『紙屋悦子の青春』の回想場面は「鹿児島県米ノ津町 昭和二十年三月三十日」という文字が黒地に白抜きで現れ、続いて、前回書いた通り、汽笛の音とともに紙屋家の前景が映しだされる。手前に竹(前回「藁のようなもの」と書いたのは細い竹のようである)で組まれた低い塀があって、そのすぐ向こう右手に桜の木、桜の木を取り囲んですすきのような丈の高い草がはえている。そのまた向こうに同じく竹で組まれた塀が張り巡らされている。塀は中央から左手よりに一間くらい空いていて、そこから八、九段くらい上る階段がある。階段を上り切った向こうには十字架に見える電柱が立っている。電柱は向こう側の塀のさらに向こうにあるようだが、塀の手前になんだかよくわからない棒が二本左右に地面から三十度くらいの角度で倒れている。画面右手の奥は薄赤い、たぶん日没の光が残っているのだが、全体として、不思議な、荒涼とした風景である。
回想部分のドラマは、悦子が永与という海軍の士官と見合いをした日を中心に、淡々とむしろコメディタッチで進行する。悦子は永与を紹介した明石を好きで、たぶん、明石もそうなのだが、死を覚悟した明石は親友の永与に悦子を託そうとしている。見合い話が紙屋家にもちこまれたのは三月三十日である。この日は兄の安忠に徴用の連絡があった日でもある。縁談と徴用の話が紙屋家の室内で繰り広げられた後、カメラは一転、外の桜の木をアップで映し、階段の向こうの十字架に見える電柱と電柱の上にかかる月を映す。不思議なのは、この(たぶん満月だと思うが)月がくるくる回転しているように見えるのだ。
この後、八時を告げる柱時計の音とともに、悦子と紙屋夫婦がお茶を飲む場面がある。この映画は食べ物の話が持ち出されることが多くて、冒頭の食事の場面では、配給の高菜とすっぱくなった薩摩芋が話題になる。このお茶は、亡くなった悦子の父が何年か前に土産に買ってきた「静岡のお茶」である。このお茶を買った時に、悦子の父が静岡駅で鞄を盗まれたというエピソードが語られる。
ちょっと違和感をおぼえるのは、悦子の両親が亡くなったのは三月十日の「帝都の空襲」の際である。この日までまだ二十日しか経っていないのだ。盗まれた鞄の中に使い古した褌しか入っていなかったという話が笑いながら語られるのは不自然ではないか。戦時中のこととはいえ、両親が死んで四十九日もすませていない紙屋家が喪に服している様子がないのも不思議である。
三月三十一日は、十字架に見える電柱の向こうから制服姿の男が二人やってくる画面から始まる。二人とも長身で、長靴を履いているほうが明石で普通の靴を履いているのが永与である。明石は十字架の手前の階段を下りて紙屋家の玄関まで直行するが、永与は、玄関の手前の桜の木の下で立ち止まり、幹に手をやって逡巡している様子である。見合いの当日なのに、なぜか紙屋家には誰もいないようである。
とまどう永与を促して明石はさっさと家に上がり込む。ちょっと不思議なのは、この時点で紙屋家の当主が不在であることはわからないはずなのに、明石は何のためらいもなく床の間を背にした上座に座ってしまうことである。誰もいないので、二人は見合いの段取りなどとりとめもないことを話し始める。悦子の趣味は読書だろうとか、ヘッセ、ゲーテなどの名をだして明石が会話をリードするが、永与は文学は不得意のようである。だが、突如「汚れちまった悲しみに」と中原中也の詩を朗詠し始めるので、まったくの不案内でもないらしい。
特筆すべきは永与が自分の趣味として「電気工作の類いで」「弁当箱で電気回路をば作ってさしあげます」と自慢気に言う場面である。?冗談かと思っていたらそうでもないようで、この後弁当箱は重要なキーワードとなる。
会話の中で、明石が死を覚悟しているらしいこと、そのために、愛する悦子を親友の永与に託そうとしていることが示唆される。そして、明石と永与の、「お互いに大君に献げ奉ったこの命やけん」「皇国三千年の祖国に何もかも献げ尽くす覚悟たい」という会話の後、姉さん被りに前掛け姿の悦子が帰ってくる。ごみを捨てに行ってきたという悦子は勝手口の手前に置いてあった漬物石に躓いて転んでしまう。
