2018年6月26日火曜日

小津安二郎『晩春』の謎__紀子と周吉の永劫回帰あるいは安珍清姫を巡る幻想__蛇というモチーフ

 『晩春』は原節子が演じる「紀子三部作」の第一作である。あまりにも有名な作品なので、改めてストーリーを紹介する必要もないだろう。父と二人暮らしで婚期を逸しかけている娘がようやく結婚する物語である。娘を思う父は、自分が再婚すると偽って、娘を結婚に追いやる。言ってみればそれだけの話で、シンプルなことこの上ない。父を慕う娘と娘を思う父との繊細微妙な心理の動きがきめ細やかに映像化されている。プロットの展開といい、映像の流れといい、どこにも不自然なところはないように見える。

  なので、これから書くことは、すべて私の独断と偏見に満ちた妄想かもしれない。

 この映画のテーマは「永劫回帰」であり、隠されたモチーフは「蛇」である。

 一分の隙もなく組み立てられた完璧な作品に対して、その一部を切り取って分析するのはどう見ても下品な行為のように思われるので、具体的な場面を取り上げるのは最小限にしたい。上記の「永劫回帰」と「蛇」の暗示は、まず、映画の導入部に登場する。

 「北鎌倉」の駅を映した映像は、一転、寺の境内でお茶会が行われているシーンになる。着物姿の紀子が登場する。席に座った紀子に叔母のまさが話しかける。夫の縞のズボンを切り取って息子の半ズボンにしてほしい、と頼むのである。風呂敷に包んだものをその場で紀子に渡す。この後、周吉がまさの家で紀子の結婚について話すシーンがあるが、部屋の中に縞のシャツがハンガーに掛かっている。まさの夫は一度も画面に登場することはないが、縞模様が好みらしい。

 お茶会の席に「三輪夫人」が登場するのも蛇を意識させる。まさと挨拶を交わす中年の女性の名前は後に明かされるのだが。ついでに言えば、この時紀子が着ている着物は鉄扇の模様である。あまり見かけない模様で花びらだけ描いているが、鉄扇はつる性の植物である。T.Sエリオットの「バーント・ノートン」という詩の中にも「身を屈め、からみつく」両義的な存在として登場する。

 この他にも蛇を暗示する映像は枚挙にいとまがない。洗濯物干しに紀子のストッキングが吊るされている。「多喜川」という割烹に周吉が忘れた手袋を紀子が家に持って帰ってひらひらとかざすシーン。「多喜川」は「瀧川」なのだろうが。ストッキングも手袋も抜け殻のイメージである。京都の旅館で帰り支度をしている紀子が、ストッキングを2枚重ねてぐるっと裏返して一つにまとめるシーンもある。「蝦蟇口」を拾ったから紀子が縁談を承諾するだろうと言ってまさが縁起をかつぐシーン。曾宮家の玄関脇の部屋に置かれ、頻繁に画面の隅に登場するミシン。ボビン窯の形が似ていることから名づけられたと言われるその名もずばり「蛇の目」である。

 蛇のモチーフが最も象徴的かつ重層的に用いられているのが、能「杜若」の舞台シーンである。延々六分ほど「杜若」の謡と舞が繰り広げられる。ここは原節子の眼の演技が有名であるが、謡と舞の舞台そのものにも注目してみたい。「杜若」は一幕もので短いが、伊勢物語の解説書のような内容で、かなり複雑である。『晩春』では後半部分が映像化されている。

 植ゑおきしむかしの宿の杜若 色ばかりこそむかしなりけれ 色ばかりこそ昔なりけれ
 色ばかりこそ 昔男の名を留めて 花橘の匂いうつる 菖蒲の鬘の 色はいずれ
 似たりや似たり 杜若花菖蒲 
 こずゑに鳴くは 蝉のからころもの 
 袖白妙の 卯の花の雪の 夜も白々と 明くる東雲のあさ紫の
 杜若の 花も悟りの心開けて すはや今こそ草木国土 すはや今こそ草木国土

 縁語、懸詞を多用した技巧的な文句が続くので、文字に起こしても意味が分かりにくい。舞台上では朗々と謡われるので、なおさらなのだが、繰り返される「あやめ」「から衣」は蛇の隠語であったり脱皮のメタファーである。「卯の花」_ウツギも茎が中空であることから命名されたそうである。これも脱皮のイメージにつながるのだろうか。

 シテの杜若の精は薄紫の衣裳をつけて演じることが多いようだが、この映画ではさらにその上に薄く透けて見えるものを重ねている。これは脱皮前の蛇のイメージとするのはあまりに強引だろうか。

 シテの舞の映像は「花も悟りの心開けて」の部分で終わり、「すはや今こそ草木国土」以下は謡の音声だけで、画像は大きく梢を広げた松の木に変わる。もう一度「すはや今こそ草木国土」と繰り返される。杜若のシーンはここで終わり、「悉皆成仏の御法を得てこそ 失せにけれ」の結びの部分は音声も映像も映画の中には存在しない。悉皆成仏は成らなかったのである。

