山口誓子という人の俳句は私にとって難解である。
冷し馬潮北さすさびしさに
という句もいまもってわからない。標題の句は、「つきぬけるように澄み切った青空」、「真っ赤な曼珠沙華がすっくと立った様子」など、嘱目の光景を詠んだ句であるという解釈が多いようである。そうだろうか。
この句については、山口誓子自身が『自句自解』という本のなかで「つきぬけて天上の紺」まで一気に読む、としているそうである。だが、これは、実際に発声してみると難しいのだ。「つきぬけて」と「てんじょうのこん」は「つきぬけテ」「テんじょうのこん」と「テ」の音が重なる。舌を上の歯茎に打ちつける「テ」の音を続けるのは、生理的につらいものがある。それなのに、作者は間隙なく読んで欲しいと言っている。非常に切迫した衝動、とでもいうべきものを感じる。
この句の謎はもうひとつ「つきぬける」主体は何か、という問題である。何がどこからどこへ「つきぬける」のか。ほとんどの評者が「曼珠沙華」がすっくと立っている様を「つきぬけて」と描写したものとする。倒置法の句として解釈しているのだ。そうすると、「つきぬける」のは「曼珠沙華」ということになる。だが、「つきぬけて天上の紺」まで一気に読めば、「曼珠沙華」は「天井の紺」に開いた花ということになるのではないか。「つきぬけて」の主体ではないだろう。
「つきぬけて」の主体を特定する前に、「曼珠沙華」について考えてみたい。「天井の紺」に開いた花であれば、「曼珠沙華」は実景の「ヒガンバナ」ではないだろう。それは、『法華経』にあるという
是時下雨 曼荼羅華 摩訶曼荼羅華 曼珠沙華 摩訶曼珠沙華
の「曼珠沙華」だと思われる。釈迦が菩薩に大乗の法を説いたとき、天上に「曼荼羅華(蓮の花だそうである)」と「曼珠沙華」が開いたという。仏教の素養がまったくない私にはこれ以上の深遠な教えはわからないが、「曼珠沙華」は実景ではなく、イメージであると思われるのだ。
以上の推論が正しければ、「つきぬけて」の主体は「私」であろう。現実日常の世界から「天上」世界につきぬけるのである。無論それはイメージの世界、もしくは「狂想」である。何が作者を、現実世界から天上へ、仏教の言葉でいえば此岸から彼岸へ、というのだろうか、つきぬけさせたのか。これもまた私にとっては、たぶん、いつまでも解決できない謎なのだろうが。
くだくだしい解説を試みてきたが、この句は一気呵成に詠みあげた乾坤一擲とでもいうべき力にみちている。主観客観を超越する魔力といってもよいかもしれない。
昭和十六年(一九四一年)に詠まれたこの句は、私が満洲国のことを調べているときに「満洲=曼珠」のつながりで思い出したものである。満洲国の建国のイデオロギーとして法華経は重要な役目を果たしたと思われるので、この句に詠まれた「曼珠沙華」も「満洲」とどこかでつながっているかもしれない。だが、そんな小賢しい謎解きはどうでもよくて、「俳句」という短詩が、日本語の可能性を極限まで追求して、つねに文学の前衛でありつづけたということ、そしてそのことの素晴らしさを確認しておきたいと思う。
今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。
2018年10月26日金曜日
2018年10月15日月曜日
小津安二郎と日中戦争__「紀子三部作」の謎
8月の終わりに腰椎の手術をして、パソコンの前に長く座っていることができません。
なので、前回はメモでしたが、今回はメモ以下です。
標題の仮説のもとに、ずっと考え続けているのだが、どうしても、読み解けない。小津の「オズ」は「オズの魔法使い」の「オズ」ではなかろうか、などと突拍子もない妄想に襲われるときがある。でも、サリンジャーが『ライ麦畑で捕まえて』と『ナインストーリーズ』で日米戦争の真実を書いたように、「紀子三部作」は日中戦争の真実を告げようとしているように思えてならない。
その根拠となるのは、『晩春』で、紀子が叔母の家を訪れて、「プーちゃん」が部屋に閉じ込められているのをからかうシーンである。プーちゃんは「バットをエナメルで赤く塗って、それが乾かない」ので閉じ込められているのだ。「なんだプー、泣いたくせに」とからかう紀子にプーちゃんは「うるさい、紀子、あっちいけ!紀子、ゴム糊、!」と怒って追い掛け回す。
「プーちゃん」とは何か。子どものあだ名として「プーちゃん」は、今なら違和感なく聞こえるが、昭和二十四年(一九四九年)に「プー」という音が名前の最初に来ることがあっただろうか。
ここでまた、独断と偏見と妄想にかられた私は「プーちゃん」=「溥儀」説を、一人敢然と唱えたい。満洲国の皇帝となった「溥儀」は「プーイー」なのである。『晩春』の冒頭、紀子は茶会の席で、叔母に「プーちゃんに穿かせるために、叔父様の縞のズボンを半分に切ってほしい」と頼まれる。「でも、叔父様のズボンをプーちゃんが穿いたらおかしくないかしら」と紀子は言うのだが、「かまやしないのよ。ちょっとの間だから」と、叔母から風呂敷包みを渡されるシーンがある。戦後の物のないときだから、そんなこともあるだろう、と流してしまう場面だが、何となくひっかかるものがある。
「叔父様の縞のズボン」が何かの暗喩だとしたら?ひょっとして、それが清国の領土だとしたら?半分に切ったものが満洲国の領土だったら?紀子と叔母は茶会の席で満洲国の傀儡皇帝に「プーちゃん」を据える算段をしているのではないか?
