2023年3月18日土曜日

宮澤賢治『氷河鼠の毛皮』__中途半端な革命譚__タイチと黒狐、氷河鼠

  タイチという金満家の男が、ベーリング(島?海?)をめざす列車の中で暴漢に襲われるが、船乗りの若者に救われる。稀少毛皮を外套にして幾重にも身にまとっていたことが、人だか熊だか判然としない暴漢たちに襲われた理由である。宗教学者の中沢新一は、『緑の資本主義』という著作の中でこの作品をとりあげ、「圧倒的な非対称」という章をもうけて論じている。中沢はタイチを襲う暴漢たちを熊とみなして、文明を作り上げた人間と動物の関係が「圧倒的な非対称」であり、この襲撃は「動物たちの人間へのテロ」であるという。多くの読者がすんなり納得させられる解析のように思われるが、はたしてそうか。

 十二月二十六日クリスマスの翌夜である。外は吹雪に閉ざされているが、イーハトーヴの停車場は暖炉の火が赤く燃え、暖炉の前に「最大急行」「ベーリング行」の乗客が「まっ黒に」立っている。夜八時汽罐車は汽笛とともに出発する。

 乗客は十五人。タイチはその中で最も太っていて、二人前の席をとっている。赤ら顔で「アラスカ産の金」の指輪をはめ、幾重にも毛皮をまとい、いかにも金に埋もれている様子だが、「十連発のぴかぴかする素敵な鉄砲」を持っているので、狩猟家でもある。向いの席の役人らしい紳士との会話で、今回のベーリング行で、黒狐の毛皮九百枚を持って来て見せるという賭けをしたといっている。

 乗客の多くは、タイチほどではなくても、同じように立派な身なりの紳士たちだったが、異質な人間が二人いた。一人は「北極狐のやうにきょとんとすまして腰を掛け」た「痩た赤いげの人」で、もう一人は「かたい帆布の上着を着て愉快さうに自分にだけ聞えるやうにな微かな口笛を吹いてゐる若い船乗りらしい男」である。しばらくすると、船乗りの青年は自分の窓のカーテンを上げ、窓に凍り付いた氷をナイフで削り、外の景色を見ていたが、「何か月に話し掛けてゐるかとも思はれ」るように「笑ふやうに又泣くやうに」かすかに唇をうごかしていた。

 痩た赤ひげの男は「熊の方の間諜」だった。タイチが役人風の男にいでたちの自慢をしているのを盗み聞きしていたのである。「イーハトーヴの冬の着物の上に、ラッコ裏の内外套ね、海狸の中外套根、黒狐表裏の外外套ね。」「それから北極兄弟商会の緩慢燃焼外套ね………。」「それから氷河鼠の頸のとこの毛皮だけでこさえた上着ね。」とタイチの自慢は際限もないが、さらに、今回黒狐の毛皮九百枚持って来てみせるという賭けをしたという。

 「ウヰスキーの小さなコップを十二ばかりやり」酔いがまわったタイチはあたりかまわずくだを巻きはじめる。他人の毛皮を贋物だとケチをつけたり、黄色の帆布一枚の若者に毛皮の外套を貸すと言って無視されたりしている。他の乗客は眠りについていて、起きているのは、聴き耳を立てて何か書きつけていた赤ひげの男と船乗りの青年だけだった。

 夜が明けると急に汽車がとまり、形相を変えピストルをつきつけた赤ひげの男を先頭に「二十人ばかりのすさまじい顔つきをした人がどうもそれは人といふよりは白熊といった方がいゝやうな、いや白熊といふよりは雪狐と云った方がいいやうなすてきにもくもくした毛皮を着た、いや着たといふよりは毛皮で皮ができているというた方がいゝやうな、もの」が仮面をかぶったり顔をかくしながら車室の中に入って来る。人だか熊だか雪狐だかわからない集団は、赤ひげの男の告発でタイチを拉致しようとする。先頭から三番目のものが、タイチのことを「こいつだな、電氣網をテルマの岸に張らせやがったやつは」と指摘しているので、赤ひげが告発するより前にタイチの存在は集団に知られていたようである。

 押されたり引きずられたりしながら、扉の外へ出されそうになったタイチを救ったのは黄色の帆布を着た青年だった。「まるで天井にぶつかる位のろしのやうに飛びあが」った青年は、赤ひげの足をすくって倒し、タイチを車室の中に引っぱり込んで赤ひげのピストルを奪ってそれを赤ひげの胸につきつけ、叫ぶのだ。

 「おい、熊ども。きさまらのしたことは尤もだ。けれどもおれたちだって仕方ない。生きてゐるにはきものも着なけあいけないんだ。おまへたちが魚をとるやうなもんだぜ。けれどもあんまり無法なことはこれから気を付けるやうに云ふから今度はゆるして呉れ。ちょっと汽車が動いたらおれの捕虜にしたこの男は返すから。」

 そして汽車は動き、赤ひげの男は船乗りの手をちょっと握って汽車から飛び降り、船乗りはピストルを窓の外へ放り出した。

 一件落着。めでたしめでたし。

 だろうか。船乗りの理屈に納得できる読者はどれくらいいるのだろうか。そもそも「生きてゐるものがきものを着る」ことと「おまへ(熊)たちが魚をとる」ことは等価だろうか。タイチが身にまとうラッコ裏の内外套、海狸の中外套、黒狐表裏の外外套、氷河鼠の頸の毛皮だけでつくった上着は「生きてゐる」ために必要なものでさえない。毛皮の外套は、極北に近い土地に狩りをしに行くために必要となったので、日常の生活になくてはならぬものだったとは思えない。極寒の地に狩りに行くためにしても、ここまでたくさん身にまとう必要はないだろう。

 それにたいして、熊たちにとって、魚をとることは生存の条件として絶対である。獲物をとって食べなければ生きていけないのだ。金持ちが道楽で毛皮を取るために動物を殺す行為と、熊が生存のために魚を殺す行為とを同じ秤ではかることはできない。金持ちの道楽のために殺される動物にむかって、殺す金持ちの側についたとりなし役が、あんまり無法に殺さないよう、すなわち適当に殺すようにするから、今回は許してくれ、という理屈が通用するのだろうか。

 不思議なことに、こんな、人間にとってだけ都合の良い理屈が、熊たちに通用したのである。思うにこれは、中沢新一がいうような「圧倒的な非対称」にある人間と動物の関係について寓喩した話ではない。では、何の寓喩なのか、これが難問なのである。

 そもそも「タイチ」とは何者か。タイチが若者に

 「ふん。バースレイかね。黒狐だよ。なかなか寒いからね、おい、君若いお方、失敬だが、外套を一枚お貸し申すとしようぢゃないか。黄色の帆布一枚ぢゃどうしてどうして零下の四十度をふせぐもなにもできやしない。」

