2013年12月21日土曜日

大江健三郎「みずから我が涙ぬぐいたまう日」______ハピィ・デイズという逆説

 どうして大江健三郎はこんなにもわかりにくいのだろう。標題の「みずから我が涙ぬぐいたまう日」のわかりにくさなど犯罪的ではないか、と思ってしまう。いま平行して読んでいる三島由紀夫のほうが、彼が頑なにこだわった旧字体と修辞的な文章に慣れれば、ずっと素直に読めてしまうような気がする。

 この小説のわかりにくさの第一は、叙述の複雑さにあるだろう。語り手の作家がみずからを「かれ」と呼んで「同時代史」を語り、その語るところを「遺言代執行人」あるいは「看護婦」と呼ばれる「かれ」の妻(と推測される人間)が「口述筆記」をする、という体裁で叙述されるのだ。さらに二重括弧《》でくくられる地の文があるのだが、ここでも語り手の作家は「かれ」と呼ばれるので、読む側は、語られる内容が語り手の主観的な思い込みなのか、それとも客観的な事実なのかをしばしば混乱してしまう。これはアンフェアなやりかたではないか。


 わかりにくさの第二は叙述される内容そのもののゆらぎである。いったい語り手の「かれ」は本当に癌なのか。物語の冒頭「いったい、おまえは、なんだ、なんだ、なんだ!」と叫んで登場する男(これがじつは「かれ」の母親であることがラスト近くで示唆される)と「おれは、癌だ癌だ、肝臓がんそのものがおれなんだ!」という「かれ」とのやりとりは夢なのか、それとも現実なのか。

 また「かれ」の語る「同時代史」___「あの人」と呼ばれる父親(らしき人物)の追憶は真実なのか。満州に渡って何やら策動していたものの、一九四二年春日本に戻るとそのまま郷里の家の倉に閉じこもり、一九四五年敗戦の日まで水中眼鏡をかけ、ラジオのヘッドホーンを放さなかったという「あの人」の行動の意味するところは何か。 そして最後の「蹶起」の日___末期の膀胱癌で出血の止まらない身でありながら木車に乗せられて「あの人」が郷里を出ていったのは八月十五日の敗戦の日なのか、それともその翌日なのか。そもそもそれはほんとうに「蹶起」だったのか。

 こうしたわかりにくさを増幅する、というよりわかりにくさの根源が「かれ」の母親である。「かれ」の追憶の中で語られる母親はつねに「あの人」と呼ばれる父親を否定する存在である。母親の祖父は「明治四十五年に摘発された、戦時においてはおよそそれを口にだすこともはばかられる事件に関係があった模様」の人物であり、母親は中国大陸で育ったのだが、「かれ」の長兄が軍を脱走すると、「かれ」の両親の対立、憎悪は決定的なものになる。「かれ」自身は、膀胱癌でありながら極度に肥満して自らの用をたせぬ「あの人」の側について、「あの人」と倉で一緒に暮らす「ハピィ・デイズ」を送る。その追憶の日々を、いま「かれ」は happy days are here again という歌をうたいつつ語る。そして、みずから「あの人」の遺品の水中眼鏡をかけ、肝臓癌の末期患者となることで「あの人」の事跡の追体験を試みるのだが、その「ハピィ・デイズ」をことごとく否定したのが母親なのだ。

 その母親が物語りの後半、突然二重括弧でくくられた地の文に登場する。そこで彼女は、「かれ」の「ハピィ・デイズ」の頂点ともいうべき蹶起の真相について、「かれ」の言葉を真っ向から否定するのだ。「かれ」は、「あの人」が血まみれの身ながら脱走兵たちを率いて蹶起したという。バッハの受難曲を高唱する兵隊たちに曳かれた木車に乗せられた「あの人」とともに「かれ」自身も進んで行った。軍の飛行場に乗りこんで戦闘機を奪い大内山を爆撃するという計画は、しかし、当然のことだが失敗した。軍資金を調達すべく、母親の持っていた株券を現金化するために立ち寄った銀行を出た途端、「あの人」は撃ち殺され、将校以外の兵隊たちも銃殺されてしまったのである。

