身辺雑事はだいぶかたづいたのですが、原文講読も書くことも遅々としてはかどりません。能力の限界を感じています。と泣き言を言っても何もならないし、たまたま今日は雪が降っているので、本筋とあまり関係がないかもしれないのですが、「サリンジャーと雪」について少しだけ書いてみたいと思います。
『ライ麦畑でつかまえて』は「十二月かなんかでさ、魔女の乳首みたいにつめたかった」土曜日の午後から始まる。何日かは特定されないが、クリスマス休暇間近の三日間の出来事である。土曜の夜、寮のディナーを済ませて食堂を出ると雪が降っている。ホールデンは寮に残っていた学生たちと一緒に雪投げをしたりしてはしゃぐ。毎日雪に降り込められる地方の人以外には、雪は古今東西時空を越えて心を浮きたたせるものらしい。ところでちょっと不思議なのはその後のホールデンの行動である。
ホールデンは窓をあけて素手で雪球を握り、外の物にぶつけようとする。まず道路の向こう側に止まっていた車に、それから消火栓に。だが、そのどちらもあまりに「白くてきれい」なので、何にもぶつけずそのまま握っていて、ルームメイト二人と外出してバスの中でも持っている。さすがに運転手にドアをあけて捨てさせられたのだが。「雪球」を長時間(といっても数十分だろうけれど)握っていても溶けないことがあるのだろうか。
『ライ麦畑でつかまえて』に雪が降るのはこの場面だけである。太陽は姿を見せないが、雪はもう降らない。冷たく陰鬱なニューヨークの空の下、ホールデンはさまざまな体験を重ねていく。そして最後に妹のフィービーを回転木馬にのせるところでこの物語は終わるのだが、ここでは、雨が降ってくるのだ。冬のさなかなのに真夏のような土砂降りの雨が降りだすのである。
サリンジャーの作品ではこのほかに『ナイイン・ストーリーズ』中の「コネティカットのひょこひょこおじさん」にも雪が登場し、しかも重要な役割を果たす。大学時代の友人エロイーズを訪れたメアリ・ジェーンは雪に降り込められてエロイーズの家で足止めをくってしまう。そしてメアリ・ジェーンの車が移動できないことを口実にエロイーズは夫のルーを迎えに行くことを断る。だが、メイドのグレースの亭主は雪の中に追い出すのである。エロイーズの娘ラモーナが雪道で履くオーヴァーシューズを脱がすのに一騒動あったりもする。この小説で雪は重要な小道具、と言うより作品自体を成り立たせるためのひとつの劇場空間といった趣がある。エロイーズとメアリ・ジェーンの共通の知人、癌で死んだ先生の名が「ホワイティング先生」というのも偶然だろうか。
書いているうちに雪は雨に変わってしまったようです。終の棲家に、と昨年11月に越してきたこの地は、連日氷点下7~8度の寒さです。関東地方の内陸部としては異常ともいえる寒さで、今年が特別でありますように、と願っています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
2013年1月14日月曜日
2012年12月3日月曜日
「ライ麦畑でつかまえて」____ジェーン・ギャラハーとは何か
久々の更新です。やっとものが書ける環境になりつつあります。だいぶ感覚がなまってしまったようで、少し不安ですが。今回は「ライ麦畑でつかまえて」の影の主人公ともいえるジェーン・ギャラハーについての覚書です。箇条書きに近いまさにnaoko_noteですが。
「ライ麦畑でつかまえて」には主人公ホールデンの他にも何人かの個性的なキャラクタが登場する。冒頭では前回少し触れたスペンサー先生、それからルームメイトのアクリーとストラドレーター、そしてストラドレーターがデイトしたジェーン・ギャラハーの四人は小説前半の重要人物である。ただしジェーン・ギャラハーはホールデンとストラドレーターとの会話およびホールデンの回想の中で触れられるが、直接ストーリーの展開の中に姿を現すことはない。だが、ホールデンは、というよりサリンジャーは執拗にジェーン・ギャラハーについて言及する。そもそもホールデンが、どのみち放校になるにせよ、予定より早くペンシーを出たのは、彼がストラドレーターにジェーン・ギャラハーを「やったのか」どうかについて訊ねたのに対し、、ストラドレーターが「それは職業上の秘密という奴でしてね」とはぐらかしたことが直接のひきがねになったのだ。
「やったのかよ?」というホールデンの言葉は原文ではGive her the time?となっている。日本語でも「やった」という言葉は、様々な漢字が当てられて複雑な意味をもつ。Give the timeを「やった」と訳したのは訳者の野崎孝さんの名訳だと思うのだが、原文も日本語訳もその意味するところは深い。
ホールデンとジェーンはどんな関係だったのだろう。二年前の夏、メイン州にあった彼女の家のドーベルマンが隣のホールデンの家の庭に排泄したことがきっかけで二人は友達になったという。ひと夏を二人は一緒にスポーツを楽しみ、ゲームをしたり、ときには(ホールデンが嫌いなはずの)映画を見に行ったりもした。アメリカ中産階級の子女の典型的なひと夏の体験が語られるのだが、中でも印象的なのが、二人がチェッカーをしていたときのエピソードである。
ジェーン・ギャラハーという少女はまず「(チェッカーをするとき)自分のキングを絶対に動かさない」人物として紹介される。そのことは何回も繰り返して記述される。ある土曜日の午後二人はそうやってチェッカーをしていたのだが、突然土砂降りの雨が降り出す。すると、ヴェランダでゲームをしていた二人の前に彼女の母親の再婚相手の「カダヒさん」という男が現れて「家のどこかに煙草はないか」と彼女に聞く。ところが彼女はまったく答えない。男はあきらめて家の中に戻ったが、その後ホールデンの問いかけにも彼女は口をとざしたままである。そして、チェッカ-盤の赤い桝目上に涙を一滴こぼして、それを指ですりこんでしまう。それを見たホールデンは泣き出した彼女の顔一面に接吻する。口以外のすべてに。