 悉皆成仏は、蛇の寓意がさらに「安珍清姫」の伝承に具体化されなければ、成らなかった。安珍清姫の伝承は『大日本国法華経験記』『今昔物語』にその原形があるといわれる。熊野に参詣に来た僧安珍に宿を貸した清姫が恋慕し、逃げる安珍を追って蛇となって日高川を渡り、さらに道成寺の鐘の中に逃げ込んだ安珍を、清姫が口から吐いた炎で焼き殺してしまう話である。『大日本国経験記』『今昔物語』とも女は「伊の国牟婁の女」と記述されている。

 女は「紀」子である。安珍清姫はともに蛇界に転生するが、道成寺の住持の唱える法華経の功徳で成仏する。住持の夢に現れた二人は熊野権現と観世音菩薩の姿であった。紀子のお見合いの相手が「佐竹熊太郎」というのも「熊野」を連想させたかったものと思われる。それでもまだ「成仏」は成らなかったように思われるのだが、

 永劫回帰のテーマのについても書きたいが、すでにかなりの長文となってしまったので、また回を改めたい。ヒントをひとつ。冒頭大学教授の父とその助手が「リスト」という名前のスペルに「Z」があるとかないとか言っている。結論は、「z」はない、のである。それからラスト近く、周吉と紀子が京都を訪れて帰りの支度をしているとき、周吉が最後に旅行鞄に入れた本の題名は何だったろうか。

 下品な謎解きはしたくない、などと言いながら、どう見ても上品とは言えない文章になってしまいました。謎解きのさらに奥にあるものが、まだ掴めていないのです。紀子_蛇_? 「叔父様の縞のズボンを半分に切って」履かされる勝義が、バットをエナメルで赤く塗ってしまって乾かないために、野球の試合に参加できない、というエピソードは何を意味するのか。その試合のシーンで、バッターボックスに立っている子だけがユニフォームを着ていないのはなぜか、など、(おそらく)どうでもいいことばかり気になってしまうのも、病膏肓なのかもしれません。

 今日も未整理な文章を読んでくださってありがとうございました。
 

2018年6月10日日曜日

小津安二郎『麦秋』の謎__不思議な家族とその解体__一粒の麦地に落ちて死なずんば

 『麦秋』は日本の家族の解体していく様を描いた小津安二郎監督の記念碑的な作品、という評価が定まっているようである。きっと、そうなのだろう。けれど、見終わってどうしても腑に落ちないものが残ってしまう。親子三世代で暮らしている一家が、その中の娘が結婚することで、なぜ両親が家を出ていかなければならないのか。そもそも、三世代が住んでいる家は誰のものなのか。

 テーマ音楽とともに流れたクレジットが終わると、波うち際に一匹の犬が登場して画面を横切っていく。犬が画面の右側に消えても、波が寄せては返す砂浜が映る。画面の左側にに遠近三つの入り江のようなものが映っている。冒頭のこのシーンは何を意味するのだろうか。

 次に映しだされるのは、軒先に吊るされた鳥かごである。小鳥が一羽入っている。カナリアだということが後半明かされる。鳥かごは軒先だけでなく、家の中のあちこちに置かれている。座敷のなかで鳥の餌を摺っている老人が登場する。「埴生の宿_(ホーム・・スウィート・ホーム)」の音楽が流れる。小学生くらいの男の子が「おじいちゃん、ご飯」と呼びに来る。間宮周吉と孫の実である。

 食卓で給仕をしているのが周吉の娘の紀子で、実の弟の勇もいる。こちらはまだ学校に上がる前の歳である。すでに食事をすませて外出の支度をしているのが周吉の息子で紀子の兄の康一、大学病院の医師である。周吉のご飯を給仕に食卓に座ったのは康一の妻の史子、最後に味噌汁の入った大鍋をもって来たのが周吉の妻の志げという順番で、これが間宮家の紹介となっている導入部である。

 外出着に前掛けという姿で給仕をしていた紀子も出勤していく。周吉は原稿の入った封筒を投函するように紀子に頼んでいるので、何かものを書いているのだろうか。紀子は丸の内(あるいは大手町?)の大手商社に勤めている。佐竹宗一郎という専務の秘書である。重役室でタイプを打っている紀子の上半身と指先が映され、次いで佐竹が部屋に入ってくる。佐竹と紀子が仕事の打ち合わせの会話を済ませた後に、ドアをノックして着物姿の若い女が現れる。佐竹が行きつけの料亭の娘で紀子の女学校の友人田村アヤである。紀子とアヤを前にして、「売れ残りが二人」と佐竹が軽口をたたくところなどから、三人はかなり親しい間柄のようである。

 北鎌倉の間宮家に「やまとのおじいさま」がやってくる。間宮周吉の兄の茂吉である。終戦の翌年以来の上京である。耳が遠い茂吉との会話は常に一方通行である。彼が繰り返す言葉は「紀子さん、いくつになんなすった?」と「もう嫁にいかにゃ」であり、「若いものがなかなかようやりおる。年寄りがいつまでも邪魔してることない」である。紀子の結婚と一家の別離は「大和のおじいさま」の指示通りになったのである。

