2024年6月10日月曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』__「牛」というモチーフ__届かない牛乳とカムパネルラの死

 ジョバンニとカムパネルラを乗せた銀河鉄道の汽車は、白い十字架を通り過ぎた後、白鳥の停車場に「十一時かっきりに」着く。停車場の時計に二十分停車」と書いてあって、乗客はみな降りてしまう。二人も飛ぶようにして降りて、天の川の河原に来ると、「プリオシン海岸」という標識が立った白い岩が川に沿って平らに出ている。そこは「ボス」と呼ばれる「大きな大きな青白い獣の骨」の発掘現場だった。発掘を指導していた学者は、ここは百二十万年前は海岸だった、といい、カムパネルラが途中でひろった大きなくるみも百二十万年前のものだという。

 不思議なのは、蹄の二つある足跡のついた岩やくるみを「標本にするんですか。」という問いにこたえた学者のことばである。

  「いや、証明するに要るんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらゐ前にできたといふ証拠もいろいろあがるけど、ぼくらとちがったやつからみでもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかといふことなのだ。」

 『銀河鉄道の夜』は謎に満ちているが、この言葉は私にとって最大の謎である。「厚い立派な地層」の年代が「百二十万年」前かどうかを証明するのではなく、「厚い立派な地層」が「風か水や空」に見えないことの証明が必要なのである。

 私たちは、少なくとも同じ時点では、同じものを同じように見ているのではないか。「プリシオン海岸」という標識が立った白い岩という実体が、「風か水や空」に見える可能性はあるのだろうか。そもそも「風」は見えるのか。

 プリオシン海岸のエピソードは賢治の実体験にもとづくもので、『銀河鉄道の夜』に後から挿入されたといわれている。たしかに、ここは、作品全体をつらぬく倫理的、求道的な息苦しさから解放される部分であり、他のエピソードと異質なものがある。しかしそれは、この後に展開される「ほんたうの幸い(それはほんたうの正しさ」といってよいと思うが)とどのような関係があるのだろうか。

 結論からいえば、プリシオン海岸のエピソードは、キリスト教を基調とする全体の展開に後から付加されたものではなく、むしろ、当初から賢治のなかに「牛」というモチーフが存在していたのではないか。モチーフの形成には、賢治自身が北上川河畔で、農学校の生徒たちと一緒に偶蹄類の化石の発掘に参加した実体験も大いに影響を与えていたと思われるが、それだけではない。キリスト教、とくに原始キリスト教と牛の関係は看過できないものがある。

 以前のブログでもふれたが、原始キリスト教と「聖牛」を仲立ちにして複雑な関係にあるのがミトラ教である。ミトラ教については、その信者の多くが下層階級の庶民や軍人、あるいは海賊であったため、資料とされるものに乏しく、実態がよくわからない。秘密に祭儀を行う「密議宗教」であったといわれているが、牡牛を屠る太陽神ミトラの像が有名である。ミトラが牡牛を殺し、信者はその血を浴びることによって、歓喜し陶酔状態になる。牡牛を屠る英雄神ミトラがメシア信仰とむすびつき、ミトラがメシア_キリストと同一視されるようになったという説がある。

 そもそもミトラ教の起源、歴史は確実な考証がされているとは言い難い状況なのだが、原始キリスト教がミトラ信仰を取り込んで、融合というか習合していったのは確かだと思われる。。その過程で、殺された牡牛ではなく、殺したミトラ神が救世主キリストとして崇められるようになった。牡牛の「血の贖い」を支点にして、ここには非常に狡猾な顛倒がある。

 『銀河鉄道の夜』冒頭の「午後の授業」で、まず、先生は、天の川を「巨きな乳の流れ」にたとえ、その星を「乳のなかにまるで細かにうかんでゐる油脂の球」に当たると言っている。牛の乳が望遠鏡でしか見ることのできない天の川にたとえられ、そのなかの星は逆に顕微鏡でしか見えない乳脂にたとえられている。『銀河鉄道の夜』の構造自体が「巨きな乳の流れ」であり、「大きな大きな青白い獣」のモチーフに包摂されているとは言えないだろうか。ジョバンニが母親のために「届かない牛乳」を取りに行くというプロットが偶然に用意されているものでないことはいうまでもない。

 ジョバンニは、「白い布を被って寝んで」いる母親のために、牛乳をもらいに牧場の「黒い門」を入り、うすくらい台所に出てきた「赤い眼」の女のひとに「いま誰もゐないでわかりません。」と拒まれる。だが、銀河鉄道の旅の夢からさめて、ふたたび「ほの白い牧場の柵」をまわって牛舎の前に来ると、今度は「白い太いズボン」をはいた人が出て来て、まだ熱い乳の瓶を渡してくれる。この変化をもたらせたものが、銀河鉄道の旅であり、ジョバンニの経験だが、では、具体的にジョバンニに何が起こったのか。

 ジョバンニに起こった最も深刻なできごとは、これもまた、いうまでもなくカムパネルラの消失である。それは夢のなかだけでなく、(たぶん)現実であった。カムパネルラの死が、ジョバンニに届かなかった牛乳を「まだ熱い瓶」に入れて届けてくれた、とすれば、その死は何を意味するのだろう。カムパネルラはなぜ死ななければならなかったのか。カムパネルラの死を、たんにひとこと「犠牲」ということばですませてしまえるだろうか。そもそも「犠牲」という言葉のなかに牛が二匹いるのだが、カムパネルラの死と「まだ熱い乳の瓶」は、何かもっと生々しい経路でつながれているような気がする。

