2018年11月28日水曜日

宮沢賢治『フランドン農学校の豚』__絶望の果ては何か

 異様な作品である。賢治の死後に原稿が発見されたそうで、作品の冒頭部分が欠落している。『フランドン農学校』で飼育されている豚が屠られるまでの数日間を、豚の内面に入って描いた小説である。「童話」というにはあまりにも残酷で、「寓話」と呼ぶには描写がリアル過ぎる。

 この豚は人間の言葉を理解し、話す。当然に、人間と同じ感情をもつ。同時に豚なので、金石でなければ、あたえられるものは何でもたべて上等な脂肪や肉にする。触媒として、白金と同じだ、といわれてよろこぶ。豚は白金の値も知っていて、自分の目方もわかっているので、素早く自分の値打ちを計算して幸福感にひたったりする。

 豚の運命が暗転していくのは、あたえられた餌のなかに歯磨楊枝が混じっていたときからである。ここまでは三人称の叙述だったのだが、ここで突如として語り手が語り始める。少し長いがその部分を引用したい。

  それから二三日たって、そのフランドンの豚は、どさりと上から落ちて来た一かたまりのたべ物から、(大学生諸君、意志を鞏固にもち給え。いいかな。)たべ物の中から、一寸細長い白いもので、さきにみじかい毛を植えた、ごく率直に云うならば、ラクダ印の歯磨楊枝、それを見たのだ。どうもいやな説教で、折角洗礼を受けた、大学生諸君にすまないが少しこらえてくれ給え。

 つまり、この作品は語り手(誰かわからないが)が、複数の大学生に向かって語っているのである。しかも、その「大学生諸君」は「折角洗礼を受けた」とあるので、キリスト教の学生なのだ。

 飼育が進んでいく豚を怜悧な目で観察していくのは畜産学校の教師である。教師と助手は毎日豚の様子を見に来るが、豚と言葉を交わすことはない。直覚で豚は彼らの冷酷さを感じて恐怖する。豚と言葉を交わしコミュニケーションをとるのは、農学校の校長だけである。

 校長は豚から「死亡承諾書」を取るためにやってくる。その国の王が前月「家畜撲殺調印法」という法律を布告したので、家畜を殺すものはその家畜から「死亡承諾書」を取って判を押させることになったからである。ところが、校長は豚に「死亡承諾書」のことを切り出せなかった。気分がふさぐという豚とにらみ合ったままで、しばらく立っていたが、「とにかくよくやすんでおいで。あんまり動きまわらんでね。」という言葉を残して行ってしまう。

 豚は「承諾書]という言葉を畜産学の教師と助手の会話から聞いてしまう。豚は「承諾書」という言葉に不安と恐怖を覚えて煩悶する。さらに寄宿舎の生徒がやって来て、屠った豚の料理の話をする。彼らが小屋を出て行った後に、校長が再びやって来る。そして、今回は飼育されたことのありがたさを豚に説いて、「死亡承諾書」に判を押させようとする。「死亡承諾書」にはこう書いてある。

 死亡承諾書、私/儀永永御恩顧の次第に有候儘、御都合により、何時にても死亡/仕るべく候年月日フランドン畜舎内、ヨークシャイア、フランドン農学校長/殿

 校長は「ほんの小さなたのみだが」というが、読めば恐ろしい事が書いてある。「いやです、いやです、そんならいやです。どうしてもいやです。」と、泣いて叫ぶ豚に、校長は「いやかい。それでは仕方がない。お前もあんまり恩知らずだ。犬/猫にさえ劣ったやつだ。」と怒って出て行ってしまう。校長はまたしてもしくじったのだ。

 次の日また畜産の担任が助手を連れてやって来る。校長と違って畜産学の教師は冷酷な実務家だ。悲嘆にくれてやせ衰えた豚を運動させて腹を空かせようとする。教師は「む茶くちゃにたたいたり走らしたりしちゃいけないぞ」と指示するのだが、助手は丁寧な言葉使いでいたぶりながら、鞭をくれて豚に散歩させる。登場人物のなかで、この助手が最も残酷で嗜虐的な人間として描かれている。

