大江が大学在学中から作家として注目されていたのはほぼ実生活と重なるかもしれないが、伊丹十三もまた多才な人で、「なにひとつやりとげなかった」どころか、エッセイストであり、努力して外国語を習得し、すでに国際俳優として活躍していた。この小説に描かれる斎木犀吉は、伊丹十三に身をかりた、大江の歌う「青春挽歌」の主人公である。

 同年に出版され、この小説とまったく作風の異なる『個人的な体験』との関係についても書きたかったのですが、力及ばずでした。故意か偶然か、というよりたぶん意図的に『日常生活の冒険』の魅力的な少女妻「卑弥子」と『個人的な体験』の成熟したヒロイン「火見子」は同じ「ひみこ」で、どちらも愛するひとに裏切られます。斎木犀吉は卑弥子を裏切って、ある意味当然の報いを受ける結果となりますが、「鳥(バード)」は火見子を捨てて、「親」となって社会復帰します。障碍をもつ子との「共生」というテーマで『個人的な体験』の方が評価が高い風潮は、個人的には納得できない気がするのですが。

 今日もまとまりのない文章を読んでくださってありがとうございます。

2025年2月11日火曜日

深沢七郎『楢山節考』__おりんのりんは倫理のりん__歌がつらぬく共同体の掟

  昔「深沢七郎の小説は構成が完璧」といったら、「「あたりまえさ。彼はギタリストだもの。」と応じた飲んだくれがいた。彼は深沢と同じ山梨県出身で、ギタリストではなく美大でゲバ棒をふるっていた。私と知り合ったときは動物愛護活動家ということをしていて、十年ほど前に死んでしまった。ギタリストだと、どうして完璧な構成の小説が書けると思ったのか、もう少し詳しく聞いておけばよかった。

 『銀河鉄道の夜』を読む時間がかなり長く続いている。この間、私の中で、何とも言えない重苦しい、いらだちに似た焦燥感があって、それをうまくことばに出来ないもどかしさがある。賢治は、詩を書くときは、あんなにのびやかに情念をことばに乗せることができるのに、散文を書くとき、とくに『銀河鉄道の夜』のそれは、どうしてこんなにぎごちなく不自然なのだろう。『オツペルと象』、『北守将軍と三人の兄弟医者』のように、独特のリズミカルな文体で書かれていて、最後まで一気呵成に読ませてしまう例外的な作品もあるのだが。

 それで、文字を追いかけていけばすらすら内容が頭に入ってしまう深沢七郎が読みたくなって、何年ぶりかで『楢山節考』を読んでしまった。懐かしく恐ろしい、日常を装った非日常の世界がここにある。

 物語は主人公おりんが楢山祭りの歌を聞くところから始まる。

 「楢山祭りが三度くりぁよ 
     栗の種から花が咲く」

時間の推移が自然を変移させるというあたり前の文句のようだが、来年正月が来れば七十になるおりんには、特別の意味をもっていた。七十になったら「楢山まいり」をするのが村の掟で、そのときが近づいていることを知らせる歌だからである。

 山々に囲まれているこの村だが、神が住むという「楢山」は特別な山だった。「楢山祭り」は陰暦七月十二日盆の前夜に行う夜祭で、山の幸だけでなくこの村では貴重な白米を炊いて食べ、どぶろくをつくって夜中御馳走を食べる。村で祭りといえば「楢山祭り」しかないようになってしまったのだが、白米を食べどぶろくを飲む機会はもうひとつあって、それは「楢山まいり」をする前夜の儀式だった。「楢山まいり」をする前夜は、すでに「楢山まいり」の「お供」をすませた近所の人だけをよんで、白米とどぶろくをふるまうのである。

 おりんはそのときのために、白米とどぶろくはもう用意してあって、気構えと準備は十分できていたが、寡夫になった息子の辰平が気懸りだった。だが、この日、おりんは、楢山祭りの歌を聞くと同時に、もうひとつの声を聞いた。むこう村のおりんの実家から、村に後家ができたと知らせてきたのである。年齢も辰平と同じ四十五で年恰好が合う。これでもう、辰平の嫁の心配はなくなった。

 楢山祭りの朝に、むこう村から玉やんという嫁がやって来た。「おばあやんがいい人だから早く行けって」いわれて、玉やんは朝飯を食べずに来たのだった。何度も「おばあやんがいい人だから」と玉やんが繰りかえすので、おりんはうれしくなって、勇気を奮って、石臼のかどに歯をぶつけて前歯を二本欠いてしまう。おりんの丈夫な歯は、孫のけさ吉さえも嘲って、

 「おらんのおばあやん納戸の隅で
     鬼の歯を三十三本揃えた」

と笑いものにされていたのである。

 食料が極端に不足しているこの村では、何でも食べられる丈夫な歯と旺盛な生殖能力は決して賛美ではなく、辱めの対象だった。おりんは、「楢山まいりに行くときは辰平のしょう背板に乗って、歯も抜けたきれいな年寄りになっていきたかった」。だから、いままでもこっそりと火打石で叩いてこわそうとしていたのだった。念願かなって歯を欠いたおりんは、その姿を見せびらかしたくて、楢山祭りの祭り場に行く。だが、愛想のつもりで血まみれの顎を突き出したおりんを見て、集まっていた人たちはみんな逃げ出してしまう。おりんは「きれいな年寄り」どころか、「根っこの鬼ばばあ」と陰口をたたかれるようになってしまった。

 ためらっている辰平の背中を押して、おりんが楢山まいりをしようと急ぐ理由が二つあった。一つは、まだ十六の孫のけさ吉が同じ村の松やんという少女をはらませてしまったことである。妊娠しているためもあってか、大食いの松やんは自分の家を追い出されて、おりん一家に入り込んできてしまった。けさ吉と松やんは夫婦気取りで仲良くしているが、このままではおりんは「ねずみっ子」を見ることになってしまう。

 「かやの木ぎんやんひきずり女
     せがれ孫からねずみっ子抱いた」

 村で一番大きいかやの木がある家のぎんやんという女の人は、息子、孫、ねずみっ子と呼ばれる曾孫まで抱いたといって歌にうたわれた。早熟、多産は辱めの対象で、ぎんやんは「ひきずり女」という最大の蔑称を受けなければならなかった。歯を欠いてまで共同体の倫理に準じようというおりんにとって、「ひきずり女」という蔑称は耐え難いものだった。

 もう一つは、冬を越すのに食料が足らなくなるおそれがあるからである。大食いの松やんが子を生んだら、ただでさえ足りない食糧がさらに不足してしまう。 

 「三十すぎてもおそくはねえぞ
     一人ふえれば倍になる」

 晩婚が奨励される村だが、十六のけさ吉が松やんをはらませてしまったのだ。思ってもいなかったことをけさ吉から聞かされて、当初おりんはその衝撃からけさ吉に箸を投げつけ「バカヤロー、めしを食うな!」と怒鳴ったのだが、その後、「これこそ物わかりのわるい年寄りのあさましいことにちがいないのだ」と思うようになる。けさ吉も松やんも一人前の大人になったのに、そこまで察していなかったことに申しわけない、とさえ思ってしまう。

 「おばあやんはいつ山へ行くでえ?」と何度も問うけさ吉に「来年になったらすぐ行くさ」と苦笑いしながら答えていたおりんだった。「楢山まいり」の前夜にふるまう御馳走はたっぷり準備してある。おりんが山へ行った翌朝、家のみんなが飛びついて食べ、びっくりするだろう。その時自分は、「新しい筵の上に、きれいな根性で座っているのだ。」とおりんは「楢山まいり」のことばかり考えていた。

 その山行きをさらに急き立てられる出来事が起こる。「楢山さんに謝るぞ!」という叫び声が起こり、「雨屋」という屋号の家が村総出で襲われる。雨屋の亭主が隣の家の豆のかますを盗み出したところを見つかって、家の者に袋だたきにされたのである。この村で食料を盗むものは極悪人で、「楢山さんに謝る」という最も重い制裁を受ける。村中が喧嘩支度で盗みをはたらいた家に駆けつけ、その家の食糧を奪い取って、みんなで分けてしまうのである。嫁に来た玉やんも末の子を背中にしばりつけるようにおぶって出て、太い棒を握って青い顔でかけだしていた。おりんが布団から這い出したときは、家中みんな飛び出した後だった。

 「家探し」された雨屋の家の縁の下から、一坪くらいになるほどの芋が出て来る。こんなに一軒の家で芋がとれるわけはないので、これは畑にあった時から村中の芋を掘り出したにちがいない。雨屋は先代も「楢山さんに謝った」家なので、「泥棒の血統だから、うち中の奴を根だやしにしなけりゃ」と囁かれるようになる。 

 雨屋の家族は十二人でおりんの家は八人だが、育ち盛りの子が多いので、食料の困窮は似たようなものだった。隣の銭屋の倅がやってきて、雨屋がよその家の種芋まで盗んでいたことがわかったので、どこの家でも仕事もしないで雨屋を根だやしにすることを考えている、という。からすが啼いて、「今夜あたり、葬式がでるかも知れんぞ」といって銭屋が出て行った後、みんな黙ってしまう。そうして、突然、寝ころんでいた辰平が「おばあやん、来年は山へ行くかなあ」といったのだ。再びの沈黙の後、

 けさ吉が

 「お父っちゃん出て見ろ枯れ木ゃ茂る
     行かざなるまい、しょこしょって」

と唄い出して三日後の夜、大勢の足音がおりんの家の前を通って行った。翌朝雨屋の一家は村から消えてしまったのだった。

 十二月になって白い小さい虫が舞って、子供たちが「雪ばんばァが舞ってきた」と騒ぐ。雪の降る前にはこの虫が舞うといわれていた。おりんは「おれが山へ行くときゃァきっと雪が降るぞ」と力んだ。

 「塩屋のおとりさん運がよい
     山へ行く日にゃ雪が降る」

楢山祭りのときに唄い出されていたこの歌は、山へ行く「時」を指定する歌だった。楢山は雪が降り積もれば行けない遠い山なので、雪のない道を上って、到着したら雪が降るのが運がよいとされ、そのような条件の「時」に行け、といっているのである。

 松やんが臨月に入ったことは誰の目にも明らかになった。あと四日で正月になるという日、おりんは、辰平に明日楢山まいりを決行することを告げる。その晩、渋る辰平を厳然と威圧して、お供をして山へ行った人たちを呼んでどぶろくを振る舞い、作法通りの教示を受ける。そして、次の夜おりんと辰平は楢山まいりの途についたのだった。

  ここからは、楢山に分け入る辰平とおりんの道行となる。二つ、三つと山の裾野を回り、四つ目の山は上に登って頂上に立つと、地獄へ落ちるかと思わせるような谷に隔てられて、向うに楢山が見える。奈落の底のような深い谷を廻って進む辰平は、もう人心地もなかった。楢山を見たときから、神の召使いのようになってしまったのである。

 七谷という七曲りの道を通り越すと、道はあっても道はないといわれた楢の木ばかりの楢山に来た。無言のおりんを背負って、辰平はとうとう頂上らしい所まで来る。すると、どの岩影にも死体があった。両手を握って、合掌しているような死人、バラバラになった白骨、からすに食べられて空洞になった腹がからすの巣となった死体、進むほどからすが多くなり、死骸もますます多く転がっていて、白骨も雪がふったようにころがっている。辰平は、白骨の中に木のお椀がころがっているのを見て呆然とする。

 楢山に分け入ってからは、リアルで鬼気迫る情景描写が続く。戦場か処刑場の跡のようで、様々な死が累積している。さすがにもう、歌は唄い出されない。死骸のない岩かげにおりんを降ろすと、不動の形で立ったおりんに力いっぱい背中を押され、辰平は今来た方に歩き出す。おりんの顔はすでに死人の相だった。

 生きながら菩薩の形となったおりんの姿を描いて、「楢山節」考はこれで終わってよかったのだが、深沢は止めなかった。開高健のいう「世話物の甘い呻吟」がこれに続くのである。

 「十歩ばかり行って辰平はおりんの乗っていないうしろの背板を天に突き出して大粒の涙をぽろぽろと落とした。酔っぱらいのようによろよろと下っていった。」

 これはもう「世話物の甘い呻吟」などではなく、慟哭というべきだろう。登場人物にたいしてつねに一定の距離を保ち、その内面に入り込むことをしない深沢の、ほとんど唯一の例外がここにあるように思う。

 辰平が山の中程まで下りてきた時に雪が降りだす。おりんが「わしが山へ行く時ァきっと雪が降るぞ」と力んでいたその通りになった。辰平は掟を破って、今降りて来た山を猛然と登りだす。辰平は、本当に雪が降ったなあ!、と言いたかった。物を言ってはならないという誓いを破ってまでも、ひとこと言いたかったのだ。

 辰平がさっきの岩のところまで戻ると、雪に覆われて白狐のような姿になったおりんが、一点を見つめながら念仏をとなえている。

 「おっかあ、雪が降ってきたよう」
 「おっかあ、寒いだろうなあ」
 「おっかあ、雪が降って運がいいなあ」
 「山へ行く日に」

 辰平が呼びかけるが、おりんは無言で辰平の声のする方へ手を出して帰れ、帰れと振るばかりだった。
 「おっかあ、ふんとに雪が降ったなァ」
辰平は叫び終わると脱兎のごとく山を降った。 

 山を降りる途中、辰平は隣の銭屋の倅が父親の又やんを谷底に突き落とすのを目撃する。又やんは昨夜逃げ出そうとしたので、今度は雁字搦みに縛られていた。そして、芋俵のように転がされ、それでも必死にすがる又やんを、倅は腹を蹴とばして突き落としたのである。又やんがころがり落ちていくと、谷底から竜巻のようにからすの大群が舞い上がって、そしてまた舞い降りていった。倅もからすの群れを見て飛ぶように駆け出していた。

 家に戻って、戸の外から中の様子をうかがうと、次男が末の子に歌を唄って遊ばせていた。

 「お姥捨てるか裏山へ
     裏じゃ蟹でも這ってくる」
 「這って来たとて戸で入れぬ
     蟹は夜泣くとりじゃない」

子供たちはもうおりんが帰ってこないことを知っているのだ。松やんとけさ吉はおりんの衣類を身につけ、けさ吉はどぶろくの残りを飲んで陶然としていた。

 「運がいいや、雪が降って、おばあやんはまあ、運がいいや、ふんとに雪が降ったなあ」

 「なんぼ寒いとって綿入れを
     山へ行くにゃ着せられぬ」

おりんが生きていたら、雪をかぶって綿入れの歌を、きっと考えているだろうと、辰平は思った。

 あらすじを追いかけるだけで、相当な量の字数を費やしてしまった。全編通じて存在するのは、圧倒的な村=共同体の論理である。村=共同体の「倫理」、といってもいいかもしれない。人間は村=共同体に生れ落ちてから、いや生まれる前から、それに逆らうことはできない。けさ吉が松やんにはらませてしまった子も、生まれたら裏山に捨てられる運命だったのである。辰平の嫁の玉やんも、けさ吉も、はらんでいる松やん自身までもが、こぞってそれを実行しようしていた。人口の調節は村=共同体の至上の命題だった。そうしなければ、絶対に飢えるからである。

 おりんはこの共同体倫理を生きた。生き抜いた。おりんの人生は共同体倫理の内側にあった、というより倫理そのものだったかもしれない。善悪、当為の判断は個人の意志や感情の介入する余地はまったくない。だから、おりんは雨屋の制裁にも当然積極的に参加し、健康な歯を自ら砕いて死を迎え入れる自分の姿をアピールしたのである。私は、おりんの「りん」は共同体倫理の「倫」である、と勝手にに妄想している。

 そして、もう一つ、切ないまでに滲み出てくるのが、おりんの息子辰平の思いである。愛するひとを死出の途へいざなうことを強制する、あらがいようがない絶対の共同体論理の禁を犯して、辰平がおりんのもとに戻るくだりはこの小説の白眉である。

 もっとも恐ろしいのは、この村=共同体には支配者がいないことである。絶対的に食料の不足するこの村=共同体には支配ー被支配の関係が存在しない。誰もが平等で、平等な権力をもっている。支配者が存在して、それを打倒することができれば共同体の論理は変わる。だが、誰もが平等な社会に革命は起こらない。そのような社会は歴史上存在しただろうか。あるいは、そのような「空間」は、いつでも、どこでも、「日常」に存在し続けているのだろうか。

 最後に、この共同体論理を透徹させる「歌」の意味についても語らなければならないのだが、すでにかなりの長文になってしまったので、これについてはまた、回を改めて考えたいと思う。歌が共同体論理とどのように別れ、散文が成立したのかということの考察を始めたのが、私の文章を書く出発点だったのだが。

 長いばかりで尻切れとんぼの文章になってしまいました。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2024年12月25日水曜日

宮澤賢治『銀河鉄道の夜』再考___誰がカムパネルラを殺したか___最終稿に見る断念と希望                                         

  カムパネルラを殺したのは、いうまでもなく作者賢治である。右手に時計をもって「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」と父親に宣告させ、賢治がカムパネルラを死なせたのだ。そして、カムパネルラは賢治である。賢治はカムパネルラを殺して、自分に罰を与えたのだ。『ポラーノの広場』のレオーネ・キューストと同じように。

 前回の投稿で、カムパネルラのモデルについて、保坂嘉内と妹のとし子をあげ、おおむねそれで間違っていないと思うと述べたが、いまは賢治その人がカムパネルラだと考えている。それだけでなく、『銀河鉄道の夜』という作品そのものを根本から見直さなければならないと思う。

 『銀河鉄道の夜』は、初稿、第二次稿と書き継がれ、第三次稿でいったん完成されたかに見えた作品だった。だが、賢治は最終稿で完全に結末のベクトルを変えてしまった。結末の部分がどうなっているか、繰り返しになるが、もう一度確かめたい。

 初稿、第二次稿では、カムパネルラがいなくなると、ジョバンニが
 「さあ、やっぱりたったひとりだ。きっともう行くぞ。ほんたうの幸福が何だかきっとさがしあてるぞ。」

と叫ぶ。そのことばにこたえるかのように、まっくらな地平線の向こうに青じろいのろしうちあげられる。昼間のように明るくなった汽車の中で、ジョバンニは
 「あゝマジェラン星雲だ。さあ、もうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのためにみんなのためにほんたうのほんたうの幸福をさがすぞ。」と宣言する。すると、「セロのやうな声」がして、ジョバンニに、汽車の中で車掌に見せた「切符」をしっかり持って、現実の世の中を歩いて行くようにはげます。その声がしたと思うと、天の川は遠くなって、「あのブルカニロ博士」が現れ、ジョバンニの体験が博士の実験だったといい、彼に金貨を二枚くれる。

 第三次稿でもおおむねプロットは変わらないが、「セロのやうな声」の人は、「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の痩せた大人」の姿をしてあらわれ、カムパネルラの座っていたところにすわり、ジョバンニに語りかける。そして、詳しく、具体的に、宇宙の真実のようなものをジョバンニにおしえ、不思議な実験を彼にほどこすのである。さらに、その人がジョバンニに「プレオシスの鎖」を解かなければいけない、というと、青じろいのろしがあがり、ジョバンニはマジェラン星雲に誓いをたてるのだ。

 そのあと、再び「セロのやうな声」がして、ジョバンニをはげまし、天の川が遠くなって、「あのブルカニロ博士」が登場し、ジョバンニにこれが実験であると伝える部分は前二稿と同じである。前二稿と異なるのは、「セロのやうな声」のひとと「あのブルカニロ博士」と二人がジョバンニを実験の対象としていることである。「セロのやうな声」の人がした実験も含めて、ジョバンニの銀河鉄道の旅の体験すべては「あのブルカニロ博士」のした実験であって、ジョバンニに対して二重の実験がされたことになっている。

 これは前ニ稿へのかなり大きな改変だと思うが、最終稿は、何と、この部分を完全に削除してしまっている。「青じろいのろし」、「マジェラン星雲」「セロのやうな声」「あのブルカニロ博士」といった印象的な表象はすべて消され、ジョバンニの持っているとされた「切符」も、かれに与えられた「二枚の金貨」の話もない。ジョバンニをはげまし導いてくれるメンターも、お金をくれていつでも相談にのってくれるというパトロンも消えてしまう。いうまでもなく作者賢治が消したのである。第三次稿まで紡ぎあげてきた物語は、最終稿でハッピーエンドから一転、何もない空間に読者を放り出してしまう。

 胸を熱らせ頬につめたい涙を流してジョバンニは夢からさめる。注意しておきたいのは、彼の銀河鉄道の旅の体験が夢だったと明言されるのは最終稿だけである。それまでの三稿では、「セロのやうな声」がしたと思うと天の川が遠ざかり、風が吹いて、ジョバンニは「まっすぐ草の丘にたってゐる」自分を見るのだ。それは夢と現実の二項対立ではなく、銀河鉄道の旅の体験とひとつながりの現象なのである。自分で自分の姿を見る、という不思議な現象であるが。

 夢から覚めたジョバンニは、病気の母親のことを思い出し、走って丘を下りさっき断られた牛乳をもらいに牧場に行く。今度は白いズボンをはいた人が出てきて、まだ熱い牛乳瓶が渡される。そのあと、ジョバンニは、牧場を出て家に向かうが、町の十字路で女たちが集まって、橋のほうを見ながらひそひそ話しているのを見て「なぜかさあっと胸が冷たくなったやうに思ひました。」と書かれる。カムパネルラの溺死という事実を知る前に、ジョバンニは戦慄を感じたのだ。

