『東京物語』を見ていて、どうしても気になることのひとつに、尾道_東京間の所要時間はいくらなのか、という極めて初歩的で単純な疑問がある。
冒頭周吉ととみが旅行鞄に荷物を詰めている。次女の京子が小学校に出勤する前に弁当とお茶を用意して二人に渡している。ところが、二人はすぐ出発するのではなく、「昼からの汽車で」東京に行くのだと言う。弁当とお茶はどこで、いつ食べるのだろう。暑い盛りに腐ってしまわないだろうか。まず、ここでかすかな疑問が生まれる。
周吉は京子に、学校が忙しければホームにこなくていい、と言うが京子は「五時間目は体育だから」大丈夫だと言う。ということは、周吉ととみが乗る汽車は、午後一時から二時の間に尾道を出発することになる。大阪には(午後)六時に着くから敬三がホームに来ているだろう、とも周吉が言っている。ところが、二人が東京に到着する時刻は明らかにされないのである。
尾道の家で隣家の主婦と会話した後、すぐ六本の煙突が煙を吐くシーン、続いて「ほりきり」と書いた看板が立つ小さな駅のホームのシーンになる。周吉ととみの車中の様子は映像化されないのである。「内科小児科平山医院 スグ此ノ土手ノ下」と書かれた看板が映り、その後中年の女性が箒で室内を掃いているシーンになる。この家の主婦の平山文子である。「ただいま」と男の子が学校から帰ってくる。文子の長男実である。その後、文子の夫で周吉ととみの長男平山幸一が、二人を連れて家に入ってくる。幸一の妹(周吉ととみの長女)志げも一緒である。これは何時頃の出来事なのだろうか。
「今、テストなんだぞ」と言う実(中学生)が帰宅するのはどんなに早くてもお昼すぎ、あるいはお昼間際だろう。とすると、東京駅には何時に着いたのだろうか。
周吉ととみが尾道に帰るときの所要時間は確定されている。夜「九時三〇分」発の急行で翌日「午後一時半」には尾道に着くのだから、ととみが言っている。つまり東京→尾道間は十六時間である。
東京→尾道間も尾道→東京間もほぼ同じ所要時間とすれば、「お昼すぎに尾道を出発」すれば翌朝五時過ぎ遅くとも六時には東京駅に着くはずである。その時刻に着けば、「だいぶん、自動車で遠いかった」ととみは言うが、幸一の自宅兼医院がある「ほりきり」駅近くまで車で走っても、お昼近くまでかかることはないだろう。ということは東京駅には十時過ぎに到着したことになり、尾道→東京は東京→尾道に比べ、はるかに時間がかかるということになる。そういうことがあるだろうか。
ところで、「ほりきり」と看板がかかった駅は実は東武伊勢崎線の「堀切」駅ではないそうである。何となく不吉な感じのする音響とともに、六本の煙突(千住発電所のお化け煙突と呼ばれていたものらしい)が立っているシーンの後、「ほりきり」と書かれた看板が立つホームが遠景で映される。続いて、モンペ姿の若い娘が二人汗を拭きながら談笑しているシーンになる。かたわらに大きな籠が置かれているので、行商をしているのだろう。二人が立っている前に「うしだ」「〇ねがふち」と両隣の駅名が書かれた看板が立っている。いかにも「堀切」駅のホームのようである。
だが、これは京成押上線の「八広」と言う駅で撮影されたものだそうだ。実際の堀切駅は、線路が道路より下にあるので、この映像のようにトラックが線路と同じ高さで走ることはあり得ない。また、この映像では踏切がホームの手前に映っているが、堀切駅の近くには踏み切りはない。「うしだ」「〇ねがふち」と両隣の駅名を書いた看板は、よく見ると電車の進行方向と直角に立っている。これでは電車の中から駅名が見づらい。つまりこの看板はニセモノなのである。
なぜ、小津は八広駅を「ほりきり」駅にしたかったのか。「ほりきり」にこだわる理由があるのだろうか。たんに平山医院の場所を荒川の土手の下にしたかったのなら、「ほりきり」駅のホームを映さなくてもよかったのに、と思う。
事実に見えるように映像化して、その中に嘘を混ぜる。何となく違和感はあるものの、さらっと見逃してしまいそうな嘘である。なぜ、こんな手のこんだことをするのか。
大江健三郎が『憂い顔の童子』の中で、母親の言葉としていっているように「本当のことをいうのは、ウソに力をあたえるため」なら、逆に「嘘を言うのは、本当のことに力をあたえるため」という論理は成り立つだろうか。
『東京物語』の「本当のこと」は何だろう。『東京物語』の嘘は、注意深く検証すれば嘘であることが証明されるが、「本当のこと」は容易に姿を現してくれないような気がする。一見分かりやすい人情劇_酷薄な娘と役立たずの息子を演じる杉村春子と山村總は名演技だと思う_の向こうにある本当の「物語」は何か。私たちはもう一度「東京」の「物語」あるいは「物語」の「東京」について考えなければならない。
非常に即物的でありながら極めて抽象的な論を展開してしまいました。「東京物語」の「本当のこと」について書くにはもう少し時間がかりそうです。書けるかどうかわかりませんが、何とか言葉にしたいと思っています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
2018年8月2日木曜日
2018年7月25日水曜日
小津安二郎『東京物語』__「主は冷たい土の中に」__紀子に渡された時間
生と死、家族のあり方を描いた傑作として評価が定まっている作品である。尾道から老夫婦(妻が六八歳、夫はそれよりいくらか年上か)が上京する。長男と長女の家に滞在するが、それぞれの生活の都合があって、結局義理の娘(亡くなった次男の嫁)の世話になる。帰りの列車の中で具合が悪くなった妻は尾道に帰ると急死してしまう。「ハハキトク」の電報で子供たちが尾道に集まるが、葬式が終わるとその日のうちに帰っていく。最後に残った次男の嫁も、尾道の小学校で教師をしている次女と東京での再会を約束して帰京する。
プロットの展開といい、登場人物の性格描写と言い、リアリティに満ちていて、これもまた不自然なところなどどこにもないように見える。何となく次男の嫁_紀子の献身ぶりが浮き立ってしまうようなところがあるのだけれど、その素晴らしい日本語、というか東京山の手の上流階級風のことばと物腰、表情に納得してしまう。
しかし、それでもやはり、この映画はおかしいのである。今日、映画はDVDその他で繰り返し見ることができる。時には、映像を中断して、停止画像を検証することもできる。そのような操作をして「おかしさ」を発見することは、観客として邪道かもしれないが、小津もまた確信犯的アンフェアだといわざるを得ない。
熱海の宿で眠れぬ夜を過ごして、東京に帰った周吉ととみの夫婦は、泊まろうと思っていた長女の家を追い出されてしまう。とみは紀子のアパートに泊めてもらう。時計の鐘が十二時を告げている。アパートの部屋で、紀子に肩を揉んでもらうとみ。とみの表情はほんとうに柔和で幸せそうだが、紀子のそれはニュートラルである。とみに向かい合う時は十分に笑みをたたえているが、そうでないときは、はっとするほど冷酷な表情をする。それがまた、慄然とする美しさなのである。
まだ若いのだから、と再婚をすすめるとみに「もう、若かありませんわ」と自嘲気味に答える紀子。その目はなまめかしい、というか妖しいというか、複雑な色を帯びていて、夫を亡くした後の紀子の生活が葛藤に満ちたものであったことをうかがわせるようだ。「それじゃぁ、いいとこがありましたら」と受け流す紀子に、さらに「苦労をかけた・・」と言いつのるとみ。行く末を案じるとみに紀子は「あたし齢取らないことに決めてますから」と冗談とも本気ともわからないことをいう。「ええ人じゃのう、あんた」と、とみは俯いて涙ぐむのだが、紀子はどこか突き放した口調で「じゃ、おやすみなさい」と切り上げ、電灯を消す。とみの背中を見る紀子の視線は獲物をうかがう動物のような冷酷さである。
カメラはさらに、仰向けになった紀子の横顔を映す。目を見開いて、上を見上げる紀子は何事か考えている様子である。二度瞬きをして、かすかに喉もとを動かし、何か飲み込むようである。とみと紀子の間にはひそかに張り巡らされた緊張の糸が存在するのだ。薊を意匠した紀子の浴衣も無気味である。棘だった葉の模様が蝙蝠のように見える。
とみの危篤を兄嫁から職場の電話で知らされた紀子の表情もまた、ぞっとするものがある。受話器を置いて自分の机まで歩いていく紀子。タイプライターの音が続く。俯いているが、その表情は険しい。覚悟を決めたような気配も感じられる。机に向かって鉛筆を回転させながら、何事か考えているようだが、不貞腐れたようにも見える顔つきである。これが、あのアパートで慄然とするまでの美しさを見せた紀子と同一人物かと思うほど不細工に映っている。
そして、この直後、この映画で最も不思議な映像が挿入される。電動ドリルで穴を開ける音とともに、画面いっぱいに組まれた鉄骨が映し出される。鉄骨の向こうにビルの壁が見える。回天窓の大きさと形から、オフィス街のビルだと思われる。画面が切り替わって、鉄骨の組まれた上に空が広がる。自動車のクラクションの音も聞こえる。