 三日経っても痩せる一方で回復しない豚を見て、畜産の教師は肥育器を使うことにする。豚を縛りつけて喉に管を通し、強制給餌をするのだ。縛りつける前に死亡承諾書に判
を押させなければならないので、あわてて校長がやって来る。今度ばかりは校長の剣幕におびえて、豚は承諾書に判を押してしまう。

 それから豚は縛りつけられて喉に管を通され、胃の中まで餌を送り込まれる。七日間ひたすら餌を送りこまれて、息をするのも苦しいくらい太った豚は「もういいようだ。丁度いい。・・・丁度あしたがいいだろう」という教師の言葉を聞いて、自分があす死亡することを知る。それから助手と小使いがやって来る。助手に鞭打たれて体を洗われた豚は、小使いのもつブラシが豚の毛でできているのを見て、泣きわめく。

 寒さと空腹と恐怖のなかで一夜を明かした豚は、また助手に鞭打たれ、畜舎から外に出され、殺される。「はあはあ頬をふくらませて、ぐたっぐたっと歩き出す」豚を鉄槌を持って殺したのは、畜産の教師である。生徒らにもう一度体を洗われた豚の喉を刺したのは助手だった。

 作者みずから最後に「一体この物語は、あんまり哀れ過ぎるのだ。」と書かずにいられないほど、この作品は残酷である。みずからの死に何の意味も見いだせないばかりか、不安が恐怖へ、恐怖が絶望に変わって、絶望の中で、誰にも愛されず豚は殺されるのだ。なおかつ、殺された豚は、生徒たちが待っていたような晩餐の糧となったわけでもなさそうである。「からだを八つに分解されて、厩舎のうしろに積みあげられた。雪の中に一晩/
漬けられた。」とあるのだ。

 ところで「フランドン農学校」とはどこにあるのだろう。フィクションなのだから、固有の地名にこだわる必要はないのかもしれないが、「フランドン」から「フランダース」_『フランダースの犬』を連想するのは突拍子もないことではないだろう。賢治の時代に日本に紹介されていたかどうかわからないのだが、『フランダースの犬』は一八七一年に書かれているので、その可能性がないとはいえないと思う。

 『フランダースの犬』という小説は書かれたイギリスよりも日本で愛読されたようで、最後に、教会のルーベンスの絵の前で死ぬ少年と犬の話として有名である。月光の中で、キリストの十字架を描いたルーベンスの絵を見て死んでいく少年の姿に涙しながらも、ひとすじのカタルシスをもたらす「フランダースの犬」にくらべて、「フランドン農学校の豚」はあまりにも暗い。というか、『フランダースの犬』の宗教的法悦を真っ向否定するために『フランドン農学校の豚』は書かれたのではないかとさえ思われる。

 前述の「折角洗礼を受けた、大学生諸君」に「どうもいやな説教ですまないが」という叙述から、この作品がキリスト教と深い関連があると推察するのは間違っていないと思う。十字架に掛けられるイエスの受難、それによる救済の福音と、無残に、無意味に死んでいく豚の絶望を対比させたかったのではないか。最後に作者はこう結ぶ。

 さて大学生諸君、その晩空はよく晴れて、金牛宮もきらめき出し、二十四日の銀の角、つめたく光る弦月が、青じろい水銀のひかりを、そこらの雲にそそぎかけ、そのつめたい雪の中、戦場の墓地のように積みあげられた雪の底に、豚はきれいに洗われて、八きれになって埋まった。月はだまって過ぎて行く。夜はいよいよ冴えたのだ。

(「二十四日の銀の月」は十二月二十四日キリスト生誕の前夜である)

 ことわっておくが、私は、賢治がキリスト教を否定したかったのだというつもりはない。ただ、徹底して無残な、孤独の死を描きたかったのだろうと思う。ここには『なめとこ山の熊』の予定調和もない。無常が、観念でなく実在しているだけだ。そして、一個の豚の無残な死を書き留めることによって、この世で誰にも愛されず絶望の果てに死んでいった豚への愛を語ったのだろうと思われる。もちろんそれが、何の救いになるわけでもないのだけれど。

