2024年6月10日月曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』__「牛」というモチーフ__届かない牛乳とカムパネルラの死

 ジョバンニとカムパネルラを乗せた銀河鉄道の汽車は、白い十字架を通り過ぎた後、白鳥の停車場に「十一時かっきりに」着く。停車場の時計に二十分停車」と書いてあって、乗客はみな降りてしまう。二人も飛ぶようにして降りて、天の川の河原に来ると、「プリオシン海岸」という標識が立った白い岩が川に沿って平らに出ている。そこは「ボス」と呼ばれる「大きな大きな青白い獣の骨」の発掘現場だった。発掘を指導していた学者は、ここは百二十万年前は海岸だった、といい、カムパネルラが途中でひろった大きなくるみも百二十万年前のものだという。

 不思議なのは、蹄の二つある足跡のついた岩やくるみを「標本にするんですか。」という問いにこたえた学者のことばである。

  「いや、証明するに要るんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらゐ前にできたといふ証拠もいろいろあがるけど、ぼくらとちがったやつからみでもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかといふことなのだ。」

 『銀河鉄道の夜』は謎に満ちているが、この言葉は私にとって最大の謎である。「厚い立派な地層」の年代が「百二十万年」前かどうかを証明するのではなく、「厚い立派な地層」が「風か水や空」に見えないことの証明が必要なのである。

 私たちは、少なくとも同じ時点では、同じものを同じように見ているのではないか。「プリシオン海岸」という標識が立った白い岩という実体が、「風か水や空」に見える可能性はあるのだろうか。そもそも「風」は見えるのか。

 プリオシン海岸のエピソードは賢治の実体験にもとづくもので、『銀河鉄道の夜』に後から挿入されたといわれている。たしかに、ここは、作品全体をつらぬく倫理的、求道的な息苦しさから解放される部分であり、他のエピソードと異質なものがある。しかしそれは、この後に展開される「ほんたうの幸い(それはほんたうの正しさ」といってよいと思うが)とどのような関係があるのだろうか。

 結論からいえば、プリシオン海岸のエピソードは、キリスト教を基調とする全体の展開に後から付加されたものではなく、むしろ、当初から賢治のなかに「牛」というモチーフが存在していたのではないか。モチーフの形成には、賢治自身が北上川河畔で、農学校の生徒たちと一緒に偶蹄類の化石の発掘に参加した実体験も大いに影響を与えていたと思われるが、それだけではない。キリスト教、とくに原始キリスト教と牛の関係は看過できないものがある。

 以前のブログでもふれたが、原始キリスト教と「聖牛」を仲立ちにして複雑な関係にあるのがミトラ教である。ミトラ教については、その信者の多くが下層階級の庶民や軍人、あるいは海賊であったため、資料とされるものに乏しく、実態がよくわからない。秘密に祭儀を行う「密議宗教」であったといわれているが、牡牛を屠る太陽神ミトラの像が有名である。ミトラが牡牛を殺し、信者はその血を浴びることによって、歓喜し陶酔状態になる。牡牛を屠る英雄神ミトラがメシア信仰とむすびつき、ミトラがメシア_キリストと同一視されるようになったという説がある。

 そもそもミトラ教の起源、歴史は確実な考証がされているとは言い難い状況なのだが、原始キリスト教がミトラ信仰を取り込んで、融合というか習合していったのは確かだと思われる。。その過程で、殺された牡牛ではなく、殺したミトラ神が救世主キリストとして崇められるようになった。牡牛の「血の贖い」を支点にして、ここには非常に狡猾な顛倒がある。

