2021年3月13日土曜日

三島由紀夫『暁の寺』__認識と破壊、そして燔祭(1)__本多繁邦の欲望

 『豊饒の海』第三巻は、日米戦争前夜一九四一年タイの首都バンコックを舞台に始まる。主人公は前二作でそれぞれの主人公松枝清顕、飯沼勲の同行者として登場した本多繁邦である。飯沼勲の弁護のために裁判官を辞して弁護士となった本多は、商社の仕事でバンコックを訪れる。その地で本多は、飯沼勲の生まれ変わりではないか、と思われるタイの王女の話を耳にする。

 自分はタイの王女ではなく、日本人の生まれ変わりで、本当の故郷は日本だ、と言い張ってきかない姫君がいる。父殿下始め多くの王族がスイスに行ったきりになっているのに、まだ七歳になったばかりの姫君が、侍女たちに囲まれて薔薇宮というところに押し込められているという。

本多は、ホテルでタイに持参した清顕の夢日記を繙く。その中で清顕は、タイの王族になって、廃園を控えた宮居の立派な椅子に掛け、かつてタイの王子がはめていたエメラルドの指輪を自分の指にはめている。そのエメラルドのなかに「小さな愛らしい女の顔」が泛んでいる。ここまで読んで、本多は、これこそまだ見ぬ姫君の顔で、姫は清顕の、また勲の生まれ変わりであると思う。

 商社員の菱川という男の取りつぎで、本多は姫に謁見がかなう。姫は突然本多に縋りついて、自分は八年前に死んだ勲の生まれ変わりだと言って泣き叫ぶ。清顕と勲に関する出来事の日時もまた、正確に答える。姫が清顕と勲の生まれ変わりであることは、本多の確信となった。

 だが、その後本多は、たまたま幼い姫の裸体を見る機会を得たが、その左脇腹に、転生のしるしである三つの黒子は、なかったのである。

 時は流れ、十一年の歳月が経った。物語の始めから日中戦争はすでに始まっていた。一九四一年に日米戦争が起こり、世界大戦となって、日本は敗れ、前年にサンフランシスコ講和条約が結ばれた。日本だけでなく、世界中で多くの人が惨禍に巻き込まれたが、本多の生活は変わりがなかった。というより、僥倖ともいえるなりゆきで、金満弁護士となっていた。そうして、若さ以外のものは多くを手にいれた本多が、恋をしたのである。いまは、「月光姫(ジン・ジャン)」と呼ばれ、美しく成長したタイの姫君に。

 恋に理屈はいらないが、本多のジン・ジャンへの執着は異常である。姫の容姿がいかに魅力的であるかは、これ以上は不可能なほど精緻に描かれるが、その内面、精神に言及されることはない。言葉の問題もあるかもしれないが、はたして、本多とコミュニケーションがとれているかも怪しい。本多の欲望は、ジン・ジャンの左脇腹の黒子の有無を確かめたい、という点に集中する。そのために、本多は御殿場に別荘を作ったのである。姫を招いて、その寝室を隣の書斎に穿った覗き穴から覗き、プールを掘って、彼女の水着姿を見ようとしたのだ。

  初老の男の欲望というものがどんな内実をもつのかについて、女の私がどこまで理解、というか実感できるかについては、甚だ心もとないものがある。作者三島は言葉を尽くして、本多の心理を語るが、あまりにも観念的な分析だと思われる。ジン・ジャンの黒子を確かめるために彼女の裸体を「見る」ことへの欲望__それを本多(作者三島)は「認識慾」と呼ぶのだが、認識慾が自分の肉の慾と重なり合うということは「實に耐へがたい事態」であったから、この二つを引き離すために、ジン・ジャンは「不在」でなければならなかった、と書かれる。「不在」であること即ち

……ジン・ジャンは彼の認識慾の彼方に位し、又、欲望の不可能性に關はることが必要だったのである。

 本多はジン・ジャンに恋をする義務があったかのようである。

 ところで、「認識」という言葉はこの小説のなかで、ほとんど「見る」という言葉と同じ意義をもつかのように使われている。実は、本多はジン・ジャンの裸体だけをみることに固執しているのではない。夜の公園で睦あう男女の姿態をひそかに見ることにも異常なほど傾斜しているのだ。「認識」という言葉が「見る」という言葉、もっといえば「覗き見」という言葉と重なってくる。そうして、「見る」という行為は「権力の行使」なのである。

 「認識」という行為が「権力の行使」であり、直接には「破壊」である、という機序について語る事は、私の能力の限界を超えているいるようにも思われるが、次回「孔雀明王」のモチーフを中心に、いくらかでもたどってみたい。この小説のかなりの部分を占める仏教の理論に触れなければならないので、成功するかどうかまったく自信はないが。