 カムパネルラは、烏うりを流そうとしてあやまって川に落ちたザネリを救うために飛び込んで、その後見えなくなってしまった。たくさんの人が集まる中、黒い服を着た「青じろい尖った顎をした」カムパネルラのお父さんが、カムパネルラの死を宣告する。もう四十五分たったから駄目だ、と。なぜ四十五分が期限となるのかわからないのだが。

 『銀河鉄道の夜』の読者は、汽車に先に乗っていたのが「ぬれたやうなまっ黒な上着を着た」カムパネルラであり、そのカムパネルラは「少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいといふふう」と書かれているのを知っているので、カムパネルラの死を違和感なくうけいれてしまう。だが、そもそも、なぜ、カムパネルラは死ななければならなかったのか。あるいは、なぜ、ザネリを救うために死ななければならなかったのだろう。ほかでもない、ジョバンニを辱め、執拗に苛めたザネリを助けるために。作者はどうしてこんな皮肉な設定にしたのか。

 多くの読者は、とくに第三次稿の中で、ジョバンニのカムパネルラへの思慕が縷々つづられているのを読んで、無条件に二人が親友だと思っている。ほんとうにそうだろうか。親友だったら、苛められ辱められている友を見過ごして、高く口笛を吹いて遠ざかっていくことなどできるだろうか。カムパネルラはジョバンニを裏切り続けたのだ。そして、その報いに殺されたのだ。作者賢治に。

 そして、冒頭書いたように、カムパネルラは賢治である。『銀河鉄道の夜』を先入観なしに読むことができたら、カムパネルラは賢治とほぼ等身大に描かれていることに気がつくだろう。「せいが高い」ことなどささいな違いはあるが。自分と等身大に描いたカムパネルラに、友を裏ぎらせ、その報いに死を与える作者賢治の屈折、挫折そして自罰の念は、いつから、どこからきたのだろう。

 第三次稿から最終稿への変化は、結末部分だけではない。初稿と第二次稿の前半部分が欠落しているので、断定はできないが、最終稿の冒頭「午后の授業」から「活版所」「家」まで、かなり長い部分は最終稿で書き加えられたもののようである。ここには、銀河鉄道に乗るまでのジョバンニの生活が具体的に時系列に沿って書かれている。

 ジョバンニは毎日学校の授業の前後にはたらかなければならないので、どうしても勉強に身が入らない。先生に指名されても、わかっているはずのことに自信がもてず、こたえられなくて浮き上がってしまう。授業が終わると活版所に行って活字を拾う仕事をする。一緒に働いている労働者から「虫めがね君」と呼ばれて冷たくわらわれるが、六時過ぎまで働いて銀貨を一枚もらう。 

 仕事を終えたジョバンニはパンを一塊と角砂糖を買って家に帰る。角砂糖は母親に飲ませる牛乳に入れるのである。「あゝジョバンニ、お仕事がひどかったらう。」と彼を迎えた母親は、白い巾を被って寝ている。ジョバンニは、姉がつくってくれたトマトのおかずでパンをたべながら母親と会話している。話題は不在の父親のことである。ジョバンニは、北方の漁に出ている父親はまもなく帰ってくると思っている。母親もそう思っていると言いながら、父親は漁には出ていないかもしれない、とも言う。言外に、監獄に入っているかもしれない、とにおわせている。

 それにたいして、ジョバンニは、父親がそんな悪いことをしたはずはない、と言う。父親は前回巨きな蟹の甲羅やとなかいの角を持って帰り、学校に寄贈したのだ。この次はジョバンニにラッコの上着をもってくる、ともいっていたのだが、そのことがジョバンニが苛められる理由になっている。

 不在の父親については、第三次稿でより詳しく書かれている。ザネリに「お父さんから、らっこの上着が来るよ。」とからかわれたとき、ジョバンニは心の中でこう思っている。

 「ザネリは、どうしてぼくがなんにもしないのに、あんなことを云ふのだらう。ぼくのお父さんは、わるくて監獄にはひってゐるのではない。わるいことなど、お父さんがする筈はないんだ。去年の夏、かえって来たときだった、ちょっと見たときはびっくりしたけれども、ほんたうはにこにこわらって、それにあの荷物を解いたときならどうだ。鮭の皮でこさへた大きな靴だの、となかいの角だの、どんなにぼくは、よろこんで跳ね上がって叫んだかしれない。・・・・・・・。」

 第三次稿で、ジョバンニが「お父さんは、わるくて監獄にはひってゐるのではない。」と思っているということは、彼は、父が監獄に入っていることは事実として受けとめていることになる。ところが、最終稿では、ジョバンニは、「お父さんが、監獄に入るやうなそんな悪いことをした筈がないんだ。」といっているので、監獄に入っているかどうかは不明である。共通するのは、父親が「となかいの角」「蟹の甲ら」「らっこの上着」など、動物を屠ってこしらえたものを持って帰る、と書かれていることだ。「蟹の甲ら」は第三次稿では「鮭の皮でこさえた巨きな靴」となっていて、こちらの方がより生々しい印象がある。ジョバンニの父親の職業は何だろう。

 「となかいの角」や「蟹の甲ら」は違法な獲物ではないかもしれないが、「らっこの上着」については、漁獲に関して禁止、規制の法律が定められているので、違法の可能性がある。ジョバンニの父親は、監獄に入っているかどうかは別にしても、何らかの違法行為を犯しているかもしれない。ジョバンニはたんに「病気の母親の面倒を見ながら家計を支えるけなげな少年」として描かれるだけでなく、出自に何か暗い闇の部分をかかえる複雑な存在として登場する。ジョバンニにたいする差別、執拗な苛めの原因は彼を取り巻く闇の部分にあるのだろう。作者はそれをあえて明らかにしないのだ。

 第三次稿から最終稿への過程で、第三次稿の結末部分の削除と、カムパネルラの死、「午后の授業」「活版所」「家」の部分の加筆と、どちらが先だったかわからない。同時並行的に行われた可能性もあるだろう。銀河鉄道に乗るまでのジョバンニについては、第三次稿では、彼の心理に即して語られているので、それを整理し、客観化して最終稿に組みなおしたともいえる。

 いずれにしろ、最終稿のジョバンニには、何もない。メンターもパトロンも誰もいないし、道しるべとなる切符もお守りのような金貨もない。彼は孤独だ。そして自由である。もう彼は博士の実験の対象ではないのである。

 ジョバンニからいっさいを奪って、現実の中に立たせたもの、それは作者の大きな断念だろう。最終稿のジョバンニは、マジェラン星雲に向かって誓いをたてることもない。病気の母親のために、牛乳を受けとりにもう一度牧場に行き、今度は熱い牛乳瓶をもらって帰るのだ。希望があるとすれば、カムパネルラの父が、ジョバンニの父から無事の便りを受け取った、と知らせてくれたことかもしれない。

 不思議な、謎にみちた銀河鉄道の旅の終わりに、ジョバンニはあたたかい牛乳を受け取り、父の無事を知らされる。金貨二枚がもたらされるハッピーエンドはなくなったが、ここに救いが、そして希望の光が、微かだが確かにに見いだされるような気がする。 

 『銀河鉄道の夜』について、いくつも投稿してきましたが、何か違う、何も言えていない、という消化不良の思いを拭いきれませんでした。賢治の作品は、今までにもいくつか取り上げて書いてきましたが、今回が一番七転八倒して、なおかつ一番不出来だと思っています。今回満足にほど遠いながら、何とか最後まで書くことができたのは、鈴木守氏の「みちのく山野草」というブログに助けられたことが大きかったと思います。連日の鈴木氏の投稿が、生活者賢治のいきづかいを伝えてくれるような気がしました。本当にありがとうございました。

 今日も未熟な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

              

2024年11月28日木曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の旅の夜』__旅の終わりに___カムパネルラの消失から死まで

  前回の投稿を終えて、ずっとカムパネルラのことを考えている。カムパネルラとは何だったのか。

 カムパネルラについては、今回『銀河鉄道の旅の夜』を読み直すにあたって、最初に「カムパネルラという存在とその消失の意味するもの」と題して書いている。興味のある方はそちらを参照していただけるとありがたい。今回あらためて考えてみたいのは、「カムパネルラとは何か」あるいは「ジョバンニとは何か」である。

 前回「カムパネルラという存在とその消失」でも述べたように、第三次稿で具体的に記されたジョバンニとカムパネルラのかかわり、そして縷々と綴られたジョバンニのカムパネルラへの切ない思いは最終稿ではほとんど削除されてしまっている。代わりに、病気で臥せっているジョバンニの母とジョバンニとの会話のなかで、少し不思議なことが語られている。

 「あの人はうちのお父さんとはちょうどおまへたちのやうに小さいときからのお友達だったさうだよ。」これはジョバンニの母のことばだが、「あの人=カムパネルラ」が「うちのお父さん」と「小さいときからのお友達だった」とはどういうことを意味するのだろう.

 「あの人のお父さん」と「うちのお父さん」が小さいときからの友達だった、と言っているのではない。ややこしい話だが、「あの人=カムパネルラ」が「うちのお父さんの友達だった」と言っているのである。作者賢治の書き間違いだろうか。ジョバンニの同級生のカムパネルラがジョバンニの父と「小さいときからの友達だった」という状況は普通はあり得ない。また、ジョバンニの母の「小さいときからのお友達だったさうだよ」という言葉は、母がジョバンニの父からカムパネルラとジョバンニの父が友達であると聞いていたことを示している。

 ところで、『銀河鉄道の旅の夜』の多くの読者は、ジョバンニのモデルは作者賢治であり、カムパネルラのモデルは賢治の思慕の対象となった保阪嘉内、あるいは亡くなった妹のとし子を想定していると思う。おおむねそれで間違ってはいないと思うが、ジョバンニとカムパネルラの人物造型は少し複雑である。

 ジョバンニは父が不在で、貧しく、病気の母の面倒をみながら、学校の前後に働かなくてはならない。そのため同級生にいじめられ、疎外されている。この状況は賢治とまったくかけ離れたものである。賢治はむしろ、何不自由ない暮らし向きのカムパネルラと同じ境遇だった。では、ジョバンニは賢治とまったくことなった人物として描かれているのかといえば、もちろんそうではない。

 「天上へなんか行かなくたっていゝぢゃないか。ぼくたちこゝで天上よりももっといゝとここさへなけぁいけないって僕の先生が云ったよ。」サウザンクロスの駅で降りる支度をしている女の子にかけたジョバンニのことばだが、これは賢治の思想だろう。この後、クリスチャンの青年とジョバンニは「たったひとりのほんたうのほんたうの神さま」について神学論争をはじめるのだが、結論は出るはずもない。ほかならぬ「ここで」、「天上よりももっといゝとここさへなけぁいけない」とは、賢治の至上命題で、ジョバンニはまさに賢治の代弁者である。

 そのジョバンニを、なぜ賢治は自身と正反対の境遇においたのか。おそらくそれは、「みんなのほんたうのさいはひをさがしに行く」主人公を、経済的、あるいは政治的にも賢治の属する階層とは異なった階層の人間として設定したかったのだと思われる。そして、それは、旅の途中で唐突に新大陸のインディアンや「星とつるはしの旄」が登場することにつながっているのではないか。

 賢治とほぼ重なる境遇のキャラクターとして造型されたのは、先に述べたようにカムパネルラの方である。裕福な家庭に育ち、学力も高く、絵も上手で、「運動場で銀貨を二枚弾いてゐたりしていた。」と第三次稿で書かれている。もっともこの部分は最終稿では完全に削除されてしまっているのだが。

  では、カムパネルラは銀河鉄道の旅の中で、何をしたのか。

 ひとことでいえば、何もしていないのだ。何もしていない、といえば語弊があるかもしれない。先に汽車に乗ったが、ジョバンニの同行者として最後まで彼の傍らに「ゐた」のである。

 ジョバンニが持っていない「銀河ステーションでもらった地図」をもっていて、旅の途中都度々々地図を開いて、現在地とその状況を確認するのがカムパネルラだった。天の川の砂を見て、「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えてゐる。」と言ったり、河原に列をなしてとまっている鳥が烏でなくかささぎであると判定したり、自然科学の知識が特に豊富なようだ。空を渡る鳥の大群に旗を振って信号を送る渡し人が現れる場面では「どこからかのろしがあがるため」だろうと推測したりしている。両岸に「星とつるはしの旄」が立つ川に発破がしかけられ、鮭や鱒が打ち上げられる場面では、ジョバンニとともに小躍りして喜んでいる。

 『銀河鉄道の旅の夜』は三人称の作品だが、一貫してジョバンニの心情から語られているので、カムパネルラが何を考えているかはわからない。ほぼジョバンニと重なっているように見えるが、二人の距離は稿を重ねるごとに微妙に離れていく。少し煩雑になるが、サウザンクロスでほとんどの乗客が降りたあとのジョバンニとカムパネルラの会話を比べてみたい。

 「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねぇ、どこまでもどこまでも一緒に行かう。僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならばそしておまへのさいはひのためならば僕のからだなんか百ぺん灼ひてもかまはない。」(下線は筆者)
 「うん、僕だってさうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでゐました。
 「けれどもほんたうのさいはいは一体何だらう。」ジョバンニが云ひました。
 「僕わからない。」カムパネルラはさうは云っていましたがそれでも胸いっぱい新しい力が湧くやうにふうと息をしました。
 「僕たちしっかりやらうねぇ。」ジョバンニが云ひました。

 これが初稿だが、第二次稿もほとんど同じである。ただジョバンニのことばから「そしておまへのさいはひのためならば」が削除されている。第三次稿と最終稿ではこうなっている。

 「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねぇ、どこまでもどこまでも一緒に行かう。僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼ひてもかまはない。」
 「うん、僕だってさうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでゐました。
 「けれどもほんたうのさいはひは一体何だらう。」ジョバンニが云ひました。
 「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云ひました。(下線は筆者)
 「僕たちしっかりやらうねぇ。」ジョバンニが胸いっぱい新しい力が湧くやうにふうと息をしながら云ひました。(下線は筆者)

 初稿では、ジョバンニはカムパネルラを前にして「そしておまへのさいはひのためならば」僕のからだなんか百ぺん灼ひたってかまはない、と言っている。はっきりと、カムパネルラそのひとを対関係の対象にすえている。

 第二次稿では「そしておまへのさいはひのためなら」は削除され、「おまへのさいはひ」は「みんなの幸」と集約され一般化されている。さらに第三次稿と最終稿では、それまでの稿と以下の二点で明確に異なっている。

 ひとつは、初稿と第二次稿では、本当の幸いはなんだろう、というジョバンニの問いにカムパネルラは「僕わからない」と言いながら、「それでも胸いっぱい新しい力が湧くやうにふうと息をしました。」と書かれているのに対し、第三次稿と最終稿では、「「僕わからない」カムパネルラがぼんやり云ひました。」となっていること。また、「胸いっぱい新しい力が湧くやうにふうと息をしたのは、カムパネルラではなく、ジョバンニなのだ。

 初稿から最終稿まで、ジョバンニの傍らにいるカムパネルラは、「きれいな涙を「うかべて」ジョバンニに共感するたたずまいはかわらないが、最後は「ほんたうのさいはひはなんだらう。」というジョバンニの問いに「僕わからない」と「ぼんやり」言うだけなのだ。ジョバンニひとりが「「僕たちしっかりやらうねぇ。」と「胸いっぱい新しい力が湧くやうにふうと息をした。」のである。賢治は、ジョバンニから完全ににカムパネルラを引きはがしたのだ。

 「僕たちしっかりやろうねぇ。」とジョバンニが言った直後「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ。」とカムパネルラが天の川に空いた大きなまっくらな孔を指し示す。そして彼は「どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行かう。」というジョバンニに「あゝきっと行くよ。」と言いながら消えてしまう。

 注意しなければならないのは、初稿と第二次稿では、カムパネルラは「いなくなった」のであり、必ずしも「死んだ」ことにはなっていないことだ。というより、作者の関心は「さあ、やっぱりぼくはたったひとりだ。きっともう行くぞ。ほんたうの幸福が何だかきっとさがしあてるぞ。」(下線は筆者)というジョバンニの決意表明にある。そしてジョバンニは「セロのやうな声」の主に、切符をしっかりもって、厳しい現実を歩いて行くよう訓示をうけ、次に現れた「ブルカニロ博士」から金貨を二枚もらって帰途に向かう。

 第三次稿のカムパネルラは、「どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行かう。」というジョバンニに「あゝきっと行くよ。」といった後「あすこの野原はなんてきれいだらう。みんな集まってるねぇ。あすこがほんたうの天上なんだ。あっあすこにいるのはぼくのお母さんだよ。」と叫んで消えてしまう。カムパネルラの消失に慟哭しているジョバンニに声をかけたのは、「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の痩せた大人」だった。その人はカムパネルラが「ほんたうにこんや遠くへ行ったのだ。」といい、もうさがしてもむだだ、と彼の死を示唆する。

 『銀河鉄道の旅の夜』の成立論を始めるつもりはないのだが、第三次稿はそれまでの二稿に比べて、かなり異色である。初稿、第二次稿は前半が欠落しているので、一概にいえないが、第三次稿は分量が前の二稿の倍以上になっている。とくに、カムパネルラが消えた後に不思議な人物が現れるが、その人物がジョバンニに世界の真理を説く部分が長いのである。

 前の二稿では「セロのやうな声」がして、ジョバンニを励まし、「天の川のなかでたった一つのほんたうの切符」を持って「本当の世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐ歩いていかなければならない。」という。それから、「あのブルカニロ博士(欠落している前半部分にすでに登場しているのだろうか)が近づいてきて、ジョバンニの銀河鉄道の旅の体験が「遠くから私の考えを伝える実験」であり、「これから、何でもいつでも私のとこへ相談においでなさい。」と言って、金貨を二枚ジョバンニに与える。

 第三次稿では、消えたカムパネルラの座っていた席に「「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の痩せた大人」が「優しく笑って大きな一冊の本をもって」いた。そして、その人は、カンパネルラの死を示唆した後、人生と世界の秘儀について長い講釈をするのだが、私の能力ではそれを要約することができない。おそらく仏教の宇宙観、もしかしたら三島由紀夫が「暁の寺」で精緻な説明を試みていた阿頼耶識のことかもしれない。それからその人はジョバンニに不思議な実験をする。

 「そのひとは指を一本あげてしづかにそれをおろしました。するといきなりジョバンニは自分といふものがじぶんの考といふものが、汽車やその学者や天の川やみんながいっしょにぽかっと光ってしぃんとなくなってぽかっとともってまたなくなってそしてその一つがぽかっとともるとあらゆる広い世界ががらんとひらけあらゆる歴史がそなはりすっと消えるともうがらんとしたたゞもうそれっきりになってしまふのを見ました。だんだんそれが早くなってまもなくすっかりもとのとほりになりました。」

 前の二稿はブルカニロ博士が実験をしたのだが、第三次稿ではカンパネルラの席に座った不思議な人が汽車のなかでジョバンニに実験をする。だが、この後またしても「あのブルカニロ博士」が現れ、この実験を含む銀河鉄道の旅すべてが私の実験だった、という。賢治はなぜこんな重複とも見える筋立てにしたのだろう。

 不思議なことに、こんなに詳しく世界を語ることに情熱を傾けた第三次稿の最期の部分は最終稿では完全に削除されている。「あのブルカニロ博士」の実験のくだりもなく、代わりに、「青じろい尖った顎をした」カムパネルラのお父さんが黒い服を着て登場し、カムパネルラの死を宣告する。第三次稿と最終稿の断絶については検討しなければならない多くの課題があるが、それについてはもう少し時間がほしいと思っている。

 ひとつの仮説として、第三次稿までは、ジョバンニが求道者として世界に屹立するまでの物語だった。そのためにジョバンニは、カムパネルラから自立しなければならなかった=カムパネルラを失わなければならなかった。そのことによって、「みんながカムパネルラだ」という真実に気づくために。

 『銀河鉄道の旅の夜』の難解さは、決定稿がないため、活字化されたものでも初稿から最終稿まで段落が錯綜していることにも原因があるように思います。今回は岩波現代文庫の『「銀河鉄道の旅の夜」精読』を参考にさせていただきました。初稿から最終稿まで掲載されているので、賢治の推敲の過程がわかりやすく、非力な私でもいくらか読解を深めることが出来たように思います。著者の鎌田東二氏に感謝申し上げます。

 未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2024年10月4日金曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』___燃える蝎__救済か地獄の劫火か

  双子の星の話は、姉と弟のの要領を得ない会話のあと、男の子の「ぼく知ってらあ。ぼくおはなししやう。」ということばの後は空白になり、段落が切り替わる。

 「川の向ふ岸が俄かに赤くなりました。楊の木や何かもまっ黒にすかし出され見えない天の川の川の波もときどきちらちら針のやうに赤く光りました。まったく向ふ岸の野原に大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高く桔梗いろのつめたそうな天をも焦がしさうでした。ルビーよりも赤くすきとほりリチウムよりもうつくしく酔ったやうになってその火は燃えているのでした。」