その後ジェーンはいったん家の中に入っていって「赤と白のセーターを着て来」て、二人は映画に行く。事件の顛末はこれだけなのだが、ホールデンは彼女のどこにそんなに惹かれたのだろう。ジェーンの容姿は「厳密な意味では美人といえないと思うけどね、でもイカしたな」と語られる。ちょっと不思議なのは、「口が、唇から何から、五十くらいの方向に動くんだよ」というホールデンの描写である。?縦横斜めくらいは私も動かそうと思えば動かせるかもしれないが、「五十くらいの方向」は?まぁ、何より彼女がホールデンにとって魅力的だったのは、彼と同じセンスの持ち主だったからだろう。彼女は「いつも何かを読んでた」し「しかも、とてもよい本を読んでる」と語られ、ホールデンは彼女に「アリーの野球のミットを、そこに書いてある詩から何からそっくり見せてやった」のだ。そしてそうしたのは「うちの者たちを除けば、彼女だけだった」のである。
「ライ麦畑でつかまえて」に登場する人物はかなりの数になるのだが、実はそれぞれの人物が絡み合うことはほとんどなく、すべてホールデンとの出会いの場面で登場するだけである。逆にいえば、この小説はホールデンの目を通してそれぞれの人物を描いたものと言えるのではないか、とさえ考えられる。その中で、このジェーン・ギャラハーを除けば、ホールデンが価値観を共有するのは、死んでしまった弟のアリーと小さな妹のフィービーだけである。ホールデンはフィービーに再三電話しようと思うのだが、結局電話できないまま最後に直接彼女のところに忍び込む。ジェーンとも電話はつながらない。大事な人間には最後まで電話できないのだ。それにしてもジェーンはストラドレーターとデイトした後無事に家に戻ったのだろうか。
まだまだ読み込みがたりなくて、こなれていない文章です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
「ライ麦畑でつかまえて」には主人公ホールデンの他にも何人かの個性的なキャラクタが登場する。冒頭では前回少し触れたスペンサー先生、それからルームメイトのアクリーとストラドレーター、そしてストラドレーターがデイトしたジェーン・ギャラハーの四人は小説前半の重要人物である。ただしジェーン・ギャラハーはホールデンとストラドレーターとの会話およびホールデンの回想の中で触れられるが、直接ストーリーの展開の中に姿を現すことはない。だが、ホールデンは、というよりサリンジャーは執拗にジェーン・ギャラハーについて言及する。そもそもホールデンが、どのみち放校になるにせよ、予定より早くペンシーを出たのは、彼がストラドレーターにジェーン・ギャラハーを「やったのか」どうかについて訊ねたのに対し、、ストラドレーターが「それは職業上の秘密という奴でしてね」とはぐらかしたことが直接のひきがねになったのだ。
「やったのかよ?」というホールデンの言葉は原文ではGive her the time?となっている。日本語でも「やった」という言葉は、様々な漢字が当てられて複雑な意味をもつ。Give the timeを「やった」と訳したのは訳者の野崎孝さんの名訳だと思うのだが、原文も日本語訳もその意味するところは深い。
ホールデンとジェーンはどんな関係だったのだろう。二年前の夏、メイン州にあった彼女の家のドーベルマンが隣のホールデンの家の庭に排泄したことがきっかけで二人は友達になったという。ひと夏を二人は一緒にスポーツを楽しみ、ゲームをしたり、ときには(ホールデンが嫌いなはずの)映画を見に行ったりもした。アメリカ中産階級の子女の典型的なひと夏の体験が語られるのだが、中でも印象的なのが、二人がチェッカーをしていたときのエピソードである。
ジェーン・ギャラハーという少女はまず「(チェッカーをするとき)自分のキングを絶対に動かさない」人物として紹介される。そのことは何回も繰り返して記述される。ある土曜日の午後二人はそうやってチェッカーをしていたのだが、突然土砂降りの雨が降り出す。すると、ヴェランダでゲームをしていた二人の前に彼女の母親の再婚相手の「カダヒさん」という男が現れて「家のどこかに煙草はないか」と彼女に聞く。ところが彼女はまったく答えない。男はあきらめて家の中に戻ったが、その後ホールデンの問いかけにも彼女は口をとざしたままである。そして、チェッカ-盤の赤い桝目上に涙を一滴こぼして、それを指ですりこんでしまう。それを見たホールデンは泣き出した彼女の顔一面に接吻する。口以外のすべてに。
その後ジェーンはいったん家の中に入っていって「赤と白のセーターを着て来」て、二人は映画に行く。事件の顛末はこれだけなのだが、ホールデンは彼女のどこにそんなに惹かれたのだろう。ジェーンの容姿は「厳密な意味では美人といえないと思うけどね、でもイカしたな」と語られる。ちょっと不思議なのは、「口が、唇から何から、五十くらいの方向に動くんだよ」というホールデンの描写である。?縦横斜めくらいは私も動かそうと思えば動かせるかもしれないが、「五十くらいの方向」は?まぁ、何より彼女がホールデンにとって魅力的だったのは、彼と同じセンスの持ち主だったからだろう。彼女は「いつも何かを読んでた」し「しかも、とてもよい本を読んでる」と語られ、ホールデンは彼女に「アリーの野球のミットを、そこに書いてある詩から何からそっくり見せてやった」のだ。そしてそうしたのは「うちの者たちを除けば、彼女だけだった」のである。
「ライ麦畑でつかまえて」に登場する人物はかなりの数になるのだが、実はそれぞれの人物が絡み合うことはほとんどなく、すべてホールデンとの出会いの場面で登場するだけである。逆にいえば、この小説はホールデンの目を通してそれぞれの人物を描いたものと言えるのではないか、とさえ考えられる。その中で、このジェーン・ギャラハーを除けば、ホールデンが価値観を共有するのは、死んでしまった弟のアリーと小さな妹のフィービーだけである。ホールデンはフィービーに再三電話しようと思うのだが、結局電話できないまま最後に直接彼女のところに忍び込む。ジェーンとも電話はつながらない。大事な人間には最後まで電話できないのだ。それにしてもジェーンはストラドレーターとデイトした後無事に家に戻ったのだろうか。
