2012年4月9日月曜日

「コネチカットのひょこひょこおじさん」___語られているのは過去である

七転八倒しながらサリンジャーの原文をよんでいる段階です。過去に書いたものを徹底的に書き直すつもりですが、とりあえず、ある程度の見通しがついたものから少しずつ書いてみたいと思います。

 以前「コネチカットのひょこひょこおじさん」について、「語られているのは過去か」と書いた。疑問符、というより付加疑問のような内容だった。訪問者のメアリ・ジェーンズの側に立って、解釈を試みたのだった。だが、いま、「ライ麦畑でつかまえて」という「手」を借りてclappingを試みて、その結果、「語られているのは過去である」という、私なりの結論に達した。ただし、主人公エロイーズのかつての恋人ウオルトとの美しい追憶の過去ではない。

 前回私は、自分から訪問を申し出たメアリ・ジェーンズが、何故遅れてきたのか、しかも様子がおかしいのか、と疑問を呈した。今回は、そのメアリが会いたがっていたラモーナというエロイーズの娘について考えてみたい。ラモーナは作中「きれいなドレスを着ている」「小さな子供の声__a small child's voice」という表現がされているが、その他年齢とか髪の毛の色など何も描写されていない。強度の近眼で眼鏡をかけていて、オーヴァーシューズを履いたままで屋内に入るのを度々注意されている。「ジミー」という名の「架空の恋人」をもっている。ラモーナとは何か。そして、メアリ・ジェーンズは何故ラモーナに根掘り葉掘りいろいろなことを聞きたがったのだろう。

 この小説は、二人のさりげない昔話の中に、具体的に情景を思い浮かべようとすると、はっきりとした像を結べない場面がいくつもある。「シカゴで買った黒いブラジャー」をした大学の女友達が部屋に飛び込んできたという場面や、列車の中でエロイーズとウオルトの二人がコートを頭からかぶっていたときの一連の描写は、どんなことがあって、何が「おかしかった」のかよくわからない。不思議である。

 謎を解く鍵は、最後にエロイーズがラモーナの眼鏡を裏返しにする場面にあると思われる。暗闇の中、エロイーズはラモーナの部屋のナイト・テーブルに突進して彼女の眼鏡を手にとって、頬に押し当て「かわいそうなひょこひょこおじさん」と泣きながら繰り返しつぶやいて、「レンズを下にして」戻すのである。すべての謎がそれで解けるわけではないのだが。というよりわからないことだらけなのだが、おおまかな方向性はつかめると思う。

 この小説の中で、エロイーズが語るのは過去だが、サリンジャーーが語るのも過去である。語られているのは、小説的現在であり、また過去なのだ。

 七転八倒中の、とりあえずの経過報告です。前回書いたものを大幅に修正する必要があると考えています。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

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