三島由紀夫が『金閣寺』を書くために、膨大な資料から何を切り取って何を捨てたか、あるいは改変したかを知りたくて、水上勉の『金閣炎上』を読んでみた。『金閣炎上』は三島の『金閣寺』より二十年以上後に出版されたものだが、犯人の林養賢と事件に関して丹念な取材を積み重ねたもので、第一次資料として参考になるのではないかと考えたからである。
裁判の記録や犯人の青年の周辺の人物への聞きこみなど、事実の経過をたどるための資料として読むことを考えていたのだが、読み始めていくらも経たないうちに、三島の『金閣寺』とはまったく違ったおもしろさに夢中になってしまった。こんなに小説がおもしろいものだということに、人生の後半になってやっと気がついたのである。三島の『金閣寺』が、絵画にたとえて端正な屏風絵だとしたら、水上勉の『金閣炎上』は荒削りなデッサンあるいは油絵のように思われる。立体的な画面から厳しい裏日本の風土と昂然と生きて無残に死んでいった孤独な母と子の姿が浮かび上がってくる。
金閣寺放火犯の林養賢は若狭湾に突き出た京都府成生(なりう)岬で生まれた。生家は西徳寺という禅宗の末寺である。成生という集落がいまも存在するのかどうかわからないが、当時は二十二戸の檀家があり、漁で生計をたてていた。数年おきに鰤の大漁があって集落は裕福ともいえたが、寺は貧しかった。
養賢の父道源の家は成生の南に位置する青葉山山麓の安岡という部落の中農だったが、病弱のため部落の寺の徒弟となって得度、二十五歳で無住だった西徳寺に赴任した。翌年道源は妻を娶る。妻の志満子は京都の大江山麓の尾藤という村の生まれである。成生にくらべ広大な水田を持つ村で、志満子はそこのやはり中農といえる家の長女だった。勝気で学校の成績もよかったが、早くに母をなくし家事をみるため高等科を中退しなければならなかった。大江山麓から二十四歳で辺境の成生に嫁ぐのにどんな事情があったのかわからない。水上勉は土地の漁婦の言葉をかりて、志満子の嫁ぐ日の姿をこのように描いている。
「お寺へ嫁さんがくるというんで、浜とまでみんな出て見てました。ほしたら、田井の港で舟を下りやんしたとみえて、村口の坂をトランク一つと、日傘をもった背のひくい志満子さんが、紫地に花柄の銘仙の袷に、黄色い帯しめて、小股歩きにとぼとぼおいでなさってのう。あの日は、たぶん、浜の弥太夫さんの家で化粧やら、着替えやらなさって、西徳寺入りなさったとおぼえとります。式というてものう、総代さんやら五、六人が本堂にあつまりなさって、盃事しなさっただけで夕方に終わったようにおぼえとります。そのまま志満子さんは寺に泊りなさりました」
それから足かけ五年経って昭和四年三月十九日林養賢が生まれた。結核の夫に代わって田畑を耕し、山にも入って、暮れれば蔭地の寺に戻って食事の仕度をする日々を送り、二十八歳の春志満子はたった一人で養賢を生んだのである。道源も志満子も子の誕生を喜ばぬ理由があるわけはないが、水上勉は周囲の複雑な視線をこう記している。
「風の吹きつける野ざらしの産小舎跡は部落から離れていたために、こんな所まできて子を産まなければならなかった部落の因習のふかさを思わせた。志満子がその小舎で養賢を出産していなかったにしても、限られた農地しかない貧寒部落で、うとまれての出産であることをつゆ知らず、冬空にひびいたろう、幾人かの子の産声をきく思いがした。眼の下の淵はふかくえぐれ、紺青の水は岩裾に密着して、波立ちのない淀んだ深い穴であった。」
吃音は養賢が三歳のときから始まったが、彼は三島の小説の主人公溝口のようなひよわで醜い少年ではなかった。大柄で学力も体力もまさっていた。年下の子どもの面倒見もわるくはなかった。彼に経文と尺八を教えた父は昭和十七年冬に死んだ。死ぬ前に父は一面識もない金閣寺の慈海和尚に手紙を書いて、養賢の入山を願い出た。多くの徒弟を戦争で徴集されていたこともあって、入山は許された。
十三歳で得度した養賢は入山したが、戦時下で食糧事情が逼迫していたために、いったんは安岡の叔父の元に帰る。その後一年ほどでまた京都に戻り、金閣寺から花園中学に通って卒業する。この間母の志満子と何らかの確執があったのではないかと水上勉は推測している。花園中学在学中に養賢は父と同じく結核を発症する。勤労動員の過酷な労働が原因であろう。大学入学を目前にして、病を得た養賢は再び郷里に戻らなければならなかった。昭和二十年五月のことであった。
敗戦を成生で迎えた養賢は翌年四月まで西徳寺で母と寺を守った。だが、そこはもう母と子が安住できる場所ではなかった。養賢はなんとしても金閣に戻ることを望み、母の志満子には大江山の生家に帰るように告げたのである。養賢の心中になにがあったのかはわからない。水上勉は西徳寺の檀家で寺のすぐ前に住む酒巻広一からの聞き書きとして、養賢が降り積もる雪の中、「くぐつ」と呼ばれる罠にかかった小動物をあつめて進む姿を臨場感あふれる文章で記してる。養賢はくぐつを作るのも仕掛けるのも巧みだった。父ゆずりの毛糸の首巻きをして学生服の肩をぬれるにまかせ、養賢は獲物をひきずって進んだ。同行した酒巻広一はこのときの養賢のたたずまいを「勇ましくもおぞましい」と述懐しているが、水上勉は以下のように記している。
「・・・・人はたてまえだけでは生きられぬ。仏弟子も腹がへれば、鳥も兎も食う。女犯の戒を守るのが金閣住職のたてまえだったが、先住敬宗師の奔放な肉食、女性道楽を耳にしていた養賢にこのくぐつあそびが、深く宗教上の反省を強いられながらの行為であったかどうか、そこのところはわからない。広一からこの話をきいて、吹雪の中をひたすら獲物に向い、つき進んでいた養賢の、着ぶくれした十六歳の冬に、私はのちの金閣放火の、小雨の降る一夜をかさねて息をつめる。」
水上勉はこの後敗戦の翌年に金閣にもどった養賢がどのように変わっていったか、あるいは金閣がどのように変わっていったかを書いていくのだが、長くなるので、今日はここまでにしたい。不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
2014年3月6日木曜日
2014年2月25日火曜日
三島由紀夫『金閣寺』序論___生きるために殺す___「モデル小説」という「私小説」
ミイラ取りがミイラになって、いつまでも三島にかかわっています。でも、やはり大江健三郎に戻っていかなければならないと考えているので、三島についてはこの『金閣寺』と『宴のあと』という二つの作品を取り上げて一応の区切りとしたいと思います。
読めば読むほど三島由紀夫は端整な作家である。ほとんどの作品が起承転結が完璧で描写も的確なので、きちんと読めばちゃんとわかるように書かれている。わからないのはこちらの読み込みが足りないか、理解力が不足しているのである(要するに私が馬鹿だということ)。小説『金閣寺』は冒頭
「幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。」
と始まる。さらに
「父によれば、金閣ほど美しいものは地上になく、又金閣というその字面、その音韻から、私の心が描き出した金閣は、途方もないものであった」
と続く。主人公の「私」にとって、まだ見ぬ金閣は「金閣寺」そのもの自体だけでなく、この世の至上の美すべての象徴であった。
一方「私」は体力、容貌に劣等感をもつ吃音障害の少年だった。外界への融通無碍な働きかけに障害をもつが故の権力への志向、それと表裏一体の徹底した孤独を養って「私」は育っていった。そして「私」は「この世のどこかに、まだ私自身の知らない使命が私を待っているような気がしていた」と語るのである。
その「使命」とは何かを考える前に、僧侶としての修行に入る前、中学生のときの二つのエピソードを取り上げてみたい。一つは海軍機関学校の生徒の美しい短剣に切り傷をつけたことである。休暇をとって母校に遊びにきた眩くも凛々しい海兵生徒の(みずからも自覚している)数年後の死を待ちながら、待つことの重みに耐えかねて、「若い英雄の遺品」に見えた短剣を傷つけたのだった。
もう一つは「有為子」という美しい娘の死を語るエピソードである。「私」は夏の朝有為子を待ち伏せしたが、自転車に乗って現れた彼女を前にして「石」と化してしまった。ベルを鳴らしながら傲然と去った有為子の告げ口で、面倒をみてもらっていた叔父から叱責された「私」は有為子の死をねがうようになる。
「私は有為子のおもかげ、暁闇のなかで水のように光って、私の口をじっと見ていた彼女の眼の背後に、他人の世界__つまり、われわれを決して一人にしておかず、進んでわれわれの共犯となり証人となる他人の世界__を見たのである。他人がみんな滅びなければならぬ。私が本当に太陽に顔を向けられるためには、他人が滅びなければならぬ。・・・・・」
そしてそのねがいは成就する。海軍の脱走兵と恋に落ち、妊娠した彼女は志願看護婦として勤めていた病院を追い出され、憲兵に捕まる。囮となって恋人の潜む名刹の御堂に向かった有為子は恋人の脱走兵に撃ち殺されたのである。有為子は囮になることで恋人を裏切ったが、「裏切ることによって、とうとう彼女は俺を受け容れたんだ。」と思った「私」をも裏切って死んだのだ。死んだ有為子は美と愛と憎しみの象徴として「金閣」と同値の存在となったのである。
「金閣」は、「私」がそれから疎外されているが故に、「私」にとって至上の美であり、唯一の愛の対象であった。そしてまた「それ故に」「凡ての無力の根源」でもあった。この図式から、「私」が生きるためには、十全に生きるためには、「金閣」を焼くことは必然という結論が導き出されることに障害はない。決行の当夜、闇の中に燦然と輝く幻の金閣を見て、激甚の疲労に襲われ、行為を躊躇う「私」に記憶の底から言葉が近づいてくる。
「裏に向かひ外に向かって逢着せば便ち殺せ」
「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、始めて解脱を得ん。物と拘わらず透脱自在なり」
以上は『金閣寺』という小説から、観念的、形而上学的な骨組みだけを取り出して試みた分析である。小説はプロットだけで成り立つものではもちろんないので、作中魅力的な人物が複数造型され、それぞれ重要な役割を果たす。「私」と正反対のアポロンのような存在として描き出されるが最後に自殺してしまう鶴川、「私」と同様に障害をもち、それを生きるために徹底的に利用する柏木、「私」の生殺与奪の権を握り、しかもそれを容易に行使しようとしない道詮和尚、「私」をごく自然に「全く普遍的な単位の、一人前の男として扱」ったまり子。とくに道詮和尚は、「私」を罰しない(=「私」に応答しようとしない)ということで、私」を放火に追いやった。そしてまり子は「私」と外界との壁をあっけなく融かしてしまい、そのことが「企図」の段階にあった放火を「行為」へと踏み出させたのである。これらの人物があまりにも生き生きとリアルに描かれているので、ある種通俗小説を追いかけているかのような錯覚に陥ってしまう。だが、これは純文学である。
何故ならこれは「モデル小説」をよそおった「私小説」だからだ。この小説は主人公の「私」の疎外感の原因が吃音障害であるという出発点と、最後に放火の後「生きようと私は思った」という結末と、その両方とも事実と異なっていると思われる。吃音障害は生得のものではない。言語を習得し使用できるようになる幼児期の何らかの心理的抑圧が原因である。私見だが父子関係の軋轢によるのではないだろうか。だが、この小説で描かれるのは、ひとつ蚊帳の中で母親が不倫の行為をしているのを見ないように子供の目をふさぐ弱く卑怯な父親である。吃音障害と無力な父親という設定は矛盾している。また、最後に放火した後、現実の放火犯はカルチモンを飲んで切腹を図っている。彼は「金閣」とともに「死のう」としたのだ。
「金閣」を焼いて「生きよう」と思ったのは「私」なのだ。「私」は「金閣」を焼かなければ生きられないと思ったのだ。_______では、「金閣」とは何か。
『金閣寺』については、機会があれば本論を書いてみたいと思っています。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
読めば読むほど三島由紀夫は端整な作家である。ほとんどの作品が起承転結が完璧で描写も的確なので、きちんと読めばちゃんとわかるように書かれている。わからないのはこちらの読み込みが足りないか、理解力が不足しているのである(要するに私が馬鹿だということ)。小説『金閣寺』は冒頭
「幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。」
と始まる。さらに
「父によれば、金閣ほど美しいものは地上になく、又金閣というその字面、その音韻から、私の心が描き出した金閣は、途方もないものであった」
と続く。主人公の「私」にとって、まだ見ぬ金閣は「金閣寺」そのもの自体だけでなく、この世の至上の美すべての象徴であった。
一方「私」は体力、容貌に劣等感をもつ吃音障害の少年だった。外界への融通無碍な働きかけに障害をもつが故の権力への志向、それと表裏一体の徹底した孤独を養って「私」は育っていった。そして「私」は「この世のどこかに、まだ私自身の知らない使命が私を待っているような気がしていた」と語るのである。