不思議なことはたて続けにある。まず「何でこげなところに漬物石があっとね。姉さんやろ」と悦子が言うように漬物石は何のために台所に置かれていたのか。なぜ、見合いの時刻が、悦子には三時と知らされていて、明石と永与は一時と思っていたのか。それから、不思議、というほどでもないのだが、見合いの場で出される「静岡のお茶」も、その美味なことが執拗なまでに言及される。悦子の父が生前買ってきたというお茶は数年前のものらしいのだが。
「静岡、といえば清水の次郎長ですたい」という永与の言葉をきっかけに明石はその場を去ろうとする。不思議といえばこれも不思議なのだが、この時になってやっと悦子が「おはぎを食べて行ってください」という。前夜から準備したおはぎである。なぜさっさとすすめなかったのか。
おはぎを一個食べて明石はそっと紙屋家を後にする。明石が家を出たことに気づかない永与は、自分と明石の経歴を悦子に話している。無帽のまま家を出た明石は階段の手前でいったん後ろを振り返り、帽子を被ってもう一度何事か確認した様子で階段を上り始める。階段を上りきると、十字架の電柱が立っている。
永与と悦子は明石不在のままどこかぎこちない会話をかわし始める。内地をも襲うようになった空襲の話の中で、悦子が敵機のロッキードのことを「衣紋掛けのよう」といった途端、永与の表情が一変する。ここも不思議な場面なのだが、この後永与はわずかに唇を動かして、言葉にならない言葉を発する。そして、永与は、明石が姿を現さないことに気づいて、悦子と明石を探す。悦子は明石の帽子と銃剣が壁に吊るされていないのを見て、明石が帰ったことを永与に告げる。
この後再び十字架と階段の画面が呈示される。画面中央と左手よりに間隔をあけて二本の杭が立っている。杭の間から階段が始まり、杭に括りつけられた竹の塀、その向こうに季節を考えればありえないすすきがぼうぼうとしている。すすきのすき間に階段が見え、てっぺんに地面から三十度くらいの角度で倒れている左右の棒、そしてさらに向こうに竹の塀、その真ん中に十字架に見える電柱がある。かすかに風の音が聞こえる。
時計が二時を告げる。悦子と二人きりになった永与は悦子がお茶を汲みに部屋を出た後、不安そうに後ろを振り返る。(このとき永与は何を見ようとしたのか)再び部屋に戻った悦子と永与はようやくいくらかうち解けて、悦子もおはぎを一緒に食べる。三月十日の空襲で両親を亡くした悦子が、みなしごの自分が永与の親に気に入られるだろうかと問うと、永与は「実家はそげんこと気にしません」と答える。ただ、ここでもちょっと不思議なのは、「お兄様がおられるじゃなかとですか」という永与に「こげな風に一人になるときもあります」と悦子が答え、「そやけん、私が」と永与はすぐに続けるのだが、その後「私は・・・」と言い淀んでしまうのだ。ここでも永与は唇を動かして、何か言おうとするのだが、言葉にはならないのだ。
何のとりえもない自分だが、どうかよろしくお願します、という悦子の挨拶を機に永与は暇を告げる。残ったおはぎを弁当箱につめて土産に、と悦子は席をたつ。「弁当箱」という言葉に永与の目の色が変わるのだが、この後の永与のひとりごとが傑作で、かつ不思議なのである。ハンカチを弁当箱に見立てて、「こん弁当箱、貰ろてもよかですか」「こん弁当箱が、弁当箱じゃなかごとなって、お返ししてもよかですか」「こん弁当箱、電気回路に変化しやすいですねぇ」「こん弁当箱を利用して・・」・・・とやっているうちに、悦子が弁当箱を手にして戻ってくる。永与の目は弁当箱に釘付けになる。ついには、「弁当箱!」と叫ぶ。「はい?」と悦子がいぶかると、「四角かですねぇ・・弁当箱」と言うのだが、そのあと無念そうに黙り込むのだ。?