 二八歳になった紀子に二つの縁談が持ち込まれるが、彼女は結局康一の部下の矢部謙吉という男との結婚を決意する。矢部は妻に先立たれ小さな女の子をかかえて、母親と一緒に間宮家の近くに住んでいる。謙吉は康一の紹介で秋田の病院に赴任することが決まる。紀子が間宮家からの餞別を届けに矢部の家を訪れた際に、謙吉の母親から恐る恐る謙吉との結婚を打診されると、彼女はあっさり「私のようなものでよかったら」と承諾してしまう。謙吉の母親は狂喜するが、不思議なことに謙吉はあまり嬉しくないようである。

 紀子が謙吉との結婚を決意したのは、謙吉が消息不明(たぶん戦死している)の兄省二の手紙を持っているからである。恋愛感情があると思えない紀子と謙吉をつなぐのは麦の穂の入った省二の手紙なのだ。

 麦の穂が入った手紙には何が書かれていたのだろう。ニコライ堂が見える喫茶店の窓際の席で謙吉と紀子が会話するシーンがある。この映画の「不思議」を読み解く上で大変重要な場面だと思うので、なるべく忠実に二人のセリフを再現してみたい。

__昔学生時分よく省二君ときたんですよ、ここへ。で、いつもここに座ったんですよ。やっぱり、あの額がかかってた。
 額を見上げる紀子
__早いもんだなぁ。
____そうねぇ。よく喧嘩もしたけど、あたし省(二)兄さんとても好きだった。
__あ、省二君の手紙があるんです。徐州戦の時、向こうから軍事郵便で来て、中に麦の穂が入っていたんです。
 紀子の表情が一変する。
__その時分、ちょうどぼくは『麦と兵隊』読んでて・・・
__その手紙いただけない?
__あげますよ。あげようと思ってたんだ。
__ちょうだい。

 徐州会戦は日本軍と中国(国民革命)軍との間で一九三八年四月七日から六月七日にかけて行われ、日本は南北から攻め、五月一九日に徐州を占領したが、国民革命軍を撃滅させることはできなかった。少し不思議なのは、『麦と兵隊』は徐州戦に従軍した日野葦平が、その経験をドキュメンタリーのようなかたちで、一九三八年八月に発表している。謙吉のもとに「徐州戦の時、軍事郵便で来た」手紙というのはいつ書かれ、いつ謙吉のもとに届いたのだろうか。そのとき謙吉はどこにいたのだろう。軍事郵便なので、配達に相当の日数を要するものだったとは思うが、「その時分、ちょうど僕は『麦と兵隊』読んでて・・・」という謙吉の言葉と時間的な整合性がもうひとつ納得できないのである。

 紀子と謙吉の会話からわかることは、兄の省二は少なくとも徐州会戦のときは生存していた、ということ、そして、中身の検閲される軍事郵便で送る手紙に麦の穂を同封してきた、ということである。手紙の内容でなく、麦の穂が入っていたことが紀子にとって重要だったのだ。

 麦の穂は、いうまでもなく日野葦平の『麦と兵隊』の舞台となる徐州一帯の麦畑を連想させるが、手紙の中にわざわざ麦の穂を入れてきたということは、麦の穂それ自体が、書かれている内容よりもはるかに強いメッセージだろう。「一粒の麦、地に落ちて死なずんば」である。十字架の死を前に、イエスが弟子に語った有名なことばである。

 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。__ヨハネによる福音書12章24節
 
 戦地の省二が、目前にある死にどのような意味付けをしていたのか、麦の穂は確実なメッセージとなって、謙吉に、そして紀子に省二の思いを伝えたのである。喫茶店の窓際の席で、かつて省二と謙吉が、いまは紀子と謙吉が見ているニコライ堂の正式名称は東京復活大聖堂である。麦の穂は復活のキリストの象徴であり、正教会の信徒を意味するものでもある。

 この映画の中には麦の穂からつくられる食べ物がいくつも登場する。最も印象的なのは、紀子が謙吉との結婚を承諾してくれて狂喜する謙吉の母が、「あたしもうすっかり安心しちゃった」と泣き笑いしながら、「紀子さん、パン食べない?餡パン」と誘う場面である。なぜ、唐突に餡パンなのか?節子は笑ってことわるのだが。また、間宮家に子供たちが集まってレールを並べて遊んでいるところに、紀子が大量のサンドイッチを持ってくるシーンもある。敗戦後六年しか経っていないのに、なんという贅沢なふるまいか、と驚いてしまう。

 間宮周吉と志げの夫婦がサンドイッチを食べるシーンもある。昼下がり、博物館の庭で二人並んで座って話しながらサンドイッチを食べている。周吉は「今が一番いい時だ」と言う。「まだこれからだって」と言う志げに周吉は「欲を言ったらきりがないよ」と諭す。結末の別離を暗示するような場面である。糸の切れた風船が空高く舞い上がっているのを二人が眺めている。「今日はいい日曜日だった」と周吉が曜日を特定するのは何か意味があるのだろうか。それから、些細なことだけれど、周吉の履いている靴が古びてみすぼらしいのはなぜだろうか。

 パンとレールといえば、八本しかレールを持っていないからもっとほしい、32ゲージ(のもの)だよ、と父親におねだりしていた実が、レールだと思っていたお土産がパンだと知って、腹を立ててパンを蹴るシーンがある。実が父親に見つかって、もみあっているうちに、勇が隙を見てもう一回蹴ると、あっけなくパンが二つに割れてしまう。ずいぶん長いパンもあるものだな、と思って見ていたが、パンがそんなに簡単に割れるものだろうか?カメラはアップで半分に割れたパンをとらえて強調しているのだが、なんだかこれも不思議である。

