「日中戦争と紀子三部作の謎」について、いつまで経ってもいっこうに解きほぐせないので、つい考えるのが億劫になってしまう。それで、大した進展はないのだが、少しだけ、また独断と偏見を書いてみたい。「紀子三部作」の一作目の『晩春』(一九四九年公開)と、小津の遺作となった『秋刀魚の味』(一九六一年公開)の比較である。
『秋刀魚の味』は、晩春』の焼き直しといわれても仕方がないほど、同じプロットから成り立っていることは誰でもわかるだろう。寡夫となった父が娘を嫁にやるまでの経緯をきめ細やかに淡々と描いた作品である。ラスト近く、花嫁衣裳の娘が父に挨拶して家を出ていくシーンも共通している。
ただ、微妙に違うのは、『晩春』の紀子が、白黒の映画なので黒く見える地色の花嫁衣裳に身を包み、どこか恨めしそうに、もっといえば、屠殺場に引かれていく行く牛のようなたたずまいの後ろ姿を見せるのに対し、『秋刀魚の味』の路子は、美しく輝く白無垢の衣装で、あっけらかんと、明るく家を出ていくことである。『晩春』の紀子は、纏綿たる情緒をただよわせ、どこまでも「女」だったが、『秋刀魚の味』の路子は、どこか無機質で、人形のように可愛いのだ。
ストーリーは『晩春』のほうがはるかに単純である。父を慕う紀子の執着をいかに断ち切って嫁にやるか、ほぼこれに尽きるといってよい。紀子の恋人に擬せられる服部という父の助手とか、父の再婚相手として紹介されるという未亡人の三輪夫人が登場するが、メインはあくまで紀子と父の葛藤である。
『秋刀魚の味』は、前回のブログでも書いたが、冒頭主人公の平山と友人の河合とのやり取りから、初老の平山の隠された情動がひそかに暗示される。娘のような若い女と再婚した同窓生も登場する。同時に、早くに妻をなくし、娘を妻替わりに使って嫁にやりそびれた教師と娘の無残な老後も描かれる。『秋刀魚の味』はいくつかの主題がからみあって展開される。
平山の次の世代も登場する。『晩春』の紀子は一人娘だったが、『秋刀魚の味』の平山家には、路子の兄、弟がいる。弟はまだ学生のようだが、兄は社会人で、結婚して団地住まいのサラリーマンである。冷蔵庫を買うといって、父に金を無心するが、実はほしいのはゴルフのセットである。マクレガーというアメリカ製のセットが欲しいのだが、中古でもサラリーマンの給料ではとても買えないのだ。いや、妻と共稼ぎの所帯だが、冷蔵庫も高値の花だったのである。
『晩春』の紀子に結婚を決意させたものは、父と三輪夫人の再婚話だったが、『秋刀魚の味』の路子は、兄の部下の男に失恋したためである。この男は計算高くて調子のいい軽薄な人間として描かれているので、路子がこんな男を好きだったというのが、ちょっと不思議なのだが。
という風に『秋刀魚の味』は、まさに高度成長期にさしかかった日本の風俗を軽やかにすくい上げていく。抑制の効いたカラーの画面も上品で美しい。そんな中、ある種唐突に、戦時中平山の部下だった坂本という男が登場する。いまはラーメン屋を営んで生計をたてているかつての恩師のもとに、同窓生一同から募った寸志を届けに行った平山は、店に入ってきた男に声をかけられる。平山は軍艦「朝風」(実在の駆逐艦である)の艦長で、男はその部下だったというのだ。自動車の修理工場をしているという坂本に連れられて、平山は彼のなじみのバーに行くと、そこに流れていたのは「軍艦マーチ」だった。
「軍艦マーチ」はこのバーの名物らしく、坂本が音頭をとって、レコードに合わせて敬礼しながら店内を行進するシーンがある。坂本は平山に「艦長もやってくださいよ」と敬礼させ、お風呂から帰ってきたという店のママも一緒に敬礼する。
思うに、『秋刀魚の味』のテーマは「軍艦マーチ」に収斂されていく、といってよいのではないか。赤い横線の入った煙突が煙を吐く冒頭のシーン(おそらく川崎の工場地帯だと思われる)、いまから見るとおもちゃ箱のようなコンクリートの団地、長男夫婦に象徴される消費経済への転換、など世相を描き、人情の機微も描きながら、ラスト近く再び軍艦マーチが流れる。
路子の結婚式を終えた平山は、仲人をつとめた河合の家でかなりの酩酊状態になりながら、坂本に案内されたバーに足を運ぶ。そこには、平山の亡き妻に似ているというママがいて、「今日はどちらのお帰り?お葬式ですか?」と聞いた後、「かけましょうか、あれ」と軍艦マーチのレコードをかけるのだ。サラリーマン風の男が二人隣のツールに座っていて、音楽が流れると、「大本営発表!」「帝国陸軍は今暁五時三十分南鳥島東方海上において」「負けました」「そうです。負けました」とかけあいでアナウンサーの真似をしている。平山は無言である。