 随分久しく書くことから遠ざかっていて、ようやく出来たものが、肝心なところで、尻切れとんぼになってしまいました。あまりの難解さに、もう書くのをやめようと思ったこともあったのですが、何とかメモを残せました。不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2020年12月2日水曜日

映画『ミッドナイトスワン』__ライトノーヴェルから純文学へ__「映画」という奇跡

  とあるブログで取り上げられていた『ミッドナイトスワン』という映画を観に行った。いま流行りのLGBTと母性をテーマとしているようだが、全編不気味な緊張感が漂う画面の連続だった。

 あなたの母になりたい__。

 陽のあたらない場所で、あたたかな愛が生まれる。

という原作小説のカバーの惹句とはかなり異なった感触の作品である。

 映画を観てから原作小説を読んでみた。意外なことに、小説の方は、映画を観ているときのヒリつくような異様な感覚におそわれることはなかった。カバーの惹句にそったプロットの展開が、登場人物の心理を丁寧に描写しながら繰り広げられ、破綻なくラストまで読みすすめることができる。

 ニューハーフショークラブで働く「凪沙」という主人公が「一果」という少女をひきとり、彼女のバレーの才能を育てることで母性に目覚める。だが、肝心なときに一果を虐待していた実の母親が現れ、一果を連れ去ってしまう。残された凪沙は、肉体も女になれば母になることもできる、とタイで性転換の手術をする。手術を終えた凪沙は一果を連れ戻そうと広島の実家を訪れるが、早織や周りの親族に阻まれ、実家から追い出されてしまう。傷心の凪沙は、手術の後遺症もあって、心身ともにボロボロになり、死んでいく。おおまかなストーリーは映画も小説も同じなのだが、いくつか、微妙に異なる点があって、それが映画と小説の読後感の違いにつながってくるように思う。

 小説では、凪沙の初恋の思い出や過去の恋愛体験、凪沙が一果のバレーの月謝を払うために始めた職場の青年と凪沙とのかかわりなどいくつかのエピソードが語られるが、映画では省かれている。また、貧しい一果がバレーを続けられるよう尽くしてくれた「りん」という少女と一果の友情も小説の中では詳しく語られていて、映画のように、無表情な一果にりんが一方的に思いを寄せる、という展開にはなっていない。総じて、誰もが納得できるストーリーの展開であり、結末であって、よくできたライトノーヴェルである。

 映画は謎に満ちている。小説の原作と映画の監督が同一人物であるということが、私には、不思議である。小説の中に流れる「日常」が映画にはないのだ。あるとすれば、それは小説の日常とは違う「日常」である。

 凪沙と一果が食事をする場面がある。映画では、凪沙が一果を引き取ってすぐに食事をつくってあげたようになっているが、原作では、一果がバレー教室に通い始めて半年、とあるので、二人の関係がかなり親密になって、共同生活も軌道に乗り始めたころのことである。「ハニージンジャーソテー」という豚肉の生姜焼きが食卓に並べられる。映画では味噌汁とごはん、人参の千切りが山盛りのサラダもついている。美味しそう、と見えなくもないが、なんとなくメニュー用のつくりものっぽい。ラスト近く、中学を卒業した一果が瀕死の凪沙を訪れて、「ハニージンジャーソテー」をつくるのだが、こちらは黒焦げになった豚肉が原形をとどめず、不気味である。原作では「少しこげていたけれど本当に美味しかった。ひどく懐かしい味がする。」と凪沙の心情が語られているが、どう見てもそうは思えない出来映えである。

 映画の「日常」は、ひとことでいえば、グロテスクなのだ。「追っかけスワン」の人たちからは非難轟々だろうが、いわゆる「美しい」映像で成り立っている映画ではない。冒頭真っ赤なルージュをひく唇と真っ赤なマニキュアを塗る爪が映し出される。それから、ニューハーフショーの舞台で踊る四人が履く真っ赤なバレーシューズ、純白の衣裳に真っ赤な靴がなんとも異様だ。血潮を連想させる赤である。

 この映画の色使いは特徴があって、赤と青が際立っている。一果が広島から高速バスで新宿に着いたときのリュックは赤で、凪沙がベージュのトレンチコートの下に着ているセーターも赤、タイで手術して「女になった」凪沙が来ているトレンチコートもむごたらしいような赤である。ニューハーフショーの舞台で一果が躍る場面があるが、背後のカーテンは赤い。バレースタジオのカーテンも赤だったような気がする。