この画面が、とみの死、そして紀子の運命と何の関係があるのか。
ラスト近く、出勤する京子を東京での再会を約束した紀子が見送る。この間二、三分のシーンだが、京子と紀子が会話する座敷の外側に鶏頭の花がぼんやりと映っている。鶏頭の花は座敷の両側に植えられている。周吉ととみの出発時にはなかった鶏頭の花が、とみの葬儀のあたりから頻繁に映されるが、無気味である。そういえば、冒頭、出勤前の京子と周吉夫婦のやり取りのシーンで、座敷の向こうに蛸の干したものがぶら下がっている。これもまた気持ちのよいものではない。人間の頭蓋骨のように見える。
画面の不思議といえば、周吉ととみが紀子のアパートで食事をする場面がある。隣の部屋の若い主婦から酒を借りてきた紀子が周吉に酒をすすめ、出前の丼を取る。配達された丼にとみが箸をつけた途端、背後のガラスがひび割れているのである。周吉が盃を干したときには気が付かなかったが、とみがものを食べた瞬間にひび割れて、テープのようなもので補修されたガラスになるのだ。そもそもこの映画にはひび割れたガラスがあちこち出現する。長男の開業する医院の薬棚のガラスもひびだらけである。
ラストはやはり紀子と周吉の対決になる。出勤する京子が玄関を出ると、紀子は踵を返して手早く部屋を片付け、周吉に「わたくし、今日お昼からの汽車で」と、帰京する旨を告げる。周吉に対しては、紀子は「わたくし」という自称で話すのだ。紀子の行為に謝意を述べる周吉に、紀子は「何にもおかまいできませんで」と返し、「ありがとう」と周吉があらためて礼を言うと「いいえ・・・」とバツが悪そうに俯く。
亡くなる前に紀子のアパートでとみが言ったのと同じことばを周吉も繰り返す。良縁があったら再婚してほしい、亡くなった息子のことは忘れてもらって構わない、と。さらに、周吉は、とみが紀子のことをこんなに、良い人はいないと褒めていたことを伝える。すると紀子は「お義母さま、わたくしのことを買いかぶっていらしたんですわ」と答え、「わたくし、ずるいんです。お義父様やお義母様が思ってらっしゃるほど、そういつもいつも省二さんのことばかり考えているわけじゃありません」と言う。
「ええんじゃよ、忘れてくれて」と周吉が言うと、紀子は「でも、この頃思い出さない日さえあるんです。忘れてる日が多いんです」と答え、堰を切ったように言葉を重ねるのだ。この場面、カメラは、なぜか周吉の後ろ姿の向こうに紀子をとらえる。行く末の不安と未来に起こるかもしれない出来事への期待を必死に訴える紀子の表情は、無言の周吉の背中越しに見えるのだ。
「心の片隅で何かを待ってるんです。ずるいんです」と言う紀子に、周吉は「ずるうはない」と答える。「いいえ、ずるいんです。そういうことお義母様には申し上げられなかったんです」と紀子が返して、ここからカメラはまた紀子を近くでとらえる。周吉が「やっぱりあんたはええ人じゃよ。正直で」がと言うと紀子は「とんでもない」と顔をそむけて泣く。
涙をこらえている風情の紀子に、周吉はとみの形見の懐中時計を差し出す。このシーンにも鶏頭の花が映っている。ちょうど紀子の齢くらいからとみが持っていたという時計を紀子に、と言う周吉の言葉に紀子は涙をたたえた目で「すみません」とうつむく。そして、紀子の幸せを祈る、と周吉が続けると、紀子は手で顔を覆って泣き崩れる。
この後「主は冷たい土の中に」の曲が流れる。小学生の合唱のようである。小学校の校舎、バケツをもった子供たちが歩いている廊下、京子が算数を教えている教室が映される。教室の窓から外を見る京子。紀子の乗る汽車が轟音とともに疾走して行くシーンが危険なほどの近さで映される。
汽車の中で、懐中時計を見る取り出して、蓋を開け確かめる紀子。髪型を変え、ブラウスも変えて、周吉と対話していたときとは別人のようである。ニュートラルな表情だが、最後に何事か決意したような気配になる。汽笛が鳴る。
以上、「紀子物語」をざっとトレースしてみたが、これが『東京物語』の中でどのような役割を果たすのか、いまの私には解が見つけられないのである。紀子の行動については、まだあといくつか触れたい箇所もあるのだが、長くなるのでまた次の機会にしたい。もっとも根本的なのは、「堀切」という駅名が明示された荒川の土手下を中心とする場所が、なぜ「東京物語」の舞台に選ばれたのか、という疑問である。それは『東京物語』の構造にかかわる核心の問題なのだろうが。
ラストちかくの紀子と周吉の対決について、もう少し二人の心理の襞に立ち入って書かなければならないのですが、これ以上冗長な文章を続けるのも憚られるので、これもまた次の機会にしたいと思います。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
プロットの展開といい、登場人物の性格描写と言い、リアリティに満ちていて、これもまた不自然なところなどどこにもないように見える。何となく次男の嫁_紀子の献身ぶりが浮き立ってしまうようなところがあるのだけれど、その素晴らしい日本語、というか東京山の手の上流階級風のことばと物腰、表情に納得してしまう。
しかし、それでもやはり、この映画はおかしいのである。今日、映画はDVDその他で繰り返し見ることができる。時には、映像を中断して、停止画像を検証することもできる。そのような操作をして「おかしさ」を発見することは、観客として邪道かもしれないが、小津もまた確信犯的アンフェアだといわざるを得ない。
熱海の宿で眠れぬ夜を過ごして、東京に帰った周吉ととみの夫婦は、泊まろうと思っていた長女の家を追い出されてしまう。とみは紀子のアパートに泊めてもらう。時計の鐘が十二時を告げている。アパートの部屋で、紀子に肩を揉んでもらうとみ。とみの表情はほんとうに柔和で幸せそうだが、紀子のそれはニュートラルである。とみに向かい合う時は十分に笑みをたたえているが、そうでないときは、はっとするほど冷酷な表情をする。それがまた、慄然とする美しさなのである。
まだ若いのだから、と再婚をすすめるとみに「もう、若かありませんわ」と自嘲気味に答える紀子。その目はなまめかしい、というか妖しいというか、複雑な色を帯びていて、夫を亡くした後の紀子の生活が葛藤に満ちたものであったことをうかがわせるようだ。「それじゃぁ、いいとこがありましたら」と受け流す紀子に、さらに「苦労をかけた・・」と言いつのるとみ。行く末を案じるとみに紀子は「あたし齢取らないことに決めてますから」と冗談とも本気ともわからないことをいう。「ええ人じゃのう、あんた」と、とみは俯いて涙ぐむのだが、紀子はどこか突き放した口調で「じゃ、おやすみなさい」と切り上げ、電灯を消す。とみの背中を見る紀子の視線は獲物をうかがう動物のような冷酷さである。
カメラはさらに、仰向けになった紀子の横顔を映す。目を見開いて、上を見上げる紀子は何事か考えている様子である。二度瞬きをして、かすかに喉もとを動かし、何か飲み込むようである。とみと紀子の間にはひそかに張り巡らされた緊張の糸が存在するのだ。薊を意匠した紀子の浴衣も無気味である。棘だった葉の模様が蝙蝠のように見える。
とみの危篤を兄嫁から職場の電話で知らされた紀子の表情もまた、ぞっとするものがある。受話器を置いて自分の机まで歩いていく紀子。タイプライターの音が続く。俯いているが、その表情は険しい。覚悟を決めたような気配も感じられる。机に向かって鉛筆を回転させながら、何事か考えているようだが、不貞腐れたようにも見える顔つきである。これが、あのアパートで慄然とするまでの美しさを見せた紀子と同一人物かと思うほど不細工に映っている。
そして、この直後、この映画で最も不思議な映像が挿入される。電動ドリルで穴を開ける音とともに、画面いっぱいに組まれた鉄骨が映し出される。鉄骨の向こうにビルの壁が見える。回天窓の大きさと形から、オフィス街のビルだと思われる。画面が切り替わって、鉄骨の組まれた上に空が広がる。自動車のクラクションの音も聞こえる。
この画面が、とみの死、そして紀子の運命と何の関係があるのか。
ラスト近く、出勤する京子を東京での再会を約束した紀子が見送る。この間二、三分のシーンだが、京子と紀子が会話する座敷の外側に鶏頭の花がぼんやりと映っている。鶏頭の花は座敷の両側に植えられている。周吉ととみの出発時にはなかった鶏頭の花が、とみの葬儀のあたりから頻繁に映されるが、無気味である。そういえば、冒頭、出勤前の京子と周吉夫婦のやり取りのシーンで、座敷の向こうに蛸の干したものがぶら下がっている。これもまた気持ちのよいものではない。人間の頭蓋骨のように見える。
画面の不思議といえば、周吉ととみが紀子のアパートで食事をする場面がある。隣の部屋の若い主婦から酒を借りてきた紀子が周吉に酒をすすめ、出前の丼を取る。配達された丼にとみが箸をつけた途端、背後のガラスがひび割れているのである。周吉が盃を干したときには気が付かなかったが、とみがものを食べた瞬間にひび割れて、テープのようなもので補修されたガラスになるのだ。そもそもこの映画にはひび割れたガラスがあちこち出現する。長男の開業する医院の薬棚のガラスもひびだらけである。