その「使命」とは何かを考える前に、僧侶としての修行に入る前、中学生のときの二つのエピソードを取り上げてみたい。一つは海軍機関学校の生徒の美しい短剣に切り傷をつけたことである。休暇をとって母校に遊びにきた眩くも凛々しい海兵生徒の(みずからも自覚している)数年後の死を待ちながら、待つことの重みに耐えかねて、「若い英雄の遺品」に見えた短剣を傷つけたのだった。
もう一つは「有為子」という美しい娘の死を語るエピソードである。「私」は夏の朝有為子を待ち伏せしたが、自転車に乗って現れた彼女を前にして「石」と化してしまった。ベルを鳴らしながら傲然と去った有為子の告げ口で、面倒をみてもらっていた叔父から叱責された「私」は有為子の死をねがうようになる。
「私は有為子のおもかげ、暁闇のなかで水のように光って、私の口をじっと見ていた彼女の眼の背後に、他人の世界__つまり、われわれを決して一人にしておかず、進んでわれわれの共犯となり証人となる他人の世界__を見たのである。他人がみんな滅びなければならぬ。私が本当に太陽に顔を向けられるためには、他人が滅びなければならぬ。・・・・・」
そしてそのねがいは成就する。海軍の脱走兵と恋に落ち、妊娠した彼女は志願看護婦として勤めていた病院を追い出され、憲兵に捕まる。囮となって恋人の潜む名刹の御堂に向かった有為子は恋人の脱走兵に撃ち殺されたのである。有為子は囮になることで恋人を裏切ったが、「裏切ることによって、とうとう彼女は俺を受け容れたんだ。」と思った「私」をも裏切って死んだのだ。死んだ有為子は美と愛と憎しみの象徴として「金閣」と同値の存在となったのである。
「金閣」は、「私」がそれから疎外されているが故に、「私」にとって至上の美であり、唯一の愛の対象であった。そしてまた「それ故に」「凡ての無力の根源」でもあった。この図式から、「私」が生きるためには、十全に生きるためには、「金閣」を焼くことは必然という結論が導き出されることに障害はない。決行の当夜、闇の中に燦然と輝く幻の金閣を見て、激甚の疲労に襲われ、行為を躊躇う「私」に記憶の底から言葉が近づいてくる。
「裏に向かひ外に向かって逢着せば便ち殺せ」
「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、始めて解脱を得ん。物と拘わらず透脱自在なり」
以上は『金閣寺』という小説から、観念的、形而上学的な骨組みだけを取り出して試みた分析である。小説はプロットだけで成り立つものではもちろんないので、作中魅力的な人物が複数造型され、それぞれ重要な役割を果たす。「私」と正反対のアポロンのような存在として描き出されるが最後に自殺してしまう鶴川、「私」と同様に障害をもち、それを生きるために徹底的に利用する柏木、「私」の生殺与奪の権を握り、しかもそれを容易に行使しようとしない道詮和尚、「私」をごく自然に「全く普遍的な単位の、一人前の男として扱」ったまり子。とくに道詮和尚は、「私」を罰しない(=「私」に応答しようとしない)ということで、私」を放火に追いやった。そしてまり子は「私」と外界との壁をあっけなく融かしてしまい、そのことが「企図」の段階にあった放火を「行為」へと踏み出させたのである。これらの人物があまりにも生き生きとリアルに描かれているので、ある種通俗小説を追いかけているかのような錯覚に陥ってしまう。だが、これは純文学である。
何故ならこれは「モデル小説」をよそおった「私小説」だからだ。この小説は主人公の「私」の疎外感の原因が吃音障害であるという出発点と、最後に放火の後「生きようと私は思った」という結末と、その両方とも事実と異なっていると思われる。吃音障害は生得のものではない。言語を習得し使用できるようになる幼児期の何らかの心理的抑圧が原因である。私見だが父子関係の軋轢によるのではないだろうか。だが、この小説で描かれるのは、ひとつ蚊帳の中で母親が不倫の行為をしているのを見ないように子供の目をふさぐ弱く卑怯な父親である。吃音障害と無力な父親という設定は矛盾している。また、最後に放火した後、現実の放火犯はカルチモンを飲んで切腹を図っている。彼は「金閣」とともに「死のう」としたのだ。
「金閣」を焼いて「生きよう」と思ったのは「私」なのだ。「私」は「金閣」を焼かなければ生きられないと思ったのだ。_______では、「金閣」とは何か。
『金閣寺』については、機会があれば本論を書いてみたいと思っています。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
2014年2月5日水曜日
深沢七郎「風流夢譚」__「私」は誰でしょう
先日ネット上で「風流夢譚」が電子書籍化されていることを発見した。この空前絶後の不敬小説が、と、ある感慨と同時にかすかな違和感を覚えた。時代はどう変わったのだろうか。
一九六〇年(昭和三五年)中央公論12月号に発表されたこの小説は、その内容よりも発表直後に巻き起こった賛否両論の激しいぶつかり合いと、二ヵ月後に起こった右翼少年のテロ行為によって中央公論の社長宅が襲われ、社長夫人が重傷を負い、お手伝いさんが亡くなったという事件のほうが記憶に残っている人が多いだろう。小説の批評、評価は私などの分を超えた分野であり、事件とその影響についても軽々に判断できることではない。ただひとつ、いま読み直してみて気がついたことがあるので、少しだけ書いてみたい。それは、この荒唐無稽な夢物語を語る「私」についての検討である。
深沢の小説は、あの独特な甲州弁と他の作家ではありえない日本語の使い方から、一見ちゃんぽらんに見えるのだが、じつは計算され尽くした構成のもとに成り立っている。それは彼がギタリストであるからだという人もいる。この小説も見事な構成である。
冒頭作者は「あの晩の夢判断をするには、私の持っている腕時計と私の妙な因果関係を分析しなければならないだろう」と、「私」の腕時計の話から始める。腕に巻いているときだけ正確に時を刻むが、腕からはずすと止まってしまう時計で、アメリカ婦人が帰国の際に「私」の友人に5千円で売り、友人にすすめられて「私」はそれを3千円で買ったのである。中味は燦然と輝く金に見えるが、トタンのメッキのインチキ品かもしれない。正確な時刻を知るには、甥のミツヒトが高級なウエストミンスターの置時計を置いてあるので、不便は感じなかった、と書かれる。ある晩おそく帰宅した「私」は、自分の腕時計もウエストミンスターの時計も深夜1時50分をさしていたのを意識した後、眠ってしまい夢を見たのだった。