と話しかける場面がある。この「バースレイ」についてあれこれ調べたら、berth  layのことのようである。船が波止場に繫留されている状態で、停泊休暇を意味するようだ。それにしても、タイチはなぜ黄色の帆布一枚の若者を見て停泊休暇の船乗りだと分かったのか。その後「黒狐だよ。なかなか寒いからね。」と続くのもわからない。

 「黒狐」もたんに「毛色の黒い狐」を意味するものではない。中国明代のエンサイクロペディア「三才図絵」によると、黒狐は北山に住む神獣で、王者が天下を平定した時に現れるとされる。滅多に姿を現すものではない。というか、伝説の世界の瑞獣である。タイチは黒狐の毛皮を九百枚取ってくるというが、どうやって取るのだろうか。それとも、タイチのいう黒狐は、カナダ、シベリアなどに生息するという銀狐=シルバーフォックスのことなのか。

 標題になっている「氷河鼠」の頸の毛皮というのもまたよくわからない。氷河鼠とは、北極圏に住むレミングという鼠のことだろうか。レミングは体長七センチから十五センチの鼠で、冬眠せず旺盛な食欲と繁殖力をもつが、三~四年周期で個体数が増減するそうである。こちらはうまくすれば、四五〇匹ないし百十六匹捕まえることは可能かもしれないが、こんなちいさな動物の頸の皮だけで外套を作る意味がわからない。

 要するに、タイチの言っていることは意味をなさないのだ。たぶん、タイチは「注文の多い料理店』の英国風紳士や『オツペルと象』のオツペル、さらに『ポランの広場』の山猫博士と発展していくキャラクターだろうが、「タイチ」という固有名詞が意味するものは何か。そして、黄色の帆布の若者が超人的な能力を発揮して、富と権力をひけらかす鼻持ちならないタイチを助けたのは何故だろう。

 タイチという固有名詞と黄色の帆布の若者との関係はひとまず措いておく。最終的に『ポランの広場』の山猫博士(謎の多い存在だが)へと行き着く「タイチ」というキャラクターは新興産業資本家のそれだろう。「ベーリング行最大急行」の乗客は資源獲得にむらがって、寒風吹きすさぶ停車場の暖炉の前に「まっ黒に立ってゐる」人たちだった。役人や商人も混じえた人々の群れの中で、もっとも強欲ぶりを発揮していたのがタイチだった。

 タイチが強欲な新興資本家の典型として描かれているとすれば、「熊」という言葉で表現されているものは何か。自然界の生物としての熊そのものではないだろう。熊だか人間だかわからない「もの」が汽罐車に闖入してきたことを「パルチザンの襲撃」と解釈した評者がいたように思うが、私の解釈もそれに近い。

 資源を搾取する側とされる側が「圧倒的な非対称」の関係にあることはいうまでもない。「非対称」は動物と人間の関係だけでなく、というよりむしろ、まず人間同士の間に「圧倒的非対称」=差別は在する。「ベーリング行最大急行」に闖入してきた「二十人ばかりのすざまじい顔つきをした人」は搾取され、差別される側のゲリラではないか。賢治が、「どうもそれは人といふより白熊といった方がいゝやうな、いや白熊といふよりは雪狐と云ったほうがいいやうなすてきにもくもくしたした毛皮を着た、いや着たと云ふよりは毛皮で皮ができているというた方がいゝやうな、もの」と、饒舌にことばを重ねながら、闖入者を描写しているのが興味深い。結局その集団は「人といふより…………、もの」とされるのだが。

 では、汽罐車に闖入してきたゲリラからタイチを守った黄色の帆布の若者は何者なのか。ゲリラを先導した赤ひげの男は、船乗りにピストルを奪われ、突きつけられながらも、去り際に「笑ってちょっと」彼の手を握るのだ。赤ひげは、タイチの側すなわち資本家の側について体制と秩序を守った船乗りに対して、微かな和解の意をしめしたのである。船乗りの若者は「ベーリング行最大急行」の乗客たちとは距離をおきながら、ゲリラの側にはつかず、身を挺してタイチを取り戻した。黄色の帆布の若者は、タイチを守るために「ベーリング行最大急行」に乗っていたかのようである。

 最後に「タイチ」という固有名詞について考えてみたい。「タイチ」は漢字で書けば「太一」だろう。「太極」かもしれない。いずれにしろ、宇宙、万物の根元であり、さらに北極星を指すともいわれ、古代中国において祭祀の対象になっていた。金に埋もれた資本家に賢治が「タイチ」という名をつけたのは何故だろう。船乗りの若者が「黄色」の帆布をまとっていたこととあわせて、私に仮説があるが、いま、ここで書くのは控えたい。

 例によって独断と偏見でいえば、この作品は尻切れトンボで中途半端な革命譚である。そのことは作品自体が尻切れトンボで中途半端であるという意味ではない。いうまでもなく。そのような、「革命」ともいえないような、ゲリラ戦すら実行できない状況を切り取って、賢治は緊迫感あふれる短編に仕上げたのである。

 前回の投稿から随分時間が経ってしまいました。賢治の作品はどれも難解ですが、その理由の一つが、彼の生きた時代の状況が私の中でもう一つつかみきれないということです。私が怠惰で非力であるということなのですが。今日も不出来な文章を最後までよんでくださってありがとうございます。

2022年12月18日日曜日

宮澤賢治『風の又三郎』__最後に残る二つの謎__高田三郎と宮澤賢治

  この後の月曜日、一郎と嘉助が嵐の中登校して、三郎が転校したことを告げられる。嘉助は先生に挨拶するとすぐ、「先生、又三郎きょう來るのすか。」ときいている。先生が告げるまでもなく、もう三郎は来ないことを嘉助も一郎も知っているのだ。

 九月一日に現れて、(おそらく)十一日に去って行った高田三郎。三郎が「風の又三郎」かどうか、という問いに対して、じつは私はほとんど関心がない。嘉助がまず最初に「又三郎」と呼び、子どもたちもみなそう呼んだ。それで十分である。物語の中で、高田三郎は、モリブデンの発掘という仕事をする父親とともに、谷川の小学校に現れた。モリブデン発掘が中止になったので、村を去った。それ以上でもそれ以下でもない。

 『風の又三郎』という作品を、東北地方にあるという「風祭り」と関連づけたり、又三郎を「風の神」としてとらえる民俗学的アプローチもあるようだが、いまの私は、そのようなアプローチには組したくない。

 少し、興味を覚えるのは、「鼻のとがった人」がステッキのようなもので川の浅瀬を調べていたことと、モリブデンの発掘が関係があるのかもしれない、ということである。だが、これも、さほど重要なことではないかもしれない。

