2022年12月18日日曜日

宮澤賢治『風の又三郎』__最後に残る二つの謎__高田三郎と宮澤賢治

  この後の月曜日、一郎と嘉助が嵐の中登校して、三郎が転校したことを告げられる。嘉助は先生に挨拶するとすぐ、「先生、又三郎きょう來るのすか。」ときいている。先生が告げるまでもなく、もう三郎は来ないことを嘉助も一郎も知っているのだ。

 九月一日に現れて、(おそらく)十一日に去って行った高田三郎。三郎が「風の又三郎」かどうか、という問いに対して、じつは私はほとんど関心がない。嘉助がまず最初に「又三郎」と呼び、子どもたちもみなそう呼んだ。それで十分である。物語の中で、高田三郎は、モリブデンの発掘という仕事をする父親とともに、谷川の小学校に現れた。モリブデン発掘が中止になったので、村を去った。それ以上でもそれ以下でもない。

 『風の又三郎』という作品を、東北地方にあるという「風祭り」と関連づけたり、又三郎を「風の神」としてとらえる民俗学的アプローチもあるようだが、いまの私は、そのようなアプローチには組したくない。

 少し、興味を覚えるのは、「鼻のとがった人」がステッキのようなもので川の浅瀬を調べていたことと、モリブデンの発掘が関係があるのかもしれない、ということである。だが、これも、さほど重要なことではないかもしれない。

 私がどうしても解決できない謎が二つある。一つは、三郎を極度におびえさせたシュプレヒコールの発端となった

 「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」

と叫んだのは誰か、ということである。本文では「すると、だれともなく、「雨は…。」と叫んだものがありました。」と書かれている。「叫んだもの」は人なのか、それとも作者はそうでないものを想起させたかったのか。

 この後すぐ、「みんなもすぐ声をそろえて叫びました。」と書かれているので、シュプレヒコールを発したのは子どもたちである。三郎が「いま叫んだのはおまえらだちかい。」ときくと「そでない、そでない。」と「みんないっしょに叫びました。」と、これも子どもたちがいっせいにそう叫んだのだ。

 最初に叫んだのが人か何かわからないが、次にシュプレヒコールを浴びせたのはあきらかに子どもたちである。だが、三郎の問いにみんなで声をそろえて否定する。またもやぺ吉が出て来て「そでない。」とだめ押しする。

 シュプレヒコールの威力は、集団の暴力である。多数の者がいっせいに声を出すことで、コミュニケーションを切断するのだ。前日は、一郎の音頭で子どもたちがシュプレヒコールを浴びせ、正体不明の鼻のとがった人を追い払った。この場面では一郎も集団のなかに埋没している。嘉助も耕助も「みんな」のなかである。三郎ひとり、「みんな」と対峙しなければならない。淵から上がった三郎のからだががくがくふるえていたのは、寒さと恐怖と、絶望的な疎外感のためだったのではないか。 

 もう一つわからないのは、物語の最期の段落の始めに

 「どっどど どどうど どどうど どどう
  青いくるみも吹きばせ
  すっぱいかりんも吹きとばせ
  どっどど どどうど どどうど どどう
  どっどど どどうど どどうど どどう

 先ごろ、三郎から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中でまたきいたのです。」
と書かれているのだが、本文中どこをさがしても、三郎が一郎あるいは子どもたちにこの歌を歌ってきかせている箇所はない。たしかなことは、一郎は「夢の中でまた」その歌をきいた、ということである。

 ここからは一郎と風の物語である。

 「馬屋のうしろのほうで何か戸がぱたっと倒れ、馬はぷるっと鼻を鳴らしました。一郎は風が胸の底までしみ込んだように思って、はあと息を強く吐きました。そして外へかけだしました。
 外はもうよほど明るく、土はぬれておりました。家の前の木の列は変に青く白く見えて、それがまるで風と雨とで今洗濯をするというように激しくもまれていました。
 青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎれた栗の青いいがは黒い地面にたくさん落ちていました。空では雲がけわしい灰色に光り、どんどん北のほうへ吹きとばされていました。
 遠くのほうの林はまるで海が荒れているように、ごとんごとんと鳴ったりざっと聞こえたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられ、風に着物をもって行かれそうになりながら、だまってその音をききすまし、じっと空を見上げました。」

 まさに「青いくるみも吹きとばせ。すっぱいりんごも吹きとばせ」の歌の通り、風が猛威をふるっている。すさまじくも美しい破壊と浄化の自然現象である。一郎は全身でそれをうけとめている。

 「すると胸がさらさらと波をたてるように思いました。けれどもまたじっとその鳴ってほえてうなって、かけて行く風をみていますと、今度は胸がどかどかとなってくるのでした。」

 一郎の中で何かが起きている。何かが一郎の中を通過して、一郎を昂揚させている。

 「きのうまで丘や野原の空の底に澄み切ってしんとしていた風が、けさ夜あけがたにわかにいっせいにこう動き出して、どんどんタスカロラ海溝の北のはじをめがけて行くことを考えますと、もう一郎は顔がほてり、息もはあはあとなって、自分までもがいっしょに空を翔けて行くような気持ちになって、大急ぎでうちの中へはいると胸を一ぱいはって、息をふっと吹きました。」

 「きのうまでしんとしていた」風が動きだした、ということ、それが一郎を昂揚させ、自分まで北をめざして空を翔けるような気持ちにさせたのだ。破壊と浄化、そして飛翔。変革への期待で一郎は「顔がほてり、息もはあはあと」なる。それは別離でもあったが。 

 「風の又三郎」を「見た」のは嘉助だったが、一郎は「風の又三郎」と「生きた」のだった。

 だが、いまさらながら「風の又三郎」とは何か。また「高田三郎」とは何か。「風の又三郎」とは何か、の問いに答えることはいまの私には不可能に近い。「高田三郎」については、何の検証もできていないが、ある仮説がある。作者宮沢賢治の分身ではないかと考えている。賢治が作品の中で「風」をどのように扱ってきたかをもう一回見直してみたいと思っている。

 七転八倒しながらやはり尻切れとんぼの結論になってしまいました。私にとって「風の又三郎」はあまりにも難解です。力不足、と言われればその通りなのですが。今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 


 

 

 


 

 

 

 

  この後、一郎と嘉助が嵐の中登校して、三郎が転校したことを告げられる。嘉助は先生に「先生、又三郎きょう來るのすか。」ときいている。もう三郎は来ないことを嘉助も一郎も知っているのだ。


 九月一日に現れて、(おそらく)十一日に去って行った高田三郎。三郎が「風の又三郎」かどうか、という問いに対して、じつは私はほとんど関心がない。嘉助がまず最初に「又三郎」と呼び、子どもたちもみなそう呼んだ。それで十分である。物語の中で、高田三郎は、モリブデンの発掘という仕事をする父親とともに、谷川の小学校に現れた。モリブデン発掘が中止になったので、村を去った。それ以上でもそれ以下でもない。