画面は変わって、永与は弁当箱を手に玄関の外に立っている。挨拶をして紙屋家を後にする永与と玄関で見送る悦子。二、三歩行った永与が突然振り向き、帽子を脱ぎ捨てて、早足で戻ってくる。驚く悦子に永与は「弁当箱!」というのだ。「こん弁当箱で、」と言った後、少しだけ間をおいて、「決めておったです、悦子さん」と永与は続ける。いま自分がこのまま帰ると悦子は一人になってしまう。いつかきっと迎えに来る、と永与が求愛の言葉を告げると悦子は「ありがとうございます」と頭を下げる。その言葉を聞いた永与は「すみません!失礼します!」と叫ぶと振り向きざま、帽子も被らずに階段を駆け上がり、てっぺんまで上がって下っていく。その向こうに十字架の電柱が立っている。玄関口で呆然と佇む悦子。
その夜悦子は熊本に行った兄に手紙を書いていると、波の音が聞こえてくる。あかりを消して、耳を澄ます悦子。海鳥の声も聞こえる。このシーンの悦子は髪を結んでいない。「今夜は満ち潮やろか」という悦子のひとりごとの後、画面いっぱいに夜の海面が広がる。
四月八日。紙屋家では兄嫁のふさが台所で料理している画面から始まるが、すぐに切り替わり、
満開の桜の木が映しだされ、その下を通って悦子が帰って来る。悦子は十字架の電柱と階段の道を通らずに桜の木の下を通って帰って来るのだ。この後電報を配達に来る郵便夫も桜の木の下から自転車に乗ってくる。十字架の電柱と階段の道を通るのは明石と永与の二人(だけ)である。
ふさは赤飯の支度をしている。(赤飯とらっきょうを食べると爆弾にあたらない、という「山田さん」の言葉を信じているようだ)なぜかこの日だけ緑色のワンピースを着ている。安忠の帰宅を待っているのだが、なかなか帰ってこない。やっと帰ってきた安忠は駅長さんと話し込んでいたという。ますます不機嫌になったふさと安忠がいさかいをして気まずい思いをしながら食事をしている最中に明石の訪問がある。出迎えて笑顔になる悦子。
この後画面は切り替わって、暗闇に桜の木が現れる。そして次の一瞬桜の花びらだけが明るく照らされる。
明石は出征の挨拶に来たのだった。明日飛び立つのだという。凍りつく紙屋家の人々。赤飯とパイ缶を餞別にもらって明石は辞去する。桜の木の脇を通り、階段を上っていく明石。ふさが悦子に後を追うように勧めるが、悦子は行かない。階段を上って十字架の電柱の脇を通り、また向こう側に下っていく明石。やがて明石の姿は階段の向こうに沈んでいく。満開の桜の木に画面の焦点が合わされる。
四月十二日。よく晴れた日に永与がやって来る。十字架の電柱の脇を通り、階段のてっぺんから下りてくる。満開だった桜が風に吹かれてちらほら散り始めている。永与は悦子にあてた明石の手紙を預かってきたのだった。明石の死を告げる永与。そのとき郵便配達人が熊本に入る安忠の電報を届けにくる。家の外に出て、待ち受けていたふさが受け取る。「来らしてですよ、電報の」という永与の言葉を受けて、悦子は「待っちょいますから」と永与の求愛を受け入れる。「きっと迎えにきてください」という悦子の言葉の後、画面は桜の木の幹と枝をアップで映しす。階段の向こうの電柱は横木が桜の枝に隠され、十字架のようには見えない。桜の花びらが舞っている。「こないだ咲いたばっかりやったとに」「桜の散りますねぇ」という永与の言葉とともに画面はまた変わる。桜の花びらは雪のように散っている。
回想はここでおしまいになる。もう日はとっぷり暮れて薄青い夜の闇が迫っている。海の音が聞こえる。寒くなったから帰ろう、という二人の会話の背後に汽笛の音もする。今日の続きがあるのか、と聞く女の問いに、男はいつまでも、と答える。ベンチを立った二人は二、三歩行って立ち止まる。明石の手紙を持参した日に悦子と永与が二人で聞いたという波の音に耳を澄ませているのだ。画面は再び回想シーンに変わって、目を閉じた悦子の顔を映して終わる。