 私がどうしても解決できない謎が二つある。一つは、三郎を極度におびえさせたシュプレヒコールの発端となった

 「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」

と叫んだのは誰か、ということである。本文では「すると、だれともなく、「雨は…。」と叫んだものがありました。」と書かれている。「叫んだもの」は人なのか、それとも作者はそうでないものを想起させたかったのか。

 この後すぐ、「みんなもすぐ声をそろえて叫びました。」と書かれているので、シュプレヒコールを発したのは子どもたちである。三郎が「いま叫んだのはおまえらだちかい。」ときくと「そでない、そでない。」と「みんないっしょに叫びました。」と、これも子どもたちがいっせいにそう叫んだのだ。

 最初に叫んだのが人か何かわからないが、次にシュプレヒコールを浴びせたのはあきらかに子どもたちである。だが、三郎の問いにみんなで声をそろえて否定する。またもやぺ吉が出て来て「そでない。」とだめ押しする。

 シュプレヒコールの威力は、集団の暴力である。多数の者がいっせいに声を出すことで、コミュニケーションを切断するのだ。前日は、一郎の音頭で子どもたちがシュプレヒコールを浴びせ、正体不明の鼻のとがった人を追い払った。この場面では一郎も集団のなかに埋没している。嘉助も耕助も「みんな」のなかである。三郎ひとり、「みんな」と対峙しなければならない。淵から上がった三郎のからだががくがくふるえていたのは、寒さと恐怖と、絶望的な疎外感のためだったのではないか。 

 もう一つわからないのは、物語の最期の段落の始めに

 「どっどど どどうど どどうど どどう
  青いくるみも吹きばせ
  すっぱいかりんも吹きとばせ
  どっどど どどうど どどうど どどう
  どっどど どどうど どどうど どどう

 先ごろ、三郎から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中でまたきいたのです。」
と書かれているのだが、本文中どこをさがしても、三郎が一郎あるいは子どもたちにこの歌を歌ってきかせている箇所はない。たしかなことは、一郎は「夢の中でまた」その歌をきいた、ということである。

 ここからは一郎と風の物語である。

 「馬屋のうしろのほうで何か戸がぱたっと倒れ、馬はぷるっと鼻を鳴らしました。一郎は風が胸の底までしみ込んだように思って、はあと息を強く吐きました。そして外へかけだしました。
 外はもうよほど明るく、土はぬれておりました。家の前の木の列は変に青く白く見えて、それがまるで風と雨とで今洗濯をするというように激しくもまれていました。
 青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎれた栗の青いいがは黒い地面にたくさん落ちていました。空では雲がけわしい灰色に光り、どんどん北のほうへ吹きとばされていました。
 遠くのほうの林はまるで海が荒れているように、ごとんごとんと鳴ったりざっと聞こえたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられ、風に着物をもって行かれそうになりながら、だまってその音をききすまし、じっと空を見上げました。」

 まさに「青いくるみも吹きとばせ。すっぱいりんごも吹きとばせ」の歌の通り、風が猛威をふるっている。すさまじくも美しい破壊と浄化の自然現象である。一郎は全身でそれをうけとめている。

 「すると胸がさらさらと波をたてるように思いました。けれどもまたじっとその鳴ってほえてうなって、かけて行く風をみていますと、今度は胸がどかどかとなってくるのでした。」

 一郎の中で何かが起きている。何かが一郎の中を通過して、一郎を昂揚させている。

 「きのうまで丘や野原の空の底に澄み切ってしんとしていた風が、けさ夜あけがたにわかにいっせいにこう動き出して、どんどんタスカロラ海溝の北のはじをめがけて行くことを考えますと、もう一郎は顔がほてり、息もはあはあとなって、自分までもがいっしょに空を翔けて行くような気持ちになって、大急ぎでうちの中へはいると胸を一ぱいはって、息をふっと吹きました。」

 「きのうまでしんとしていた」風が動きだした、ということ、それが一郎を昂揚させ、自分まで北をめざして空を翔けるような気持ちにさせたのだ。破壊と浄化、そして飛翔。変革への期待で一郎は「顔がほてり、息もはあはあと」なる。それは別離でもあったが。 

 「風の又三郎」を「見た」のは嘉助だったが、一郎は「風の又三郎」と「生きた」のだった。

 だが、いまさらながら「風の又三郎」とは何か。また「高田三郎」とは何か。「風の又三郎」とは何か、の問いに答えることはいまの私には不可能に近い。「高田三郎」については、何の検証もできていないが、ある仮説がある。作者宮沢賢治の分身ではないかと考えている。賢治が作品の中で「風」をどのように扱ってきたかをもう一回見直してみたいと思っている。

 七転八倒しながらやはり尻切れとんぼの結論になってしまいました。私にとって「風の又三郎」はあまりにも難解です。力不足、と言われればその通りなのですが。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 


 

 

 


 

 

 

 

  この後、一郎と嘉助が嵐の中登校して、三郎が転校したことを告げられる。嘉助は先生に「先生、又三郎きょう來るのすか。」ときいている。もう三郎は来ないことを嘉助も一郎も知っているのだ。


 九月一日に現れて、(おそらく)十一日に去って行った高田三郎。三郎が「風の又三郎」かどうか、という問いに対して、じつは私はほとんど関心がない。嘉助がまず最初に「又三郎」と呼び、子どもたちもみなそう呼んだ。それで十分である。物語の中で、高田三郎は、モリブデンの発掘という仕事をする父親とともに、谷川の小学校に現れた。モリブデン発掘が中止になったので、村を去った。それ以上でもそれ以下でもない。

 『風の又三郎』という作品を、東北地方にあるという「風祭り」と関連づけたり、又三郎を「風の神」としてとらえる民俗学的アプローチもあるようだが、いまの私は、そのようなアプローチには組したくない。

 少し、興味を覚えるのは、「鼻のとがった人」がステッキのようなもので川の浅瀬を調べていたことと、モリブデンの発掘が関係があるのかもしれない、ということである。だが、これも、さほど重要なことではないかもしれない。

 私がどうしても解決できない謎が二つある。一つは、三郎を極度におびえさせたシュプレヒコールの発端となった

 雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」

と叫んだのは誰か、ということである。本文では「すると、だれともなく、「雨は…。」と叫んだものがありました。」と書かれている。「叫んだもの」は人なのか、それともそうでないものを想起させたかったのか。

 この後すぐ、「みんなもすぐ声をそろえて叫びました。」と書かれているので、シュプレヒコールを発したのは子どもたちである。三郎が「いま叫んだのはおまえらだちかい。」ときくと「そでない、そでない。」と「みんないっしょに叫びました。」と、これも子どもたちが一斉にそう叫んだのだ。

 最初に叫んだのが人か何かわからないが、次にシュプレヒコールを浴びせたのはあきらかに子どもたちである。だが、三郎の問いにみんなで声をそろえて否定する。またもやぺ吉が出て来て「そでない。」とだめ押しする。