 『風の又三郎』という作品を、東北地方にあるという「風祭り」と関連づけたり、又三郎を「風の神」としてとらえる民俗学的アプローチもあるようだが、いまの私は、そのようなアプローチには組したくない。

 少し、興味を覚えるのは、「鼻のとがった人」がステッキのようなもので川の浅瀬を調べていたことと、モリブデンの発掘が関係があるのかもしれない、ということである。だが、これも、さほど重要なことではないかもしれない。

 私がどうしても解決できない謎が二つある。一つは、三郎を極度におびえさせたシュプレヒコールの発端となった

 雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」

と叫んだのは誰か、ということである。本文では「すると、だれともなく、「雨は…。」と叫んだものがありました。」と書かれている。「叫んだもの」は人なのか、それともそうでないものを想起させたかったのか。

 この後すぐ、「みんなもすぐ声をそろえて叫びました。」と書かれているので、シュプレヒコールを発したのは子どもたちである。三郎が「いま叫んだのはおまえらだちかい。」ときくと「そでない、そでない。」と「みんないっしょに叫びました。」と、これも子どもたちが一斉にそう叫んだのだ。

 最初に叫んだのが人か何かわからないが、次にシュプレヒコールを浴びせたのはあきらかに子どもたちである。だが、三郎の問いにみんなで声をそろえて否定する。またもやぺ吉が出て来て「そでない。」とだめ押しする。

 シュプレヒコールの威力は、集団の暴力である。多数の者がいっせいに声を出すことで、コミュニケーションを切断するのだ。前日は、一郎の音頭で子どもたちがシュプレヒコールを浴びせ、正体不明の鼻のとがった人を追い払った。この場面では一郎も集団のなかに埋没している。嘉助も耕助も「みんな」のなかである。三郎ひとり、「みんな」と対峙しなければならない。淵から上がった三郎のからだががくがくふるえていたのは、寒さと恐怖と、絶望的な疎外感のためだったのではないか。 

 もう一つわからないのは、物語の最期の段落の始めに

 「どっどど どどうど どどうど どどう
 青いくるみも吹きばせ
 すっぱいかりんも吹きとばせ
 どっどど どどうど どどうど どどう
 どっどど どどうど どどうど どどう

 先ごろ、三郎から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中でまたきいたのです。」と書かれているのだが、本文中どこをさがしても、三郎が一郎あるいは子どもたちにこの歌を歌ってきかせている箇所はない。たしかなことは、一郎は「夢の中でまた」その歌をきいた、ということである。ここから終末までは一郎の物語である。

 一郎は歌をきいてはね起きる。外は激しい嵐で、くぐり戸をあけるとつめたい雨と風がどっとはいって來る。ここから岩波文庫版で一頁あまり一郎と嵐の情景が描写される。

 「馬屋のうしろのほうで何か戸がぱたっと倒れ、馬はぷるっと鼻を鳴らしました。
 一郎は風が胸の底までしみ込んだように思って、はあっと息を強く吐きました。そして外へかけだしました。
 外はもうよほど明るく、土はぬれておりました。家の前の栗の木の列は変に青く白く見えて、それがまるで風と雨とで今洗濯をするとでもいうように激しくもまれていました。
 青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎれた青いくりのいがは黒い地面にたくさん落ちていました。空では雲がけわしい灰色にひかり、どんどん北のほうへ吹き飛ばされていました。
 遠くのほうの林はまるで海が荒れているように、ごとんごとんと鳴ったりざっときこえたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられ、風に着物をもって行かれそうになりながら、だまってその音をききすまし、じっと空を見上げました。」

 まさに「青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ」と風が猛威をふるっている。自然が、すさまじくも美しい破壊と浄化のかぎりをつくしている。一郎はその中に立って、全身でそれをうけとめている。

 「すると胸がさらさらと波をたてるように思いました。けれどもまたじっとその鳴ってほえてうなって、かけて行く風をみていますと、今度は胸がどかどかとなってくるのでした。」

 一郎のなかで何かが変化している。「胸がさらさらと波をたてるよう」「胸がどかどかとなってくる」。何かが一郎を昂揚させている。

 「きのうまで丘や野原の空の底に澄みきってしんとしていた風が、けさ夜あけ方にわかにいっせいのこう動き出して、どんどんタスカロラ海溝の北のはじをめがけて行くことを考えますと、もう一郎は顔がほてり、息もはあはあとなって、自分までがいっしょに空を翔けて行くような気持ちになって、大急ぎでうちの中へはいると胸を一ぱいはって、息をふっと吹きました。」

 タスカロラ海溝の北のはじをめがけて、風が動いている。その風と自分が同化していっしょに空を翔けている、という一体感が一郎を昂揚させている。もちろんそれは一瞬の幻覚にすぎず、翔けて行ったのは又三郎だ、と直感するのだが。

 さて、それで、いまさらだが、「風の又三郎」とは何か。子どもたちから「又三郎」と呼ばれた高田三郎とは何か。私自身は、作者宮沢賢治の分身が高田三郎である、という仮説をたている。その仮説から「風の又三郎」について、というより「風」について、賢治が作品のなかで「風」をどうあつかってきたかを検証してみたいのだが、いかんせん力不足、というよりほかない現状である。「風」がなぜ「北」をめざすのか、ということだけでも追いかけてみたいのだが。

 七転八倒して、尻切れとんぼの決論になってしまいました。この作品については、まだ言わなければならないことがあるように思うのですが、思いを言語化するのにもう少し時間がかかりそうです。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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2022年12月16日金曜日

宮澤賢治『風の又三郎』__高田三郎はいかにして鬼になったか

  三郎と子どもたちが葡萄と栗を交換したエピソードの次に語られるのは、少し複雑で難解な出来事である。

 「次の日は霧がじめじめ降って学校のうしろの山もぼんやりしか見えませんでした。ところが今日も二時間目からだんだん晴れてまもなく空はまっ青になり、日はかんかん照って、お午になって一、二年が下がってしまうとまるで夏のように暑くなってしまいました。」

と書き出されるが、「次の日」が葡萄蔓とりの翌日のことなのか、よくわからない。「今日も二時間目からだんだん晴れて」とあるので、たぶん連続した日の出来事なのだろう。真夏のような暑さで、授業が終わると、子どもたちは川下に泳ぎに行く。「又三郎、水泳ぎに行かないが。」と嘉助に誘われ、三郎もついて行く。昨日の葡萄蔓とりには「三郎も行かないが。」と誘った嘉助が、今日は「又三郎」と呼びかけていることを覚えておきたい。