たどたどしくあらすじをたどっただけで何の解も見つからないのだが、この映画は間違ってもただの「反戦映画」ではないだろう。リアリズムの映画ではないのである。十字架と桜と弁当箱、そして一瞬姿を現す回転する月、謎は深まるばかりだ。
最後に、蛇足を一つ。四月十二日は黒木和雄監督が急逝した日だそうだが、ルーズベルト大統領が第二次大戦中に急逝した日でもある。これもまったく偶然だろうが。
解釈のベクトルさえ分からずに最後まできてしまいました。未整理な長文を最後まで読んでくださってありがとうございます。
2017年4月30日日曜日
2017年4月18日火曜日
『紙屋悦子の青春』___十字架と桜と弁当箱のミステリー
ペリマリという人のブログで紹介されていた『紙屋悦子の青春』という映画をDVDで観た。この映画の完成後、急逝した黒木和雄監督の反戦四部作の最後の作品ということもあって、「静謐な反戦映画の傑作」という評価が定まっているようである。それはたぶん妥当な見方だと思うのだが、それだけで終わらないものがあるような気がする。というか、よくわからないのである。DVDなので、何回も繰り返して観たが、見るほどに謎が深まるのだ。これはミステリー映画ではあるまいか。
冒頭、何となく不安感を醸しだす音楽とともに「紙屋悦子の青春」というタイトルの文字が画面の中央に出てくる。これがまた奇妙にバランスを欠いた字体である。画面が変わると、ビルの屋上にベンチが置かれていて、その一つに年配の男女が座っている。女性は着物姿である。三つのベンチが画面に映るが、男女と向かい合った位置に置かれているベンチの画面から見て左方にはススキのような枝が瓶に挿され、風に揺らいでいる。殺風景なビル(これが七階建て?の「九州一」の病院であることが後の男女の会話で分かる)の屋上のベンチになぜこんなものが置かれているのか?
淡々とした二人の会話の推移から、男がこの病院に入院していること、着物姿の女性は男の妻で「汽車に乗って随分と来て」見舞いに来たことが分かる。興味深いのは、会話の背後に聞こえる音の変化である。
最初は市街のざわめきが屋上まで届いているようである。雲にさえぎられた太陽の映像とともに野球の練習をしているらしい音声も流れる。男が「北は?」と方角を聞いた後、街並みと山の稜線が連なり、その向こうに聳える一つの山と太陽の映像になるのだが、ここで突然飛行機の轟音が鳴る。その音に何かを感じたのか、妻は点滴の時刻を気にするが(ここでヘリコプターの音も聞こえる)、男は取り合わず、その場を去ろうとしない。「もうちょっとのことだから」と言うのである。
「夕日の赤かですね_・・・なしてあげん赤かとやろか…」「なしてやろか」という二人との会話の後、再び街並みと稜線と山の映像になる。太陽はもう半分姿を隠し、沈む寸前である。「あん山の向こうに日は沈むとですたいね」「あん山の向こうには何があるとやろか」「海のあるとでしょうか}「海やろか」「海でしょう」「うん、海やろう」と会話は続くが、このころから市街のざわめきとも聞こえた音ははっきり波の音となる。海鳥の鳴く声も聞こえる。
波の音と海鳥の声に耳を澄ませていた男は突然正面を指さして「おぉ、桜の木のあるやろ」「あすこの公園の。見えるね」と言う。画面は一変して一本の桜の木が映しだされるのだが、不思議なことに、これが公園に植えられた桜には見えないのである。画面中央に幹に藁を巻いた満開の桜の木があって、その後ろにはススキと思われる木が群生している。桜の木の根元には枯草が敷き詰められている。現実にはありえない光景である。