 シュプレヒコールの威力は、集団の暴力である。多数の者がいっせいに声を出すことで、コミュニケーションを切断するのだ。前日は、一郎の音頭で子どもたちがシュプレヒコールを浴びせ、正体不明の鼻のとがった人を追い払った。この場面では一郎も集団のなかに埋没している。嘉助も耕助も「みんな」のなかである。三郎ひとり、「みんな」と対峙しなければならない。淵から上がった三郎のからだががくがくふるえていたのは、寒さと恐怖と、絶望的な疎外感のためだったのではないか。 

 もう一つわからないのは、物語の最期の段落の始めに

 「どっどど どどうど どどうど どどう
 青いくるみも吹きばせ
 すっぱいかりんも吹きとばせ
 どっどど どどうど どどうど どどう
 どっどど どどうど どどうど どどう

 先ごろ、三郎から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中でまたきいたのです。」と書かれているのだが、本文中どこをさがしても、三郎が一郎あるいは子どもたちにこの歌を歌ってきかせている箇所はない。たしかなことは、一郎は「夢の中でまた」その歌をきいた、ということである。ここから終末までは一郎の物語である。

 一郎は歌をきいてはね起きる。外は激しい嵐で、くぐり戸をあけるとつめたい雨と風がどっとはいって來る。ここから岩波文庫版で一頁あまり一郎と嵐の情景が描写される。

 「馬屋のうしろのほうで何か戸がぱたっと倒れ、馬はぷるっと鼻を鳴らしました。
 一郎は風が胸の底までしみ込んだように思って、はあっと息を強く吐きました。そして外へかけだしました。
 外はもうよほど明るく、土はぬれておりました。家の前の栗の木の列は変に青く白く見えて、それがまるで風と雨とで今洗濯をするとでもいうように激しくもまれていました。
 青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎれた青いくりのいがは黒い地面にたくさん落ちていました。空では雲がけわしい灰色にひかり、どんどん北のほうへ吹き飛ばされていました。
 遠くのほうの林はまるで海が荒れているように、ごとんごとんと鳴ったりざっときこえたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられ、風に着物をもって行かれそうになりながら、だまってその音をききすまし、じっと空を見上げました。」

 まさに「青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ」と風が猛威をふるっている。自然が、すさまじくも美しい破壊と浄化のかぎりをつくしている。一郎はその中に立って、全身でそれをうけとめている。

 「すると胸がさらさらと波をたてるように思いました。けれどもまたじっとその鳴ってほえてうなって、かけて行く風をみていますと、今度は胸がどかどかとなってくるのでした。」

 一郎のなかで何かが変化している。「胸がさらさらと波をたてるよう」「胸がどかどかとなってくる」。何かが一郎を昂揚させている。

 「きのうまで丘や野原の空の底に澄みきってしんとしていた風が、けさ夜あけ方にわかにいっせいのこう動き出して、どんどんタスカロラ海溝の北のはじをめがけて行くことを考えますと、もう一郎は顔がほてり、息もはあはあとなって、自分までがいっしょに空を翔けて行くような気持ちになって、大急ぎでうちの中へはいると胸を一ぱいはって、息をふっと吹きました。」

 タスカロラ海溝の北のはじをめがけて、風が動いている。その風と自分が同化していっしょに空を翔けている、という一体感が一郎を昂揚させている。もちろんそれは一瞬の幻覚にすぎず、翔けて行ったのは又三郎だ、と直感するのだが。

 さて、それで、いまさらだが、「風の又三郎」とは何か。子どもたちから「又三郎」と呼ばれた高田三郎とは何か。私自身は、作者宮沢賢治の分身が高田三郎である、という仮説をたている。その仮説から「風の又三郎」について、というより「風」について、賢治が作品のなかで「風」をどうあつかってきたかを検証してみたいのだが、いかんせん力不足、というよりほかない現状である。「風」がなぜ「北」をめざすのか、ということだけでも追いかけてみたいのだが。

 七転八倒して、尻切れとんぼの決論になってしまいました。この作品については、まだ言わなければならないことがあるように思うのですが、思いを言語化するのにもう少し時間がかかりそうです。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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2022年12月16日金曜日

宮澤賢治『風の又三郎』__高田三郎はいかにして鬼になったか

  三郎と子どもたちが葡萄と栗を交換したエピソードの次に語られるのは、少し複雑で難解な出来事である。

 「次の日は霧がじめじめ降って学校のうしろの山もぼんやりしか見えませんでした。ところが今日も二時間目からだんだん晴れてまもなく空はまっ青になり、日はかんかん照って、お午になって一、二年が下がってしまうとまるで夏のように暑くなってしまいました。」

と書き出されるが、「次の日」が葡萄蔓とりの翌日のことなのか、よくわからない。「今日も二時間目からだんだん晴れて」とあるので、たぶん連続した日の出来事なのだろう。真夏のような暑さで、授業が終わると、子どもたちは川下に泳ぎに行く。「又三郎、水泳ぎに行かないが。」と嘉助に誘われ、三郎もついて行く。昨日の葡萄蔓とりには「三郎も行かないが。」と誘った嘉助が、今日は「又三郎」と呼びかけていることを覚えておきたい。

 勢いこんで水に飛び込み、がむしゃらに泳ぎ始めた子どもたちを三郎がわらい、その三郎が、今度は水にもぐって石をとろうとして息が続かず、途中で浮かびあがってきたのを見た子どもたちがわらう、という場面の後、発破を仕掛ける大人たちが登場する。庄助という抗夫が発破をしかけ、ほかの大人たちは網を持ったりして、水に入ってかまえる。だが、彼らが狙った獲物はかからず、流れてきた雑魚を取った子どもたちが大よろこびする。

 発破の音を聞きつけて、また別の大人たちが五六人、そのあとにはだか馬に乗った者もやってくる。そのとき、「さっぱりいないな。」とつぶやく庄助のそばへ三郎が行って、「魚返すよ。」といって二匹の鮒を河原に置く。「きたいなやづだな」といぶかる庄助と魚を置いて帰ってくる三郎を見て、みんながわらう。収獲がないので、大人たちが上流に去ると、耕助が泳いで行って三郎の置いてきた魚を持ってくる。みんなはそこでまたわらう。

 「発破かけだら、雑魚撒かせ。」と嘉助が雄たけびをあげる。子どもたちは雑魚だろうが何だろうが、魚がとれたことが無条件にうれしいのだ。食べ物が手に入ったのだから。だが、三郎にとっては、手放しでよろこべることではなかった。発破をかけて魚を取ること自体が違法行為であり、そうやって手に入れた魚は発破を仕掛けた者の所有物である、と考えたのかもしれない。とりあえず、魚を返すことで違法行為と関わりを断っておきたかった。泥棒といわれたくない、という自尊心もあったかもしれない。