ラストはやはり紀子と周吉の対決になる。出勤する京子が玄関を出ると、紀子は踵を返して手早く部屋を片付け、周吉に「わたくし、今日お昼からの汽車で」と、帰京する旨を告げる。周吉に対しては、紀子は「わたくし」という自称で話すのだ。紀子の行為に謝意を述べる周吉に、紀子は「何にもおかまいできませんで」と返し、「ありがとう」と周吉があらためて礼を言うと「いいえ・・・」とバツが悪そうに俯く。
亡くなる前に紀子のアパートでとみが言ったのと同じことばを周吉も繰り返す。良縁があったら再婚してほしい、亡くなった息子のことは忘れてもらって構わない、と。さらに、周吉は、とみが紀子のことをこんなに、良い人はいないと褒めていたことを伝える。すると紀子は「お義母さま、わたくしのことを買いかぶっていらしたんですわ」と答え、「わたくし、ずるいんです。お義父様やお義母様が思ってらっしゃるほど、そういつもいつも省二さんのことばかり考えているわけじゃありません」と言う。
「ええんじゃよ、忘れてくれて」と周吉が言うと、紀子は「でも、この頃思い出さない日さえあるんです。忘れてる日が多いんです」と答え、堰を切ったように言葉を重ねるのだ。この場面、カメラは、なぜか周吉の後ろ姿の向こうに紀子をとらえる。行く末の不安と未来に起こるかもしれない出来事への期待を必死に訴える紀子の表情は、無言の周吉の背中越しに見えるのだ。
「心の片隅で何かを待ってるんです。ずるいんです」と言う紀子に、周吉は「ずるうはない」と答える。「いいえ、ずるいんです。そういうことお義母様には申し上げられなかったんです」と紀子が返して、ここからカメラはまた紀子を近くでとらえる。周吉が「やっぱりあんたはええ人じゃよ。正直で」がと言うと紀子は「とんでもない」と顔をそむけて泣く。
涙をこらえている風情の紀子に、周吉はとみの形見の懐中時計を差し出す。このシーンにも鶏頭の花が映っている。ちょうど紀子の齢くらいからとみが持っていたという時計を紀子に、と言う周吉の言葉に紀子は涙をたたえた目で「すみません」とうつむく。そして、紀子の幸せを祈る、と周吉が続けると、紀子は手で顔を覆って泣き崩れる。
この後「主は冷たい土の中に」の曲が流れる。小学生の合唱のようである。小学校の校舎、バケツをもった子供たちが歩いている廊下、京子が算数を教えている教室が映される。教室の窓から外を見る京子。紀子の乗る汽車が轟音とともに疾走して行くシーンが危険なほどの近さで映される。
汽車の中で、懐中時計を見る取り出して、蓋を開け確かめる紀子。髪型を変え、ブラウスも変えて、周吉と対話していたときとは別人のようである。ニュートラルな表情だが、最後に何事か決意したような気配になる。汽笛が鳴る。
以上、「紀子物語」をざっとトレースしてみたが、これが『東京物語』の中でどのような役割を果たすのか、いまの私には解が見つけられないのである。紀子の行動については、まだあといくつか触れたい箇所もあるのだが、長くなるのでまた次の機会にしたい。もっとも根本的なのは、「堀切」という駅名が明示された荒川の土手下を中心とする場所が、なぜ「東京物語」の舞台に選ばれたのか、という疑問である。それは『東京物語』の構造にかかわる核心の問題なのだろうが。
ラストちかくの紀子と周吉の対決について、もう少し二人の心理の襞に立ち入って書かなければならないのですが、これ以上冗長な文章を続けるのも憚られるので、これもまた次の機会にしたいと思います。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
2018年7月9日月曜日
小津安二郎『晩春』の謎__Z、コカコーラ、三つの林檎
前回「紀子と周吉の永劫回帰」の最後に、「Z」はなかった、と書いたが、実は最後に「Z」が登場するのである。紀子と周吉の婚前旅行の旅館で二人が帰り支度をしている。紀子がストッキングをぐるりと束ねて仕舞っている。周吉は旅先に持参した本を鞄に入れている。最後に周吉が手に取ったのが「Also Sprach Zarathustra_ツァラトゥストラはかく語りき 」である。ここに大文字の「Z」がの登場する。
周吉が「Also Sprach Zaratuustra」をいったん手に取って確かめるような動作をしながら、「(これからは)佐竹君に可愛がって貰うんだよ」と言う。すると、しばらく無言のままだった紀子は「あたし、このままお父さんと一緒にいたいの。どこにも行きたくないの」と本心を吐露し始める。お嫁に行ったってこれ以上楽しいことがあるとは思えない。お父さんが好きなの。お父さん、奥さんお貰いになったっていいのよ。このままそばにいさせて。お願い。・・・と紀子は周吉のそばににじり寄っていく気配を見せる。これはもう、父を慕う娘の情、という範疇のものではない。
これに対して、周吉は、「人間の歴史の順序」などという言葉を用いて紀子を説得しようとする。大演説を打つのである。理路整然と結婚と幸せについて語るのだが、どうも紀子の気持ちに届いているようには思えない。それでも、紀子は涙をこらえながら、「わがまま言ってすみません」とあやまる。一応は諦めたように見えるのだが。
さて、「Z」とは何か。たんに「終止符」の記号だろうか。それともZarathustraの頭文字の意を含むのだろうか。あるいは、Z計画、Z旗・・・これは関係ないか。
紀子と周吉の婚前旅行では、浴衣姿の二人が枕を並べて横たわるシーンの壺のショットが有名である。この壺の意味については様々な解釈がなされているようだが、私が知りたいのは、壺に描かれている模様である。なんだかよく分からないのだが、あまり気持ちのいいものではない。何となく『お茶漬けの味』の小暮美千代が着ている浴衣の模様に似ているような気がする。
浴衣の模様といえば、このシーンの紀子の浴衣の模様はアヤメであって、明らかに蛇のメタファーであることはいうまでもない。こんな説明はまさに「蛇足」だが。
『晩春』は紀子と周吉の物語であると同時に紀子と服部の物語でもある。周吉(曾宮家と)服部の物語、といってもいいかもしれない。冒頭「Z」をめぐって周吉と服部が会話するのだが、もう一つ「リンシャンカイホウ」なる麻雀用語が二人の会話の中に出てくる。「嶺上開花」と書くらしいが、麻雀に疎い私には何の事かよくわからない。要するに「この前の麻雀は僕が(周吉ではなくて)トップだった」と服部は言っているのである。?
映画の前半に、紀子と服部が自転車で由比ガ浜の海沿いの道路を行く場面がある。二台の自転車を並走させて二人は楽しそうにサイクリングをしている。二台の自転車と乗っている二人を、カメラは後ろから、前から、斜め後方から追っていく。二人の上半身もアップで映される。ちょっと不思議なのは、道路標識が英語で書かれていることである。矢印の標識の上に大きなコカコーラの瓶が描かれた看板を通り過ぎ、砂浜に自転車をとめて、二人は海の近くに歩いていく。コカコーラが昭和二十四年の日本に存在していたことも驚きだが、道路標識も英語で書かれていることも意外だった。これは鎌倉だけのことだったのだろうか。
海の見える場所で寄り添うように二人は腰を下ろす。二人の会話は紀子が唐突に「じゃ、あたしはどっちだとお思いになる?」と服部に聞くところから始まる。「あなたは焼きもちなんか焼く人じゃないでしょう」と服部は答えるのだが、紀子は「ところがあたし、焼きもち焼きなの。あたしがお沢庵切るとつながっているんですもの」と言う。まるで禅問答のようだが、つながったお沢庵というモチーフはもう一度、二人が「BALBOA」という喫茶店で会う場面でも繰り返される。
つながったお沢庵は蛇腹を連想させ、まさに蛇なのだが、ここでは、語り合う二人の姿が、どう見ても恋人同士であることに注目したい。紀子と服部の関係は真正の大人の関係ではないだろうか。サイクリングから帰ってきて、上機嫌で「花」をハミングしている紀子の白いソックスの足の裏が汚れているのも、どうしても気になるのだが。紀子はどこをソックスで歩いたのだろう。
余談だが、「服部」という苗字を調べていくといろいろ面白いことがわかる。服部家の跡継ぎは代々「半蔵」を名乗る習わしがあって、皇居の「半蔵門」も「服部半蔵」に由来するのだとか。これもまた蛇足だけれど。
紀子の結婚式当日の曾宮家にも服部がいる。まるで紀子の親族のような顔をして礼服を着て周吉と並んで椅子に座っている。「佐竹熊太郎」という紀子の花婿の姿は最後まで画面に現れることはない。二階の自分の部屋で花嫁衣裳に身を包み、涙をこらえて周吉に挨拶する紀子と、紀子の手を取って介添えしながら部屋を出て行く周吉の後ろ姿が映される。紀子が登場する画面はこれが最後である。