プーちゃんが部屋に閉じ込められているとき、外では子ども達が野球の試合をしている。ちょっと不思議なのは戦後間もない昭和二十四年に、両チームともユニフォームを着て試合をしているのだ。なかには着ていない子もいて、裸足だったりするのだが。そして、ユニフォームを着ていない子が走者一掃のクリーンヒットを飛ばすのである。さて、この野球の試合は誰と誰が戦っているのでしょう。日本と中国?あるいは国民党と共産党?クリーンヒットはどちらが打ったのだろうか?「赤いエナメル」は共産主義を匂わせるのだが。
いったん妄想にかられると、とめどもない疑問が沸いてきて、手術後は日中戦争に関する資料を読みあさっています。そして、いかに私(たち世代)が近現代史を知らされていないかということを痛感しています。「紀子三部作」に戻っていえば、「紀子、ゴム糊!」という言葉を投げつけられる「紀子」は何と何をくっつけたのだろう、そもそも「紀子」とは何か、という根本的な疑問に、いっこう解決の目途がつきません。
それにしても、不思議なのは、中国、そして朝鮮の革命を志す人たちはほとんど日本に留学していることです。たんに留学しているだけでなく、活動の拠点を日本に作り、人的、経済的に多大な援助を受けています。それが、どうして戦うことになったのか。そのターニングポイントが一九二〇年代にあったように思われるのですが。
今日も粗雑な走り書きを最後まで読んでくださってありがとうございます。
なので、前回はメモでしたが、今回はメモ以下です。
標題の仮説のもとに、ずっと考え続けているのだが、どうしても、読み解けない。小津の「オズ」は「オズの魔法使い」の「オズ」ではなかろうか、などと突拍子もない妄想に襲われるときがある。でも、サリンジャーが『ライ麦畑で捕まえて』と『ナインストーリーズ』で日米戦争の真実を書いたように、「紀子三部作」は日中戦争の真実を告げようとしているように思えてならない。
その根拠となるのは、『晩春』で、紀子が叔母の家を訪れて、「プーちゃん」が部屋に閉じ込められているのをからかうシーンである。プーちゃんは「バットをエナメルで赤く塗って、それが乾かない」ので閉じ込められているのだ。「なんだプー、泣いたくせに」とからかう紀子にプーちゃんは「うるさい、紀子、あっちいけ!紀子、ゴム糊、!」と怒って追い掛け回す。
「プーちゃん」とは何か。子どものあだ名として「プーちゃん」は、今なら違和感なく聞こえるが、昭和二十四年(一九四九年)に「プー」という音が名前の最初に来ることがあっただろうか。
ここでまた、独断と偏見と妄想にかられた私は「プーちゃん」=「溥儀」説を、一人敢然と唱えたい。満洲国の皇帝となった「溥儀」は「プーイー」なのである。『晩春』の冒頭、紀子は茶会の席で、叔母に「プーちゃんに穿かせるために、叔父様の縞のズボンを半分に切ってほしい」と頼まれる。「でも、叔父様のズボンをプーちゃんが穿いたらおかしくないかしら」と紀子は言うのだが、「かまやしないのよ。ちょっとの間だから」と、叔母から風呂敷包みを渡されるシーンがある。戦後の物のないときだから、そんなこともあるだろう、と流してしまう場面だが、何となくひっかかるものがある。
「叔父様の縞のズボン」が何かの暗喩だとしたら?ひょっとして、それが清国の領土だとしたら?半分に切ったものが満洲国の領土だったら?紀子と叔母は茶会の席で満洲国の傀儡皇帝に「プーちゃん」を据える算段をしているのではないか?
プーちゃんが部屋に閉じ込められているとき、外では子ども達が野球の試合をしている。ちょっと不思議なのは戦後間もない昭和二十四年に、両チームともユニフォームを着て試合をしているのだ。なかには着ていない子もいて、裸足だったりするのだが。そして、ユニフォームを着ていない子が走者一掃のクリーンヒットを飛ばすのである。さて、この野球の試合は誰と誰が戦っているのでしょう。日本と中国?あるいは国民党と共産党?クリーンヒットはどちらが打ったのだろうか?「赤いエナメル」は共産主義を匂わせるのだが。
いったん妄想にかられると、とめどもない疑問が沸いてきて、手術後は日中戦争に関する資料を読みあさっています。そして、いかに私(たち世代)が近現代史を知らされていないかということを痛感しています。「紀子三部作」に戻っていえば、「紀子、ゴム糊!」という言葉を投げつけられる「紀子」は何と何をくっつけたのだろう、そもそも「紀子」とは何か、という根本的な疑問に、いっこう解決の目途がつきません。
それにしても、不思議なのは、中国、そして朝鮮の革命を志す人たちはほとんど日本に留学していることです。たんに留学しているだけでなく、活動の拠点を日本に作り、人的、経済的に多大な援助を受けています。それが、どうして戦うことになったのか。そのターニングポイントが一九二〇年代にあったように思われるのですが。
今日も粗雑な走り書きを最後まで読んでくださってありがとうございます。
2018年8月16日木曜日
小津安二郎『東京物語』__死の予告__「私をさびしい草原に埋めないで」
今回はメモです。
『東京物語』で使われる曲は四つある。最初と最後はアメリカの曲で、間に挿まれて日本の歌謡曲が二曲歌われる。この二つは戦争中のもので、周吉ととみが熱海の宿で眠れない一夜を過ごす原因となる。曲は「湯の町エレジー」と「煌めく星座」で、とくに後者は延々と二番の歌詞まですべてアコーデオンの伴奏つきで三木たかしという歌手が歌っている。