「小津安二郎と日中戦争」について書くといいながら、また寄り道してしまいました。弁解になるのですが、それほど小津の映画は手ごわいのです。今日も不出来な読書ノートを読んでくださって、ありがとうございます。
 

2018年10月26日金曜日

山口誓子 「つきぬけて天上の紺曼珠沙華」__満洲国を巡る随想の一間奏曲

 山口誓子という人の俳句は私にとって難解である。

 冷し馬潮北さすさびしさに

という句もいまもってわからない。標題の句は、「つきぬけるように澄み切った青空」、「真っ赤な曼珠沙華がすっくと立った様子」など、嘱目の光景を詠んだ句であるという解釈が多いようである。そうだろうか。

 この句については、山口誓子自身が『自句自解』という本のなかで「つきぬけて天上の紺」まで一気に読む、としているそうである。だが、これは、実際に発声してみると難しいのだ。「つきぬけて」と「てんじょうのこん」は「つきぬけテ」「テんじょうのこん」と「テ」の音が重なる。舌を上の歯茎に打ちつける「テ」の音を続けるのは、生理的につらいものがある。それなのに、作者は間隙なく読んで欲しいと言っている。非常に切迫した衝動、とでもいうべきものを感じる。

  この句の謎はもうひとつ「つきぬける」主体は何か、という問題である。何がどこからどこへ「つきぬける」のか。ほとんどの評者が「曼珠沙華」がすっくと立っている様を「つきぬけて」と描写したものとする。倒置法の句として解釈しているのだ。そうすると、「つきぬける」のは「曼珠沙華」ということになる。だが、「つきぬけて天上の紺」まで一気に読めば、「曼珠沙華」は「天井の紺」に開いた花ということになるのではないか。「つきぬけて」の主体ではないだろう。

 「つきぬけて」の主体を特定する前に、「曼珠沙華」について考えてみたい。「天井の紺」に開いた花であれば、「曼珠沙華」は実景の「ヒガンバナ」ではないだろう。それは、『法華経』にあるという

 是時下雨 曼荼羅華 摩訶曼荼羅華 曼珠沙華 摩訶曼珠沙華

の「曼珠沙華」だと思われる。釈迦が菩薩に大乗の法を説いたとき、天上に「曼荼羅華(蓮の花だそうである)」と「曼珠沙華」が開いたという。仏教の素養がまったくない私にはこれ以上の深遠な教えはわからないが、「曼珠沙華」は実景ではなく、イメージであると思われるのだ。

 以上の推論が正しければ、「つきぬけて」の主体は「私」であろう。現実日常の世界から「天上」世界につきぬけるのである。無論それはイメージの世界、もしくは「狂想」である。何が作者を、現実世界から天上へ、仏教の言葉でいえば此岸から彼岸へ、というのだろうか、つきぬけさせたのか。これもまた私にとっては、たぶん、いつまでも解決できない謎なのだろうが。

 くだくだしい解説を試みてきたが、この句は一気呵成に詠みあげた乾坤一擲とでもいうべき力にみちている。主観客観を超越する魔力といってもよいかもしれない。

 昭和十六年(一九四一年)に詠まれたこの句は、私が満洲国のことを調べているときに「満洲=曼珠」のつながりで思い出したものである。満洲国の建国のイデオロギーとして法華経は重要な役目を果たしたと思われるので、この句に詠まれた「曼珠沙華」も「満洲」とどこかでつながっているかもしれない。だが、そんな小賢しい謎解きはどうでもよくて、「俳句」という短詩が、日本語の可能性を極限まで追求して、つねに文学の前衛でありつづけたということ、そしてそのことの素晴らしさを確認しておきたいと思う。
 