 勢いこんで水に飛び込み、がむしゃらに泳ぎ始めた子どもたちを三郎がわらい、その三郎が、今度は水にもぐって石をとろうとして息が続かず、途中で浮かびあがってきたのを見た子どもたちがわらう、という場面の後、発破を仕掛ける大人たちが登場する。庄助という抗夫が発破をしかけ、ほかの大人たちは網を持ったりして、水に入ってかまえる。だが、彼らが狙った獲物はかからず、流れてきた雑魚を取った子どもたちが大よろこびする。

 発破の音を聞きつけて、また別の大人たちが五六人、そのあとにはだか馬に乗った者もやってくる。そのとき、「さっぱりいないな。」とつぶやく庄助のそばへ三郎が行って、「魚返すよ。」といって二匹の鮒を河原に置く。「きたいなやづだな」といぶかる庄助と魚を置いて帰ってくる三郎を見て、みんながわらう。収獲がないので、大人たちが上流に去ると、耕助が泳いで行って三郎の置いてきた魚を持ってくる。みんなはそこでまたわらう。

 「発破かけだら、雑魚撒かせ。」と嘉助が雄たけびをあげる。子どもたちは雑魚だろうが何だろうが、魚がとれたことが無条件にうれしいのだ。食べ物が手に入ったのだから。だが、三郎にとっては、手放しでよろこべることではなかった。発破をかけて魚を取ること自体が違法行為であり、そうやって手に入れた魚は発破を仕掛けた者の所有物である、と考えたのかもしれない。とりあえず、魚を返すことで違法行為と関わりを断っておきたかった。泥棒といわれたくない、という自尊心もあったかもしれない。

 雑魚を返しに行く三郎の遵法意識が庄助に通用せず、いぶかられたのを見て笑った子どもたちにあるのは「食べ物が手に入ればうれしい」という徹底した現実感覚であり、論理である。三郎が返しに行った魚を取り返しに行くのが、葡萄蔓とりの耕助である。くちびるを紫いろにして葡萄をためこんでいた耕助がまたしても魚を取り返しに行く。子どもたちにとって「食」は無前提に優先されるが、三郎はそうではない。行動の当為が問題なのだ。子どもたちと三郎の隔たりをうみだすものは、飢えとの距離感だろう。

 だが、この時点では、いくぶんかの齟齬はあるものの、三郎が子どもたちから疎外されていたというわけではない。むしろ、一郎の指揮下子どもたちは、見知らぬ大人の侵入を警戒して、三郎を守ろうとするのである。

 発破騒ぎのあと、「一人の変に鼻のとがった、洋服を着てわらじをはいた人」が登場する。ステッキのようなもので生け洲をかきまわしている。佐太郎が「あいづ専売局だぞ。」と言い、嘉助も「又三郎、うなのとった煙草の葉めっけたんで、うな、連れでぐさ来たぞ。」と言う。「なんだい。こわくないや。」と三郎は言うが、「みんな、又三郎のごと、囲んでろ。」と一郎の指示で、三郎はさいかちの木の枝のなかに囲まれる。

 ところがその男は三郎を捕まえる気配もなく、川の中を行ったり来たりしている。子どもたちの緊張はとけたが、男のしていることの意味がわからない。それで、一郎が提案して、みんなで男に叫びかける。「あんまり川を濁すなよ、いつでも先生言うでないか。」このシュプレヒコールは三度くり返され、男は「この水飲むのか。」「川を歩いてわるいのか。」と子どもたちに問いかけるが、最後まで子どもたちは「あんまり川を濁すなよ、いつでも先生言うでないか。」とシュプレヒコールで返すだけだった。

 四度目のシュプレヒコールの後、男が去ると、子どもたちは何となく「その男も三郎も気の毒なようなおかしながらんとした気持ちになりながら」木からおりて、魚を手に家路についたのだった。

 子どもたちの生活世界のなかに、大人が侵入してくる。発破をしかけた一味と、それを見にきた集団。それから、目的不明で現れた「鼻のとがった人」。それらが、三郎と子どもたちの関係に微妙な波紋を投げかける。

 翌日、佐太郎が、発破の代わりに毒もみに使う山椒の粉を学校に持ってくる。山椒の粉は、それを持っているだけで捕まるというしろものである。この日の朝の天候は書かれていないが、「その日も十時ごろからやっぱりきのうのように暑くなりました。」とあるので、三日連続で夏のような天気が続いたことになる。授業が終わるのも待ち遠しく、子どもたちはさいかちの木の淵に急ぐ。佐太郎は耕助などみんなに囲まれて、三郎は嘉助とともに行ったのである。

 淵の岸に立って、佐太郎が一郎の顔を見ながら、差配する。佐太郎は、山椒の粉が入った笊を持って行って、上流の瀬で洗う。子どもたちはしいんとして、水を見つめている。三郎は水を見ないで、空を飛ぶ黒い鳥を見ている。一郎は河原に座って、石をたたいている。

 だが、いつまでたっても魚は浮いて来なかった。「さっぱり魚、浮かばないな。」と耕助がさけび、ぺ吉がまた「魚さっぱり浮かばないな。」と言うと、みんながやがやと言い出して、水に飛び込んでしまう。きまり悪そうにしゃがんでしばらく水をみていた佐太郎は、やがて立ち上がって「鬼っこしないか。」と言う。そうして、この「鬼っこ」が修羅場になる。

 つかまったりつかまえられたり、何遍も「鬼っこ」をするうちに、しまいに三郎一人が鬼になる。三郎が吉郎をつかまえて、二人でほかの子たちを追い込もうとするが、吉郎がへまをしたので、みんな上流の「根っこ」とよばれる安全地帯に上がってしまう。嘉助まで「又三郎、来」と、口を大きくあけて三郎をばかにする。さっきからおこっていた三郎はここで本気になって泳ぎ出す。これまで三郎をエスコートしてきた嘉助に裏切られたと思ったのだ。

 そして、みんなが集まっている「根っこ」の土に水をかけ始める。「根っこ」は粘土の土なので、だんだんすべって来て、集まっていた子どもたちは一度にすべって落ちてくる。三郎はそれをかたっぱしからつかまえる。一郎もつかまる。嘉助一人が逃げたが、三郎はすぐ追いついて、つかまえただけでなく、腕をつかんで四、五へん引っぱりまわす。水を飲んでむせた嘉助は「おいらもうやめた。こんな鬼っこもうしない。」と言う。ちいさな子どもたちは砂利の上に上がってしまい、三郎ひとりさいかちの木の下にたつ。三郎は一人ぼっちになってしまったのだ。

 三郎が一人鬼になってしまったのは偶然である。「鬼っこ」を始めたのも、毒もみ漁が上手くいかなかった佐太郎の思い付きだ。だが、鬼になった三郎が子どもたちを一網打尽にしたのは偶然ではない。彼がなみはずれた体力と知力をもっていたからである。そもそも、上の野原で逃げた馬を追って、馬といっしょに現れたのは三郎だった。