 「かれ」の語る蹶起の真相はこうである。「それはまさに市街戦だったのだ、しかも頭上には日本軍かアメリカ軍か、おそらくは双方の戦闘機が低空飛行して、轟々と市街を鳴りひびかせていたのである。・・・・・・・・一九四五年八月十五日、天皇は人間の声でかたるところのものたるべく地上に急降下した。その天皇が八月十六日、あらためて急旋回、急上昇をおこなおうとしていたのだ。いったんは爆死せざるをえないにしても、国体そのものとして、あらたによみがえり、かつてよりなお確実に、なお神的に、普遍の菊として日本のすべての国土、すべての国民を覆う。巨大な紫色の背光に、オーロラのような輝きをあたえられた黄金の菊の花として現前する。わが国の歴史に立つ数多い神々が、いったん人間の声で語るものへと急降下した天皇に、国体の威厳を再逆転させるため、飛行する殉死者の爆弾によるみそぎをこそもとめるということがありえなかったろうか?」

 このみそぎこそ、まさに純粋天皇誕生の瞬間である。だが、「かれ」が実際に見とどけたのは、天皇ではなく「あの人」の死であり、その死の瞬間にあらわれた「巨大な紫の背光にかこまれた輝く黄金の菊の花」だったのである。

 母親が突然行動に出たのは「かれ」がここまで語り終わったときである。彼女は「かれ」が片時も外さなかった父親の遺品の水中眼鏡をひきずりあげて、眩しさのために滲ませた「かれ」の涙を手慣れたやりかたでぬぐいとってしまう。そして「かれ」のことばを真っ向から否定しはじめるのだ。「あの人」は最初から本気で大内山を爆撃する気などなかった。現実に「あの人」が株を換金した金は将校に持ち逃げされ、銀行を出た途端「あの人」と兵隊たちを撃ち殺したのは、別の銀行強盗のグループだった。「あの人」が「かれ」をつれていったのは「口にだすこともはばかられる事件」を起した人間を祖父にもつ子だったからで、にせ蹶起の失敗にそなえたアリバイつくりのためである。「かれ」もそれがわかっていたから、撃ち合いが始まる前に逃げ出したのだというのだ。

 彼女の語る真相はこうである。「自分の躰のなかに大逆罪をおかすような者の血が流れており、いつそれがはっきり形をとって動き出すのかと、心底恐れていた子供が、実際これから大内山を襲撃するのだというようなことをいわれると、責任はみな自分の躰にあって、自分の躰を流れる血が、国の歴史をひっくりかえすようなことをひきおこす手引きになるのだと考えて、それでどこまでも、どこまでも、自分自身の躰からさえも、逃げ出してしまいたいと思ったんですが!・・・・・・・」

 母親と「かれ」と、狂気ははたしてどちらだろうか。あるいは、どちらも狂気なのだろうか。「神話か歴史のなかの、架空にちかい人物のように響く」と「遺言代執行人」にいわれる「あの人」は実在するのか。これらの疑問に解を与えるのでなく、さらに決定的に混乱に陥れるのが、冒頭に登場するヒゲダルマ風の男がじつは変装した母親だったという結末である。もしかすると、この小説は読者を混乱に陥れるために書かれたのではないだろうか。

 以前「アンフェア」というテレビドラマがあったが、この小説も「アンフェア」ではないか。そして、「かれ」がくりかえし歌う happy days are  here again という歌もまたアイロニーに満ちている。この歌は一九二九年十月ニューヨーク株式市場が大暴落したときにイントロデュースされ、続く大恐慌の時代にルーズベルトが大統領選挙のテーマ・ソングにしたことで大流行したのだ。軽快なテンポとリズムにのって happy days are  here agein と歌いまくり、ルーズベルトは不利といわれていた大統領選に勝った。そして日米戦争が導かれていったのである。