 凪沙がブルーのセーターを着たり、一果が赤いトレーナーを着たりする場面もあるが、印象的なのは一果の母親早織の衣装がつねに青であるということだ。勤め先のキャバクラで酔い潰れている場面、広島から上京して凪沙のアパート一果を迎えに来る場面、凪沙が広島の実家に一果を連れ戻しに来たときも、そして一果の卒業式の晴れ着風のスーツも、早織の衣装はすべて青である。例外は、バレーのコンテストの舞台で立ちすくんでしまった一果を、舞台に駆け上がってだきしめる場面で、早織は紫_赤と青の混合_のパーカーを着ている。

 ほとんど使われないが、非常に印象的な場面でつかわれているのが黄色である。ニューハーフクラブのママがお店で一果に黄色のジュースを差しだして、「これなま100パーセントよ。お飲みなさい」というのだが「なま100パーセント」って何のなま100パーセント?それから一果があやしげな撮影会で、カメラを持った男に「これ着て」と迫られるのが黄色のビキニである。切羽詰まった一果は男に椅子を投げつけ、男は救急搬送されてしまう。

 夜の場面が多く、全体にざらっと暗いトーンの映像が続くが、ラスト近く、瀕死の凪沙が一果に付き添われて、海を見に行くバスの車内の映像は明るく美しい。凪沙は黒いサングラスをかけ、蒼白の顔に赤い口紅が映える。文句なしに美しい凪沙がそこにいる。凪沙にもたれかかって眠っている一果も可憐だ。バスから降りて、杖をたよりに砂浜を歩く凪沙は、もうトレードマークのブーツを履いていない。黒いローヒールの靴が砂浜にめり込んでいく。青い空と青い海、白い砂、どこまでも明るい画面で、「きれい…」とつぶやきながら、凪沙が死んでいく。うっすらと髭の生えた横顔、だが、美しい。

 原作では、凪沙の死に気づいた一果は嗚咽し、「天国へ行けば二人(亡くなったりんと凪沙)に会える」、と海に入っていく。そして、肩まで海につかって死を覚悟したとき、鳥の羽音を聞く。振り返った一果は、何かが空へ飛び立つのを見る。いまわの際の凪沙が見た幻の白鳥かもしれない。原作は

 大きな影は一果の頭上を一度優雅に旋回し、力強く羽ばたくと、まっすぐ太陽に向かって飛び続ける。

そして、そのまばゆい光に溶けるように、消えていった。

と結ばれる。原作のプローグ

 少女は眩しい太陽をただ見つめているのが好きだった。

とみごとに対応している。

 映画のラストは若干、もしくはかなり異なっている。凪沙の望みで白鳥の湖のオデットを踊っていた一果は凪沙の死に気づくが、その死を確かめると、まったく無表情で海に入っていく。襲いかかる波をものともせず、どんどん進んでいく。その後、場面は転換して、トレンチコート(凪沙の着ていたものと同じように見える)をひるがえし、ジーパンに赤いヒールを履いた一果がさっそうと階段を登っていく。日本を離れて一年半、海外留学中の一果は国際的なコンテストに出場するのだ。晴れやかなスポットライトを浴びて、一果は、白鳥の湖のオデットを踊り終える。

 原作にないこの結末の部分は、ハッピーエンドでストーリーを完結するために付け足された、原作の延長上のエピソードだろうか。見終わって、なんだか喉元に異物がつかえたような感覚になってしまうのは私だけなのだろうか。全身に孤立感と孤独を漂わせて登場した一果が、流暢な英語を話して、世界に羽ばたくバレリーナになっていく。それはたしかに、ハッピーエンドなのだろうけれど。

 最後に、ささいなことだが、この作品の凪沙や一果の実家が広島にあるという設定になっているのは何故だろう。他の地方都市でもよかったのかしらん。それから、なぜ、「凪沙」なのだろうか。「渚」ではなく。原作者の山本氏は松田聖子のファンで、聖子の「渚のバルコニー」という歌から主人公の名を「なぎさ」とした、といっているが、それならふつうは「渚」と表記するだろう。「一果」という名前も、どこから思いついたのだろう、と不思議である。

 解けない謎がいくつもあって、たった二回観ただけのこの映画のことをずっと考え続けている。ああいい映画だった、とカタルシスを味わっておしまいにしてしまうことができないという点で、この映画は私にとって「純文学」なのである。

 見終わってずいぶん時間が経ったのに、何もまとまったことがかけませんでした。最初に観た時の衝撃をうまくつたえることができず、あいかわらずの非力を感じています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2020年10月28日水曜日

