この後の月曜日、一郎と嘉助が嵐の中登校して、三郎が転校したことを告げられる。嘉助は先生に挨拶するとすぐ、「先生、又三郎きょう來るのすか。」ときいている。先生が告げるまでもなく、もう三郎は来ないことを嘉助も一郎も知っているのだ。
九月一日に現れて、(おそらく)十一日に去って行った高田三郎。三郎が「風の又三郎」かどうか、という問いに対して、じつは私はほとんど関心がない。嘉助がまず最初に「又三郎」と呼び、子どもたちもみなそう呼んだ。それで十分である。物語の中で、高田三郎は、モリブデンの発掘という仕事をする父親とともに、谷川の小学校に現れた。モリブデン発掘が中止になったので、村を去った。それ以上でもそれ以下でもない。
『風の又三郎』という作品を、東北地方にあるという「風祭り」と関連づけたり、又三郎を「風の神」としてとらえる民俗学的アプローチもあるようだが、いまの私は、そのようなアプローチには組したくない。
少し、興味を覚えるのは、「鼻のとがった人」がステッキのようなもので川の浅瀬を調べていたことと、モリブデンの発掘が関係があるのかもしれない、ということである。だが、これも、さほど重要なことではないかもしれない。
私がどうしても解決できない謎が二つある。一つは、三郎を極度におびえさせたシュプレヒコールの発端となった
「雨はざっこざっこ雨三郎、
風はどっこどっこ又三郎。」
と叫んだのは誰か、ということである。本文では「すると、だれともなく、「雨は…。」と叫んだものがありました。」と書かれている。「叫んだもの」は人なのか、それとも作者はそうでないものを想起させたかったのか。
この後すぐ、「みんなもすぐ声をそろえて叫びました。」と書かれているので、シュプレヒコールを発したのは子どもたちである。三郎が「いま叫んだのはおまえらだちかい。」ときくと「そでない、そでない。」と「みんないっしょに叫びました。」と、これも子どもたちがいっせいにそう叫んだのだ。
最初に叫んだのが人か何かわからないが、次にシュプレヒコールを浴びせたのはあきらかに子どもたちである。だが、三郎の問いにみんなで声をそろえて否定する。またもやぺ吉が出て来て「そでない。」とだめ押しする。
シュプレヒコールの威力は、集団の暴力である。多数の者がいっせいに声を出すことで、コミュニケーションを切断するのだ。前日は、一郎の音頭で子どもたちがシュプレヒコールを浴びせ、正体不明の鼻のとがった人を追い払った。この場面では一郎も集団のなかに埋没している。嘉助も耕助も「みんな」のなかである。三郎ひとり、「みんな」と対峙しなければならない。淵から上がった三郎のからだががくがくふるえていたのは、寒さと恐怖と、絶望的な疎外感のためだったのではないか。
もう一つわからないのは、物語の最期の段落の始めに
「どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
どっどど どどうど どどうど どどう
先ごろ、三郎から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中でまたきいたのです。」
と書かれているのだが、本文中どこをさがしても、三郎が一郎あるいは子どもたちにこの歌を歌ってきかせている箇所はない。たしかなことは、一郎は「夢の中でまた」その歌をきいた、ということである。
ここからは一郎と風の物語である。
「馬屋のうしろのほうで何か戸がぱたっと倒れ、馬はぷるっと鼻を鳴らしました。一郎は風が胸の底までしみ込んだように思って、はあと息を強く吐きました。そして外へかけだしました。
外はもうよほど明るく、土はぬれておりました。家の前の木の列は変に青く白く見えて、それがまるで風と雨とで今洗濯をするというように激しくもまれていました。
青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎれた栗の青いいがは黒い地面にたくさん落ちていました。空では雲がけわしい灰色に光り、どんどん北のほうへ吹きとばされていました。
遠くのほうの林はまるで海が荒れているように、ごとんごとんと鳴ったりざっと聞こえたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられ、風に着物をもって行かれそうになりながら、だまってその音をききすまし、じっと空を見上げました。」