 『銀河鉄道の夜』冒頭の「午後の授業」で、まず、先生は、天の川を「巨きな乳の流れ」にたとえ、その星を「乳のなかにまるで細かにうかんでゐる油脂の球」に当たると言っている。牛の乳が望遠鏡でしか見ることのできない天の川にたとえられ、そのなかの星は逆に顕微鏡でしか見えない乳脂にたとえられている。『銀河鉄道の夜』の構造自体が「巨きな乳の流れ」であり、「大きな大きな青白い獣」のモチーフに包摂されているとは言えないだろうか。ジョバンニが母親のために「届かない牛乳」を取りに行くというプロットが偶然に用意されているものでないことはいうまでもない。

 ジョバンニは、「白い布を被って寝んで」いる母親のために、牛乳をもらいに牧場の「黒い門」を入り、うすくらい台所に出てきた「赤い眼」の女のひとに「いま誰もゐないでわかりません。」と拒まれる。だが、銀河鉄道の旅の夢からさめて、ふたたび「ほの白い牧場の柵」をまわって牛舎の前に来ると、今度は「白い太いズボン」をはいた人が出て来て、まだ熱い乳の瓶を渡してくれる。この変化をもたらせたものが、銀河鉄道の旅であり、ジョバンニの経験だが、では、具体的にジョバンニに何が起こったのか。

 ジョバンニに起こった最も深刻なできごとは、これもまた、いうまでもなくカムパネルラの消失である。それは夢のなかだけでなく、(たぶん)現実であった。カムパネルラの死が、ジョバンニに届かなかった牛乳を「まだ熱い瓶」に入れて届けてくれた、とすれば、その死は何を意味するのだろう。カムパネルラはなぜ死ななければならなかったのか。カムパネルラの死を、たんにひとこと「犠牲」ということばですませてしまえるだろうか。そもそも「犠牲」という言葉のなかに牛が二匹いるのだが、カムパネルラの死と「まだ熱い乳の瓶」は、何かもっと生々しい経路でつながれているような気がする。

 『銀河鉄道の夜』の初稿から最終稿とされる第四稿まで、どれだけの年月が流れたのかわかりませんが、その生涯の最期まで決定稿を完成させられなかったというところに、賢治の苦闘の跡を見る思いがします。だからこそ、『銀河鉄道の夜』は汲みつくせぬ魅力と読者をひきつけてやまない磁場をもっているのでしょう。非力な私は、ほんの少々のキリスト教の素養しかなく、賢治の信仰していたという法華経はじめ仏教についてまるで何もわからないので、いつまでも堂々巡りの思考の罠からぬけだせないような気がします。前回、「橄欖の森」と「灯台看守」そして「孔雀」について書く、といいながら、「白鳥の停車場」であまりにもながく停まってしまったように思うので、ここでいったん「牛」というモチーフから離れて、次回は「灯台看守」の役割を中心に考えてみたいと思います。

 今日も未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

2024年6月2日日曜日

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』___十字架と苹果の旅__白い十字架

 『銀河鉄道の夜』に限らず宮沢賢治の作品を読んで、「自己犠牲」をテーマに論じる読者が多い。以前私自身も「ケンタウルス、牛殺し_生の軛」というタイトルでこの作品について書いたとき、カムパネルラの死を「自己犠牲でなく犠牲」として論じた。烏瓜でつくった灯籠を川にながし、「星祭り」という美しいことばでよばれる「ケンタウル村」の祭りに秘められた本質の象徴が「犠牲」である、と仮説をたててみたのだが、それでよかったのかどうか、ジョバンニとカムパネルラの旅を振り返って、もう一度考えてみたい。

 銀色のすすきと青や橙やさまざまな色にちりばめられた三角標の光がちらちら揺れ動くなか、銀河鉄道の小さな汽車が走る。線路のへりに咲いた紫のりんどうの花が次から次へと過ぎ去っていく。ところでこの「三角標」がどういうものなのか、じつは私はよくわからない。銀河鉄道の旅のいたるところに登場するが、どのような標識なのだろうか。

 旅の始まりに、カムパネルラの「母のゆるし」と「ほんたうの幸い」の葛藤を告白されたジョバンニが「「ああ、さうだ。ぼくのおっかさんは、あの遠いちりのやうに見える橙いろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考へてゐるんだった。」と心の中で思っているので、三角標は現実世界の何かに対応するのだろう。