 今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。
   

2018年10月15日月曜日

小津安二郎と日中戦争__「紀子三部作」の謎

 8月の終わりに腰椎の手術をして、パソコンの前に長く座っていることができません。

 なので、前回はメモでしたが、今回はメモ以下です。

 標題の仮説のもとに、ずっと考え続けているのだが、どうしても、読み解けない。小津の「オズ」は「オズの魔法使い」の「オズ」ではなかろうか、などと突拍子もない妄想に襲われるときがある。でも、サリンジャーが『ライ麦畑で捕まえて』と『ナインストーリーズ』で日米戦争の真実を書いたように、「紀子三部作」は日中戦争の真実を告げようとしているように思えてならない。

 その根拠となるのは、『晩春』で、紀子が叔母の家を訪れて、「プーちゃん」が部屋に閉じ込められているのをからかうシーンである。プーちゃんは「バットをエナメルで赤く塗って、それが乾かない」ので閉じ込められているのだ。「なんだプー、泣いたくせに」とからかう紀子にプーちゃんは「うるさい、紀子、あっちいけ!紀子、ゴム糊、!」と怒って追い掛け回す。

 「プーちゃん」とは何か。子どものあだ名として「プーちゃん」は、今なら違和感なく聞こえるが、昭和二十四年(一九四九年)に「プー」という音が名前の最初に来ることがあっただろうか。

 ここでまた、独断と偏見と妄想にかられた私は「プーちゃん」=「溥儀」説を、一人敢然と唱えたい。満洲国の皇帝となった「溥儀」は「プーイー」なのである。『晩春』の冒頭、紀子は茶会の席で、叔母に「プーちゃんに穿かせるために、叔父様の縞のズボンを半分に切ってほしい」と頼まれる。「でも、叔父様のズボンをプーちゃんが穿いたらおかしくないかしら」と紀子は言うのだが、「かまやしないのよ。ちょっとの間だから」と、叔母から風呂敷包みを渡されるシーンがある。戦後の物のないときだから、そんなこともあるだろう、と流してしまう場面だが、何となくひっかかるものがある。

 「叔父様の縞のズボン」が何かの暗喩だとしたら?ひょっとして、それが清国の領土だとしたら?半分に切ったものが満洲国の領土だったら?紀子と叔母は茶会の席で満洲国の傀儡皇帝に「プーちゃん」を据える算段をしているのではないか?

 プーちゃんが部屋に閉じ込められているとき、外では子ども達が野球の試合をしている。ちょっと不思議なのは戦後間もない昭和二十四年に、両チームともユニフォームを着て試合をしているのだ。なかには着ていない子もいて、裸足だったりするのだが。そして、ユニフォームを着ていない子が走者一掃のクリーンヒットを飛ばすのである。さて、この野球の試合は誰と誰が戦っているのでしょう。日本と中国?あるいは国民党と共産党?クリーンヒットはどちらが打ったのだろうか?「赤いエナメル」は共産主義を匂わせるのだが。

 いったん妄想にかられると、とめどもない疑問が沸いてきて、手術後は日中戦争に関する資料を読みあさっています。そして、いかに私(たち世代)が近現代史を知らされていないかということを痛感しています。「紀子三部作」に戻っていえば、「紀子、ゴム糊!」という言葉を投げつけられる「紀子」は何と何をくっつけたのだろう、そもそも「紀子」とは何か、という根本的な疑問に、いっこう解決の目途がつきません。

 それにしても、不思議なのは、中国、そして朝鮮の革命を志す人たちはほとんど日本に留学していることです。たんに留学しているだけでなく、活動の拠点を日本に作り、人的、経済的に多大な援助を受けています。それが、どうして戦うことになったのか。そのターニングポイントが一九二〇年代にあったように思われるのですが。

 今日も粗雑な走り書きを最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

2018年8月16日木曜日

小津安二郎『東京物語』__死の予告__「私をさびしい草原に埋めないで」

 今回はメモです。

 『東京物語』で使われる曲は四つある。最初と最後はアメリカの曲で、間に挿まれて日本の歌謡曲が二曲歌われる。この二つは戦争中のもので、周吉ととみが熱海の宿で眠れない一夜を過ごす原因となる。曲は「湯の町エレジー」と「煌めく星座」で、とくに後者は延々と二番の歌詞まですべてアコーデオンの伴奏つきで三木たかしという歌手が歌っている。