 この難解な小説のとりあえずの途中経過報告です。不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年12月2日月曜日

大江健三郎『月の男(ムーン・マン)』___象徴天皇のアトムスフィア満ちる月面世界に昇華する___不思議な不思議な物語

 「月の男(ムーン・マン)」は不思議な作品である。

 「みずから我が涙をぬぐいたまう日」という作品とあわせて『みずから我が涙ぬぐいたまう日』として出版され、その序に作者みずから「二つの中篇をむすぶ作家のノート」という自作自解の文章を書いている。それによれば「この過去と未来をつらぬく天皇制に根ざした多様な枷によって自分を縛ることから出発し、なんとか自由をかちえようとした作家は、彼自身の右側に『みずから我が涙をぬぐいたまう日』の真暗の水中眼鏡をかけた自称癌患者をおき、左側に『月の男』の、悔悛して環境保護運動にはいった逃亡宇宙飛行士をおいて、自分の想像力を前にすすませるための、一対の滑車としたのである」ということである。サブタイトルに掲げたへたくそな和歌もどきは私がつくったもので、「作家のノート」冒頭に記された

純粋天皇の胎水しぶく暗黒星雲を下降する

の対句として考えた。(こんなことをしていいのでしょうか)

 『月の男(ムーン・マン)』が不思議な作品である理由の一つに、この小説がほとんど批評の対象になっていないということがあげられる。作者の右側におかれたという『みずから我が涙ぬぐいたまう日』はその語りの複雑さにもかかわらず、多くの人に読まれているようである。錯綜する時系列から聞こえてくる荘厳な悲劇のシンフォニーに魅了されるのだろうか。それにたいしてこの『月の男(ムーン・マン)』はNASAから逃げ出した元宇宙飛行士が、妹の強姦死のニュースを聞いてアメリカに戻り、人力飛行機の普及に献身するというストーリーとしては単純な話である。機械文明から環境保護へ、人間の感覚を失った「科学」批判というテーマが受けいれられやすいので、なんとなくわかったような気になってしまうのではないか。だが、そんなにすんなり納得してもいけないと思う。

 
 物語は語り手の作家である「僕」と、かつて「僕」と関係がありいまはムーン・マンとよばれる元宇宙飛行士の情人である女流詩人の二人がムーン・マンのダイアローグの相手または通訳となって進められる。またスコット・マッキントッシュという反捕鯨運動家と、細木(サイキ)というヴェトナム戦争の脱走兵支援の運動をしている「新左翼」の活動家が登場する。スコットはムーン・マンに騙されて鯨の生肉を食べさせられて嘔吐し、日本での反捕鯨キャンペーンを中止して帰国するが、細木は反捕鯨のデモンストレーションと称してイルカのぬいぐるみを被り、事故とも自殺ともあるいは殺人ともつかぬ焼死をしてしまう。ムーン・マン自身は一九六九年六月十五日アポロ11号が月に着陸した日に、先に帰国したスコットによりもたらされた妹の強姦死の報せを聞いて「月の力が復讐したんだ」といって、長くのびていた鬚と髪を切り、アメリカ大使館に出頭する。

 二年間の拘束を経て、ムーン・マンは自由の身になり、彼の自由のために尽力してくれたスコット・マッキントッシュの影響もあって、鳥と「交感(コレスポンデント)」できるという人力飛行機の普及運動をはじめる。情人だった女流詩人とは正式に結婚し、彼女から「僕」に航空便が届く。それには人力飛行機運動のキャンペーンのために映画をつくりたいので、出版社に紹介してほしいと書かれていた。彼女のもとめに応じて渡米した「僕」は「静かな人々」と化したムーン・マン一家すなわちムーン・マンことルーヴィン・ガーシェンソン、彼の妻となった女流詩人フサコ・ガーシェンソン、二人の間に生まれた女の子アルテミス・桂・ガーシェンソンらに迎えられ、無数の人力飛行機を__それはゴム仕掛けの鳥なのだが__見るのである。