夢の中で「私」は井の頭線の満員電車に乗って渋谷に行き、そこで八重洲行きのバスを待っている。ここでもバスを待つ人があふれている。まわりはみんな労働者の様な人達で、なぜか「私」は先頭に立っている。次から次へとバスが来るが、来るたびに並んでいる人達が運転手をひきずり降ろして乗り込んでいく。都内で革命の様なことが起こっていて、諸外国が応援してくれて、こちらは武器、弾薬、ミサイルまで入手したらしい。「私」は二つの毛糸玉を転がしながら編物をあんでいる中年の職業婦人らしい人に誘われて、皇居行きのバスに乗り込む。
皇居広場は屋台の店が立ち並び、お祭り騒ぎの中、皇太子夫妻が首を落とされ、天皇皇后もすでに斬首されている。この記述が不敬小説とされる所以だろうが、斬首の場面の描写は「スッテンコロロカラカラ」と無機的な擬音語が二回使われているだけで、あっけらかんと淡白である。まったく同時期に(小説新潮12月号)発表された三島由紀夫の「憂国」の微に入り細を穿った陰惨な切腹場面と対照的だ。作者がこだわるのは、斬首に使われたマサキリが「私」のものであるということなのである。「(困るなァ、俺のマサキリで首など切ってはキタナくなって)」「(首など切ってしまって、キタナクて、捨てるのも勿体ないから、誰かにやってしまおう)」と、執拗な記述が続く。また、人形でも見ているかのように衣装に関心があるようで、天皇皇后の洋服に「英国製」と商標マークがついていると書いている。
この後「わしなど30年も50年もおそば近くにおつかえした者だ」という首にネックレス(のように見える文化勲章)を巻いた老紳士が登場する。「天皇皇后のご成婚の仲人をして文化勲章を貰った」というこの老紳士は、美智子妃の着物の模様や色紙に書かれたそれぞれの辞世の和歌の講釈を始める。そこに現れるのが、とうの昔に亡くなった昭憲皇太后である。
「65歳くらいの立派な婆さんである。広い額、大きい顔、毅然とした高い鼻、少ししかないが山脈の様な太い皺に練白粉をぬって、パーマの髪も綺麗に手入れがしてあるし、大蛇のような黒い太い長い首には燦然と輝く真珠の首飾りで、ツーピースのスカートのハジにはやっぱり英国製という商標マークがはっきり見えているのだ」
いったい深沢は作中人物の容姿、服装などの描写をすることは稀である。昭憲皇太后のここまで念入りな描写は何を意味するのだろう。さらに不思議なのは、昭憲皇太后が現れると、いままでただの野次馬だった「私」がいきなり彼女と取っ組み合いを始めるのだ。双方とも「糞ッたれ婆ァ」「糞ッ小僧」とののしりあうのだが、甲州弁でかわされる二人のかけあいには、なぜか奇妙な親密感が漂う。「私」と昭憲皇太后とはどんな関係があるのだろう。ののしりあいの果てに昭憲皇太后の頭をなぐろうとした「私」は彼女の頭に自分と同じ「ハゲ」を見つけて「わーっ」と飛びのくのだが、これは何を意味するのだろう。そもそも「私」とは何者なのか。
渋谷では゛キサス・キサス″を演奏しながら行進してきた軍楽隊が皇居前広場に来て、゛アモーレ、アモーレ、アモーレミヨ_"__死ぬ程愛して___をやりだして、演芸会の準備が始まる。小太鼓と大喇叭とトランペットの大群がやって来て、薄闇の空一面に花火が上がる。轟音とともに天を覆う花火が、火の粉となって頭上に降りそそぐと、「私」は「(こんないい花火を見て)」「(あゝ、これで思い残すこともない、死んでもいい)」と思うのである。そして、「私も腹一文字にかき切って」死のうと思って、辞世の歌を作って「パーンとピストルでアタマを打った」。
ピストルを打たれて死んだはずの「私」が、自分の頭蓋骨に詰まった白いウジを見て「「ウジだッ」と叫んだところで甥のミツヒトに起される。目がさめると、ミツヒトのウエストミンスターの時計が時を打つ前の前奏を鳴らしはじめ、それが終わると寺院の鐘のように「ベーン、ベーン」と2時を知らせた。そして、いつもは腕からはずすと止まってしまう「私」の腕時計も2時かっきりを指していた。
腕時計はなぜ止まらなかったのだろう。「(あッ、俺が夢を見ていた間は、この時計も起きていたのだ)と私は涙が出そうになる程嬉しくなって腕時計を抱き締めた。」と語り終える「私」とは、いったい誰でしょう。それから、渋谷で「私」を皇居行きのバスに誘った編物をしている「中年の職業婦人」と、作中披露される珍妙な辞世の歌をもっともらしく講釈する「老紳士」とは何ものなのか。
一九六〇年は激動の年であった。この小説は中央公論12月号の巻末に掲載されていて、最終頁の下半分は「すたっふ・さろん」と「編集後記」という編集者たちの署名入りの短文で埋められている。当時の編集者達の危機意識の深刻さに触れて、隔世の感がある。時代はあの年を分水嶺として確実に変わっていったのだ。このあと中央公論は翌六一年1月号から三島由紀夫の「宴のあと」を連載するのである。
正直、「風流夢譚」を取り上げるのは、いささかの躊躇いがありました。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
一九六〇年(昭和三五年)中央公論12月号に発表されたこの小説は、その内容よりも発表直後に巻き起こった賛否両論の激しいぶつかり合いと、二ヵ月後に起こった右翼少年のテロ行為によって中央公論の社長宅が襲われ、社長夫人が重傷を負い、お手伝いさんが亡くなったという事件のほうが記憶に残っている人が多いだろう。小説の批評、評価は私などの分を超えた分野であり、事件とその影響についても軽々に判断できることではない。ただひとつ、いま読み直してみて気がついたことがあるので、少しだけ書いてみたい。それは、この荒唐無稽な夢物語を語る「私」についての検討である。
深沢の小説は、あの独特な甲州弁と他の作家ではありえない日本語の使い方から、一見ちゃんぽらんに見えるのだが、じつは計算され尽くした構成のもとに成り立っている。それは彼がギタリストであるからだという人もいる。この小説も見事な構成である。
冒頭作者は「あの晩の夢判断をするには、私の持っている腕時計と私の妙な因果関係を分析しなければならないだろう」と、「私」の腕時計の話から始める。腕に巻いているときだけ正確に時を刻むが、腕からはずすと止まってしまう時計で、アメリカ婦人が帰国の際に「私」の友人に5千円で売り、友人にすすめられて「私」はそれを3千円で買ったのである。中味は燦然と輝く金に見えるが、トタンのメッキのインチキ品かもしれない。正確な時刻を知るには、甥のミツヒトが高級なウエストミンスターの置時計を置いてあるので、不便は感じなかった、と書かれる。ある晩おそく帰宅した「私」は、自分の腕時計もウエストミンスターの時計も深夜1時50分をさしていたのを意識した後、眠ってしまい夢を見たのだった。