 「煌めく星座」は一九四〇年高峰秀子主演の『秀子の応援団長』という映画の主題歌でハワイ帰りの灰田勝彦が歌い、レコードとなっている。これについても書きたいことが少しあるのだが、いまは最初に幸一の長男実が口笛でメロディを吹く「私をさびしい草原に埋めないで」をとりあげてみたい。

 東京の幸一の家についた周吉ととみを、日曜日に幸一が東京見物に連れていこうとする。実と勇も一緒である。幸一にいわれて実が二階の周吉夫婦の様子を見に階段を上がっていく。そのときに実が吹いている口笛が「私をさびしい草原に埋めないで」なのだ。「私をさびしい草原に埋めないで」というより西部劇『駅馬車』のメロディーとして記憶されている方も多いだろう。軽快なリズムとテンポのこの曲が「私を海原に投げ込まないで」という海賊の歌として数百年も歌い継がれてきたことを知る人は少ないのではないか。

 「私をさびしい草原に埋めないで」という歌は前述の海賊たちの間で歌われてきたものが、開拓時代のカウボーイたちによって歌い継がれてきたもののようである。「駅馬車」の主題歌とはテンポとリズムの異なるものが、ユーチューブで検索されるが、何とも乾いた、虚無の風が吹き抜けるような感じがする。

 ほんの数小節口笛で吹かれるこの曲にこだわるのは、ラスト近く、紀子が周吉からとみの懐中時計を渡されて泣き崩れるシーンとかぶさって流れるのが、フォスターの「主は冷たい土の中に」(日本では「夕べの鐘」という題で歌詞が付けられているものもあるようだが)という曲で、最初と最後で見事に起承転結が合うからである。「主は冷たい土の中に」は黒人奴隷が主人の死を悲しんで、主人を偲ぶ歌である。フォークソングのようだが、フォスターが作曲したものだ。

 明るく、軽快に死を予告する。そして、「死」は実行される。もし、これを確信犯としてやっているなら、何という残酷なことだろう。

 『東京物語』の謎は深まるばかりである。

 『晩春』の「プーちゃん」についても書きたいことがあるのですが、「クーさん」との整合性がいまいちなので、もう少し時間が欲しいと思っています。

 とりとめもない妄想を最後まで読んでくださってありがとうございました。
 

2018年8月2日木曜日

小津安二郎『東京物語』__時空の揺らぎと「物語」の嘘

 『東京物語』を見ていて、どうしても気になることのひとつに、尾道_東京間の所要時間はいくらなのか、という極めて初歩的で単純な疑問がある。

 冒頭周吉ととみが旅行鞄に荷物を詰めている。次女の京子が小学校に出勤する前に弁当とお茶を用意して二人に渡している。ところが、二人はすぐ出発するのではなく、「昼からの汽車で」東京に行くのだと言う。弁当とお茶はどこで、いつ食べるのだろう。暑い盛りに腐ってしまわないだろうか。まず、ここでかすかな疑問が生まれる。

 周吉は京子に、学校が忙しければホームにこなくていい、と言うが京子は「五時間目は体育だから」大丈夫だと言う。ということは、周吉ととみが乗る汽車は、午後一時から二時の間に尾道を出発することになる。大阪には(午後)六時に着くから敬三がホームに来ているだろう、とも周吉が言っている。ところが、二人が東京に到着する時刻は明らかにされないのである。