「煌めく星座」は一九四〇年高峰秀子主演の『秀子の応援団長』という映画の主題歌でハワイ帰りの灰田勝彦が歌い、レコードとなっている。これについても書きたいことが少しあるのだが、いまは最初に幸一の長男実が口笛でメロディを吹く「私をさびしい草原に埋めないで」をとりあげてみたい。
東京の幸一の家についた周吉ととみを、日曜日に幸一が東京見物に連れていこうとする。実と勇も一緒である。幸一にいわれて実が二階の周吉夫婦の様子を見に階段を上がっていく。そのときに実が吹いている口笛が「私をさびしい草原に埋めないで」なのだ。「私をさびしい草原に埋めないで」というより西部劇『駅馬車』のメロディーとして記憶されている方も多いだろう。軽快なリズムとテンポのこの曲が「私を海原に投げ込まないで」という海賊の歌として数百年も歌い継がれてきたことを知る人は少ないのではないか。
「私をさびしい草原に埋めないで」という歌は前述の海賊たちの間で歌われてきたものが、開拓時代のカウボーイたちによって歌い継がれてきたもののようである。「駅馬車」の主題歌とはテンポとリズムの異なるものが、ユーチューブで検索されるが、何とも乾いた、虚無の風が吹き抜けるような感じがする。
ほんの数小節口笛で吹かれるこの曲にこだわるのは、ラスト近く、紀子が周吉からとみの懐中時計を渡されて泣き崩れるシーンとかぶさって流れるのが、フォスターの「主は冷たい土の中に」(日本では「夕べの鐘」という題で歌詞が付けられているものもあるようだが)という曲で、最初と最後で見事に起承転結が合うからである。「主は冷たい土の中に」は黒人奴隷が主人の死を悲しんで、主人を偲ぶ歌である。フォークソングのようだが、フォスターが作曲したものだ。
明るく、軽快に死を予告する。そして、「死」は実行される。もし、これを確信犯としてやっているなら、何という残酷なことだろう。
『東京物語』の謎は深まるばかりである。
『晩春』の「プーちゃん」についても書きたいことがあるのですが、「クーさん」との整合性がいまいちなので、もう少し時間が欲しいと思っています。
とりとめもない妄想を最後まで読んでくださってありがとうございました。
『東京物語』で使われる曲は四つある。最初と最後はアメリカの曲で、間に挿まれて日本の歌謡曲が二曲歌われる。この二つは戦争中のもので、周吉ととみが熱海の宿で眠れない一夜を過ごす原因となる。曲は「湯の町エレジー」と「煌めく星座」で、とくに後者は延々と二番の歌詞まですべてアコーデオンの伴奏つきで三木たかしという歌手が歌っている。
「煌めく星座」は一九四〇年高峰秀子主演の『秀子の応援団長』という映画の主題歌でハワイ帰りの灰田勝彦が歌い、レコードとなっている。これについても書きたいことが少しあるのだが、いまは最初に幸一の長男実が口笛でメロディを吹く「私をさびしい草原に埋めないで」をとりあげてみたい。
東京の幸一の家についた周吉ととみを、日曜日に幸一が東京見物に連れていこうとする。実と勇も一緒である。幸一にいわれて実が二階の周吉夫婦の様子を見に階段を上がっていく。そのときに実が吹いている口笛が「私をさびしい草原に埋めないで」なのだ。「私をさびしい草原に埋めないで」というより西部劇『駅馬車』のメロディーとして記憶されている方も多いだろう。軽快なリズムとテンポのこの曲が「私を海原に投げ込まないで」という海賊の歌として数百年も歌い継がれてきたことを知る人は少ないのではないか。
「私をさびしい草原に埋めないで」という歌は前述の海賊たちの間で歌われてきたものが、開拓時代のカウボーイたちによって歌い継がれてきたもののようである。「駅馬車」の主題歌とはテンポとリズムの異なるものが、ユーチューブで検索されるが、何とも乾いた、虚無の風が吹き抜けるような感じがする。
ほんの数小節口笛で吹かれるこの曲にこだわるのは、ラスト近く、紀子が周吉からとみの懐中時計を渡されて泣き崩れるシーンとかぶさって流れるのが、フォスターの「主は冷たい土の中に」(日本では「夕べの鐘」という題で歌詞が付けられているものもあるようだが)という曲で、最初と最後で見事に起承転結が合うからである。「主は冷たい土の中に」は黒人奴隷が主人の死を悲しんで、主人を偲ぶ歌である。フォークソングのようだが、フォスターが作曲したものだ。
明るく、軽快に死を予告する。そして、「死」は実行される。もし、これを確信犯としてやっているなら、何という残酷なことだろう。
『東京物語』の謎は深まるばかりである。
『晩春』の「プーちゃん」についても書きたいことがあるのですが、「クーさん」との整合性がいまいちなので、もう少し時間が欲しいと思っています。
とりとめもない妄想を最後まで読んでくださってありがとうございました。
2018年8月2日木曜日
小津安二郎『東京物語』__時空の揺らぎと「物語」の嘘
『東京物語』を見ていて、どうしても気になることのひとつに、尾道_東京間の所要時間はいくらなのか、という極めて初歩的で単純な疑問がある。
