2018年10月15日月曜日

小津安二郎と日中戦争__「紀子三部作」の謎

 8月の終わりに腰椎の手術をして、パソコンの前に長く座っていることができません。

 なので、前回はメモでしたが、今回はメモ以下です。

 標題の仮説のもとに、ずっと考え続けているのだが、どうしても、読み解けない。小津の「オズ」は「オズの魔法使い」の「オズ」ではなかろうか、などと突拍子もない妄想に襲われるときがある。でも、サリンジャーが『ライ麦畑で捕まえて』と『ナインストーリーズ』で日米戦争の真実を書いたように、「紀子三部作」は日中戦争の真実を告げようとしているように思えてならない。

 その根拠となるのは、『晩春』で、紀子が叔母の家を訪れて、「プーちゃん」が部屋に閉じ込められているのをからかうシーンである。プーちゃんは「バットをエナメルで赤く塗って、それが乾かない」ので閉じ込められているのだ。「なんだプー、泣いたくせに」とからかう紀子にプーちゃんは「うるさい、紀子、あっちいけ!紀子、ゴム糊、!」と怒って追い掛け回す。

 「プーちゃん」とは何か。子どものあだ名として「プーちゃん」は、今なら違和感なく聞こえるが、昭和二十四年(一九四九年)に「プー」という音が名前の最初に来ることがあっただろうか。

 ここでまた、独断と偏見と妄想にかられた私は「プーちゃん」=「溥儀」説を、一人敢然と唱えたい。満洲国の皇帝となった「溥儀」は「プーイー」なのである。『晩春』の冒頭、紀子は茶会の席で、叔母に「プーちゃんに穿かせるために、叔父様の縞のズボンを半分に切ってほしい」と頼まれる。「でも、叔父様のズボンをプーちゃんが穿いたらおかしくないかしら」と紀子は言うのだが、「かまやしないのよ。ちょっとの間だから」と、叔母から風呂敷包みを渡されるシーンがある。戦後の物のないときだから、そんなこともあるだろう、と流してしまう場面だが、何となくひっかかるものがある。

 「叔父様の縞のズボン」が何かの暗喩だとしたら?ひょっとして、それが清国の領土だとしたら?半分に切ったものが満洲国の領土だったら?紀子と叔母は茶会の席で満洲国の傀儡皇帝に「プーちゃん」を据える算段をしているのではないか?

 プーちゃんが部屋に閉じ込められているとき、外では子ども達が野球の試合をしている。ちょっと不思議なのは戦後間もない昭和二十四年に、両チームともユニフォームを着て試合をしているのだ。なかには着ていない子もいて、裸足だったりするのだが。そして、ユニフォームを着ていない子が走者一掃のクリーンヒットを飛ばすのである。さて、この野球の試合は誰と誰が戦っているのでしょう。日本と中国?あるいは国民党と共産党?クリーンヒットはどちらが打ったのだろうか?「赤いエナメル」は共産主義を匂わせるのだが。

 いったん妄想にかられると、とめどもない疑問が沸いてきて、手術後は日中戦争に関する資料を読みあさっています。そして、いかに私(たち世代)が近現代史を知らされていないかということを痛感しています。「紀子三部作」に戻っていえば、「紀子、ゴム糊!」という言葉を投げつけられる「紀子」は何と何をくっつけたのだろう、そもそも「紀子」とは何か、という根本的な疑問に、いっこう解決の目途がつきません。

 それにしても、不思議なのは、中国、そして朝鮮の革命を志す人たちはほとんど日本に留学していることです。たんに留学しているだけでなく、活動の拠点を日本に作り、人的、経済的に多大な援助を受けています。それが、どうして戦うことになったのか。そのターニングポイントが一九二〇年代にあったように思われるのですが。

 今日も粗雑な走り書きを最後まで読んでくださってありがとうございます。
 

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