まさに「青いくるみも吹きとばせ。すっぱいりんごも吹きとばせ」の歌の通り、風が猛威をふるっている。すさまじくも美しい破壊と浄化の自然現象である。一郎は全身でそれをうけとめている。
「すると胸がさらさらと波をたてるように思いました。けれどもまたじっとその鳴ってほえてうなって、かけて行く風をみていますと、今度は胸がどかどかとなってくるのでした。」
一郎の中で何かが起きている。何かが一郎の中を通過して、一郎を昂揚させている。
「きのうまで丘や野原の空の底に澄み切ってしんとしていた風が、けさ夜あけがたにわかにいっせいにこう動き出して、どんどんタスカロラ海溝の北のはじをめがけて行くことを考えますと、もう一郎は顔がほてり、息もはあはあとなって、自分までもがいっしょに空を翔けて行くような気持ちになって、大急ぎでうちの中へはいると胸を一ぱいはって、息をふっと吹きました。」
「きのうまでしんとしていた」風が動きだした、ということ、それが一郎を昂揚させ、自分まで北をめざして空を翔けるような気持ちにさせたのだ。破壊と浄化、そして飛翔。変革への期待で一郎は「顔がほてり、息もはあはあと」なる。それは別離でもあったが。
「風の又三郎」を「見た」のは嘉助だったが、一郎は「風の又三郎」と「生きた」のだった。
だが、いまさらながら「風の又三郎」とは何か。また「高田三郎」とは何か。「風の又三郎」とは何か、の問いに答えることはいまの私には不可能に近い。「高田三郎」については、何の検証もできていないが、ある仮説がある。作者宮沢賢治の分身ではないかと考えている。賢治が作品の中で「風」をどのように扱ってきたかをもう一回見直してみたいと思っている。
七転八倒しながらやはり尻切れとんぼの結論になってしまいました。私にとって「風の又三郎」はあまりにも難解です。力不足、と言われればその通りなのですが。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
この後、一郎と嘉助が嵐の中登校して、三郎が転校したことを告げられる。嘉助は先生に「先生、又三郎きょう來るのすか。」ときいている。もう三郎は来ないことを嘉助も一郎も知っているのだ。
九月一日に現れて、(おそらく)十一日に去って行った高田三郎。三郎が「風の又三郎」かどうか、という問いに対して、じつは私はほとんど関心がない。嘉助がまず最初に「又三郎」と呼び、子どもたちもみなそう呼んだ。それで十分である。物語の中で、高田三郎は、モリブデンの発掘という仕事をする父親とともに、谷川の小学校に現れた。モリブデン発掘が中止になったので、村を去った。それ以上でもそれ以下でもない。
『風の又三郎』という作品を、東北地方にあるという「風祭り」と関連づけたり、又三郎を「風の神」としてとらえる民俗学的アプローチもあるようだが、いまの私は、そのようなアプローチには組したくない。
少し、興味を覚えるのは、「鼻のとがった人」がステッキのようなもので川の浅瀬を調べていたことと、モリブデンの発掘が関係があるのかもしれない、ということである。だが、これも、さほど重要なことではないかもしれない。
私がどうしても解決できない謎が二つある。一つは、三郎を極度におびえさせたシュプレヒコールの発端となった
雨はざっこざっこ雨三郎、
風はどっこどっこ又三郎。」
と叫んだのは誰か、ということである。本文では「すると、だれともなく、「雨は…。」と叫んだものがありました。」と書かれている。「叫んだもの」は人なのか、それともそうでないものを想起させたかったのか。
この後すぐ、「みんなもすぐ声をそろえて叫びました。」と書かれているので、シュプレヒコールを発したのは子どもたちである。三郎が「いま叫んだのはおまえらだちかい。」ときくと「そでない、そでない。」と「みんないっしょに叫びました。」と、これも子どもたちが一斉にそう叫んだのだ。
最初に叫んだのが人か何かわからないが、次にシュプレヒコールを浴びせたのはあきらかに子どもたちである。だが、三郎の問いにみんなで声をそろえて否定する。またもやぺ吉が出て来て「そでない。」とだめ押しする。
シュプレヒコールの威力は、集団の暴力である。多数の者がいっせいに声を出すことで、コミュニケーションを切断するのだ。前日は、一郎の音頭で子どもたちがシュプレヒコールを浴びせ、正体不明の鼻のとがった人を追い払った。この場面では一郎も集団のなかに埋没している。嘉助も耕助も「みんな」のなかである。三郎ひとり、「みんな」と対峙しなければならない。淵から上がった三郎のからだががくがくふるえていたのは、寒さと恐怖と、絶望的な疎外感のためだったのではないか。