まだまだ読み込みがたりなくて、こなれていない文章です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
2012年10月31日水曜日
「ライ麦畑でつかまえて」___「スペンサー先生とは何か」
ここ二ヶ月余り雑事に追われて、まったく更新できない日々が続いております。
まとまったことは書けないのですが、書くことを忘れないための覚書として、「ライ麦畑でつかまえて」の冒頭部分ホールデンがスペンサー先生の家を訪問する場面に関するささやかな疑問についていくつか考えてみたいと思います。
そもそもホールデンがスペンサー先生の家を訪問したのは何が目的だったのだろう。先生の家でかわされた二人のかみ合わない会話をいくら読んでもわからない。ここで少し気になるのは、ホールデンは先生から退学の前に自宅にこないかという「手紙」を貰った、と言う記述があるのだが、原文はgot your noteとなっている。noteと「手紙」は微妙にちがうことばのような気がするのだが。
二人の会話は、出来の悪い生徒をたしなめながら諭そうとする老教師と礼は尽くしながら本心は別のことを考えている生徒のそれのように続いていく。興味を覚えるのは、ホールデンは退学になるペンシーをふくめて「四つ」の学校を出ることになり、ペンシーの今学期では「四課目」落としたと書かれていて、「四」と言う数字が共通することである。そして「四つ」の学校のうち「ペンシー」と「フートン」「エレクトン・ヒルズ」はその名が明記され、以後もたびたび言及されるのだが、もう一つは最後まで明かされない。またペンシーで「落とした」4課目が何かはスペンサー先生の教える「歴史」以外は明かされないのにたいして、「ちゃんと通った」「英語」の内容については「ベーオウルフとかロードランデルなんていうのは、フートン・スクールに行ってたときに、みんな習ったんです」とホールデンに言わせている。たいした問題ではないかもしれないが、「ベーオウルフ」「ロードランダル」など、(少なくとも私には)あまり馴染みのない固有名詞が出てくることに違和感を覚えてしまう。
「人生は競技だ」Life is a game(何故かLifeはいつも大文字 のLで書かれている)というペンシーの校長のことばを皮切りにスペンサー先生の説教が始まり、ホールデンは聞いているようなふりをしながら別の事を考えている。《セントラルパーク》の池の家鴨は池が凍ったらどこへ行くのか、ということである。ホールデンの頭の中に浮かんだこの疑問は、面前のスペンサー先生ではなく、後に何故か二人のタクシーの運転手に向けられる。《セントラルパーク》の池の家鴨と、ホールデンのかぶる「赤いハンチング」はこの小説の最も重要なキーワードだと思うのだが、それについて書くのははまたの機会にしようと思う。注目したいのは、スペンサー先生もホールデンもboyもしくはBoyと言い合っていることである。日本語訳ではスペンサー先生のことばとしては「坊や」と訳され、ホールデンのことばとしては「チェッ!」と訳されるので、原文で読まなければわからないのだが。
スペンサー先生とホールデンのやりとりについては、十一月四日から十二月二日の間に勉強したという「エジプト人」とは何か、と言う重大な疑問が残っている。まだ納得できる回答を見出せないでいる疑問であり、その他にもこまかな固有名詞について検討しなければいけない部分が多いが、今回はとりあえずの覚書として書き出してみた。あくまで覚書でしかないまとまりのない文章で、恥ずかしい限りだが、ここで取り上げたいくつかの疑問にたいする考察はこの作品を読み解くための原点になるのではないか。なるべく早く身辺雑事をかたづけて、読むことに集中できる時間をつくりたいと思っている。
今日も出来の悪い文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
まとまったことは書けないのですが、書くことを忘れないための覚書として、「ライ麦畑でつかまえて」の冒頭部分ホールデンがスペンサー先生の家を訪問する場面に関するささやかな疑問についていくつか考えてみたいと思います。
そもそもホールデンがスペンサー先生の家を訪問したのは何が目的だったのだろう。先生の家でかわされた二人のかみ合わない会話をいくら読んでもわからない。ここで少し気になるのは、ホールデンは先生から退学の前に自宅にこないかという「手紙」を貰った、と言う記述があるのだが、原文はgot your noteとなっている。noteと「手紙」は微妙にちがうことばのような気がするのだが。
二人の会話は、出来の悪い生徒をたしなめながら諭そうとする老教師と礼は尽くしながら本心は別のことを考えている生徒のそれのように続いていく。興味を覚えるのは、ホールデンは退学になるペンシーをふくめて「四つ」の学校を出ることになり、ペンシーの今学期では「四課目」落としたと書かれていて、「四」と言う数字が共通することである。そして「四つ」の学校のうち「ペンシー」と「フートン」「エレクトン・ヒルズ」はその名が明記され、以後もたびたび言及されるのだが、もう一つは最後まで明かされない。またペンシーで「落とした」4課目が何かはスペンサー先生の教える「歴史」以外は明かされないのにたいして、「ちゃんと通った」「英語」の内容については「ベーオウルフとかロードランデルなんていうのは、フートン・スクールに行ってたときに、みんな習ったんです」とホールデンに言わせている。たいした問題ではないかもしれないが、「ベーオウルフ」「ロードランダル」など、(少なくとも私には)あまり馴染みのない固有名詞が出てくることに違和感を覚えてしまう。