 以上があらすじだが、不思議なのは、このお伽話のような物語に「現人神」が登場することがどうしても唐突に思われてならないのである。ムーン・マンが日本語に興味を覚えたのは「現人神」という言葉とその存在があったからだという。そして、彼がNASAを脱出して日本に来たのは「現人神」たるあの人に会って、「月に行くな」といってほしいからだというのだ。そういうことは例がないから、と。この「誇張していえばキリスト教史全体にも匹敵しそうな巨大なユダヤ人の野心をそなえていた」とされる男にとって「現人神」とは何か。

 「現人神」は物語の最後にまた招致される。ムーン・マンは、あの人は反・人間のシンボルとして宇宙開発の先頭にたつのではなく、エコロジカルな意味で全世界的に大切にされるべきだと主張する。「およそ二千年ちかくも一つの生物学的な血のつながりを保っている、エコロジカルにまったくめずらしい貴重な種」だから、というのがその理由である。!彼はさらに、あの人が白い人力飛行機に乗り、下方で二人乗りの人力飛行機に乗っている宇宙飛行士姿の自分と水中眼鏡をかけた自称癌患者の青年に向けてメッセージを送るというシナリオを思い描くのだ。そしてそのメッセージは「二十世紀後半のすべての人間を救済するためのものでなければならない・・・・・・」という。

 荒唐無稽は、大江の場合、この作品に限ったことではないが、やはりふつうに考えてこれは不思議なほど荒唐無稽である。ここには主人公の語りに異を唱えるリアリストが存在しない。『みずから我が涙ぬぐいたまう日』の「遺言代執行人」や「母親」のような。ムーン・マンの情人でありながらその解説者だった女流詩人は「インディアン英語」を話す寡黙な妻となってしまい、なにより語り手の「僕」は、ニュー・ハンプトンの牧場に飛ぶ無数のゴムの鳥を見て Ah, birds, future birds と「涙の発作のような昂揚に襲われたのである」と物語を結ぶのである。

 最後に、小さな不思議をもう一つ取り上げたいのだが、長くなるので、それはまた機会があれば書いてみたいと思う。いつになるかわからないのだが。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年11月24日日曜日

「刈りいるる日は近し」_____信仰ということ

 何年ぶりかで風邪をひいて、今日は連れ合いが仕事なので、たったひとりで寝ている。七匹の猫も、いつもと違って室内運動会などしないのは飼い主の身を案じているのだろうか。でも、それにしてもつらい~。こういう日は来し方行く末を思って弱気の極みにある。このまま無為の時間が流れて、あるとき突然「あなたはここまでです」なんていわれたら、何も覚悟のない私は「え!そんな!」とうろたえるだけだろう。

 もう十年以上も前のことだと思うが、たしかNHKで韓国の従軍慰安婦をしていた方たちがキリスト教の運営するホームで生活している様子を報道していた。もう人生の後半、というよりももっと年齢を重ねた方たちが、賛美歌を歌っていた。元気よく、はつらつと。それが標題の「刈りいるる日は近し」だった。もちろん韓国語だが、たぶん日本語でもそんなに意味は違わないと思う。

春の朝(あした) 夏の真昼  秋の夕べ 冬の夜も
勤(いそ)しみ蒔(ま)く 道の種の  垂穂(たりほ)となる 時来たらん
Chorus:
  刈り入るる 日は近し  喜び待て その垂穂
  刈り入るる 日は近し  喜び待て その垂穂

御空(みそら)霞(かす)む のどけき日も  木枯らし吹く 寒き夜も
勤しみ蒔く 道の種の  垂穂となる 時来たらん
  Repeat Chorus.

