2024年9月29日日曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』__星とつるはしの旄、双子の星

  銀河鉄道はコロラド渓谷を下って、ふたたび天の川の横手を走る。河原にはうすあかい河原なでしこの花が咲いている。ゆっくり走る汽車の両岸に「星のかたちとつるはしを書いた旄」が立っている。

  ジョバンニもカムパネルラも「「星のかたちとつるはしを書いた旄」が何の旗かわからない。鉄の舟もおいてある。女の子が橋を架けるところではないか、と問いかけると、ジョバンニは、これは工兵隊の旗で、架橋演習をしているのだと気づく。

 少し下流の方で発破が仕掛けられ、烈しい音とともに天の川の水がはねあがり、大きな鮭や鱒が空中に抛り出され、輪を描いてまた水に落ちる。「空の工兵大隊だ。」とジョバンニは昂奮する。「僕こんなに愉快な旅はしたことない。いいねぇ。」とジョバンニの機嫌はすっかり直り、女の子と水の中の魚についてことばを交わしたりする。

 この後しばらく架橋演習のシーンが続くのかと思いきや、ジョバンニと女の子の会話に追いかぶさるように、男の子が「あれきっと双子のお星さまのお宮だよ。」と叫んで、場面が急転換する。「双子のお星さま」の話とは、ポウセとチュンセという双子の星が傷ついた蝎を助けて難儀したり、箒星に騙されて海の底に落とされたりするが、最後は「王様」が救いの手をさしのべてくれるというあらすじで、賢治の処女作ともいうべき童話である。なぜ、この話が、唐突に、しかも男の子の要領を得ない説明とともに持ちだされるのか、わからない。

 さらに、男の子が「ぼく知ってらあ。ぼくおはなししよう。」というのに、この後「双子の星」の話は展開せず、有名な蝎の話が語られるのである。「星とつるはしの旄」から空の工兵大隊、架橋演習の場面から「双子の星」の話への急転換、さらに尻切れトンボにうちきられた「双子の星」から、燃え続ける蝎の話、木に竹をついだようなエピソードの羅列は何を意味するのだろう。  

 ところで、細かいことだが、賢治は「星のかたちとつるはしを書いた」と「工兵の」と「はた」の文字を使い分けている。おそらく意図的だろう。「旄」は見慣れない文字で、「漢字の音符」というサイトによると、「ヤクの毛をまるめて丸くした飾りを五つほど連続して旗竿の上からつるしたもの。皇帝の使節に任命したしるしとして与えられた」とある。のちに舞踊あるいは軍隊を指揮する際にも使われたようだが、なんとなく「旗」よりも生々しい表情を帯びている。

 そもそも「星のかたちとつるはしを書いた旄」が「空の工兵大隊」の旗として登場するのは何故か。「星のかたちとつるはし」からただちに連想されるのはソビエト連邦の旗だろう。一九二三年七月に制定されてから、いくたびか変更はあっても、ソビエト連邦の国旗に共通しているのは「槌と鎌と五芒星」である。「星のかたちとつるはしを書いた旄」にはじまる一連のエピソードは初稿から最終稿まで一貫して存在しているが、この時代に共産主義国家を連想させるものは危険だったのではないか。にもかかわらず、賢治はこの部分をどうしても残したかった。

 「星とつるはしを書いた旄」が掲げられ、架橋演習が行われている。投げ出された鮭や鱒を見て、ジョバンニは欣喜雀躍する。このくだりについて、賢治は好戦的であるとする評者もいるようだが、そんなに短絡的に断定してよいものだろうか。

 以前「桔梗いろの空にあがる狼煙と鳥の大群_ジョバンニの孤独感」でも書いたように、賢治は、体に横木を貫かれた兵隊の姿を画いて不気味で無残な表紙絵にしている。その名もずばり『飢餓陣営』では、餓死寸前の兵士をユーモアのオブラートでくるみこんで登場させる。『北守将軍と三人の兄弟医者』も、北守将軍は反英雄の英雄で、よく練られた反戦小説である。モデル(というより反モデル)は賢治の時代からそんなに離れていない時代の人かもしれない。賢治の戦争に対する意識は単純ではない。

 ソビエト連邦を連想させる「星とつるはしを書いた旄」「空の工兵大隊」が行う「架橋演習」は何かの隠喩だろうか。「抛り出された大きな鮭や鱒」や遠くからは見えない小さな魚も同様だろうか。隠喩だとしたら、あまりにも危険である。「旄」という漢字を使い、祝祭をイメージさせながら、隠喩されたものがあからさまになることが危険すぎるので、唐突に男の子の「双子の星」の話を挿入して流れを中断したのではないか。全能で慈悲深い王様が、冒険して苦境におちいった双子の星を救ってくれるという予定調和のストーリーも危険な暗喩のめくらましになる、と賢治が考えたのかもしれない。あくまで推測の域をでないのだが。

 男の子の「ぼく知ってらあ。ぼくおはなししやう。」ということばの後は空白になり、段落が切り替わる。この後、有名な燃える蝎の話になるのだが、長くなるので、また回を改めたい。蝎の話は、賢治の多くの作品がそうであるように、「自己犠牲」というテーマで語られることが多い。私は、「自己犠牲」ということばに回収されてしまってはならない複雑微妙な要素がここに含まれていると思う。