 その能力が怒りと結びついたとき、「鬼っこ」は修羅場と化した。天気も一変する。空は黒い雲に覆われ、あたりは暗くなり、雷が鳴りだす。轟音とともに夕立がやって来て、風まで吹きだす。

 さすがに三郎もこわくなったようで、さいかちの木の下から水の中に入って、みんなのほうへ泳ぎだす。そこへだれともなく、叫んだものがある。

 「雨はざっこざっこ雨三郎 
 風はどっこどっこ又三郎。」

すると、みんなも声をそろえて叫ぶのだ。

 「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ風三郎。」

 前日鼻のとがった人を追い払ったシュプレヒコールがここでも繰り返される。さらに、動揺した三郎が「いま叫んだのはおまえらだちかい。」ときくと、みんないっしょに

 「そでない。そでない。」

と叫ぶのだ。その上、ぺ吉がまた出て来て

 「そでない。」

と言う。

 三郎は、いつものようにくちびるをかんで、「なんだい。」と言うが、からだはがくがくふるえている。

 「そしてみんなは、雨のはれ間を待って、めいめいのうちへ帰ったのです。」と結ばれて、高田三郎の物語は終わる。

 高田三郎の物語はここで終わります。一郎と嘉助、そして村の子どもたちについては、もう少し考えてみたいことがあるのですが、長くなるので、また次回にしたいと思います。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2022年12月4日日曜日

宮澤賢治『風の又三郎』__葡萄と栗を交換する

  『風の又三郎』後半は、逃げた馬を追って彷徨した嘉助が、臨死体験のなかで「風の又三郎」を見た上の野原の出来事の後

 「次の日は朝のうちは雨でしたが、二時間目からだんだん明るくなって三時間目の終わりの十分休みにはとうとうすっかりやみ、あちこちに削ったような青ぞらもできて、その下を真白なうろこ雲がどんどん東へ走り、山の萱からも栗の木からも残りの雲が湯げのようにたちました。」

と書き出される。この「次の朝」が上の野原の出来事があった九月四日の日曜日の次の朝かどうか疑問なのだが、ともかくもここからは、嘉助の物語ではなく、又三郎と呼ばれる「高田三郎」の物語が語られる。

 耕助という子が葡萄蔓とりに嘉助を誘い、嘉助が三郎を誘う。葡萄蔓のありかを見つけた耕助は、嘉助が三郎を誘ったのがすでにおもしろくない。宝物のような葡萄蔓のありかをできるだけ秘密にしておきたかったのだ。

 葡萄蔓のある場所への道中、三郎はそれと知らないで、たばこの葉をむしって一郎に尋ねる。一郎は、たばこの葉が専売局の厳重な管理下にあるのを知っているので、少し青ざめて三郎をとがめる。子どもたちも口々にはやしたて、とくに耕助が、もと通りにしろなどと、いつまでも意地悪くいい募る。

 やがて山を少しのぼった所の栗の木の下に、山葡萄が藪になっている。耕助が「こごおれ見っつけたのだがらみんなあんまりとるやないぞ。」と言うと、三郎は「おいら栗のほうをとるんだい。」といって石を拾って枝に投げ、青いいがを落とす。そして、まだ白い栗を二つとったのである。

 その後一行が別の葡萄蔓の場所に移動する途中で、耕助が上から水をかけられて、体中水びたしになる。いつのまにか三郎が栗の木にのぼって、枝をゆすり、たまっていた雨水をふりかけたのだ。耕助がとがめても、三郎は「風が吹いたんだい。」とわらうだけである。そしてまた別の葡萄蔓に熱中する耕助は、またしても頭から水びたしになってしまう。姿は見えないが、今度も三郎が木をゆすって耕助に水をかけたのだった。

かんかんにおこった耕助と「風が吹いたんだい。」とくり返す三郎のやりとりを、ほかの子どもたちは笑ってみていたが、耕助は気持ちがおさまらない。三郎にむかって、「うあい又三郎、汝など世界になくてもいいなあ。」と言う。三郎は「失敬したよ、だってあんまりきみもぼくへ意地悪をするもんだから。」と謝るが、耕助のいかりはおさまらない。

 「汝などあ世界になくてもいいなあ。」「うなみたいな風など世界じゅうになくてもいいなあ。」「風など世界じゅうになくてもいいなあ。」と、あまりにも腹がたって言葉がみつからない耕助は、いつまでも同じことをいいつのる。結果、三郎に、風がなくてもいいというわけをいってごらん、と問い詰められ、いろいろ風の弊害をあげるが、最後に「風車もぶっこわさな。」といって、三郎だけでなくみんなに笑われてしまう。ついには耕助自身も笑い出し、三郎もきげんを直して耕助に謝り、仲直りする。

 帰るさに、一郎は三郎にぶどうを五ふさくれ、三郎は白い栗をみんなに二つずつ分けた、とあるが、この交換は何を意味するのだろう。そもそもこの一日のエピソードは何のためにここに置かれているのか。

 ここに描かれている高田三郎という少年は、議論をすることが上手だという点を除けば、同年齢の子どもたちと変わらないように見える。議論が上手なのも、父親の仕事上、いろいろな土地、世界を知っているためもあるかもしれない。要するに、都会的で「おませ」なのだ。だが、村の子たちが当たり前に知ってるたばこの葉のことを知らなかったことで、自尊心を傷つけられてしまう。

 それからもうひとつ、村の子たちと異なるのは、食べ物にたいする貪欲さに乏しいことだろう。「もう耕助はじぶんでも持てないくらいあちこちにためていて、口も紫いろになってまるで大きくみえました。」とあるが、耕助だけでなく、ほかの子どもたちにとっても、ぶどうは大のご馳走だった。三郎にとってもぶどうは魅力的だったはずで、「ぼくは北海道でもとったぞ。ぼくのお母さんは樽へ二っつ漬けたよ。」と言っている。それでも三郎は自分では葡萄をとらなかった。

 その三郎に、一郎はぶどうを五ふさくれて、三郎は白い栗をみんなに二つずつ分けた、とある。おいしいぶどうと、未熟で食べられない栗は等価交換ではない。そもそも、藪のようになっているぶどうはすぐに手に取って食べられるが、白い栗は三郎が石を投げて木から落としたものである。食べられないもののために、なぜ、三郎はそんな乱暴なことをしたのか。

 三郎のなかにある暴力性と自尊心の問題は、この後二日間のエピソードを読む上でも大きなテーマとなるが、それについては、また回をあらためたい。「耕助」「一郎」それから「嘉助」など、一見固有名詞に見えるものの意味することも考えてみたい。もちろん「風の又三郎」と「三郎」についても。