 近くの光景は黒い影絵のようで、その向こうに巨大な燃焼がある。賢治は筆を尽くして、それこそ「うつくしく酔ったやう」に銀河鉄道の旅のクライマックスを描写する。

 あれは何の火だろう、とジョバンニが言うと、カムパネルラが地図を見て蝎の火だとこたえる。すると、女の子が「蝎がやけて死んだのよ。」と説明をはじめる。父親から何度も聞いた話だという。

 むかし、バルドラの高原にいた一びきの蝎が、いたちに食べられそうになって、必死に遁げ、そして井戸に落ちてしまう。井戸からあがれなくて、溺れそうになって、蝎は祈る。

 「あゝ、わたしはいままでいくつの命をとったかわからない。そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもたうたうこんなになってしまった。あゝなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったらう。そしたらいたちも一日生きのびたらうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸いのために私のからだをおつかひ下さい。」

 蝎は後悔している。いままでたくさんほかの命をとってきた自分が、今度は命をとられそうになったら遁げて溺れ死のうとしている。遁げないで、自分のからだを「だまって」いたちに食わせてやるべきだったのに、そうしないで、「むなしく」命をすてようとしている。そして祈っている。次に生まれてきたら、「まことのみんなの幸い」のために自分のからだを使ってください、と。

 そして蝎は自分のからだがまっ赤なうつくしい火になって燃え、夜の闇を照らしているのを「見た」、と女の子はいう。蝎は、自分のからだが燃えているのを自分で見ている。幽明境をことにした世界ではそのようなことができるのだろう。

 多くの人がここに銀河鉄道の旅の倫理的、思想的到達点をみている。「まことのみんなの幸いのため」という絶対利他の考えが、ことばとしてわかりやすいこともあるかもしれない。仏教の素養のない私には詳しいことはわからないが、捨身説話の一つのパターンがここで語られているのだと思われる。

 自然界で食うものと食われれるものとの関係は「捕食」とよばれる。実は、捕食者(=食うもの)は、被食者(=食われるもの)を必ずしも仕留めることが出来るとは限らず、逃げられることも多いが、捕食者が追い、被食者が逃げるという関係に、それぞれの自由意志がはたらくことはなく、それは自然の必然である。蝎がたくさんの命をとってきたのも、いたちに追われて逃げたのも必然の行為である。蝎が自分のからだを「だまっていたちに呉れてやる」ことはありえない。また、井戸に落ちて溺れ死のうとしているからといって、「こんなにむなしく命を捨てずに」と罪の意識を覚えることもない。

 一言でいえばこの話は嘘である。「おはなし」なのだから嘘に決まっている。問題は、この嘘の話が、「まことのみんなの幸いのため私のからだをおつかひ下さい。」という蝎の「心」をみた「神さま」が蝎のからだを燃やしまっ赤なうつくしい火と変えたと閉じられることである。あまりにも美しい嘘なので看過されそうだが、ここには「死」は「有用」であるべきだという思想が潜んでいる。「有用な死」と「自己犠牲」との間に距離はほとんどない。「自己犠牲」は『銀河鉄道の夜』のテーマの代表的なものとなった。

 たくさんの命を奪ったから、自分の命も誰かに与えて死ななければならないという掟は自然界に存在しない。Give and Take は人間社会の論理である。人間社会の論理を自然に当てはめ、「自己犠牲」のベクトルのもとに語るのはプロパガンダである。作品がプロパガンダであってわるいということはない。蝎の話は初稿から最終稿まで一貫して存在し、多くの読者がこの部分を、というよりこの作品そのものを「自己犠牲」のテーマで論じているのだから、作者の狙い通りになったといえる。

 もうひとつ微妙なのは、蝎の焼死は救済なのか、という問いである。「蝎がやけて死んだのよ。」という女の子の即物的な説明からこの話は始まっている。神に祈って、そのからだが天に引き上げられ、「まっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしている」__未来永劫照らし続けるだろう。未来永劫焼かれ続けるのである。「その黒いけむりは高く桔梗いろのつめたさうな天をも焦がしさうでした。」これは地獄の劫火ではないか。

 救済か、地獄の劫火か。一見美しくわかりやすい蝎の話に、私は賢治の抱え込んだ深い闇を見る気がする。新大陸アメリカのコロラドインディアンから誕生間もないユーラシアの共産主義国家へ、銀河鉄道は地上を旅し、ふたたび天井を行く。天上の旅の最期に永遠の劫火を見て、ケンタウルの村に帰ってくる。だが、ジョバンニとカムパネルラ、そしてクリスチャンの一行との旅は終わらず、南十字星をめざすのである。

 最後にまたもや蛇足をひとつ。宮沢賢治の抱えこんだ闇について関心のある方は、見田宗介著『宮沢賢治__存在の祭りの中へ』を読むことをおすすめしたい。あとがきに「わたしはこの本を、ふつうの子高校生に読んでほしいと思って書いた。」とあるが、わかりやすく、頭の中が整理されるような気がして、しかも、創作の秘儀にたちあっているような感覚を覚える。ただし_吉本隆明の『宮沢賢治』にも共通するのだが_不思議なほど時代状況とのかかわりへの関心が薄いのだ。いつかもういちど見田宗介の本については、熟読して思ったところを書きたいと考えている。

 たくさんの謎を謎のままにして、ようやく蝎の話までたどり着きました。多くの人がとりあげる「自己犠牲」について、私も言わなければならないことがあるように思いますが、もう少し先の「カムパネルラの死」を読んでから考えたいと思います。きょうも不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2024年9月29日日曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』__星とつるはしの旄、双子の星

  銀河鉄道はコロラド渓谷を下って、ふたたび天の川の横手を走る。河原にはうすあかい河原なでしこの花が咲いている。ゆっくり走る汽車の両岸に「星のかたちとつるはしを書いた旄」が立っている。

  ジョバンニもカムパネルラも「「星のかたちとつるはしを書いた旄」が何の旗かわからない。鉄の舟もおいてある。女の子が橋を架けるところではないか、と問いかけると、ジョバンニは、これは工兵隊の旗で、架橋演習をしているのだと気づく。

 少し下流の方で発破が仕掛けられ、烈しい音とともに天の川の水がはねあがり、大きな鮭や鱒が空中に抛り出され、輪を描いてまた水に落ちる。「空の工兵大隊だ。」とジョバンニは昂奮する。「僕こんなに愉快な旅はしたことない。いいねぇ。」とジョバンニの機嫌はすっかり直り、女の子と水の中の魚についてことばを交わしたりする。

 この後しばらく架橋演習のシーンが続くのかと思いきや、ジョバンニと女の子の会話に追いかぶさるように、男の子が「あれきっと双子のお星さまのお宮だよ。」と叫んで、場面が急転換する。「双子のお星さま」の話とは、ポウセとチュンセという双子の星が傷ついた蝎を助けて難儀したり、箒星に騙されて海の底に落とされたりするが、最後は「王様」が救いの手をさしのべてくれるというあらすじで、賢治の処女作ともいうべき童話である。なぜ、この話が、唐突に、しかも男の子の要領を得ない説明とともに持ちだされるのか、わからない。

 さらに、男の子が「ぼく知ってらあ。ぼくおはなししよう。」というのに、この後「双子の星」の話は展開せず、有名な蝎の話が語られるのである。「星とつるはしの旄」から空の工兵大隊、架橋演習の場面から「双子の星」の話への急転換、さらに尻切れトンボにうちきられた「双子の星」から、燃え続ける蝎の話、木に竹をついだようなエピソードの羅列は何を意味するのだろう。  

 ところで、細かいことだが、賢治は「星のかたちとつるはしを書いた」と「工兵の」と「はた」の文字を使い分けている。おそらく意図的だろう。「旄」は見慣れない文字で、「漢字の音符」というサイトによると、「ヤクの毛をまるめて丸くした飾りを五つほど連続して旗竿の上からつるしたもの。皇帝の使節に任命したしるしとして与えられた」とある。のちに舞踊あるいは軍隊を指揮する際にも使われたようだが、なんとなく「旗」よりも生々しい表情を帯びている。

 そもそも「星のかたちとつるはしを書いた旄」が「空の工兵大隊」の旗として登場するのは何故か。「星のかたちとつるはし」からただちに連想されるのはソビエト連邦の旗だろう。一九二三年七月に制定されてから、いくたびか変更はあっても、ソビエト連邦の国旗に共通しているのは「槌と鎌と五芒星」である。「星のかたちとつるはしを書いた旄」にはじまる一連のエピソードは初稿から最終稿まで一貫して存在しているが、この時代に共産主義国家を連想させるものは危険だったのではないか。にもかかわらず、賢治はこの部分をどうしても残したかった。

 「星とつるはしを書いた旄」が掲げられ、架橋演習が行われている。投げ出された鮭や鱒を見て、ジョバンニは欣喜雀躍する。このくだりについて、賢治は好戦的であるとする評者もいるようだが、そんなに短絡的に断定してよいものだろうか。

 以前「桔梗いろの空にあがる狼煙と鳥の大群_ジョバンニの孤独感」でも書いたように、賢治は、体に横木を貫かれた兵隊の姿を画いて不気味で無残な表紙絵にしている。その名もずばり『飢餓陣営』では、餓死寸前の兵士をユーモアのオブラートでくるみこんで登場させる。『北守将軍と三人の兄弟医者』も、北守将軍は反英雄の英雄で、よく練られた反戦小説である。モデル(というより反モデル)は賢治の時代からそんなに離れていない時代の人かもしれない。賢治の戦争に対する意識は単純ではない。

 ソビエト連邦を連想させる「星とつるはしを書いた旄」「空の工兵大隊」が行う「架橋演習」は何かの隠喩だろうか。「抛り出された大きな鮭や鱒」や遠くからは見えない小さな魚も同様だろうか。隠喩だとしたら、あまりにも危険である。「旄」という漢字を使い、祝祭をイメージさせながら、隠喩されたものがあからさまになることが危険すぎるので、唐突に男の子の「双子の星」の話を挿入して流れを中断したのではないか。全能で慈悲深い王様が、冒険して苦境におちいった双子の星を救ってくれるという予定調和のストーリーも危険な暗喩のめくらましになる、と賢治が考えたのかもしれない。あくまで推測の域をでないのだが。

 男の子の「ぼく知ってらあ。ぼくおはなししやう。」ということばの後は空白になり、段落が切り替わる。この後、有名な燃える蝎の話になるのだが、長くなるので、また回を改めたい。蝎の話は、賢治の多くの作品がそうであるように、「自己犠牲」というテーマで語られることが多い。私は、「自己犠牲」ということばに回収されてしまってはならない複雑微妙な要素がここに含まれていると思う。

 新大陸アメリカのコロラド高原からユーラシア大陸へ自在に、海峡を越えて汽車は走ったのだろうか。蝎の話まで含めてひとつながりの投稿にするべきかとも考えたのですが、ひとまずこれで区切りたいと思います。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2024年9月12日木曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』___新世界交響楽とインディアン

  桔梗いろの空を鳥の大群がわたり、どこからかのろしが上がる。カムパネルラと女の子がことばを交わすかたわらで、ジョバンニはかなしくなって泪にくれている。

 「そのとき汽車は川からはなれて崖の上を通るやうになりました。」と書かれて、なぜ「それから」でなく「そのとき」なのか微かな違和感をおぼえるのだが、これ以降汽車は渓谷を登っていく。黒いいろの崖の上には、野原の地平線のはてまで、ほとんどいちめん美しく立派なとうもろこしが実っている。「あれたうもろこしだねぇ。」とカムパネルラがジョバンニに話しかけるが、ジョバンニの気分は変わらない。

 それからまた「そのとき汽車はだんだんしづかになって」小さな停車場にとまる。停車場の時計の振子が規則正しく音を刻む合間に、遠くの野原のはてから「新世界交響楽」のかすかな旋律が流れてくる。汽車の中は誰もがやさしい夢を見ているが、ジョバンニはひとり沈んでいる。

 「すきとほった硝子のやうな笛が鳴って」汽車が動き出し、後ろのほうでとしよりらしい人が話している。この辺はひどい高原で、川までは二尺から六尺もある渓谷なのでとうもろこしの種は二尺も穴をあけておいてそこにまくという。それを聞いたジョバンニは、ここはコロラドの高原ではなかったかと思う。カムパネルラはさびしそうにひとり星めぐりの口笛を吹き、女の子は「絹で包んだ苹果のやうな顔色をして」ジョバンニと同じ方向を見ている。

 突然とうもろこしがなくなり「巨きな黒い野原」がひらけ、新世界交響楽がいよいよはっきり地平線のはてから涌く。そのまっ黒な野原のなかを一人のインディアンが走ってくる。インディアンは「白い鳥の羽根を頭につけたくさんの石を腕と胸にかざり小さな弓に矢を番へて」いる。やさしい夢を見ていた青年が眼をさまし、「インディアンですよ。ごらんなさい。」とよびかけ、ジョバンニとカムパネルラも立ち上がる。

 インディアンは半分は踊っているように見えたが、急に立ちどまって、弓を空にひくと、一羽の鶴が落ちてきて、また走り出したインディアンのひろげた両手に落ちこむ。インディアンはうれしそうに立ってわらうが、その影もどんどん小さくなって、またとうもろこしの林になってしまう。

 天の野原を走っていた銀河鉄道がいつの間にか新大陸アメリカのコロラド渓谷を登っている。コロラドの高原にとうもろこしが植わっている。とうもろこし畑を行くと小さな停車場があって、新世界交響楽がかすかに聞こえてくる。停車場を過ぎると、突然とうもろこしがなくなって、黒い野原がひらけ、新世界交響楽がはっきりと聞こえるようになる。そしてインディアンが登場する。新世界交響楽とインディアンの登場がもたらす意味は何か。

 ドヴォルザークが一八九三年アメリカ滞在中に作曲した新世界交響楽は日本でも親しまれたようだが、賢治は第二楽章の主題に詩をつけて、一九二四年夏には「種山ヶ原」として歌っていたといわれている。

 「春はまだきの朱雲を
  アルペン農の汗に燃し
  縄と菩提皮にうちよそひ
  風とひかりにちかひせり
    四月は風のかぐわしく
    雲かげ原を超えくれば
    雪融けの草をわたる

  繞る八谷に霹靂の
  いしぶみしげきおのづから
  種山ヶ原に燃ゆる火の
  なかばは雲に鎖さるる
    四月は風のかぐわしく
    雲かげ原を超えくれば
    雪融けの草をわたる」

 第二楽章の主旋律には、野上彰、堀内敬三がそれぞれ「家路」「遠き山に日は落ちて」という歌詞をつけていて、その親しみやすいメロディとあいまって、日本人の感性に訴える名曲としての評価がさだまっている。だが、そのいずれも一九三〇年代以降のことなので、日本で最も早く歌詞をつけて歌っていたのは賢治だろう。注目すべきは、時期的に賢治の歌詞が早いということだけでなく、むしろ、賢治のそれが、アメリカで一九二二年ドヴォルザークの弟子だったウィリアム・アームズ・フィッシャーのつけた「Goin' Home」の歌詞と共通のベースをもつと思われることである。

 フィッシャーの歌詞は「Goin' Home」というタイトルからうかがわれるように黒人奴隷の労働の歌である。

 Goin' home,goin' home,
  I'm a goin' home,
  Quiet-like ,some still day,
  I'm  jes goin' home
  It's not far, jes closs by,
  THrough an open door,
  Work all done ,care laid by,
  Gwine(or:Goin') to fear no more.

  Mother's there 'spectin' me,
  Father's waitin' too,
  Lots  o' folk gather'd there,
  All the frend I knew,
  All the frends I knew,
  Home I'm goin' home!
            以下略。

 フィッシャーの詞は、過酷な労働からの解放を歌い、次に同胞の待つ故郷への帰還を歌う。故郷への帰還はまた天国への導きとなっていく。余談だが、私は黒人霊歌を聴くのは好きではない。ほとんど絶望的な状況のなかで渇望する救済が、彼らを支配する白人の宗教であるキリストによるものであるというパラドックスが何ともやりきれないのだ。フィッシャーは白人なので、きれいにまとめた詞をつけているが、それでも黒人たちが置かれた状況の過酷さが浮かび上がってくる。

 これに対して賢治の「種山ヶ原」の詞は、颯爽と「アルペン農」の労働を歌い上げる。「アルペン農」とは、高原で牛や馬を放牧させることだそうで、自立した農業労働のひとつの理想をそこに見ていたのかもしれない。あくまで理想だったが。

 だが、新世界交響楽とともに、突然ひらけた巨大な黒い野原の中に現れたのは、いうまでもなくアルペン農でもなければ黒人奴隷でもなかった。鳥の羽根と石で身を飾った一人のインディアンが汽車の後を追って走ってきたのだった。

 『銀河鉄道の夜』は解けない謎に満ちているが、私にとって最も大きな謎は、このインディアンが鶴を射ることである。コロラド高原にインディアンが現れるのは不思議ではなく、もともとはコロラド高原に限らず、アメリカ大陸に先住していたのは彼らだったのはいうまでもない。一面に植え付けられた美しいとうもろこしはインディアンの命を養ってきた作物だった。

 コロラドでは、新世界交響楽が作られる三十年前に「サンドクリークの虐殺」と呼ばれる有名な事件が起きている。映画「ソルジャーブルー」はこの事件を提示することで、ベトナムでおきたソンミ村の虐殺を告発したともいわれている。男たちがバッファロー狩に出かけて不在のときに、軍の騎兵隊がインディアンのキャンプを襲い、無抵抗の女、子供を無差別に、口にするもおぞましいやり方で殺したのである。

 だが、賢治がこの事件を知っていたとは思われないし、仮に知っていたとしても、新世界交響楽とともにコロラド高原にインディアンが登場することとどのような関係があるのかわからない。 

 新世界交響楽とインディアンとのかかわりといえば、第二楽章と第三楽章は、アメリカの詩人ロングフェローの「ハイアワサの歌」というインディアンの英雄譚から着想を得て、これをオペラ化しようとしたスケッチがもとになっているといわれている。第二楽章は、「森の葬礼」と題して、ハイアワサの妻ミンネハハの死を悼んだレクレイムだそうである。たしかに第二楽章の旋律は、颯爽とした労働歌よりも悲傷の情がしみとおるようなレクレイムの方がふさわしいように思われる。だがこれも、インディアンが鶴を射止めてわらうことと直接結びつけて考えることは難しい。

 そして、何の根拠もなく思うのだけれど、インディアンが弓を射て鶴を射止め、落ちて来た鶴を両手でうけとめるという行為が、青年のいう「猟をするか踊るか」どちらにしても、ここには濃密なエロスの交換があるのではないか。

 これもまた余談だが、私の住む町は東京からそんなに離れていない小都市で、わずかに残った田んぼと急速に増えた耕作放棄地の間にけっこう新しい家が建ったりしている。越してきて十年余りだが、この町で私は初めて鶴という鳥をま近に見た。建物のすぐ傍らの小川だったり、その上を車が通る橋の下の川だったり、刈り入れの終わった田んぼだったり、鶴はいつも一羽で、そんなに警戒心もないようだった。だが、もちろん、近づくと飛び上がって逃げる。体が大きいからだろうが、ゆったりと、優雅に、泳ぐように空をかけるのだ。

 時空の次元を越境して、銀河鉄道はアメリカ大陸を走る。コロラド渓谷を下り川が下に見えるようになると、ジョバンニの気持ちはだんだん明るくなってくる。なぜか、小さな小屋の前にしょんぼり立っている子供を見つけてほうと叫んだりする。

 ジョバンニが、というより賢治がアメリカ大陸で見たものは、故郷を追われて絶滅寸前のインディアンだった。美しいとうもろこし畑を見ても気持ちの晴れなかったジョバンニの心は、鶴を抱いたインディアンの姿を後にして、徐々にほぐれていく。ジョバンニの心理の機微をこのように描く賢治の意図はわからないが、賢治はここに生きることへの希望あるいは可能性を見出したのは事実だろう。そして、それは次の「星とつるはしの旄」へとつながっていく。

 書いては削除し、また書いては削除の悪戦苦闘の日々でした。最後まで論旨を整理することが出来ず、何か言い足りないような、それでいて余計なことを言っているような、歯切れの悪い一文です。ほんとうは賢治と農業についても考えたいのですが、それはまた別の機会にしたいと思います。最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年8月21日水曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』__桔梗いろの空にあがる狼煙と鳥の大群___ジョバンニの疎外感

 銀河鉄道は讃美歌の合唱とともに橄欖の森を通り過ぎていく。やがて青い森が「緑いろの貝ボタン」のように見えるようになり、その上で孔雀のはねが青じろく光を反射させている。橄欖の森=オリーブ山の上に立つ孔雀が何を象徴するのか、そのことについても考えなければいけないのだが、ひとまず、それは措いて、孔雀の声を話題にして、カムパネルラと女の子(ここでは「かほる子」と呼ばれる)が会話するのを聞いているジョバンニの疎外感に注目したい。

 「孔雀の声だってさっき聞こえた。」とカムパネルラが言うと、女の子は、孔雀は三十疋ぐらい居て、ハーブのように聞こえたのは孔雀の声だと答える。「ハーブのやうに聞こえた」孔雀の声とは、青年をぞくっとさせた「何とも云へずきれいな音色」であり、それを奏でる「あやしい楽器の音」のことだろうが、孔雀の声はそんなにきれいな音色だろうか。孔雀は雉科の鳥で鳴き声は決して美しいとは言えないと思うのだが。

