2019年12月2日月曜日

三島由紀夫『春の雪』_日露戦争の亡霊

 『豊穣の海』第二作の『奔馬』についてはある程度まとまったことが書けそうな気がするのだが、『春の海』は難問である。どこまでも美しく、崇高でしかも限りなく官能的な清顕と聡子の恋、それがどのように始まって成就したか、作者の視線はこの一点にそそがれて揺るぎない。恋愛の要素であるむき出しの欲望や生臭い情動は、彫琢をきわめた流麗な文章によって、みごとに「優雅」の域に昇華されている。非の打ちどころのない恋愛小説として完結しているようにみえ、そこに謎を見出すことは困難であるように思われる。

 主人公松枝清顕は、明治維新で勲功を立て、郷里鹿児島で「豪宕な神」とみなされた人物を祖父にもつ。祖父の息子二人は日露戦争で戦死して、残ったのは清顕の父一人のようである。清顕の父は清顕以外に子をもたなかったので、清顕は松枝家のただ一人の嫡子である。冒頭、渋谷郊外の広大な敷地十四万坪の中に、和洋取り交ぜた豪壮な建物を保有するばかりでなく、その名も「紅葉山」と呼ばれる山、その山を背景にする広い池、池に落ちる滝など、平安時代の王朝絵巻と見紛う松枝家の光景が描かれる。ここには、爛熟と豪奢、つまり貴族趣味そのものがあって、生硬なもの、粗削りなもの、質素なものは登場しない。

 松枝清顕は、貴族趣味、というより、その性質もふくめて、貴族そのものである。若く、美しく、自尊心が抜きんでて高く、そして優柔不断な御曹司が清顕である。その清顕の心情を、作者は物語の冒頭「得利寺附近の戦死者の弔祭」と題する日露戦争の戦死者の写真と結びつけて語るのである。

 すべては中央の、小さな白い祭壇と、花と、墓標へ向って、波のように押し寄せる心をささげているのだ。野の果てまでひろがるその巨きな集団から、一つの、口につくせぬ思いが、中央へ向ってその重い鉄のような巨大な輪を徐々にしめつけている。古びた、セピア色の写真であるだけに、これのかもし出す悲哀は、限りがないように思われた。

 十八歳の清顕がこのような心持になったのは、幼いころ公家の家に預けられて「優雅」を学ばされたことに原因がある、と書かれている。その公家の家が、清顕と禁断の恋に落ちる聡子が生まれた綾倉という伯爵家であって、清顕と綾倉聡子はまさに「優雅」な、そしてすさまじい恋をするのだが、いまは「優雅」にしのびより浸透していく死の影が、最初から清顕を覆っていたことに注目しておきたい。死と戦争は、物語の辻々に、さりげなく、だが印象的に挿入される。父侯爵が妾に会いに行くとき、付き添う清顕は、寒夜の風が松の梢を騒がす音にも「得利寺の戦死者弔祭の写真」の樹々のざわめきを聞き、死を連想するのだ。

 清顕が再び「得利寺附近の戦死者の弔祭」を見るのは、雪の中、聡子と俥を走らせていたときのことだった。美しく怜悧で活発な聡子に対して、少年らしい自尊心から反発しながらも惹かれていた清顕だったが、ある雪の朝、唐突に、聡子から雪見に連れて行ってくれと呼び出しがかかる。迎えに行った清顕の俥に聡子が乗り込んできた時の様子はこう描かれている。

 聡子が俥へ上がってきたとき、それはたしかに蓼料や車夫に扶けられて、半ば身を浮かすようにして乗ってきたのにはちがいないが、幌を掲げて彼女を迎い入れた清顕は、雪の幾片を襟元や髪にも留め、吹き込む雪と共に、白くつややかな顔の微笑を寄せてくる聡子を、平板な夢のなかから何かが身を起こして、急に自分に襲いかかってきたように感じた。聡子の重みを不安定に受けとめた俥の動揺が、そういう咄嗟の感じを強めたのかもしれない。
 それはころがり込んできた紫の堆積であり、たきしめた香の薫りもして、清顕には、自分の冷えきった頬のまわりに舞う雪が、俄かに薫りを放ったように思われた。

 これ以上ないほどの近さで身を寄せてきた聡子は、清顕にとって、美しい恋人というよりむしろ、何か日常世界を超えた次元からやってきた存在のようである。この後すぐ世にも美しい接吻へのなりゆきが繊細、精妙な描写で続くのだが。