この後は、式を終えた周吉とアヤが割烹「多喜川」で盃を傾けるシーンがあって、ここでも少しおかしいことがある。周吉がアヤを「のりちゃん」とか「スーちゃん」とか呼んでいて、アヤも何も言わずにそれに受け答えしているのだ。? 最後には「きっと(家に)来ておくれよ、アヤちゃん」と言うのだけれど。
ラスト近く、手伝いの女も帰って、家の中に唯一人になった周吉が礼服の上着だけ脱いだ姿で、椅子に座る。テーブルの上に林檎が三つ置かれている。周吉がそのうちの一つを取り上げ、ナイフで皮を剥き始める。くるくるくるくるナイフが回って林檎の皮が剥けていく。ほとんど剥き終わったところで、ナイフが手から落ちて、がっくりとうな垂れる周吉。
この後映像は波立つ海面に切り替わって終わるのだが、三つの林檎と海はどんな関係があるのか。なぜ林檎は三つなのか。誰が置いたのか。何のために。
『晩春』はこの上なくシンプルなストーリーなのに、いつまでも、どうしても解けない謎に満ちています。ぴんとはりつめた緊張感の漂う画面は一つの手抜きも許されないジグソーパズルで組み合わされているかのようです。分解して、組み合わせて、また分解して・・・終わりのない作業の繰り返しなので、ひとまずこれで切り上げようと思います。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
周吉が「Also Sprach Zaratuustra」をいったん手に取って確かめるような動作をしながら、「(これからは)佐竹君に可愛がって貰うんだよ」と言う。すると、しばらく無言のままだった紀子は「あたし、このままお父さんと一緒にいたいの。どこにも行きたくないの」と本心を吐露し始める。お嫁に行ったってこれ以上楽しいことがあるとは思えない。お父さんが好きなの。お父さん、奥さんお貰いになったっていいのよ。このままそばにいさせて。お願い。・・・と紀子は周吉のそばににじり寄っていく気配を見せる。これはもう、父を慕う娘の情、という範疇のものではない。
これに対して、周吉は、「人間の歴史の順序」などという言葉を用いて紀子を説得しようとする。大演説を打つのである。理路整然と結婚と幸せについて語るのだが、どうも紀子の気持ちに届いているようには思えない。それでも、紀子は涙をこらえながら、「わがまま言ってすみません」とあやまる。一応は諦めたように見えるのだが。
さて、「Z」とは何か。たんに「終止符」の記号だろうか。それともZarathustraの頭文字の意を含むのだろうか。あるいは、Z計画、Z旗・・・これは関係ないか。
紀子と周吉の婚前旅行では、浴衣姿の二人が枕を並べて横たわるシーンの壺のショットが有名である。この壺の意味については様々な解釈がなされているようだが、私が知りたいのは、壺に描かれている模様である。なんだかよく分からないのだが、あまり気持ちのいいものではない。何となく『お茶漬けの味』の小暮美千代が着ている浴衣の模様に似ているような気がする。
浴衣の模様といえば、このシーンの紀子の浴衣の模様はアヤメであって、明らかに蛇のメタファーであることはいうまでもない。こんな説明はまさに「蛇足」だが。
『晩春』は紀子と周吉の物語であると同時に紀子と服部の物語でもある。周吉(曾宮家と)服部の物語、といってもいいかもしれない。冒頭「Z」をめぐって周吉と服部が会話するのだが、もう一つ「リンシャンカイホウ」なる麻雀用語が二人の会話の中に出てくる。「嶺上開花」と書くらしいが、麻雀に疎い私には何の事かよくわからない。要するに「この前の麻雀は僕が(周吉ではなくて)トップだった」と服部は言っているのである。?
映画の前半に、紀子と服部が自転車で由比ガ浜の海沿いの道路を行く場面がある。二台の自転車を並走させて二人は楽しそうにサイクリングをしている。二台の自転車と乗っている二人を、カメラは後ろから、前から、斜め後方から追っていく。二人の上半身もアップで映される。ちょっと不思議なのは、道路標識が英語で書かれていることである。矢印の標識の上に大きなコカコーラの瓶が描かれた看板を通り過ぎ、砂浜に自転車をとめて、二人は海の近くに歩いていく。コカコーラが昭和二十四年の日本に存在していたことも驚きだが、道路標識も英語で書かれていることも意外だった。これは鎌倉だけのことだったのだろうか。
海の見える場所で寄り添うように二人は腰を下ろす。二人の会話は紀子が唐突に「じゃ、あたしはどっちだとお思いになる?」と服部に聞くところから始まる。「あなたは焼きもちなんか焼く人じゃないでしょう」と服部は答えるのだが、紀子は「ところがあたし、焼きもち焼きなの。あたしがお沢庵切るとつながっているんですもの」と言う。まるで禅問答のようだが、つながったお沢庵というモチーフはもう一度、二人が「BALBOA」という喫茶店で会う場面でも繰り返される。
つながったお沢庵は蛇腹を連想させ、まさに蛇なのだが、ここでは、語り合う二人の姿が、どう見ても恋人同士であることに注目したい。紀子と服部の関係は真正の大人の関係ではないだろうか。サイクリングから帰ってきて、上機嫌で「花」をハミングしている紀子の白いソックスの足の裏が汚れているのも、どうしても気になるのだが。紀子はどこをソックスで歩いたのだろう。
余談だが、「服部」という苗字を調べていくといろいろ面白いことがわかる。服部家の跡継ぎは代々「半蔵」を名乗る習わしがあって、皇居の「半蔵門」も「服部半蔵」に由来するのだとか。これもまた蛇足だけれど。
紀子の結婚式当日の曾宮家にも服部がいる。まるで紀子の親族のような顔をして礼服を着て周吉と並んで椅子に座っている。「佐竹熊太郎」という紀子の花婿の姿は最後まで画面に現れることはない。二階の自分の部屋で花嫁衣裳に身を包み、涙をこらえて周吉に挨拶する紀子と、紀子の手を取って介添えしながら部屋を出て行く周吉の後ろ姿が映される。紀子が登場する画面はこれが最後である。
この後は、式を終えた周吉とアヤが割烹「多喜川」で盃を傾けるシーンがあって、ここでも少しおかしいことがある。周吉がアヤを「のりちゃん」とか「スーちゃん」とか呼んでいて、アヤも何も言わずにそれに受け答えしているのだ。? 最後には「きっと(家に)来ておくれよ、アヤちゃん」と言うのだけれど。
ラスト近く、手伝いの女も帰って、家の中に唯一人になった周吉が礼服の上着だけ脱いだ姿で、椅子に座る。テーブルの上に林檎が三つ置かれている。周吉がそのうちの一つを取り上げ、ナイフで皮を剥き始める。くるくるくるくるナイフが回って林檎の皮が剥けていく。ほとんど剥き終わったところで、ナイフが手から落ちて、がっくりとうな垂れる周吉。
この後映像は波立つ海面に切り替わって終わるのだが、三つの林檎と海はどんな関係があるのか。なぜ林檎は三つなのか。誰が置いたのか。何のために。
『晩春』はこの上なくシンプルなストーリーなのに、いつまでも、どうしても解けない謎に満ちています。ぴんとはりつめた緊張感の漂う画面は一つの手抜きも許されないジグソーパズルで組み合わされているかのようです。分解して、組み合わせて、また分解して・・・終わりのない作業の繰り返しなので、ひとまずこれで切り上げようと思います。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
2018年6月26日火曜日
小津安二郎『晩春』の謎__紀子と周吉の永劫回帰あるいは安珍清姫を巡る幻想__蛇というモチーフ
『晩春』は原節子が演じる「紀子三部作」の第一作である。あまりにも有名な作品なので、改めてストーリーを紹介する必要もないだろう。父と二人暮らしで婚期を逸しかけている娘がようやく結婚する物語である。娘を思う父は、自分が再婚すると偽って、娘を結婚に追いやる。言ってみればそれだけの話で、シンプルなことこの上ない。父を慕う娘と娘を思う父との繊細微妙な心理の動きがきめ細やかに映像化されている。プロットの展開といい、映像の流れといい、どこにも不自然なところはないように見える。
なので、これから書くことは、すべて私の独断と偏見に満ちた妄想かもしれない。
この映画のテーマは「永劫回帰」であり、隠されたモチーフは「蛇」である。
一分の隙もなく組み立てられた完璧な作品に対して、その一部を切り取って分析するのはどう見ても下品な行為のように思われるので、具体的な場面を取り上げるのは最小限にしたい。上記の「永劫回帰」と「蛇」の暗示は、まず、映画の導入部に登場する。
「北鎌倉」の駅を映した映像は、一転、寺の境内でお茶会が行われているシーンになる。着物姿の紀子が登場する。席に座った紀子に叔母のまさが話しかける。夫の縞のズボンを切り取って息子の半ズボンにしてほしい、と頼むのである。風呂敷に包んだものをその場で紀子に渡す。この後、周吉がまさの家で紀子の結婚について話すシーンがあるが、部屋の中に縞のシャツがハンガーに掛かっている。まさの夫は一度も画面に登場することはないが、縞模様が好みらしい。