 『銀河鉄道の夜』の初稿から最終稿とされる第四稿まで、どれだけの年月が流れたのかわかりませんが、その生涯の最期まで決定稿を完成させられなかったというところに、賢治の苦闘の跡を見る思いがします。だからこそ、『銀河鉄道の夜』は汲みつくせぬ魅力と読者をひきつけてやまない磁場をもっているのでしょう。非力な私は、ほんの少々のキリスト教の素養しかなく、賢治の信仰していたという法華経はじめ仏教についてまるで何もわからないので、いつまでも堂々巡りの思考の罠からぬけだせないような気がします。前回、「橄欖の森」と「灯台看守」そして「孔雀」について書く、といいながら、「白鳥の停車場」であまりにもながく停まってしまったように思うので、ここでいったん「牛」というモチーフから離れて、次回は「灯台看守」の役割を中心に考えてみたいと思います。

 今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2024年6月2日日曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』___十字架と苹果の旅__白い十字架

 『銀河鉄道の夜』に限らず宮沢賢治の作品を読んで、「自己犠牲」をテーマに論じる読者が多い。以前私自身も「ケンタウルス、牛殺し_生の軛」というタイトルでこの作品について書いたとき、カムパネルラの死を「自己犠牲でなく犠牲」として論じた。烏瓜でつくった灯籠を川にながし、「星祭り」という美しいことばでよばれる「ケンタウル村」の祭りに秘められた本質の象徴が「犠牲」である、と仮説をたててみたのだが、それでよかったのかどうか、ジョバンニとカムパネルラの旅を振り返って、もう一度考えてみたい。

 銀色のすすきと青や橙やさまざまな色にちりばめられた三角標の光がちらちら揺れ動くなか、銀河鉄道の小さな汽車が走る。線路のへりに咲いた紫のりんどうの花が次から次へと過ぎ去っていく。ところでこの「三角標」がどういうものなのか、じつは私はよくわからない。銀河鉄道の旅のいたるところに登場するが、どのような標識なのだろうか。

 旅の始まりに、カムパネルラの「母のゆるし」と「ほんたうの幸い」の葛藤を告白されたジョバンニが「「ああ、さうだ。ぼくのおっかさんは、あの遠いちりのやうに見える橙いろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考へてゐるんだった。」と心の中で思っているので、三角標は現実世界の何かに対応するのだろう。

 そして、旅の出発点の前と終着点の後に登場する「天気輪の柱」はもっとわからない。こちらは天上の世界とつながるものを意味すると思われるが、三角標よりイメージをむすぶことが困難である。

 りんどうの花と三角標の列に迎えられて始まった二人の旅が最初に出会ったのは「ぼぅっと青白く後光の射した一つの島」とその平らないただきに立った「立派な目もさめるやうな白い十字架」だった。カムパネルラが「母のゆるし」と「ほんたうの幸い」の葛藤から「ほんたうの決心」を告白すると、俄かに、車のなかがぱっと白く明るくなる。「金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたやうな」きらびやかな銀河のまん中に小島があって、そこに十字架が見える。「それはもう凍った北極の雲で鋳たといったらいゝか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しづかに永久に立ってゐるのでした。」と書かれている。きらびやかにして清浄無垢、荘厳な世界の出現である。

 「ハルレヤ、ハルレヤ。」の声が起こり、乗客はみな十字架に向けて祈る。ジョバンニとカムパネルラも思わず立ちあがる。「カムパネルラの頬は、まるで熟した苹果のあかしのやうにうつくしくかゞやいて見えました。」

 白い十字架と赤い苹果、「ハルレヤ(ハレルヤでないことに注意)」の声と祈り、絵にかいたようなキリスト教の光景である。銀河鉄道の旅の基調にあるものが、キリスト教の世界であることは多くの人が指摘するもので、私も異論はないが、あえて、ひとこと言えば、この場面で描かれる「キリスト教」の世界は、あまりにも完璧に予定調和のそれである。「キリスト教」の象徴として「十字架」は、こんなに清浄無垢で荘厳、もっと言えば無機的に輝く存在だろうか。

 イエスの十字架は、この上なくむごたらしく血にまみれた実在の杭である。そのことを十分理解していたと思われる賢治は、なぜ十字架をこのように描いたのか。

 おそらく、賢治がこの十字架(白鳥座の北十字星のことであると言われる)を荘厳無垢に描いたのは、ここを、誰も足を踏み入れることなく、ひたすらな祈りがささげられる対象として措定したからではないか。旅人たちは「しづかに永久に立ってゐる」十字架に祈る。だが、汽車は止まることなく、乗客はみな車内で祈りをささげ、白鳥の島が「絵のやうになって」ついにすっかり見えなくなってしまうと、旅人たちは「しづかに席に戻り」、ジョバンニとカムパネルラも、「胸いっぱいのかなしみに似た新しい気持ちを、何気なくちがった詞で、そっと談し合ったのです。」

 白鳥座の十字架から、南十字星の十字架まで、銀河鉄道は走る。じつは十字架、というか十字架を暗喩するものは旅の途中でもあらわれ、それは非常に重要な問題を提起しているものだが、それについては、また回をあらためて考えてみたい。私見では、物語の後半に登場する「橄欖の森」がそれであると考える。また、苹果、とくに「燈台看守」が配る「金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果」についても考察を試みたい。どちらも、容易に作者の肉声を聞くことが拒まれているような気がして、難問である。カムパネルラの死と、タイタニック号の乗客の死、そして、蠍の死、これらと、十字架、苹果の両義的で複雑な関係を解きほぐす糸口だけでもみつかればいいと思っている。

 ここまで書いてきて、誤解のないように、あえて、いわずもがなのことを言っておきたい。私はこの作品をキリスト教のプロパガンダとして読むつもりはまったくない。他の宗教も同様である。それは、決して賢治の本意ではなかったと考える。根源的でありながら複雑で矛盾に満ちた生の本質に迫り、その過程での実践を模索するために、賢治は書き続けたのだと思っている。