三島由紀夫『奔馬』__「佐和」という存在___父と子の相克

   前回の投稿から随分長い時間が経ってしまった。書けない理由はいくつもあって、いろいろ総合すると、私の能力不足という厳然たる事実に行きつく。もう三島由紀夫につきあうのはこれまでにしようか、と思ったりもするのだが、それでも、力不足ながら、『奔馬』という小説のもっとも魅力的な登場人物(と思っているのは私だけかもしれないが)「佐和」について少しだけ書いてみたい。

 佐和は、『奔馬』の主人公飯沼功の父茂之の経営する「靖献塾」という右翼団体の最年長の塾員で「呆れるほど非常識な、四十歳の、妻子を國に置いて出てきた男である。肥って、剽軽で、暇さえあれば講談倶楽部を讀んでゐる。」と紹介される。他の塾員とは親密な関係を結ぶことがない__そのように父茂之が配慮している__勲にとって、唯一親しく話すことができるのが佐和だった。

 「神風連史話」に傾倒する勲は、同志を募って、腐敗した政、財界の要人を殺そうと企てる。一人一殺である。勲たちに理解を示す陸軍の中尉も参加することが期待され、二十人の同志の結成式もすませていた。その勲の計画を、何故か佐和が気づくのである。

 十月のある晴れた日、佐和は一人で下着を洗濯している。佐和は、いざというときに男は純白の下着をつけていなければならない、と常々言って毎日洗濯に精を出しているのである。靖献塾は塾頭始め、佐和以外皆出はらっている。大学から帰ってきた勲に、佐和は、勲たちがひそかに計画を練ろうとしている集まりに自分も参加したいと言い出す。勲は困惑するが、佐和はその場ではそれ以上深追いせず、自分の部屋に勲を誘って、今度は靖献塾の内幕を暴露する。

 ありていに言えば、勲の父茂之は三年前に巧妙かつ周到な強請をはたらいて、大金を得たのである。使い奴のさきがけとなって先方に赴いたのが佐和だった。思想を生業とする人生で、生活の糧を得るには、もっとも効率の良い方法なのだろう。これで靖献塾は裕福になったのである。「正義」とは、勲が帰宅途中で見かけた紙芝居の「黄金バット」のように、異様な金色のグロテスクな姿をしているものなのかもしれない。

 だが、勲をひどく愕かせたのは、最後の佐和の言葉である。誰を殺ってもいいが、蔵原武介はいけない。そんなことをすれば、飯沼先生が誰よりも傷つく、と佐和はつけたしのように言ったのだ。

 いったん自室に戻った勲は、木刀を提げて再び佐和の部屋を訪れる。先ほどの佐和の言葉の真偽を糾そうとしたのだ。父は大悪党の蔵原武介と本当に関係があるのか、と。ところが佐和は、勲の「現実が認識したい」という言葉を逆手にとって、「現実がわかると確信が変わるのか」と問い、それなら勲の志は幻にとらわれていたというのか、と逆襲するのである。

 勲は言葉に詰まるが、佐和が本当のことを言うまで動かない、と部屋に居座る。しばらくして、佐和は押入れから白鞘の短刀を取り出してそれを抜く。そして、蔵原を殺すのは自分にやらせてくれ、と懇願し、咽び泣くのだ。

 いったい佐和は、何故、勲に父茂之と蔵原の関係を暴露し、どうしても勲たちが蔵原を殺すなら、自分を同志に加えてくれ、というのか。靖献塾の大事な後継で、塾頭茂之の愛する勲を守る一心だろうか。それとも、佐和自身が悪党蔵原を殺さねばならない、と思い詰めているのか。

 佐和の泣く姿を見ているうちに、勲の方に余裕が生まれる。自分たちは「明治史研究會」なるものの会員で、集まって気焔をあげているだけだ、としらを切ったのである。勲は、心の中で、佐和が個別に蔵原を刺すなら、それでいい、と判断した。仮にも、それを言葉でみとめてはならない。彼は「指導者」になったのである。

 ところが、佐和の方が一枚も二枚も上手だった。勲の親友相良の家に「明治史研究會御一同様」という書留が届く。相良が勲たちが秘密に集まる場所に持参したその書留の中には、佐和が郷里の山林を売って作ったという千円が入っていた。そればかりか、佐和は、どうやって嗅ぎつけたのか、勲が新たに借りた隠れ家に現れ、一同を前にして、彼らの誓いの言葉を唱えるのである。

 佐和はたんに勲たちの仲間になっただけではない。勲たちの計画を実現可能なものとするために選択と集中の指針を与え、その実践のための具体的なやり方を示したのである。そして、蔵原武介殺害の役割をみずから担うことを否も応もなく決定し、いつか勲に見せた白鞘の短刀で人を刺す要領を、巧みな言葉とたしかな実技で教えたのだ。