「やっぱり、桜の木のあったとこは覚えてるね」という男の言葉から二人の会話は桜の木をくぐったところに玄関のある旧家のことに導かれる。「思い出したと。昔んこと」と男が言うあたりから、何か金属で物を叩くような音が聞こえ始め、「昔昔たい。あん頃の事たい」「戦争のあって…」「人の死んで」「それもようけ死んで。誰もかれも死んでしもうて」のセリフとともに最高潮になる。ゴォ~ン、という海の音とも他のものともつかぬ響きも高まる。
「なして戦争のあったとやろか」という妻のことばを引き取り「なしてやろか」と言った男は「なして俺は、生きとるとやろか」「なして死にきれんかったとやろか」と続ける。それに対して「よかですたい。生きとるほうが。死んだら何もならんですばい」と妻がこたえると、今度は鐘の音が聞こえる。鐘の音が三つずつ二回鳴り、男が「ばってん・・・」と沈黙すると妻は空を見上げて「お父さん、雲の行きよるですばい。あこを染められて」と言う。鐘の音は鳴り続ける。「あん山の向こうには何なんとやろか」「何やろか」「あん雲は知っととやろか」と二人で空を見上げるシーンで屋上の導入部分は終わる。
導入の部分の解説でずいぶん長くなってしまったが、この12分は全神経を研ぎ澄まして画面と向き合う必要があると思う。もちろん、続く回想の部分も決して神経はぬけないのだが。
回想場面は「鹿児島県 米ノ津町 昭和二十年三月三十日」という指定で始まる。これは三十日、三十一日、四月八日、四月十二日の四日間の出来事である。すべて日付が指定されている。
回想場面の最初は汽笛の音とともに始まる。画面の中央左手よりに石の階段があり、その向こうに電柱が立っている。階段の上に棒のようなものが電柱の左右に不思議な恰好で倒れているように見えるのだが、よくわからない。電柱も短い横木が組み合わさって、なんだか十字架のように見えるのである。右手に二分咲きくらいの桜の木がある。まわりには草が生い茂っている。桜の木と草を囲むように藁で組んだような塀が廻らせてある。右手の奥が薄赤く染まっているのはそちらの方角に日が沈んでいるのだろう。
この後カメラはアングルを変え、桜の木を前にした家の玄関を映し、さらに室内のガラス格子越し外を眺める男の後ろ姿を映す。やはり画面の右手が薄赤く染まっているので、西のほうを向いているのだろう。桜の木もぼんやりと映っている。男は物思いにふけっているようである。「遅かねえ、悦ちゃん」という女の声から回想場面の会話は始まる。悦子の兄(紙屋安忠)と兄の妻(紙屋ふさ)である。
この後の紙屋家の四日間は、冒頭の病院の屋上の場面と一転して、むしろコメディタッチで語られるのだが、すでにかなりの字数になってしまったので、続きはまたの機会にしたい。三月三十日の夜の満月(なぜかくるくる回転しているように見える)と桜の木のことと、悦子の見合い相手の永与がこだわる弁当箱のことを中心に考えてみたい。ずっと考えていて、なかなか解が見つからないのだが。
いろいろ不思議なこの映画なのですが、一番のミステリーは、監督の黒木氏が映画の制作後急逝し、それが四月十二日だったということです。まったくの偶然なのでしょうが。
今日も不出来な感想文を最後まで読んでくださってありがとうございます。
冒頭、何となく不安感を醸しだす音楽とともに「紙屋悦子の青春」というタイトルの文字が画面の中央に出てくる。これがまた奇妙にバランスを欠いた字体である。画面が変わると、ビルの屋上にベンチが置かれていて、その一つに年配の男女が座っている。女性は着物姿である。三つのベンチが画面に映るが、男女と向かい合った位置に置かれているベンチの画面から見て左方にはススキのような枝が瓶に挿され、風に揺らいでいる。殺風景なビル(これが七階建て?の「九州一」の病院であることが後の男女の会話で分かる)の屋上のベンチになぜこんなものが置かれているのか?