夢の中で「私」は井の頭線の満員電車に乗って渋谷に行き、そこで八重洲行きのバスを待っている。ここでもバスを待つ人があふれている。まわりはみんな労働者の様な人達で、なぜか「私」は先頭に立っている。次から次へとバスが来るが、来るたびに並んでいる人達が運転手をひきずり降ろして乗り込んでいく。都内で革命の様なことが起こっていて、諸外国が応援してくれて、こちらは武器、弾薬、ミサイルまで入手したらしい。「私」は二つの毛糸玉を転がしながら編物をあんでいる中年の職業婦人らしい人に誘われて、皇居行きのバスに乗り込む。
皇居広場は屋台の店が立ち並び、お祭り騒ぎの中、皇太子夫妻が首を落とされ、天皇皇后もすでに斬首されている。この記述が不敬小説とされる所以だろうが、斬首の場面の描写は「スッテンコロロカラカラ」と無機的な擬音語が二回使われているだけで、あっけらかんと淡白である。まったく同時期に(小説新潮12月号)発表された三島由紀夫の「憂国」の微に入り細を穿った陰惨な切腹場面と対照的だ。作者がこだわるのは、斬首に使われたマサキリが「私」のものであるということなのである。「(困るなァ、俺のマサキリで首など切ってはキタナくなって)」「(首など切ってしまって、キタナクて、捨てるのも勿体ないから、誰かにやってしまおう)」と、執拗な記述が続く。また、人形でも見ているかのように衣装に関心があるようで、天皇皇后の洋服に「英国製」と商標マークがついていると書いている。
この後「わしなど30年も50年もおそば近くにおつかえした者だ」という首にネックレス(のように見える文化勲章)を巻いた老紳士が登場する。「天皇皇后のご成婚の仲人をして文化勲章を貰った」というこの老紳士は、美智子妃の着物の模様や色紙に書かれたそれぞれの辞世の和歌の講釈を始める。そこに現れるのが、とうの昔に亡くなった昭憲皇太后である。
「65歳くらいの立派な婆さんである。広い額、大きい顔、毅然とした高い鼻、少ししかないが山脈の様な太い皺に練白粉をぬって、パーマの髪も綺麗に手入れがしてあるし、大蛇のような黒い太い長い首には燦然と輝く真珠の首飾りで、ツーピースのスカートのハジにはやっぱり英国製という商標マークがはっきり見えているのだ」
いったい深沢は作中人物の容姿、服装などの描写をすることは稀である。昭憲皇太后のここまで念入りな描写は何を意味するのだろう。さらに不思議なのは、昭憲皇太后が現れると、いままでただの野次馬だった「私」がいきなり彼女と取っ組み合いを始めるのだ。双方とも「糞ッたれ婆ァ」「糞ッ小僧」とののしりあうのだが、甲州弁でかわされる二人のかけあいには、なぜか奇妙な親密感が漂う。「私」と昭憲皇太后とはどんな関係があるのだろう。ののしりあいの果てに昭憲皇太后の頭をなぐろうとした「私」は彼女の頭に自分と同じ「ハゲ」を見つけて「わーっ」と飛びのくのだが、これは何を意味するのだろう。そもそも「私」とは何者なのか。
渋谷では゛キサス・キサス″を演奏しながら行進してきた軍楽隊が皇居前広場に来て、゛アモーレ、アモーレ、アモーレミヨ_"__死ぬ程愛して___をやりだして、演芸会の準備が始まる。小太鼓と大喇叭とトランペットの大群がやって来て、薄闇の空一面に花火が上がる。轟音とともに天を覆う花火が、火の粉となって頭上に降りそそぐと、「私」は「(こんないい花火を見て)」「(あゝ、これで思い残すこともない、死んでもいい)」と思うのである。そして、「私も腹一文字にかき切って」死のうと思って、辞世の歌を作って「パーンとピストルでアタマを打った」。
ピストルを打たれて死んだはずの「私」が、自分の頭蓋骨に詰まった白いウジを見て「「ウジだッ」と叫んだところで甥のミツヒトに起される。目がさめると、ミツヒトのウエストミンスターの時計が時を打つ前の前奏を鳴らしはじめ、それが終わると寺院の鐘のように「ベーン、ベーン」と2時を知らせた。そして、いつもは腕からはずすと止まってしまう「私」の腕時計も2時かっきりを指していた。
腕時計はなぜ止まらなかったのだろう。「(あッ、俺が夢を見ていた間は、この時計も起きていたのだ)と私は涙が出そうになる程嬉しくなって腕時計を抱き締めた。」と語り終える「私」とは、いったい誰でしょう。それから、渋谷で「私」を皇居行きのバスに誘った編物をしている「中年の職業婦人」と、作中披露される珍妙な辞世の歌をもっともらしく講釈する「老紳士」とは何ものなのか。
一九六〇年は激動の年であった。この小説は中央公論12月号の巻末に掲載されていて、最終頁の下半分は「すたっふ・さろん」と「編集後記」という編集者たちの署名入りの短文で埋められている。当時の編集者達の危機意識の深刻さに触れて、隔世の感がある。時代はあの年を分水嶺として確実に変わっていったのだ。このあと中央公論は翌六一年1月号から三島由紀夫の「宴のあと」を連載するのである。
正直、「風流夢譚」を取り上げるのは、いささかの躊躇いがありました。今日も不出来な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
2014年1月31日金曜日
「永遠の0」___魅力的なウエルダンストーリー
めったに映画は見ないのだが、先日いま話題の「永遠の0」という映画を見に行った。簡潔で緊密なプロットで、ある特攻兵士の物語が語られる。大学を出て司法浪人の生活に目標を見失った青年が、姉に誘われて特攻兵士として死んだ宮部久蔵という祖父の生前を調べはじめ、そのことによって自分自身が変わっていく。詳しいストーリーは省くが、よくできたすじ回しで、じつに魅力的なウエルダンストーリーであると思う。
楽しむことが何よりの魅力的な映画に、くだくだしい理屈付けも野暮なのだが、あまり他の人が書いていないようなことをちょっとだけ書いてみたい。
この映画は、その構成が計算され尽くしたシンメトリーな様式性が美しい。主人公の青年と彼を取り巻く若者たちの弛緩した日常と、戦時下の若者たちの緊迫した生活が交互に描写される。また、主人公の青年も彼の(血はつながっていないが)いまの祖父も同じ司法の世界に生きる人間として設定されている。かたや司法試験不合格記録更新中の若者であり、かたやすでに半ばリタイアしたベテラン弁護士という違いはあるが。
だが、映像として最も美しいシンメリーが構成されているのは、戦時下に、妻と生まれたばかりの子のもとに帰った宮部が、一夜を明かして早朝自宅を出るときのシーンと、戦後、宮部に託されて彼の妻の生活をみてきた大石が自分の思いを打ち明けて彼女の家を出ようとするシーンである。どちらも去ろうとする男の背中を女が引き止める。女の必死な思いが男を立ち止まらせるが男は振り返らない。振り返らないで女の思いにこたえるのだ。相対して抱擁するよりはるかに濃密な、そして鮮烈なエロスがほとばしる。