「人生は競技だ」Life is a game(何故かLifeはいつも大文字 のLで書かれている)というペンシーの校長のことばを皮切りにスペンサー先生の説教が始まり、ホールデンは聞いているようなふりをしながら別の事を考えている。《セントラルパーク》の池の家鴨は池が凍ったらどこへ行くのか、ということである。ホールデンの頭の中に浮かんだこの疑問は、面前のスペンサー先生ではなく、後に何故か二人のタクシーの運転手に向けられる。《セントラルパーク》の池の家鴨と、ホールデンのかぶる「赤いハンチング」はこの小説の最も重要なキーワードだと思うのだが、それについて書くのははまたの機会にしようと思う。注目したいのは、スペンサー先生もホールデンもboyもしくはBoyと言い合っていることである。日本語訳ではスペンサー先生のことばとしては「坊や」と訳され、ホールデンのことばとしては「チェッ!」と訳されるので、原文で読まなければわからないのだが。
スペンサー先生とホールデンのやりとりについては、十一月四日から十二月二日の間に勉強したという「エジプト人」とは何か、と言う重大な疑問が残っている。まだ納得できる回答を見出せないでいる疑問であり、その他にもこまかな固有名詞について検討しなければいけない部分が多いが、今回はとりあえずの覚書として書き出してみた。あくまで覚書でしかないまとまりのない文章で、恥ずかしい限りだが、ここで取り上げたいくつかの疑問にたいする考察はこの作品を読み解くための原点になるのではないか。なるべく早く身辺雑事をかたづけて、読むことに集中できる時間をつくりたいと思っている。
今日も出来の悪い文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。
2012年8月16日木曜日
「テディ」____オレンジの皮と輪廻転生
「テディ」について書くのはこれが三回目である。以前書いたものを踏まえて、というより大幅に修正したものを早く出さなければいけないと思っていた。いま、完全なものが出せるわけではないのだが、とりあえずの経過報告をしたいと思う。
あらすじは今年三月七日「テディとは何か」で紹介した。十歳の「天才少年」テディが船旅の途中で妹のブーパーに水の入っていないプールに突き落とされて死ぬまでの一時間足らずの出来事である。出来事そのものについては「テディとは何か」の記事で比較的詳しく書いたので、今回はテディが語る二つの哲学的命題「オレンジの皮をめぐる存在論」と小説の後半アイヴィ青年ニコルソンと繰り広げる「輪廻転生」について少し考えてみたい。と言っても、純粋に哲学的考察をすることは私の能力をはるかに超えているので、かなり世俗的な推測にとどまるのだが。
父親の旅行鞄を踏み台にして舷窓から身をのりだしていたテディは、誰かが捨てたオレンジの皮が海上に浮かんでいるのを目撃する。オレンジの皮を目にしているのはテディだけである。そして彼は次のような三段論法を完成させる。もしテディがオレンジの皮を見なかったら、それがそこにあるのを知らない。そこにあるのを知らなければ、オレンジの皮が存在することも言えない。そして皮が沈んでしまったら、皮が浮いているのは彼の頭の中だけになる。結論は「そもそもオレンジの皮が浮かぶというのはぼくの頭の中から始まったことだからだ」
この結論について「認識と実在」といった哲学的命題をとりだすことも可能かと思われるが、私が注目したいのはオレンジの皮が浮かび、沈んでいくのを見ていたテディがその後「このドアから出てしまうと、後はもうぼくはぼくを知っている人たちの頭の中にしか存在しなくなるかもしれない」と考えたことである。自分が「つまりオレンジの皮と同じことかもしれない」と思うのである。オレンジの皮とテディとはたんに偶然の関係しかないのだろうか。
後半のアイヴィ青年ニコルソンとの哲学的論争はまず感情というものをどう捉えるか、について始まる。「詩人とはもともと感情を扱うもんだろう」というニコルソンに対して、テディは日本の俳句を例に上げ、それに反論する。そして「きみには感情がないと言うこと?」とニコルソンに聞かれ、彼は「持っているにしても使った記憶はない」「感情って何の役に立つのか分かんないんだ」と答えるのである。「神を愛しているだろう?」とも聞かれるが「感傷的に愛しているんじゃない」と言い、両親には<親近感>を持っている、と言う。「彼らはぼくの両親だし、ぼくたちみんながめいめいの調和やら何やらの一部をなしている」からだと説明し、両親に対して、生きている間は楽しいときを過ごしてもらいたいと思うが、彼らは自分と妹をそのように愛することはできないのだと言う。あるがままの自分たち兄妹を愛するのではなくて、愛する理由を愛しているのだと批判する。
その後二人はヴェーダンダ哲学について議論する。ここでは輪廻転生と、有限界から抜け出す手段が語られる。輪廻転生については、テディが前世に一人の女性にめぐりあったことで最終悟達に失敗したことが明らかにされる。テディは、その女性にめぐりあわなければ、アメリカ人に生まれ変わることはなかったと言うのだ。また、有限界から抜け出す手段については、論理から脱却することが何より必要だとテディは言う。彼はその実地体験として、ニコルソンに彼の片腕を上げてくれ、と言う。そしてそれを何と呼ぶかたずねる。とまどうニコルソンにテディは聞く。「あなたはそれが腕と呼ばれていることは知っているけど、それが腕だとどうして分かる?腕だという証拠がある?」とたたみかけるのだ。論理を吐き出してしまえば、物をありのままに見ることができるし「ついでに言えば、あなたの腕が本当は何かってことも分かるようになる」
最後にニコルソンは、テディの予知能力についてたずねる。テディが自分を調査した「ライデッカー調査委員会」のメンバーに彼らがいつ、どんな風に死ぬかを教えてやったという噂の真偽を聞いたのだ。テディはそれに対して、それぞれのメンバーが注意すべきことは言ったが、みんなほんとうは自分が死ぬのを怖れているのが分かっているから、その時期については言っていないと答える。しかし、「死んだら身体から跳び出せばいい」「誰しも何千回何万回とやってきたこと」だと言って直後に起こる自分自身の死を予知するのである。