 「九百円もした」(今の金額に換算すると1万円以上)豪勢なショートケーキを深夜に紀子と史子、それに後から謙吉も加わって食べるシーンもある。これが不思議なのは、矯めつ眇めつ、散々迷って紀子が切り分けたケーキを三人で食べているところに、実が寝ぼけて入ってくる。すると、三人ともいっせいにケーキをテーブルの下に隠してしまう。絶対に食べさせないぞ、という意気込みである。

 パンとケーキだけでなく、この映画にはものを食べるシーンが多い。冒頭の導入の部分も間宮家の朝食の光景だったが、ラスト近くにもすき焼き鍋のようなものを囲んで一家が食事をする場面がある。紀子の結婚が決まった祝賀の宴のようだが、一家の別離の宴のようでもある。鍋を直火に当てるためか、食卓の上でなく床に直接食器が置かれている。気がつくと、家中から鳥かごが取り払われ、カナリアがいなくなっている。

 食事が終わって、みんながくつろいでいるとき、周吉が口火を切って一家の回想を始める。「このうちに来てからだって足かけ十六年になるものねぇ」と周吉が言うと志げが「紀ちゃんが小学校を出た春でしたからねぇ」と続ける。康一が煙草を指にはさんで、「こんなところにちょこんとリボンなんかつけて、よく『雨降りお月さん』なんか歌ってましたよ」と言う。

 何でもない会話のようだが、ここは重要な情報がもたらされる場面である。十六年前周吉と志げはどこに住んでいたのか?紀子は周吉や志げと一緒にこの家に移り住んだのか?それとも、もともとこの家にいたのか?この家は十六年前は誰のものだったのだろう?大学を出て間もない康一に、こんなに立派な家を建てる甲斐性があったとは思えないのだけれど。

 それから、小学校を出た女の子、つまり中学生になる少女が『雨降りお月さん』という童謡をよく歌う、というのもちょっと違和感がある。この映画に出てくるいくつかの固有名詞は、それぞれ重要な意味を潜めていると思われる。『麦と兵隊』は言うまでもないが、「妻の死後本ばかり読んでいる」と母親のたみにいわれる謙吉が「いま四巻目の半分まで読んだ」という『チボー家の人々』、「省二がスマトラに行く前に(省二や謙吉と一緒に)みんなで行った」とアヤが言う「城ヶ島」、紀子のお見合い相手だった真鍋(?)という男の出身地の「善通寺」、導入とラスト近く流れる『埴生の宿』など、いずれも代替可能なものではなく、それらをつなぐキーワードが隠されているような気がしてならない。

 それにしても不思議な家族である。息子の康一が医師であることは明らかだが、父親の周吉は何をしている人なのだろう。机に向かって脇に分厚い本を置きながらものを書いているシーンがあって、冒頭でも紀子に原稿の入った封筒を渡していたが、物書きなのだろうか。

 ラストは「やまと」の光景である。麦畑が手前にあって、その向こうにこんもりとした山が見え、山の麓に家並みが見える。画面が三回切り替わって、藁ぶきの屋根、そして「やまとのおじいさま」が煙管をふかしている座敷が映される。整然としたというか閑散としたというか、その座敷の続きに囲炉裏が切ってあり、志げが大きな急須でお茶を入れて周吉に渡す。「おい、ちょいと見てご覧、お嫁さんが行くよ」と周吉が言うと、麦畑の中を花嫁行列が通り過ぎていく画面に代わる。一行は八人で、よく晴れた日のようだが、花嫁に黒っぽい傘がさしかけられている。

 「どんなところに片付くんでしょうねぇ」と志げが言う。花嫁行列を眺める二人の後ろ姿をカメラがとらえる。別離の宴からそんなに時間は経っていないと思われるのに、周吉の背中は丸くなり、志げはモンペを履いて粗末な帯を締めている。「みんな離れ離れになったけど、しかしまぁ、私たちはいい方だよ。欲をいっちゃぁ切りがないよ」と周吉が言うと志げも「えぇ、いろんなことがあって…長い間、ほんとうに幸せでした」とこたえる。志げはお茶をすすり、遠くを眺めるような目をしている。その表情はしずかに諦めの色をたたえている。

 画面はもう一度麦畑を映す。遠くに家並みが見え、手前に麦の穂が揺れている。テーマ音楽が最高潮に達し、エンディングとなる。タイトルの「麦秋」そのものだが、不思議なことに、手前に揺れる麦のかたちが人間の、それも兵隊のように見え、大勢の兵隊が手を振っているように見えてしまうのだ。

 ほんとうに不思議な映画だと思うが、一番不思議なのは、紀子が上司の佐竹と盃を交わすシーンかもしれない。アヤの母親の経営する料亭で、一人で酒を飲んでいた佐竹の部屋を訪れた紀子が佐竹の飲んでいた盃を受け取って、彼がついでくれた酒を飲む。後ろ姿のすべてが紀子の女を表現しているのだが、紀子とはいったい何なのか。