もう一つわからないのは、物語の最期の段落の始めに
「どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
どっどど どどうど どどうど どどう
先ごろ、三郎から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中でまたきいたのです。」と書かれているのだが、本文中どこをさがしても、三郎が一郎あるいは子どもたちにこの歌を歌ってきかせている箇所はない。たしかなことは、一郎は「夢の中でまた」その歌をきいた、ということである。ここから終末までは一郎の物語である。
一郎は歌をきいてはね起きる。外は激しい嵐で、くぐり戸をあけるとつめたい雨と風がどっとはいって來る。ここから岩波文庫版で一頁あまり一郎と嵐の情景が描写される。
「馬屋のうしろのほうで何か戸がぱたっと倒れ、馬はぷるっと鼻を鳴らしました。
一郎は風が胸の底までしみ込んだように思って、はあっと息を強く吐きました。そして外へかけだしました。
外はもうよほど明るく、土はぬれておりました。家の前の栗の木の列は変に青く白く見えて、それがまるで風と雨とで今洗濯をするとでもいうように激しくもまれていました。
青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎれた青いくりのいがは黒い地面にたくさん落ちていました。空では雲がけわしい灰色にひかり、どんどん北のほうへ吹き飛ばされていました。
遠くのほうの林はまるで海が荒れているように、ごとんごとんと鳴ったりざっときこえたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられ、風に着物をもって行かれそうになりながら、だまってその音をききすまし、じっと空を見上げました。」
まさに「青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ」と風が猛威をふるっている。自然が、すさまじくも美しい破壊と浄化のかぎりをつくしている。一郎はその中に立って、全身でそれをうけとめている。
「すると胸がさらさらと波をたてるように思いました。けれどもまたじっとその鳴ってほえてうなって、かけて行く風をみていますと、今度は胸がどかどかとなってくるのでした。」
一郎のなかで何かが変化している。「胸がさらさらと波をたてるよう」「胸がどかどかとなってくる」。何かが一郎を昂揚させている。
「きのうまで丘や野原の空の底に澄みきってしんとしていた風が、けさ夜あけ方にわかにいっせいのこう動き出して、どんどんタスカロラ海溝の北のはじをめがけて行くことを考えますと、もう一郎は顔がほてり、息もはあはあとなって、自分までがいっしょに空を翔けて行くような気持ちになって、大急ぎでうちの中へはいると胸を一ぱいはって、息をふっと吹きました。」
タスカロラ海溝の北のはじをめがけて、風が動いている。その風と自分が同化していっしょに空を翔けている、という一体感が一郎を昂揚させている。もちろんそれは一瞬の幻覚にすぎず、翔けて行ったのは又三郎だ、と直感するのだが。
さて、それで、いまさらだが、「風の又三郎」とは何か。子どもたちから「又三郎」と呼ばれた高田三郎とは何か。私自身は、作者宮沢賢治の分身が高田三郎である、という仮説をたている。その仮説から「風の又三郎」について、というより「風」について、賢治が作品のなかで「風」をどうあつかってきたかを検証してみたいのだが、いかんせん力不足、というよりほかない現状である。「風」がなぜ「北」をめざすのか、ということだけでも追いかけてみたいのだが。
七転八倒して、尻切れとんぼの決論になってしまいました。この作品については、まだ言わなければならないことがあるように思うのですが、思いを言語化するのにもう少し時間がかかりそうです。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
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