お茶会の席に「三輪夫人」が登場するのも蛇を意識させる。まさと挨拶を交わす中年の女性の名前は後に明かされるのだが。ついでに言えば、この時紀子が着ている着物は鉄扇の模様である。あまり見かけない模様で花びらだけ描いているが、鉄扇はつる性の植物である。T.Sエリオットの「バーント・ノートン」という詩の中にも「身を屈め、からみつく」両義的な存在として登場する。
この他にも蛇を暗示する映像は枚挙にいとまがない。洗濯物干しに紀子のストッキングが吊るされている。「多喜川」という割烹に周吉が忘れた手袋を紀子が家に持って帰ってひらひらとかざすシーン。「多喜川」は「瀧川」なのだろうが。ストッキングも手袋も抜け殻のイメージである。京都の旅館で帰り支度をしている紀子が、ストッキングを2枚重ねてぐるっと裏返して一つにまとめるシーンもある。「蝦蟇口」を拾ったから紀子が縁談を承諾するだろうと言ってまさが縁起をかつぐシーン。曾宮家の玄関脇の部屋に置かれ、頻繁に画面の隅に登場するミシン。ボビン窯の形が似ていることから名づけられたと言われるその名もずばり「蛇の目」である。
蛇のモチーフが最も象徴的かつ重層的に用いられているのが、能「杜若」の舞台シーンである。延々六分ほど「杜若」の謡と舞が繰り広げられる。ここは原節子の眼の演技が有名であるが、謡と舞の舞台そのものにも注目してみたい。「杜若」は一幕もので短いが、伊勢物語の解説書のような内容で、かなり複雑である。『晩春』では後半部分が映像化されている。
植ゑおきしむかしの宿の杜若 色ばかりこそむかしなりけれ 色ばかりこそ昔なりけれ
色ばかりこそ 昔男の名を留めて 花橘の匂いうつる 菖蒲の鬘の 色はいずれ
似たりや似たり 杜若花菖蒲
こずゑに鳴くは 蝉のからころもの
袖白妙の 卯の花の雪の 夜も白々と 明くる東雲のあさ紫の
杜若の 花も悟りの心開けて すはや今こそ草木国土 すはや今こそ草木国土
縁語、懸詞を多用した技巧的な文句が続くので、文字に起こしても意味が分かりにくい。舞台上では朗々と謡われるので、なおさらなのだが、繰り返される「あやめ」「から衣」は蛇の隠語であったり脱皮のメタファーである。「卯の花」_ウツギも茎が中空であることから命名されたそうである。これも脱皮のイメージにつながるのだろうか。
シテの杜若の精は薄紫の衣裳をつけて演じることが多いようだが、この映画ではさらにその上に薄く透けて見えるものを重ねている。これは脱皮前の蛇のイメージとするのはあまりに強引だろうか。
シテの舞の映像は「花も悟りの心開けて」の部分で終わり、「すはや今こそ草木国土」以下は謡の音声だけで、画像は大きく梢を広げた松の木に変わる。もう一度「すはや今こそ草木国土」と繰り返される。杜若のシーンはここで終わり、「悉皆成仏の御法を得てこそ 失せにけれ」の結びの部分は音声も映像も映画の中には存在しない。悉皆成仏は成らなかったのである。
悉皆成仏は、蛇の寓意がさらに「安珍清姫」の伝承に具体化されなければ、成らなかった。安珍清姫の伝承は『大日本国法華経験記』『今昔物語』にその原形があるといわれる。熊野に参詣に来た僧安珍に宿を貸した清姫が恋慕し、逃げる安珍を追って蛇となって日高川を渡り、さらに道成寺の鐘の中に逃げ込んだ安珍を、清姫が口から吐いた炎で焼き殺してしまう話である。『大日本国経験記』『今昔物語』とも女は「紀伊の国牟婁の女」と記述されている。
女は「紀」子である。安珍清姫はともに蛇界に転生するが、道成寺の住持の唱える法華経の功徳で成仏する。住持の夢に現れた二人は熊野権現と観世音菩薩の姿であった。紀子のお見合いの相手が「佐竹熊太郎」というのも「熊野」を連想させたかったものと思われる。それでもまだ「成仏」は成らなかったように思われるのだが、
永劫回帰のテーマのについても書きたいが、すでにかなりの長文となってしまったので、また回を改めたい。ヒントをひとつ。冒頭大学教授の父とその助手が「リスト」という名前のスペルに「Z」があるとかないとか言っている。結論は、「z」はない、のである。それからラスト近く、周吉と紀子が京都を訪れて帰りの支度をしているとき、周吉が最後に旅行鞄に入れた本の題名は何だったろうか。
下品な謎解きはしたくない、などと言いながら、どう見ても上品とは言えない文章になってしまいました。謎解きのさらに奥にあるものが、まだ掴めていないのです。紀子_蛇_? 「叔父様の縞のズボンを半分に切って」履かされる勝義が、バットをエナメルで赤く塗ってしまって乾かないために、野球の試合に参加できない、というエピソードは何を意味するのか。その試合のシーンで、バッターボックスに立っている子だけがユニフォームを着ていないのはなぜか、など、(おそらく)どうでもいいことばかり気になってしまうのも、病膏肓なのかもしれません。
今日も未整理な文章を読んでくださってありがとうございました。
なので、これから書くことは、すべて私の独断と偏見に満ちた妄想かもしれない。
この映画のテーマは「永劫回帰」であり、隠されたモチーフは「蛇」である。
一分の隙もなく組み立てられた完璧な作品に対して、その一部を切り取って分析するのはどう見ても下品な行為のように思われるので、具体的な場面を取り上げるのは最小限にしたい。上記の「永劫回帰」と「蛇」の暗示は、まず、映画の導入部に登場する。
「北鎌倉」の駅を映した映像は、一転、寺の境内でお茶会が行われているシーンになる。着物姿の紀子が登場する。席に座った紀子に叔母のまさが話しかける。夫の縞のズボンを切り取って息子の半ズボンにしてほしい、と頼むのである。風呂敷に包んだものをその場で紀子に渡す。この後、周吉がまさの家で紀子の結婚について話すシーンがあるが、部屋の中に縞のシャツがハンガーに掛かっている。まさの夫は一度も画面に登場することはないが、縞模様が好みらしい。
お茶会の席に「三輪夫人」が登場するのも蛇を意識させる。まさと挨拶を交わす中年の女性の名前は後に明かされるのだが。ついでに言えば、この時紀子が着ている着物は鉄扇の模様である。あまり見かけない模様で花びらだけ描いているが、鉄扇はつる性の植物である。T.Sエリオットの「バーント・ノートン」という詩の中にも「身を屈め、からみつく」両義的な存在として登場する。
この他にも蛇を暗示する映像は枚挙にいとまがない。洗濯物干しに紀子のストッキングが吊るされている。「多喜川」という割烹に周吉が忘れた手袋を紀子が家に持って帰ってひらひらとかざすシーン。「多喜川」は「瀧川」なのだろうが。ストッキングも手袋も抜け殻のイメージである。京都の旅館で帰り支度をしている紀子が、ストッキングを2枚重ねてぐるっと裏返して一つにまとめるシーンもある。「蝦蟇口」を拾ったから紀子が縁談を承諾するだろうと言ってまさが縁起をかつぐシーン。曾宮家の玄関脇の部屋に置かれ、頻繁に画面の隅に登場するミシン。ボビン窯の形が似ていることから名づけられたと言われるその名もずばり「蛇の目」である。
蛇のモチーフが最も象徴的かつ重層的に用いられているのが、能「杜若」の舞台シーンである。延々六分ほど「杜若」の謡と舞が繰り広げられる。ここは原節子の眼の演技が有名であるが、謡と舞の舞台そのものにも注目してみたい。「杜若」は一幕もので短いが、伊勢物語の解説書のような内容で、かなり複雑である。『晩春』では後半部分が映像化されている。
植ゑおきしむかしの宿の杜若 色ばかりこそむかしなりけれ 色ばかりこそ昔なりけれ
色ばかりこそ 昔男の名を留めて 花橘の匂いうつる 菖蒲の鬘の 色はいずれ
似たりや似たり 杜若花菖蒲
こずゑに鳴くは 蝉のからころもの
袖白妙の 卯の花の雪の 夜も白々と 明くる東雲のあさ紫の
杜若の 花も悟りの心開けて すはや今こそ草木国土 すはや今こそ草木国土
縁語、懸詞を多用した技巧的な文句が続くので、文字に起こしても意味が分かりにくい。舞台上では朗々と謡われるので、なおさらなのだが、繰り返される「あやめ」「から衣」は蛇の隠語であったり脱皮のメタファーである。「卯の花」_ウツギも茎が中空であることから命名されたそうである。これも脱皮のイメージにつながるのだろうか。
シテの杜若の精は薄紫の衣裳をつけて演じることが多いようだが、この映画ではさらにその上に薄く透けて見えるものを重ねている。これは脱皮前の蛇のイメージとするのはあまりに強引だろうか。
シテの舞の映像は「花も悟りの心開けて」の部分で終わり、「すはや今こそ草木国土」以下は謡の音声だけで、画像は大きく梢を広げた松の木に変わる。もう一度「すはや今こそ草木国土」と繰り返される。杜若のシーンはここで終わり、「悉皆成仏の御法を得てこそ 失せにけれ」の結びの部分は音声も映像も映画の中には存在しない。悉皆成仏は成らなかったのである。
悉皆成仏は、蛇の寓意がさらに「安珍清姫」の伝承に具体化されなければ、成らなかった。安珍清姫の伝承は『大日本国法華経験記』『今昔物語』にその原形があるといわれる。熊野に参詣に来た僧安珍に宿を貸した清姫が恋慕し、逃げる安珍を追って蛇となって日高川を渡り、さらに道成寺の鐘の中に逃げ込んだ安珍を、清姫が口から吐いた炎で焼き殺してしまう話である。『大日本国経験記』『今昔物語』とも女は「紀伊の国牟婁の女」と記述されている。