憂(う)さ辛(つら)さも 身に厭(いと)わで  道のために 種を蒔け
ついに実る その垂穂を  神は愛(め)でて 見そなわさん
  Repeat Chorus

「刈りいるる日は近し 喜び待てその垂穂」___
英語ではWe shall come rejoicing, bringing in the sheaves

 どんな人生を歩いてきてもその収穫のときを喜べるということ、それが信仰だろう。無信仰の信仰だのぐじゃぐじゃかっこばかりつけるお前は何なのか、という問いをつきつけてくる番組だった。そして、わけのわからない涙がでそうだった。

 だが、しかし、これらの方たちの賛美歌を歌う姿がいかに美しくても、このような歴史は繰り返してはならない。人生は美しくなくていい。あたりまえに、昨日と同じ今日があって、ご飯が食べられて、夜はちゃんと眠れる、そんな時間の先に終わりのときが来る、という日常を成り立たせるのが政治家の仕事である。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。




 


2013年11月22日金曜日

大江健三郎『同時代ゲーム』との「同時代ゲーム」__「村=国家=小宇宙」の終わる日

 群盲象を撫でるがごとき試行錯誤、悪戦苦闘のレポート作成を小休止して、しばし無責任な?読書感想文を書いてみたい。妄想、思いつきの類なので、真摯に文学を探求する方の鑑賞にたえるものではないと思う。

 一九七九年に出版されたこの作品と今日の日本の状況が酷似しているということに、不思議な感覚を覚えている。あのとき、日本がいまのような状況に陥ることを誰が予想しただろうか。貧しさは克服したけれども、豊かさの頂点はまだまだ先にある、というのがおおかたの庶民の生活実感ではなかったかと思う。いまから振り返れば、高度経済成長の頂点に登りつめる寸前だったのだろうけれど。

 『同時代ゲーム』の「第三の手紙 「牛鬼あるいは「暗がりの神」」は「村=国家=小宇宙」の最後の新生児だという二十歳の小劇団の演出家との対話を通して、「村=国家=小宇宙」の存在の両義的な意味とその終わりが語られる。「壊す人」の指揮により開拓、植民された土地は実は禁忌の場所としてすでに知られ、知られていながら人々が足を踏み入れることのないものだった。それゆえに「木蠟」生産の独創的な技術を開発し、またそれによって富を蓄積することができた。その富で兵器を買うこともしてきたのである。

 永く続いた「自由時代」においても、その半ば以降は、外部世界から森を抜けて下る塩の道を通って商人たちが入ってきた。そして、蠟と生活に必要な品を交易する商人たちが、「五人の芸人」をつれてやってきたことによって、谷間の共同体に転機が訪れる。「五人の芸人」は買い取られ、彼女らの後を追って村を出奔した若者ともども、再び「村=国家=小宇宙」の中に帰って行ったのである。

 「自由時代」の終末は、まず隣藩を脱藩してきた武士という異人の侵入からはじまる。ついで、二度の一揆の集団に「村=国家=小宇宙」が占拠され、これまで対外交渉の役を担っていた亀井銘助が上京して天皇の権威を利用しようとしたとで決定的なものとなった。亀井銘助は藩に捕らわれ、獄死し、「メイスケサン」と祀られる存在になる。この後「村=国家=小宇宙」は二重戸籍というカラクリで人口の半分を体制外に隠すという仕組みを工夫する。だが、それも「第四の手紙 武勲赫々たる五十日戦争」の結果、そのカラクリは暴かれ、人口の半分は殺されてしまう。そして、その後、新生児の出生率自体がおちこみ、亀井銘助の子孫だという小劇団の演出家が最後に誕生した人間となってしまったのだ。

 「村=国家=小宇宙」という「谷間の村」は、商人たちの連れてきた五人の芸人の血がまじらなくても、武士という異人が侵入してこなくとも、二度の一揆の集団に占拠されなくとも、そしてまた亀井銘助が彼の政治的判断を誤らなくとも、衰退して滅びることになったかもしれない。「壊す人」が丹精した薬草園が荒れるにまかされてしまったように、体制を維持する「老人たち」の気力が枯渇してしまったからである。