冒頭周吉ととみが旅行鞄に荷物を詰めている。次女の京子が小学校に出勤する前に弁当とお茶を用意して二人に渡している。ところが、二人はすぐ出発するのではなく、「昼からの汽車で」東京に行くのだと言う。弁当とお茶はどこで、いつ食べるのだろう。暑い盛りに腐ってしまわないだろうか。まず、ここでかすかな疑問が生まれる。
周吉は京子に、学校が忙しければホームにこなくていい、と言うが京子は「五時間目は体育だから」大丈夫だと言う。ということは、周吉ととみが乗る汽車は、午後一時から二時の間に尾道を出発することになる。大阪には(午後)六時に着くから敬三がホームに来ているだろう、とも周吉が言っている。ところが、二人が東京に到着する時刻は明らかにされないのである。
尾道の家で隣家の主婦と会話した後、すぐ六本の煙突が煙を吐くシーン、続いて「ほりきり」と書いた看板が立つ小さな駅のホームのシーンになる。周吉ととみの車中の様子は映像化されないのである。「内科小児科平山医院 スグ此ノ土手ノ下」と書かれた看板が映り、その後中年の女性が箒で室内を掃いているシーンになる。この家の主婦の平山文子である。「ただいま」と男の子が学校から帰ってくる。文子の長男実である。その後、文子の夫で周吉ととみの長男平山幸一が、二人を連れて家に入ってくる。幸一の妹(周吉ととみの長女)志げも一緒である。これは何時頃の出来事なのだろうか。
「今、テストなんだぞ」と言う実(中学生)が帰宅するのはどんなに早くてもお昼すぎ、あるいはお昼間際だろう。とすると、東京駅には何時に着いたのだろうか。
周吉ととみが尾道に帰るときの所要時間は確定されている。夜「九時三〇分」発の急行で翌日「午後一時半」には尾道に着くのだから、ととみが言っている。つまり東京→尾道間は十六時間である。
東京→尾道間も尾道→東京間もほぼ同じ所要時間とすれば、「お昼すぎに尾道を出発」すれば翌朝五時過ぎ遅くとも六時には東京駅に着くはずである。その時刻に着けば、「だいぶん、自動車で遠いかった」ととみは言うが、幸一の自宅兼医院がある「ほりきり」駅近くまで車で走っても、お昼近くまでかかることはないだろう。ということは東京駅には十時過ぎに到着したことになり、尾道→東京は東京→尾道に比べ、はるかに時間がかかるということになる。そういうことがあるだろうか。
ところで、「ほりきり」と看板がかかった駅は実は東武伊勢崎線の「堀切」駅ではないそうである。何となく不吉な感じのする音響とともに、六本の煙突(千住発電所のお化け煙突と呼ばれていたものらしい)が立っているシーンの後、「ほりきり」と書かれた看板が立つホームが遠景で映される。続いて、モンペ姿の若い娘が二人汗を拭きながら談笑しているシーンになる。かたわらに大きな籠が置かれているので、行商をしているのだろう。二人が立っている前に「うしだ」「〇ねがふち」と両隣の駅名が書かれた看板が立っている。いかにも「堀切」駅のホームのようである。
だが、これは京成押上線の「八広」と言う駅で撮影されたものだそうだ。実際の堀切駅は、線路が道路より下にあるので、この映像のようにトラックが線路と同じ高さで走ることはあり得ない。また、この映像では踏切がホームの手前に映っているが、堀切駅の近くには踏み切りはない。「うしだ」「〇ねがふち」と両隣の駅名を書いた看板は、よく見ると電車の進行方向と直角に立っている。これでは電車の中から駅名が見づらい。つまりこの看板はニセモノなのである。
なぜ、小津は八広駅を「ほりきり」駅にしたかったのか。「ほりきり」にこだわる理由があるのだろうか。たんに平山医院の場所を荒川の土手の下にしたかったのなら、「ほりきり」駅のホームを映さなくてもよかったのに、と思う。
事実に見えるように映像化して、その中に嘘を混ぜる。何となく違和感はあるものの、さらっと見逃してしまいそうな嘘である。なぜ、こんな手のこんだことをするのか。
大江健三郎が『憂い顔の童子』の中で、母親の言葉としていっているように「本当のことをいうのは、ウソに力をあたえるため」なら、逆に「嘘を言うのは、本当のことに力をあたえるため」という論理は成り立つだろうか。
『東京物語』の「本当のこと」は何だろう。『東京物語』の嘘は、注意深く検証すれば嘘であることが証明されるが、「本当のこと」は容易に姿を現してくれないような気がする。一見分かりやすい人情劇_酷薄な娘と役立たずの息子を演じる杉村春子と山村總は名演技だと思う_の向こうにある本当の「物語」は何か。私たちはもう一度「東京」の「物語」あるいは「物語」の「東京」について考えなければならない。
非常に即物的でありながら極めて抽象的な論を展開してしまいました。「東京物語」の「本当のこと」について書くにはもう少し時間がかりそうです。書けるかどうかわかりませんが、何とか言葉にしたいと思っています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
冒頭周吉ととみが旅行鞄に荷物を詰めている。次女の京子が小学校に出勤する前に弁当とお茶を用意して二人に渡している。ところが、二人はすぐ出発するのではなく、「昼からの汽車で」東京に行くのだと言う。弁当とお茶はどこで、いつ食べるのだろう。暑い盛りに腐ってしまわないだろうか。まず、ここでかすかな疑問が生まれる。