 それはともかく、女の子とカムパネルラが親しくことばを交わす傍らで、ジョバンニは急にかなしくなる。カムパネルラを誘って、ここで降りようとしたくらいだった。ジョバンニはなぜ「俄かにかなしくなり」「こはい顔をして」カムパネルラと女の子を離そうとしたのだろうか。たんなる嫉妬だろうか。

 この後、川が二つにわかれる。「そのまっくらな島」と書かれるのは川の中州のことだろうか、中州のまん中に高いやぐらが組まれ、その上に「寛(ゆる)い服を着て赤い帽子をかぶった男」が立っている。男は赤と青の旗を交互に振りあげ、「美しい美しい桔梗いろのがらんとした空の下」をせわしく鳴きながら通っていく何万という小さな鳥に「いまこそわたれ、わたり鳥。」と叫んでいる。

 「まっくらな島」の「寛い服と赤い帽子」の男は何者だろう。銀河鉄道はどこを走っているのか。男が「俄かに赤い旗をあげて狂気のやうにふりうごか」すと、鳥の群れは通らなくなり、同時にぴしゃぁんという潰れたような音が川下の方でおこった、とあるのはどんな事態なのか。女の子の「あの人鳥へ教へてるんでせうか。」という問いにカムパネルラは「わたり鳥へ信号してるんです。きっとどこからかのろしがあがるためでせう。」と答えている。のろし?どこで誰があげるのだろう。

 桔梗いろの空にのろしがあがる光景は、先に難破船から乗り込んできた青年が灯台看守とことばを交わした後にも描写されている。

 「ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光の川の岸を進みました。向ふの方の窓を見ると、野原はまるで幻燈のやうでした。百も千もの大小さまざまの三角標、その大きなもの上には赤い点点をうった測量旗も見え、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のやう、そこからかまたはもっと向ふからかときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のやうなものが、かはるがはるきれいな桔梗いろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとほった綺麗な風は、ばらの匂いでいっぱいでした。」

 ほんとうに「幻燈のやう」に美しく夢幻的な光景だが、この場面ですでに「狼煙」がうちあげられている。ところでこの「のろし_狼煙」のくだりは、第一次稿と第二次稿でカムパネルラは「わたり鳥へ信号してるんです。射手のとこから鉄砲があがるためでせう。」と説明している。総じて、第一次稿から最終稿への推敲の過程で、直接的具体的な叙述は控えられ、より抽象的、というよりあえて言えば曖昧な叙述にかわっていったように思われる。「すきとほった綺麗なばらの匂いでいっぱい」な風がそよぐ空にうちあげられる「狼煙(先の箇所では漢字で「狼煙」と表記されている)」が意味するものは何だろう。

 鳥の群れが止まったと同時の「ぴしゃぁんという潰れたやうな音」と「のろし_狼煙」、ここは戦場だろうか。『「銀河鉄道の夜」の謎を解く』という著書のなかで、著者の三浦幸司氏は、この場面を陸軍の渡河演習の様子であると解釈しておられる。「寛い服」は満州人の着る「旗袍」で「ぴしゃぁんという潰れた音」は砲撃の着弾音であり、最終弾落下とともに「進め!」と号令をかけるそうである。だとすると、「せわしくせわしく鳴いて通って行く鳥」は戦場に駆り出された兵隊たちだろう。旗振り役が「旗袍」というの「は満州人に化けた日本兵」という二重の意味をもっていた、とされているが、そこまで特定しうるのだろうか。

 「寛い服」を着た男が何者かわからないのだが、「せわしくせわしく鳴いて通って行く鳥」は、兵隊ではなく戦場を逃げまどう人々かもしれない。だとすれば、「寛い服を着て赤い帽子をかぶった男」は避難民を誘導する存在となる。いずれにしろ、この場面はこれまでの静謐な宗教的雰囲気とは異質な空間である。

 なお、三浦氏は「賢治は軍隊が大好きな人で、「月夜のでんしんばしら」や「虔十公園林」にそれが表れていますし、反戦的といわれる「飢餓陣営」でもバナナン大将が兵士たちの実情(飢え)を理解することで大円団となっています。とくに『銀河鉄道の夜』では、軍事演習を見てジョバンニもカムパネルラも大喜びしていることに留意すべきでしょう。」と書かれているが、これはあまりに単純な見方ではないか。まずは、賢治自身が画いた「月夜のでんしんばしら」の表紙絵をみてほしい。兵隊帽をかぶった男の体に横木が三本つらぬかれている。何とも無残でグロテスクである。

 「わたり鳥へ信号してるんです。きっとどこからかのろしがあがるんでせう。」とカムパネルラが答えると、車の中はしづまりかえる。ジョバンニは口笛を吹きながら涙にくれている。

 「(どうして僕はこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこゝろもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずぅっと向ふにまるでけむりのやうな小さな青い火が見える。あれはほんたうにしづかでつめたい。ぼくはあれをよく見てこゝろもちをしづめるんだ。)ジョバンニは熱って痛いあたまを両手で押さへるやうにしてそっちの方を見ました。」

 ジョバンニ自身も不可解なまでのかなしみの感情はどこから湧き上がるのだろう。また、その感情を鎮めるためにみつめる「しづかでつめたい」「けむりのやうな小さな青い火」とは何か。自然科学の世界では「青い火」は赤く燃える火よりさらに高温だが、「しづかでつめたい」のはこの世の炎ではないのだろうか。

 「あゝほんたうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだらうか。」というジョバンニの希求は満たされることなく、銀河鉄道の旅は続き、この後、汽車はしばらく川から離れてコロラドの高原を行くのである。

 ほんとうはコロラド渓谷とインディアン、それから星とつるはしの旗のことを書きたかったのですが、その前の鳥の大群と「寛い服」の男で立ち止まってしまいました。例によって立ち止まって謎を深めているだけなのですが、とりあえず備忘録として書き留めてみました。最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2024年7月22日月曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』__橄欖の森のあやしい音いろ

  燈台看守が配った苹果はジョバンニとカムパネルラのポケットにしまわれ、汽車は青い橄欖の森にさしかかる。

 「川下の向ふ岸に青く茂った大きな林が見え、その枝には熟してまっ赤に光る赤い円い実がいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標がたって、森の中からはオーケストラベルやジロフォンにまじって何とも云へずきれいな音いろが、とけるやうに浸みるやうに風につれて流れてくるのでした。」

 橄欖の森は、白鳥の停車場から南十字星まで、銀河鉄道の旅のほぼ真ん中に当たる部分に位置する。『銀河鉄道の夜』はどの部分をとっても難解だが、とくに橄欖の森の場面はいつまでも解決のつかない謎にみちている。「橄欖の森」が何の寓意であるかは、私にとっては明らかで、橄欖=オリーブであることから、「オリーブ山」とほぼ同定している。旧訳の聖書ではオリーブ山を橄欖山と訳している。

 もっとも、「オリーブ」を「橄欖」と訳したのは中国語聖書の誤訳であるといわれているので、これもじつは橄欖の森をオリーブ山と同定することにゆらぎがまったくないわけはないのだが。

 問題は、「青く茂った大きな林が見え、その枝には熟してまっ赤に光る赤い円い実がいっぱい」と書かれる「まっ赤に光る赤い円い実」が何を意味するのか、「その林のまん中」の高い高い三角標」はたぶん十字架のことだろうが、それでほんとうにいいのか、そしてまた、「オーケストラベルやジロフォンにまじって」流れてくる「何とも云へずきれいな音いろ」とは何か、皆目見当がつかないのだ。

 橄欖もオリーブもその実が「まっ赤に光る赤い円い実」をつけることはないので、この部分が何を指しているのかわからない。何かの比喩なのか、あるいは、実際は青や紫の実を「赤」と書いているのか。余談だが、賢治は色彩の表現、とくに「赤」にはこだわりがあるようである。この作品でも、ふくろうや蠍の眼を「赤」と書いているが、どちらの眼も実際には赤くない。

 続いて、

 「青年はぞくっとしてからだをふるふやうにしました。
 だまってその譜を聞いてゐると、そこらいちめん黄いろやうすい緑の明るい野原か敷物かがひろがり、またまっ白な蠟のやうな露が太陽の面を捺めて行くやうに思われました。」

と書かれているのも不審である。まず第一に、「青年はぞくっとして」という叙述は青年の心理を内側から描写したもので、三人称の話法ではルール違反ではないか。一方「だまってその譜を聞いてゐると...」という文章は、主語がない。おそらく「ジョバンニが」という主語を示す部分が省かれていて、主語がなくても日本語は成り立つので、些細な事にとらわれる必要はないのかもしれないが。

 だが、何よりも、「何とも云へずきれいな音いろ」で「そこらいちめん黄いろやうすい緑の明るい野原か敷物がひろがり、またまっ白な蠟のやうな露が太陽の面を捺めて行くやう」な光景を浮かびあがらせるような「譜」が青年を「ぞくっと」させるのはなぜか、いったいその「譜」は何だろう、という疑問の解決の糸口さえわからないのである。そもそも、青年の「ぞくっとした」と表現される心理の内容がわからない。たんなる「怯え」ではないだろう。

 初稿では、橄欖の森を「琴(ライラ)の宿」と呼び、橄欖の森を過ぎた後イルカ_イルカ座が登場する。琴座とイルカ座は、そのどちらもオルフェウス、アリオンという琴の名手を主人公とする神話を持つ星座であることから、「何とも云へずきれいな音いろ」は竪琴を鳴らす音だと思われる。だが、第二次稿以降はその部分はどちらも削除されてしまっているので、これもまた断定はできないのだが。

 このあと、少し唐突な感を覚えるのだが、天の川の河原にたくさんのかささぎが列をなしてとまっている描写が挿入される。かささぎといえば、

 かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける 大伴家持

が有名である。七夕に織女と牽牛の逢瀬のために天の川を填めて橋をなしたという伝承が想起されるが、そのことと青年をぞくっとさせる「あやしい音いろ」は関係があるのだろうか。

 「あやしい音いろ」が竪琴を鳴らす音であると仮定すると、前述したように、琴の名手オルフェウスの伝説に行きつく。オルフェウスは、毒蛇にかまれて死んだ妻エウリュディケーを取り戻しに冥界に入り、いったんは取り戻すことをゆるされたが、はやまって失敗する。妻を失ったオルフェウスは、女性との愛を断ち、オルフェウス教を広めるが、ディオニューソスの信者の女たちに八つ裂きにして殺される。ばらばらになったオルフェウスの首と竪琴は歌を歌いながら、投げ込まれた川をくだって海に出、レスボス島に流れ着いたといわれている。

 不思議なのは、オルフェウスの伝説もかささぎの七夕伝承も、どちらも恋愛の話なのである。なぜ、この時点で恋愛がテーマになるのか。橄欖山=オリーブ山であるとすれば、聞こえてくるのは、マタイ受難曲のたぐいのものではないだろうか。もしかしたら、オーケストラやジロフォンの奏でる曲はそれかもしれない。「あやしい音いろ」はそれにまじって、だがかき消されることなく聞こえてきたのだった。

 この後、汽車が橄欖の森を正面に見る位置に来たとき、汽車の中で起こった合唱はまぎれもなく讃美歌だった。第二次稿では詳しく歌詞を紹介しているが、有名な「主よみもとにちかづかん」である。

 「主よみもとにちかづかん
 のぼるみちは十字架に
 ありともなどかなしむべき
 主よみもとにちかづかん」

なぜか歌詞は第三次稿以降省かれ、讃美歌の番号も不明のままにされているが、汽車のうしろの方からこの讃美歌が聞こえてくる。ジョバンニもカムパネルラも一緒にうたいだしたが、かほる子と呼ばれる女の子はハンケチを顔にあててしまい、「青年はさっと顔いろが青ざめ、立っていっぺんそっちへ行きそうにしましたが思ひかへしてまた座りました。」と書かれる。青年は讃美歌を歌ったのだろうか。

 またしても謎は謎のままで、かえって深まるばかりです。この後、遠くになって緑いろの貝ボタンのように小さく見える橄欖の森の上に登場する孔雀についても書きたいのですが、もう少し時間がかかりそうです。

 ここまで書いてきて、橄欖の森=オリーブ山と同定するならば、もう少し深くオリーブ山について考えなければいけないことに気がつきました。たんに、イエスが十字架にかけられる直前に祈ったゲッセマネがそのふもとにあり、復活のイエスが昇天したのがその頂であるというだけで、橄欖の森_オリーブ山がこの作品の肝ともいうべき部分に登場するのではないように思います。そのことを書くかどうか、迷っています。『銀河鉄道の夜』論、あるいは宮沢賢治論を根底から検討し直すことにつながるかもしれず、軽々に文章にできないのが現状です。

 いま、私が立てている仮説が正しいならば、「まっ赤に光る赤い円い実」と「高い高い三角標」の意味するところも分かるような気がするのですが、むしろ、その仮説が間違っていてほしいような矛盾した思いがあります。

 混乱を極めた文章を、最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2024年7月2日火曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』__燈台看守が配る苹果

  プリオシン海岸の発掘現場を後にして、再び汽車に乗ったジョバンニの隣に不思議な人物が座る。天の川に帰って死ぬ間際の鳥を捕まえて「からだに恰度合ふほどに稼いでゐる」鳥捕りである。鳥捕りについては以前「ケンタウロス_生の軛」というサブタイトルの投稿で触れたので、ここでは詳しく語らないが、ジョバンニがその人を見て「なにか大へんさびしいやうなかなしいやうな気がし」たこと、その人が、ジョバンニが車掌にわたした紙切れを横目で見て「ほんたうの天上へさへ行ける」「どこでも勝手に歩ける通行券」とほめだしたこと、そしてジョバンニはその鳥捕りが気の毒になって「ジョバンニの持ってゐるものでも食べるものでもなんでもやってしまひたい、もうこのひとのほんたうの幸いになるならじぶんがあの光る天の川の河原に立って百年つゞけて鳥をとってやってもいゝといふやうな気がし」たことを覚えておきたい。

 とくに、ジョバンニ自身も不可解な「いちめん黒い唐草のやうな模様の中に、をかしな十ばかりの字を印刷した」紙切れを解読したのが鳥捕りだったこと、さらに、鳥捕りが、これがあれば「こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこでも行ける筈」とまで断言していることは忘れてはならない。ジョバンニの持っていた紙切れは、独断と偏見で推測すれば、何かの護身符の役割をするものだったと思う。そしてそれは、後に登場する孔雀と関連するのではないかと考えている。

 鳥捕りが姿を消すのと入れ替わりに、苹果と野茨の匂いがして、「つやつやした黒い髪の六つばかりの男の子」と「黒い服をきちんと着たせいの高い青年」、「十二ばかりの眼の茶色な可愛らしい女の子」が登場する。氷山にぶつかって沈没したタイタニック号を思わせる客船に乗っていて、船とともに沈没した三人連れらしい。黒服のせいの高い青年は二人の子どもたちの家庭教師で、一足先に帰国した父親のあとに子どもたちを連れて本国に帰るための航海だった。

 船が沈んでいくなかで、青年は葛藤する。子どもを含む他の客をおしのけて、二人の子どもたちを救命ボートに乗せて救うか、それとも、このままみんなで神の前に行くほうが子どもたちの本当の幸福なのか。「神に背く罪」は自分ひとりで引き受けて、子どもたちはぜひとも助けてあげよう、と思いながらどうしてもそれができず、船はどんどん沈んでいく。青年は覚悟して子どもたちを抱いて沈む船と運命をともにしたのだった。

 ちょっと不思議なのは、青年の話を聞いたジョバンニの反応である。青年の話のあと、汽車の中では「小さないのりの声が聞えジョバンニもカムパネルラもいままで忘れてゐたいろいろのことをぼんやり思い出して眼が熱くなりました。」とあるが、ジョバンニはどんなことを思い出したのだろう。

 (あゝ、その大きな海はパシフィックといふのではなかったらうか。その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍りつく潮水や、烈しい寒さとたたかって、だれかが一生けんめいはたらいてゐる。ぼくはそのひとにほんたうに気の毒でそしてすまないやうな気がする。ぼくはそのひとのさいわひのためにいったいどうしたらいゝのだらう。)

 ジョバンニの関心の中心は、自分の行動の当為を問う青年の葛藤や、生死を分けた乗客の運命ではなかった。北の海の厳しい自然とたたかいながら労働する人たちを思って、その人たちのために何ができるかを自分に問うている。そして、何もできないでいることで自責の念にかられている。

 青年の話をひきとったのは、燈台守だった。燈台守は「尖った帽子をかぶり、大きな鍵を腰に下げ」、ジョバンニとカムパネルラの向こうの席に座っていた。燈台守は青年をなぐさめて言う。

 「なにがしあわせかわからないです。ほんたうにどんなつらいことでもそれがたゞしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんたうの幸福に近づく一あしづつですから」

 汽車はきらびやかな燐光の川岸を進み、対岸の野原は「まるで幻燈のやう」と書かれているが不思議な光景である。「百も千もの大小さまざまの三角標」が野原のはてに集まってぼおっと青白い霧のやう」で、どこからか狼煙のようなものが桔梗色のそらにうちあげられる。風はばらの匂いでみちている。

 それから、燈台看守は、ひともりの金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を配る。

 少し違和感を覚えるのは、これ以降「燈台守」が「燈台看守」と書かれることである。なぜ「看」という文字を入れたのか。「看守」とは、牢獄の番人である。「大きな鍵を腰に下げ」ているのは囚人を管理するためだろう。「燈台看守」という呼称は当時一般的だったのだろうか。船の航行を見守るのに「大きな鍵」はいらないと思うのだが。

 苹果を最初に受け取ったのは青年で、次にカムパネルラが「ありがとう」といったので、気がすすまなかったジョバンニも青年から送られた苹果を受け取る。この苹果が、というより、苹果について語る燈台看守のことばがまた不思議なのだ。

 こんな立派な苹果はどこでできるのか、という青年の問いに燈台看守はこの辺ではひとりでにいいものができるので苦労がない、と答える。不可解なのは、その後の燈台看守のことばである。

 「けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら農業はもうありません。苹果だってお菓子だってかすが少しもありませんからみんなそのひとそのひとによってちがったわづかのいゝかおりになって毛あなからちらけてしまふのです。」

 農業がない即ち人間が耕して作物をつくることがない、ということと、食べ物にかすが生じないということがどうして結びつくのか。さらに、苹果やお菓子が「そのひとそのひとによってちがったわづかのいゝかをりになって毛あなからちらけてしまふ」とはどういうことなのか。ここでいう「苹果やお菓子」は『注文の多い料理店』の序にある「あなたのすきとおったほんたうのたべもの」にあたるのだろうか。なんとなく観念的にはわかるような気がするが、わかる、と安易に言ってはいけないように思う。「毛あなからちらけてしまう」という表現が妙に生々しい。

 注目すべきは、燈台看守がくれた苹果を、青年たち一行は食べ、ジョバンニとカムパネルラの「二人はりんごを大切にポケットにしまいました。」と書かれていることである。ジョバンニが苹果を受け取りたくなかったのは、燈台看守に「坊ちゃん」と呼ばれたのが面白くなかったからとされている。だが、第二次稿では、青年たち一行(第二次稿では五人)が五つの苹果をきらきらのナイフでむいているのを見たジョバンニが、心の中で「僕はあゝいふ苹果を百でももってゐるとおもひました。」と書かれているのだ。「あゝいふ苹果」とはどういうりんごか。

 燈台看守から声がかかったとき、こだわりなく受け取ったカムパネルラも苹果を食べなかった。苹果を食べるという行為の意味するものは何だろう。それから、これもまた些細なことにこだわるようだが、「苹果」と「りんご」の表記のちがいに何かの意味があるのだろうか。男の子が夢のなかで「立派な戸棚や本のあるとこ(それは普通の家庭の居間だろうか)に居たおっかさん」に「りんごをひろってきてあげましょうか」というときも「りんご」と記されているのだが。

 燈台看守の配る苹果の意味を考えるとき、誰でも思い浮かべるのは旧約聖書の創世記第三章だろう。蛇が女にすすめてエデンの園の中央にある禁断の「善悪を知る木」の実を食べさせ、夫にも与える。このことが神に知れて、女と男はエデンの園を追放され、神は「善悪を知る木」と同じく園の中央にある「命の木」を守るためにケルビムと回る炎の剣を置いた、と書かれている。

 さて、「金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果」は「善悪を知る木」の実だろうか。また、「燈台看守」はケルビムだろうか。「燈台」は航海する船の安全を守るためでなく、「善悪を知る木」に近づく者を発見するための光を照らしているのだろうか。「回る炎の剣」あるいはそのメタファーは、この後『銀河鉄道の夜』に登場するだろうか。

 そしてまた、「燈台看守」は蛇だろうか。「善悪を知る木」の実を青年たち一行に与え、同時に「命の木」に近づく者を発見して、遠ざけるという両義的な役割をもつ存在が「燈台看守」だろうか。

 このように、「燈台看守」と苹果のモチーフを考えるとき、創世記第三章には重要なヒントが隠されていると思うのだが、創世記第三章後半にはこう書かれている。

 17.更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、
    地はあなたのためにのろわれ、
    あなたは一生、苦しんで地から食物をとる。
 18.地はあなたのために、いばらとあざみを生じ、
    あなたは野の草を食べるであろう。......