 『秋刀魚の味』の続きを書こうと思っていたのですが、『麦秋』の魅惑的な謎にはまってしまいました。もっと集中しなければいけないのですが、力不足を痛感しています。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 

 

 

 
 

 

2018年5月14日月曜日

大佛次郎と小津安二郎の『宗方姉妹』__消された「戦争」

 インターネットで『宗方姉妹』と検索すると、ほとんどすべて小津安二郎監督の映画がヒットする。大仏次郎の原作について書かれたものはほとんどない。一九五〇年に初版が出て、その後二社から文庫本も出ているのに、なぜかいまは忘れ去られた存在のようである。原作は一九四九年六月から十二月にかけて朝日新聞に連載された家庭小説で、連載終了から半年余りで映画が公開されている。連載と同時並行で映画が構想されていったのだろうか。だが、それにしては、原作と映画はかなり異なったものになっている。

 大佛次郎の原作は、戦後日本の社会の様相を登場人物の行動と心理を通して描く群像小説である。満州国の高級官僚だった父親の宗方忠親、娘の節子、満里子、節子の夫三村亮助、忠親の年少の友人田村宏、田村の愛人の真下頼子が中心である。忠親は公職追放の身で癌に冒されている。満州で特権階級だった一家は何もかも失った。満州の原野を文明都市に変貌させる夢を描いていた技師の三村も失業している。生活のすべがない一家は、切り売りも底をついてしまったため、節子の友人の恵美子の斡旋で酒場を始める。

 軌道に乗ったかのように見えた酒場だったが、美恵子が自分についていたお客を連れて別の場所で新たに酒場を始めてしまったため、水商売に不慣れな節子は途方に暮れる。  窮境にあった節子を救ったのは、忠親の友人で節子の初恋の相手だった田代宏だった。宏はパリに留学し、戦後は神戸で高級家具の製作、輸入販売を手掛けて成功していた。彼の提案で、節子は酒場を昼の間画廊にする。作品は宏と交流のある画家たちが提供してくれて、画廊は幸先良いスタートをきる。

 画廊の仕事は、節子と宏を急速に接近させた。かつて、お互いに好意以上のものを感じながら口に出せなかった二人は 、十年の歳月を経て頻繁に会う機会を得る。上京した宏と節子がいつものように語らいながら歩いていたときに、節子の夫の三村と鉢合わせしてしまう。帽子を脱いで「やあ!」と大声で挨拶して通り過ぎた三村の態度を二人に対する侮辱と受け止めた節子と宏は宏の宿で結ばれそうになる。だが、京都にいる節子の父に今から報告に行こう、という宏の言葉に、節子ははっと、我に返ったかのように踏みとどまるのだ。そんなことをすれば、病に弱った父が死んでしまう、と。映画と違って原作では、節子は父が癌であることは知らされていないのだが。

 「時が来たら、もう、僕らは離れない」「もっと、もっときれいにして待ちましょう」と宏は言って、節子の生活は何事もなかったかのように続いた。そして、数日後、三村の新しい仕事が決まった。勤めにでている節子に置手紙をして、三村は夜行で京都の忠親に報告に向かう。翌日、仕事仲間と飲んで、泥酔状態で帰った三村は忠親の住まいの二階で急死してしまう。

 三村の死に対して自責の念を捨てきれない節子は、宏への思いを断ち切る手紙を書いて別れを告げる。書留速達で着いた手紙を読んだ宏が酒場で泣き崩れるのを、かつて愛人だった真下頼子が「可哀想に、苦労して。」と静かに見まもるところで原作は終わる。

 『宗方姉妹』というタイトルだが、原作は姉妹を中心に、というよりそれぞれの登場人物を描き分けて、混乱した世相を写しだそうとしている。余命いくばくもないことを宣告された父の忠親は、人生を諦観しているが、自分より若い人間を死なせてしまったことに後ろめたさを感じている。娘の節子はしっかり者だが受動的な人間である。節子の妹の満里子は「忠親が満州に赴任して生まれたことにちなんで名づけられた」とあって、進取の気質に富んで積極的である。節子の夫の三村は、ここが映画ともっとも異なる部分だが、粗野ではあるが、情に厚く、貧乏はしているけれど面倒見のいい人間として描かれている。

 節子が想いを寄せていた田代宏は、経済力は身につけたが、優柔不断なところがあって、結局は想いを成就させることができない。宏とフランスで知り合った真下頼子は、戦争未亡人だが父親から証券会社の経営を受け継いで、裕福で洗練された大人の女として描かれている。頼子は、宏のなかに節子への断ち切れない思いがあるのを知って、みずから身を引く。映画と違って、原作は頼子の内側に入り込んで、彼女の側から宏と節子、そして満里子を見ている。

 宗方一家は落魄しているが、それでも「雨の漏らない」家に住むことができる中産階級である。生活に困って、お嬢さん育ちの節子が酒場を開くことになったが、そんな彼らを批判的に眺めながらも支える立場の人間として、丹波の山奥から上京してきた前島という青年が登場する。映画では節子の酒場のバーテンで元特攻ということになっているが、原作は普通の兵隊上がりで、運送会社に勤めている。上京するときに山椒魚を生け捕りにして持ってきたというエピソードがある。一杯飲み屋で知り合った三村の誘いで節子の家に住んで一家の下働きもしている。登場人物のなかで、まったくの庶民階級は彼一人だ。彼の目で見ると節子たちは遊んで暮らしているようなのである。