もう一つの様式美は、ストーリーがきれいなループを描くことである。祖父の生きた証を求めて過去を探索していた主人公の青年は、結局自分の足元に真実が埋もれていたことを知ったのである。祖父の生前の姿を探求することが自分探しの旅でもあった。出発点と到着点が重なってくる。まさにO__オーでありゼロなのだ。そしてそのループOはいのちの連鎖でもある。
このすばらしいウエルダンストーリーに少しだけ疑問をはさめば、戦時下で非常識なほど家族思いでなおかつ主体的人間として描かれる宮部が特攻志願をすることが唐突すぎるのだ。前半の凛々しく人間愛にあふれた小隊長が、うってかわって退廃と自堕落なたたずまいで無為に生きるようになったのはなぜか。そこを描くことはこの映画の美学に反するのだろうか。
それから、最後に主人公の青年が橋の手すりにもたれて見上げる空にゼロ戦が飛ぶシーンはどう解釈すればいいのだろうか。映画としては岡田準一が入神の演技で戦艦に突入するシーンで完結ではなかったのか。
東京の空にゼロ戦が飛ぶというシーンは様々なことを考えさせる。もし、このシーンがなかったら、このウエルダンストーリーは荘重な、そして完結した悲劇だった。主人公の青年が見たゼロ戦には誰が乗っているのだろう。ループがもういちど廻って過去が未来になる日が来るのだろうか。
すばらしい映画にたいする取りとめもない駄文です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
楽しむことが何よりの魅力的な映画に、くだくだしい理屈付けも野暮なのだが、あまり他の人が書いていないようなことをちょっとだけ書いてみたい。
この映画は、その構成が計算され尽くしたシンメトリーな様式性が美しい。主人公の青年と彼を取り巻く若者たちの弛緩した日常と、戦時下の若者たちの緊迫した生活が交互に描写される。また、主人公の青年も彼の(血はつながっていないが)いまの祖父も同じ司法の世界に生きる人間として設定されている。かたや司法試験不合格記録更新中の若者であり、かたやすでに半ばリタイアしたベテラン弁護士という違いはあるが。
だが、映像として最も美しいシンメリーが構成されているのは、戦時下に、妻と生まれたばかりの子のもとに帰った宮部が、一夜を明かして早朝自宅を出るときのシーンと、戦後、宮部に託されて彼の妻の生活をみてきた大石が自分の思いを打ち明けて彼女の家を出ようとするシーンである。どちらも去ろうとする男の背中を女が引き止める。女の必死な思いが男を立ち止まらせるが男は振り返らない。振り返らないで女の思いにこたえるのだ。相対して抱擁するよりはるかに濃密な、そして鮮烈なエロスがほとばしる。
もう一つの様式美は、ストーリーがきれいなループを描くことである。祖父の生きた証を求めて過去を探索していた主人公の青年は、結局自分の足元に真実が埋もれていたことを知ったのである。祖父の生前の姿を探求することが自分探しの旅でもあった。出発点と到着点が重なってくる。まさにO__オーでありゼロなのだ。そしてそのループOはいのちの連鎖でもある。
このすばらしいウエルダンストーリーに少しだけ疑問をはさめば、戦時下で非常識なほど家族思いでなおかつ主体的人間として描かれる宮部が特攻志願をすることが唐突すぎるのだ。前半の凛々しく人間愛にあふれた小隊長が、うってかわって退廃と自堕落なたたずまいで無為に生きるようになったのはなぜか。そこを描くことはこの映画の美学に反するのだろうか。
それから、最後に主人公の青年が橋の手すりにもたれて見上げる空にゼロ戦が飛ぶシーンはどう解釈すればいいのだろうか。映画としては岡田準一が入神の演技で戦艦に突入するシーンで完結ではなかったのか。
東京の空にゼロ戦が飛ぶというシーンは様々なことを考えさせる。もし、このシーンがなかったら、このウエルダンストーリーは荘重な、そして完結した悲劇だった。主人公の青年が見たゼロ戦には誰が乗っているのだろう。ループがもういちど廻って過去が未来になる日が来るのだろうか。
すばらしい映画にたいする取りとめもない駄文です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
2014年1月22日水曜日
三島由紀夫『仮面の告白』___面白すぎる純文学
いまはほとんど議論の対象にならなくなったけれど、一時期かなり真剣に「純文学とそれ以外の小説」の区別が問題になったことがある。純文学とそれ以外__中間小説、大衆小説と呼ばれていた__では発表される雑誌も違っていた。いずれのジャンルの小説も、いま考えると不思議なくらい量産されていて、毎月発行される雑誌も御三家(新潮社、文芸春秋、講談社)中心に数多かった。当時の流行作家だった瀬戸内晴美(寂聴)が「挿絵がついていないのが純文学で、挿絵つきはそうでない」という定義をしていて、そうなのか、と納得した覚えがある。その当時もいまも「純文学」というものを読んでわかった気になったことは一度もないのだが。
三島由紀夫は当時最もきらきらした流行作家で、かつ純文学の作家だった。ただ、私の文学体験が折口信夫全集からはじまるかなり特殊なものだったので、同時代人としての三島に関しては、高校の読書感想文の課題図書となった『潮騒』を読んだ、というより読まされた記憶しかない。当時の私にはさっぱり面白くない作品だった。純真だが貧乏で粗野な若者と美貌の資産家の娘が愛し合って、試練を乗り越えて結ばれる、というハッピィ・エンドの物語のどこに文学的興味をもてばよいのかわからなかった。いま読み直すと、この小説は、神話的枠組みの中で、どこまでも健康に異性間の愛と純潔を語り上げたという点で、三島の他の作品と際立って異なっていると思われる。
純文学かそうでないかの区別に話を戻すと、私なりの区別の仕方があって、それは、作品を読んだあとの後味のちがいである。純文学は、読み終わって、また同じその作品をもう一度読みたくなるのだ。読後に感動とともに謎が残っているので、それをつきとめたくなるのだろう。読み終わって、「ああ面白かった。で、次は何を読もうか」と未練なく読み捨てられるのは純文学ではない、という独断と偏見にみちた私の判断基準からいえば、上記の『潮騒』はまぎれもなく純文学である。だが、それ以外の三島由紀夫の作品は、いま読むとどれもあまりにも面白くて、しかも次の作品が読みたくなり、これがはたして純文学なのだろうか、と思ってしまう。私は三島の遺作ともいうべき「豊饒の海」四部作から読みはじめたのだが、それからやめられなくなって手当たり次第に濫読している。(なのでちっともブログが書けませぬ)
「豊饒の海」四部作については、いつかきちんとしたものを書きたいと考えている。それから、これはまちがいなく「純文学」であり、大江健三郎や深沢七郎にも大きな刺激と影響を与えた「憂国」も取り上げたいと思っているが、ここではあまりに面白い純文学として「仮面の告白」について、少しだけ書いてみたい。
