『天人五衰』をめぐって、いうべきことはたくさんあるような気がする。でも。それは、「『天人五衰』をめぐって」であって、「『天人五衰』について」とはならないのである。作品論、というほど大袈裟なものを書くつもりもないのだが、いまの段階では、私の関心がどうしても作品そのものに集中してこないのだ。能力がない、といえばそれまでだが。
集中力を妨げている一番大きな原因は、そもそも『豊饒の海』の作者は誰なのだろう、という疑問である。突拍子もないことを、といわれるかもしれない。より正確にいえば、『豊饒の海』一、二巻『春の雪』と『奔馬』を書いた人物と三、四巻『暁の寺』と『天人五衰』の間には完全な断絶があって、一貫した構想のもとに執筆されたとは思えないということである。文体に差異はないようにも見えるが、はたして、これは同一の作者の手になるものだろうか、という疑念が消えないのだ。
断絶があるように見えるもっとも大きな理由は、本多の人物像の設定の突然の変化である。『春の雪』では主人公清顕の親友として、『奔馬』では同じく勲の弁護士として、現実世界_「歴史」といってもよいかもしれない_に積極的に関わる姿勢をとっていた本多が、『暁の寺』以降徹底して「認識者」として世界の外に立つ人間として描かれ、静かに悪を為す「支配者」になるのだ。そして、「認識」を論理的に説明するために仏教の唯識の理論がもちだされる。
しかし、百歩譲って、『豊饒の海』前半と後半の作者が同一人物であるとしても、根本的には、「三島由紀夫」とは何者か、という疑問がある。私は、「三島由紀夫」が1970・11・25に自衛隊の市ヶ谷のバルコニーで檄文(文豪三島が書いたとは思えない文章である)を撒いたのち割腹自殺した、とされる人物であるという事実を受け入れることが、どうしてもできない。三島があのようなかたちでみずからの生を閉じる覚悟で『豊饒の海』全四巻を構想し、書き上げたのだとは思えない。そんな気配はどこにもない。憎らしいほど手練れの書き手が、最後まで手綱を緩めずに仕上げた極上の作品、というか読み物であると思われる。
多くの人が『天人五衰』の最後を、三島その人の最期と関連づけて解釈している。だが、
「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。」
この文脈のどこに、死へ向かうベクトルがあるというのか。
六十年の時を経て、本多は聡子に会う。そして、彼女から、自分は清顕も本多も知らない、と言われる。断固とした聡子の拒絶の言葉に、本多は自分自身の存在の足元までも揺るがせてしまう。この結末は「衝撃のラスト」といわれ、多くの人が問題にしているが、私もささやかな考察を試みてみたい。たんなる思いつきにすぎないかもしれないが、作品全体にあふれる謎を解く手がかりのひとつになる可能性に賭けてみたいのだ。
死を意識せざるを得ない体の不調に苛まれながら、むしろそのことに鼓舞されて、本多は月修寺を訪れる。門跡となった聡子は、「むかしにかはらぬ秀麗な形のよい鼻と、美しい大きな目を保ってをられる。むかしの聡子とこれほどちがってゐて、しかも一目で聡子とわかるのである」と書かれる。その彼女がまったく感情の動揺を見せずに、本多の話す長い物語を聞いて、清顕の存在さえも否定するかのように言う。
「そんなお方は、もともとあらしやらなかったのと違いますか?何やら本多さんが、あるやうに思うてあらしやって、實ははじめから、どこにもをられなんだ、といふことではありませんか?」
『春の雪』から長く紡がれてきた物語をすべて否定する聡子の言葉は、あまりに唐突、理不尽で、本多だけでなく、ほとんどすべての読者を作品世界の外に投げ出してしまう。私たちははたして、本多の「映る筈もない遠すぎる」「幻の眼鏡のやうな」記憶につきあって、幻想の世界を旅してきたのだろうか。
聡子の言葉を字義通りに受け止めれば、彼女は記憶を完全に失った状態になってしまったか、あるいは、完璧な嘘つきである、ということになる。日常現実の感覚での理解はそれ以外にあり得ない。そうして、本多と同じく「何もない」時空に投げ出されてしまう。だが、ここに、作者の仕掛けた巧妙な、巧妙すぎる罠があるように思う。
そもそも本多は何故、聡子に会うことを決意したのだろう。たんに久闊を舒する気持ちだけではなかっただろう。かつて松枝邸の焼け跡で会った蓼科に指摘されたように、本多自身の聡子への想いが彼を駆り立てたのだ。六十年前の清顕と同じように、病にむしばまれ、絶え間ない痛みに襲われながら、死を賭して、というよりむしろ、死への試練をみずからに課すかのように、本多は月修寺への道を歩む。盛夏七月二十二日の午後、門前で車を降りてから、山門までの道のりを杖をたよりによろぼいながら進む本多の姿は、死出の旅路を行く巡礼のようである。最後は一羽の白い蝶に導かれて、本多は山門に着く。