周吉は京子に、学校が忙しければホームにこなくていい、と言うが京子は「五時間目は体育だから」大丈夫だと言う。ということは、周吉ととみが乗る汽車は、午後一時から二時の間に尾道を出発することになる。大阪には(午後)六時に着くから敬三がホームに来ているだろう、とも周吉が言っている。ところが、二人が東京に到着する時刻は明らかにされないのである。
尾道の家で隣家の主婦と会話した後、すぐ六本の煙突が煙を吐くシーン、続いて「ほりきり」と書いた看板が立つ小さな駅のホームのシーンになる。周吉ととみの車中の様子は映像化されないのである。「内科小児科平山医院 スグ此ノ土手ノ下」と書かれた看板が映り、その後中年の女性が箒で室内を掃いているシーンになる。この家の主婦の平山文子である。「ただいま」と男の子が学校から帰ってくる。文子の長男実である。その後、文子の夫で周吉ととみの長男平山幸一が、二人を連れて家に入ってくる。幸一の妹(周吉ととみの長女)志げも一緒である。これは何時頃の出来事なのだろうか。
「今、テストなんだぞ」と言う実(中学生)が帰宅するのはどんなに早くてもお昼すぎ、あるいはお昼間際だろう。とすると、東京駅には何時に着いたのだろうか。
周吉ととみが尾道に帰るときの所要時間は確定されている。夜「九時三〇分」発の急行で翌日「午後一時半」には尾道に着くのだから、ととみが言っている。つまり東京→尾道間は十六時間である。
東京→尾道間も尾道→東京間もほぼ同じ所要時間とすれば、「お昼すぎに尾道を出発」すれば翌朝五時過ぎ遅くとも六時には東京駅に着くはずである。その時刻に着けば、「だいぶん、自動車で遠いかった」ととみは言うが、幸一の自宅兼医院がある「ほりきり」駅近くまで車で走っても、お昼近くまでかかることはないだろう。ということは東京駅には十時過ぎに到着したことになり、尾道→東京は東京→尾道に比べ、はるかに時間がかかるということになる。そういうことがあるだろうか。
ところで、「ほりきり」と看板がかかった駅は実は東武伊勢崎線の「堀切」駅ではないそうである。何となく不吉な感じのする音響とともに、六本の煙突(千住発電所のお化け煙突と呼ばれていたものらしい)が立っているシーンの後、「ほりきり」と書かれた看板が立つホームが遠景で映される。続いて、モンペ姿の若い娘が二人汗を拭きながら談笑しているシーンになる。かたわらに大きな籠が置かれているので、行商をしているのだろう。二人が立っている前に「うしだ」「〇ねがふち」と両隣の駅名が書かれた看板が立っている。いかにも「堀切」駅のホームのようである。
だが、これは京成押上線の「八広」と言う駅で撮影されたものだそうだ。実際の堀切駅は、線路が道路より下にあるので、この映像のようにトラックが線路と同じ高さで走ることはあり得ない。また、この映像では踏切がホームの手前に映っているが、堀切駅の近くには踏み切りはない。「うしだ」「〇ねがふち」と両隣の駅名を書いた看板は、よく見ると電車の進行方向と直角に立っている。これでは電車の中から駅名が見づらい。つまりこの看板はニセモノなのである。
なぜ、小津は八広駅を「ほりきり」駅にしたかったのか。「ほりきり」にこだわる理由があるのだろうか。たんに平山医院の場所を荒川の土手の下にしたかったのなら、「ほりきり」駅のホームを映さなくてもよかったのに、と思う。
事実に見えるように映像化して、その中に嘘を混ぜる。何となく違和感はあるものの、さらっと見逃してしまいそうな嘘である。なぜ、こんな手のこんだことをするのか。
大江健三郎が『憂い顔の童子』の中で、母親の言葉としていっているように「本当のことをいうのは、ウソに力をあたえるため」なら、逆に「嘘を言うのは、本当のことに力をあたえるため」という論理は成り立つだろうか。
『東京物語』の「本当のこと」は何だろう。『東京物語』の嘘は、注意深く検証すれば嘘であることが証明されるが、「本当のこと」は容易に姿を現してくれないような気がする。一見分かりやすい人情劇_酷薄な娘と役立たずの息子を演じる杉村春子と山村總は名演技だと思う_の向こうにある本当の「物語」は何か。私たちはもう一度「東京」の「物語」あるいは「物語」の「東京」について考えなければならない。
非常に即物的でありながら極めて抽象的な論を展開してしまいました。「東京物語」の「本当のこと」について書くにはもう少し時間がかりそうです。書けるかどうかわかりませんが、何とか言葉にしたいと思っています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
2018年7月25日水曜日
小津安二郎『東京物語』__「主は冷たい土の中に」__紀子に渡された時間
生と死、家族のあり方を描いた傑作として評価が定まっている作品である。尾道から老夫婦(妻が六八歳、夫はそれよりいくらか年上か)が上京する。長男と長女の家に滞在するが、それぞれの生活の都合があって、結局義理の娘(亡くなった次男の嫁)の世話になる。帰りの列車の中で具合が悪くなった妻は尾道に帰ると急死してしまう。「ハハキトク」の電報で子供たちが尾道に集まるが、葬式が終わるとその日のうちに帰っていく。最後に残った次男の嫁も、尾道の小学校で教師をしている次女と東京での再会を約束して帰京する。