平山の遅い帰宅を待っていた長男夫婦も帰って、家には次男と平山の二人だけになる。平山は台所の椅子に座って軍艦マーチを口ずさんでいる。「浮かべる城ぞたのみなる・・・」もう寝ろよ、と次男は気遣うが、平山は、「やぁ、ひとりぼっちか・・・浮かべるその城日の本の・・・」とつぶやいた後、立ち上がって階段の前にたたずむ。しばらく上を見上げている。カメラだけが主の去った路子の部屋を映して回る。
やがて平山はもう一度台所に戻って、やかんから水を飲む。軍艦マーチの音楽がテーマミュージックにかぶりながら変わって「終」の文字がでる。やかんの水が末期の水に見えてくるような終わり方である。
世紀を超えたいま、この時点から振り返ると、「六十年代」は日本が劇的に変わっていった時代だった、と思う。以前にも書いたが、小津安二郎の映画は、政治にかかわらないという点で、きわめて政治的である。日本中を政治の季節に巻き込んだ「六十年安保」を経て、時代は確実に、そして劇的に変わっていったのだ。「小津安二郎の日本」__あるいは「小津安二郎と日本」は終わったのである。
余談だが、この映画には「海」の映像がない。『晩春』、『麦秋』、『東京物語』の紀子三部作はもちろん、その他の映画にも海の映像はほとんどといっていいくらい登場する。だが、「軍艦マーチ」が主旋律となるこの映画に海の映像はないのだ。「海」の映像と訣別しなければならない何かがあったのだろうか。
『秋刀魚の味』について何ほどのものが書けたのか、という忸怩たる思いがあるのですが、ひとまずこれで区切りを付けたいと思います。また紀子三部作に戻る予定です。今日も不出来な感想文を読んでくださって、ありがとうございます。
2018年12月19日水曜日
2018年12月5日水曜日
宮沢賢治『フランドン農学校の豚』__父と子そして国家
前回『フランドン農学校の豚』について、救済をもたらさない受難物語として読んでみた。概ねそれでいいと思うのだが、もう少し書いてみたい。この作品に限らないのだが、賢治の作品、とくに散文の中には、ときに周到に隠されているのだが、「父と子」のテーマが存在するのである。
フランドン農学校の校長と豚の関係は、たんに擬人化された飼育者と家畜のそれにとどまらないものがあるように思う。豚と言葉を交わしコミュニケーションをとるのは、校長だけである。どこにも救いのない死に至る豚だが、校長とのやりとりには、微かな甘えの気配が漂うのだ。校長もまた、豚に対して決然とした態度をとれないでいる。
校長は、印を押させるための死亡承諾書を持って来ながら、豚の様子があまりに陰気だったので、承諾書をそのまま持ち帰ってしまう。再びやってきた校長が意を決して切り出すと、豚は「いやです、いやです、そんならいやです。どうしてもいやです。」と泣き叫ぶ。犬/猫にも劣る恩知らず、と罵りながらも、校長はやはり印を押させることができない。豚は「どうせ犬猫なんかにははじめから劣ってますよう、わあ」と、すねて大泣きする。ここには哀歓をともにする感情の交流が間違いなくあるのだ。
だが、豚は「農学校で飼育されている食肉用家畜」である以上、殺戮されることを運命として引き受けなければならない。校長と感情の交流があるといっても、校長は最終的に豚に死を宣告する役割がある。殺戮を実行するのは冷徹なテクノクラートだが、「死亡承諾書」に印を押させることは、校長にしかできないのである。
ところで、「死亡承諾書」なるものは何を意味するのか。豚が殺される前の月、その国の王が「家畜/撲殺同意調印法」を布告した、と書かれている。『フランドン農学校の豚』を、たんなる受難物語として読み過ごすことができないのは、「家畜/撲殺同意調印法」の意味がわからないからである。なぜ家畜を殺すのに家畜の同意を得る必要があるのか。それを法律で定める必要があるのか。___というより、賢治がこの作品の中に、唐突に国王と法律を持ち出すことの意味がわからないのである。
「死亡承諾書」が存在しなくても、殺される豚と農学校の校長との物語は成り立っただろう。死を強制せざるを得ない父と最後にはそれを受け入れざるを得ない子との物語である。だが、その強制の背後に「法律」が存在して、「国」の「王」がいる、となると、これは「父と子」のプロットを包み込む、さらに大きな枠組みが用意されていることになる。