 相変わらずまとまらなくてたどたどしい文章です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2024年5月23日木曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』__カムパネルラという存在とその消失の意味するもの__「母」のゆるしと「ほんたうの幸い」

  『銀河鉄道の夜』について、以前「ケンタウルスー牛殺しー生の軛」というタイトルで投稿した。そこで繰り広げたテーマは核心の一部をついていた、という自負はないではないが、この複雑で重層的な作品のより重要な部分を取り残してと感じるもどかしさがあって、それが何か、言葉につむぎだせにままに無為に五年の時が流れてしまった。

 五年の間に断続的に、初稿から最終稿まで増補、削除の大胆な編集を経てきたものを順不同で読んできた。そのいずれの稿にも共通しているのは、「カムパネルラ」の存在であり、その突然の消失である。主人公ジョバンニは気がついたら銀河鉄道に乗っていて、そこにはすでにカムパネルラがいた。そして、カムパネルラが消えると、ジョバンニは銀河の夢からさめて、もとの草の上で胸を熱らせ、つめたい涙をながしていたのだった。「カンパネルラ」とは何か。

 カムパネルラのモデルについてはさまざまなことがいわれているが、重要なのはモデル探しではなく、「カムパネルラ」」という存在が作品の中で、とくにジョバンニとのかかわりにおいて、どのように描かれているかを検討していくことだろう。

 カムパネルラは作品冒頭「午後の授業」の章の登場する。銀河について先生に指名され、立往生しているジョバンニを慮って、カムパネルラはわかっている答えを答えなかった。裕福な家庭に育ったカンパネルラは、父親の書斎から「巨きな本」をもってきて、「ぎんが」の美しい写真をジョバンニに見せてくれたのだから、答えられないはずはない。その時一緒に写真を見たジョバンニだって銀河を知らないわけではなかったのに、このごろのジョバンニは学校の前後にする労働がつらくて、授業中ぼぉっとしている。ジョバンニは病気の母親の面倒をみながら、不在の父親に代わって働かなければならないのである。

 ジョバンニは活版所で活字拾いをして一日銀貨一枚をもらうのだが、現場でひそかな冷笑の対象となっている。それだけでなく、学校の仲間からもからわれ、いじめられている。カムパネルラはそんなジョバンニを気の毒そうに見ているが、積極的にかばってくれるわけではない。カンパネルラとジョバンニは父親同士が友達だったようで、ジョバンニは父親が一緒にいたときは、父親に連れられてたびたびカンパネルラの家に寄った、とある。ジョバンニとカムパネルラは、そこでレールを七つ組み合わせて円くした線路の上をアルコールで走る汽車で遊んだこともあったのだが。

 「ケンタウル祭」とよばれる「銀河のお祭り」の日、ジョバンニは病気の母親が飲む牛乳が届かなかったので、牛乳屋にとりにいく。空気は澄みきって町は美しく飾られ、子供たちは楽しそうに遊んでいるが、途中で会ったいじめっこのザネリに、「ジョバンニ、お父さんから、らっこの上着が来るよ。」と嘲笑されたジョバンニの心は沈んでいる。そして、牛乳屋にいくと、「赤い目の下をこすりながら」あらわれたどこか具合が悪いような年取った女の人に、いまは誰もいないので、後にしてくれと言われてしまう。

 牛乳屋の台所から出たジョバンニは町で再びザネリに合う。ザネリはまたさっきと同じように「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。」と叫び、今度は一緒にいた同級生の子たちも続いて叫ぶ。そのなかにカムパネルラもいたのだった。カムパネルラはだまって、ジョバンニを気づかっているようだったが、みんなと一緒に口笛をふきながら、橋の方へ歩いて行ってしまう。「なんとも云へずさびしくなって」ジョバンニはいきなり走り出し、町を離れて「黒い丘の方へ」向かう。

 以上の経緯は「午後の授業」の教室での出来事を除いて、第三次稿と第四次稿に共通しているが、第三次稿により詳しい。ジョバンニの父親が密漁船に乗っていて、誰かを怪我させて監獄に入っているという噂があること。そのためにジョバンニはいじめっこのザネリにからかわれ、同級生から疎外されていること。母親は生活のために無理な労働をして体をこわしてしまったこと。母親の面倒をみながら働くジョバンニの労働のつらさ。それらが具体的に生き生きと描かれているが、第四次稿とくらべて、より多く精緻に記述されているのが、カンパネルラへの思いである。

 牛乳屋で「今日はもう牛乳はない」と断られたジョバンニの悲しみは

(今日、銀貨が一枚さへあったら、どこからでもコンデンスミルクを買って帰るんだけれど。ああ、ぼくはどんなにお金がほしいだろう。青い苹果だってもうできてゐるんだ。カムパネルラなんか、ほんたうにいいなあ。銀貨を二枚も運動場で弾いたりしてゐた。
 ぼくはどうしてカムパネルラのように生まれなかったらう。カムパネルラなら、ステッドラーの色鉛筆でも何でも買へる。それにほんたうにカムパネルラはえらい。せいだって高いし、いつでも笑ってゐる。一年生のころは、あんまりできなかったけれども、いまはもう一番で級長で、誰だって負ひつきやしない。...)

と、カムパネルラへの羨望にかわっていく。そのカムパネルラまでが、ザネリたちと一緒に口笛を吹いて遠ざかっていってしまう。それを見たジョバンニはいきなり走りだして、町を離れ、黒い丘に登っていく。丘の上のつめたい草に寝て、ジョバンニは天の川を見ながら考える。

 (ぼくはもう、遠くへ行ってしまひたい。みんなからはなれて、どこまでもどこまでも行ってしまひたい。それでも、もしカムパネルラが、ぼくといっしょに来てくれたら、そして二人で、野原やさまざまの家をスケッチしながら、どこまでもどこまでも行くのなら、どんなにいいだらう。...ぼくはもう、カムパネルラがほんたうにぼくの友だちになって、決してうそをつかないなら、ぼくは命でもやっていい。...)