プロットの展開といい、登場人物の性格描写と言い、リアリティに満ちていて、これもまた不自然なところなどどこにもないように見える。何となく次男の嫁_紀子の献身ぶりが浮き立ってしまうようなところがあるのだけれど、その素晴らしい日本語、というか東京山の手の上流階級風のことばと物腰、表情に納得してしまう。
しかし、それでもやはり、この映画はおかしいのである。今日、映画はDVDその他で繰り返し見ることができる。時には、映像を中断して、停止画像を検証することもできる。そのような操作をして「おかしさ」を発見することは、観客として邪道かもしれないが、小津もまた確信犯的アンフェアだといわざるを得ない。
熱海の宿で眠れぬ夜を過ごして、東京に帰った周吉ととみの夫婦は、泊まろうと思っていた長女の家を追い出されてしまう。とみは紀子のアパートに泊めてもらう。時計の鐘が十二時を告げている。アパートの部屋で、紀子に肩を揉んでもらうとみ。とみの表情はほんとうに柔和で幸せそうだが、紀子のそれはニュートラルである。とみに向かい合う時は十分に笑みをたたえているが、そうでないときは、はっとするほど冷酷な表情をする。それがまた、慄然とする美しさなのである。
まだ若いのだから、と再婚をすすめるとみに「もう、若かありませんわ」と自嘲気味に答える紀子。その目はなまめかしい、というか妖しいというか、複雑な色を帯びていて、夫を亡くした後の紀子の生活が葛藤に満ちたものであったことをうかがわせるようだ。「それじゃぁ、いいとこがありましたら」と受け流す紀子に、さらに「苦労をかけた・・」と言いつのるとみ。行く末を案じるとみに紀子は「あたし齢取らないことに決めてますから」と冗談とも本気ともわからないことをいう。「ええ人じゃのう、あんた」と、とみは俯いて涙ぐむのだが、紀子はどこか突き放した口調で「じゃ、おやすみなさい」と切り上げ、電灯を消す。とみの背中を見る紀子の視線は獲物をうかがう動物のような冷酷さである。
カメラはさらに、仰向けになった紀子の横顔を映す。目を見開いて、上を見上げる紀子は何事か考えている様子である。二度瞬きをして、かすかに喉もとを動かし、何か飲み込むようである。とみと紀子の間にはひそかに張り巡らされた緊張の糸が存在するのだ。薊を意匠した紀子の浴衣も無気味である。棘だった葉の模様が蝙蝠のように見える。
とみの危篤を兄嫁から職場の電話で知らされた紀子の表情もまた、ぞっとするものがある。受話器を置いて自分の机まで歩いていく紀子。タイプライターの音が続く。俯いているが、その表情は険しい。覚悟を決めたような気配も感じられる。机に向かって鉛筆を回転させながら、何事か考えているようだが、不貞腐れたようにも見える顔つきである。これが、あのアパートで慄然とするまでの美しさを見せた紀子と同一人物かと思うほど不細工に映っている。
そして、この直後、この映画で最も不思議な映像が挿入される。電動ドリルで穴を開ける音とともに、画面いっぱいに組まれた鉄骨が映し出される。鉄骨の向こうにビルの壁が見える。回天窓の大きさと形から、オフィス街のビルだと思われる。画面が切り替わって、鉄骨の組まれた上に空が広がる。自動車のクラクションの音も聞こえる。
この画面が、とみの死、そして紀子の運命と何の関係があるのか。
ラスト近く、出勤する京子を東京での再会を約束した紀子が見送る。この間二、三分のシーンだが、京子と紀子が会話する座敷の外側に鶏頭の花がぼんやりと映っている。鶏頭の花は座敷の両側に植えられている。周吉ととみの出発時にはなかった鶏頭の花が、とみの葬儀のあたりから頻繁に映されるが、無気味である。そういえば、冒頭、出勤前の京子と周吉夫婦のやり取りのシーンで、座敷の向こうに蛸の干したものがぶら下がっている。これもまた気持ちのよいものではない。人間の頭蓋骨のように見える。
画面の不思議といえば、周吉ととみが紀子のアパートで食事をする場面がある。隣の部屋の若い主婦から酒を借りてきた紀子が周吉に酒をすすめ、出前の丼を取る。配達された丼にとみが箸をつけた途端、背後のガラスがひび割れているのである。周吉が盃を干したときには気が付かなかったが、とみがものを食べた瞬間にひび割れて、テープのようなもので補修されたガラスになるのだ。そもそもこの映画にはひび割れたガラスがあちこち出現する。長男の開業する医院の薬棚のガラスもひびだらけである。
ラストはやはり紀子と周吉の対決になる。出勤する京子が玄関を出ると、紀子は踵を返して手早く部屋を片付け、周吉に「わたくし、今日お昼からの汽車で」と、帰京する旨を告げる。周吉に対しては、紀子は「わたくし」という自称で話すのだ。紀子の行為に謝意を述べる周吉に、紀子は「何にもおかまいできませんで」と返し、「ありがとう」と周吉があらためて礼を言うと「いいえ・・・」とバツが悪そうに俯く。
亡くなる前に紀子のアパートでとみが言ったのと同じことばを周吉も繰り返す。良縁があったら再婚してほしい、亡くなった息子のことは忘れてもらって構わない、と。さらに、周吉は、とみが紀子のことをこんなに、良い人はいないと褒めていたことを伝える。すると紀子は「お義母さま、わたくしのことを買いかぶっていらしたんですわ」と答え、「わたくし、ずるいんです。お義父様やお義母様が思ってらっしゃるほど、そういつもいつも省二さんのことばかり考えているわけじゃありません」と言う。