淡々とした二人の会話の推移から、男がこの病院に入院していること、着物姿の女性は男の妻で「汽車に乗って随分と来て」見舞いに来たことが分かる。興味深いのは、会話の背後に聞こえる音の変化である。
最初は市街のざわめきが屋上まで届いているようである。雲にさえぎられた太陽の映像とともに野球の練習をしているらしい音声も流れる。男が「北は?」と方角を聞いた後、街並みと山の稜線が連なり、その向こうに聳える一つの山と太陽の映像になるのだが、ここで突然飛行機の轟音が鳴る。その音に何かを感じたのか、妻は点滴の時刻を気にするが(ここでヘリコプターの音も聞こえる)、男は取り合わず、その場を去ろうとしない。「もうちょっとのことだから」と言うのである。
「夕日の赤かですね_・・・なしてあげん赤かとやろか…」「なしてやろか」という二人との会話の後、再び街並みと稜線と山の映像になる。太陽はもう半分姿を隠し、沈む寸前である。「あん山の向こうに日は沈むとですたいね」「あん山の向こうには何があるとやろか」「海のあるとでしょうか}「海やろか」「海でしょう」「うん、海やろう」と会話は続くが、このころから市街のざわめきとも聞こえた音ははっきり波の音となる。海鳥の鳴く声も聞こえる。
波の音と海鳥の声に耳を澄ませていた男は突然正面を指さして「おぉ、桜の木のあるやろ」「あすこの公園の。見えるね」と言う。画面は一変して一本の桜の木が映しだされるのだが、不思議なことに、これが公園に植えられた桜には見えないのである。画面中央に幹に藁を巻いた満開の桜の木があって、その後ろにはススキと思われる木が群生している。桜の木の根元には枯草が敷き詰められている。現実にはありえない光景である。
「やっぱり、桜の木のあったとこは覚えてるね」という男の言葉から二人の会話は桜の木をくぐったところに玄関のある旧家のことに導かれる。「思い出したと。昔んこと」と男が言うあたりから、何か金属で物を叩くような音が聞こえ始め、「昔昔たい。あん頃の事たい」「戦争のあって…」「人の死んで」「それもようけ死んで。誰もかれも死んでしもうて」のセリフとともに最高潮になる。ゴォ~ン、という海の音とも他のものともつかぬ響きも高まる。
「なして戦争のあったとやろか」という妻のことばを引き取り「なしてやろか」と言った男は「なして俺は、生きとるとやろか」「なして死にきれんかったとやろか」と続ける。それに対して「よかですたい。生きとるほうが。死んだら何もならんですばい」と妻がこたえると、今度は鐘の音が聞こえる。鐘の音が三つずつ二回鳴り、男が「ばってん・・・」と沈黙すると妻は空を見上げて「お父さん、雲の行きよるですばい。あこを染められて」と言う。鐘の音は鳴り続ける。「あん山の向こうには何なんとやろか」「何やろか」「あん雲は知っととやろか」と二人で空を見上げるシーンで屋上の導入部分は終わる。
導入の部分の解説でずいぶん長くなってしまったが、この12分は全神経を研ぎ澄まして画面と向き合う必要があると思う。もちろん、続く回想の部分も決して神経はぬけないのだが。
回想場面は「鹿児島県 米ノ津町 昭和二十年三月三十日」という指定で始まる。これは三十日、三十一日、四月八日、四月十二日の四日間の出来事である。すべて日付が指定されている。
回想場面の最初は汽笛の音とともに始まる。画面の中央左手よりに石の階段があり、その向こうに電柱が立っている。階段の上に棒のようなものが電柱の左右に不思議な恰好で倒れているように見えるのだが、よくわからない。電柱も短い横木が組み合わさって、なんだか十字架のように見えるのである。右手に二分咲きくらいの桜の木がある。まわりには草が生い茂っている。桜の木と草を囲むように藁で組んだような塀が廻らせてある。右手の奥が薄赤く染まっているのはそちらの方角に日が沈んでいるのだろう。
この後カメラはアングルを変え、桜の木を前にした家の玄関を映し、さらに室内のガラス格子越し外を眺める男の後ろ姿を映す。やはり画面の右手が薄赤く染まっているので、西のほうを向いているのだろう。桜の木もぼんやりと映っている。男は物思いにふけっているようである。「遅かねえ、悦ちゃん」という女の声から回想場面の会話は始まる。悦子の兄(紙屋安忠)と兄の妻(紙屋ふさ)である。
この後の紙屋家の四日間は、冒頭の病院の屋上の場面と一転して、むしろコメディタッチで語られるのだが、すでにかなりの字数になってしまったので、続きはまたの機会にしたい。三月三十日の夜の満月(なぜかくるくる回転しているように見える)と桜の木のことと、悦子の見合い相手の永与がこだわる弁当箱のことを中心に考えてみたい。ずっと考えていて、なかなか解が見つからないのだが。
いろいろ不思議なこの映画なのですが、一番のミステリーは、監督の黒木氏が映画の制作後急逝し、それが四月十二日だったということです。まったくの偶然なのでしょうが。
今日も不出来な感想文を最後まで読んでくださってありがとうございます。
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