もう時間がないと言って席をたとうとするテディをひきとめてニコルソンは教育と医学研究についてたずねる。テディは教育については「彼らがもし他のいろんなことを__名前だとか色だとか、そういったことをさ__学びたいと思ったら、・・・・・・・最初は物を見る本当の見方から始めてもらいたいんだ、ほかのりんご好きの連中(論理を抜け出せない人たち)の見方じゃなくね」と簡潔に答え、医学研究については、医学者たちの多くは「細胞自身が無限の可能性を持っていて、それの持ち主の人間なんかそっちのけみたいに聞こえる」と批判する。
ニコルソンとテディの会話は哲学的命題に終始しているように思われる。だが、ほんとうにそうだろうか。サリンジャーは、よく言われるように梵我一如のインド哲学の薀蓄を披瀝したかったのか。そうではないだろう。彼は形而上学者ではないし、神秘主義者でもない。徹底したリアリストである。「テディ」は徹底したリアリストが徹底してリアリステックに事実を語った小説なのだ。
ところでサリンジャーは作中「感情という要素」がほとんど入っていない詩の例として
「やがて死ぬ景色は見えず蝉の声」と「この道や行く人なしに秋の暮れ」
と芭蕉の句をとりあげている。サリンジャーの日本文学への造詣の深さに驚いてしまうのだが、もしかしたらこの作品全体へも芭蕉の影響は及んでいるのかもしれない。有名な『奥の細道』はこう始まる。
「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ馬の口とらへて老いをむかふる物は日々旅にして旅を栖とす。」
テディの生涯は舟の上で閉じられたのである。
八月十五日の昨日の日付で投稿したかったのですが、一日遅れてしまいました。それにしても拙い文章で恥ずかしいのですが、何とか書きだしてみました。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
あらすじは今年三月七日「テディとは何か」で紹介した。十歳の「天才少年」テディが船旅の途中で妹のブーパーに水の入っていないプールに突き落とされて死ぬまでの一時間足らずの出来事である。出来事そのものについては「テディとは何か」の記事で比較的詳しく書いたので、今回はテディが語る二つの哲学的命題「オレンジの皮をめぐる存在論」と小説の後半アイヴィ青年ニコルソンと繰り広げる「輪廻転生」について少し考えてみたい。と言っても、純粋に哲学的考察をすることは私の能力をはるかに超えているので、かなり世俗的な推測にとどまるのだが。
父親の旅行鞄を踏み台にして舷窓から身をのりだしていたテディは、誰かが捨てたオレンジの皮が海上に浮かんでいるのを目撃する。オレンジの皮を目にしているのはテディだけである。そして彼は次のような三段論法を完成させる。もしテディがオレンジの皮を見なかったら、それがそこにあるのを知らない。そこにあるのを知らなければ、オレンジの皮が存在することも言えない。そして皮が沈んでしまったら、皮が浮いているのは彼の頭の中だけになる。結論は「そもそもオレンジの皮が浮かぶというのはぼくの頭の中から始まったことだからだ」
この結論について「認識と実在」といった哲学的命題をとりだすことも可能かと思われるが、私が注目したいのはオレンジの皮が浮かび、沈んでいくのを見ていたテディがその後「このドアから出てしまうと、後はもうぼくはぼくを知っている人たちの頭の中にしか存在しなくなるかもしれない」と考えたことである。自分が「つまりオレンジの皮と同じことかもしれない」と思うのである。オレンジの皮とテディとはたんに偶然の関係しかないのだろうか。
後半のアイヴィ青年ニコルソンとの哲学的論争はまず感情というものをどう捉えるか、について始まる。「詩人とはもともと感情を扱うもんだろう」というニコルソンに対して、テディは日本の俳句を例に上げ、それに反論する。そして「きみには感情がないと言うこと?」とニコルソンに聞かれ、彼は「持っているにしても使った記憶はない」「感情って何の役に立つのか分かんないんだ」と答えるのである。「神を愛しているだろう?」とも聞かれるが「感傷的に愛しているんじゃない」と言い、両親には<親近感>を持っている、と言う。「彼らはぼくの両親だし、ぼくたちみんながめいめいの調和やら何やらの一部をなしている」からだと説明し、両親に対して、生きている間は楽しいときを過ごしてもらいたいと思うが、彼らは自分と妹をそのように愛することはできないのだと言う。あるがままの自分たち兄妹を愛するのではなくて、愛する理由を愛しているのだと批判する。
その後二人はヴェーダンダ哲学について議論する。ここでは輪廻転生と、有限界から抜け出す手段が語られる。輪廻転生については、テディが前世に一人の女性にめぐりあったことで最終悟達に失敗したことが明らかにされる。テディは、その女性にめぐりあわなければ、アメリカ人に生まれ変わることはなかったと言うのだ。また、有限界から抜け出す手段については、論理から脱却することが何より必要だとテディは言う。彼はその実地体験として、ニコルソンに彼の片腕を上げてくれ、と言う。そしてそれを何と呼ぶかたずねる。とまどうニコルソンにテディは聞く。「あなたはそれが腕と呼ばれていることは知っているけど、それが腕だとどうして分かる?腕だという証拠がある?」とたたみかけるのだ。論理を吐き出してしまえば、物をありのままに見ることができるし「ついでに言えば、あなたの腕が本当は何かってことも分かるようになる」
最後にニコルソンは、テディの予知能力についてたずねる。テディが自分を調査した「ライデッカー調査委員会」のメンバーに彼らがいつ、どんな風に死ぬかを教えてやったという噂の真偽を聞いたのだ。テディはそれに対して、それぞれのメンバーが注意すべきことは言ったが、みんなほんとうは自分が死ぬのを怖れているのが分かっているから、その時期については言っていないと答える。しかし、「死んだら身体から跳び出せばいい」「誰しも何千回何万回とやってきたこと」だと言って直後に起こる自分自身の死を予知するのである。