 だが、第三次稿で縷々と綴られるジョバンニのカムパネルラへの切ない思いは、最終稿ではばっさりと切り捨てられ、カムパネルラその人の姿が現実的に描かれる。最終稿に登場するカムパネルラはいつも「気の毒さうに」しているが、ジョバンニをかばってくれるわけではない。カムパネルラは「だまって少しわらって」いじめられているジョバンニが自分のことを「怒らないだらうかと」見ているだけだった、とある。何もしないことでいじめに加担しているカムパネルラの姿を等身大に描写しているのだ。

 そのカムパネルラが銀河鉄道に乗っている。ジョバンニより先に乗っていたらしく、ぬれたようにまっ黒な上着をきて、窓から頭を出して外を見ていた。カムパネルラは「銀河ステーション」でもらった黒曜石でできた地図と切符も持っているので、正式な乗客である。銀河鉄道の「小さなきれいな汽車」に乗って、ジョバンニとカムパネルラの旅は始まる。現実に存在していたジョバンニとカムパネルラの距離は一気に縮まって、カムパネルラはジョバンニの唯一の確実な同行者になったのだ。

 カムパネルラがジョバンニにまず訴えたのは「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだらうか。」ということだった。カムパネルラは、母がほんとうに幸いになるためなら何でもするが、いったいどんなことがほんとうの幸いなのか、わからない、という。そして、誰でも、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸いなのだ、と。「ほんたうの幸い」と、物語の終盤で議論される「たったひとりのほんたうのほんたうの神さま」を探して、銀河鉄道は走るのだが、その出発点は「母のゆるし」である。

 「おっかさんが、ほんたうに幸いになるなら、どんなことでもする。」と「泣き出したいのを、一生けん命こらへてゐる」のが、現実に病気の母を支えているジョバンニでなく「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの。」といわれるカムパネルラであることに注目しなければならない。

 「母」と「ゆるし」と「ほんたうの幸い」を探すためにカムパネルラはジョバンニの同行者となった。だが、「ほんたうの幸い」とは何か、という問いは物語の中空につるされたまま、カムパネルラは「みんなが集まっているきれいな野原」「ほんたうの天上」にいる「おっかさん」に吸い込まれていく。はたしてカムパネルラは「ゆるされた」のか。それとも、「ゆるし」か否かの次元をこえた無限の磁場が「天上」の「おっかさん」には存在するのか。

 カムパネルラについては、旅の出発点と終着点に触っただけなので、まだ書かなければならないことが少なからずあるが、長くなるので、また回を改めたい。とくに、最後に登場して、「黒い服を着てまっすぐに立って右手に持った時計をじっと見つめて」「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」とその死を宣告する「父」の存在とその意味も考えなければならない。そこまで辿りつけるかどうか、かなり心もとないのだが。

 書かなければ何も考えなかったことと同じになるので、なんとか文章にしています。今日も不出来な作文を読んでくださってありがとうございます。

 

2023年12月14日木曜日

宮沢賢治『北守将軍と三人兄弟の医者』__凱旋将軍の最期

  賢治の童話中数少ない完成された作品で、一九三一年雑誌「児童文学」に発表されたものである。この作品の初稿とみられる『三人兄弟の医者と北守将軍』という童話も活字化されていて、こちらはおそらく一九二〇年までに書かれたものだといわれている。岩波文庫版でわずか十頁の短編が、推敲を重ねられ完成まで十年を要したということが興味深い。七五調の韻文で軽快に語られる物語は、起承転結むだをそぎ落としてなおかつ余韻を残す珠玉の掌編となっている。

 それだけに、どこから切り込んでいけるのか、とっかかりがつかめないのだ。あまりに完璧に作品化されて賢治の肉声を漏れ聞くことが容易でない、といったほうがいいかもしれない。

 「むかしラユーという首都に、兄弟三人の医者がいた」と始まるこの童話の舞台はおそらく中国あるいはより広くユーラシア大陸のどこかであり、時代も現代ではないようである。作中晩唐の詩人張蠙の詩「過蕭關」にヒントを得たと推測されるエピソードが語られているので、千年ほど昔の時代設定かもしれない。

 時も所も茫洋とした彼方の「ラユーという首都」を「九万人」という「雲霞の軍勢」がとり囲む。町中ざわめき緊張が走るが、この軍勢は実は「三十年という黄いろなむかし」に「この門をくぐって威張って行った」「十万の軍勢」が一割減って戻って来たものだった。しかし、なんとも異様な軍団だった。兵隊たちは「みな灰いろでぼさぼさして、なんだかけむりのよう」で、彼らをひきいるのが「するどい目をして、ひげが二いろまっ白な背中のまがった大将北守将軍ソンバーユ」である。

 ソンバーユと兵隊たちは塞外の砂漠で三十年間いくさをしていたのである。だが、彼らは敵とたたかって勝って凱旋したのではない。兵隊たちは歌う

 「みそかの晩とついたちは
  砂漠に黒い月が立つ
  西と南の風の夜は
  月は冬でもまっ赤だよ
  雁が高みを飛ぶときは
  敵が遠くへ逃げるのだ
  追おうと馬にまたがれば
  にわかに雪がどしゃぶりだ」

 「雪の降る日はひるまでも
  そらはいちめんまっくらで
  わずかに雁の行くみちが
  ぼんやり白くみえるのだ
  砂がこごえて飛んできて
  枯れたよもぎをひっこぬく
  抜けたよもぎは次々と
  都の方へ飛んでいく」