 「生活ったら、お嬢さん」と前島は満里子にいう。「もっと、自分で汗をかくことでしょう。東京のひとは、まだ、それをごまかしているように見えるのかね。それで、わしなんかにはあぶなつかしく見えるのかね。」と前島は批判するのだが、そうじて作者は宗方一族に寄り添ってストーリーを展開していく。生活に困るといっても、萬里子はバレーのレッスンに通ったり、姉妹は関西と東京を行ったり来たりして、お寺巡りをする余裕がある。敗戦後四年しか経っていないのに、庶民から見れば夢のような暮らしができるのだ。

 この他、原作には、戦時中諜報の仕事をしていて、いまは人の秘密を嗅ぎまわることをメシの種にしている平岩哲三という男も登場するのだが、映画は完全に省略している。平岩の存在だけでなく、小津安二郎の『宗方姉妹』に戦争の影はまったくない。登場人物の原作と比べてかなりデフォルメされた性格と行動が織りなす愛憎の世界に焦点を絞って、プロットも一部改ざんしながら思い切って単純化している。

 焦点となるのは、節子と三村の夫婦関係である。映画の中の三村は、たんにアルコールで人格を崩壊された狂人として描かれている。節子の若いころの日記を読んでから、宏と節子の関係を疑い始め、宏に急場を救ってもらった節子を打擲する場面がある。それまで、何をいわれても気丈に耐え献身的に三村に尽くしてきた節子が七回も打たれて、覚悟を決めなおす場面がハイライトである。ところが、原作では打擲する場面などまったくないのである。日記を見るというプロットもない。「女房は、どんなによく出来た女でも、亭主にとっては俗世間の代表だよ」と前島に向かって自嘲気味に述懐しながらも、三村は自省的かつ自制的な人間として描かれている。

 映画のなかで三村を一方的に嫌う満里子と三村の関係も原作ではもっと微妙である。満里子は節子と三村が暮らす家を出て、独立して間借り生活を始めるのだが、ある夕方三村が無料で借りている事務所を訪れる。満里子はなりふり構わず職を探そうとしない三村を非難する。その後、話の成り行きで、満里子は自分が宏に求婚して振られたことを三村に打ち明ける。黙って聞いていた三村は「君の、その話には、節子は何も、かかり合いなかったのか?」と尋ねる。三村はすべてを了解したのだ。満里子は、三村に節子と別れるよう言いに来たのだ。別れる理由は、三村が失業していて経済力がないからではなく、節子と宏が心の奥底でかたくむすばれているからだということを。

 大佛次郎の原作が、登場人物一人ひとりの心理のひだを丁寧に描いて物語を進めていくのに対して、小津の映画は一言でいって通俗的なのである。妻の日記を見て嫉妬にかられる夫とけなげに耐えて夫に尽くす妻の姿がグロテスクなまでに強調して描かれる。新しい人生を踏み出そうとしない姉を批判する妹の満里子の姿もピエロのようにデフォルメされている。余談だが、宏のもとを訪れたり、頼子に会いに行ったりするときの満里子の服装は、なぜかいつも野暮ったくてみっともない。節子や頼子がいつも身についた洗練された身支度で登場するのと対照的である。

 節子と愛し合う宏の存在があまりに受動的であることも映画の印象を平板なものにしている。戦後の混乱期を上手に乗り切って成功した実業家なのに、節子との関係を一歩踏み出すことができない。原作でもそれは同様なのだが、映画ではより一層意志薄弱な人間として造型されている。際立つのは酒に溺れた三村が人格を崩壊させ、自滅していくさまである。そこには何ら人間的葛藤は描かれない。ただ自滅のための自滅があるだけである。夫に献身的に尽くす節子も「夫婦だから」尽くすというだけだ。

 ラスト三村と「十四年ぶり」に薬師寺を訪れた節子は「三村の影を引きずったままあなたと一緒になれば、きっとあなたを不幸にする」といって宏に別れを告げる。その後、節子は喫茶店で待っていた満里子とともに「御所を通っていきましょうか」と歩き出すのだが、二人の後ろ姿は何とも軽やかで楽し気でさえある。いったい、この映画は何を撮りたかったのか?