女は「紀」子である。安珍清姫はともに蛇界に転生するが、道成寺の住持の唱える法華経の功徳で成仏する。住持の夢に現れた二人は熊野権現と観世音菩薩の姿であった。紀子のお見合いの相手が「佐竹熊太郎」というのも「熊野」を連想させたかったものと思われる。それでもまだ「成仏」は成らなかったように思われるのだが、
永劫回帰のテーマのについても書きたいが、すでにかなりの長文となってしまったので、また回を改めたい。ヒントをひとつ。冒頭大学教授の父とその助手が「リスト」という名前のスペルに「Z」があるとかないとか言っている。結論は、「z」はない、のである。それからラスト近く、周吉と紀子が京都を訪れて帰りの支度をしているとき、周吉が最後に旅行鞄に入れた本の題名は何だったろうか。
下品な謎解きはしたくない、などと言いながら、どう見ても上品とは言えない文章になってしまいました。謎解きのさらに奥にあるものが、まだ掴めていないのです。紀子_蛇_? 「叔父様の縞のズボンを半分に切って」履かされる勝義が、バットをエナメルで赤く塗ってしまって乾かないために、野球の試合に参加できない、というエピソードは何を意味するのか。その試合のシーンで、バッターボックスに立っている子だけがユニフォームを着ていないのはなぜか、など、(おそらく)どうでもいいことばかり気になってしまうのも、病膏肓なのかもしれません。
今日も未整理な文章を読んでくださってありがとうございました。
2018年6月10日日曜日
小津安二郎『麦秋』の謎__不思議な家族とその解体__一粒の麦地に落ちて死なずんば
『麦秋』は日本の家族の解体していく様を描いた小津安二郎監督の記念碑的な作品、という評価が定まっているようである。きっと、そうなのだろう。けれど、見終わってどうしても腑に落ちないものが残ってしまう。親子三世代で暮らしている一家が、その中の娘が結婚することで、なぜ両親が家を出ていかなければならないのか。そもそも、三世代が住んでいる家は誰のものなのか。
テーマ音楽とともに流れたクレジットが終わると、波うち際に一匹の犬が登場して画面を横切っていく。犬が画面の右側に消えても、波が寄せては返す砂浜が映る。画面の左側にに遠近三つの入り江のようなものが映っている。冒頭のこのシーンは何を意味するのだろうか。
次に映しだされるのは、軒先に吊るされた鳥かごである。小鳥が一羽入っている。カナリアだということが後半明かされる。鳥かごは軒先だけでなく、家の中のあちこちに置かれている。座敷のなかで鳥の餌を摺っている老人が登場する。「埴生の宿_(ホーム・・スウィート・ホーム)」の音楽が流れる。小学生くらいの男の子が「おじいちゃん、ご飯」と呼びに来る。間宮周吉と孫の実である。
食卓で給仕をしているのが周吉の娘の紀子で、実の弟の勇もいる。こちらはまだ学校に上がる前の歳である。すでに食事をすませて外出の支度をしているのが周吉の息子で紀子の兄の康一、大学病院の医師である。周吉のご飯を給仕に食卓に座ったのは康一の妻の史子、最後に味噌汁の入った大鍋をもって来たのが周吉の妻の志げという順番で、これが間宮家の紹介となっている導入部である。
外出着に前掛けという姿で給仕をしていた紀子も出勤していく。周吉は原稿の入った封筒を投函するように紀子に頼んでいるので、何かものを書いているのだろうか。紀子は丸の内(あるいは大手町?)の大手商社に勤めている。佐竹宗一郎という専務の秘書である。重役室でタイプを打っている紀子の上半身と指先が映され、次いで佐竹が部屋に入ってくる。佐竹と紀子が仕事の打ち合わせの会話を済ませた後に、ドアをノックして着物姿の若い女が現れる。佐竹が行きつけの料亭の娘で紀子の女学校の友人田村アヤである。紀子とアヤを前にして、「売れ残りが二人」と佐竹が軽口をたたくところなどから、三人はかなり親しい間柄のようである。
北鎌倉の間宮家に「やまとのおじいさま」がやってくる。間宮周吉の兄の茂吉である。終戦の翌年以来の上京である。耳が遠い茂吉との会話は常に一方通行である。彼が繰り返す言葉は「紀子さん、いくつになんなすった?」と「もう嫁にいかにゃ」であり、「若いものがなかなかようやりおる。年寄りがいつまでも邪魔してることない」である。紀子の結婚と一家の別離は「大和のおじいさま」の指示通りになったのである。
二八歳になった紀子に二つの縁談が持ち込まれるが、彼女は結局康一の部下の矢部謙吉という男との結婚を決意する。矢部は妻に先立たれ小さな女の子をかかえて、母親と一緒に間宮家の近くに住んでいる。謙吉は康一の紹介で秋田の病院に赴任することが決まる。紀子が間宮家からの餞別を届けに矢部の家を訪れた際に、謙吉の母親から恐る恐る謙吉との結婚を打診されると、彼女はあっさり「私のようなものでよかったら」と承諾してしまう。謙吉の母親は狂喜するが、不思議なことに謙吉はあまり嬉しくないようである。
紀子が謙吉との結婚を決意したのは、謙吉が消息不明(たぶん戦死している)の兄省二の手紙を持っているからである。恋愛感情があると思えない紀子と謙吉をつなぐのは麦の穂の入った省二の手紙なのだ。
麦の穂が入った手紙には何が書かれていたのだろう。ニコライ堂が見える喫茶店の窓際の席で謙吉と紀子が会話するシーンがある。この映画の「不思議」を読み解く上で大変重要な場面だと思うので、なるべく忠実に二人のセリフを再現してみたい。
__昔学生時分よく省二君ときたんですよ、ここへ。で、いつもここに座ったんですよ。やっぱり、あの額がかかってた。
額を見上げる紀子
__早いもんだなぁ。
____そうねぇ。よく喧嘩もしたけど、あたし省(二)兄さんとても好きだった。
__あ、省二君の手紙があるんです。徐州戦の時、向こうから軍事郵便で来て、中に麦の穂が入っていたんです。
紀子の表情が一変する。
__その時分、ちょうどぼくは『麦と兵隊』読んでて・・・
__その手紙いただけない?
__あげますよ。あげようと思ってたんだ。
__ちょうだい。
徐州会戦は日本軍と中国(国民革命)軍との間で一九三八年四月七日から六月七日にかけて行われ、日本は南北から攻め、五月一九日に徐州を占領したが、国民革命軍を撃滅させることはできなかった。少し不思議なのは、『麦と兵隊』は徐州戦に従軍した日野葦平が、その経験をドキュメンタリーのようなかたちで、一九三八年八月に発表している。謙吉のもとに「徐州戦の時、軍事郵便で来た」手紙というのはいつ書かれ、いつ謙吉のもとに届いたのだろうか。そのとき謙吉はどこにいたのだろう。軍事郵便なので、配達に相当の日数を要するものだったとは思うが、「その時分、ちょうど僕は『麦と兵隊』読んでて・・・」という謙吉の言葉と時間的な整合性がもうひとつ納得できないのである。
紀子と謙吉の会話からわかることは、兄の省二は少なくとも徐州会戦のときは生存していた、ということ、そして、中身の検閲される軍事郵便で送る手紙に麦の穂を同封してきた、ということである。手紙の内容でなく、麦の穂が入っていたことが紀子にとって重要だったのだ。
麦の穂は、いうまでもなく日野葦平の『麦と兵隊』の舞台となる徐州一帯の麦畑を連想させるが、手紙の中にわざわざ麦の穂を入れてきたということは、麦の穂それ自体が、書かれている内容よりもはるかに強いメッセージだろう。「一粒の麦、地に落ちて死なずんば」である。十字架の死を前に、イエスが弟子に語った有名なことばである。
はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。__ヨハネによる福音書12章24節
戦地の省二が、目前にある死にどのような意味付けをしていたのか、麦の穂は確実なメッセージとなって、謙吉に、そして紀子に省二の思いを伝えたのである。喫茶店の窓際の席で、かつて省二と謙吉が、いまは紀子と謙吉が見ているニコライ堂の正式名称は東京復活大聖堂である。麦の穂は復活のキリストの象徴であり、正教会の信徒を意味するものでもある。
この映画の中には麦の穂からつくられる食べ物がいくつも登場する。最も印象的なのは、紀子が謙吉との結婚を承諾してくれて狂喜する謙吉の母が、「あたしもうすっかり安心しちゃった」と泣き笑いしながら、「紀子さん、パン食べない?餡パン」と誘う場面である。なぜ、唐突に餡パンなのか?節子は笑ってことわるのだが。また、間宮家に子供たちが集まってレールを並べて遊んでいるところに、紀子が大量のサンドイッチを持ってくるシーンもある。敗戦後六年しか経っていないのに、なんという贅沢なふるまいか、と驚いてしまう。
間宮周吉と志げの夫婦がサンドイッチを食べるシーンもある。昼下がり、博物館の庭で二人並んで座って話しながらサンドイッチを食べている。周吉は「今が一番いい時だ」と言う。「まだこれからだって」と言う志げに周吉は「欲を言ったらきりがないよ」と諭す。結末の別離を暗示するような場面である。糸の切れた風船が空高く舞い上がっているのを二人が眺めている。「今日はいい日曜日だった」と周吉が曜日を特定するのは何か意味があるのだろうか。それから、些細なことだけれど、周吉の履いている靴が古びてみすぼらしいのはなぜだろうか。