もう時間がないと言って席をたとうとするテディをひきとめてニコルソンは教育と医学研究についてたずねる。テディは教育については「彼らがもし他のいろんなことを__名前だとか色だとか、そういったことをさ__学びたいと思ったら、・・・・・・・最初は物を見る本当の見方から始めてもらいたいんだ、ほかのりんご好きの連中(論理を抜け出せない人たち)の見方じゃなくね」と簡潔に答え、医学研究については、医学者たちの多くは「細胞自身が無限の可能性を持っていて、それの持ち主の人間なんかそっちのけみたいに聞こえる」と批判する。
ニコルソンとテディの会話は哲学的命題に終始しているように思われる。だが、ほんとうにそうだろうか。サリンジャーは、よく言われるように梵我一如のインド哲学の薀蓄を披瀝したかったのか。そうではないだろう。彼は形而上学者ではないし、神秘主義者でもない。徹底したリアリストである。「テディ」は徹底したリアリストが徹底してリアリステックに事実を語った小説なのだ。
ところでサリンジャーは作中「感情という要素」がほとんど入っていない詩の例として
「やがて死ぬ景色は見えず蝉の声」と「この道や行く人なしに秋の暮れ」
と芭蕉の句をとりあげている。サリンジャーの日本文学への造詣の深さに驚いてしまうのだが、もしかしたらこの作品全体へも芭蕉の影響は及んでいるのかもしれない。有名な『奥の細道』はこう始まる。
「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ馬の口とらへて老いをむかふる物は日々旅にして旅を栖とす。」
テディの生涯は舟の上で閉じられたのである。
八月十五日の昨日の日付で投稿したかったのですが、一日遅れてしまいました。それにしても拙い文章で恥ずかしいのですが、何とか書きだしてみました。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
2012年8月7日火曜日
「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」____「わたし」はどんな絵を描いたのか
『ナイン・ストーリーズ』には三つの一人称の小説が収められている。「笑い男」「エズミに捧ぐ」そしてこの「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」である。「笑い男」と「エズミに捧ぐ」は非常に複雑な構造で、入り組んだストーリーの展開を追っていくうちに、語り手が誰なのかが分からなくなってしまう。それに比べると表題の作品は「ロバート・アガドギャニアン・ジュニア」を継父にもつ「わたし_(ド・ドーミエ=スミスという偽名をもつ)」が語る青春の回顧談として無理なく最後まで読んでいくことができる。ただ一つだけ腑に落ちないのは冒頭の一文である。
「わたしは、これから語るこの物語をば、その価値は問わぬにしても、ほんの微かながら粗野磊落な好色の匂いぐらいはところどころにとどめておりはせぬかと、それを唯一の心頼みに、今は亡き粗野磊落にして好色の継父、ロバート・アガドギャニアン・ジュニアの思い出に捧げたくなる気持を禁じがたい」
かなり長い文章で原文はもっと続くのだが、訳者の野崎孝さんはいったんここで切っている。ところで、いったいこの小説は最後まで読んでも「粗野磊落にして好色」の人間が登場しているようには見えないのだ。あえて見つけるなら、まだ見ぬ「シスター・アーマ」に異常なまでの関心をもち彼女に近づこうとする十九歳の「わたし」がそれであろうが、継父の「ロバート・アガドギャニアン・ジュニア」に関しては、離婚したての年若いX夫人との交際が示唆されるが、それらしいエピソードが語られるわけではない。
それから、これは単純に作者のミスなのだろうが(訳者の野崎さんはそのように指摘して注をつけている)、「ボビーとわたしがリッツ・ホテルに部屋をとって十ヵ月ばかりたった一九四〇年五月のある週」に「わたし」は〈東京帝室美術院〉前会員ヨショト氏が出した美術の添削講師の求人広告を目にしてそれに応募するのだが、実際にモントリオールにあるヨショト氏の職場兼住居に赴いたのは「一九三九年」となっている。「わたし」がシスター・アーマに宛てた「まるで小包みたいな手紙」も「一九三九年六月の夜」に書いた、となっていて、もう一つの「結局投函しなかった」手紙にも「カナダ、モントリオールにて 一九三九年六月二十八日」と明記されている。なんだか随分念入りなミスのようである。
『ナイン・ストーリーズ』の中でこの小説が最も長い。中篇、といっていいくらいの分量である。だが、語られる内容は比較的単純で、主人公の「わたし」のひと夏の体験である。少年期から青年期に差し掛かる十年をフランスで過ごし、母を亡くして継父とともに母国に戻った孤独な「わたし」は年齢を偽り、偽名で〈古典巨匠の友〉という美術学校の住み込み添削講師の職を得る。学校のスタッフは校長のヨショト氏とその夫人だけで、「わたし」は慣れない日本食(夫妻は日本人である)と椅子のない部屋に七転八倒しながら不本意な仕事をなんとかこなそうとする。展覧会で三つの金賞を受賞し、「自分が気味の悪いほどエル・グレコに似ている」「わたし」は、ヨショト氏の添削の翻訳や「二人のイカレタ生徒」の添削という仕事に意気阻喪してしまう。
ところが「わたし」は三人目に添削にあたった「聖ヨセフ修道会」の「シスター・アーマ」なる生徒の六枚の絵に異常なまでの興味をもつ。中でも褐色の包装紙に水彩で描いた一枚の絵___キリストの屍体を埋葬しようとしている場面を描いている__を「わたし」は絶賛してその中身をこと細かに描写する。そして、その絵をヨショト氏に奪われぬよう自分の部屋に持ち帰り、翌朝の四時までかかって添削、というより「走っている人の姿を描きたい」という彼女の求めに応じて、みずから十枚以上のスケッチを描いたばかりか「いつ果てるともしれぬような」長い手紙を書いたのである。