いったい、賢治の「童話」と称されるものは、実はかなり複雑な影を帯びているものが多い。有名な『注文の多い料理店』という作品も、例によって独断と偏見の持ち主の私は、「富国強兵」のスローガンのもと、「イギリス風の紳士」然と西洋化した(させられた)日本が、言葉巧みに操られて、最後は丸裸になって滅亡させられてしまうところだった、というお話だと考えている。賢治は、最後に死んだはずの犬が「山猫軒」を襲って二人の「イギリス風の紳士」を助けてくれることにしているが、この結末にはかなりの無理があるように思われる。
『フランドン農学校』という作品は、賢治の晩年、と言っても三十代のことだろうが、に書かれたようである。晩年に近づくほど、詩、散文ともに、賢治の作品は、実生活の影が濃く、苦渋に満ちたものが多くなってくる。『フランドン学校の豚』は、擬人法、というより、人間社会を豚に擬えて書いた、という意味で「擬豚法」とでも呼ぶべき方法で描いた、苦渋に満ちた傑作であると思う。
もっと丁寧に「父と子」と「国家」について掘り下げなければならないのですが、体力、気力ともに十分ではないので、もう少し時間が欲しいと思っています。今日も不出来な感想文を読んでくださってありがとうございます。
フランドン農学校の校長と豚の関係は、たんに擬人化された飼育者と家畜のそれにとどまらないものがあるように思う。豚と言葉を交わしコミュニケーションをとるのは、校長だけである。どこにも救いのない死に至る豚だが、校長とのやりとりには、微かな甘えの気配が漂うのだ。校長もまた、豚に対して決然とした態度をとれないでいる。
校長は、印を押させるための死亡承諾書を持って来ながら、豚の様子があまりに陰気だったので、承諾書をそのまま持ち帰ってしまう。再びやってきた校長が意を決して切り出すと、豚は「いやです、いやです、そんならいやです。どうしてもいやです。」と泣き叫ぶ。犬/猫にも劣る恩知らず、と罵りながらも、校長はやはり印を押させることができない。豚は「どうせ犬猫なんかにははじめから劣ってますよう、わあ」と、すねて大泣きする。ここには哀歓をともにする感情の交流が間違いなくあるのだ。
だが、豚は「農学校で飼育されている食肉用家畜」である以上、殺戮されることを運命として引き受けなければならない。校長と感情の交流があるといっても、校長は最終的に豚に死を宣告する役割がある。殺戮を実行するのは冷徹なテクノクラートだが、「死亡承諾書」に印を押させることは、校長にしかできないのである。
ところで、「死亡承諾書」なるものは何を意味するのか。豚が殺される前の月、その国の王が「家畜/撲殺同意調印法」を布告した、と書かれている。『フランドン農学校の豚』を、たんなる受難物語として読み過ごすことができないのは、「家畜/撲殺同意調印法」の意味がわからないからである。なぜ家畜を殺すのに家畜の同意を得る必要があるのか。それを法律で定める必要があるのか。___というより、賢治がこの作品の中に、唐突に国王と法律を持ち出すことの意味がわからないのである。
「死亡承諾書」が存在しなくても、殺される豚と農学校の校長との物語は成り立っただろう。死を強制せざるを得ない父と最後にはそれを受け入れざるを得ない子との物語である。だが、その強制の背後に「法律」が存在して、「国」の「王」がいる、となると、これは「父と子」のプロットを包み込む、さらに大きな枠組みが用意されていることになる。
いったい、賢治の「童話」と称されるものは、実はかなり複雑な影を帯びているものが多い。有名な『注文の多い料理店』という作品も、例によって独断と偏見の持ち主の私は、「富国強兵」のスローガンのもと、「イギリス風の紳士」然と西洋化した(させられた)日本が、言葉巧みに操られて、最後は丸裸になって滅亡させられてしまうところだった、というお話だと考えている。賢治は、最後に死んだはずの犬が「山猫軒」を襲って二人の「イギリス風の紳士」を助けてくれることにしているが、この結末にはかなりの無理があるように思われる。
『フランドン農学校』という作品は、賢治の晩年、と言っても三十代のことだろうが、に書かれたようである。晩年に近づくほど、詩、散文ともに、賢治の作品は、実生活の影が濃く、苦渋に満ちたものが多くなってくる。『フランドン学校の豚』は、擬人法、というより、人間社会を豚に擬えて書いた、という意味で「擬豚法」とでも呼ぶべき方法で描いた、苦渋に満ちた傑作であると思う。
もっと丁寧に「父と子」と「国家」について掘り下げなければならないのですが、体力、気力ともに十分ではないので、もう少し時間が欲しいと思っています。今日も不出来な感想文を読んでくださってありがとうございます。
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