 荒涼として陰惨なのは砂漠の実景であると同時に兵士たちの心象であろう。ソン将軍と兵隊たちは、北の砂漠の厳しい自然とたたかい続けるうちに、たまたま敵が全員脚気で死んだので、故郷に戻ることができたのだ。敵は今年の夏の異常な湿気でダメージを受け、さらにこちらを追いかけて砂を走りすぎて脚気になったのだとソン将軍は歌う。敵も味方も過酷な自然とたたかいながら、追いつ追われつ砂漠をさすらった三十年だった。

 そしてソン将軍は「凱旋」したのである。九万の兵隊たちをひき連れて。十万の兵士はたった一割しか減らなかった。まさに奇跡の生還で、ソン将軍は真の英雄である。

 「三十年の間には たとえいくさに行かなくたって 一割ぐらいは死ぬんじゃないか」

 平和なはずの日本の今はもっとたくさん死んでいるような気がするが、それはともかく、ラユーの町は歓喜でわきたった。王宮に知らせが行って、迎えの使者がやってくる。ところがここで大変なことが起きる。一礼して馬から降りようとしたソン将軍の両足が馬の鞍につき、鞍は馬の背中にくっついて、ソン将軍はどうしても馬から降りることができない。

作者は将軍のこの状態を 

「ああこれこそじつに将軍が、三十年も、国境の乾いた砂漠のなかで、重いつとめを肩に負い、一度も馬をおりないために、馬とひとつになったのだ。」

と説明するが、そんな特殊な状況は「鮒よりひどい近眼」の迎いの大臣にわかるはずがない。馬から降りずにあわてて手をばたばたさせる将軍を見て、謀反を起こそうとしていると判断してひきあげてしまう。

 茫然自失の将軍は、しばらくすると気を取り直し、軍師に向かって、鎧兜を脱いで将軍の刀と弓をもって王宮に行き、事情を説明するよう指示する。そのうえで自分は医者に行くと言う。もはや自力では 馬から降りることは不可能だと悟ったのだ。ソン将軍は馬に鞭うち、馬は最後の力をふりしぼって駆け、名医リンパー先生の病院に入る。

 騎乗のまま病院に入り込んだソン将軍は、性急に診察を受けようとするが、相手にされない。怒ったソン将軍が鞭を上げると馬は跳ね、周りの病人たちは泣きだしてしまう。それでもリンパー先生は一顧だにしないが、先生の右手から黄の綾を着た娘が出てきて、花びんの花を一枝とって馬に食べさせる。ぱくっとかんだ馬は、大きな息をしたかと思うと足を折ってぐうぐう眠ってしまう。

 馬が死んでしまうと思ったソン将軍は、なんとか生き返らせようと塩の袋をとりだすが、やっぱり馬はねむっている。三十年間生死をともにした馬だけはどうかみてほしい、と哀願する将軍に、はじめてリンパー先生は振り向いて、馬は、ソン将軍をみるためにすわらせたので、まもなくなおると言う。

 リンパー先生の見立てでは、ソン将軍は「今でもまだ少し、砂漠のためにつかれている」のである。ソン将軍のいうことには、十万近い軍勢が、きつねにだまされ、「夜にたくさん火をともしたり、昼間砂漠の上に、大きな海をこしらえて、城や何かも出したりする」。また「砂こつ」という鳥が、馬のしっぽを抜いたり、目をねらったり、襲撃を試みる。「砂こつ」を見ると、馬は恐怖でふるえてあるけなくなってしまうというのだ。

 こうした砂漠の生活で、ソン将軍は数の把握をくるわせ、実際よりも一割少ない数を認識してしまっている。そこでリンパー先生は、二種類の薬を使って、まずソン将軍の兜をはずし、次に頭を洗うと将軍の「熊より白い」白髪が輝いて、頭はすっきり正常になる。リンパー先生のいうには「つまり頭の目がふさがって、一割いけなかった」のである。

 頭を正常にすることで、ソン将軍は武装解除された。だが、まだ馬から降りることはできなかった。「ずぼんが鞍につき、鞍がまた馬についたのをはなすというのは別」で、次は馬の武装解除をしなければならない。それは、リンパー先生の弟のリンプー先生の治療になる。

 となりのけしの畑をふみつけてリンプー先生の建物に入って行ったソン将軍は、リンプー先生に馬の年齢を聞かれて「四捨五入してやっぱり三十九」だという。九歳から三十年間ソン将軍と一体で砂漠を駆けていた白馬に、リンプー先生が「赤い小さな餅」を食べさせると、馬はがたがたふるえながら、体中から汗とけむりを吹き出した。けむりが消えて、滝の汗がながれだすと、リンプー先生が両手を馬の鞍にあててゆさぶる。たちまち鞍は馬から外れ、将軍の体もすっかりはなれる。最後にリンプー先生が、ほうきのようなしっぽを持って引っぱると、尾の形をした塊が床に落ち、馬はかろやかに、毛だけになったしっぽをふっている。そしてぎちぎち膝を鳴らすこともなく、しずかに歩きだす。馬も軍務から解放されて、本来の馬にもどったのだ。

 最後はリンポー先生が、将軍と兵隊たちの「顔や手や、まるで一面に生えた灰いろをしたふしぎなもの」の始末をした。この「灰いろをしたふしぎなもの」については、王敏という学者が『宮沢賢治、中国に翔る想い』という著書の中で卓見を述べておられる。

 「支那を戦場に想定した『北守将軍と三人の兄弟医者』にある「灰いろ」は怨霊を潜ませた死の色であり、生存者の十字架であろう」

 灰いろが「死の色であり、生存者の十字架」であるとはまさにその通りだが、きわめて抽象度の高い表現である。私見では「灰いろをしたふしぎなもの」とは、脚気で死んだという敵兵の昇華され得ない魂が、砂漠の中で唯一生気のあるところに住みついたものではないか。だとすると、三人の兄弟医者の中でもっとも簡略にかたられているポー先生の役割は、もしかしたら、もっとも重要なものだったのかもしれない。