シスターアーマの次の作品と彼女自身との逢瀬に期待をふくらませた「わたし」は、明け方「午前三時半ごろ」スケッチと手紙を投函しに外出する。何故か作者はここでも時間の前後を間違えているようだ。朝の四時まで添削していたのに、三時半に投函した、というのは明らかに矛盾だろう。どうでもいいことなのかもしれないが、なんだか腑に落ちないものがある。
「わたし」の喜びは続かなかった。最初に受け持った二人よりさらに「もっと画才のない」生徒二人の添削をしなければならなくなったことと、決定的だったのは、シスター・アーマの修道院の院長から彼女の勉学許可の取り消しを告げる手紙が届いたからである。絶望した「わたし」は「講師を離れた個人の立場で」自分が受け持つ四人の生徒に「絵描きになることを断念するよう」フランス語で手紙を書いて言い渡す。その後「わたし」はまたもや長い手紙を書いて、シスター・アーマに勉学を続けるように促し、面会を求めるのだが、この手紙は結局投函されなかった。タキシードを着込んでホテルの食事を予約して外出した「わたし」だったが、途中で以前「泥水のようなコーヒー」と『「コニーアイランド風」なる特大のホットドック』を鵜呑みにした簡易食堂で食事をしているうちに、もう一度書き直したほうがいいように思えてきたからである。
以前私が「パウロの回心」にたとえた「異常な経験」に「わたし」が遭遇したのは、その帰り道であった。学校のある建物の一階の整形外科の器具の店に灯りがともっていて、「緑と黄と紫のシフォンのドレス」を着た「三十がらみの屈強な女性」がマネキンの脱腸帯を取り替えていた。「わたし」の視線に気づいた女性がよろけ、思わず手を差しのべた「わたし」に、「突然太陽が現われて」飛んで来たのだ。数秒間目がくらみよろけた「わたし」が再び見えるようになったとき、その女性の姿はもうなかった。
これでひと夏の体験は終わりである。「わたし」は退学させたばかりの四人の生徒に手紙を書いて復学させたが、ヨショト氏の学校自体は閉校になった。「わたし」は継父のボビーと以前の生活に戻り、シスター・アーマとは二度と連絡しなかった。
自意識過剰な青年のほろ苦い体験をユーモラスに語ったこの小説の中にいくつかぎょっとする場面、というか表現がある。一例を上げると、シスター・アーマに宛てた最初の手紙を投函した「わたし」が、夜毎呻き声をあげるヨショト夫妻の悩みを聞くことを想像する場面である。二人の話を辛抱強く聞いていた「わたし」がとうとう耐えられなくなって「ヨショト夫人の咽喉の奥に片手を突っ込み、心臓をつかみ出し、小鳥でも温めるようにしてこれを温めてやる」とあるが、どうしたら、このようなことが想像できるだろうか。また、「わたし」はシスター・アーマに書いた最初の手紙のなかで、彼女の絵をアッシジの聖フランシスの言葉に似ているというが、それはどんな意味なのか。聖フランシスの言葉とは、彼が焼き鏝で片方の目玉を焼きつぶされようとしたときの「わが兄弟なる火よ、神は汝を美しく有用なもの創り給うた。願わくはわれを鄭重に取り扱われんことを」というものである。さらに、結局投函されなかった第二の手紙でも「私の生涯で最も幸福だった日」母と待ち合わせの場所に歩く途中「鼻がなんにもない男とまともにぶつかってしまった」と書き、「世の中にはこういうこともあるのですから、どうかこのことの意味をお考えになってください」と言うのである。「わたし」はいったい何者なのか?シスター・アーマとは何なのか?彼女はどんな絵を描いたのか?そして「わたし」は何を描いて添削したのか?
あっけなく閉校になってしまったヨショト氏の学校だが、ヨショト氏の教育の能力に関して「わたし」はこう書くのだ。「豚だと分かるものが豚小屋だと分かるものに入っているように描くことは結構教えることができる。いや、いかにも絵にあるような豚がいかにも絵にあるような豚小屋に入っているように描くことだって教えられなくはない。しかし、美しい豚が美しい豚小屋に入っているように描くにはどうしたらよいか、・・・これを教えることはしゃっちょこ立ちしたって金輪際できることではない」____「わたし」は「美しい豚が美しい豚小屋に入っているように」描いたのだろうか。
もうひとつ「これだ!」と納得できるものがつかみきれなくて、かなり時間が経ってしまいました。まだ重要な部分が一つ曖昧なのですが、途中経過の報告です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
「わたしは、これから語るこの物語をば、その価値は問わぬにしても、ほんの微かながら粗野磊落な好色の匂いぐらいはところどころにとどめておりはせぬかと、それを唯一の心頼みに、今は亡き粗野磊落にして好色の継父、ロバート・アガドギャニアン・ジュニアの思い出に捧げたくなる気持を禁じがたい」
かなり長い文章で原文はもっと続くのだが、訳者の野崎孝さんはいったんここで切っている。ところで、いったいこの小説は最後まで読んでも「粗野磊落にして好色」の人間が登場しているようには見えないのだ。あえて見つけるなら、まだ見ぬ「シスター・アーマ」に異常なまでの関心をもち彼女に近づこうとする十九歳の「わたし」がそれであろうが、継父の「ロバート・アガドギャニアン・ジュニア」に関しては、離婚したての年若いX夫人との交際が示唆されるが、それらしいエピソードが語られるわけではない。
それから、これは単純に作者のミスなのだろうが(訳者の野崎さんはそのように指摘して注をつけている)、「ボビーとわたしがリッツ・ホテルに部屋をとって十ヵ月ばかりたった一九四〇年五月のある週」に「わたし」は〈東京帝室美術院〉前会員ヨショト氏が出した美術の添削講師の求人広告を目にしてそれに応募するのだが、実際にモントリオールにあるヨショト氏の職場兼住居に赴いたのは「一九三九年」となっている。「わたし」がシスター・アーマに宛てた「まるで小包みたいな手紙」も「一九三九年六月の夜」に書いた、となっていて、もう一つの「結局投函しなかった」手紙にも「カナダ、モントリオールにて 一九三九年六月二十八日」と明記されている。なんだか随分念入りなミスのようである。