 雑魚を返しに行く三郎の遵法意識が庄助に通用せず、いぶかられたのを見て笑った子どもたちにあるのは「食べ物が手に入ればうれしい」という徹底した現実感覚であり、論理である。三郎が返しに行った魚を取り返しに行くのが、葡萄蔓とりの耕助である。くちびるを紫いろにして葡萄をためこんでいた耕助がまたしても魚を取り返しに行く。子どもたちにとって「食」は無前提に優先されるが、三郎はそうではない。行動の当為が問題なのだ。子どもたちと三郎の隔たりをうみだすものは、飢えとの距離感だろう。

 だが、この時点では、いくぶんかの齟齬はあるものの、三郎が子どもたちから疎外されていたというわけではない。むしろ、一郎の指揮下子どもたちは、見知らぬ大人の侵入を警戒して、三郎を守ろうとするのである。

 発破騒ぎのあと、「一人の変に鼻のとがった、洋服を着てわらじをはいた人」が登場する。ステッキのようなもので生け洲をかきまわしている。佐太郎が「あいづ専売局だぞ。」と言い、嘉助も「又三郎、うなのとった煙草の葉めっけたんで、うな、連れでぐさ来たぞ。」と言う。「なんだい。こわくないや。」と三郎は言うが、「みんな、又三郎のごと、囲んでろ。」と一郎の指示で、三郎はさいかちの木の枝のなかに囲まれる。

 ところがその男は三郎を捕まえる気配もなく、川の中を行ったり来たりしている。子どもたちの緊張はとけたが、男のしていることの意味がわからない。それで、一郎が提案して、みんなで男に叫びかける。「あんまり川を濁すなよ、いつでも先生言うでないか。」このシュプレヒコールは三度くり返され、男は「この水飲むのか。」「川を歩いてわるいのか。」と子どもたちに問いかけるが、最後まで子どもたちは「あんまり川を濁すなよ、いつでも先生言うでないか。」とシュプレヒコールで返すだけだった。

 四度目のシュプレヒコールの後、男が去ると、子どもたちは何となく「その男も三郎も気の毒なようなおかしながらんとした気持ちになりながら」木からおりて、魚を手に家路についたのだった。

 子どもたちの生活世界のなかに、大人が侵入してくる。発破をしかけた一味と、それを見にきた集団。それから、目的不明で現れた「鼻のとがった人」。それらが、三郎と子どもたちの関係に微妙な波紋を投げかける。

 翌日、佐太郎が、発破の代わりに毒もみに使う山椒の粉を学校に持ってくる。山椒の粉は、それを持っているだけで捕まるというしろものである。この日の朝の天候は書かれていないが、「その日も十時ごろからやっぱりきのうのように暑くなりました。」とあるので、三日連続で夏のような天気が続いたことになる。授業が終わるのも待ち遠しく、子どもたちはさいかちの木の淵に急ぐ。佐太郎は耕助などみんなに囲まれて、三郎は嘉助とともに行ったのである。

 淵の岸に立って、佐太郎が一郎の顔を見ながら、差配する。佐太郎は、山椒の粉が入った笊を持って行って、上流の瀬で洗う。子どもたちはしいんとして、水を見つめている。三郎は水を見ないで、空を飛ぶ黒い鳥を見ている。一郎は河原に座って、石をたたいている。

 だが、いつまでたっても魚は浮いて来なかった。「さっぱり魚、浮かばないな。」と耕助がさけび、ぺ吉がまた「魚さっぱり浮かばないな。」と言うと、みんながやがやと言い出して、水に飛び込んでしまう。きまり悪そうにしゃがんでしばらく水をみていた佐太郎は、やがて立ち上がって「鬼っこしないか。」と言う。そうして、この「鬼っこ」が修羅場になる。

 つかまったりつかまえられたり、何遍も「鬼っこ」をするうちに、しまいに三郎一人が鬼になる。三郎が吉郎をつかまえて、二人でほかの子たちを追い込もうとするが、吉郎がへまをしたので、みんな上流の「根っこ」とよばれる安全地帯に上がってしまう。嘉助まで「又三郎、来」と、口を大きくあけて三郎をばかにする。さっきからおこっていた三郎はここで本気になって泳ぎ出す。これまで三郎をエスコートしてきた嘉助に裏切られたと思ったのだ。

 そして、みんなが集まっている「根っこ」の土に水をかけ始める。「根っこ」は粘土の土なので、だんだんすべって来て、集まっていた子どもたちは一度にすべって落ちてくる。三郎はそれをかたっぱしからつかまえる。一郎もつかまる。嘉助一人が逃げたが、三郎はすぐ追いついて、つかまえただけでなく、腕をつかんで四、五へん引っぱりまわす。水を飲んでむせた嘉助は「おいらもうやめた。こんな鬼っこもうしない。」と言う。ちいさな子どもたちは砂利の上に上がってしまい、三郎ひとりさいかちの木の下にたつ。三郎は一人ぼっちになってしまったのだ。

 三郎が一人鬼になってしまったのは偶然である。「鬼っこ」を始めたのも、毒もみ漁が上手くいかなかった佐太郎の思い付きだ。だが、鬼になった三郎が子どもたちを一網打尽にしたのは偶然ではない。彼がなみはずれた体力と知力をもっていたからである。そもそも、上の野原で逃げた馬を追って、馬といっしょに現れたのは三郎だった。

 その能力が怒りと結びついたとき、「鬼っこ」は修羅場と化した。天気も一変する。空は黒い雲に覆われ、あたりは暗くなり、雷が鳴りだす。轟音とともに夕立がやって来て、風まで吹きだす。

 さすがに三郎もこわくなったようで、さいかちの木の下から水の中に入って、みんなのほうへ泳ぎだす。そこへだれともなく、叫んだものがある。

 「雨はざっこざっこ雨三郎 
 風はどっこどっこ又三郎。」

すると、みんなも声をそろえて叫ぶのだ。

 「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ風三郎。」

 前日鼻のとがった人を追い払ったシュプレヒコールがここでも繰り返される。さらに、動揺した三郎が「いま叫んだのはおまえらだちかい。」ときくと、みんないっしょに

 「そでない。そでない。」

と叫ぶのだ。その上、ぺ吉がまた出て来て

 「そでない。」

と言う。

 三郎は、いつものようにくちびるをかんで、「なんだい。」と言うが、からだはがくがくふるえている。

 「そしてみんなは、雨のはれ間を待って、めいめいのうちへ帰ったのです。」と結ばれて、高田三郎の物語は終わる。

 高田三郎の物語はここで終わります。一郎と嘉助、そして村の子どもたちについては、もう少し考えてみたいことがあるのですが、長くなるので、また次回にしたいと思います。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2022年12月4日日曜日