パンとレールといえば、八本しかレールを持っていないからもっとほしい、32ゲージ(のもの)だよ、と父親におねだりしていた実が、レールだと思っていたお土産がパンだと知って、腹を立ててパンを蹴るシーンがある。実が父親に見つかって、もみあっているうちに、勇が隙を見てもう一回蹴ると、あっけなくパンが二つに割れてしまう。ずいぶん長いパンもあるものだな、と思って見ていたが、パンがそんなに簡単に割れるものだろうか?カメラはアップで半分に割れたパンをとらえて強調しているのだが、なんだかこれも不思議である。
「九百円もした」(今の金額に換算すると1万円以上)豪勢なショートケーキを深夜に紀子と史子、それに後から謙吉も加わって食べるシーンもある。これが不思議なのは、矯めつ眇めつ、散々迷って紀子が切り分けたケーキを三人で食べているところに、実が寝ぼけて入ってくる。すると、三人ともいっせいにケーキをテーブルの下に隠してしまう。絶対に食べさせないぞ、という意気込みである。
パンとケーキだけでなく、この映画にはものを食べるシーンが多い。冒頭の導入の部分も間宮家の朝食の光景だったが、ラスト近くにもすき焼き鍋のようなものを囲んで一家が食事をする場面がある。紀子の結婚が決まった祝賀の宴のようだが、一家の別離の宴のようでもある。鍋を直火に当てるためか、食卓の上でなく床に直接食器が置かれている。気がつくと、家中から鳥かごが取り払われ、カナリアがいなくなっている。
食事が終わって、みんながくつろいでいるとき、周吉が口火を切って一家の回想を始める。「このうちに来てからだって足かけ十六年になるものねぇ」と周吉が言うと志げが「紀ちゃんが小学校を出た春でしたからねぇ」と続ける。康一が煙草を指にはさんで、「こんなところにちょこんとリボンなんかつけて、よく『雨降りお月さん』なんか歌ってましたよ」と言う。
何でもない会話のようだが、ここは重要な情報がもたらされる場面である。十六年前周吉と志げはどこに住んでいたのか?紀子は周吉や志げと一緒にこの家に移り住んだのか?それとも、もともとこの家にいたのか?この家は十六年前は誰のものだったのだろう?大学を出て間もない康一に、こんなに立派な家を建てる甲斐性があったとは思えないのだけれど。
それから、小学校を出た女の子、つまり中学生になる少女が『雨降りお月さん』という童謡をよく歌う、というのもちょっと違和感がある。この映画に出てくるいくつかの固有名詞は、それぞれ重要な意味を潜めていると思われる。『麦と兵隊』は言うまでもないが、「妻の死後本ばかり読んでいる」と母親のたみにいわれる謙吉が「いま四巻目の半分まで読んだ」という『チボー家の人々』、「省二がスマトラに行く前に(省二や謙吉と一緒に)みんなで行った」とアヤが言う「城ヶ島」、紀子のお見合い相手だった真鍋(?)という男の出身地の「善通寺」、導入とラスト近く流れる『埴生の宿』など、いずれも代替可能なものではなく、それらをつなぐキーワードが隠されているような気がしてならない。
それにしても不思議な家族である。息子の康一が医師であることは明らかだが、父親の周吉は何をしている人なのだろう。机に向かって脇に分厚い本を置きながらものを書いているシーンがあって、冒頭でも紀子に原稿の入った封筒を渡していたが、物書きなのだろうか。
ラストは「やまと」の光景である。麦畑が手前にあって、その向こうにこんもりとした山が見え、山の麓に家並みが見える。画面が三回切り替わって、藁ぶきの屋根、そして「やまとのおじいさま」が煙管をふかしている座敷が映される。整然としたというか閑散としたというか、その座敷の続きに囲炉裏が切ってあり、志げが大きな急須でお茶を入れて周吉に渡す。「おい、ちょいと見てご覧、お嫁さんが行くよ」と周吉が言うと、麦畑の中を花嫁行列が通り過ぎていく画面に代わる。一行は八人で、よく晴れた日のようだが、花嫁に黒っぽい傘がさしかけられている。
「どんなところに片付くんでしょうねぇ」と志げが言う。花嫁行列を眺める二人の後ろ姿をカメラがとらえる。別離の宴からそんなに時間は経っていないと思われるのに、周吉の背中は丸くなり、志げはモンペを履いて粗末な帯を締めている。「みんな離れ離れになったけど、しかしまぁ、私たちはいい方だよ。欲をいっちゃぁ切りがないよ」と周吉が言うと志げも「えぇ、いろんなことがあって…長い間、ほんとうに幸せでした」とこたえる。志げはお茶をすすり、遠くを眺めるような目をしている。その表情はしずかに諦めの色をたたえている。
画面はもう一度麦畑を映す。遠くに家並みが見え、手前に麦の穂が揺れている。テーマ音楽が最高潮に達し、エンディングとなる。タイトルの「麦秋」そのものだが、不思議なことに、手前に揺れる麦のかたちが人間の、それも兵隊のように見え、大勢の兵隊が手を振っているように見えてしまうのだ。
ほんとうに不思議な映画だと思うが、一番不思議なのは、紀子が上司の佐竹と盃を交わすシーンかもしれない。アヤの母親の経営する料亭で、一人で酒を飲んでいた佐竹の部屋を訪れた紀子が佐竹の飲んでいた盃を受け取って、彼がついでくれた酒を飲む。後ろ姿のすべてが紀子の女を表現しているのだが、紀子とはいったい何なのか。
『秋刀魚の味』の続きを書こうと思っていたのですが、『麦秋』の魅惑的な謎にはまってしまいました。もっと集中しなければいけないのですが、力不足を痛感しています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
テーマ音楽とともに流れたクレジットが終わると、波うち際に一匹の犬が登場して画面を横切っていく。犬が画面の右側に消えても、波が寄せては返す砂浜が映る。画面の左側にに遠近三つの入り江のようなものが映っている。冒頭のこのシーンは何を意味するのだろうか。
次に映しだされるのは、軒先に吊るされた鳥かごである。小鳥が一羽入っている。カナリアだということが後半明かされる。鳥かごは軒先だけでなく、家の中のあちこちに置かれている。座敷のなかで鳥の餌を摺っている老人が登場する。「埴生の宿_(ホーム・・スウィート・ホーム)」の音楽が流れる。小学生くらいの男の子が「おじいちゃん、ご飯」と呼びに来る。間宮周吉と孫の実である。
食卓で給仕をしているのが周吉の娘の紀子で、実の弟の勇もいる。こちらはまだ学校に上がる前の歳である。すでに食事をすませて外出の支度をしているのが周吉の息子で紀子の兄の康一、大学病院の医師である。周吉のご飯を給仕に食卓に座ったのは康一の妻の史子、最後に味噌汁の入った大鍋をもって来たのが周吉の妻の志げという順番で、これが間宮家の紹介となっている導入部である。
外出着に前掛けという姿で給仕をしていた紀子も出勤していく。周吉は原稿の入った封筒を投函するように紀子に頼んでいるので、何かものを書いているのだろうか。紀子は丸の内(あるいは大手町?)の大手商社に勤めている。佐竹宗一郎という専務の秘書である。重役室でタイプを打っている紀子の上半身と指先が映され、次いで佐竹が部屋に入ってくる。佐竹と紀子が仕事の打ち合わせの会話を済ませた後に、ドアをノックして着物姿の若い女が現れる。佐竹が行きつけの料亭の娘で紀子の女学校の友人田村アヤである。紀子とアヤを前にして、「売れ残りが二人」と佐竹が軽口をたたくところなどから、三人はかなり親しい間柄のようである。
北鎌倉の間宮家に「やまとのおじいさま」がやってくる。間宮周吉の兄の茂吉である。終戦の翌年以来の上京である。耳が遠い茂吉との会話は常に一方通行である。彼が繰り返す言葉は「紀子さん、いくつになんなすった?」と「もう嫁にいかにゃ」であり、「若いものがなかなかようやりおる。年寄りがいつまでも邪魔してることない」である。紀子の結婚と一家の別離は「大和のおじいさま」の指示通りになったのである。
二八歳になった紀子に二つの縁談が持ち込まれるが、彼女は結局康一の部下の矢部謙吉という男との結婚を決意する。矢部は妻に先立たれ小さな女の子をかかえて、母親と一緒に間宮家の近くに住んでいる。謙吉は康一の紹介で秋田の病院に赴任することが決まる。紀子が間宮家からの餞別を届けに矢部の家を訪れた際に、謙吉の母親から恐る恐る謙吉との結婚を打診されると、彼女はあっさり「私のようなものでよかったら」と承諾してしまう。謙吉の母親は狂喜するが、不思議なことに謙吉はあまり嬉しくないようである。
紀子が謙吉との結婚を決意したのは、謙吉が消息不明(たぶん戦死している)の兄省二の手紙を持っているからである。恋愛感情があると思えない紀子と謙吉をつなぐのは麦の穂の入った省二の手紙なのだ。
麦の穂が入った手紙には何が書かれていたのだろう。ニコライ堂が見える喫茶店の窓際の席で謙吉と紀子が会話するシーンがある。この映画の「不思議」を読み解く上で大変重要な場面だと思うので、なるべく忠実に二人のセリフを再現してみたい。