 いまの季節になっても、昼間は農作業に忙しく、といっても大したことはやっていないのですが、なかなかものを書く時間も読む時間もとれません。つくづく、体力、知力の衰えを感じています。今日も不出来な一文を最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2022年10月19日水曜日

宮澤賢治『風の又三郎』__誰が風の又三郎を見たか

  又三郎を見たのは嘉助である。「ガラスのマントを着て、ガラスの靴をはき」「小さなくちびるを強そうにきっと結んだまま、黙って空を見て」いて、「いきなり」「ひらっとそらへ飛びあが」った又三郎を見たのは、嘉助である。谷川の岸にある小さな学校の小学五年生の嘉助だけが風の又三郎を見たのだった。

 『銀河鉄道の夜』と並んで、賢治の代表作として評価の定まっている『風の又三郎』については、多くの研究者の考察がある。いまさら私がいうべきことがあるだろうか、との思いもあるのだが、他の研究者の方と少し違う観点から(というより、例によって独断と偏見で)この作品と向き合ってみたい。

 賢治の多くの他作品と同様に、『風の又三郎』も彼の生前に活字化されたものではない。いま私がテキストとしているのは、昭和二六年四月二五日初版の第二七刷谷川徹三編の岩波文庫に収められたものであるが、ひとつの完成された作品として読むには、プロットの展開に不連続な部分があったり、矛盾が生じたりして不都合である。不可解な部分は不可解なまま読むしかないが、全体を通読して浮かび上がってくるのは、これは「童話」ではなく、「小説」なのだ、という思いである。作品のあちこちに存在する不可解な部分_謎を、「童話」のカテゴリーに入れて溶解させてしまうのでなく、現実の出来事として、どうしたらそのような事象が存在し得うるか、そのような事象を自分自身の感覚でリアリティあるものとして納得できるか、ぎりぎりまで考えていかなければならない。

 さて、作品に戻ると、いつも「くちびるをきっと結んだ」異形の転校生高田三郎の造型も印象的だが、それ以上に印象的なのが、彼を「又三郎」と呼び、かかわっていく村の子どもたちの姿である。

 新学期が始まった九月一日の朝、谷川の岸の小さな小学校の一つしかない教室の一番前に見知らぬ赤い髪の子がすわっている。登校して、自分の机におかしな赤い髪の子がすわっているのを見た一年生の子は泣きだし、後から「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり」とわけのわからないことを叫びながら「まるで大きなからすのように」「わらって」運動場にかけて来た嘉助はだまってしまう。その後来た一番年長の一郎が、赤い髪の子に呼びかけて、教室から外へ出てくるよう促すが、その子はきょろきょろみんなの方を見るだけで、じっとすわっている。

 たぶん、子どもたちの言葉が赤い髪の子にはまったくわからないのだろう。この作品で、賢治は、村の子どもたちに徹底して土地の方言で喋らせている。村の子どもたちにとって、赤い髪の子は言葉が通じない異邦人なのである。服装も「変なねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革の半靴をはいていたのです。」とあって、自分の机にすわられてしまった一年生の子が「黒い雪袴をはい」ていた時代では、「あいづは外国人だな」ということになってしまう。

 赤い髪の子を外国人から「風の又三郎」に昇華させたのは嘉助である。

 「そのとき風がどうと吹いて教室のガラスはみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱や栗の木みんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにゃっとわらってすこしうごいたようでした。
 すると嘉助がすぐ叫びました。
 「ああわかった。あいつは風の又三郎だぞ。」

 子どもたちも嘉助に同調して口々に赤い髪の子の又三郎たる所以を言い始める。これ以降、嘉助は一貫してその子を「又三郎」と呼び、子どもたちもそう呼ぶ。先生から「高田三郎」という本名を聞いた嘉助は、ここでも「わぁ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」と「まるで手をたたいて机の中で踊るようにしました」と書かれている。四年生の佐太郎だけが「又三郎だない。高田三郎だぢゃ。」というのだが、嘉助はどこまでも「又三郎だ。又三郎だ。」とがん張るのである。

 そうやって、「風の又三郎」を出現させた嘉助が、六年生の一郎に「嘉助、うなも残ってらば掃除してすけろ」といわれて「わぁい、やんたぢゃ。」と大急ぎで逃げだすと、

 「風がまた吹いてきて窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。」

と、嘉助の退場に風がさわぐのだ。「風の又三郎」より、嘉助自身のほうが、風と近親性があるのかもしれない。

 翌二日、小さな小学校の授業が始まる。一郎と嘉助が注目する中、三郎が「お早う。」と言って登校してくる。子ども同士で「お早う」と挨拶する習慣のない一郎と嘉助は、気後れしてしまって、ことばが返せない。他の子たちも誰も三郎に近寄っていかない。所在なく三郎が学校の玄関から向こう側の土手の方へ歩きだすと、つむじ風が起こる。するとまたもや嘉助が「そうだ。やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」と高く言って、だめ押しするのである。

 この後、新学期最初の日の授業風景が描かれ、三郎が四年生の佐太郎に自分の木ペンを与えるエピソードが語られる。佐太郎は嘉助に「又三郎だない。高田三郎ぢゃ。」と言った子だが、自分の木ペンをなくしたので、妹の木ペンを取り上げてしまったのである。妹のかよが取り返そうとしても、佐太郎が机にへばりついて渡さないので、かよは泣き出しそうになっている。三郎は困ったようにそれを見ていたが、だまって、自分の半分になった鉛筆を佐太郎の机の上に置く。にわかに元気になった佐太郎が、「くれる?」と聞くと、三郎はちょっととまどいながらも「うん」と言う。子どもながら抜け目ない佐太郎の策士ぶりが描かれていて、印象的なシーンである。

 佐太郎は、三郎が登場する最後の日でも重要な役割をになう人物である。

 このエピソードには、嘉助は登場しない。先生も佐太郎と三郎のやり取りには気がつかない。一郎だけが、一番後ろでこれを見ていた。そして、言葉にできない思いで歯ぎしりしていたのである。最後の三時間目の授業中、鉛筆を佐太郎にくれてしまった三郎が、消し炭を使って雑記帳に計算しているのを見たのも一郎だけだった。

 これが、赤い髪の転校生高田三郎が登場する二日間のできごとである。この後

 「次の朝、空はよく晴れて谷川はさらさらなりました。一郎は途中で嘉助と佐太郎と悦治を誘って一緒に三郎のうちのほうへ行きました。」という書き出しで、この作品の一つの山場が語られる。逃げた馬を追いかけた嘉助が気をうしなって「風の又三郎」と出会い、又三郎が空に飛びあがるのを見る場面は、前半のクライマックスである。