宮澤賢治『風の又三郎』__葡萄と栗を交換する

  『風の又三郎』後半は、逃げた馬を追って彷徨した嘉助が、臨死体験のなかで「風の又三郎」を見た上の野原の出来事の後

 「次の日は朝のうちは雨でしたが、二時間目からだんだん明るくなって三時間目の終わりの十分休みにはとうとうすっかりやみ、あちこちに削ったような青ぞらもできて、その下を真白なうろこ雲がどんどん東へ走り、山の萱からも栗の木からも残りの雲が湯げのようにたちました。」

と書き出される。この「次の朝」が上の野原の出来事があった九月四日の日曜日の次の朝かどうか疑問なのだが、ともかくもここからは、嘉助の物語ではなく、又三郎と呼ばれる「高田三郎」の物語が語られる。

 耕助という子が葡萄蔓とりに嘉助を誘い、嘉助が三郎を誘う。葡萄蔓のありかを見つけた耕助は、嘉助が三郎を誘ったのがすでにおもしろくない。宝物のような葡萄蔓のありかをできるだけ秘密にしておきたかったのだ。

 葡萄蔓のある場所への道中、三郎はそれと知らないで、たばこの葉をむしって一郎に尋ねる。一郎は、たばこの葉が専売局の厳重な管理下にあるのを知っているので、少し青ざめて三郎をとがめる。子どもたちも口々にはやしたて、とくに耕助が、もと通りにしろなどと、いつまでも意地悪くいい募る。

 やがて山を少しのぼった所の栗の木の下に、山葡萄が藪になっている。耕助が「こごおれ見っつけたのだがらみんなあんまりとるやないぞ。」と言うと、三郎は「おいら栗のほうをとるんだい。」といって石を拾って枝に投げ、青いいがを落とす。そして、まだ白い栗を二つとったのである。

 その後一行が別の葡萄蔓の場所に移動する途中で、耕助が上から水をかけられて、体中水びたしになる。いつのまにか三郎が栗の木にのぼって、枝をゆすり、たまっていた雨水をふりかけたのだ。耕助がとがめても、三郎は「風が吹いたんだい。」とわらうだけである。そしてまた別の葡萄蔓に熱中する耕助は、またしても頭から水びたしになってしまう。姿は見えないが、今度も三郎が木をゆすって耕助に水をかけたのだった。

かんかんにおこった耕助と「風が吹いたんだい。」とくり返す三郎のやりとりを、ほかの子どもたちは笑ってみていたが、耕助は気持ちがおさまらない。三郎にむかって、「うあい又三郎、汝など世界になくてもいいなあ。」と言う。三郎は「失敬したよ、だってあんまりきみもぼくへ意地悪をするもんだから。」と謝るが、耕助のいかりはおさまらない。

 「汝などあ世界になくてもいいなあ。」「うなみたいな風など世界じゅうになくてもいいなあ。」「風など世界じゅうになくてもいいなあ。」と、あまりにも腹がたって言葉がみつからない耕助は、いつまでも同じことをいいつのる。結果、三郎に、風がなくてもいいというわけをいってごらん、と問い詰められ、いろいろ風の弊害をあげるが、最後に「風車もぶっこわさな。」といって、三郎だけでなくみんなに笑われてしまう。ついには耕助自身も笑い出し、三郎もきげんを直して耕助に謝り、仲直りする。

 帰るさに、一郎は三郎にぶどうを五ふさくれ、三郎は白い栗をみんなに二つずつ分けた、とあるが、この交換は何を意味するのだろう。そもそもこの一日のエピソードは何のためにここに置かれているのか。

 ここに描かれている高田三郎という少年は、議論をすることが上手だという点を除けば、同年齢の子どもたちと変わらないように見える。議論が上手なのも、父親の仕事上、いろいろな土地、世界を知っているためもあるかもしれない。要するに、都会的で「おませ」なのだ。だが、村の子たちが当たり前に知ってるたばこの葉のことを知らなかったことで、自尊心を傷つけられてしまう。

 それからもうひとつ、村の子たちと異なるのは、食べ物にたいする貪欲さに乏しいことだろう。「もう耕助はじぶんでも持てないくらいあちこちにためていて、口も紫いろになってまるで大きくみえました。」とあるが、耕助だけでなく、ほかの子どもたちにとっても、ぶどうは大のご馳走だった。三郎にとってもぶどうは魅力的だったはずで、「ぼくは北海道でもとったぞ。ぼくのお母さんは樽へ二っつ漬けたよ。」と言っている。それでも三郎は自分では葡萄をとらなかった。

 その三郎に、一郎はぶどうを五ふさくれて、三郎は白い栗をみんなに二つずつ分けた、とある。おいしいぶどうと、未熟で食べられない栗は等価交換ではない。そもそも、藪のようになっているぶどうはすぐに手に取って食べられるが、白い栗は三郎が石を投げて木から落としたものである。食べられないもののために、なぜ、三郎はそんな乱暴なことをしたのか。

 三郎のなかにある暴力性と自尊心の問題は、この後二日間のエピソードを読む上でも大きなテーマとなるが、それについては、また回をあらためたい。「耕助」「一郎」それから「嘉助」など、一見固有名詞に見えるものの意味することも考えてみたい。もちろん「風の又三郎」と「三郎」についても。

 いまの季節になっても、昼間は農作業に忙しく、といっても大したことはやっていないのですが、なかなかものを書く時間も読む時間もとれません。つくづく、体力、知力の衰えを感じています。今日も不出来な一文を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2022年10月19日水曜日

宮澤賢治『風の又三郎』__誰が風の又三郎を見たか

  又三郎を見たのは嘉助である。「ガラスのマントを着て、ガラスの靴をはき」「小さなくちびるを強そうにきっと結んだまま、黙って空を見て」いて、「いきなり」「ひらっとそらへ飛びあが」った又三郎を見たのは、嘉助である。谷川の岸にある小さな学校の小学五年生の嘉助だけが風の又三郎を見たのだった。

 『銀河鉄道の夜』と並んで、賢治の代表作として評価の定まっている『風の又三郎』については、多くの研究者の考察がある。いまさら私がいうべきことがあるだろうか、との思いもあるのだが、他の研究者の方と少し違う観点から(というより、例によって独断と偏見で)この作品と向き合ってみたい。