 忘れられた感のある大佛次郎の原作だが、いま読み直すと、当時の生活の様相や人間の心情、息遣いまでまざまざと浮かび上がってくる。オーソドックスな「小説_novel」を読む醍醐味を味わうことができる。それに比べて、小津の映画は、実は、はるかに辛口である。「家庭劇」という枠組みをきっちり守って、人物の歴史、背景を一切描かない。登場人物は画面のなかで与えられる性格、役割を正確に演じることだけが要求されている。「戦争があったから」こうなった、ああなった、という「解釈」は存在しないのである。________大佛次郎の「『宗方姉妹』と小津安二郎の映画と、はたして、どちらが「反戦」なのだろうか。

 ちょっと寄り道のつもりがだいぶ時間をとってしまいました。集中力を保てなくなったなぁ、とつくづく思うこの頃です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

2018年4月3日火曜日

小津安二郎『秋刀魚の味』___秋刀魚の味と「秋刀魚の歌」

 小津安二郎の映画のタイトルは不思議なものが多い。『早春』という映画のタイトルがなぜ「早春」なのか、いまだにわからない。季節は真夏のようである。蚊取り線香が焚かれる画面から真夏の熱気が伝わってこないのが不思議だが。

 『秋刀魚の味』も何故このタイトルなのか、ずっとわからなかった。そもそも『晩春』と同じ「父と娘」「娘の結婚」のテーマを繰り返す理由がわからなかった。いま、『晩春』の焼き直しのように見えるこの映画が『晩春』とどこが違うのか(表面的なプロットの違いでなく)検討する前に、『秋刀魚の味』というタイトルの意味するものについて、少しだけ考えてみたい。

 映画の冒頭、煙突が5本映し出されて、舞台が工場地帯であることが示される。主人公の平山は丸の内近辺の大手会社ではなく、工場地帯で製造業を営む会社の役員という設定である。平山の役員室を友人の河合__こちらは丸の内の大手会社の役員のようである__という男が訪れる。挨拶もそこそこに、平山は河合に「奥さん怒ってなかったか、こないだ」と聞く。「怒ってない、怒ってない。おもしろがってたよ」と言う河合に「どうも、酒飲むとよけいなこと言いすぎるな」、と平山が返し「すぎる、すぎる、お互いにな」と河合が受ける、というやりとりがあって、これが何を意味するのか、ずっとわからなかった。河合の家で酒を飲んだ平山と河合の奥さんがどうしたというのか、この後の展開で触れられることはまったくないのである。

 ところで、私くらいの年代以上の人は「秋刀魚の味」と言えば佐藤春夫の「秋刀魚の歌」を連想するのではないか。

あはれ
秋風よ
情〔こころ〕あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉〔ゆふげ〕に ひとり
さんまを食〔くら〕ひて
思ひにふける と。

私の記憶にあったのはこの部分までだった。秋の気配の立つ頃、一人食卓に向かって秋刀魚の味をかみしめる男の孤独の詩。しかし、この後、

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸〔す〕をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみてなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児〔こ〕は
小さき箸〔はし〕をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸〔はら〕をくれむと言ふにあらずや。

あはれ
秋風よ
汝〔なれ〕こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒〔まどゐ〕を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証〔あかし〕せよ かの一ときの団欒ゆめに非〔あら〕ずと。

あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児〔おさなご〕とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。

さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。

と続くドラマがあるのだ。谷崎不在の谷崎家の食卓を、谷崎の妻千代、娘の鮎子、佐藤春夫の三人で囲んで、秋刀魚を食べる。その折の回想と、不遇の妻といたいけな幼女へ寄せる思いをうたった「秋刀魚の歌」は長く人口に膾炙したが、この「秋刀魚の歌」にちなんで、それと同じくらい有名になったのが、谷崎と佐藤の間のいわゆる「細君譲渡事件」である。千代をめぐる三人にどのような人情の機微があったか、いまとなっては私などにわかるはずもないが、当時二十代のはじめだった小津にとって、センセーショナルな出来事として記憶されたものと思われる。

 平山と河合の妻との間に具体的な何かがあったとは思われないが、酒を飲んだ平山が酔った勢いで河合の妻に何らかの言葉をかけたのだろう。映画の冒頭、さりげなくかわされる平山と河合の会話から、温厚そうな初老の平山という男の内側にうごめく情動を、まず、うけとめなければならないのではないか。画面に河合の妻が登場するのは、平山が道子の縁談を頼みに河合の家を訪れたときが最初である。先に河合の家に来ていたもう一人の友人と河合が示し合わせて平山を担ごうとしたときに、二人の嘘を平山に教えに入ったのが河合の妻だった。このときの河合の妻は、典型的な上流婦人のたたずまいで、それ以外のなにものでもないのだが。

 「秋刀魚の歌」と直接関係ないのかもしれないが、この映画には不思議なことがもう一つあって、平山と河合が同じ(ように見える)カーディガンを着ているのである。平山の娘の路子が思いを寄せていた男がすでに婚約していたことを告げるシーンの平山と、道子の縁談を頼みに河合の家を訪れたときの河合が、どうみてもまったく同じカーディガンを着ている。平山を演じる笠智衆と河合役の中村伸朗は体型が似ているので一つのカーディガンを着回ししたのかと思ってしまう。小津はどのような意図でこんな演出をしたのか?衣装の類似については、平山の娘路子と、軍艦マーチのレコードをかけるバーのマダムの服装についても指摘される方がいるようだが。

 いつもながらの独断と偏見でいえば、『秋刀魚の味』は男の老醜を描いた作品ではないか。老醜とは、平山たちの中学校の漢文教師だった「ひょうたん」という綽名の男の落魄の姿をいうのではない。「ひょうたん」を二度にわたってなぶりものにする平山や河合をはじめとする、いまは功成り遂げた男たちの内面である。娘のように若い妻を娶った大学教授に平山が「この頃、お前が不潔に見えてきた」と言うシーンがある。「不潔」の意味するところは、けっこう複雑なものではないか。