 ところで、「次の朝」とは、いつの次なのだろうか。この日登場する三郎は、九月一日谷川の岸の小学校に突然現れた赤い髪の異邦人転校生の三郎から、綺麗な標準語で村の子どもたちと自然に会話する「又三郎」へと変身している。明かな断絶がある。九月一日、二日とこの日(おそらく九月四日の日曜日)の間に、三郎の変化の過程を語る何らかのエピソードが挿入される予定だったが、どうしても断念せざるを得ない事情が賢治に生じたのではないか。そのようなエピソードがあったとしても、たった一日で劇的な変身を遂げるという筋書きは無理のように思われるが。

 いつ親交を深めたのかわからないが、一郎と嘉助ら四人の子どもたちは、三郎を誘って「上の野原」に行く。この「上の野原」と呼ばれる場所がどんな位置にあって、どのような地形になっているか、じつは、私はこの箇所を何遍読んでもよくわからない。「学校の少し下流で谷川をわたって」と書かれているので、川の「向こう側」である。「学校」という生活空間__「テニスコートのくらいの」運動場があり、たったひとつだが教室があって、いわば安全が担保された場所から、川を隔てた向こうへ、子どもたちは「だんだんのぼって行く」のである。子どもたちが楊の枝の皮で鞭をつくり、ひゅうひゅう振りながらのぼったのは、山のけものを追い払うためだと思われるが、もっと広くは魔ものをよけるためだろう。

 林の中の暗い道を抜け、息を切らしながら、三郎の待つ「約束のわき水」の出る場所まで登った子どもたちは、ここで三郎と出会い、冷たいわき水を飲む。ちょっとおかしいのは、ここまでかけ上がってきて、水を飲んだのが「三人」と書かれていることである。ここまで登ってきたのは四人のはずだが、誰かいなくなったのか、それとも作者の錯誤だろうか。

 三郎と一緒に子どもたちはさらに登って行く。上の野原の入り口近くから西のほうをながめると、たくさんの丘のむこうに、川にそった「ほんとうの野原」が碧くひろがっている、と書かれている。「ほんとうの野原」という言葉はこの後にも一回出てくるが、「上の野原」とどのように違う野原なのだろう。「上の野原」はほんとうの野原ではないのか。

 上の野原の入り口に、一本の大きな栗の木があって、幹の根本がまっ黒に焦げて、大きな洞のようになり、枝に古い縄や切れたわらじなどが吊るされている。神域を示す指標とも見えるが、何より無残な印象が強く、ここから先の「上の野原」がどのような空間であるかを象徴している。

 上の野原は草刈り場で、その中の土手で囲まれた内側には牧馬がいた。「来年から競馬に出る」「千円以上もする」馬だというが、子どもたちは、三郎の発案でそれらの馬を追って遊び始める。最初は、子どもたちがけしかけても反応しなかった馬が、「だあ」と一郎が掛け声をかけると、七匹が走り出す。そのうち二頭が、土手から外に出てしまう。土手の切れたところに丸太がわたしてあったのを、土手の内側に入るときに「おらこったなものはずせだぞ」と、軽率に嘉助が抜いてしまったので、障害がなくなっていたからである。

 物語の冒頭、嘉助が石をぶつけて教室の窓ガラスをわった、と子どもたちが言う場面がある。嘉助は乱暴ものなのだ。「風の又三郎」より嘉助のほうが風と近親性がある、と書いたが、作品中二回くり返される

 どっどど どどうど どどうど どどう
 青いくるみも吹きとばせ
 すっぱいかりんも吹きとばせ
 どっどど どどうど どどうど どどう

という歌の歌い手は、又三郎こと高田三郎より、嘉助のほうがふさわしいかもしれない。この歌の主題は、端的に破壊性である。

 さて、逃げた馬のうち一匹は一郎が抑えたが、もう一匹は本気で逃げてしまう。三郎と嘉助が必死に追うが、馬は捕まらない。ここからは、馬を追う嘉助の内部から物語が展開する。

 馬はどこまでも走る。後を追う嘉助は足がしびれて方向感覚もなくなってしまう。前を行く馬の赤いたてがみと三郎の白いシャッポが見えたのを最後に、嘉助は草むらに倒れてしまう。仰向けになって見上げる空はぐるぐる回り、雲がカンカン鳴って走っている。なんとか起き上がった嘉助は、馬と三郎が通った跡のような道を見つけて、歩きだす。だが、それも何がなんだかわからなくなってしまい、おまけに天気までおかしくなってくる。冷たい風が吹き、雲や霧が通り過ぎ、嘉助は道を見失う。破局の予感に脅えた嘉助は声を限りに一郎を呼ぶが、応答はない。

 嘉助はもう馬を追うことは諦めて、一郎たちのところに戻ろうとするが、来た道と違うところに出てしまう。あざみが茂り、草の底に岩かけがころがる。そして、いきなり大きな谷が現れ、その向こうは霧の中に消えている。風に揺らぐすすきの穂にまで翻弄されるが、急いで引き返すと、馬のひづめの跡の小さな黒い道を見つける。嘉助は喜んでその道を歩きだすが、行き着いたところは、てっぺんが焼けた大きな栗の木を囲む広場で、野馬の集まり場所だった。

 嘉助はがっかりして、ふたたび黒い道を戻りはじめる。ここからの描写は、現実のことなのか、嘉助が幻をみていたのか、どちらともいえない書き方である。見知らぬ草がゆらぎ、空が光ってキインと鳴る。霧の中に大きな黒い家の形のものがあらわれるが、近寄ってみると、冷たい大きな黒い岩だった。空がまた揺らぎ、草がしずくを払う。死を思った嘉助が一郎を呼んで叫ぶと、明るくなって、草はよろこびの息をする。山男に手足をしばられた子どものことを話す人声が聞こえる。それから、黒い道が消え、しばらくしいんとした後、強い風が吹いてくる。空が光って翻り、火花が燃えて、嘉助は草の中に倒れて、眠ってしまう。

 そして嘉助は風の又三郎を見たのである。又三郎の肩には栗の木の影が青くおちている。又三郎の影は青く草に落ちている。風が吹いている。それから、いきなり又三郎はガラスのマントをギラギラ光らせて空へ飛びあがったのである。

 岩波文庫版テキスト四ページにもわたる嘉助の彷徨は最後に

 「そんなことはみんなどこかの遠いできごとのようでした。」

という一行で読者を突き放したのち、「風の又三郎」を出現させて幕を閉じる。「もう又三郎がすぐ目の前に足を投げ出してだまって空を見あげているのです。」以下の八行は嘉助の臨死体験である。もしかしたら、最初に草むらに倒れてからの叙述全体が臨死体験なのかもしれない。

 死に臨んだ嘉助が見た「風の又三郎」は死神である。同時に、臨死体験、あるいはもっと常識的に夢、というべきかもしれないが、日常と異次元の時間の中で存在するものはすべて自意識の反映であるとすれば、「風の又三郎」は嘉助自身である。子どもたちに「又三郎」と呼ばれる「高田三郎」ではなく。