 いよいよ決行を二日後に控えた十二月一日の朝、塾長の使いで外出した佐和を除く一同十一人が集まっていた隠れ家に警察が踏み込んできて、全員が捕まってしまう。佐和も靖献塾に戻ったところを逮捕される。一件は「昭和神風連事件」と名付けられ、世間を騒がせるが、一年の裁判を経て下された判決は、被告人全員の刑を免除する、というものだった。世間の風潮もまた、有為の若者にたいする同情に満ちていたようだった。

 判決の出た昭和八年十二月二十六日から三日後二十九日、皇太子命名の儀がある日、勲は佐和を誘って宮城前の提灯行列に参加する。群衆の中で佐和をまいた勲は、銀座に引き返して短刀と白鞘の小刀を買い、熱海の蔵原武介の別荘に忍び込み、佐和に教わった通りのやり方で、短刀で彼を刺した。それから、蜜柑畑の蜜柑を一つもぎとって食べ、白鞘の小刀を腹に突き刺したのだった。

 さて、佐和とは何者なのか。勲にとって、佐和はどのような役割を果たしたのか。その行動は謎に満ちている。そもそも、決行二日前に、勲たちの計画を父の茂之に伝えたのは勲を愛する槇子だが、佐和は最初から勲の計画、というより意志を知っていた。四谷の隠れ家の場所も知っていたのである。佐和が超優秀なスパイの訓練を受けていたのでないとすれば(もしかしたらその可能性もあるかもしれないが)、勲からすべてを打ち明けられていた槇子から聞いていた、としか思われない。槇子と佐和は、勲の知らないところでつながっていたのだろうか。

 また、槇子の密告は、勲を牢屋にぶち込んで、自分一人のものにしたい一心からだという佐和の言葉は本当だろうか。本当のようにも思われるし、そうでないようにも思われる。

 それから、最後に、最も重大な謎がある。提灯行列の群衆の中で勲を見失った佐和は、なぜ、「群衆のなかをあてどもなく四時間も」探した後、靖献塾へ帰って勲の失踪をつげたのか。三日前塾生が蔵原武介の不用意な不敬行為を報じる新聞を勲に見せたとき、すばやくそれを奪い取ったのは佐和である。勲が姿をくらませば、蔵原の別荘を目指すことは十分予想できた。すぐに父の茂之に連絡をとって、蔵原の別荘を警戒させれば大事に至らなかったはずである。

 目くるめくような絢爛豪華な悲劇『春の雪』の登場人物を影で動かしていたのは、蓼科という老女だった。清顕と聡子は蓼科の掌の上で遊ばされていたようにも思われる。蓼科は、エデンの園で、アダムとイヴに罪を犯すようにそそのかした蛇のような役割を果たすのだ。その後、蓼科は『奔馬』の次の『暁の寺』に再登場して、空襲で焼け野原になった東京の旧松枝邸で本多と再会する。九五歳!という設定で、化け物のような厚化粧をして、本多のくれた生卵をその場で食べてしまう。蛇の本性をあらわしたかのように。

 『奔馬』で蓼科と同じような役割を果たすのが佐和だが、佐和は蓼科のようにグロテスクに誇張されたキャラクターではない。飄々ととらえどころがなく、それでいて行動も頭のはたらきも俊敏である。だが、その存在は両義的で謎に満ちている。勲に蔵原武介を殺させたのは、まぎれもなく佐和だが、はたしてそれは佐和の本意だったのか。それとも「上手の手から水が漏れた」のか。

 勲は蔵原武介を殺した。そして、夜の海の気配にかこまれて自刃した。「父殺し」は成就したのか。それとも「子殺し」が成就されたのか。

 「父と子の相克」という主題は最終作第四部の『天人五衰』に持ち越されるのだが、それについて書くことができるのは、まだかなり先のことになってしまうかもしれない。というより、『暁の寺』以降、作品のトーンがあまりにも変わって、なんだか三島由紀夫の形而上学や心理学を読まされているような気がして、魅力的な登場人物を見つけられないのである。私の知力、教養が圧倒的に足りないのだろうと思うのだが。

 三か月ぶりに書いてみて、あまりの不出来に愕然としています。最後まで付き合って、読んでくださって、本当にありがとうございます。

 