 23.そこで神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。

 旧約聖書の世界では、農業は神が人間に定めた苦役だったのである。燈台看守が「あなたがたのいらっしゃる方なら農業はもうありません。」といったのは、青年たち一行は苦役から解放され、エデンの園に戻ることができることを示唆したのだろうか。苹果が「善悪を知る木」の実であるとすれば、ここには大きな矛盾があると思うのだが。

 あるいは、青年たちが向かうのは、「苹果だってお菓子だってかすが少しもありませんからみんなそのひとそのひとによってちがったわづかのいゝかおりになって毛あなからちらけてしまふのです。」という不思議な言葉の具現する世界であって、エデンの園とは違う場所なのだろうか。

 『銀河鉄道の夜』のなかでは、不思議な人物が不思議な言葉を発する。プリオシン海岸の発掘現場の学者然り、苹果を配る燈台看守然り。おろかな私は、それらの言葉を自分の経験の範疇で理解することができない。混乱の中で思考が堂々巡りして、解決の糸口が見つからないのだが、燈台看守と苹果のモチーフについては、創世記第三章を手掛かりに模索してみた。

 この後汽車は対岸に青い橄欖の森が見える場所にさしかかる。森の方からきれいな音楽が流れ、汽車の中では、ジョバンニやカムパネルラも一緒になって、讃美歌が合唱される。この青い橄欖の森と、その上で羽を光らせる孔雀については、また次回考えてみたい。どこまで考察できるか、はなはだ心もとないのだが。

 苹果と野茨の匂いとともに汽車に乗り込んできた青年と子どもたちは、あきらかにキリスト教のエートスを身にまとっているが、しかし賢治の視線は単純ではない。「ハレルヤ」を「ハルレヤ」と表記したり、橄欖の森を正面に見る汽車の中で合唱される讃美歌(第二次稿では、「主よみもとにちかづかん...」と特定されるが)が特定されない、など微妙に曖昧なのである。

 たんに『銀河鉄道の夜』の疑問点を書き出しただけになってしまいました。未整理で未熟な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2024年6月10日月曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』__「牛」というモチーフ__届かない牛乳とカムパネルラの死

 ジョバンニとカムパネルラを乗せた銀河鉄道の汽車は、白い十字架を通り過ぎた後、白鳥の停車場に「十一時かっきりに」着く。停車場の時計に二十分停車」と書いてあって、乗客はみな降りてしまう。二人も飛ぶようにして降りて、天の川の河原に来ると、「プリオシン海岸」という標識が立った白い岩が川に沿って平らに出ている。そこは「ボス」と呼ばれる「大きな大きな青白い獣の骨」の発掘現場だった。発掘を指導していた学者は、ここは百二十万年前は海岸だった、といい、カムパネルラが途中でひろった大きなくるみも百二十万年前のものだという。

 不思議なのは、蹄の二つある足跡のついた岩やくるみを「標本にするんですか。」という問いにこたえた学者のことばである。

  「いや、証明するに要るんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらゐ前にできたといふ証拠もいろいろあがるけど、ぼくらとちがったやつからみでもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかといふことなのだ。」

 『銀河鉄道の夜』は謎に満ちているが、この言葉は私にとって最大の謎である。「厚い立派な地層」の年代が「百二十万年」前かどうかを証明するのではなく、「厚い立派な地層」が「風か水や空」に見えないことの証明が必要なのである。

 私たちは、少なくとも同じ時点では、同じものを同じように見ているのではないか。「プリシオン海岸」という標識が立った白い岩という実体が、「風か水や空」に見える可能性はあるのだろうか。そもそも「風」は見えるのか。

 プリオシン海岸のエピソードは賢治の実体験にもとづくもので、『銀河鉄道の夜』に後から挿入されたといわれている。たしかに、ここは、作品全体をつらぬく倫理的、求道的な息苦しさから解放される部分であり、他のエピソードと異質なものがある。しかしそれは、この後に展開される「ほんたうの幸い(それはほんたうの正しさ」といってよいと思うが)とどのような関係があるのだろうか。

 結論からいえば、プリシオン海岸のエピソードは、キリスト教を基調とする全体の展開に後から付加されたものではなく、むしろ、当初から賢治のなかに「牛」というモチーフが存在していたのではないか。モチーフの形成には、賢治自身が北上川河畔で、農学校の生徒たちと一緒に偶蹄類の化石の発掘に参加した実体験も大いに影響を与えていたと思われるが、それだけではない。キリスト教、とくに原始キリスト教と牛の関係は看過できないものがある。

 以前のブログでもふれたが、原始キリスト教と「聖牛」を仲立ちにして複雑な関係にあるのがミトラ教である。ミトラ教については、その信者の多くが下層階級の庶民や軍人、あるいは海賊であったため、資料とされるものに乏しく、実態がよくわからない。秘密に祭儀を行う「密議宗教」であったといわれているが、牡牛を屠る太陽神ミトラの像が有名である。ミトラが牡牛を殺し、信者はその血を浴びることによって、歓喜し陶酔状態になる。牡牛を屠る英雄神ミトラがメシア信仰とむすびつき、ミトラがメシア_キリストと同一視されるようになったという説がある。

 そもそもミトラ教の起源、歴史は確実な考証がされているとは言い難い状況なのだが、原始キリスト教がミトラ信仰を取り込んで、融合というか習合していったのは確かだと思われる。。その過程で、殺された牡牛ではなく、殺したミトラ神が救世主キリストとして崇められるようになった。牡牛の「血の贖い」を支点にして、ここには非常に狡猾な顛倒がある。

 『銀河鉄道の夜』冒頭の「午後の授業」で、まず、先生は、天の川を「巨きな乳の流れ」にたとえ、その星を「乳のなかにまるで細かにうかんでゐる油脂の球」に当たると言っている。牛の乳が望遠鏡でしか見ることのできない天の川にたとえられ、そのなかの星は逆に顕微鏡でしか見えない乳脂にたとえられている。『銀河鉄道の夜』の構造自体が「巨きな乳の流れ」であり、「大きな大きな青白い獣」のモチーフに包摂されているとは言えないだろうか。ジョバンニが母親のために「届かない牛乳」を取りに行くというプロットが偶然に用意されているものでないことはいうまでもない。

 ジョバンニは、「白い布を被って寝んで」いる母親のために、牛乳をもらいに牧場の「黒い門」を入り、うすくらい台所に出てきた「赤い眼」の女のひとに「いま誰もゐないでわかりません。」と拒まれる。だが、銀河鉄道の旅の夢からさめて、ふたたび「ほの白い牧場の柵」をまわって牛舎の前に来ると、今度は「白い太いズボン」をはいた人が出て来て、まだ熱い乳の瓶を渡してくれる。この変化をもたらせたものが、銀河鉄道の旅であり、ジョバンニの経験だが、では、具体的にジョバンニに何が起こったのか。

 ジョバンニに起こった最も深刻なできごとは、これもまた、いうまでもなくカムパネルラの消失である。それは夢のなかだけでなく、(たぶん)現実であった。カムパネルラの死が、ジョバンニに届かなかった牛乳を「まだ熱い瓶」に入れて届けてくれた、とすれば、その死は何を意味するのだろう。カムパネルラはなぜ死ななければならなかったのか。カムパネルラの死を、たんにひとこと「犠牲」ということばですませてしまえるだろうか。そもそも「犠牲」という言葉のなかに牛が二匹いるのだが、カムパネルラの死と「まだ熱い乳の瓶」は、何かもっと生々しい経路でつながれているような気がする。

 『銀河鉄道の夜』の初稿から最終稿とされる第四稿まで、どれだけの年月が流れたのかわかりませんが、その生涯の最期まで決定稿を完成させられなかったというところに、賢治の苦闘の跡を見る思いがします。だからこそ、『銀河鉄道の夜』は汲みつくせぬ魅力と読者をひきつけてやまない磁場をもっているのでしょう。非力な私は、ほんの少々のキリスト教の素養しかなく、賢治の信仰していたという法華経はじめ仏教についてまるで何もわからないので、いつまでも堂々巡りの思考の罠からぬけだせないような気がします。前回、「橄欖の森」と「灯台看守」そして「孔雀」について書く、といいながら、「白鳥の停車場」であまりにもながく停まってしまったように思うので、ここでいったん「牛」というモチーフから離れて、次回は「灯台看守」の役割を中心に考えてみたいと思います。

 今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2024年6月2日日曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』___十字架と苹果の旅__白い十字架

 『銀河鉄道の夜』に限らず宮沢賢治の作品を読んで、「自己犠牲」をテーマに論じる読者が多い。以前私自身も「ケンタウルス、牛殺し_生の軛」というタイトルでこの作品について書いたとき、カムパネルラの死を「自己犠牲でなく犠牲」として論じた。烏瓜でつくった灯籠を川にながし、「星祭り」という美しいことばでよばれる「ケンタウル村」の祭りに秘められた本質の象徴が「犠牲」である、と仮説をたててみたのだが、それでよかったのかどうか、ジョバンニとカムパネルラの旅を振り返って、もう一度考えてみたい。

 銀色のすすきと青や橙やさまざまな色にちりばめられた三角標の光がちらちら揺れ動くなか、銀河鉄道の小さな汽車が走る。線路のへりに咲いた紫のりんどうの花が次から次へと過ぎ去っていく。ところでこの「三角標」がどういうものなのか、じつは私はよくわからない。銀河鉄道の旅のいたるところに登場するが、どのような標識なのだろうか。

 旅の始まりに、カムパネルラの「母のゆるし」と「ほんたうの幸い」の葛藤を告白されたジョバンニが「「ああ、さうだ。ぼくのおっかさんは、あの遠いちりのやうに見える橙いろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考へてゐるんだった。」と心の中で思っているので、三角標は現実世界の何かに対応するのだろう。

 そして、旅の出発点の前と終着点の後に登場する「天気輪の柱」はもっとわからない。こちらは天上の世界とつながるものを意味すると思われるが、三角標よりイメージをむすぶことが困難である。

 りんどうの花と三角標の列に迎えられて始まった二人の旅が最初に出会ったのは「ぼぅっと青白く後光の射した一つの島」とその平らないただきに立った「立派な目もさめるやうな白い十字架」だった。カムパネルラが「母のゆるし」と「ほんたうの幸い」の葛藤から「ほんたうの決心」を告白すると、俄かに、車のなかがぱっと白く明るくなる。「金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたやうな」きらびやかな銀河のまん中に小島があって、そこに十字架が見える。「それはもう凍った北極の雲で鋳たといったらいゝか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しづかに永久に立ってゐるのでした。」と書かれている。きらびやかにして清浄無垢、荘厳な世界の出現である。

 「ハルレヤ、ハルレヤ。」の声が起こり、乗客はみな十字架に向けて祈る。ジョバンニとカムパネルラも思わず立ちあがる。「カムパネルラの頬は、まるで熟した苹果のあかしのやうにうつくしくかゞやいて見えました。」

 白い十字架と赤い苹果、「ハルレヤ(ハレルヤでないことに注意)」の声と祈り、絵にかいたようなキリスト教の光景である。銀河鉄道の旅の基調にあるものが、キリスト教の世界であることは多くの人が指摘するもので、私も異論はないが、あえて、ひとこと言えば、この場面で描かれる「キリスト教」の世界は、あまりにも完璧に予定調和のそれである。「キリスト教」の象徴として「十字架」は、こんなに清浄無垢で荘厳、もっと言えば無機的に輝く存在だろうか。

 イエスの十字架は、この上なくむごたらしく血にまみれた実在の杭である。そのことを十分理解していたと思われる賢治は、なぜ十字架をこのように描いたのか。

 おそらく、賢治がこの十字架(白鳥座の北十字星のことであると言われる)を荘厳無垢に描いたのは、ここを、誰も足を踏み入れることなく、ひたすらな祈りがささげられる対象として措定したからではないか。旅人たちは「しづかに永久に立ってゐる」十字架に祈る。だが、汽車は止まることなく、乗客はみな車内で祈りをささげ、白鳥の島が「絵のやうになって」ついにすっかり見えなくなってしまうと、旅人たちは「しづかに席に戻り」、ジョバンニとカムパネルラも、「胸いっぱいのかなしみに似た新しい気持ちを、何気なくちがった詞で、そっと談し合ったのです。」

 白鳥座の十字架から、南十字星の十字架まで、銀河鉄道は走る。じつは十字架、というか十字架を暗喩するものは旅の途中でもあらわれ、それは非常に重要な問題を提起しているものだが、それについては、また回をあらためて考えてみたい。私見では、物語の後半に登場する「橄欖の森」がそれであると考える。また、苹果、とくに「燈台看守」が配る「金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果」についても考察を試みたい。どちらも、容易に作者の肉声を聞くことが拒まれているような気がして、難問である。カムパネルラの死と、タイタニック号の乗客の死、そして、蠍の死、これらと、十字架、苹果の両義的で複雑な関係を解きほぐす糸口だけでもみつかればいいと思っている。

 ここまで書いてきて、誤解のないように、あえて、いわずもがなのことを言っておきたい。私はこの作品をキリスト教のプロパガンダとして読むつもりはまったくない。他の宗教も同様である。それは、決して賢治の本意ではなかったと考える。根源的でありながら複雑で矛盾に満ちた生の本質に迫り、その過程での実践を模索するために、賢治は書き続けたのだと思っている。

 相変わらずまとまらなくてたどたどしい文章です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2024年5月23日木曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』__カムパネルラという存在とその消失の意味するもの__「母」のゆるしと「ほんたうの幸い」

  『銀河鉄道の夜』について、以前「ケンタウルスー牛殺しー生の軛」というタイトルで投稿した。そこで繰り広げたテーマは核心の一部をついていた、という自負はないではないが、この複雑で重層的な作品のより重要な部分を取り残してと感じるもどかしさがあって、それが何か、言葉につむぎだせにままに無為に五年の時が流れてしまった。

 五年の間に断続的に、初稿から最終稿まで増補、削除の大胆な編集を経てきたものを順不同で読んできた。そのいずれの稿にも共通しているのは、「カムパネルラ」の存在であり、その突然の消失である。主人公ジョバンニは気がついたら銀河鉄道に乗っていて、そこにはすでにカムパネルラがいた。そして、カムパネルラが消えると、ジョバンニは銀河の夢からさめて、もとの草の上で胸を熱らせ、つめたい涙をながしていたのだった。「カンパネルラ」とは何か。

 カムパネルラのモデルについてはさまざまなことがいわれているが、重要なのはモデル探しではなく、「カムパネルラ」」という存在が作品の中で、とくにジョバンニとのかかわりにおいて、どのように描かれているかを検討していくことだろう。

 カムパネルラは作品冒頭「午後の授業」の章の登場する。銀河について先生に指名され、立往生しているジョバンニを慮って、カムパネルラはわかっている答えを答えなかった。裕福な家庭に育ったカンパネルラは、父親の書斎から「巨きな本」をもってきて、「ぎんが」の美しい写真をジョバンニに見せてくれたのだから、答えられないはずはない。その時一緒に写真を見たジョバンニだって銀河を知らないわけではなかったのに、このごろのジョバンニは学校の前後にする労働がつらくて、授業中ぼぉっとしている。ジョバンニは病気の母親の面倒をみながら、不在の父親に代わって働かなければならないのである。

 ジョバンニは活版所で活字拾いをして一日銀貨一枚をもらうのだが、現場でひそかな冷笑の対象となっている。それだけでなく、学校の仲間からもからわれ、いじめられている。カムパネルラはそんなジョバンニを気の毒そうに見ているが、積極的にかばってくれるわけではない。カンパネルラとジョバンニは父親同士が友達だったようで、ジョバンニは父親が一緒にいたときは、父親に連れられてたびたびカンパネルラの家に寄った、とある。ジョバンニとカムパネルラは、そこでレールを七つ組み合わせて円くした線路の上をアルコールで走る汽車で遊んだこともあったのだが。

 「ケンタウル祭」とよばれる「銀河のお祭り」の日、ジョバンニは病気の母親が飲む牛乳が届かなかったので、牛乳屋にとりにいく。空気は澄みきって町は美しく飾られ、子供たちは楽しそうに遊んでいるが、途中で会ったいじめっこのザネリに、「ジョバンニ、お父さんから、らっこの上着が来るよ。」と嘲笑されたジョバンニの心は沈んでいる。そして、牛乳屋にいくと、「赤い目の下をこすりながら」あらわれたどこか具合が悪いような年取った女の人に、いまは誰もいないので、後にしてくれと言われてしまう。

 牛乳屋の台所から出たジョバンニは町で再びザネリに合う。ザネリはまたさっきと同じように「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。」と叫び、今度は一緒にいた同級生の子たちも続いて叫ぶ。そのなかにカムパネルラもいたのだった。カムパネルラはだまって、ジョバンニを気づかっているようだったが、みんなと一緒に口笛をふきながら、橋の方へ歩いて行ってしまう。「なんとも云へずさびしくなって」ジョバンニはいきなり走り出し、町を離れて「黒い丘の方へ」向かう。

 以上の経緯は「午後の授業」の教室での出来事を除いて、第三次稿と第四次稿に共通しているが、第三次稿により詳しい。ジョバンニの父親が密漁船に乗っていて、誰かを怪我させて監獄に入っているという噂があること。そのためにジョバンニはいじめっこのザネリにからかわれ、同級生から疎外されていること。母親は生活のために無理な労働をして体をこわしてしまったこと。母親の面倒をみながら働くジョバンニの労働のつらさ。それらが具体的に生き生きと描かれているが、第四次稿とくらべて、より多く精緻に記述されているのが、カンパネルラへの思いである。

 牛乳屋で「今日はもう牛乳はない」と断られたジョバンニの悲しみは

(今日、銀貨が一枚さへあったら、どこからでもコンデンスミルクを買って帰るんだけれど。ああ、ぼくはどんなにお金がほしいだろう。青い苹果だってもうできてゐるんだ。カムパネルラなんか、ほんたうにいいなあ。銀貨を二枚も運動場で弾いたりしてゐた。
 ぼくはどうしてカムパネルラのように生まれなかったらう。カムパネルラなら、ステッドラーの色鉛筆でも何でも買へる。それにほんたうにカムパネルラはえらい。せいだって高いし、いつでも笑ってゐる。一年生のころは、あんまりできなかったけれども、いまはもう一番で級長で、誰だって負ひつきやしない。...)

と、カムパネルラへの羨望にかわっていく。そのカムパネルラまでが、ザネリたちと一緒に口笛を吹いて遠ざかっていってしまう。それを見たジョバンニはいきなり走りだして、町を離れ、黒い丘に登っていく。丘の上のつめたい草に寝て、ジョバンニは天の川を見ながら考える。

 (ぼくはもう、遠くへ行ってしまひたい。みんなからはなれて、どこまでもどこまでも行ってしまひたい。それでも、もしカムパネルラが、ぼくといっしょに来てくれたら、そして二人で、野原やさまざまの家をスケッチしながら、どこまでもどこまでも行くのなら、どんなにいいだらう。...ぼくはもう、カムパネルラがほんたうにぼくの友だちになって、決してうそをつかないなら、ぼくは命でもやっていい。...)