有名な小説なのであらすじを紹介するまでもないと思う。三島由紀夫が二十四歳の時に書かれた「ゐたせくすありす」だといわれている。「自分が生まれた光景を見た」という不思議な体験を語ることからはじまるこの小説は、「近江」という少年への恋、残虐と恍惚が入り混じった死への異常な関心と傾斜、異性に対する不能を語りながら、「園子」という美貌の少女を登場させる。戦時下にこんな生活があったのかと思うような別世界で、天真爛漫で育ちのよい園子は語り手の「私」を愛する。その一途な愛が、あまりにも一途なので、かえって愛されている「私」を嫉妬させるほどに。だが「私」は愛を成就させることはできない。
「愛の不能」が三島の作品だけでなく、世界的な文学や芸術のテーマであった時代が当時だったのかもしれない。なんだかよくわからないけれどそんなようなテーマをうたったフランス映画を観に行った記憶がある。でも、いま「仮面の告白」で取り上げたいのは、そんな観念的なテーマについてではない。一途に「私」を愛する園子の見事な悪女性について、である。園子が悪女だとは作品の中に一言も書かれていない。少女期特有の甘やかな感傷を身にまとい、園子は純粋に「私」を愛そうとする。「私」も彼女以外に真剣に想う相手はいない。彼女と「私」の間に愛を阻む条件はないのである。戦時下で頻繁に空襲があり、いつ日常が断たれるかという状況はあっても、それだからむしろ一層園子の愛はまっすぐなのだ。純粋な善そのもののような園子を三島は身も凍るような悪女にしたのである。
「私」は園子の家から正式に縁談がもちこまれそうになると、逃げてしまう。そして原爆が落とされ戦争が終わった。官吏登用試験を目前にしている「私」は「偶然に」園子と再会する。配給の蒟蒻が入ったバケツをもって「私」の前に現れた彼女は人妻になっていた。その後再び彼女の兄の家で出会った二人は逢瀬を重ねるようになる。「どうして私たち結婚できなかったのかしら。」「あたくしをおきらいだったの?」とたずねる園子に、今度は「私」は「もう一度二人きりで会えない?」と誘い、彼女もそれに応じたのだ。どこまでいってもプラトニックな関係のままで。このかぎりなく狡猾で隠微な関係を三島はこう描写する。
私たちはお互いに手をさしのべて何ものかを支えていたが、その何ものかは、在ると信じれば在り、無いと信じれば失われるような、一種の気体に似た物質であった。これを支える作業は一見素朴で、実は巧緻を要する計算の結果である。私は人工的な「正常さ」をその空間に出現させ、ほとんど架空の「愛」を瞬間瞬間に支えようとする危険な作業に園子を誘ったのである。彼女は知らずしてこの陰謀に手を貸しているように見えた。知らなかったので、彼女の助力は有効だったということができよう。
しかし破綻はまちがいなくやってきた。再会から一年経った晩夏のある日、逢引の場所のレストランでの会話である。
彼女は指輪のきらめく指でプラスチックのハンドバッグの留め金をそっと鳴らした。
「もう退屈したの?」「そんなこと仰言っちゃ、いや」
何かふしぎな倦怠が彼女の声の調子にこもってきこえる。それは「艶やかな」と謂っても大差のないものである。
この後、夫に対する良心の呵責から受洗を考えているという彼女を誘って「私」は行き慣れぬ踊り場に足を運ぶ。そこで出会った名もしらぬ半裸の若者の肉体と刺青に「私」は突然の情欲に襲われる。忘我のうちに幻想を見ていた「私」は園子の「あと五分だわ」という叫びに我にかえる。彼女の逢引に使える時間は逼迫していたのだ。しどろもどろで取り繕う「私」に彼女はこう言うのだ。
・・・やがて そのつつましい口もとには、なにか言い出そうとすることを予め微笑で試していると謂った風の、いわば微笑の兆しのようなものが漂った。
「おかしなことをうかがうけれど、「もう」でしょう。「もう」勿論あのことはご存知の方(ほう)でしょう」
彼女は、「私」が女を買おうとして自分の不能を確定させた一晩の経験を知っているはずはない。ただ、彼女のなかの「女」がこう言わせたのである。それがたわむれな、あるいは偶発的なものでない証拠に、彼女はさらにたたみかけて聞くのだ。
私は力尽きていた。しかもなお心の発条(ばね)のようなものが残っていて、それが間髪を容れず、尤もらしい答えを私に言わせた。
「うん、・・・・・・知っていますね。残念ながら」
「いつごろ」
「去年の春」
「どなたと?」
「私は」、執拗に相手の名を聞く園子に「きかないで」と答えるのがやっとだった。完膚なきまでにたたきのめされた「私」の心象風景を三島はこう描写して一編を閉じる。
___時刻だった。私は立ち上げるとき、もう一度日向の椅子のほうをぬすみ見た。一団は踊りに行ったとみえ、からっぽの椅子が照りつく日差しのなかに置かれ、卓の上にこぼれている何かの飲み物が、ぎらぎらと凄まじい反射をあげた。
こんなにも魅力的な悪女を書き得たのが弱冠二十四歳の青年だったということが信じられない。園子をこのような悪女に造型するために、「私」は性的倒錯の不能者として描かれなければならなかったのだが、現実に女を知らない人間が書ける小説ではないのは言うまでもない。このあとも三島は次々と魅力的な悪女を書いてく。というより、『潮騒』のような例外を除けば、三島は悪女だけをかいたのではないか。遺作となった「豊饒の海」は悪女のオンパレードのように思われる。
大江健三郎を読み解くために三島由紀夫に取り組んだつもりだったのですが、やはり地がでて、ミーハー度満開の読書感想文になってしまいました。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
三島由紀夫は当時最もきらきらした流行作家で、かつ純文学の作家だった。ただ、私の文学体験が折口信夫全集からはじまるかなり特殊なものだったので、同時代人としての三島に関しては、高校の読書感想文の課題図書となった『潮騒』を読んだ、というより読まされた記憶しかない。当時の私にはさっぱり面白くない作品だった。純真だが貧乏で粗野な若者と美貌の資産家の娘が愛し合って、試練を乗り越えて結ばれる、というハッピィ・エンドの物語のどこに文学的興味をもてばよいのかわからなかった。いま読み直すと、この小説は、神話的枠組みの中で、どこまでも健康に異性間の愛と純潔を語り上げたという点で、三島の他の作品と際立って異なっていると思われる。