ここはすでに幽明を異にする場所であるかのようだ。
かなりの時が過ぎて、本多の前に現れた聡子は「老いが衰への方向へではなく、浄化の方向へ一途に走って、つややかな肌が静かに照るやうで、目の美しさもいよいよ澄み、蒼古なほど内に耀ふものがあって、全體に、みごとな玉のやうな老いが結晶してゐた。」と描写される。ここまで理想化された美を体現する聡子は、何か、この世に存在する老女ではなく、みやびやかな仏像をイメージして描かれているように思われる。
「その松枝清顕さんといふ方は、どういふお人やした?」と繰り返す「門跡の顔には、いささかの衒ひも韜晦もなく、むしろ童女のやうなあどけない好奇心さへ窺はれて、静かな微笑が底に絶え間なく流れてゐた。」とあるのも、もはや聡子は、本多の語る物語の世界、そして本多の存在そのものと距離を隔てた位置にあることを示唆している。清顕が、勲が、ジン・ジャンが、そして本多がいる世界と、聡子の世界は次元が違うのだ。彼女の言葉でいえば「それも心々」なのである。聡子の「心」に清顕はいない。
本多の語る物語を読んできた私たち読者にとって、聡子の言葉は詭弁である。だが、本多より高次の語り手はいうまでもなく作者であって、詭弁であっても、読者は、そのように語られたら、そのように読まなければならない。権力をもっているのは作者である。
余談ながら『天人五衰』という小説の中で、権力はつねに「女」がもっている。聡子の完璧な否定の前に本多はなすすべもなかった。いや、聡子だけではない。安永透を完膚なきまでに打ちのめしたのは、孔雀明王のモチーフをまとって現れた久松慶子だった。盲目の透を花婿にしたのは「天稟」ともいえる醜さを逆転させ、世界を支配下に置いた絹江だった。
三島由紀夫に限らず、作家は、フィクションであれノンフィクションであれ、言葉によって読者を支配する特権をもっている。とくに、三島由紀夫は悪魔的ともいえるほど卓越した言葉の使い手である。言葉の牢獄に閉じ込められていたのが三島だったともいえるのかもしれないが。読者の側は彼の繰り出す言葉に魅了され、支配されることの特権に身をゆだね、いまどき荒唐無稽な輪廻転生譚などという論証の彼方の夢物語を追いかけてきたのだ。最後にきて、それはおかしいなどと異をとなえることは許されない。これは作者の仕掛けた罠である。
以上で私のつたない一文を終わりにしようと思うのだが、最後に、ひとつだけ、この「衝撃のラスト」読解のヒントになるかもしれないエピソードを取り上げてみたい。作品の中ほどに、「本多透の手記」というタイトルの文章がかなりの分量を占めている。許婚となった百子を「絹江のやうな、全世界を相手に闘ふ女」にしてやるために、透がとった行動の記録である。その中に、突然、本筋と関係があるとは思えないエピソードが出てくる。
ある雪の土曜日の午後、本多は不在である、透が所在ないままに、家の階段の踊り場の窓から雪を眺めている。すると、家の前の私道に一人の老人が傘もささずに現れる。極端に痩せて、黒いベレエ帽をかぶり、灰色の外套を着ていて、腰のあたりが不自然にふくらんでいる。老人が門の前で立ち止まると、そのふくらみが急に削ぎ落され、雪の上にビニールに包まれた野菜や果物の切り屑が落される。
老人はその後立ち去るが、非常に小刻みな歩幅で数歩歩いた後、今度は外套の背から何か黒いものが雪の上に落ちる。最初、透はそれを鴉か九官鳥か、鳥の屍だと思った。落ちた翼が雪を摶つような音が聞こえた気がした。何の鳥か確かめようとしたが、ふりしきる雪と庭木に遮られ、「何か壓倒的な億劫さに制せられて」確かめられなかった。そのうち、「あまり永く見詰めてゐるうちに」それは女の鬘のようにも思われだしたのである。
雪に映えて「胸のむかつくやうな蘇りをもたらす」と形容される野菜屑と女の鬘、これはあきらかに聡子の出家に関する記号だと思われるが、これについて語ることはいまの私にはまだ力不足である。ただ、ラストへの何らかの伏線だと思う。「鬘」は『暁の寺』に登場する蓼科も被っていたのだが。
「記憶もなければ、何もないところへ」来てしまったのは、「本多」であって、三島由紀夫ではない。「そのように語る」特権を三島由紀夫はもっている。その三島が、おのれの腹に刃を突き立てた、などという「事実」は、私にはどうしても受け入れられないのだ。
ずいぶん長く時間がかかったのに、相変わらず、論理の展開が錯綜していて、未整理な文章です。今日も、最後まで読んでくださってありがとうございます。