 ポー先生が「黄いろな粉」を将軍の顔から肩にふりかけて、うちわであおぐと、将軍の顔じゅうの毛がまっ赤にかわり、「ふしぎなもの」はみんなふわふわ飛び出して、将軍の顔はつるつるになった。このときはじめて将軍は三十年ぶりににっこりする。「からだもかるくなったでのう。」ソン将軍はうれしくなって、はやてのように飛び出して、兵隊たちの待つ広場へむかう。その後、ポー先生の弟子が六人、兵隊たちの毛をとるために薬とうちわを持って将軍のあとを追う。

 広場で合流したソン将軍と九万の兵隊たちは、王宮へ粛々と行進する。馬をおりたソン将軍が壇上で叩頭すると、王はねぎらいのことばをかけ、さらに忠勤をはげんでくれという。だが、将軍は、自分はもはやその任に堪えないので、暇をもらって郷里に帰りたい、といって自分の代わりに四人の大将と三人の兄弟医者の名をあげる。さっそく王に許された将軍は、その場で鎧兜をぬいで、薄い麻の服を着る。

 将軍は、それから故郷の村のス山のふもとへ帰って、粟をまいたり間引いたりしていたが、だんだんものを食べなくなり、それから水も飲まなくなった。ときどき空を見上げてしゃっくりみたいな形をしていたが、そのうち姿を消してしまう。みんなは将軍さまは仙人になった、とまつりあげるが、国守になったリンパー先生は否定する。「肺と胃の腑は同じでない。」つまりは自死したことを示唆したのである。

 淡々と、軽妙にリズミカルな韻文形式で最後までかたりきって破綻のないこの作品を読了して、どうしてもここから「何か」をつかみだせなかった。前述の王敏氏は、漢文学に非常に造詣の深い方で、『宮沢賢治、中国に翔る想い』の中で、この作品に影響を与えた、もしくは読解のヒントとなる漢詩を随所に引用されている。大変参考にさせていただいたが、それでもなお、「何か」に逃げられているような気がして、ながいこと文章が書けなかった。

 いまも同じ思いなのだが、あえてことばにしてみると、これはあまりにも美しいお伽話である。前回とりあげた『飢餓陣営』が「コミックオペレット」と表記して、戦場のリアルな悲惨を戯曲化したのにたいして、『北守将軍と三人の兄弟医者』は、現実にはありえない出来事を神話化した。敵が全員自滅したので、九割の兵力を保存して帰還する。しかも、「北の砂漠」という過酷な自然環境に三十年さらされながらの攻防である。これを奇跡と呼ばずにいられようか。

 だが、私の関心はこの奇跡そのものにあるのではない。奇跡を成し遂げた英雄ソンバーユの最期である。故郷の「ス山」のふもとに帰って、自死した将軍のモデルはだれか。中国の歴史は絶え間ない異民族の侵入とのたたかいだったから、遠く辺境の地に赴いて、二度と故郷の土を踏むことができない人は数えきれないほど存在した。だが、生きて帰還して、そのあと自死したソン将軍のような軍人はいただろうか。しかも、みずから食を断つ、という自裁の方法で。飢餓による緩慢な死は、一気に命を絶つ自刃や縊死よりもむしろ残酷でつらい方法だろう。霞を食べる仙人の美しいお伽話のかたり口で、じつは無残な死を凱旋将軍に選ばせた作者の意図はどこにあったのか。

 最後にまたもや蛇足をひとつ。なぜソンバーユは「北」守将軍なのか。南でも東でも西でもなく。王敏氏の論のように作品の舞台が中国大陸であるならば塞外の辺境は多く「西」域である。だが、『風の又三郎』のラストに顕著なように、賢治の関心はつねに「北」の地にあるようだ。

 凱旋将軍のモデルは意外と賢治と同時代に近い人物だったのかもしれない。

 前回の投稿からこれほどの月日が経ってしまったのは、ひとえに私の怠惰によるものです。容易に隙を見せない賢治の完璧主義が生半可なアプローチを寄せつけなかった、というのは私の言い訳にもならない泣きごとです。日清戦争の二年後に生まれ、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、とほぼ十年ごとの戦争を経験し、辛亥革命、ロシア革命と二度の革命(という名の戦争)を目の当たりに見た賢治の時代意識はどんなものだったのか。作品を読むことによって知るしかすべはないのでしょうけれど。

 とりとめもない雑文を読んでくださって、ありがとうございました。

 

2023年7月30日日曜日

宮澤賢治『飢餓陣営』__国家の超克とキリスト教への接近__オペレッタで語る極限状況

  宮澤賢治『飢餓陣営』について、いつまでも考えている。

 「コミック オペレット」と注がついた一幕物の戯曲である。主人公の名をとって「バナナン大将」という題名のものが一九二二年六月に作られ、翌一九二三年五月、花巻農学校が県立となった開校式の日に上演された。賢治は当時この農学校の教師であり、記念としてこの劇と、もうひとつやはり自作の『植物医師』という劇を、みずから演出し生徒を俳優にして上演している。県立高校として出発する開校式の舞台で演じられたこの二つの劇はかなり不穏な要素がおりこまれているが、観客はどのように鑑賞したのだろうか。