 そして、官能のほてりに暑さを覚えた清顕が、俥の幌を開けたときに、日露戦争の亡霊が現れるのである。折しもさしかかった坂の上の崖から見下ろす麻布三聯隊の兵庭には、肩と軍帽の庇に雪を積んだ数千の兵士が、白木の墓標と祭壇を遠巻きにしてうなだれていた。彼らはみな死んでいて、みずからを弔っているのだった。幻は一瞬にして消え、あたりは平穏な日常の佇まいに戻るのだが、清顕と聡子の陶酔は戻らなかった。

 麻布三聯隊と霞町という場所はこの後、『春の雪』という作品の中で、一つの記号のように繰り返し登場する。清顕と聡子が初めて結ばれるのも、蓼料が懇意にしている北崎という軍人宿の離れで、そこは三聯隊の正門近くである。ふりつづく雨の中、清顕は北崎の宿におもむき、聡子と逢う。下宿の離れで清顕と聡子が結ばれる性愛の描写は、これほど具体的かつ高度な象徴性に満ちた描写はあるまいと思われるのだが、はたしてこれは、たんに性愛の描写だろうか。

 清顕が、禁忌の存在に対して、自らの純潔をかけて届こうとすること、そのことによって

 誰も見たことのないような完全な曙が漲る筈だった。

という預言は第二作『奔馬』のラスト、飯沼勲が

 正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と上った。

となって成就するのだ。

 北崎の宿は、物語の後半綾倉伯爵と綾倉家の老女蓼科の会話の中で登場する。清顕の子を身ごもった聡子が蓼科の指示を受け入れず、いっこうに中絶しようとしないことで、進退窮まった蓼科はカルチモンを飲んで自殺を図る。蓼科の部屋を訪れた伯爵に、蓼科は八年前の北崎の宿での伯爵の言葉をもちだすのである。

 八年前も雨が降っていた。もう梅雨に入っていた。八年後に清顕と聡子が結ばれることになる北崎の離れで、伯爵と蓼科は何とも陰惨な春画を見て、十四年ぶりに情を交わした。そして伯爵は驚くべきことを蓼科に頼んだのだった。

 八年前のその日、松枝侯爵が十三歳になった美しい聡子を見て、自分が三国一の婿を世話して、綾倉家から一度も出たことのないような豪勢な嫁入りをさせてやろう、と言った。このとき、無力な伯爵はこのはずかしめに対して、あいまいに笑っているだけだったが、何とか長袖者流の復讐をしてやろうと思っていたのである。それは、松枝侯爵が決めた婿に、生娘の聡子を与えない。縁組の前に、聡子を彼女が気に入っている男と添臥させる、ということで、このことを誰にも知らせず、蓼科一存でおかした過ちのようにやりとおしてほしい。そのために、生娘でないものと寝た男に生娘と思わせ、反対に、生娘と寝た男に生娘でないと思わせる二つの術を聡子に教え込むことができるだろうか。伯爵のこの恥知らずな、残酷な頼みを蓼科は「承りましてございます」と請け合ったのである。

 「門も玄関もない、そのくせかなりな広さの庭に板塀をめぐらした坂下の家。湿った、暗い、なめくじの出そうな」と描写される北崎の家での伯爵と蓼科の会話は、『春の雪』という舞台劇の暗い裏側を覗かせる。清顕と聡子の美しすぎる悲恋は、彼らを取り巻く大人たちの情念と陰謀によって仕組まれたものだったのだ。零落しているがゆえにはずかしめられ、やりどころのない伯爵の憤懣が、このようなグロテスクな企てを思いつかせたのだろうが、それだけではない。ここにはもっと淫靡で複雑な男と女の情念が濃縮されて呈示されている。その情念のひとつひとひとつを書くのもおぞましいが、伯爵も侯爵も、自分の命さえも手玉に取って、みごとに情念をつらぬき復讐を果たした蓼科の存在感は圧倒的である。

 『春の雪』の原点ともいえる八年前の出来事が、日露戦争に出征にする兵士の壮行会と同じ場所で行われたことに注目したい。降りしきる雨の中、事後の二人の耳に軍歌の合唱が届く。

 鉄火はためく戦場に
 護国の運命、君に待つ
 行け忠勇の我が友よ
 ゆけ君国の烈丈夫

 北崎の宿と日露戦争は、この後『春の雪』に登場することはない。美しく崇高な悲劇の原点が、陰惨で淫靡な情念の世界であり、そこはまた血生臭い戦場と隣り合わせの場所であることを示唆して、物語は終末に向かっていく。

 難問の『春の雪』に、せめて補助線を引いてみようと思って書き出したのですが、やはり難問のままでした。でも、あきらめないで、影の主人公本多繁邦を中心に、もう一度考えたいと思っています。未整理な文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。