「ええんじゃよ、忘れてくれて」と周吉が言うと、紀子は「でも、この頃思い出さない日さえあるんです。忘れてる日が多いんです」と答え、堰を切ったように言葉を重ねるのだ。この場面、カメラは、なぜか周吉の後ろ姿の向こうに紀子をとらえる。行く末の不安と未来に起こるかもしれない出来事への期待を必死に訴える紀子の表情は、無言の周吉の背中越しに見えるのだ。
「心の片隅で何かを待ってるんです。ずるいんです」と言う紀子に、周吉は「ずるうはない」と答える。「いいえ、ずるいんです。そういうことお義母様には申し上げられなかったんです」と紀子が返して、ここからカメラはまた紀子を近くでとらえる。周吉が「やっぱりあんたはええ人じゃよ。正直で」がと言うと紀子は「とんでもない」と顔をそむけて泣く。
涙をこらえている風情の紀子に、周吉はとみの形見の懐中時計を差し出す。このシーンにも鶏頭の花が映っている。ちょうど紀子の齢くらいからとみが持っていたという時計を紀子に、と言う周吉の言葉に紀子は涙をたたえた目で「すみません」とうつむく。そして、紀子の幸せを祈る、と周吉が続けると、紀子は手で顔を覆って泣き崩れる。
この後「主は冷たい土の中に」の曲が流れる。小学生の合唱のようである。小学校の校舎、バケツをもった子供たちが歩いている廊下、京子が算数を教えている教室が映される。教室の窓から外を見る京子。紀子の乗る汽車が轟音とともに疾走して行くシーンが危険なほどの近さで映される。
汽車の中で、懐中時計を見る取り出して、蓋を開け確かめる紀子。髪型を変え、ブラウスも変えて、周吉と対話していたときとは別人のようである。ニュートラルな表情だが、最後に何事か決意したような気配になる。汽笛が鳴る。
以上、「紀子物語」をざっとトレースしてみたが、これが『東京物語』の中でどのような役割を果たすのか、いまの私には解が見つけられないのである。紀子の行動については、まだあといくつか触れたい箇所もあるのだが、長くなるのでまた次の機会にしたい。もっとも根本的なのは、「堀切」という駅名が明示された荒川の土手下を中心とする場所が、なぜ「東京物語」の舞台に選ばれたのか、という疑問である。それは『東京物語』の構造にかかわる核心の問題なのだろうが。
ラストちかくの紀子と周吉の対決について、もう少し二人の心理の襞に立ち入って書かなければならないのですが、これ以上冗長な文章を続けるのも憚られるので、これもまた次の機会にしたいと思います。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
プロットの展開といい、登場人物の性格描写と言い、リアリティに満ちていて、これもまた不自然なところなどどこにもないように見える。何となく次男の嫁_紀子の献身ぶりが浮き立ってしまうようなところがあるのだけれど、その素晴らしい日本語、というか東京山の手の上流階級風のことばと物腰、表情に納得してしまう。
しかし、それでもやはり、この映画はおかしいのである。今日、映画はDVDその他で繰り返し見ることができる。時には、映像を中断して、停止画像を検証することもできる。そのような操作をして「おかしさ」を発見することは、観客として邪道かもしれないが、小津もまた確信犯的アンフェアだといわざるを得ない。
熱海の宿で眠れぬ夜を過ごして、東京に帰った周吉ととみの夫婦は、泊まろうと思っていた長女の家を追い出されてしまう。とみは紀子のアパートに泊めてもらう。時計の鐘が十二時を告げている。アパートの部屋で、紀子に肩を揉んでもらうとみ。とみの表情はほんとうに柔和で幸せそうだが、紀子のそれはニュートラルである。とみに向かい合う時は十分に笑みをたたえているが、そうでないときは、はっとするほど冷酷な表情をする。それがまた、慄然とする美しさなのである。
まだ若いのだから、と再婚をすすめるとみに「もう、若かありませんわ」と自嘲気味に答える紀子。その目はなまめかしい、というか妖しいというか、複雑な色を帯びていて、夫を亡くした後の紀子の生活が葛藤に満ちたものであったことをうかがわせるようだ。「それじゃぁ、いいとこがありましたら」と受け流す紀子に、さらに「苦労をかけた・・」と言いつのるとみ。行く末を案じるとみに紀子は「あたし齢取らないことに決めてますから」と冗談とも本気ともわからないことをいう。「ええ人じゃのう、あんた」と、とみは俯いて涙ぐむのだが、紀子はどこか突き放した口調で「じゃ、おやすみなさい」と切り上げ、電灯を消す。とみの背中を見る紀子の視線は獲物をうかがう動物のような冷酷さである。
カメラはさらに、仰向けになった紀子の横顔を映す。目を見開いて、上を見上げる紀子は何事か考えている様子である。二度瞬きをして、かすかに喉もとを動かし、何か飲み込むようである。とみと紀子の間にはひそかに張り巡らされた緊張の糸が存在するのだ。薊を意匠した紀子の浴衣も無気味である。棘だった葉の模様が蝙蝠のように見える。
とみの危篤を兄嫁から職場の電話で知らされた紀子の表情もまた、ぞっとするものがある。受話器を置いて自分の机まで歩いていく紀子。タイプライターの音が続く。俯いているが、その表情は険しい。覚悟を決めたような気配も感じられる。机に向かって鉛筆を回転させながら、何事か考えているようだが、不貞腐れたようにも見える顔つきである。これが、あのアパートで慄然とするまでの美しさを見せた紀子と同一人物かと思うほど不細工に映っている。