 賢治の多くの他作品と同様に、『風の又三郎』も彼の生前に活字化されたものではない。いま私がテキストとしているのは、昭和二六年四月二五日初版の第二七刷谷川徹三編の岩波文庫に収められたものであるが、ひとつの完成された作品として読むには、プロットの展開に不連続な部分があったり、矛盾が生じたりして不都合である。不可解な部分は不可解なまま読むしかないが、全体を通読して浮かび上がってくるのは、これは「童話」ではなく、「小説」なのだ、という思いである。作品のあちこちに存在する不可解な部分_謎を、「童話」のカテゴリーに入れて溶解させてしまうのでなく、現実の出来事として、どうしたらそのような事象が存在し得うるか、そのような事象を自分自身の感覚でリアリティあるものとして納得できるか、ぎりぎりまで考えていかなければならない。

 さて、作品に戻ると、いつも「くちびるをきっと結んだ」異形の転校生高田三郎の造型も印象的だが、それ以上に印象的なのが、彼を「又三郎」と呼び、かかわっていく村の子どもたちの姿である。

 新学期が始まった九月一日の朝、谷川の岸の小さな小学校の一つしかない教室の一番前に見知らぬ赤い髪の子がすわっている。登校して、自分の机におかしな赤い髪の子がすわっているのを見た一年生の子は泣きだし、後から「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり」とわけのわからないことを叫びながら「まるで大きなからすのように」「わらって」運動場にかけて来た嘉助はだまってしまう。その後来た一番年長の一郎が、赤い髪の子に呼びかけて、教室から外へ出てくるよう促すが、その子はきょろきょろみんなの方を見るだけで、じっとすわっている。

 たぶん、子どもたちの言葉が赤い髪の子にはまったくわからないのだろう。この作品で、賢治は、村の子どもたちに徹底して土地の方言で喋らせている。村の子どもたちにとって、赤い髪の子は言葉が通じない異邦人なのである。服装も「変なねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革の半靴をはいていたのです。」とあって、自分の机にすわられてしまった一年生の子が「黒い雪袴をはい」ていた時代では、「あいづは外国人だな」ということになってしまう。

 赤い髪の子を外国人から「風の又三郎」に昇華させたのは嘉助である。

 「そのとき風がどうと吹いて教室のガラスはみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱や栗の木みんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにゃっとわらってすこしうごいたようでした。
 すると嘉助がすぐ叫びました。
 「ああわかった。あいつは風の又三郎だぞ。」

 子どもたちも嘉助に同調して口々に赤い髪の子の又三郎たる所以を言い始める。これ以降、嘉助は一貫してその子を「又三郎」と呼び、子どもたちもそう呼ぶ。先生から「高田三郎」という本名を聞いた嘉助は、ここでも「わぁ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」と「まるで手をたたいて机の中で踊るようにしました」と書かれている。四年生の佐太郎だけが「又三郎だない。高田三郎だぢゃ。」というのだが、嘉助はどこまでも「又三郎だ。又三郎だ。」とがん張るのである。

 そうやって、「風の又三郎」を出現させた嘉助が、六年生の一郎に「嘉助、うなも残ってらば掃除してすけろ」といわれて「わぁい、やんたぢゃ。」と大急ぎで逃げだすと、

 「風がまた吹いてきて窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。」

と、嘉助の退場に風がさわぐのだ。「風の又三郎」より、嘉助自身のほうが、風と近親性があるのかもしれない。

 翌二日、小さな小学校の授業が始まる。一郎と嘉助が注目する中、三郎が「お早う。」と言って登校してくる。子ども同士で「お早う」と挨拶する習慣のない一郎と嘉助は、気後れしてしまって、ことばが返せない。他の子たちも誰も三郎に近寄っていかない。所在なく三郎が学校の玄関から向こう側の土手の方へ歩きだすと、つむじ風が起こる。するとまたもや嘉助が「そうだ。やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」と高く言って、だめ押しするのである。

 この後、新学期最初の日の授業風景が描かれ、三郎が四年生の佐太郎に自分の木ペンを与えるエピソードが語られる。佐太郎は嘉助に「又三郎だない。高田三郎ぢゃ。」と言った子だが、自分の木ペンをなくしたので、妹の木ペンを取り上げてしまったのである。妹のかよが取り返そうとしても、佐太郎が机にへばりついて渡さないので、かよは泣き出しそうになっている。三郎は困ったようにそれを見ていたが、だまって、自分の半分になった鉛筆を佐太郎の机の上に置く。にわかに元気になった佐太郎が、「くれる?」と聞くと、三郎はちょっととまどいながらも「うん」と言う。子どもながら抜け目ない佐太郎の策士ぶりが描かれていて、印象的なシーンである。

 佐太郎は、三郎が登場する最後の日でも重要な役割をになう人物である。

 このエピソードには、嘉助は登場しない。先生も佐太郎と三郎のやり取りには気がつかない。一郎だけが、一番後ろでこれを見ていた。そして、言葉にできない思いで歯ぎしりしていたのである。最後の三時間目の授業中、鉛筆を佐太郎にくれてしまった三郎が、消し炭を使って雑記帳に計算しているのを見たのも一郎だけだった。

 これが、赤い髪の転校生高田三郎が登場する二日間のできごとである。この後

 「次の朝、空はよく晴れて谷川はさらさらなりました。一郎は途中で嘉助と佐太郎と悦治を誘って一緒に三郎のうちのほうへ行きました。」という書き出しで、この作品の一つの山場が語られる。逃げた馬を追いかけた嘉助が気をうしなって「風の又三郎」と出会い、又三郎が空に飛びあがるのを見る場面は、前半のクライマックスである。

 ところで、「次の朝」とは、いつの次なのだろうか。この日登場する三郎は、九月一日谷川の岸の小学校に突然現れた赤い髪の異邦人転校生の三郎から、綺麗な標準語で村の子どもたちと自然に会話する「又三郎」へと変身している。明かな断絶がある。九月一日、二日とこの日(おそらく九月四日の日曜日)の間に、三郎の変化の過程を語る何らかのエピソードが挿入される予定だったが、どうしても断念せざるを得ない事情が賢治に生じたのではないか。そのようなエピソードがあったとしても、たった一日で劇的な変身を遂げるという筋書きは無理のように思われるが。

 いつ親交を深めたのかわからないが、一郎と嘉助ら四人の子どもたちは、三郎を誘って「上の野原」に行く。この「上の野原」と呼ばれる場所がどんな位置にあって、どのような地形になっているか、じつは、私はこの箇所を何遍読んでもよくわからない。「学校の少し下流で谷川をわたって」と書かれているので、川の「向こう側」である。「学校」という生活空間__「テニスコートのくらいの」運動場があり、たったひとつだが教室があって、いわば安全が担保された場所から、川を隔てた向こうへ、子どもたちは「だんだんのぼって行く」のである。子どもたちが楊の枝の皮で鞭をつくり、ひゅうひゅう振りながらのぼったのは、山のけものを追い払うためだと思われるが、もっと広くは魔ものをよけるためだろう。