 『植物医師』のあらすじは、上官を殴って退職した元役人が、枯れた陸稲をもって次々相談に来る農民たちに生半可な知識で亜ヒ酸を売りつけ、亜ヒ酸で陸稲を全滅させてしまうのだが、なぜか農民たちは元役人を許してしまう。「一年旱魃の事もあるから」、と全滅の陸稲をあきらめるのである。「植物医師」をかたる「爾薩待正」という不思議な名前の元役人の軽薄な詐欺師ぶりと、「医者さんもあんまりがおれないで、折角みっしりやったらよがべ」と「植物医師」をゆるしてはげます農民の不気味な諦念が印象的である。「郷土喜劇」と名付けたこの戯曲の農民のセリフは徹底して方言が用いられている。

 戯曲『飢餓陣営』は、餓死寸前の兵士たちが大将が身につけた勲章を食べてしまうという奇想天外な話である。

 舞台は「砲弾にて破損せる古き穀倉の内部、からくも全滅を免れしバナナン軍団、マルトン原の臨時幕営」と設定される。ここに、舞台の左右から曹長、特務曹長を先頭に兵士が六人ずつ登場し、それぞれに大将の不在と自分たちの飢餓を訴え、退場する。一時半、二時、四時、四時半と時が刻まれ、そのつど兵士たちは舞台に現れて空腹を訴え、退場する。状況は変わらず、七時半、八時と夜になって、兵士たちの疲労と衰弱は甚だしいものがある。かろうじて立っていられる兵士たちは

 「いくさで死ぬならあきらめもするが
  いまごろ餓えて死にたくはない
  ああただひときれこの世のなごりに
  バナナかなにかを 食いたいな。」

と合唱して、その後全員倒れてしまう。銅鑼が鳴る。

 そしてバナナン大将が登場する。「バナナのエポレットを飾り、菓子の勲章を胸に満たせり。」といういでたちである。幕営に兵士たちを残して、どこへ行っていたかわからないが、「いったいすこうし飲み過ぎたのだし
 馬肉もあんまり食いすぎた」
と、自分だけたらふく飲み食いしてきたようである。あげく、「つかれたつかれたすっかりつかれた」と言って、真っ暗な中で倒れている兵士たちを「灯をつけろ、間抜けめ。」と罵り、かろうじて立ちあがった彼らをみて「どれもみんなまるで泥人形だ。」と何の同情もない。

 悲惨な状況設定であり、不思議でもある。敗色濃厚な戦場で糧食もなく餓死寸前で「泥人形のよう」になってしまった部下を残して、大将が幕営を後にして出かけたのは何故だろう。食料を調達するために周辺を探したのか。残された曹長と特務曹長は
「大将ひとりでどこかの並み木の
 りんごをたたいているかもしれない
 大将いまごろどこかのはたけで
 にんじんがりがり、かんでるぞ。」
と想像しているのだが、そもそも大将は菓子でできた勲章で身を飾っているのだから、すくなくとも自分は食料を調達する必要はないはずである。

 ともかく、バナナン大将は、自分だけどこかでゲップするまで飲み食いしてきて、眠りこけてしまう。これが「コミック オペレット」と銘打たれた劇の出だしである。敗残の兵士たちの切実な飢餓と対照的な大将の満腹感がリアルに描かれている。だが、同時に大将の勲章が菓子でできている、というあり得ない設定があって、観客はその不条理をかかえたまま劇の進行についてゆくしかない。

 兵士たちは、眠り込んだ大将の勲章を食べたいという欲求を抑えられない。曹長は「大将の勲章を食べるいうわけにはいかないか」と特務曹長に問い、特務曹長は「軍人が名誉ある勲章を食ってしまうという前例はない。」し、「食ったら軍法会議」で「銃殺にきまっている。」と答える。「軍法会議」だの「銃殺」だの、リアルな恐怖をあたえることばだが、そもそも「軍人が名誉ある勲章を食ってしまうという」「前例」がないのではなく、「勲章を食ってしまう」ことが「不可能」なのである。このあたりから、役者が深刻な状況を真面目に演じると、それがそのまま、現実の感覚とちぐはぐでおかしいのだ。

 「不可能」だから「前例はない」のだが、ともかく「銃殺」ということばを聞いて、兵士一同はまた倒れてしまう。そこで、曹長が意を決して、自分一人が責任を被って銃殺されるから、将軍の勲章とエポレットを盗み、一同で食べようと申し出る。すると、特務曹長も自分もいっしょにやって、十の生命の代わりに二人の命を投げ出そうと言い、兵士たちに号令をかけて集合させる。そして勲章やエポレットを「盗む」のはよくないから「もっと正々堂々とやらなくちゃいけない。」と言うのだが、これもなんだかおかしい。「正々堂々と」大将を騙すのだから。

 特務曹長は勲章を拝見といって、バナナン大将に勲章十個とエポレット二個を外させ、自分を含めた兵士一同で食べてしまう。身につけた勲章が全部食べられてしまうまでバナナン大将が気がつかないのは不自然なようだが、舞台上でどんな演出がなされたのだろうか。

 バナナン大将が身に着けていた勲章とその由来は次の通りである。
1・獅子奮迅章。バナナン大将はロンテンブナール勲章ともいっている。インド戦争で受領。ザラメ入り。
2・ファンテプラーク章。シナのニコチン戦役でもらう。
3・チベット戦争でもらった勲章。チベット馬のしるしがついている。
4・普仏戦争の勲章。ナポレオン・ボナパルトの首のしるしつき。六十銭で買ったもの。
5・アメリカの勲章。ニュウヨウクのメリケン粉株式会社から贈られたもの。
6・シナの大将と豚五匹でとりかえたもの。ハムサンドウィッチ(そのもの?)
7・むすこからとりかえした勲章(?)立派なものらしい。
8・モナコ王国でばくちの番をしたときもらった勲章。
9・手製の勲章。
10・アフガニスタンでマラソン競争をして獲得したもの。