 だがしかし、上にあげたような外部世界からの圧力と、「武勲赫々たる五十日戦争」の敗北がなかったら、もう少し違う展開になっていた可能性はないとはいえないのではないか。「武勲赫々たる五十日戦争」がなぜ行われたのか、そして、「村=国家=小宇宙」の人口の半分が絞首刑で殺され、大日本帝国側でこれを指揮した無名大尉もまた縊死するという無残な結果となったのはなぜか。そもそも緒戦以来、ほとんどの局面で勝利していた(それでいながら敗北を前提していた)「村=国家=小宇宙」が、あくまで「森」を守るために白旗をあげて降参した根本的な理由は何か。

 現実に日本という国家で、ペリー提督をはじめとする「外圧」と「明治維新」という政権交代がなかったら、新しくできた政権が十九世紀末から二十世紀にかけての四度の戦争を起こさなかったら、どうなっていただろうか。もちろん歴史は後戻りできないので、このような問いは無意味である。だが、だからこそ、歴史の検証はどこまでも執拗になされなければならない。

 up to dateな話題をとりあげることは極力ひかえているのだが、なんとか秘密保護法案とやらが議会を通って成立するという。何が秘密か「それは秘密です」と言って法案をふりかざすこともできそうで、まことに恐ろしい。山本何とかいう議員が天皇に手紙を手渡ししようとしたといって、マスコミがいつまでも騒いでいるのも気味が悪く、「天誅」などという言葉が発せられたり、議員のもとに銃弾が送りつけられるという事態も異常である。赤報隊と名のる犯人に朝日新聞の記者が銃殺された事件を思い出す。人間共同体としての日本という国は崩壊しつつあるのではないだろうか。

 敗戦後の数年間を除いて、この国の出生率は下がる一方である。『同時代ゲーム』では新生児の誕生が途絶える理由は明らかにしていないが、現実の日本という国がすでにその状況にあったからだろう。福島の事故がなくても、いずれ、どれほどの年月がかかるかわからないが、日本人は絶滅危惧種になってしまうのではないか。また、『同時代ゲーム』の作品中では、「村=国家=小宇宙」が自分たちの言葉を捨て、独自の言語体系をつくり上げる試みはついに完成しなかったが、いまこの国では、「国際語」としての英語教育の必要性が以前にもまして喧伝されている。すでに英語を社内共通語としている企業もあるという。だが、「初めに言葉ありき」____ことばこそが人間であり、その存在証明ではなかったか。

 まさに出来の悪い読書感想文となってしまいました。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2013年11月13日水曜日

大江健三郎『同時代ゲーム』亀井銘助と三浦命助___亀井銘助とは何か

 『同時代ゲーム』「第三の手紙 「牛鬼」および「暗がりの神」」では、亀井銘助と原重治という固有名詞をもつ人物二人が登場する。語り手の「僕」は、亀井銘助の子孫であり「村=国家=小宇宙」の最後の新生児だという小劇団の演出家との対話を通して、「村=国家=小宇宙」の「自由時代の終わり」、すなわち「村=国家=小宇宙」が外部世界に組み込まれていく過程を、ほぼ歴史的事実を検証するというかたちで語る。ここでは、「メイスケサン」と呼ばれ、「暗がりの神」と祀られることになった亀井銘助について考えてみたい。

 亀井銘助は、幕末に二つの一揆に関わり、その結果として「村=国家=小宇宙」を外部世界に開かれたものとしたことによって、つねに両義的な存在として語られる。そのモデルはおそらく南部藩に起こった「三閉伊一揆」と呼ばれる一連の一揆の指導者の一人であった三浦命助だと思われる。少し寄り道になるが、三浦命助の事跡をたどってみたい。亀井銘助という「メイスケサン」像を造型するために、大江健三郎は三浦命助という実在の人物から何を借りて、何を捨てたか。