 それからどれほどの時間が流れたかわからないが、嘉助が目を開くと、馬と三郎がいる。嘉助が彷徨していた間、馬と三郎が何をしていたかは一切語られない。上の野原の出来事の主人公は嘉助であって、嘉助に臨死体験をさせるために、馬と三郎はそれぞれの役割を果たしたのだ。

 なぜ、嘉助はそのような体験をしなければならなかったのか。「嘉助」とはいったい何だろう。

 嘉助の物語は、みんなが上の野原をおりることでいったん終わる。

 「草からはしずくがきらきら落ち、すべての葉も茎も花も、ことしの終わりの日の光を吸っています。
 はるかな西の碧い野原は、今泣きやんだようにまぶしく笑い、向こうの栗の木は青い後光を放ちました。」

 とりあえず、自然は嘉助の体験を嘉したのだ。

 『風の又三郎』の主題は複雑かつ重層的で、今回はほんの一部分の表面をさらったにすぎません。これ以降の部分は、子どもたちから又三郎と呼ばれる少年高田三郎の物語になっていきます。異邦人三郎がどのように子どもたちに受け入れられ、どのように疎外されていったか、という視点から作品を読み直してみたいと思います。

 未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2022年8月24日水曜日

宮澤賢治『注文の多い料理店』シベリア出兵のナインストーリー__「水仙月の四日」__北の雪嵐大作戦とやどりぎ

  『注文の多い料理店』中「からすの北斗七星」に次いで五番目の作品で、春間近の北国を襲う雪嵐を描いた短編である。

 「雪婆んごは遠くへ出かけておりました。」と始まるこの童話は擬人法で語られている。雪婆んごとその指揮下にある四人の雪童子、雪童子の手下となって獅子奮迅の働きをする十一匹の雪狼、これらが雪嵐を起こすのだが、「猫のような耳をもち、ぼやぼやした灰色の髪をした」雪婆んごの存在は特異である。「きょうはここらは水仙月の四日だよ。さあしっかりさ。ひゅう。」と檄を飛ばし、縦横無尽に空をかけめぐる雪婆んごの命令は絶対で、雪童子も雪狼も極度に緊張して動き回る。

 雪婆んごが「西の山脈の、ちぢれたぎらぎらの雲をこえて、遠くへ出かけて」しばし不在のとき、この物語は始まる。子どもが一人「大きな象の頭の形をした、雪丘のすそを」歩いている。子どもは「赤い毛布(けっと)にくるまって、しきりにカリメラのことを考えながら」家に急いでいる。あたりの光景は、

 「お日さまは、空のずうっと遠くのすきとおったつめたいとこで、まばゆい白い火をどしどしおたきなさいます。
 その光はまっすぐ四方に発射し、下の方に落ちてきては、ひっそりした台地の雪を、いちめんまばゆい雪花石膏の板にしました。」

 と書かれ、絵画のように美しい描写である。ここに「白くまの毛皮の三角ぼうしをあみだにかぶり、顔をりんごのようにかがやかし」たひとりの雪童子が登場して、物語は展開するのだが、この雪童子とは何者なのか。「象の頭のかたちをした雪丘」、「四方に発射された」太陽の光、「雪花石膏の板になった台地」という表現とともにあらわれる「童子」は、たんに雪婆んごの命令の執行者ではないだろう。ある宗教的存在を暗喩していると思われる。

 「象の頭のかたちをした、雪丘」を、雪狼のうしろから歩いていた雪童子は、空を見上げて呪文のような言葉をさけぶ。

 「カシオピイヤ、
 もう水仙が咲き出すぞ
 おまえのガラスの水車
 きっきとまわせ」

 「アンドロメダ、
 アザミの花がもうさくぞ、
 おまえのラムプのアルコオル、
 しゅうしゅとふかせ。」

カシオペア座とアンドロメダ座という二つの星座(それらはいまは見えない星々なのだが)への叫びの意味するものについては、「熱機関概念の拡張とネゲントロピー〈宮沢賢治の物理学〉」という論文で元近畿大学理工学部の伊藤仁之氏が解析しておられる。物理学はおろか、自然科学一般について知識と素養の乏しい私は、残念ながら、伊藤氏の論を十分理解できたとは言い難く、したがって、うまく要約、紹介することができない。興味のある方は上記のタイトルでPDFになっているものを読んでいただきたい。

 伊藤氏の論文に助けられながら、私なりに考察すると、賢治はこの二つの星座が連携し合って行う運行と、カリメラ≒電気菓子の装置をある相似形のものとしてとらえたのではないか。どちらも、熱と回転の作用で、星座の運行は吹雪を、カリメラ≒電気菓子の装置は綿菓子をつくる。伊藤氏はこの作品を

 「電気菓子と吹雪の機構を同一視する賢治の洞察は、物理学的には、相変化もアウトプットとするような熱機関概念の一般化へと止揚されるであろう。さらにこの類推は大気の大循環にまでひろげることもできる。じつは「水仙月の四日」は局地的な吹雪の物語にとどまるものではなく、この大循環を下敷きに、宇宙原理(文学的な)にいたろうという壮大な童話なのである。天の星座に水車とランプがかくされており、ランプの熱と水車の回転の結果が森羅万象なのである。」

と総括しておられる。作品の自然科学的理解としてほぼ完璧だと思われるのだが、私にももう少し言うべきことが残されているような気がするので、そのことを書いてみたい。ひとつは、雪童子が子どもになげつけたやどりぎについてである。

 象の形の丘にのぼった雪童子は、その頂上に一本の大きなくりの木が、黄金いろのやどりぎのまりを付けて立っているのを見つける。雪童子は雪狼の一匹にいいつけて、それを取ってこさせる。雪狼がかじりとったやどりぎを拾いながら、雪に覆われた下の町をながめた雪童子は、赤毛布を着た子どもが家路を急いでいるのを見る。「あいつはきのう、木炭のそりを押して行った。砂糖を買って、じぶんだけ帰ってきたな。」と、雪童子はわらいながらやどりぎの枝を子どもにむかってなげつける。

 いきなり目の前にやどりぎの枝が落ちてきて、子どもはびっくりするが、枝をひろってあたりを見まわす。そこで、雪童子が革むちをひとつならすと、一片の雲もない真っ青な空から、さぎの毛のような真っ白な雪が一面におちてくる。