 尾道の家で隣家の主婦と会話した後、すぐ六本の煙突が煙を吐くシーン、続いて「ほりきり」と書いた看板が立つ小さな駅のホームのシーンになる。周吉ととみの車中の様子は映像化されないのである。「内科小児科平山医院 スグ此ノ土手ノ下」と書かれた看板が映り、その後中年の女性が箒で室内を掃いているシーンになる。この家の主婦の平山文子である。「ただいま」と男の子が学校から帰ってくる。文子の長男実である。その後、文子の夫で周吉ととみの長男平山幸一が、二人を連れて家に入ってくる。幸一の妹(周吉ととみの長女)志げも一緒である。これは何時頃の出来事なのだろうか。

 「今、テストなんだぞ」と言う実(中学生)が帰宅するのはどんなに早くてもお昼すぎ、あるいはお昼間際だろう。とすると、東京駅には何時に着いたのだろうか。

 周吉ととみが尾道に帰るときの所要時間は確定されている。夜「九時三〇分」発の急行で翌日「午後一時半」には尾道に着くのだから、ととみが言っている。つまり東京→尾道間は十六時間である。

 東京→尾道間も尾道→東京間もほぼ同じ所要時間とすれば、「お昼すぎに尾道を出発」すれば翌朝五時過ぎ遅くとも六時には東京駅に着くはずである。その時刻に着けば、「だいぶん、自動車で遠いかった」ととみは言うが、幸一の自宅兼医院がある「ほりきり」駅近くまで車で走っても、お昼近くまでかかることはないだろう。ということは東京駅には十時過ぎに到着したことになり、尾道→東京は東京→尾道に比べ、はるかに時間がかかるということになる。そういうことがあるだろうか。

 ところで、「ほりきり」と看板がかかった駅は実は東武伊勢崎線の「堀切」駅ではないそうである。何となく不吉な感じのする音響とともに、六本の煙突(千住発電所のお化け煙突と呼ばれていたものらしい)が立っているシーンの後、「ほりきり」と書かれた看板が立つホームが遠景で映される。続いて、モンペ姿の若い娘が二人汗を拭きながら談笑しているシーンになる。かたわらに大きな籠が置かれているので、行商をしているのだろう。二人が立っている前に「うしだ」「〇ねがふち」と両隣の駅名が書かれた看板が立っている。いかにも「堀切」駅のホームのようである。
 
 だが、これは京成押上線の「八広」と言う駅で撮影されたものだそうだ。実際の堀切駅は、線路が道路より下にあるので、この映像のようにトラックが線路と同じ高さで走ることはあり得ない。また、この映像では踏切がホームの手前に映っているが、堀切駅の近くには踏み切りはない。「うしだ」「〇ねがふち」と両隣の駅名を書いた看板は、よく見ると電車の進行方向と直角に立っている。これでは電車の中から駅名が見づらい。つまりこの看板はニセモノなのである。

 なぜ、小津は八広駅を「ほりきり」駅にしたかったのか。「ほりきり」にこだわる理由があるのだろうか。たんに平山医院の場所を荒川の土手の下にしたかったのなら、「ほりきり」駅のホームを映さなくてもよかったのに、と思う。

 事実に見えるように映像化して、その中に嘘を混ぜる。何となく違和感はあるものの、さらっと見逃してしまいそうな嘘である。なぜ、こんな手のこんだことをするのか。

 大江健三郎が『憂い顔の童子』の中で、母親の言葉としていっているように「本当のことをいうのは、ウソに力をあたえるため」なら、逆に「嘘を言うのは、本当のことに力をあたえるため」という論理は成り立つだろうか。

 『東京物語』の「本当のこと」は何だろう。『東京物語』の嘘は、注意深く検証すれば嘘であることが証明されるが、「本当のこと」は容易に姿を現してくれないような気がする。一見分かりやすい人情劇_酷薄な娘と役立たずの息子を演じる杉村春子と山村總は名演技だと思う_の向こうにある本当の「物語」は何か。私たちはもう一度「東京」の「物語」あるいは「物語」の「東京」について考えなければならない。

 非常に即物的でありながら極めて抽象的な論を展開してしまいました。「東京物語」の「本当のこと」について書くにはもう少し時間がかりそうです。書けるかどうかわかりませんが、何とか言葉にしたいと思っています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。