 林の中の暗い道を抜け、息を切らしながら、三郎の待つ「約束のわき水」の出る場所まで登った子どもたちは、ここで三郎と出会い、冷たいわき水を飲む。ちょっとおかしいのは、ここまでかけ上がってきて、水を飲んだのが「三人」と書かれていることである。ここまで登ってきたのは四人のはずだが、誰かいなくなったのか、それとも作者の錯誤だろうか。

 三郎と一緒に子どもたちはさらに登って行く。上の野原の入り口近くから西のほうをながめると、たくさんの丘のむこうに、川にそった「ほんとうの野原」が碧くひろがっている、と書かれている。「ほんとうの野原」という言葉はこの後にも一回出てくるが、「上の野原」とどのように違う野原なのだろう。「上の野原」はほんとうの野原ではないのか。

 上の野原の入り口に、一本の大きな栗の木があって、幹の根本がまっ黒に焦げて、大きな洞のようになり、枝に古い縄や切れたわらじなどが吊るされている。神域を示す指標とも見えるが、何より無残な印象が強く、ここから先の「上の野原」がどのような空間であるかを象徴している。

 上の野原は草刈り場で、その中の土手で囲まれた内側には牧馬がいた。「来年から競馬に出る」「千円以上もする」馬だというが、子どもたちは、三郎の発案でそれらの馬を追って遊び始める。最初は、子どもたちがけしかけても反応しなかった馬が、「だあ」と一郎が掛け声をかけると、七匹が走り出す。そのうち二頭が、土手から外に出てしまう。土手の切れたところに丸太がわたしてあったのを、土手の内側に入るときに「おらこったなものはずせだぞ」と、軽率に嘉助が抜いてしまったので、障害がなくなっていたからである。

 物語の冒頭、嘉助が石をぶつけて教室の窓ガラスをわった、と子どもたちが言う場面がある。嘉助は乱暴ものなのだ。「風の又三郎」より嘉助のほうが風と近親性がある、と書いたが、作品中二回くり返される

 どっどど どどうど どどうど どどう
 青いくるみも吹きとばせ
 すっぱいかりんも吹きとばせ
 どっどど どどうど どどうど どどう

という歌の歌い手は、又三郎こと高田三郎より、嘉助のほうがふさわしいかもしれない。この歌の主題は、端的に破壊性である。

 さて、逃げた馬のうち一匹は一郎が抑えたが、もう一匹は本気で逃げてしまう。三郎と嘉助が必死に追うが、馬は捕まらない。ここからは、馬を追う嘉助の内部から物語が展開する。

 馬はどこまでも走る。後を追う嘉助は足がしびれて方向感覚もなくなってしまう。前を行く馬の赤いたてがみと三郎の白いシャッポが見えたのを最後に、嘉助は草むらに倒れてしまう。仰向けになって見上げる空はぐるぐる回り、雲がカンカン鳴って走っている。なんとか起き上がった嘉助は、馬と三郎が通った跡のような道を見つけて、歩きだす。だが、それも何がなんだかわからなくなってしまい、おまけに天気までおかしくなってくる。冷たい風が吹き、雲や霧が通り過ぎ、嘉助は道を見失う。破局の予感に脅えた嘉助は声を限りに一郎を呼ぶが、応答はない。

 嘉助はもう馬を追うことは諦めて、一郎たちのところに戻ろうとするが、来た道と違うところに出てしまう。あざみが茂り、草の底に岩かけがころがる。そして、いきなり大きな谷が現れ、その向こうは霧の中に消えている。風に揺らぐすすきの穂にまで翻弄されるが、急いで引き返すと、馬のひづめの跡の小さな黒い道を見つける。嘉助は喜んでその道を歩きだすが、行き着いたところは、てっぺんが焼けた大きな栗の木を囲む広場で、野馬の集まり場所だった。

 嘉助はがっかりして、ふたたび黒い道を戻りはじめる。ここからの描写は、現実のことなのか、嘉助が幻をみていたのか、どちらともいえない書き方である。見知らぬ草がゆらぎ、空が光ってキインと鳴る。霧の中に大きな黒い家の形のものがあらわれるが、近寄ってみると、冷たい大きな黒い岩だった。空がまた揺らぎ、草がしずくを払う。死を思った嘉助が一郎を呼んで叫ぶと、明るくなって、草はよろこびの息をする。山男に手足をしばられた子どものことを話す人声が聞こえる。それから、黒い道が消え、しばらくしいんとした後、強い風が吹いてくる。空が光って翻り、火花が燃えて、嘉助は草の中に倒れて、眠ってしまう。

 そして嘉助は風の又三郎を見たのである。又三郎の肩には栗の木の影が青くおちている。又三郎の影は青く草に落ちている。風が吹いている。それから、いきなり又三郎はガラスのマントをギラギラ光らせて空へ飛びあがったのである。

 岩波文庫版テキスト四ページにもわたる嘉助の彷徨は最後に

 「そんなことはみんなどこかの遠いできごとのようでした。」

という一行で読者を突き放したのち、「風の又三郎」を出現させて幕を閉じる。「もう又三郎がすぐ目の前に足を投げ出してだまって空を見あげているのです。」以下の八行は嘉助の臨死体験である。もしかしたら、最初に草むらに倒れてからの叙述全体が臨死体験なのかもしれない。

 死に臨んだ嘉助が見た「風の又三郎」は死神である。同時に、臨死体験、あるいはもっと常識的に夢、というべきかもしれないが、日常と異次元の時間の中で存在するものはすべて自意識の反映であるとすれば、「風の又三郎」は嘉助自身である。子どもたちに「又三郎」と呼ばれる「高田三郎」ではなく。

 それからどれほどの時間が流れたかわからないが、嘉助が目を開くと、馬と三郎がいる。嘉助が彷徨していた間、馬と三郎が何をしていたかは一切語られない。上の野原の出来事の主人公は嘉助であって、嘉助に臨死体験をさせるために、馬と三郎はそれぞれの役割を果たしたのだ。

 なぜ、嘉助はそのような体験をしなければならなかったのか。「嘉助」とはいったい何だろう。

 嘉助の物語は、みんなが上の野原をおりることでいったん終わる。

 「草からはしずくがきらきら落ち、すべての葉も茎も花も、ことしの終わりの日の光を吸っています。
 はるかな西の碧い野原は、今泣きやんだようにまぶしく笑い、向こうの栗の木は青い後光を放ちました。」

 とりあえず、自然は嘉助の体験を嘉したのだ。

 『風の又三郎』の主題は複雑かつ重層的で、今回はほんの一部分の表面をさらったにすぎません。これ以降の部分は、子どもたちから又三郎と呼ばれる少年高田三郎の物語になっていきます。異邦人三郎がどのように子どもたちに受け入れられ、どのように疎外されていったか、という視点から作品を読み直してみたいと思います。

 未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。