 新大陸アメリカのコロラド高原からユーラシア大陸へ自在に、海峡を越えて汽車は走ったのだろうか。蝎の話まで含めてひとつながりの投稿にするべきかとも考えたのですが、ひとまずこれで区切りたいと思います。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

2024年9月12日木曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』___新世界交響楽とインディアン

  桔梗いろの空を鳥の大群がわたり、どこからかのろしが上がる。カムパネルラと女の子がことばを交わすかたわらで、ジョバンニはかなしくなって泪にくれている。

 「そのとき汽車は川からはなれて崖の上を通るやうになりました。」と書かれて、なぜ「それから」でなく「そのとき」なのか微かな違和感をおぼえるのだが、これ以降汽車は渓谷を登っていく。黒いいろの崖の上には、野原の地平線のはてまで、ほとんどいちめん美しく立派なとうもろこしが実っている。「あれたうもろこしだねぇ。」とカムパネルラがジョバンニに話しかけるが、ジョバンニの気分は変わらない。

 それからまた「そのとき汽車はだんだんしづかになって」小さな停車場にとまる。停車場の時計の振子が規則正しく音を刻む合間に、遠くの野原のはてから「新世界交響楽」のかすかな旋律が流れてくる。汽車の中は誰もがやさしい夢を見ているが、ジョバンニはひとり沈んでいる。

 「すきとほった硝子のやうな笛が鳴って」汽車が動き出し、後ろのほうでとしよりらしい人が話している。この辺はひどい高原で、川までは二尺から六尺もある渓谷なのでとうもろこしの種は二尺も穴をあけておいてそこにまくという。それを聞いたジョバンニは、ここはコロラドの高原ではなかったかと思う。カムパネルラはさびしそうにひとり星めぐりの口笛を吹き、女の子は「絹で包んだ苹果のやうな顔色をして」ジョバンニと同じ方向を見ている。

 突然とうもろこしがなくなり「巨きな黒い野原」がひらけ、新世界交響楽がいよいよはっきり地平線のはてから涌く。そのまっ黒な野原のなかを一人のインディアンが走ってくる。インディアンは「白い鳥の羽根を頭につけたくさんの石を腕と胸にかざり小さな弓に矢を番へて」いる。やさしい夢を見ていた青年が眼をさまし、「インディアンですよ。ごらんなさい。」とよびかけ、ジョバンニとカムパネルラも立ち上がる。

 インディアンは半分は踊っているように見えたが、急に立ちどまって、弓を空にひくと、一羽の鶴が落ちてきて、また走り出したインディアンのひろげた両手に落ちこむ。インディアンはうれしそうに立ってわらうが、その影もどんどん小さくなって、またとうもろこしの林になってしまう。

 天の野原を走っていた銀河鉄道がいつの間にか新大陸アメリカのコロラド渓谷を登っている。コロラドの高原にとうもろこしが植わっている。とうもろこし畑を行くと小さな停車場があって、新世界交響楽がかすかに聞こえてくる。停車場を過ぎると、突然とうもろこしがなくなって、黒い野原がひらけ、新世界交響楽がはっきりと聞こえるようになる。そしてインディアンが登場する。新世界交響楽とインディアンの登場がもたらす意味は何か。

 ドヴォルザークが一八九三年アメリカ滞在中に作曲した新世界交響楽は日本でも親しまれたようだが、賢治は第二楽章の主題に詩をつけて、一九二四年夏には「種山ヶ原」として歌っていたといわれている。

 「春はまだきの朱雲を
  アルペン農の汗に燃し
  縄と菩提皮にうちよそひ
  風とひかりにちかひせり
    四月は風のかぐわしく
    雲かげ原を超えくれば
    雪融けの草をわたる

  繞る八谷に霹靂の
  いしぶみしげきおのづから
  種山ヶ原に燃ゆる火の
  なかばは雲に鎖さるる
    四月は風のかぐわしく
    雲かげ原を超えくれば
    雪融けの草をわたる」

 第二楽章の主旋律には、野上彰、堀内敬三がそれぞれ「家路」「遠き山に日は落ちて」という歌詞をつけていて、その親しみやすいメロディとあいまって、日本人の感性に訴える名曲としての評価がさだまっている。だが、そのいずれも一九三〇年代以降のことなので、日本で最も早く歌詞をつけて歌っていたのは賢治だろう。注目すべきは、時期的に賢治の歌詞が早いということだけでなく、むしろ、賢治のそれが、アメリカで一九二二年ドヴォルザークの弟子だったウィリアム・アームズ・フィッシャーのつけた「Goin' Home」の歌詞と共通のベースをもつと思われることである。

 フィッシャーの歌詞は「Goin' Home」というタイトルからうかがわれるように黒人奴隷の労働の歌である。

 Goin' home,goin' home,
  I'm a goin' home,
  Quiet-like ,some still day,
  I'm  jes goin' home
  It's not far, jes closs by,
  THrough an open door,
  Work all done ,care laid by,
  Gwine(or:Goin') to fear no more.