__昔学生時分よく省二君ときたんですよ、ここへ。で、いつもここに座ったんですよ。やっぱり、あの額がかかってた。
額を見上げる紀子
__早いもんだなぁ。
____そうねぇ。よく喧嘩もしたけど、あたし省(二)兄さんとても好きだった。
__あ、省二君の手紙があるんです。徐州戦の時、向こうから軍事郵便で来て、中に麦の穂が入っていたんです。
紀子の表情が一変する。
__その時分、ちょうどぼくは『麦と兵隊』読んでて・・・
__その手紙いただけない?
__あげますよ。あげようと思ってたんだ。
__ちょうだい。
徐州会戦は日本軍と中国(国民革命)軍との間で一九三八年四月七日から六月七日にかけて行われ、日本は南北から攻め、五月一九日に徐州を占領したが、国民革命軍を撃滅させることはできなかった。少し不思議なのは、『麦と兵隊』は徐州戦に従軍した日野葦平が、その経験をドキュメンタリーのようなかたちで、一九三八年八月に発表している。謙吉のもとに「徐州戦の時、軍事郵便で来た」手紙というのはいつ書かれ、いつ謙吉のもとに届いたのだろうか。そのとき謙吉はどこにいたのだろう。軍事郵便なので、配達に相当の日数を要するものだったとは思うが、「その時分、ちょうど僕は『麦と兵隊』読んでて・・・」という謙吉の言葉と時間的な整合性がもうひとつ納得できないのである。
紀子と謙吉の会話からわかることは、兄の省二は少なくとも徐州会戦のときは生存していた、ということ、そして、中身の検閲される軍事郵便で送る手紙に麦の穂を同封してきた、ということである。手紙の内容でなく、麦の穂が入っていたことが紀子にとって重要だったのだ。
麦の穂は、いうまでもなく日野葦平の『麦と兵隊』の舞台となる徐州一帯の麦畑を連想させるが、手紙の中にわざわざ麦の穂を入れてきたということは、麦の穂それ自体が、書かれている内容よりもはるかに強いメッセージだろう。「一粒の麦、地に落ちて死なずんば」である。十字架の死を前に、イエスが弟子に語った有名なことばである。
はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。__ヨハネによる福音書12章24節
戦地の省二が、目前にある死にどのような意味付けをしていたのか、麦の穂は確実なメッセージとなって、謙吉に、そして紀子に省二の思いを伝えたのである。喫茶店の窓際の席で、かつて省二と謙吉が、いまは紀子と謙吉が見ているニコライ堂の正式名称は東京復活大聖堂である。麦の穂は復活のキリストの象徴であり、正教会の信徒を意味するものでもある。
この映画の中には麦の穂からつくられる食べ物がいくつも登場する。最も印象的なのは、紀子が謙吉との結婚を承諾してくれて狂喜する謙吉の母が、「あたしもうすっかり安心しちゃった」と泣き笑いしながら、「紀子さん、パン食べない?餡パン」と誘う場面である。なぜ、唐突に餡パンなのか?節子は笑ってことわるのだが。また、間宮家に子供たちが集まってレールを並べて遊んでいるところに、紀子が大量のサンドイッチを持ってくるシーンもある。敗戦後六年しか経っていないのに、なんという贅沢なふるまいか、と驚いてしまう。
間宮周吉と志げの夫婦がサンドイッチを食べるシーンもある。昼下がり、博物館の庭で二人並んで座って話しながらサンドイッチを食べている。周吉は「今が一番いい時だ」と言う。「まだこれからだって」と言う志げに周吉は「欲を言ったらきりがないよ」と諭す。結末の別離を暗示するような場面である。糸の切れた風船が空高く舞い上がっているのを二人が眺めている。「今日はいい日曜日だった」と周吉が曜日を特定するのは何か意味があるのだろうか。それから、些細なことだけれど、周吉の履いている靴が古びてみすぼらしいのはなぜだろうか。
パンとレールといえば、八本しかレールを持っていないからもっとほしい、32ゲージ(のもの)だよ、と父親におねだりしていた実が、レールだと思っていたお土産がパンだと知って、腹を立ててパンを蹴るシーンがある。実が父親に見つかって、もみあっているうちに、勇が隙を見てもう一回蹴ると、あっけなくパンが二つに割れてしまう。ずいぶん長いパンもあるものだな、と思って見ていたが、パンがそんなに簡単に割れるものだろうか?カメラはアップで半分に割れたパンをとらえて強調しているのだが、なんだかこれも不思議である。
「九百円もした」(今の金額に換算すると1万円以上)豪勢なショートケーキを深夜に紀子と史子、それに後から謙吉も加わって食べるシーンもある。これが不思議なのは、矯めつ眇めつ、散々迷って紀子が切り分けたケーキを三人で食べているところに、実が寝ぼけて入ってくる。すると、三人ともいっせいにケーキをテーブルの下に隠してしまう。絶対に食べさせないぞ、という意気込みである。
パンとケーキだけでなく、この映画にはものを食べるシーンが多い。冒頭の導入の部分も間宮家の朝食の光景だったが、ラスト近くにもすき焼き鍋のようなものを囲んで一家が食事をする場面がある。紀子の結婚が決まった祝賀の宴のようだが、一家の別離の宴のようでもある。鍋を直火に当てるためか、食卓の上でなく床に直接食器が置かれている。気がつくと、家中から鳥かごが取り払われ、カナリアがいなくなっている。
食事が終わって、みんながくつろいでいるとき、周吉が口火を切って一家の回想を始める。「このうちに来てからだって足かけ十六年になるものねぇ」と周吉が言うと志げが「紀ちゃんが小学校を出た春でしたからねぇ」と続ける。康一が煙草を指にはさんで、「こんなところにちょこんとリボンなんかつけて、よく『雨降りお月さん』なんか歌ってましたよ」と言う。
何でもない会話のようだが、ここは重要な情報がもたらされる場面である。十六年前周吉と志げはどこに住んでいたのか?紀子は周吉や志げと一緒にこの家に移り住んだのか?それとも、もともとこの家にいたのか?この家は十六年前は誰のものだったのだろう?大学を出て間もない康一に、こんなに立派な家を建てる甲斐性があったとは思えないのだけれど。
それから、小学校を出た女の子、つまり中学生になる少女が『雨降りお月さん』という童謡をよく歌う、というのもちょっと違和感がある。この映画に出てくるいくつかの固有名詞は、それぞれ重要な意味を潜めていると思われる。『麦と兵隊』は言うまでもないが、「妻の死後本ばかり読んでいる」と母親のたみにいわれる謙吉が「いま四巻目の半分まで読んだ」という『チボー家の人々』、「省二がスマトラに行く前に(省二や謙吉と一緒に)みんなで行った」とアヤが言う「城ヶ島」、紀子のお見合い相手だった真鍋(?)という男の出身地の「善通寺」、導入とラスト近く流れる『埴生の宿』など、いずれも代替可能なものではなく、それらをつなぐキーワードが隠されているような気がしてならない。
それにしても不思議な家族である。息子の康一が医師であることは明らかだが、父親の周吉は何をしている人なのだろう。机に向かって脇に分厚い本を置きながらものを書いているシーンがあって、冒頭でも紀子に原稿の入った封筒を渡していたが、物書きなのだろうか。
ラストは「やまと」の光景である。麦畑が手前にあって、その向こうにこんもりとした山が見え、山の麓に家並みが見える。画面が三回切り替わって、藁ぶきの屋根、そして「やまとのおじいさま」が煙管をふかしている座敷が映される。整然としたというか閑散としたというか、その座敷の続きに囲炉裏が切ってあり、志げが大きな急須でお茶を入れて周吉に渡す。「おい、ちょいと見てご覧、お嫁さんが行くよ」と周吉が言うと、麦畑の中を花嫁行列が通り過ぎていく画面に代わる。一行は八人で、よく晴れた日のようだが、花嫁に黒っぽい傘がさしかけられている。
「どんなところに片付くんでしょうねぇ」と志げが言う。花嫁行列を眺める二人の後ろ姿をカメラがとらえる。別離の宴からそんなに時間は経っていないと思われるのに、周吉の背中は丸くなり、志げはモンペを履いて粗末な帯を締めている。「みんな離れ離れになったけど、しかしまぁ、私たちはいい方だよ。欲をいっちゃぁ切りがないよ」と周吉が言うと志げも「えぇ、いろんなことがあって…長い間、ほんとうに幸せでした」とこたえる。志げはお茶をすすり、遠くを眺めるような目をしている。その表情はしずかに諦めの色をたたえている。
画面はもう一度麦畑を映す。遠くに家並みが見え、手前に麦の穂が揺れている。テーマ音楽が最高潮に達し、エンディングとなる。タイトルの「麦秋」そのものだが、不思議なことに、手前に揺れる麦のかたちが人間の、それも兵隊のように見え、大勢の兵隊が手を振っているように見えてしまうのだ。
ほんとうに不思議な映画だと思うが、一番不思議なのは、紀子が上司の佐竹と盃を交わすシーンかもしれない。アヤの母親の経営する料亭で、一人で酒を飲んでいた佐竹の部屋を訪れた紀子が佐竹の飲んでいた盃を受け取って、彼がついでくれた酒を飲む。後ろ姿のすべてが紀子の女を表現しているのだが、紀子とはいったい何なのか。
『秋刀魚の味』の続きを書こうと思っていたのですが、『麦秋』の魅惑的な謎にはまってしまいました。もっと集中しなければいけないのですが、力不足を痛感しています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
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