 米作の最北限である南部藩は幕末に相次ぐ冷害に見舞われる中、放埓な藩政の結果による重税が課せられたため、しばしば一揆が起こった。最も有名なのが弘化四年(1847年)と嘉永六年(1853年)の一揆で、三浦命助は主に嘉永六年の一揆の頭人として一揆を指導した。

 三浦命助は文政三年(1820年)生まれ。元治元年二月十日(1864年3月17日)没。陸奥国上閉伊郡栗林村百姓で十歳頃遠野村で四書五経を習う。十七歳で秋田藩院内銀山に出稼ぎに行く。十九歳で帰村、結婚して、穀物、海産物の荷駄商いをする。三五歳ころまでに三男二女の親となる。

 嘉永六年栗林村集会に参加、北方の野田通から押し出した百姓一揆の頭人のひとりとなる。同じく一揆の頭人であった田野畑村多助らに協力して一揆を成功させ、十一月帰村、村の老名役となる。一揆成就の謝礼に仙台藩塩竈神社に代参、額を奉納し、帰途一揆に力添えをしてくれた盛岡藩重臣の遠野弥六郎に謝辞を述べる。

 帰村後、謀略を仕掛けられ、藩に拘留されたが、脱走して脱藩、仙台藩で修験道の当山派東寿院で修行、本山の免許を取るため京都に行く。京都で五摂家二条家の家来格となる。安政五年(1857年)帯刀し家来を連れ、盛岡領内に入ろうとしたところを捕らえられ獄につながれる。

 牢内から妻子へ処世の心得を書き連ねた帳面を四冊つくり送る。これは『獄中記』と称されるが、多様な商品作物や加工品をつくること、貨幣取得を心がけること、自分が死んだら江戸に出て豆腐屋を営むように、など生活のための実務的具体的な指示を妻子に与えたものである。ちなみに『同時代ゲーム』の中で劇中の亀井銘助が叫ぶ「人間ハ三千年に一度サクウドン花ナリ!」という言葉は『獄中記』では「人間ト田畑ヲくらぶれバ、人間ハ三千年ニ一度さくうとん花なり。田畑ハ石川らノ如し」と書かれている。

 命助は獄中で七年過ごし、維新前三年に牢死している。『同時代ゲーム』の亀井銘助は、実在した三浦命助の事跡をほぼそのままたどったように描かれているが、その人物設定は根本的に異なっている。三浦命助は苗字を許されているが、基本的に身分は百姓であり、また妻子をもっていた。一方、亀井銘助は少なくとも最初の一揆の時は十代の少年であり、妻子をもったとは書かれてていない。身分は武士である。亀井銘助が第一の一揆においても重要な役割を果たしたとされるのに対し、三浦命助は第一の一揆に参加したという記録はないようである。第二の一揆でも主導的な役割は担ったようであるが、参加した者が一万八千人に及んだという一揆の統制はグループでなされたようで、三浦命助個人の力で一揆が成功したというわけではない。また、作中亀井銘助は死して後、その戦略、思想において明治以後のいわゆる「血税一揆」と呼ばれる徴兵反対の一揆にまで影響を及ぼしたとされる。三浦命助はそのような反体制の思想はない。自分が死んだら松前で「公儀の百姓」になれとの遺言を『獄中記』にのこしている。

 だが、銘助と命助で決定的に異なるのは「一揆」というものに向かうその向かい方だろう。三浦命助は、第二の一揆後、脱走、脱藩して修験者となり、上京して二条家に接近するなど、大胆な行動をとるが(じつは三浦家は元来修験道とかかわりがあったのではないかと思われるのだが)、あくまで実直な生活者であり、家、家族の存続を第一義にしていた。そして、一万八千の群集が「小○」と書かれた旗(困る、の意)をかかげて行進するなどの祝祭的要素はあったにしても、一揆は生活、生存をおびやかす藩の悪政への抗議、要求を通すための手段であった。三閉伊一揆は徹頭徹尾「百姓一揆」なのである。