 以上、ユーラシア大陸から太平洋をはさんでアメリカまで、バナナン大将は世界中の戦場を渡り歩いて収集したようである。戦闘行為に参加して手にしたものではない勲章も含まれているところがおかしいが、そうやって獲得した勲章はすべて特務曹長の手から兵士たちの胃袋におさまってしまう。さらに

11・イタリアごろつき組合から贈られたジゴマと書かれた勲章は曹長が嚥下し
12・ベルギ戦役、マイナス十五里進行の際、スレジンゲトンの街道で拾った勲章。少し馬の糞がついているもの、とあるのは特務曹長みずから嚥下する。

 最後に、特務曹長はバナナン大将が両肩につけたバナナのエポレットも外させ、十二人の兵士全員で食べてしまう。勲章も肩章もすべて食べられて、はじめてバナナン大将は自分が無一物になったことに気がついて動揺する。一方兵士たちは飢餓から回復すると、罪の意識に苛まれる。兵士たちは「将軍と国家に」おわびの方法がないのでみんなで死のう、という。それにたいして、曹長と特務曹長は、勲章を食べることを発案した自分たちが悪いので、二人が責任を取って死ぬが、他の兵士たちは将軍の指示に従うように言って、号令をかける。

 そして、特務曹長がピストルを出し、
 「飢餓陣営のたそがれの中
 犯せる罪はいと深し
 ああ夜のそらの青き火もて
 われらが罪をきよめたまえ。」
と祈ると、曹長も
 「マルトン原のかなしみのなか
 ひかりはつちにうずもれぬ
 ああみめぐみのあめをくだし
 われらがつみをゆるしたまえ。」
祈り、さらに兵士一同合唱で
 「ああみめぐみの雨をくだし
 われらがつみをゆるしたまえ。」
と祈るのである。

 この祈りの詞は文字で読んでも、「コミックオペレット」には重すぎる印象だが、実際に劇中で歌われた曲を採譜して演奏したものを聞くと、讃美歌あるいは聖歌の響きがある。荘重で、暗く、あきらかにキリスト教の調べなのが異様である。

 特務曹長がピストルを擬して、まさに自殺しようとする。すると、これまで瞑目していたバナナン大将は即座に立ち上がり、特務曹長のピストルを奪う。そして、言う。

 「もうわかった。お前たちの心底は見届けた。お前たちの誠心に比べては俺の勲章などは実になんでもないんじゃ。
 おお神はほめられよ。実におん眼からみそなわすならば、勲章やエポレットなどは瓦礫にも等しいじゃ。」

 餓えと疲労で倒れる寸前だった兵士たちを「泥人形」と罵ったバナナン大将の突然の変化にとまどいを覚えざるをえないが、とまどうのはそれだけではない。「国家と将軍」に死んでわびようとしている兵士たちと、じぶんたち二人の死をもって償いをしようとする特務曹長と曹長に対して、
 「お前たちの誠心に比べてはおれの勲章などは実になんでもないんじゃ。」というバナナン大将の言葉は軍と国家の規範を完全に否定するものである。さらにバナナン大将は
 「おお神はほめられよ。実におん眼からみそなわすならば、勲章やエポレットなどは瓦礫にも等しいじゃ。」
と「神」という概念を至高のものとする価値観を堂々と開陳する。この論理あるいは倫理が県立学校の開校式で上演される演劇で語られるのも異様というべきである。

 兵士たちの祈りのことばにある「つみ」と「きよめ」「ゆるし」にも微妙な違和感を覚える。「きよめ」は「けがれ」と対で使われることが多いが、「つみ」を「きよめ」るのはキリスト教の概念であり、「ゆるし」もまたそうである。

 だから、バナナン大将が「神のみ力を受けて」発明した「生産体操」という果樹製枝法を兵士たちに体現させて、最後の「棚仕立て」でつくった棚の下で「琥珀の実」と「新鮮なエステルにみちた甘いつめたい汁でいっぱい」の果物を収穫する行為は、イエスが五つのパンと二つの小魚で五千人の群衆を満腹にさせたという奇跡と同じ文脈で考えなければならないだろう。

 最後の合唱は
 「・・・・・・・・・・・・
  あわれ二人の つわものは 
  責めに死なんと したりしに
  このとき雲のかなたより
  神ははるかにみそなわし
  くだしたまえる みめぐみは
  新式生産体操ぞ。
  ・・・・・・・・・・・・・
  ひかりのごとく くだりこし
  天の果実を いかにせん
  みさかえはあれ かがやきの
  あめとしめりの くろつちに
  みさかえはあれ かがやきの
  あめとしめりの くろつちに」
と結ばれるが、これも讃美歌98番
 「あめにはさかえみ神にあれや。つちにはやすき人にあれやと」にみるように「あめ」「みさかえ」「つち」と多くの讃美歌と共通の語がつかわれている。先の兵士の祈りの中にある「みめぐみ」もまた讃美歌539番
 「あめつちこぞりて かしこみたたえよ
  みめぐみあふるる 父みこみたまを。」
とキリスト教に特徴的ないいまわしである。

蛇足だが、特務曹長以下兵士が「十二人」というのも象徴的である。実は、特務曹長がバナナン大将に「かの巨大なるバナナン軍団のただ十六人の生存者・・・」というくだりがあるが、兵士十二人とバナナン大将を合わせた人数はどう計算しても十三人で数字があわないのだ。舞台に登場しない三人はどこにいるのだろう。兵士の数を十二人としたのに意味があるのはわかるが、なぜ敢えて、生存者と不一致の人数にしたのかが謎である。

 賢治のここまでのキリスト教への接近は何を意味するのだろう。

 結局何も解決できないで時間ばかり経ってしまいました。時代と賢治を理解する原点に戻ってきたという感じです。暑さと農作業にかまけて、なかなか先にすすめませんが、なんとか時間をつくって読みつづけたいと思っています。未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。