 そして、旅の出発点の前と終着点の後に登場する「天気輪の柱」はもっとわからない。こちらは天上の世界とつながるものを意味すると思われるが、三角標よりイメージをむすぶことが困難である。

 りんどうの花と三角標の列に迎えられて始まった二人の旅が最初に出会ったのは「ぼぅっと青白く後光の射した一つの島」とその平らないただきに立った「立派な目もさめるやうな白い十字架」だった。カムパネルラが「母のゆるし」と「ほんたうの幸い」の葛藤から「ほんたうの決心」を告白すると、俄かに、車のなかがぱっと白く明るくなる。「金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたやうな」きらびやかな銀河のまん中に小島があって、そこに十字架が見える。「それはもう凍った北極の雲で鋳たといったらいゝか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しづかに永久に立ってゐるのでした。」と書かれている。きらびやかにして清浄無垢、荘厳な世界の出現である。

 「ハルレヤ、ハルレヤ。」の声が起こり、乗客はみな十字架に向けて祈る。ジョバンニとカムパネルラも思わず立ちあがる。「カムパネルラの頬は、まるで熟した苹果のあかしのやうにうつくしくかゞやいて見えました。」

 白い十字架と赤い苹果、「ハルレヤ(ハレルヤでないことに注意)」の声と祈り、絵にかいたようなキリスト教の光景である。銀河鉄道の旅の基調にあるものが、キリスト教の世界であることは多くの人が指摘するもので、私も異論はないが、あえて、ひとこと言えば、この場面で描かれる「キリスト教」の世界は、あまりにも完璧に予定調和のそれである。「キリスト教」の象徴として「十字架」は、こんなに清浄無垢で荘厳、もっと言えば無機的に輝く存在だろうか。

 イエスの十字架は、この上なくむごたらしく血にまみれた実在の杭である。そのことを十分理解していたと思われる賢治は、なぜ十字架をこのように描いたのか。

 おそらく、賢治がこの十字架(白鳥座の北十字星のことであると言われる)を荘厳無垢に描いたのは、ここを、誰も足を踏み入れることなく、ひたすらな祈りがささげられる対象として措定したからではないか。旅人たちは「しづかに永久に立ってゐる」十字架に祈る。だが、汽車は止まることなく、乗客はみな車内で祈りをささげ、白鳥の島が「絵のやうになって」ついにすっかり見えなくなってしまうと、旅人たちは「しづかに席に戻り」、ジョバンニとカムパネルラも、「胸いっぱいのかなしみに似た新しい気持ちを、何気なくちがった詞で、そっと談し合ったのです。」

 白鳥座の十字架から、南十字星の十字架まで、銀河鉄道は走る。じつは十字架、というか十字架を暗喩するものは旅の途中でもあらわれ、それは非常に重要な問題を提起しているものだが、それについては、また回をあらためて考えてみたい。私見では、物語の後半に登場する「橄欖の森」がそれであると考える。また、苹果、とくに「燈台看守」が配る「金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果」についても考察を試みたい。どちらも、容易に作者の肉声を聞くことが拒まれているような気がして、難問である。カムパネルラの死と、タイタニック号の乗客の死、そして、蠍の死、これらと、十字架、苹果の両義的で複雑な関係を解きほぐす糸口だけでもみつかればいいと思っている。

 ここまで書いてきて、誤解のないように、あえて、いわずもがなのことを言っておきたい。私はこの作品をキリスト教のプロパガンダとして読むつもりはまったくない。他の宗教も同様である。それは、決して賢治の本意ではなかったと考える。根源的でありながら複雑で矛盾に満ちた生の本質に迫り、その過程での実践を模索するために、賢治は書き続けたのだと思っている。

 相変わらずまとまらなくてたどたどしい文章です。今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。