そして、この直後、この映画で最も不思議な映像が挿入される。電動ドリルで穴を開ける音とともに、画面いっぱいに組まれた鉄骨が映し出される。鉄骨の向こうにビルの壁が見える。回天窓の大きさと形から、オフィス街のビルだと思われる。画面が切り替わって、鉄骨の組まれた上に空が広がる。自動車のクラクションの音も聞こえる。
この画面が、とみの死、そして紀子の運命と何の関係があるのか。
ラスト近く、出勤する京子を東京での再会を約束した紀子が見送る。この間二、三分のシーンだが、京子と紀子が会話する座敷の外側に鶏頭の花がぼんやりと映っている。鶏頭の花は座敷の両側に植えられている。周吉ととみの出発時にはなかった鶏頭の花が、とみの葬儀のあたりから頻繁に映されるが、無気味である。そういえば、冒頭、出勤前の京子と周吉夫婦のやり取りのシーンで、座敷の向こうに蛸の干したものがぶら下がっている。これもまた気持ちのよいものではない。人間の頭蓋骨のように見える。
画面の不思議といえば、周吉ととみが紀子のアパートで食事をする場面がある。隣の部屋の若い主婦から酒を借りてきた紀子が周吉に酒をすすめ、出前の丼を取る。配達された丼にとみが箸をつけた途端、背後のガラスがひび割れているのである。周吉が盃を干したときには気が付かなかったが、とみがものを食べた瞬間にひび割れて、テープのようなもので補修されたガラスになるのだ。そもそもこの映画にはひび割れたガラスがあちこち出現する。長男の開業する医院の薬棚のガラスもひびだらけである。
ラストはやはり紀子と周吉の対決になる。出勤する京子が玄関を出ると、紀子は踵を返して手早く部屋を片付け、周吉に「わたくし、今日お昼からの汽車で」と、帰京する旨を告げる。周吉に対しては、紀子は「わたくし」という自称で話すのだ。紀子の行為に謝意を述べる周吉に、紀子は「何にもおかまいできませんで」と返し、「ありがとう」と周吉があらためて礼を言うと「いいえ・・・」とバツが悪そうに俯く。
亡くなる前に紀子のアパートでとみが言ったのと同じことばを周吉も繰り返す。良縁があったら再婚してほしい、亡くなった息子のことは忘れてもらって構わない、と。さらに、周吉は、とみが紀子のことをこんなに、良い人はいないと褒めていたことを伝える。すると紀子は「お義母さま、わたくしのことを買いかぶっていらしたんですわ」と答え、「わたくし、ずるいんです。お義父様やお義母様が思ってらっしゃるほど、そういつもいつも省二さんのことばかり考えているわけじゃありません」と言う。
「ええんじゃよ、忘れてくれて」と周吉が言うと、紀子は「でも、この頃思い出さない日さえあるんです。忘れてる日が多いんです」と答え、堰を切ったように言葉を重ねるのだ。この場面、カメラは、なぜか周吉の後ろ姿の向こうに紀子をとらえる。行く末の不安と未来に起こるかもしれない出来事への期待を必死に訴える紀子の表情は、無言の周吉の背中越しに見えるのだ。
「心の片隅で何かを待ってるんです。ずるいんです」と言う紀子に、周吉は「ずるうはない」と答える。「いいえ、ずるいんです。そういうことお義母様には申し上げられなかったんです」と紀子が返して、ここからカメラはまた紀子を近くでとらえる。周吉が「やっぱりあんたはええ人じゃよ。正直で」がと言うと紀子は「とんでもない」と顔をそむけて泣く。
涙をこらえている風情の紀子に、周吉はとみの形見の懐中時計を差し出す。このシーンにも鶏頭の花が映っている。ちょうど紀子の齢くらいからとみが持っていたという時計を紀子に、と言う周吉の言葉に紀子は涙をたたえた目で「すみません」とうつむく。そして、紀子の幸せを祈る、と周吉が続けると、紀子は手で顔を覆って泣き崩れる。
この後「主は冷たい土の中に」の曲が流れる。小学生の合唱のようである。小学校の校舎、バケツをもった子供たちが歩いている廊下、京子が算数を教えている教室が映される。教室の窓から外を見る京子。紀子の乗る汽車が轟音とともに疾走して行くシーンが危険なほどの近さで映される。
汽車の中で、懐中時計を見る取り出して、蓋を開け確かめる紀子。髪型を変え、ブラウスも変えて、周吉と対話していたときとは別人のようである。ニュートラルな表情だが、最後に何事か決意したような気配になる。汽笛が鳴る。
以上、「紀子物語」をざっとトレースしてみたが、これが『東京物語』の中でどのような役割を果たすのか、いまの私には解が見つけられないのである。紀子の行動については、まだあといくつか触れたい箇所もあるのだが、長くなるのでまた次の機会にしたい。もっとも根本的なのは、「堀切」という駅名が明示された荒川の土手下を中心とする場所が、なぜ「東京物語」の舞台に選ばれたのか、という疑問である。それは『東京物語』の構造にかかわる核心の問題なのだろうが。
ラストちかくの紀子と周吉の対決について、もう少し二人の心理の襞に立ち入って書かなければならないのですが、これ以上冗長な文章を続けるのも憚られるので、これもまた次の機会にしたいと思います。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
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