 だが、第三次稿で縷々と綴られるジョバンニのカムパネルラへの切ない思いは、最終稿ではばっさりと切り捨てられ、カムパネルラその人の姿が現実的に描かれる。最終稿に登場するカムパネルラはいつも「気の毒さうに」しているが、ジョバンニをかばってくれるわけではない。カムパネルラは「だまって少しわらって」いじめられているジョバンニが自分のことを「怒らないだらうかと」見ているだけだった、とある。何もしないことでいじめに加担しているカムパネルラの姿を等身大に描写しているのだ。

 そのカムパネルラが銀河鉄道に乗っている。ジョバンニより先に乗っていたらしく、ぬれたようにまっ黒な上着をきて、窓から頭を出して外を見ていた。カムパネルラは「銀河ステーション」でもらった黒曜石でできた地図と切符も持っているので、正式な乗客である。銀河鉄道の「小さなきれいな汽車」に乗って、ジョバンニとカムパネルラの旅は始まる。現実に存在していたジョバンニとカムパネルラの距離は一気に縮まって、カムパネルラはジョバンニの唯一の確実な同行者になったのだ。

 カムパネルラがジョバンニにまず訴えたのは「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだらうか。」ということだった。カムパネルラは、母がほんとうに幸いになるためなら何でもするが、いったいどんなことがほんとうの幸いなのか、わからない、という。そして、誰でも、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸いなのだ、と。「ほんたうの幸い」と、物語の終盤で議論される「たったひとりのほんたうのほんたうの神さま」を探して、銀河鉄道は走るのだが、その出発点は「母のゆるし」である。

 「おっかさんが、ほんたうに幸いになるなら、どんなことでもする。」と「泣き出したいのを、一生けん命こらへてゐる」のが、現実に病気の母を支えているジョバンニでなく「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの。」といわれるカムパネルラであることに注目しなければならない。

 「母」と「ゆるし」と「ほんたうの幸い」を探すためにカムパネルラはジョバンニの同行者となった。だが、「ほんたうの幸い」とは何か、という問いは物語の中空につるされたまま、カムパネルラは「みんなが集まっているきれいな野原」「ほんたうの天上」にいる「おっかさん」に吸い込まれていく。はたしてカムパネルラは「ゆるされた」のか。それとも、「ゆるし」か否かの次元をこえた無限の磁場が「天上」の「おっかさん」には存在するのか。

 カムパネルラについては、旅の出発点と終着点に触っただけなので、まだ書かなければならないことが少なからずあるが、長くなるので、また回を改めたい。とくに、最後に登場して、「黒い服を着てまっすぐに立って右手に持った時計をじっと見つめて」「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」とその死を宣告する「父」の存在とその意味も考えなければならない。そこまで辿りつけるかどうか、かなり心もとないのだが。

 書かなければ何も考えなかったことと同じになるので、なんとか文章にしています。今日も不出来な作文を読んでくださってありがとうございます。

 

2023年12月14日木曜日

宮沢賢治『北守将軍と三人兄弟の医者』__凱旋将軍の最期

  賢治の童話中数少ない完成された作品で、一九三一年雑誌「児童文学」に発表されたものである。この作品の初稿とみられる『三人兄弟の医者と北守将軍』という童話も活字化されていて、こちらはおそらく一九二〇年までに書かれたものだといわれている。岩波文庫版でわずか十頁の短編が、推敲を重ねられ完成まで十年を要したということが興味深い。七五調の韻文で軽快に語られる物語は、起承転結むだをそぎ落としてなおかつ余韻を残す珠玉の掌編となっている。

 それだけに、どこから切り込んでいけるのか、とっかかりがつかめないのだ。あまりに完璧に作品化されて賢治の肉声を漏れ聞くことが容易でない、といったほうがいいかもしれない。

 「むかしラユーという首都に、兄弟三人の医者がいた」と始まるこの童話の舞台はおそらく中国あるいはより広くユーラシア大陸のどこかであり、時代も現代ではないようである。作中晩唐の詩人張蠙の詩「過蕭關」にヒントを得たと推測されるエピソードが語られているので、千年ほど昔の時代設定かもしれない。

 時も所も茫洋とした彼方の「ラユーという首都」を「九万人」という「雲霞の軍勢」がとり囲む。町中ざわめき緊張が走るが、この軍勢は実は「三十年という黄いろなむかし」に「この門をくぐって威張って行った」「十万の軍勢」が一割減って戻って来たものだった。しかし、なんとも異様な軍団だった。兵隊たちは「みな灰いろでぼさぼさして、なんだかけむりのよう」で、彼らをひきいるのが「するどい目をして、ひげが二いろまっ白な背中のまがった大将北守将軍ソンバーユ」である。

 ソンバーユと兵隊たちは塞外の砂漠で三十年間いくさをしていたのである。だが、彼らは敵とたたかって勝って凱旋したのではない。兵隊たちは歌う

 「みそかの晩とついたちは
  砂漠に黒い月が立つ
  西と南の風の夜は
  月は冬でもまっ赤だよ
  雁が高みを飛ぶときは
  敵が遠くへ逃げるのだ
  追おうと馬にまたがれば
  にわかに雪がどしゃぶりだ」

 「雪の降る日はひるまでも
  そらはいちめんまっくらで
  わずかに雁の行くみちが
  ぼんやり白くみえるのだ
  砂がこごえて飛んできて
  枯れたよもぎをひっこぬく
  抜けたよもぎは次々と
  都の方へ飛んでいく」

 荒涼として陰惨なのは砂漠の実景であると同時に兵士たちの心象であろう。ソン将軍と兵隊たちは、北の砂漠の厳しい自然とたたかい続けるうちに、たまたま敵が全員脚気で死んだので、故郷に戻ることができたのだ。敵は今年の夏の異常な湿気でダメージを受け、さらにこちらを追いかけて砂を走りすぎて脚気になったのだとソン将軍は歌う。敵も味方も過酷な自然とたたかいながら、追いつ追われつ砂漠をさすらった三十年だった。

 そしてソン将軍は「凱旋」したのである。九万の兵隊たちをひき連れて。十万の兵士はたった一割しか減らなかった。まさに奇跡の生還で、ソン将軍は真の英雄である。

 「三十年の間には たとえいくさに行かなくたって 一割ぐらいは死ぬんじゃないか」

 平和なはずの日本の今はもっとたくさん死んでいるような気がするが、それはともかく、ラユーの町は歓喜でわきたった。王宮に知らせが行って、迎えの使者がやってくる。ところがここで大変なことが起きる。一礼して馬から降りようとしたソン将軍の両足が馬の鞍につき、鞍は馬の背中にくっついて、ソン将軍はどうしても馬から降りることができない。

作者は将軍のこの状態を 

「ああこれこそじつに将軍が、三十年も、国境の乾いた砂漠のなかで、重いつとめを肩に負い、一度も馬をおりないために、馬とひとつになったのだ。」

と説明するが、そんな特殊な状況は「鮒よりひどい近眼」の迎いの大臣にわかるはずがない。馬から降りずにあわてて手をばたばたさせる将軍を見て、謀反を起こそうとしていると判断してひきあげてしまう。

 茫然自失の将軍は、しばらくすると気を取り直し、軍師に向かって、鎧兜を脱いで将軍の刀と弓をもって王宮に行き、事情を説明するよう指示する。そのうえで自分は医者に行くと言う。もはや自力では 馬から降りることは不可能だと悟ったのだ。ソン将軍は馬に鞭うち、馬は最後の力をふりしぼって駆け、名医リンパー先生の病院に入る。

 騎乗のまま病院に入り込んだソン将軍は、性急に診察を受けようとするが、相手にされない。怒ったソン将軍が鞭を上げると馬は跳ね、周りの病人たちは泣きだしてしまう。それでもリンパー先生は一顧だにしないが、先生の右手から黄の綾を着た娘が出てきて、花びんの花を一枝とって馬に食べさせる。ぱくっとかんだ馬は、大きな息をしたかと思うと足を折ってぐうぐう眠ってしまう。

 馬が死んでしまうと思ったソン将軍は、なんとか生き返らせようと塩の袋をとりだすが、やっぱり馬はねむっている。三十年間生死をともにした馬だけはどうかみてほしい、と哀願する将軍に、はじめてリンパー先生は振り向いて、馬は、ソン将軍をみるためにすわらせたので、まもなくなおると言う。

 リンパー先生の見立てでは、ソン将軍は「今でもまだ少し、砂漠のためにつかれている」のである。ソン将軍のいうことには、十万近い軍勢が、きつねにだまされ、「夜にたくさん火をともしたり、昼間砂漠の上に、大きな海をこしらえて、城や何かも出したりする」。また「砂こつ」という鳥が、馬のしっぽを抜いたり、目をねらったり、襲撃を試みる。「砂こつ」を見ると、馬は恐怖でふるえてあるけなくなってしまうというのだ。

 こうした砂漠の生活で、ソン将軍は数の把握をくるわせ、実際よりも一割少ない数を認識してしまっている。そこでリンパー先生は、二種類の薬を使って、まずソン将軍の兜をはずし、次に頭を洗うと将軍の「熊より白い」白髪が輝いて、頭はすっきり正常になる。リンパー先生のいうには「つまり頭の目がふさがって、一割いけなかった」のである。

 頭を正常にすることで、ソン将軍は武装解除された。だが、まだ馬から降りることはできなかった。「ずぼんが鞍につき、鞍がまた馬についたのをはなすというのは別」で、次は馬の武装解除をしなければならない。それは、リンパー先生の弟のリンプー先生の治療になる。

 となりのけしの畑をふみつけてリンプー先生の建物に入って行ったソン将軍は、リンプー先生に馬の年齢を聞かれて「四捨五入してやっぱり三十九」だという。九歳から三十年間ソン将軍と一体で砂漠を駆けていた白馬に、リンプー先生が「赤い小さな餅」を食べさせると、馬はがたがたふるえながら、体中から汗とけむりを吹き出した。けむりが消えて、滝の汗がながれだすと、リンプー先生が両手を馬の鞍にあててゆさぶる。たちまち鞍は馬から外れ、将軍の体もすっかりはなれる。最後にリンプー先生が、ほうきのようなしっぽを持って引っぱると、尾の形をした塊が床に落ち、馬はかろやかに、毛だけになったしっぽをふっている。そしてぎちぎち膝を鳴らすこともなく、しずかに歩きだす。馬も軍務から解放されて、本来の馬にもどったのだ。

 最後はリンポー先生が、将軍と兵隊たちの「顔や手や、まるで一面に生えた灰いろをしたふしぎなもの」の始末をした。この「灰いろをしたふしぎなもの」については、王敏という学者が『宮沢賢治、中国に翔る想い』という著書の中で卓見を述べておられる。

 「支那を戦場に想定した『北守将軍と三人の兄弟医者』にある「灰いろ」は怨霊を潜ませた死の色であり、生存者の十字架であろう」

 灰いろが「死の色であり、生存者の十字架」であるとはまさにその通りだが、きわめて抽象度の高い表現である。私見では「灰いろをしたふしぎなもの」とは、脚気で死んだという敵兵の昇華され得ない魂が、砂漠の中で唯一生気のあるところに住みついたものではないか。だとすると、三人の兄弟医者の中でもっとも簡略にかたられているポー先生の役割は、もしかしたら、もっとも重要なものだったのかもしれない。

 ポー先生が「黄いろな粉」を将軍の顔から肩にふりかけて、うちわであおぐと、将軍の顔じゅうの毛がまっ赤にかわり、「ふしぎなもの」はみんなふわふわ飛び出して、将軍の顔はつるつるになった。このときはじめて将軍は三十年ぶりににっこりする。「からだもかるくなったでのう。」ソン将軍はうれしくなって、はやてのように飛び出して、兵隊たちの待つ広場へむかう。その後、ポー先生の弟子が六人、兵隊たちの毛をとるために薬とうちわを持って将軍のあとを追う。

 広場で合流したソン将軍と九万の兵隊たちは、王宮へ粛々と行進する。馬をおりたソン将軍が壇上で叩頭すると、王はねぎらいのことばをかけ、さらに忠勤をはげんでくれという。だが、将軍は、自分はもはやその任に堪えないので、暇をもらって郷里に帰りたい、といって自分の代わりに四人の大将と三人の兄弟医者の名をあげる。さっそく王に許された将軍は、その場で鎧兜をぬいで、薄い麻の服を着る。

 将軍は、それから故郷の村のス山のふもとへ帰って、粟をまいたり間引いたりしていたが、だんだんものを食べなくなり、それから水も飲まなくなった。ときどき空を見上げてしゃっくりみたいな形をしていたが、そのうち姿を消してしまう。みんなは将軍さまは仙人になった、とまつりあげるが、国守になったリンパー先生は否定する。「肺と胃の腑は同じでない。」つまりは自死したことを示唆したのである。

 淡々と、軽妙にリズミカルな韻文形式で最後までかたりきって破綻のないこの作品を読了して、どうしてもここから「何か」をつかみだせなかった。前述の王敏氏は、漢文学に非常に造詣の深い方で、『宮沢賢治、中国に翔る想い』の中で、この作品に影響を与えた、もしくは読解のヒントとなる漢詩を随所に引用されている。大変参考にさせていただいたが、それでもなお、「何か」に逃げられているような気がして、ながいこと文章が書けなかった。

 いまも同じ思いなのだが、あえてことばにしてみると、これはあまりにも美しいお伽話である。前回とりあげた『飢餓陣営』が「コミックオペレット」と表記して、戦場のリアルな悲惨を戯曲化したのにたいして、『北守将軍と三人の兄弟医者』は、現実にはありえない出来事を神話化した。敵が全員自滅したので、九割の兵力を保存して帰還する。しかも、「北の砂漠」という過酷な自然環境に三十年さらされながらの攻防である。これを奇跡と呼ばずにいられようか。

 だが、私の関心はこの奇跡そのものにあるのではない。奇跡を成し遂げた英雄ソンバーユの最期である。故郷の「ス山」のふもとに帰って、自死した将軍のモデルはだれか。中国の歴史は絶え間ない異民族の侵入とのたたかいだったから、遠く辺境の地に赴いて、二度と故郷の土を踏むことができない人は数えきれないほど存在した。だが、生きて帰還して、そのあと自死したソン将軍のような軍人はいただろうか。しかも、みずから食を断つ、という自裁の方法で。飢餓による緩慢な死は、一気に命を絶つ自刃や縊死よりもむしろ残酷でつらい方法だろう。霞を食べる仙人の美しいお伽話のかたり口で、じつは無残な死を凱旋将軍に選ばせた作者の意図はどこにあったのか。

 最後にまたもや蛇足をひとつ。なぜソンバーユは「北」守将軍なのか。南でも東でも西でもなく。王敏氏の論のように作品の舞台が中国大陸であるならば塞外の辺境は多く「西」域である。だが、『風の又三郎』のラストに顕著なように、賢治の関心はつねに「北」の地にあるようだ。

 凱旋将軍のモデルは意外と賢治と同時代に近い人物だったのかもしれない。

 前回の投稿からこれほどの月日が経ってしまったのは、ひとえに私の怠惰によるものです。容易に隙を見せない賢治の完璧主義が生半可なアプローチを寄せつけなかった、というのは私の言い訳にもならない泣きごとです。日清戦争の二年後に生まれ、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、とほぼ十年ごとの戦争を経験し、辛亥革命、ロシア革命と二度の革命(という名の戦争)を目の当たりに見た賢治の時代意識はどんなものだったのか。作品を読むことによって知るしかすべはないのでしょうけれど。

 とりとめもない雑文を読んでくださって、ありがとうございました。

 

2023年7月30日日曜日

宮澤賢治『飢餓陣営』__国家の超克とキリスト教への接近__オペレッタで語る極限状況

  宮澤賢治『飢餓陣営』について、いつまでも考えている。

 「コミック オペレット」と注がついた一幕物の戯曲である。主人公の名をとって「バナナン大将」という題名のものが一九二二年六月に作られ、翌一九二三年五月、花巻農学校が県立となった開校式の日に上演された。賢治は当時この農学校の教師であり、記念としてこの劇と、もうひとつやはり自作の『植物医師』という劇を、みずから演出し生徒を俳優にして上演している。県立高校として出発する開校式の舞台で演じられたこの二つの劇はかなり不穏な要素がおりこまれているが、観客はどのように鑑賞したのだろうか。

 『植物医師』のあらすじは、上官を殴って退職した元役人が、枯れた陸稲をもって次々相談に来る農民たちに生半可な知識で亜ヒ酸を売りつけ、亜ヒ酸で陸稲を全滅させてしまうのだが、なぜか農民たちは元役人を許してしまう。「一年旱魃の事もあるから」、と全滅の陸稲をあきらめるのである。「植物医師」をかたる「爾薩待正」という不思議な名前の元役人の軽薄な詐欺師ぶりと、「医者さんもあんまりがおれないで、折角みっしりやったらよがべ」と「植物医師」をゆるしてはげます農民の不気味な諦念が印象的である。「郷土喜劇」と名付けたこの戯曲の農民のセリフは徹底して方言が用いられている。

 戯曲『飢餓陣営』は、餓死寸前の兵士たちが大将が身につけた勲章を食べてしまうという奇想天外な話である。

 舞台は「砲弾にて破損せる古き穀倉の内部、からくも全滅を免れしバナナン軍団、マルトン原の臨時幕営」と設定される。ここに、舞台の左右から曹長、特務曹長を先頭に兵士が六人ずつ登場し、それぞれに大将の不在と自分たちの飢餓を訴え、退場する。一時半、二時、四時、四時半と時が刻まれ、そのつど兵士たちは舞台に現れて空腹を訴え、退場する。状況は変わらず、七時半、八時と夜になって、兵士たちの疲労と衰弱は甚だしいものがある。かろうじて立っていられる兵士たちは

 「いくさで死ぬならあきらめもするが
  いまごろ餓えて死にたくはない
  ああただひときれこの世のなごりに
  バナナかなにかを 食いたいな。」

と合唱して、その後全員倒れてしまう。銅鑼が鳴る。

 そしてバナナン大将が登場する。「バナナのエポレットを飾り、菓子の勲章を胸に満たせり。」といういでたちである。幕営に兵士たちを残して、どこへ行っていたかわからないが、「いったいすこうし飲み過ぎたのだし
 馬肉もあんまり食いすぎた」
と、自分だけたらふく飲み食いしてきたようである。あげく、「つかれたつかれたすっかりつかれた」と言って、真っ暗な中で倒れている兵士たちを「灯をつけろ、間抜けめ。」と罵り、かろうじて立ちあがった彼らをみて「どれもみんなまるで泥人形だ。」と何の同情もない。

 悲惨な状況設定であり、不思議でもある。敗色濃厚な戦場で糧食もなく餓死寸前で「泥人形のよう」になってしまった部下を残して、大将が幕営を後にして出かけたのは何故だろう。食料を調達するために周辺を探したのか。残された曹長と特務曹長は
「大将ひとりでどこかの並み木の
 りんごをたたいているかもしれない
 大将いまごろどこかのはたけで
 にんじんがりがり、かんでるぞ。」
と想像しているのだが、そもそも大将は菓子でできた勲章で身を飾っているのだから、すくなくとも自分は食料を調達する必要はないはずである。

 ともかく、バナナン大将は、自分だけどこかでゲップするまで飲み食いしてきて、眠りこけてしまう。これが「コミック オペレット」と銘打たれた劇の出だしである。敗残の兵士たちの切実な飢餓と対照的な大将の満腹感がリアルに描かれている。だが、同時に大将の勲章が菓子でできている、というあり得ない設定があって、観客はその不条理をかかえたまま劇の進行についてゆくしかない。

 兵士たちは、眠り込んだ大将の勲章を食べたいという欲求を抑えられない。曹長は「大将の勲章を食べるいうわけにはいかないか」と特務曹長に問い、特務曹長は「軍人が名誉ある勲章を食ってしまうという前例はない。」し、「食ったら軍法会議」で「銃殺にきまっている。」と答える。「軍法会議」だの「銃殺」だの、リアルな恐怖をあたえることばだが、そもそも「軍人が名誉ある勲章を食ってしまうという」「前例」がないのではなく、「勲章を食ってしまう」ことが「不可能」なのである。このあたりから、役者が深刻な状況を真面目に演じると、それがそのまま、現実の感覚とちぐはぐでおかしいのだ。

 「不可能」だから「前例はない」のだが、ともかく「銃殺」ということばを聞いて、兵士一同はまた倒れてしまう。そこで、曹長が意を決して、自分一人が責任を被って銃殺されるから、将軍の勲章とエポレットを盗み、一同で食べようと申し出る。すると、特務曹長も自分もいっしょにやって、十の生命の代わりに二人の命を投げ出そうと言い、兵士たちに号令をかけて集合させる。そして勲章やエポレットを「盗む」のはよくないから「もっと正々堂々とやらなくちゃいけない。」と言うのだが、これもなんだかおかしい。「正々堂々と」大将を騙すのだから。

 特務曹長は勲章を拝見といって、バナナン大将に勲章十個とエポレット二個を外させ、自分を含めた兵士一同で食べてしまう。身につけた勲章が全部食べられてしまうまでバナナン大将が気がつかないのは不自然なようだが、舞台上でどんな演出がなされたのだろうか。

 バナナン大将が身に着けていた勲章とその由来は次の通りである。
1・獅子奮迅章。バナナン大将はロンテンブナール勲章ともいっている。インド戦争で受領。ザラメ入り。
2・ファンテプラーク章。シナのニコチン戦役でもらう。
3・チベット戦争でもらった勲章。チベット馬のしるしがついている。
4・普仏戦争の勲章。ナポレオン・ボナパルトの首のしるしつき。六十銭で買ったもの。
5・アメリカの勲章。ニュウヨウクのメリケン粉株式会社から贈られたもの。
6・シナの大将と豚五匹でとりかえたもの。ハムサンドウィッチ(そのもの?)
7・むすこからとりかえした勲章(?)立派なものらしい。
8・モナコ王国でばくちの番をしたときもらった勲章。
9・手製の勲章。
10・アフガニスタンでマラソン競争をして獲得したもの。

 以上、ユーラシア大陸から太平洋をはさんでアメリカまで、バナナン大将は世界中の戦場を渡り歩いて収集したようである。戦闘行為に参加して手にしたものではない勲章も含まれているところがおかしいが、そうやって獲得した勲章はすべて特務曹長の手から兵士たちの胃袋におさまってしまう。さらに

11・イタリアごろつき組合から贈られたジゴマと書かれた勲章は曹長が嚥下し
12・ベルギ戦役、マイナス十五里進行の際、スレジンゲトンの街道で拾った勲章。少し馬の糞がついているもの、とあるのは特務曹長みずから嚥下する。

 最後に、特務曹長はバナナン大将が両肩につけたバナナのエポレットも外させ、十二人の兵士全員で食べてしまう。勲章も肩章もすべて食べられて、はじめてバナナン大将は自分が無一物になったことに気がついて動揺する。一方兵士たちは飢餓から回復すると、罪の意識に苛まれる。兵士たちは「将軍と国家に」おわびの方法がないのでみんなで死のう、という。それにたいして、曹長と特務曹長は、勲章を食べることを発案した自分たちが悪いので、二人が責任を取って死ぬが、他の兵士たちは将軍の指示に従うように言って、号令をかける。

 そして、特務曹長がピストルを出し、
 「飢餓陣営のたそがれの中
 犯せる罪はいと深し
 ああ夜のそらの青き火もて
 われらが罪をきよめたまえ。」
と祈ると、曹長も
 「マルトン原のかなしみのなか
 ひかりはつちにうずもれぬ
 ああみめぐみのあめをくだし
 われらがつみをゆるしたまえ。」
祈り、さらに兵士一同合唱で
 「ああみめぐみの雨をくだし
 われらがつみをゆるしたまえ。」
と祈るのである。