  Mother's there 'spectin' me,
  Father's waitin' too,
  Lots  o' folk gather'd there,
  All the frend I knew,
  All the frends I knew,
  Home I'm goin' home!
            以下略。

 フィッシャーの詞は、過酷な労働からの解放を歌い、次に同胞の待つ故郷への帰還を歌う。故郷への帰還はまた天国への導きとなっていく。余談だが、私は黒人霊歌を聴くのは好きではない。ほとんど絶望的な状況のなかで渇望する救済が、彼らを支配する白人の宗教であるキリストによるものであるというパラドックスが何ともやりきれないのだ。フィッシャーは白人なので、きれいにまとめた詞をつけているが、それでも黒人たちが置かれた状況の過酷さが浮かび上がってくる。

 これに対して賢治の「種山ヶ原」の詞は、颯爽と「アルペン農」の労働を歌い上げる。「アルペン農」とは、高原で牛や馬を放牧させることだそうで、自立した農業労働のひとつの理想をそこに見ていたのかもしれない。あくまで理想だったが。

 だが、新世界交響楽とともに、突然ひらけた巨大な黒い野原の中に現れたのは、いうまでもなくアルペン農でもなければ黒人奴隷でもなかった。鳥の羽根と石で身を飾った一人のインディアンが汽車の後を追って走ってきたのだった。

 『銀河鉄道の夜』は解けない謎に満ちているが、私にとって最も大きな謎は、このインディアンが鶴を射ることである。コロラド高原にインディアンが現れるのは不思議ではなく、もともとはコロラド高原に限らず、アメリカ大陸に先住していたのは彼らだったのはいうまでもない。一面に植え付けられた美しいとうもろこしはインディアンの命を養ってきた作物だった。

 コロラドでは、新世界交響楽が作られる三十年前に「サンドクリークの虐殺」と呼ばれる有名な事件が起きている。映画「ソルジャーブルー」はこの事件を提示することで、ベトナムでおきたソンミ村の虐殺を告発したともいわれている。男たちがバッファロー狩に出かけて不在のときに、軍の騎兵隊がインディアンのキャンプを襲い、無抵抗の女、子供を無差別に、口にするもおぞましいやり方で殺したのである。

 だが、賢治がこの事件を知っていたとは思われないし、仮に知っていたとしても、新世界交響楽とともにコロラド高原にインディアンが登場することとどのような関係があるのかわからない。 

 新世界交響楽とインディアンとのかかわりといえば、第二楽章と第三楽章は、アメリカの詩人ロングフェローの「ハイアワサの歌」というインディアンの英雄譚から着想を得て、これをオペラ化しようとしたスケッチがもとになっているといわれている。第二楽章は、「森の葬礼」と題して、ハイアワサの妻ミンネハハの死を悼んだレクレイムだそうである。たしかに第二楽章の旋律は、颯爽とした労働歌よりも悲傷の情がしみとおるようなレクレイムの方がふさわしいように思われる。だがこれも、インディアンが鶴を射止めてわらうことと直接結びつけて考えることは難しい。

 そして、何の根拠もなく思うのだけれど、インディアンが弓を射て鶴を射止め、落ちて来た鶴を両手でうけとめるという行為が、青年のいう「猟をするか踊るか」どちらにしても、ここには濃密なエロスの交換があるのではないか。

 これもまた余談だが、私の住む町は東京からそんなに離れていない小都市で、わずかに残った田んぼと急速に増えた耕作放棄地の間にけっこう新しい家が建ったりしている。越してきて十年余りだが、この町で私は初めて鶴という鳥をま近に見た。建物のすぐ傍らの小川だったり、その上を車が通る橋の下の川だったり、刈り入れの終わった田んぼだったり、鶴はいつも一羽で、そんなに警戒心もないようだった。だが、もちろん、近づくと飛び上がって逃げる。体が大きいからだろうが、ゆったりと、優雅に、泳ぐように空をかけるのだ。

 時空の次元を越境して、銀河鉄道はアメリカ大陸を走る。コロラド渓谷を下り川が下に見えるようになると、ジョバンニの気持ちはだんだん明るくなってくる。なぜか、小さな小屋の前にしょんぼり立っている子供を見つけてほうと叫んだりする。

 ジョバンニが、というより賢治がアメリカ大陸で見たものは、故郷を追われて絶滅寸前のインディアンだった。美しいとうもろこし畑を見ても気持ちの晴れなかったジョバンニの心は、鶴を抱いたインディアンの姿を後にして、徐々にほぐれていく。ジョバンニの心理の機微をこのように描く賢治の意図はわからないが、賢治はここに生きることへの希望あるいは可能性を見出したのは事実だろう。そして、それは次の「星とつるはしの旄」へとつながっていく。

 書いては削除し、また書いては削除の悪戦苦闘の日々でした。最後まで論旨を整理することが出来ず、何か言い足りないような、それでいて余計なことを言っているような、歯切れの悪い一文です。ほんとうは賢治と農業についても考えたいのですが、それはまた別の機会にしたいと思います。最後まで読んでくださってありがとうございます。