2020年7月28日火曜日

三島由紀夫『奔馬』__「昭和維新」と「神風連」__英雄伝説の完成

 前回のブログで「まずは原点に帰って、『奔馬』という小説の世態風俗、人情に触れなければならない。」と書きながら、なかなか書けないでいる。

 昭和七年、本多繁邦は三十八歳になった。

と書き出される時代は、内外の危機的状況のもと「昭和維新」を旗印に、とくに右翼勢力の側から実力行使が相次いだ。今日の目から見れば、昭和六年三月事件から昭和十一年二.二六事件まで九つの暗殺、テロ事件が起こり、それらの血生臭さがきわだつが、このように暴力による破壊行動に収斂するにいたるには、じつは明治後半から大正を経て、深刻で複雑な社会、文化の変化があったのはいうまでもない。

 この間の歴史を、たんに事象の表面をなぞるのではなく、そこに生きた日本人の思想、感情の屈折を精緻に分析、叙述した『昭和維新試論』(橋川文三著)という名著がある。余談になるが、教養や知識の蓄積が乏しい私は、この本を読んで多くのことを教えられた。というより、自分の無知、不勉強に気づくことを余儀なくされた、と言った方がいい。朝日平吾、渥美勝、田沢義鋪といった人物のことなど、この本を読まなければ、名前さえ知ることもなかっただろう。非常に概念的な言い方になるが、一九〇〇年前後からの内外の社会の激変が、とくにその底辺で生活する庶民の生存に危機的な影響をもたらし、「実存」(という言葉が当時使われたかどうかわからないのだが)の悲哀、あるいは「不安」という感情が世相に蔓延した、という論が『昭和維新試論』の中で述べられている。

 『奔馬』冒頭で、作者は、本多の同僚の裁判官に、オスカー.ワイルドの「今の世の中には純粋な犯罪というものはない。必要から出た犯罪ばかりだ。」という言葉を語らせている。本多もそれに対して「社会問題がそのまま犯罪に結晶したような事件が多いね。それもほとんどインテリでない連中が、自分では何もわからずに、そういう問題を体現している。」と答えている。実際、裁判官として本多は、娘を娼家に売った農民が約束の金を半分も貰えぬのに腹を立てたあげく、誤って娼家の女将を死なせてしまった事件を裁いている。

 一九二九年のニューヨーク株の大暴落から始まる世界恐慌が庶民の生活を危機に追い込んだことはよく知られているが、日本ももちろんその例外ではなかったのである。だが、一方、そのような庶民の困窮を、豪奢な晩餐後の酒席の話題として会話する階級が存在したことも、三島は『奔馬』のなかで伝えている。

 一家の飢えを救うには、兵隊となった息子の遺族手当ををもらうしかないすべがないので、早く息子を戦死させてくれ、と小隊長に手紙を書いた貧農の話が語られるのは、軽井沢の財閥男爵の炉端である。「通貨の安定こそが国民の究極の幸福である」と金本位制復帰を説いて「九割を救うために一割が犠牲になってもやむをえない」とする主賓の「金満資本家」蔵原武介をはじめ、「つややかな頬」や「つややかな手」をもつ男たちは、十分な食事と酒の後、貧農の願いがかなって、名誉の戦死を遂げた息子の話に涙するのだ。

 この間の事情は、小説の末尾近く、蹶起前日にとらえられた飯沼勲が、初回の公判の場で、裁判長の求めに応じて、心情を吐露するかたちで縷々述べられている。簡潔で要を得た勲の説明は、二十歳の青年勲の現実認識とその説明、というより作者三島のそれのように思われてならないのだが、それはさておき、暗雲晴れやらぬ皇国の現状を憂える勲が、みずから行動を起こすための決定的な啓示となったのが「神風連」であり、「必死の忠」であると述べていることは、複雑で多層的な問題を含んでいる。

 明治九年熊本で、廃刀令に反対する士族の反乱がおこる。「敬神党の乱」あるいは「神風連の乱」と呼ばれる。乱を起こしたのは、国学者、神道家の林櫻園を祖と仰ぐ太田黒伴雄ら約百七十名の人々で、神託のままに「敬神党」を結成して、十月二十四日に熊本鎮台を襲った。ウィキペディアに月岡芳年という画家の描いた「熊本暴動賊魁討死之図」という錦絵が掲載されているが、刀と槍と薙刀を武器とした敬神党の面々が、近代兵器を備えた鎮台に攻め込むさまは、このような美しい錦絵とはほど遠い地獄図だったろう。蹶起した百七十余名のうち、死者、自刃者百二十四名、残り約五十名が逮捕され、斬首されたものもあったという。

 三島は『奔馬』前半「神風連史話 山尾綱紀著」という書物の全文引用の体裁で神風連の乱を語る。「神風連史話」は、「その一 宇気比」から始まり、「その二 宇気比の戦」「昇天」と結ばれる短編小説となっている。目次が示す通り、敬神党の人々の戦いは、古神道、神ながらの道の精神に貫かれたもしくはその精神を貫くための戦いであり、結末であった。