 この祈りの詞は文字で読んでも、「コミックオペレット」には重すぎる印象だが、実際に劇中で歌われた曲を採譜して演奏したものを聞くと、讃美歌あるいは聖歌の響きがある。荘重で、暗く、あきらかにキリスト教の調べなのが異様である。

 特務曹長がピストルを擬して、まさに自殺しようとする。すると、これまで瞑目していたバナナン大将は即座に立ち上がり、特務曹長のピストルを奪う。そして、言う。

 「もうわかった。お前たちの心底は見届けた。お前たちの誠心に比べては俺の勲章などは実になんでもないんじゃ。
 おお神はほめられよ。実におん眼からみそなわすならば、勲章やエポレットなどは瓦礫にも等しいじゃ。」

 餓えと疲労で倒れる寸前だった兵士たちを「泥人形」と罵ったバナナン大将の突然の変化にとまどいを覚えざるをえないが、とまどうのはそれだけではない。「国家と将軍」に死んでわびようとしている兵士たちと、じぶんたち二人の死をもって償いをしようとする特務曹長と曹長に対して、
 「お前たちの誠心に比べてはおれの勲章などは実になんでもないんじゃ。」というバナナン大将の言葉は軍と国家の規範を完全に否定するものである。さらにバナナン大将は
 「おお神はほめられよ。実におん眼からみそなわすならば、勲章やエポレットなどは瓦礫にも等しいじゃ。」
と「神」という概念を至高のものとする価値観を堂々と開陳する。この論理あるいは倫理が県立学校の開校式で上演される演劇で語られるのも異様というべきである。

 兵士たちの祈りのことばにある「つみ」と「きよめ」「ゆるし」にも微妙な違和感を覚える。「きよめ」は「けがれ」と対で使われることが多いが、「つみ」を「きよめ」るのはキリスト教の概念であり、「ゆるし」もまたそうである。

 だから、バナナン大将が「神のみ力を受けて」発明した「生産体操」という果樹製枝法を兵士たちに体現させて、最後の「棚仕立て」でつくった棚の下で「琥珀の実」と「新鮮なエステルにみちた甘いつめたい汁でいっぱい」の果物を収穫する行為は、イエスが五つのパンと二つの小魚で五千人の群衆を満腹にさせたという奇跡と同じ文脈で考えなければならないだろう。

 最後の合唱は
 「・・・・・・・・・・・・
  あわれ二人の つわものは 
  責めに死なんと したりしに
  このとき雲のかなたより
  神ははるかにみそなわし
  くだしたまえる みめぐみは
  新式生産体操ぞ。
  ・・・・・・・・・・・・・
  ひかりのごとく くだりこし
  天の果実を いかにせん
  みさかえはあれ かがやきの
  あめとしめりの くろつちに
  みさかえはあれ かがやきの
  あめとしめりの くろつちに」
と結ばれるが、これも讃美歌98番
 「あめにはさかえみ神にあれや。つちにはやすき人にあれやと」にみるように「あめ」「みさかえ」「つち」と多くの讃美歌と共通の語がつかわれている。先の兵士の祈りの中にある「みめぐみ」もまた讃美歌539番
 「あめつちこぞりて かしこみたたえよ
  みめぐみあふるる 父みこみたまを。」
とキリスト教に特徴的ないいまわしである。

蛇足だが、特務曹長以下兵士が「十二人」というのも象徴的である。実は、特務曹長がバナナン大将に「かの巨大なるバナナン軍団のただ十六人の生存者・・・」というくだりがあるが、兵士十二人とバナナン大将を合わせた人数はどう計算しても十三人で数字があわないのだ。舞台に登場しない三人はどこにいるのだろう。兵士の数を十二人としたのに意味があるのはわかるが、なぜ敢えて、生存者と不一致の人数にしたのかが謎である。

 賢治のここまでのキリスト教への接近は何を意味するのだろう。

 結局何も解決できないで時間ばかり経ってしまいました。時代と賢治を理解する原点に戻ってきたという感じです。暑さと農作業にかまけて、なかなか先にすすめませんが、なんとか時間をつくって読みつづけたいと思っています。未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。

2023年3月18日土曜日

宮澤賢治『氷河鼠の毛皮』__中途半端な革命譚__タイチと黒狐、氷河鼠

  タイチという金満家の男が、ベーリング(島?海?)をめざす列車の中で暴漢に襲われるが、船乗りの若者に救われる。稀少毛皮を外套にして幾重にも身にまとっていたことが、人だか熊だか判然としない暴漢たちに襲われた理由である。宗教学者の中沢新一は、『緑の資本主義』という著作の中でこの作品をとりあげ、「圧倒的な非対称」という章をもうけて論じている。中沢はタイチを襲う暴漢たちを熊とみなして、文明を作り上げた人間と動物の関係が「圧倒的な非対称」であり、この襲撃は「動物たちの人間へのテロ」であるという。多くの読者がすんなり納得させられる解析のように思われるが、はたしてそうか。

 十二月二十六日クリスマスの翌夜である。外は吹雪に閉ざされているが、イーハトーヴの停車場は暖炉の火が赤く燃え、暖炉の前に「最大急行」「ベーリング行」の乗客が「まっ黒に」立っている。夜八時汽罐車は汽笛とともに出発する。

 乗客は十五人。タイチはその中で最も太っていて、二人前の席をとっている。赤ら顔で「アラスカ産の金」の指輪をはめ、幾重にも毛皮をまとい、いかにも金に埋もれている様子だが、「十連発のぴかぴかする素敵な鉄砲」を持っているので、狩猟家でもある。向いの席の役人らしい紳士との会話で、今回のベーリング行で、黒狐の毛皮九百枚を持って来て見せるという賭けをしたといっている。

 乗客の多くは、タイチほどではなくても、同じように立派な身なりの紳士たちだったが、異質な人間が二人いた。一人は「北極狐のやうにきょとんとすまして腰を掛け」た「痩た赤いげの人」で、もう一人は「かたい帆布の上着を着て愉快さうに自分にだけ聞えるやうにな微かな口笛を吹いてゐる若い船乗りらしい男」である。しばらくすると、船乗りの青年は自分の窓のカーテンを上げ、窓に凍り付いた氷をナイフで削り、外の景色を見ていたが、「何か月に話し掛けてゐるかとも思はれ」るように「笑ふやうに又泣くやうに」かすかに唇をうごかしていた。

 痩た赤ひげの男は「熊の方の間諜」だった。タイチが役人風の男にいでたちの自慢をしているのを盗み聞きしていたのである。「イーハトーヴの冬の着物の上に、ラッコ裏の内外套ね、海狸の中外套根、黒狐表裏の外外套ね。」「それから北極兄弟商会の緩慢燃焼外套ね………。」「それから氷河鼠の頸のとこの毛皮だけでこさえた上着ね。」とタイチの自慢は際限もないが、さらに、今回黒狐の毛皮九百枚持って来てみせるという賭けをしたという。

 「ウヰスキーの小さなコップを十二ばかりやり」酔いがまわったタイチはあたりかまわずくだを巻きはじめる。他人の毛皮を贋物だとケチをつけたり、黄色の帆布一枚の若者に毛皮の外套を貸すと言って無視されたりしている。他の乗客は眠りについていて、起きているのは、聴き耳を立てて何か書きつけていた赤ひげの男と船乗りの青年だけだった。

 夜が明けると急に汽車がとまり、形相を変えピストルをつきつけた赤ひげの男を先頭に「二十人ばかりのすさまじい顔つきをした人がどうもそれは人といふよりは白熊といった方がいゝやうな、いや白熊といふよりは雪狐と云った方がいいやうなすてきにもくもくした毛皮を着た、いや着たといふよりは毛皮で皮ができているというた方がいゝやうな、もの」が仮面をかぶったり顔をかくしながら車室の中に入って来る。人だか熊だか雪狐だかわからない集団は、赤ひげの男の告発でタイチを拉致しようとする。先頭から三番目のものが、タイチのことを「こいつだな、電氣網をテルマの岸に張らせやがったやつは」と指摘しているので、赤ひげが告発するより前にタイチの存在は集団に知られていたようである。

 押されたり引きずられたりしながら、扉の外へ出されそうになったタイチを救ったのは黄色の帆布を着た青年だった。「まるで天井にぶつかる位のろしのやうに飛びあが」った青年は、赤ひげの足をすくって倒し、タイチを車室の中に引っぱり込んで赤ひげのピストルを奪ってそれを赤ひげの胸につきつけ、叫ぶのだ。

 「おい、熊ども。きさまらのしたことは尤もだ。けれどもおれたちだって仕方ない。生きてゐるにはきものも着なけあいけないんだ。おまへたちが魚をとるやうなもんだぜ。けれどもあんまり無法なことはこれから気を付けるやうに云ふから今度はゆるして呉れ。ちょっと汽車が動いたらおれの捕虜にしたこの男は返すから。」

 そして汽車は動き、赤ひげの男は船乗りの手をちょっと握って汽車から飛び降り、船乗りはピストルを窓の外へ放り出した。

 一件落着。めでたしめでたし。

 だろうか。船乗りの理屈に納得できる読者はどれくらいいるのだろうか。そもそも「生きてゐるものがきものを着る」ことと「おまへ(熊)たちが魚をとる」ことは等価だろうか。タイチが身にまとうラッコ裏の内外套、海狸の中外套、黒狐表裏の外外套、氷河鼠の頸の毛皮だけでつくった上着は「生きてゐる」ために必要なものでさえない。毛皮の外套は、極北に近い土地に狩りをしに行くために必要となったので、日常の生活になくてはならぬものだったとは思えない。極寒の地に狩りに行くためにしても、ここまでたくさん身にまとう必要はないだろう。

 それにたいして、熊たちにとって、魚をとることは生存の条件として絶対である。獲物をとって食べなければ生きていけないのだ。金持ちが道楽で毛皮を取るために動物を殺す行為と、熊が生存のために魚を殺す行為とを同じ秤ではかることはできない。金持ちの道楽のために殺される動物にむかって、殺す金持ちの側についたとりなし役が、あんまり無法に殺さないよう、すなわち適当に殺すようにするから、今回は許してくれ、という理屈が通用するのだろうか。

 不思議なことに、こんな、人間にとってだけ都合の良い理屈が、熊たちに通用したのである。思うにこれは、中沢新一がいうような「圧倒的な非対称」にある人間と動物の関係について寓喩した話ではない。では、何の寓喩なのか、これが難問なのである。

 そもそも「タイチ」とは何者か。タイチが若者に

 「ふん。バースレイかね。黒狐だよ。なかなか寒いからね、おい、君若いお方、失敬だが、外套を一枚お貸し申すとしようぢゃないか。黄色の帆布一枚ぢゃどうしてどうして零下の四十度をふせぐもなにもできやしない。」

と話しかける場面がある。この「バースレイ」についてあれこれ調べたら、berth  layのことのようである。船が波止場に繫留されている状態で、停泊休暇を意味するようだ。それにしても、タイチはなぜ黄色の帆布一枚の若者を見て停泊休暇の船乗りだと分かったのか。その後「黒狐だよ。なかなか寒いからね。」と続くのもわからない。

 「黒狐」もたんに「毛色の黒い狐」を意味するものではない。中国明代のエンサイクロペディア「三才図絵」によると、黒狐は北山に住む神獣で、王者が天下を平定した時に現れるとされる。滅多に姿を現すものではない。というか、伝説の世界の瑞獣である。タイチは黒狐の毛皮を九百枚取ってくるというが、どうやって取るのだろうか。それとも、タイチのいう黒狐は、カナダ、シベリアなどに生息するという銀狐=シルバーフォックスのことなのか。

 標題になっている「氷河鼠」の頸の毛皮というのもまたよくわからない。氷河鼠とは、北極圏に住むレミングという鼠のことだろうか。レミングは体長七センチから十五センチの鼠で、冬眠せず旺盛な食欲と繁殖力をもつが、三~四年周期で個体数が増減するそうである。こちらはうまくすれば、四五〇匹ないし百十六匹捕まえることは可能かもしれないが、こんなちいさな動物の頸の皮だけで外套を作る意味がわからない。

 要するに、タイチの言っていることは意味をなさないのだ。たぶん、タイチは「注文の多い料理店』の英国風紳士や『オツペルと象』のオツペル、さらに『ポランの広場』の山猫博士と発展していくキャラクターだろうが、「タイチ」という固有名詞が意味するものは何か。そして、黄色の帆布の若者が超人的な能力を発揮して、富と権力をひけらかす鼻持ちならないタイチを助けたのは何故だろう。

 タイチという固有名詞と黄色の帆布の若者との関係はひとまず措いておく。最終的に『ポランの広場』の山猫博士(謎の多い存在だが)へと行き着く「タイチ」というキャラクターは新興産業資本家のそれだろう。「ベーリング行最大急行」の乗客は資源獲得にむらがって、寒風吹きすさぶ停車場の暖炉の前に「まっ黒に立ってゐる」人たちだった。役人や商人も混じえた人々の群れの中で、もっとも強欲ぶりを発揮していたのがタイチだった。

 タイチが強欲な新興資本家の典型として描かれているとすれば、「熊」という言葉で表現されているものは何か。自然界の生物としての熊そのものではないだろう。熊だか人間だかわからない「もの」が汽罐車に闖入してきたことを「パルチザンの襲撃」と解釈した評者がいたように思うが、私の解釈もそれに近い。

 資源を搾取する側とされる側が「圧倒的な非対称」の関係にあることはいうまでもない。「非対称」は動物と人間の関係だけでなく、というよりむしろ、まず人間同士の間に「圧倒的非対称」=差別は在する。「ベーリング行最大急行」に闖入してきた「二十人ばかりのすざまじい顔つきをした人」は搾取され、差別される側のゲリラではないか。賢治が、「どうもそれは人といふより白熊といった方がいゝやうな、いや白熊といふよりは雪狐と云ったほうがいいやうなすてきにもくもくしたした毛皮を着た、いや着たと云ふよりは毛皮で皮ができているというた方がいゝやうな、もの」と、饒舌にことばを重ねながら、闖入者を描写しているのが興味深い。結局その集団は「人といふより…………、もの」とされるのだが。

 では、汽罐車に闖入してきたゲリラからタイチを守った黄色の帆布の若者は何者なのか。ゲリラを先導した赤ひげの男は、船乗りにピストルを奪われ、突きつけられながらも、去り際に「笑ってちょっと」彼の手を握るのだ。赤ひげは、タイチの側すなわち資本家の側について体制と秩序を守った船乗りに対して、微かな和解の意をしめしたのである。船乗りの若者は「ベーリング行最大急行」の乗客たちとは距離をおきながら、ゲリラの側にはつかず、身を挺してタイチを取り戻した。黄色の帆布の若者は、タイチを守るために「ベーリング行最大急行」に乗っていたかのようである。

 最後に「タイチ」という固有名詞について考えてみたい。「タイチ」は漢字で書けば「太一」だろう。「太極」かもしれない。いずれにしろ、宇宙、万物の根元であり、さらに北極星を指すともいわれ、古代中国において祭祀の対象になっていた。金に埋もれた資本家に賢治が「タイチ」という名をつけたのは何故だろう。船乗りの若者が「黄色」の帆布をまとっていたこととあわせて、私に仮説があるが、いま、ここで書くのは控えたい。

 例によって独断と偏見でいえば、この作品は尻切れトンボで中途半端な革命譚である。そのことは作品自体が尻切れトンボで中途半端であるという意味ではない。いうまでもなく。そのような、「革命」ともいえないような、ゲリラ戦すら実行できない状況を切り取って、賢治は緊迫感あふれる短編に仕上げたのである。

 前回の投稿から随分時間が経ってしまいました。賢治の作品はどれも難解ですが、その理由の一つが、彼の生きた時代の状況が私の中でもう一つつかみきれないということです。私が怠惰で非力であるということなのですが。今日も不出来な文章を最後までよんでくださってありがとうございます。

2022年12月18日日曜日

宮澤賢治『風の又三郎』__最後に残る二つの謎__高田三郎と宮澤賢治

  この後の月曜日、一郎と嘉助が嵐の中登校して、三郎が転校したことを告げられる。嘉助は先生に挨拶するとすぐ、「先生、又三郎きょう來るのすか。」ときいている。先生が告げるまでもなく、もう三郎は来ないことを嘉助も一郎も知っているのだ。

 九月一日に現れて、(おそらく)十一日に去って行った高田三郎。三郎が「風の又三郎」かどうか、という問いに対して、じつは私はほとんど関心がない。嘉助がまず最初に「又三郎」と呼び、子どもたちもみなそう呼んだ。それで十分である。物語の中で、高田三郎は、モリブデンの発掘という仕事をする父親とともに、谷川の小学校に現れた。モリブデン発掘が中止になったので、村を去った。それ以上でもそれ以下でもない。

 『風の又三郎』という作品を、東北地方にあるという「風祭り」と関連づけたり、又三郎を「風の神」としてとらえる民俗学的アプローチもあるようだが、いまの私は、そのようなアプローチには組したくない。

 少し、興味を覚えるのは、「鼻のとがった人」がステッキのようなもので川の浅瀬を調べていたことと、モリブデンの発掘が関係があるのかもしれない、ということである。だが、これも、さほど重要なことではないかもしれない。

 私がどうしても解決できない謎が二つある。一つは、三郎を極度におびえさせたシュプレヒコールの発端となった

 「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」

と叫んだのは誰か、ということである。本文では「すると、だれともなく、「雨は…。」と叫んだものがありました。」と書かれている。「叫んだもの」は人なのか、それとも作者はそうでないものを想起させたかったのか。

 この後すぐ、「みんなもすぐ声をそろえて叫びました。」と書かれているので、シュプレヒコールを発したのは子どもたちである。三郎が「いま叫んだのはおまえらだちかい。」ときくと「そでない、そでない。」と「みんないっしょに叫びました。」と、これも子どもたちがいっせいにそう叫んだのだ。

 最初に叫んだのが人か何かわからないが、次にシュプレヒコールを浴びせたのはあきらかに子どもたちである。だが、三郎の問いにみんなで声をそろえて否定する。またもやぺ吉が出て来て「そでない。」とだめ押しする。

 シュプレヒコールの威力は、集団の暴力である。多数の者がいっせいに声を出すことで、コミュニケーションを切断するのだ。前日は、一郎の音頭で子どもたちがシュプレヒコールを浴びせ、正体不明の鼻のとがった人を追い払った。この場面では一郎も集団のなかに埋没している。嘉助も耕助も「みんな」のなかである。三郎ひとり、「みんな」と対峙しなければならない。淵から上がった三郎のからだががくがくふるえていたのは、寒さと恐怖と、絶望的な疎外感のためだったのではないか。 

 もう一つわからないのは、物語の最期の段落の始めに

 「どっどど どどうど どどうど どどう
  青いくるみも吹きばせ
  すっぱいかりんも吹きとばせ
  どっどど どどうど どどうど どどう
  どっどど どどうど どどうど どどう

 先ごろ、三郎から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中でまたきいたのです。」
と書かれているのだが、本文中どこをさがしても、三郎が一郎あるいは子どもたちにこの歌を歌ってきかせている箇所はない。たしかなことは、一郎は「夢の中でまた」その歌をきいた、ということである。

 ここからは一郎と風の物語である。

 「馬屋のうしろのほうで何か戸がぱたっと倒れ、馬はぷるっと鼻を鳴らしました。一郎は風が胸の底までしみ込んだように思って、はあと息を強く吐きました。そして外へかけだしました。
 外はもうよほど明るく、土はぬれておりました。家の前の木の列は変に青く白く見えて、それがまるで風と雨とで今洗濯をするというように激しくもまれていました。
 青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎれた栗の青いいがは黒い地面にたくさん落ちていました。空では雲がけわしい灰色に光り、どんどん北のほうへ吹きとばされていました。
 遠くのほうの林はまるで海が荒れているように、ごとんごとんと鳴ったりざっと聞こえたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられ、風に着物をもって行かれそうになりながら、だまってその音をききすまし、じっと空を見上げました。」

 まさに「青いくるみも吹きとばせ。すっぱいりんごも吹きとばせ」の歌の通り、風が猛威をふるっている。すさまじくも美しい破壊と浄化の自然現象である。一郎は全身でそれをうけとめている。

 「すると胸がさらさらと波をたてるように思いました。けれどもまたじっとその鳴ってほえてうなって、かけて行く風をみていますと、今度は胸がどかどかとなってくるのでした。」

 一郎の中で何かが起きている。何かが一郎の中を通過して、一郎を昂揚させている。

 「きのうまで丘や野原の空の底に澄み切ってしんとしていた風が、けさ夜あけがたにわかにいっせいにこう動き出して、どんどんタスカロラ海溝の北のはじをめがけて行くことを考えますと、もう一郎は顔がほてり、息もはあはあとなって、自分までもがいっしょに空を翔けて行くような気持ちになって、大急ぎでうちの中へはいると胸を一ぱいはって、息をふっと吹きました。」

 「きのうまでしんとしていた」風が動きだした、ということ、それが一郎を昂揚させ、自分まで北をめざして空を翔けるような気持ちにさせたのだ。破壊と浄化、そして飛翔。変革への期待で一郎は「顔がほてり、息もはあはあと」なる。それは別離でもあったが。 