 「それは下の平原の雪や、ビールいろの日光、茶いろのひのきでできあがった、しずかなきれいな日曜日をいっそう美しくしたのです。」

と書かれる光景は、東北の寒村というより、どこかユーラシア大陸の北の農村のように思われるのだが。

 雪童子はなぜやどりぎのまりを雪狼に取ってこさせたのだろう。ここにこの童話を読み解く重要な鍵があるのかもしれないが、いまの私には解けない謎である。

 それに比べれば、雪童子がやどりぎを赤毛布を着た子どもに投げた理由はわかりやすい。子どもの頭をいっぱいにしているカリメラとやどりぎのかたちが似ているからである。糸状にした砂糖が綿のようにかたまったカリメラと、細い枝が交叉してまりのようになったやどりぎは、カシオペアとアンドロメダの二つの星座の連携と綿菓子の製造装置が相似形であるように、菓子と半寄生の生物の違いはあれ、かたちは相似形といえるのではないか。「ほら、カリメラをやるよ。」くらいの親近感とユーモアで雪童子は子どもにやどりぎを投げた、とひとまず解釈しておきたい。

 子どもはやどりぎの枝をもって歩きだすが、その後雪嵐が襲ってくる。雪婆んごが戻ってきたのだ。擬人化された雪婆んごの脅威は絶大で、その到来の予兆だけで雪童子も雪狼も緊張の極に達する。灰色の雪ときりさくような風の中から雪婆んごの声が聞こえると、りんごのようにかがやいていた雪童子の顔は青ざめ、くちびるはかたくむすばれる。「ひゅうひゅう、ひゅひゅう、ふらすんだよ、飛ばすんだよ。」「さあ、しっかりやっておくれ。きょうはここらは水仙月の四日だよ。」と、雪婆んごは檄をとばしつづけるのだが、「水仙月の四日」とは何か。

 「ここらは」水仙月の四日、ということは、「ここら」以外は「水仙月の四日」ではない。「水仙月の四日」とは、暦の上の特定の日ではなく、特別なイベントなのだろう。北の雪嵐作戦、とでもいうような。二十年くらい前、アメリカがイラクに攻め込んだとき「砂漠の砂嵐作戦」と名付けていたような気がする。作品と関係ないことで、うろ覚えだが。

  突然襲ってきた雪嵐の中、赤毛布の子は歩くことが出来なくなって、倒れてしまう。雪童子は、子どもに、毛布をかぶってうつむけになるよう声をかけるが、子どもにはただの風の声としか聞こえず、立ち上がろうともがいて泣いている。その声を聞いた雪婆んごは、「おや、おかしな子がいるね、そうそう、こっちへとっておしまい。水仙月の四日だもの、ひとりやふたりとったっていいんだよ。」という。雪童子は、子どもにわざとひどくぶつかり、雪婆んごに聞こえるように「ええ、そうです。さあ、死んでしまえ。」と言うが、子どもには、倒れたままで動くなと指示する。そしてもういちどひどくぶつかって、もう起き上がれない子どもに毛布をかけてやり、こごえないように、その上にたくさんの雪をかぶせたのである。

 この後、雪婆んごは「きょうは夜の二時までやすみなしだよ。ここらは水仙月の四日なんだから、やすんじゃいけない。」とさけぶ。そして、日が暮れ、夜を徹して雪がふったのだった。夜あけに近くなって、ようやく雪婆んごは、これから海のほうへ行くという。「ああ、まあいいあんばいだった。水仙月の四日がうまくすんで。」と東の方へかけていったのである。北の雪嵐作戦無事終了、といったところだろうか。雪婆んごは恐怖の総司令官であり有能な任務遂行者だが、作戦執行を命じる側の存在ではない。ヒエラルキーのトップは天のどこかにいるのだろう。

 雪婆んごが去ると、空は晴れ、いちめんの星座がまたたきだす。雪婆んごが連れてきた三人の雪童子とやどりぎを子どもに投げた雪童子は、はじめて挨拶を交わす。今年中にあと二回くらい会うだろう、と言って雪童子たちは別れ、朝になる。丘も野原もあたらしい雪でいっぱいで、雪狼はぐったりしているが、雪童子は雪にすわってわらっている。「そのほおはりんごのよう、その息はゆりのようにかおりました。」とあって、ふたたび宗教的存在を暗喩する表現となっている。

 太陽がのぼると、雪童子は雪に埋もれた子どもを起こしに行く。雪狼に命じて、雪をけちらし、赤い毛布の端がみえるようにする。村のほうから、かんじきをはき毛皮をきた子どもの父親らしき人がいそいでやってくる。「お父さんがきたよ。もう目をおさまし。」と雪童子がよびかける。「子どもはちらっとうごいたようでした。そして、毛皮の人は一生けん命走ってきました。」と結ばれる。

 はたして、子どもは助かったのだろうか。

 子どもの生死を考えるとき、雪童子が投げかけたやどりぎについてもう一度検討する必要があると思われる。「あしたの朝まで、カリメラのゆめをみておいで。」と子どもにいって、雪をかぶせた雪童子は

「「あの子どもは、ぼくのやったやどりぎをもっていた。」

とちょっと泣くようにしました。」
と書かれている。

 やどりぎは、冬になって、宿主の木が葉を落としても枯れないことから強い生命力の象徴とされ、神が宿る木とされる。雪童子は、カリメラとのかたちの相似から子どもにやどりぎを投げかけたのだろうが、作者は、物語の要素として、死と再生の象徴をやどりぎに託したのではないか。だからといって、子どもが助かったかどうかは、不明だが。

 やどりぎについて、最後にまた、蛇足をひとつ。十九世紀後半から二十世紀前半にかけて出版され、日本でも多くの学者に読まれたフレイザーの『金枝篇』という大作がある。世界各地の神話、民俗の研究書であるが、誰も折ってはならないとされる金枝を折ることができるのは逃亡奴隷だけで、金枝を折った者は森の王を殺さなければならない、というイタリアのネーミに伝わる神話から始まる。この金枝がやどりぎのことである、といわれている。

 賢治が『金枝篇』を読んでいたかどうかはわからない。だが、賢治より少し年長だが、ほぼ同時代の折口信夫が『金枝篇』について言及しているので、博覧強記の賢治の目に触れる機会があった可能性もある。であれば、やどりぎは、死と再生の象徴以上のものとして作品に登場したのではないか。雪童子がそれを雪狼に取ってこさせ、さらに、赤い毛布を着た子どもに投げた、という行為の意味をもう一度考えなければならない。

 雪童子については「りんごのようなほお」と「ゆりのようにかおる息」という表現が暗喩する宗教的存在を語らなければならないと思うのだが、仏教の素養が乏しい私の力の及ぶところではない。たぶん、菩薩と呼ばれるものだろうと思う。いっぽう「白くまの毛皮の三角ぼうしをあみだにかぶり」と書かれているのは、また別の表徴である。雪童子とは何か、雪童子が救おうとした赤い毛布を着た子どもは、なぜ、一人で雪道を家に向かっていたのだろう、とまたもや物語の原点に戻って、私は謎と向き合っている。

 緊張感にみちた美しい叙景詩ともいうべきこの作品に、無用の解析を試みてしまったような気がしています。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。