 それにたいして亀井命助が関わり、主導的な役割を果たしたとされる二つの一揆に関して「百姓」という言葉が使われることはない。『同時代ゲーム』では、そもそも一揆は、生活のために「村=国家=小宇宙」の人々が参加したようには書かれていない。第一の一揆は川下から押し寄せた一揆集団とそれを追跡してきた藩の武装集団との間に入り、その交渉、仲介の役割を亀井命助を中心とする「村=国家=小宇宙」の老人たちが果たす、というものだった。第二の一揆は第一の一揆の後新設された「軒別税」(人頭税)に対抗して起こされたと書かれ、そのこと自体は史実に即していると思われる。だが、作中「村=国家=小宇宙」と呼ばれる谷間の共同体は、その豊かな富の蓄積を狙われ、他の村の百軒分が一軒に課せられた、とある。現実の三閉伊の人々が軒別税が課せられることにより、生存が直接おびやかされた状況とは大きく異なるのだ。いったい『同時代ゲーム』で「一揆」と書かれる状況は何を指すのか。そして年若くして天才的な軍略家であり、天真爛漫なトリックスターとして描かれる「亀井銘助」とは何か。

 「亀井銘助」、かめいめいすけ、カメイメイスケ、と表音表記される人名に漢字を当てはめて考えてみよう。作中大江が谷間の村「アハヂ」にさまざまな漢字を当てはめたように。亀井、加盟、家名、仮名、下命、花明・・・・いまは変換キーを押すだけで際限もなく出てきそうだが、この辺でやめておこう。銘助、命助、明助、名助、盟助、迷助、鳴助とこちらも同じくまだまだ続きそうだ。だが、作者が「第一の手紙 メキシコから時のはじまりにむかって」で「「アハヂ」という音は、もともとこの音と意味を正当に結んでいた漢字の抹殺に費やされた、その情熱の量に見あう規模で反対方向にむかう、まぎれもない熱望の対象なのだ」と書いているのにならえば、「音と意味を正当に結ぶ」漢字とは「甕井冥助」なのではないか。語り手の「僕」は、「村=国家=小宇宙」と表記される谷間の村は、もともと外部世界から「甕村」と呼ばれていたことを知らされ、そこが死者のおもむく冥府とみなされていた可能性に気づく。そこで「メイスケサン」は「暗がりの神」となって祀られたのだ。

 若くして一揆のすべてを計画し、指揮した亀井銘助が「暗がりの神」として祀られるのはなぜか。ヒーローであり、犠牲者でもあった銘助は「闇の力を代表する」とされている。実在の三浦命助がその死後も素朴に人々の尊崇を集めているのと対照的である。たんに谷間の村が「甕村」と呼ばれ、常民からは禁忌の場所だったという理由だけではなく、私は、そこに、作者の大江が明文化していない事柄が隠されているのではないかと思う。亀井銘助を殺したのは「村=国家=小宇宙」の人々だったのだ。直接手を下さなくても、彼らは亀井銘助を見殺しにしたのだ。歓呼してエルサレムにイエスを迎えた群衆がイエスを十字架につけよと叫んだように。民衆はひとりの人間を英雄にまつりあげ、そして殺す。その後に神として祀るのだ。

 この章の中に「メイスケサンは天皇家の、すなわち太陽神の末裔とは逆の、闇の力を代表するからこそ・・・・」と記述があって、太陽神というキーワードと「第一の手紙 メキシコから時のはじまりにむかって」のメキシコについて再考しなければならないのだが、長くなるのでまた回をあらためたいと思う。メキシコこそは、太陽神崇拝と死の両義性に満ちた場所であるが。

 
 大変不出来な文章です。最後まで読んでくださってありがとうございます。