 「風の又三郎」を「見た」のは嘉助だったが、一郎は「風の又三郎」と「生きた」のだった。

 だが、いまさらながら「風の又三郎」とは何か。また「高田三郎」とは何か。「風の又三郎」とは何か、の問いに答えることはいまの私には不可能に近い。「高田三郎」については、何の検証もできていないが、ある仮説がある。作者宮沢賢治の分身ではないかと考えている。賢治が作品の中で「風」をどのように扱ってきたかをもう一回見直してみたいと思っている。

 七転八倒しながらやはり尻切れとんぼの結論になってしまいました。私にとって「風の又三郎」はあまりにも難解です。力不足、と言われればその通りなのですが。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 


 

 

 


 

 

 

 

  この後、一郎と嘉助が嵐の中登校して、三郎が転校したことを告げられる。嘉助は先生に「先生、又三郎きょう來るのすか。」ときいている。もう三郎は来ないことを嘉助も一郎も知っているのだ。


 九月一日に現れて、(おそらく)十一日に去って行った高田三郎。三郎が「風の又三郎」かどうか、という問いに対して、じつは私はほとんど関心がない。嘉助がまず最初に「又三郎」と呼び、子どもたちもみなそう呼んだ。それで十分である。物語の中で、高田三郎は、モリブデンの発掘という仕事をする父親とともに、谷川の小学校に現れた。モリブデン発掘が中止になったので、村を去った。それ以上でもそれ以下でもない。

 『風の又三郎』という作品を、東北地方にあるという「風祭り」と関連づけたり、又三郎を「風の神」としてとらえる民俗学的アプローチもあるようだが、いまの私は、そのようなアプローチには組したくない。

 少し、興味を覚えるのは、「鼻のとがった人」がステッキのようなもので川の浅瀬を調べていたことと、モリブデンの発掘が関係があるのかもしれない、ということである。だが、これも、さほど重要なことではないかもしれない。

 私がどうしても解決できない謎が二つある。一つは、三郎を極度におびえさせたシュプレヒコールの発端となった

 雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」

と叫んだのは誰か、ということである。本文では「すると、だれともなく、「雨は…。」と叫んだものがありました。」と書かれている。「叫んだもの」は人なのか、それともそうでないものを想起させたかったのか。

 この後すぐ、「みんなもすぐ声をそろえて叫びました。」と書かれているので、シュプレヒコールを発したのは子どもたちである。三郎が「いま叫んだのはおまえらだちかい。」ときくと「そでない、そでない。」と「みんないっしょに叫びました。」と、これも子どもたちが一斉にそう叫んだのだ。

 最初に叫んだのが人か何かわからないが、次にシュプレヒコールを浴びせたのはあきらかに子どもたちである。だが、三郎の問いにみんなで声をそろえて否定する。またもやぺ吉が出て来て「そでない。」とだめ押しする。

 シュプレヒコールの威力は、集団の暴力である。多数の者がいっせいに声を出すことで、コミュニケーションを切断するのだ。前日は、一郎の音頭で子どもたちがシュプレヒコールを浴びせ、正体不明の鼻のとがった人を追い払った。この場面では一郎も集団のなかに埋没している。嘉助も耕助も「みんな」のなかである。三郎ひとり、「みんな」と対峙しなければならない。淵から上がった三郎のからだががくがくふるえていたのは、寒さと恐怖と、絶望的な疎外感のためだったのではないか。 

 もう一つわからないのは、物語の最期の段落の始めに

 「どっどど どどうど どどうど どどう
 青いくるみも吹きばせ
 すっぱいかりんも吹きとばせ
 どっどど どどうど どどうど どどう
 どっどど どどうど どどうど どどう

 先ごろ、三郎から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中でまたきいたのです。」と書かれているのだが、本文中どこをさがしても、三郎が一郎あるいは子どもたちにこの歌を歌ってきかせている箇所はない。たしかなことは、一郎は「夢の中でまた」その歌をきいた、ということである。ここから終末までは一郎の物語である。

 一郎は歌をきいてはね起きる。外は激しい嵐で、くぐり戸をあけるとつめたい雨と風がどっとはいって來る。ここから岩波文庫版で一頁あまり一郎と嵐の情景が描写される。

 「馬屋のうしろのほうで何か戸がぱたっと倒れ、馬はぷるっと鼻を鳴らしました。
 一郎は風が胸の底までしみ込んだように思って、はあっと息を強く吐きました。そして外へかけだしました。
 外はもうよほど明るく、土はぬれておりました。家の前の栗の木の列は変に青く白く見えて、それがまるで風と雨とで今洗濯をするとでもいうように激しくもまれていました。
 青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎれた青いくりのいがは黒い地面にたくさん落ちていました。空では雲がけわしい灰色にひかり、どんどん北のほうへ吹き飛ばされていました。
 遠くのほうの林はまるで海が荒れているように、ごとんごとんと鳴ったりざっときこえたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられ、風に着物をもって行かれそうになりながら、だまってその音をききすまし、じっと空を見上げました。」

 まさに「青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ」と風が猛威をふるっている。自然が、すさまじくも美しい破壊と浄化のかぎりをつくしている。一郎はその中に立って、全身でそれをうけとめている。

 「すると胸がさらさらと波をたてるように思いました。けれどもまたじっとその鳴ってほえてうなって、かけて行く風をみていますと、今度は胸がどかどかとなってくるのでした。」

 一郎のなかで何かが変化している。「胸がさらさらと波をたてるよう」「胸がどかどかとなってくる」。何かが一郎を昂揚させている。

 「きのうまで丘や野原の空の底に澄みきってしんとしていた風が、けさ夜あけ方にわかにいっせいのこう動き出して、どんどんタスカロラ海溝の北のはじをめがけて行くことを考えますと、もう一郎は顔がほてり、息もはあはあとなって、自分までがいっしょに空を翔けて行くような気持ちになって、大急ぎでうちの中へはいると胸を一ぱいはって、息をふっと吹きました。」

 タスカロラ海溝の北のはじをめがけて、風が動いている。その風と自分が同化していっしょに空を翔けている、という一体感が一郎を昂揚させている。もちろんそれは一瞬の幻覚にすぎず、翔けて行ったのは又三郎だ、と直感するのだが。

 さて、それで、いまさらだが、「風の又三郎」とは何か。子どもたちから「又三郎」と呼ばれた高田三郎とは何か。私自身は、作者宮沢賢治の分身が高田三郎である、という仮説をたている。その仮説から「風の又三郎」について、というより「風」について、賢治が作品のなかで「風」をどうあつかってきたかを検証してみたいのだが、いかんせん力不足、というよりほかない現状である。「風」がなぜ「北」をめざすのか、ということだけでも追いかけてみたいのだが。

 七転八倒して、尻切れとんぼの決論になってしまいました。この作品については、まだ言わなければならないことがあるように思うのですが、思いを言語化するのにもう少し時間がかかりそうです。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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2022年12月16日金曜日

宮澤賢治『風の又三郎』__高田三郎はいかにして鬼になったか

  三郎と子どもたちが葡萄と栗を交換したエピソードの次に語られるのは、少し複雑で難解な出来事である。

 「次の日は霧がじめじめ降って学校のうしろの山もぼんやりしか見えませんでした。ところが今日も二時間目からだんだん晴れてまもなく空はまっ青になり、日はかんかん照って、お午になって一、二年が下がってしまうとまるで夏のように暑くなってしまいました。」

と書き出されるが、「次の日」が葡萄蔓とりの翌日のことなのか、よくわからない。「今日も二時間目からだんだん晴れて」とあるので、たぶん連続した日の出来事なのだろう。真夏のような暑さで、授業が終わると、子どもたちは川下に泳ぎに行く。「又三郎、水泳ぎに行かないが。」と嘉助に誘われ、三郎もついて行く。昨日の葡萄蔓とりには「三郎も行かないが。」と誘った嘉助が、今日は「又三郎」と呼びかけていることを覚えておきたい。

 勢いこんで水に飛び込み、がむしゃらに泳ぎ始めた子どもたちを三郎がわらい、その三郎が、今度は水にもぐって石をとろうとして息が続かず、途中で浮かびあがってきたのを見た子どもたちがわらう、という場面の後、発破を仕掛ける大人たちが登場する。庄助という抗夫が発破をしかけ、ほかの大人たちは網を持ったりして、水に入ってかまえる。だが、彼らが狙った獲物はかからず、流れてきた雑魚を取った子どもたちが大よろこびする。

 発破の音を聞きつけて、また別の大人たちが五六人、そのあとにはだか馬に乗った者もやってくる。そのとき、「さっぱりいないな。」とつぶやく庄助のそばへ三郎が行って、「魚返すよ。」といって二匹の鮒を河原に置く。「きたいなやづだな」といぶかる庄助と魚を置いて帰ってくる三郎を見て、みんながわらう。収獲がないので、大人たちが上流に去ると、耕助が泳いで行って三郎の置いてきた魚を持ってくる。みんなはそこでまたわらう。

 「発破かけだら、雑魚撒かせ。」と嘉助が雄たけびをあげる。子どもたちは雑魚だろうが何だろうが、魚がとれたことが無条件にうれしいのだ。食べ物が手に入ったのだから。だが、三郎にとっては、手放しでよろこべることではなかった。発破をかけて魚を取ること自体が違法行為であり、そうやって手に入れた魚は発破を仕掛けた者の所有物である、と考えたのかもしれない。とりあえず、魚を返すことで違法行為と関わりを断っておきたかった。泥棒といわれたくない、という自尊心もあったかもしれない。

 雑魚を返しに行く三郎の遵法意識が庄助に通用せず、いぶかられたのを見て笑った子どもたちにあるのは「食べ物が手に入ればうれしい」という徹底した現実感覚であり、論理である。三郎が返しに行った魚を取り返しに行くのが、葡萄蔓とりの耕助である。くちびるを紫いろにして葡萄をためこんでいた耕助がまたしても魚を取り返しに行く。子どもたちにとって「食」は無前提に優先されるが、三郎はそうではない。行動の当為が問題なのだ。子どもたちと三郎の隔たりをうみだすものは、飢えとの距離感だろう。

 だが、この時点では、いくぶんかの齟齬はあるものの、三郎が子どもたちから疎外されていたというわけではない。むしろ、一郎の指揮下子どもたちは、見知らぬ大人の侵入を警戒して、三郎を守ろうとするのである。

 発破騒ぎのあと、「一人の変に鼻のとがった、洋服を着てわらじをはいた人」が登場する。ステッキのようなもので生け洲をかきまわしている。佐太郎が「あいづ専売局だぞ。」と言い、嘉助も「又三郎、うなのとった煙草の葉めっけたんで、うな、連れでぐさ来たぞ。」と言う。「なんだい。こわくないや。」と三郎は言うが、「みんな、又三郎のごと、囲んでろ。」と一郎の指示で、三郎はさいかちの木の枝のなかに囲まれる。

 ところがその男は三郎を捕まえる気配もなく、川の中を行ったり来たりしている。子どもたちの緊張はとけたが、男のしていることの意味がわからない。それで、一郎が提案して、みんなで男に叫びかける。「あんまり川を濁すなよ、いつでも先生言うでないか。」このシュプレヒコールは三度くり返され、男は「この水飲むのか。」「川を歩いてわるいのか。」と子どもたちに問いかけるが、最後まで子どもたちは「あんまり川を濁すなよ、いつでも先生言うでないか。」とシュプレヒコールで返すだけだった。

 四度目のシュプレヒコールの後、男が去ると、子どもたちは何となく「その男も三郎も気の毒なようなおかしながらんとした気持ちになりながら」木からおりて、魚を手に家路についたのだった。

 子どもたちの生活世界のなかに、大人が侵入してくる。発破をしかけた一味と、それを見にきた集団。それから、目的不明で現れた「鼻のとがった人」。それらが、三郎と子どもたちの関係に微妙な波紋を投げかける。

 翌日、佐太郎が、発破の代わりに毒もみに使う山椒の粉を学校に持ってくる。山椒の粉は、それを持っているだけで捕まるというしろものである。この日の朝の天候は書かれていないが、「その日も十時ごろからやっぱりきのうのように暑くなりました。」とあるので、三日連続で夏のような天気が続いたことになる。授業が終わるのも待ち遠しく、子どもたちはさいかちの木の淵に急ぐ。佐太郎は耕助などみんなに囲まれて、三郎は嘉助とともに行ったのである。

 淵の岸に立って、佐太郎が一郎の顔を見ながら、差配する。佐太郎は、山椒の粉が入った笊を持って行って、上流の瀬で洗う。子どもたちはしいんとして、水を見つめている。三郎は水を見ないで、空を飛ぶ黒い鳥を見ている。一郎は河原に座って、石をたたいている。

 だが、いつまでたっても魚は浮いて来なかった。「さっぱり魚、浮かばないな。」と耕助がさけび、ぺ吉がまた「魚さっぱり浮かばないな。」と言うと、みんながやがやと言い出して、水に飛び込んでしまう。きまり悪そうにしゃがんでしばらく水をみていた佐太郎は、やがて立ち上がって「鬼っこしないか。」と言う。そうして、この「鬼っこ」が修羅場になる。

 つかまったりつかまえられたり、何遍も「鬼っこ」をするうちに、しまいに三郎一人が鬼になる。三郎が吉郎をつかまえて、二人でほかの子たちを追い込もうとするが、吉郎がへまをしたので、みんな上流の「根っこ」とよばれる安全地帯に上がってしまう。嘉助まで「又三郎、来」と、口を大きくあけて三郎をばかにする。さっきからおこっていた三郎はここで本気になって泳ぎ出す。これまで三郎をエスコートしてきた嘉助に裏切られたと思ったのだ。

 そして、みんなが集まっている「根っこ」の土に水をかけ始める。「根っこ」は粘土の土なので、だんだんすべって来て、集まっていた子どもたちは一度にすべって落ちてくる。三郎はそれをかたっぱしからつかまえる。一郎もつかまる。嘉助一人が逃げたが、三郎はすぐ追いついて、つかまえただけでなく、腕をつかんで四、五へん引っぱりまわす。水を飲んでむせた嘉助は「おいらもうやめた。こんな鬼っこもうしない。」と言う。ちいさな子どもたちは砂利の上に上がってしまい、三郎ひとりさいかちの木の下にたつ。三郎は一人ぼっちになってしまったのだ。

 三郎が一人鬼になってしまったのは偶然である。「鬼っこ」を始めたのも、毒もみ漁が上手くいかなかった佐太郎の思い付きだ。だが、鬼になった三郎が子どもたちを一網打尽にしたのは偶然ではない。彼がなみはずれた体力と知力をもっていたからである。そもそも、上の野原で逃げた馬を追って、馬といっしょに現れたのは三郎だった。

 その能力が怒りと結びついたとき、「鬼っこ」は修羅場と化した。天気も一変する。空は黒い雲に覆われ、あたりは暗くなり、雷が鳴りだす。轟音とともに夕立がやって来て、風まで吹きだす。

 さすがに三郎もこわくなったようで、さいかちの木の下から水の中に入って、みんなのほうへ泳ぎだす。そこへだれともなく、叫んだものがある。

 「雨はざっこざっこ雨三郎 
 風はどっこどっこ又三郎。」

すると、みんなも声をそろえて叫ぶのだ。

 「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ風三郎。」

 前日鼻のとがった人を追い払ったシュプレヒコールがここでも繰り返される。さらに、動揺した三郎が「いま叫んだのはおまえらだちかい。」ときくと、みんないっしょに

 「そでない。そでない。」

と叫ぶのだ。その上、ぺ吉がまた出て来て

 「そでない。」

と言う。

 三郎は、いつものようにくちびるをかんで、「なんだい。」と言うが、からだはがくがくふるえている。

 「そしてみんなは、雨のはれ間を待って、めいめいのうちへ帰ったのです。」と結ばれて、高田三郎の物語は終わる。

 高田三郎の物語はここで終わります。一郎と嘉助、そして村の子どもたちについては、もう少し考えてみたいことがあるのですが、長くなるので、また次回にしたいと思います。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2022年12月4日日曜日

宮澤賢治『風の又三郎』__葡萄と栗を交換する

  『風の又三郎』後半は、逃げた馬を追って彷徨した嘉助が、臨死体験のなかで「風の又三郎」を見た上の野原の出来事の後

 「次の日は朝のうちは雨でしたが、二時間目からだんだん明るくなって三時間目の終わりの十分休みにはとうとうすっかりやみ、あちこちに削ったような青ぞらもできて、その下を真白なうろこ雲がどんどん東へ走り、山の萱からも栗の木からも残りの雲が湯げのようにたちました。」

と書き出される。この「次の朝」が上の野原の出来事があった九月四日の日曜日の次の朝かどうか疑問なのだが、ともかくもここからは、嘉助の物語ではなく、又三郎と呼ばれる「高田三郎」の物語が語られる。

 耕助という子が葡萄蔓とりに嘉助を誘い、嘉助が三郎を誘う。葡萄蔓のありかを見つけた耕助は、嘉助が三郎を誘ったのがすでにおもしろくない。宝物のような葡萄蔓のありかをできるだけ秘密にしておきたかったのだ。

 葡萄蔓のある場所への道中、三郎はそれと知らないで、たばこの葉をむしって一郎に尋ねる。一郎は、たばこの葉が専売局の厳重な管理下にあるのを知っているので、少し青ざめて三郎をとがめる。子どもたちも口々にはやしたて、とくに耕助が、もと通りにしろなどと、いつまでも意地悪くいい募る。

 やがて山を少しのぼった所の栗の木の下に、山葡萄が藪になっている。耕助が「こごおれ見っつけたのだがらみんなあんまりとるやないぞ。」と言うと、三郎は「おいら栗のほうをとるんだい。」といって石を拾って枝に投げ、青いいがを落とす。そして、まだ白い栗を二つとったのである。

 その後一行が別の葡萄蔓の場所に移動する途中で、耕助が上から水をかけられて、体中水びたしになる。いつのまにか三郎が栗の木にのぼって、枝をゆすり、たまっていた雨水をふりかけたのだ。耕助がとがめても、三郎は「風が吹いたんだい。」とわらうだけである。そしてまた別の葡萄蔓に熱中する耕助は、またしても頭から水びたしになってしまう。姿は見えないが、今度も三郎が木をゆすって耕助に水をかけたのだった。

かんかんにおこった耕助と「風が吹いたんだい。」とくり返す三郎のやりとりを、ほかの子どもたちは笑ってみていたが、耕助は気持ちがおさまらない。三郎にむかって、「うあい又三郎、汝など世界になくてもいいなあ。」と言う。三郎は「失敬したよ、だってあんまりきみもぼくへ意地悪をするもんだから。」と謝るが、耕助のいかりはおさまらない。

 「汝などあ世界になくてもいいなあ。」「うなみたいな風など世界じゅうになくてもいいなあ。」「風など世界じゅうになくてもいいなあ。」と、あまりにも腹がたって言葉がみつからない耕助は、いつまでも同じことをいいつのる。結果、三郎に、風がなくてもいいというわけをいってごらん、と問い詰められ、いろいろ風の弊害をあげるが、最後に「風車もぶっこわさな。」といって、三郎だけでなくみんなに笑われてしまう。ついには耕助自身も笑い出し、三郎もきげんを直して耕助に謝り、仲直りする。

 帰るさに、一郎は三郎にぶどうを五ふさくれ、三郎は白い栗をみんなに二つずつ分けた、とあるが、この交換は何を意味するのだろう。そもそもこの一日のエピソードは何のためにここに置かれているのか。

 ここに描かれている高田三郎という少年は、議論をすることが上手だという点を除けば、同年齢の子どもたちと変わらないように見える。議論が上手なのも、父親の仕事上、いろいろな土地、世界を知っているためもあるかもしれない。要するに、都会的で「おませ」なのだ。だが、村の子たちが当たり前に知ってるたばこの葉のことを知らなかったことで、自尊心を傷つけられてしまう。

 それからもうひとつ、村の子たちと異なるのは、食べ物にたいする貪欲さに乏しいことだろう。「もう耕助はじぶんでも持てないくらいあちこちにためていて、口も紫いろになってまるで大きくみえました。」とあるが、耕助だけでなく、ほかの子どもたちにとっても、ぶどうは大のご馳走だった。三郎にとってもぶどうは魅力的だったはずで、「ぼくは北海道でもとったぞ。ぼくのお母さんは樽へ二っつ漬けたよ。」と言っている。それでも三郎は自分では葡萄をとらなかった。

 その三郎に、一郎はぶどうを五ふさくれて、三郎は白い栗をみんなに二つずつ分けた、とある。おいしいぶどうと、未熟で食べられない栗は等価交換ではない。そもそも、藪のようになっているぶどうはすぐに手に取って食べられるが、白い栗は三郎が石を投げて木から落としたものである。食べられないもののために、なぜ、三郎はそんな乱暴なことをしたのか。

 三郎のなかにある暴力性と自尊心の問題は、この後二日間のエピソードを読む上でも大きなテーマとなるが、それについては、また回をあらためたい。「耕助」「一郎」それから「嘉助」など、一見固有名詞に見えるものの意味することも考えてみたい。もちろん「風の又三郎」と「三郎」についても。

 いまの季節になっても、昼間は農作業に忙しく、といっても大したことはやっていないのですが、なかなかものを書く時間も読む時間もとれません。つくづく、体力、知力の衰えを感じています。今日も不出来な一文を最後まで読んでくださってありがとうございます。