 彼らには、厳密な意味での戦略はなかった。敵を滅ぼすためではなく、「もののふ」としてのアイデンティティに賭けた戦いで、敗北は必定だったように思われる。むしろ、自刃を目的として蹶起したのであり、戦いはそこに至る過程にすぎなかったようである。血塗られた死の美学がくりひろげる抒情詩が「神風連史話」であった。山尾綱紀という架空の作家にたくして、三島はそのように書いている。そして『奔馬』の主人公飯沼勲は「神風連史話」という「書物」から「召命」ともいうべき啓示をうけたのである。「神風連の乱」という歴史の事実からではなく。

 「神風連史話」が厳密な意味での「神風連の乱史」でないことは、勲からこの書物を借りて読んだ本多の勲への手紙の中で指摘されている。周到にも三島は、『奔馬』という作品中で「神風連史話」に対する的確な批判をしているのである。統一的な「物語」をつくるために、「事実」の中に含まれる多くの矛盾が除去されていること。敬神党の敵である明治政府の史的必然性を逸していること。そのために「全体的な、均衡のとれた展望」を欠いていること。

 三十八歳の裁判官本多は以上の点を指摘し、「神風連史話」に傾倒する勲に教訓を垂れている。「過去の部分的特殊性を援用して、現在の部分的特殊性を正当化」することは歴史を学ぶことではない。「純粋性と歴史の混同」をしてはならない、と戒めるのである。「神風連史話」の的確な批評であり、これに傾倒する勲への適切な忠告である。____だが、『奔馬』という小説のはらむ最も核心的な謎がここにあると思われてならない。

 本多という人物の言葉を借りて、このように的確な「神風連史話」の批判ができるなら、つまり、そのような歴史認識をもっているなら、作者三島は、何故、『奔馬』を書いて、それを遺作としたのか。明治九年の「神風連の乱」の時代の純粋は、「昭和維新」の時代のそれではありえないならば、昭和四五年の11・25のそれともまったくの別物である。

 通俗的で愚かな私は、いつも、この部分で躓いて堂々巡りの思考に陥ってしまうのだが、『奔馬』という小説は破綻のない、完成度の高い作品であると思う。本多は勲への手紙の中で、「神風連史話」を「一個の完結した悲劇であり、ほとんど芸術作品にも似た、首尾一貫したみごとな政治事件であり、人間の心情の純粋さのごく稀にしか見られぬ徹底的実験」と評しているが、これはそのまま『奔馬』にあてはまる評価である。『春の雪』の松枝清顕と同じく、飯沼勲もまた、輪廻転生の主体のひとつであって、二十歳で死ぬことを運命づけられていたのだった。夭折の英雄伝説の完成である。

 「神風連史話」はおびただしい血と死を流して悲劇を完成するが、『奔馬』は飯沼勲と蔵原武介の二人の血によって完結する。飯沼勲が何故蔵原武介を殺さなければならなかったかについては、また別の機会に考えてみたい。私は三島の文学の隠されたテーマとしての「父殺し」の主題がここに存在すると思うのだが、それを書くのには、まだあまりにも力不足である。

 以前も書いたのですが、三島由紀夫の小説は、私にとってあまりにも「面白過ぎる純文学」で、読むことじたいに堪能してしまい、それについていざ何かを書こうとすると、どこから手をつけていいかわからないのです。今回の『奔馬』についても、その面白さの一ミリも伝えることのできないもどかしさでいっぱいです。もう一回「父と子」のテーマで書こうと思っています。物語の展開で、重要な役割を果たす「佐和」という中年の男に焦点をあてて考えてみたいのですが。

 今日も不出来な感想文を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2020年5月26日火曜日

三島由紀夫『奔馬』__海と白い奔馬

 三島由紀夫『豊穣の海』第二作『奔馬』は、とくにそのラストが昭和四五年十一月二十五日の事件と関連づけて論じられることが多い。たしかに、『奔馬』は1970.11.25の盾の会の蹶起とその失敗を予告、というより実践したもののように見える。それは、ある意味まさにその通りなのかもしれないが、いや、その通りであるからこそ、ここに書かれていることは、言葉を失ってしまうほどの衝撃的な事実なのではないか。

 三島由紀夫とは何者なのか。

 最初に題名の「奔馬」という言葉について考えてみたい。ほとんどの辞書には「奔馬_荒れ狂って走る馬。また、勢いの激しいことのたとえ」とある。「奔馬」という言葉は、「一人一殺」あるいは「一殺多生」のスローガンのもと要人テロとその計画があいついで起こった昭和維新と呼ばれる時代とそのヒーローを象徴するものとして用いられていると思われる。