純文学かそうでないかの区別に話を戻すと、私なりの区別の仕方があって、それは、作品を読んだあとの後味のちがいである。純文学は、読み終わって、また同じその作品をもう一度読みたくなるのだ。読後に感動とともに謎が残っているので、それをつきとめたくなるのだろう。読み終わって、「ああ面白かった。で、次は何を読もうか」と未練なく読み捨てられるのは純文学ではない、という独断と偏見にみちた私の判断基準からいえば、上記の『潮騒』はまぎれもなく純文学である。だが、それ以外の三島由紀夫の作品は、いま読むとどれもあまりにも面白くて、しかも次の作品が読みたくなり、これがはたして純文学なのだろうか、と思ってしまう。私は三島の遺作ともいうべき「豊饒の海」四部作から読みはじめたのだが、それからやめられなくなって手当たり次第に濫読している。(なのでちっともブログが書けませぬ)
「豊饒の海」四部作については、いつかきちんとしたものを書きたいと考えている。それから、これはまちがいなく「純文学」であり、大江健三郎や深沢七郎にも大きな刺激と影響を与えた「憂国」も取り上げたいと思っているが、ここではあまりに面白い純文学として「仮面の告白」について、少しだけ書いてみたい。
有名な小説なのであらすじを紹介するまでもないと思う。三島由紀夫が二十四歳の時に書かれた「ゐたせくすありす」だといわれている。「自分が生まれた光景を見た」という不思議な体験を語ることからはじまるこの小説は、「近江」という少年への恋、残虐と恍惚が入り混じった死への異常な関心と傾斜、異性に対する不能を語りながら、「園子」という美貌の少女を登場させる。戦時下にこんな生活があったのかと思うような別世界で、天真爛漫で育ちのよい園子は語り手の「私」を愛する。その一途な愛が、あまりにも一途なので、かえって愛されている「私」を嫉妬させるほどに。だが「私」は愛を成就させることはできない。
「愛の不能」が三島の作品だけでなく、世界的な文学や芸術のテーマであった時代が当時だったのかもしれない。なんだかよくわからないけれどそんなようなテーマをうたったフランス映画を観に行った記憶がある。でも、いま「仮面の告白」で取り上げたいのは、そんな観念的なテーマについてではない。一途に「私」を愛する園子の見事な悪女性について、である。園子が悪女だとは作品の中に一言も書かれていない。少女期特有の甘やかな感傷を身にまとい、園子は純粋に「私」を愛そうとする。「私」も彼女以外に真剣に想う相手はいない。彼女と「私」の間に愛を阻む条件はないのである。戦時下で頻繁に空襲があり、いつ日常が断たれるかという状況はあっても、それだからむしろ一層園子の愛はまっすぐなのだ。純粋な善そのもののような園子を三島は身も凍るような悪女にしたのである。
「私」は園子の家から正式に縁談がもちこまれそうになると、逃げてしまう。そして原爆が落とされ戦争が終わった。官吏登用試験を目前にしている「私」は「偶然に」園子と再会する。配給の蒟蒻が入ったバケツをもって「私」の前に現れた彼女は人妻になっていた。その後再び彼女の兄の家で出会った二人は逢瀬を重ねるようになる。「どうして私たち結婚できなかったのかしら。」「あたくしをおきらいだったの?」とたずねる園子に、今度は「私」は「もう一度二人きりで会えない?」と誘い、彼女もそれに応じたのだ。どこまでいってもプラトニックな関係のままで。このかぎりなく狡猾で隠微な関係を三島はこう描写する。
私たちはお互いに手をさしのべて何ものかを支えていたが、その何ものかは、在ると信じれば在り、無いと信じれば失われるような、一種の気体に似た物質であった。これを支える作業は一見素朴で、実は巧緻を要する計算の結果である。私は人工的な「正常さ」をその空間に出現させ、ほとんど架空の「愛」を瞬間瞬間に支えようとする危険な作業に園子を誘ったのである。彼女は知らずしてこの陰謀に手を貸しているように見えた。知らなかったので、彼女の助力は有効だったということができよう。
しかし破綻はまちがいなくやってきた。再会から一年経った晩夏のある日、逢引の場所のレストランでの会話である。
彼女は指輪のきらめく指でプラスチックのハンドバッグの留め金をそっと鳴らした。
「もう退屈したの?」「そんなこと仰言っちゃ、いや」
何かふしぎな倦怠が彼女の声の調子にこもってきこえる。それは「艶やかな」と謂っても大差のないものである。
この後、夫に対する良心の呵責から受洗を考えているという彼女を誘って「私」は行き慣れぬ踊り場に足を運ぶ。そこで出会った名もしらぬ半裸の若者の肉体と刺青に「私」は突然の情欲に襲われる。忘我のうちに幻想を見ていた「私」は園子の「あと五分だわ」という叫びに我にかえる。彼女の逢引に使える時間は逼迫していたのだ。しどろもどろで取り繕う「私」に彼女はこう言うのだ。
・・・やがて そのつつましい口もとには、なにか言い出そうとすることを予め微笑で試していると謂った風の、いわば微笑の兆しのようなものが漂った。
「おかしなことをうかがうけれど、「もう」でしょう。「もう」勿論あのことはご存知の方(ほう)でしょう」
彼女は、「私」が女を買おうとして自分の不能を確定させた一晩の経験を知っているはずはない。ただ、彼女のなかの「女」がこう言わせたのである。それがたわむれな、あるいは偶発的なものでない証拠に、彼女はさらにたたみかけて聞くのだ。
私は力尽きていた。しかもなお心の発条(ばね)のようなものが残っていて、それが間髪を容れず、尤もらしい答えを私に言わせた。
「うん、・・・・・・知っていますね。残念ながら」
「いつごろ」
「去年の春」
「どなたと?」
「私は」、執拗に相手の名を聞く園子に「きかないで」と答えるのがやっとだった。完膚なきまでにたたきのめされた「私」の心象風景を三島はこう描写して一編を閉じる。
___時刻だった。私は立ち上げるとき、もう一度日向の椅子のほうをぬすみ見た。一団は踊りに行ったとみえ、からっぽの椅子が照りつく日差しのなかに置かれ、卓の上にこぼれている何かの飲み物が、ぎらぎらと凄まじい反射をあげた。
こんなにも魅力的な悪女を書き得たのが弱冠二十四歳の青年だったということが信じられない。園子をこのような悪女に造型するために、「私」は性的倒錯の不能者として描かれなければならなかったのだが、現実に女を知らない人間が書ける小説ではないのは言うまでもない。このあとも三島は次々と魅力的な悪女を書いてく。というより、『潮騒』のような例外を除けば、三島は悪女だけをかいたのではないか。遺作となった「豊饒の海」は悪女のオンパレードのように思われる。
大江健三郎を読み解くために三島由紀夫に取り組んだつもりだったのですが、やはり地がでて、ミーハー度満開の読書感想文になってしまいました。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
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