『ナイン・ストーリーズ』の中でこの小説が最も長い。中篇、といっていいくらいの分量である。だが、語られる内容は比較的単純で、主人公の「わたし」のひと夏の体験である。少年期から青年期に差し掛かる十年をフランスで過ごし、母を亡くして継父とともに母国に戻った孤独な「わたし」は年齢を偽り、偽名で〈古典巨匠の友〉という美術学校の住み込み添削講師の職を得る。学校のスタッフは校長のヨショト氏とその夫人だけで、「わたし」は慣れない日本食(夫妻は日本人である)と椅子のない部屋に七転八倒しながら不本意な仕事をなんとかこなそうとする。展覧会で三つの金賞を受賞し、「自分が気味の悪いほどエル・グレコに似ている」「わたし」は、ヨショト氏の添削の翻訳や「二人のイカレタ生徒」の添削という仕事に意気阻喪してしまう。
ところが「わたし」は三人目に添削にあたった「聖ヨセフ修道会」の「シスター・アーマ」なる生徒の六枚の絵に異常なまでの興味をもつ。中でも褐色の包装紙に水彩で描いた一枚の絵___キリストの屍体を埋葬しようとしている場面を描いている__を「わたし」は絶賛してその中身をこと細かに描写する。そして、その絵をヨショト氏に奪われぬよう自分の部屋に持ち帰り、翌朝の四時までかかって添削、というより「走っている人の姿を描きたい」という彼女の求めに応じて、みずから十枚以上のスケッチを描いたばかりか「いつ果てるともしれぬような」長い手紙を書いたのである。
シスターアーマの次の作品と彼女自身との逢瀬に期待をふくらませた「わたし」は、明け方「午前三時半ごろ」スケッチと手紙を投函しに外出する。何故か作者はここでも時間の前後を間違えているようだ。朝の四時まで添削していたのに、三時半に投函した、というのは明らかに矛盾だろう。どうでもいいことなのかもしれないが、なんだか腑に落ちないものがある。
「わたし」の喜びは続かなかった。最初に受け持った二人よりさらに「もっと画才のない」生徒二人の添削をしなければならなくなったことと、決定的だったのは、シスター・アーマの修道院の院長から彼女の勉学許可の取り消しを告げる手紙が届いたからである。絶望した「わたし」は「講師を離れた個人の立場で」自分が受け持つ四人の生徒に「絵描きになることを断念するよう」フランス語で手紙を書いて言い渡す。その後「わたし」はまたもや長い手紙を書いて、シスター・アーマに勉学を続けるように促し、面会を求めるのだが、この手紙は結局投函されなかった。タキシードを着込んでホテルの食事を予約して外出した「わたし」だったが、途中で以前「泥水のようなコーヒー」と『「コニーアイランド風」なる特大のホットドック』を鵜呑みにした簡易食堂で食事をしているうちに、もう一度書き直したほうがいいように思えてきたからである。
以前私が「パウロの回心」にたとえた「異常な経験」に「わたし」が遭遇したのは、その帰り道であった。学校のある建物の一階の整形外科の器具の店に灯りがともっていて、「緑と黄と紫のシフォンのドレス」を着た「三十がらみの屈強な女性」がマネキンの脱腸帯を取り替えていた。「わたし」の視線に気づいた女性がよろけ、思わず手を差しのべた「わたし」に、「突然太陽が現われて」飛んで来たのだ。数秒間目がくらみよろけた「わたし」が再び見えるようになったとき、その女性の姿はもうなかった。
これでひと夏の体験は終わりである。「わたし」は退学させたばかりの四人の生徒に手紙を書いて復学させたが、ヨショト氏の学校自体は閉校になった。「わたし」は継父のボビーと以前の生活に戻り、シスター・アーマとは二度と連絡しなかった。
自意識過剰な青年のほろ苦い体験をユーモラスに語ったこの小説の中にいくつかぎょっとする場面、というか表現がある。一例を上げると、シスター・アーマに宛てた最初の手紙を投函した「わたし」が、夜毎呻き声をあげるヨショト夫妻の悩みを聞くことを想像する場面である。二人の話を辛抱強く聞いていた「わたし」がとうとう耐えられなくなって「ヨショト夫人の咽喉の奥に片手を突っ込み、心臓をつかみ出し、小鳥でも温めるようにしてこれを温めてやる」とあるが、どうしたら、このようなことが想像できるだろうか。また、「わたし」はシスター・アーマに書いた最初の手紙のなかで、彼女の絵をアッシジの聖フランシスの言葉に似ているというが、それはどんな意味なのか。聖フランシスの言葉とは、彼が焼き鏝で片方の目玉を焼きつぶされようとしたときの「わが兄弟なる火よ、神は汝を美しく有用なもの創り給うた。願わくはわれを鄭重に取り扱われんことを」というものである。さらに、結局投函されなかった第二の手紙でも「私の生涯で最も幸福だった日」母と待ち合わせの場所に歩く途中「鼻がなんにもない男とまともにぶつかってしまった」と書き、「世の中にはこういうこともあるのですから、どうかこのことの意味をお考えになってください」と言うのである。「わたし」はいったい何者なのか?シスター・アーマとは何なのか?彼女はどんな絵を描いたのか?そして「わたし」は何を描いて添削したのか?
あっけなく閉校になってしまったヨショト氏の学校だが、ヨショト氏の教育の能力に関して「わたし」はこう書くのだ。「豚だと分かるものが豚小屋だと分かるものに入っているように描くことは結構教えることができる。いや、いかにも絵にあるような豚がいかにも絵にあるような豚小屋に入っているように描くことだって教えられなくはない。しかし、美しい豚が美しい豚小屋に入っているように描くにはどうしたらよいか、・・・これを教えることはしゃっちょこ立ちしたって金輪際できることではない」____「わたし」は「美しい豚が美しい豚小屋に入っているように」描いたのだろうか。
もうひとつ「これだ!」と納得できるものがつかみきれなくて、かなり時間が経ってしまいました。まだ重要な部分が一つ曖昧なのですが、途中経過の報告です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
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