 昭和六年三月事件から始まり、十月事件、血盟団事件、五.一五事件、神兵隊事件、十一月事件、国体明徴、天皇機関説排撃事件、永田鉄山中将殺害事件、そして昭和十一年二.二六事件にいたる六年間に九つもの重大事件が起こった。日本国内だけでなく、世界のあちこちで暗殺テロが相次いだ。人々はこうした殺人、破壊行為を「国家革新」の旗印のもとに、むしろ肯定的に受け止める風潮だった。この時期は、事件を起こした実行者たちだけでなく、それを裁く司法までも含めて、「昭和維新」の美名のもとに、荒れ狂った馬のように理性を失っていたのである。

 ところで、「奔馬」という言葉は、前作『春の雪』の文章の中にもさりげなく埋めこまれている。夭折する美の体現者松枝清顕の親友本多繁邦が、湘南の海の砂浜で海に対峙している。ここに書かれている繁邦の思いは、作者三島の歴史観のエッセンスといってもいいものだろう。それを簡潔に要約することは私の能力を超えているが、いくつかの文章を抜き書きして考えてみたい。

 ・・・・そして本多と清顕が生きている現代も、一つの潮の退き際、一つの波打ち際、一つの境界に他ならなかった。
 ……海はすぐその目の前で終わる。
 波の果てを見ていれば、それがいかに長いはてしない努力の末に、今そこであえなく終わったかがわかる。そこで世界をめぐる全海洋的規模の、一つの雄大きわまる企図が徒労に終わるのだ。
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 あの橄欖いろのなめらかな腹を見せて砕ける波は、擾乱であり怒号だったものが、次第に怒号は、ただの叫びに、叫びはいずれ囁きに変わってしまう。大きな白い奔馬は、小さな白い奔馬になり、やがてその逞しい横隊の馬身は消え去って、最後に蹴立てる白い蹄だけが渚に残る。
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 しかし沖へ沖へと目を馳せると、今まで力強く見えていた渚の波も、実は希薄な衰えた拡がりの末としか思われなくなる。次第次第に、沖へ向かって、海は濃厚になり、波打ち際の海の濃厚な成分は凝縮され、だんだんに圧搾され、濃緑色の水平線にいたって、無限に煮詰つめられた青が、ひとつの硬い結晶に達している。距離とひろがりを装いながら、その結晶こそは海の本質なのだ。この希いあわただしい波の重複のはてに、青く結晶したもの、それこそは海なのだ。

 これを、私の言える一言でいえば、「諦観」だろう。あるいは「時間の概念のない歴史」を鳥瞰する目。波打ち際という境界にあって、無限の彼方の「距離とひろがりを装いながら、青く結晶したもの」を見る目。海は始原の、永遠の「青い結晶」に凝縮され、「逞しい横隊を組んだ」「白い奔馬」は、はその「蹴立てる白い蹄」の残像が記録されるだけだ。

 この諦観が『春の雪』という第一作で呈示されていることは、『豊饒の海』四部作を語るうえで、決して見逃してはならない点であると思われる。そして、ここに私の「躓きの石」がある。このように、諦観もしくは韜晦の境地に到達していながら、なぜ『奔馬』の後『暁の寺』『天人五衰』を書き継がなければならなかったのか。それから、作家の実人生を作品読解に持ち込まない、という自戒をあえて破る愚を冒していえば、なぜ「三島事件」は起きたのか。

 以上の疑問がいつまでも私の中にわだかまっていて、堂々巡りの思考からぬけだせないでいるが、まずは原点に帰って、『奔馬』という小説の世態風俗、人情に触れなければならない。この作品の成立には、明治九年熊本で起こった神風連の乱が影響を与えているといわれるが、実はプロットの大枠は昭和八年の神兵隊事件によるのではないか。また、個々の登場人物の造型にはそれぞれの事件のさまざまな実在の人物をモデルにしているようである。尊皇愛国の志に燃えた若者が本懐を遂げるまでの直線的な物語のように見えて、かなり複雑な仕掛けが隠されているように思われる。仕掛けの一端でも読み解ければ、と思うのだが、難題である。何かまとまったことが書けるようになるまで、もう少し時間がほしいと思う。

 気がつけば日常の光景が一変していて、信じられないような世界に生きています。何が起こっているのか、何故なのか、「今」を理解できなくてもがいています。情報はあふれていますが、必要なのは情報ではなくたしかな実在感です。薄気味悪い浮遊感の漂う中で、性根を据えて作品に向かい合う時間がつくりだせないでいます。ひとえに非力のなせるわざですが。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。