 『秋刀魚の味』は、小津安二郎の作品の中で、最初に観た映画でした。そのときの、いわば卒読の印象と『晩春』『麦秋』・・・・と小津作品をいくつか観てきた印象とは、微妙に変わってきたように思います。不思議なシーンがいくつもあって、それらを繋いでいくと、何か暗くて重いものに行きつきそうなのですが、形として存在するのは静謐、平穏な日常性です。静謐、平穏な日常性が、こんなに緊張感のある画面で語られるということの不可解が小津作品の魅力なのでしょう。もう少し、その不可解にかかわってみたいと思います。

 今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
 









 

2018年3月24日土曜日

小津安二郎『東京暮色』__前稿の訂正と補筆__再び「父と子」について

 最初の稿で、杉山周吉の家の玄関前にイチジクの鉢植えがある、としたのだが、イチジクではなくヤツデだったようである。イチジクは落葉樹なので、雪の降る季節に葉を茂らせているわけはない。「千客万来」をもたらすとされるヤツデはよく玄関前に植えられるそうなので、ヤツデの木があるるのはとくに珍しいことではなかったようだ。いまはほとんど見かけないが。

 『東京暮色』については、もう書くのを終わりにしようと思ったのだが、どうしてもやり残したような気がしてならない。プロットを追いかけての感想はもうお終いにして、少し、独断と偏見に満ちた妄想を書いてみたい。

 小津安二郎は、私にとって、謎に満ちた作家である。戦後の作品のほとんどが、大きな事件も起こらず、淡々とした日常生活の機微をこまやかに描いたように見えながら、どこかに微妙な違和感をもたらすシーンが存在する。でも、最後は観客が期待した通りの結末になって、それなりのカタルシスがあるのだが、『東京暮色』には、激情的なドラマがあって、救いがない。救われないことへの絶望もない。まったくの「純文学」で、観客が見終わって得られるものは諦念でしかない。『東京暮色』の前作『早春』も同じように「純文学」だが、こちらはまだいくばくかの希望に近いものを感じることができる。ほんものの「希望」といえるかどうかあやしいのだけれど。

 救いがない、と感じるのは、線路に跳び込んだ明子が「死にたくない」「もう一度やり直したい」と言いながら死んでいったことにあるのではない。孝子に拒絶された母の喜久子が室蘭に行ってしまうことでもない。「相馬さん」に誘われて、喜久子が連れ合いと一緒に室蘭に行くことは、むしろ、かすかな救いだろう。救われないのは、愛することのできない夫のもとへ戻っていく孝子であり、それを容認する父の周吉である。とりわけ周吉が明子の遺影に向かってお経のようなものをつぶやくシーンには慄然とするものがあった。

 堅実な銀行マンであり、温厚で子煩悩な家庭人として描かれる周吉は一見非の打ちどころがない。だが、その周吉が「無理にすすめて」孝子に不幸な結婚をさせたのである。二歳の子を連れて孝子が家に戻ってくると、「こんなんだったら、佐藤なんかのほうが良かった」と平然といってのける。深夜喫茶で恋人を待っていて警察に補導された明子に「そんな子はお父さんの子じゃない」と言い放つ。周吉役を演じる笠智衆の演技にめくらましされてしまうが、周吉の根底にあるのは冷徹なエゴイズムである。明子を死に追いやったのは、直接には「憲ちゃん」という恋人の不実だが、その深層にあって、しかもトリガーとなったものは、周吉の「そんな子はお父さんの子じゃない」と言う言葉だろう。

 ドラマを展開させていくのは三人の女たちの行動で、とりわけ孝子の両義的な存在の描き方は見事である。だが、見終わって、最後に残るのはドラマが始まる前と同じ生活に戻っていく周吉の変わらない日常なのだ。女たちの葛藤が鮮明に描かれれば描かれるほど、葛藤の枠の外にあるかのような周吉の孤独な姿が浮き彫りになってくる。一枚の絵が二通りに見えるだまし絵のようだ。

 この映画は『エデンの東』を下敷きにしているといわれる。いくらかプロットに共通するものはあるかもしれない。だが、むしろよりラディカルに「楽園追放」のモチーフが潜んでいるのではないか。喜久子が明子と話をするために入った居酒屋は「Bar EDEN」という看板の店の前にあった。雑司ヶ谷の坂の向こうに浮かび上がる十字架のように見える電柱、周吉の家の玄関にかかる「森永牛乳」(エンゼルマークの暗示?)、喜久子と連れ合いを室蘭に誘う「相馬」_「相馬愛蔵」という有名なキリスト教の牧師を連想させる_などキリスト教もしくはヘブライズムを示唆する要素がさりげなく配置されている。冷徹なエゴイストとして描かれる周吉は、雑司ヶ谷の家の家長、父であり、同時に大文字の「父」_FATHERではなかったか。

 もう少し原節子の演じる孝子の両義性、というより小津の映画における彼女の存在の両義性について書きたいのですが、それはまた別の機会にして、『東京暮色』はこれでお終いにしたいと思います。最後まで不出来な感想文につきあってくださって、ありがとうございました。