2014年11月19日水曜日

大江健三郎『取り替え子』___「欠説法」と言う語り方___アンフェアなモデル小説

 悪戦苦闘して『宙返り』を読んだ後、『取り替え子』を読み始めると、時系列が錯綜するものの、身辺雑記風の書き方なので、すらすら読めてしまう。ネット上の評価では「わかりやすい文章」という言葉が多く見受けられる。だが、文章そのものは『宙返り』等の大江健三郎の他の小説とそんなに違っているとは思われない。たぶん、主人公の塙吾良のモデルは大江の義兄であり、高名な映画監督であった伊丹十三である、ということに疑いの余地がないので、誰もが生前の伊丹十三その人と彼の事跡を思い浮かべながら読むからだろう。でも、これは「わかりやすい文章」で書かれているかもしれないが、「わかりやすい小説」ではない。

 この小説は実にアンフェアなモデル小説である。作者=大江健三郎=長江古義人であり、伊丹十三=塙吾良である、と誰もが無意識のうちに前提して読みすすめる。念の入ったことに、小説の後半に一葉の写真が挿入され、それが若き日の古義人のものであると書かれている。ダメ押しの証拠写真、であろうか。

 ところが、そのような一対一対応を微妙にゆるがせる仕掛けが施されている。作中引用される長江古義人の小説の題名が現実に出版されているものとほんの少し違っているのだ。『万延元年のフットボール』は『ラグビー試合1860』、『みずから我が涙ぬぐいたもう日』は『聖上は我が涙をぬぐいたまい』と書き換えられている。引用される文章は現実に出版されているものと同じなのに、どうして題名を変える必要があったのか。長江古義人=大江健三郎を無条件に前提させないためなのか。

 小説の冒頭もまたアンフェアな出だしである。「書庫のなかの兵隊ベッドで」古義人が吾良から送られたテープを再生して聞いている。「おれは向こう側に移行する」という吾良の声の後ドシンという大きな音がして、さらにそのしばらく後「しかし、おれはきみとの交信を断つのじゃない」という吾良の言葉が記される。そしてその晩、古義人の妻であり吾良の妹の千樫が吾良の自殺を告げる。テープが再生した吾良の声とドシンという大きな音は手の込んだ吾良の仕掛けなのか。それとも古義人の幻聴なのか。あるいはまた、「こういう書き方をする小説」なのだ、と読者に対する暗黙の強制がなされているのだろうか。

 こういう書き方をする小説なのだ、と読者は納得して読まなければならないのだろう。序章「田亀のルール」で始まる小説の冒頭、前述の吾良の言葉に続けて、作者は吾良に「そのために田亀のシステムを準備したんだからね」と言わせている。「田亀」とは吾良が送りつけてきたテープの再生装置であり、そのかたちがタガメ_田亀に似ていることからそう名づけられたのである。「田亀のルール」とは古義人が吾良と交信するためのルールであり、読者がこの小説を読むためのルールなのだ。それにしてもタガメ_田亀とはなんともグロテスクな生物ではある。吾良と古義人の魂の交信の回路にこのようなグロテスクな生物の名前をつけたのは何故だろうか。

 
 小説はすでに「向こう側」に行ってしまった吾良と古義人の対話を中心として展開していく。そこで開示される情報は、事件当時報道されていたものと大きく異なるところはないように思われる。吾良=伊丹十三をイメージした場合、いかにもありそうなエピソードがいくつか書かれるが、そういうものを通じて吾良=伊丹十三の死の真相に迫ろうとしても無駄である。作者がそれを目的としていないからだ。小説の中盤から、作者は吾良の死と直接に関係があるか否かを曖昧にしたまま、古義人の受けた暴力に主題をずらしていく。しかし、その暴力についても、結局、読者は何も知らされることはないのだ。

 修辞学に「欠説法」もしくは「黙説法」という技法があるそうだが、この小説は全体としてその技法でなりたっているのではないか。作品の中に、いくつもの事実と事実らしきもの、それを補強するためのフィクションが存在する。しかし、その中心となる事柄は決して語られない。吾良の死と古義人の受けた暴力とを結びつける過去の出来事の真相は何か。読者の関心をそこに向けて集中させることはするが、集中させられた関心は行き止まりになってしまう。いったい「真相」そのものは存在するのか。おしまいは、いつもの大江節で

__もう死んでしまった者らのことは忘れよう、生きている者らのことすらも。あなた方の心を、まだ生まれて来ない者たちにだけ向けておくれ。

と結ばれるのだが、他の人はいざ知らず、私は死んでしまった者のことをそんなに簡単に忘れることはできない。まだ生まれて来ない者のことだけ思うほどの余裕もない。もう少し詳しく小説の後半、古義人の受けた暴力と谷間の村で起きた出来事について考えてみたいが、長くなるので今回はここまでとしたい。

 読みやすいようで、なかなか手の込んだつくりの小説だと思います。迷路の中で作者と鬼ごっこをしているような気がします。とりあえずの経過報告で、抽象的なことしか書けず、力不足の感ひとしおです。今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。
 

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